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「皇位継承策 議論の先送りをせずに」―東京新聞社説に同感 [皇室典範改正]

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2021年8月10日付けの東京新聞朝刊に「皇位継承策 議論の先送りをせずに」との社説が掲載されました。同紙の8月8日朝刊「話題の発掘」もまっとうな内容です。どちらも中立的なバランスのとれた見方だと思います。まともな意見を読んで、心強く思いました。

以下は「社説」からの部分引用です。





☆☆☆

安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議が中間整理案をまとめた。女性宮家案か、旧宮家の皇籍復帰案かの二つだ。そもそも論点は既に出尽くしており、議論の先送りはもう避けたい。現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮さまと悠仁さま、八十代半ばの常陸宮さまの三人だけだ。悠仁さまの時代に十分な皇族の数を維持できなくなる…。そんな危機意識を踏まえた論議である。(中略)
 女性・女系天皇案など皇位継承権の拡大については「次のステップに考える課題」として踏み込まず、皇族数の確保に向けた検討にとどまっている。
だが、小泉政権時の二〇〇五年には当時の有識者会議が、女性・女系に皇位継承を拡大する報告書をまとめている。女性宮家の創設も盛り込まれていた。皇籍復帰案は「困難」とも指摘していた。(中略)
共同通信による今春の世論調査でも女性・女系天皇案への賛成はともに80%以上で、皇籍復帰案への賛成は約30%だった。
女性・女系天皇案が安倍晋三政権になって白紙に戻り、議論が蒸し返されているのは、男系男子主義に固執する保守派への配慮があるのだろう。
両論併記により議論が再び平行線をたどることを恐れる。愛子さまも、秋篠宮さまの長女眞子さまも、次女佳子さまも近い将来、結婚すれば皇籍を離脱せねばならない。そうなれば女性宮家案も、世論が理解を示す女性・女系天皇案も事実上、立ち消えになる一方、皇籍復帰案が残る事になる。
一七年の天皇大意特例法の附帯決議は、女性宮家創設などの「速やかな検討」を求めていたはずである。そろそろ結論を導く段階に来ているのではないだろうか。

(「社説 8月10日」東京新聞 第5面)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/123236?rct=editorial

☆☆☆


タイトルは「議論先送りをせずに」と控えめですが、本文では「そろそろ結論を導く段階に来ているのではないだろうか」と述べています。

女性宮家の創設は、内親王方のご年齢を考えてももう先延ばしできません。早急に議論を進めて、女性・女系継承を認める方向で、皇室典範を改正する必要があります。「結論を導く段階に来ている」というのはそういうことだと思います。


2005年小泉政権時有識者会議報告書(女性・女系に皇位継承拡大する案)を最近読み返しました。発表当時は、従来の男系男子限定継承に比べて、男女の別なく直系長子継承との飛躍に驚きましたが、色々と学んだ今読み返せば、丁寧な議論が重ねられていて、よく検討されていると感心しました。

旧宮家系男子の皇籍復帰案は憲法違反の疑いがある(第14条 門地(家柄)による差別)など、色々と無理があり、政府は明言しないながらも、断念の意向を示しています。

女性宮家を創設し、女性・女系に皇位継承を拡大する案は、欧州王家が続々採用し実施している対策です。男系男子による継承は一夫多妻があって初めて成り立っていたのですから、一夫一妻を守る限り、継続することが出来ません。現実に即した策です。このことによって日本女性が自信を持つようになり、元気になります。

大多数の日本人も女性・女系継承に賛同しています。男系男子限定にこだわる必要はない、女性・女系があってもよいというのが、一部保守層を除いた、常識的な感覚の人々の意識です。それは明治天皇の時にも、実現はかないませんでしたが、永世皇族制の廃止、御譲位と共に、既に検討されていた案でもありました。

安倍晋三政権は、上皇陛下の御譲位のご希望にも反対し(譲位は何とか実現できましたが)、女性宮家創設にも反対して、実現不可能な男系男子限定、男系男子継承に固執する保守派のご機嫌取りに終始しました。菅政権もどうやら同じ路線を継いで、議論の先送りを図りたいようです。

菅政権が検討している一代限りの女性宮家で配偶者とお子様を皇族にしないという案はどう考えても議論の先送りです。まるで悠仁さまのご結婚まで、内親王方もご結婚するなと言わんばかりの、皇室に対して失礼きわまりない、非人情な提案だと思います。

高森明勅氏もこの提案についてブログを書かれています。よろしかったらお読みください。
https://www.a-takamori.com/post/210809


私は、眞子さまのご結婚前に、皇室典範を改正して「女性宮家創設」を実現しなければならないと思います。

東京新聞は8月8日の19面「話題の発掘」、「週刊誌を読む 8月1日~7日」で、「眞子さま・小室さんの結婚 どう転んでもバッシング」と見出しをつけて、バランスの良い取り上げ方をしています。


☆☆☆

「裏切り婚」「追放婚」などの文言が女性週刊誌の表紙に踊っている。この秋にも大きな動きが予想される眞子さまと小室圭さんの結婚についてだ。
きっかけは七月三十日正午にNHKが報じたニュースだったようだ。小室さんが二十七、二十八日に米ニューヨーク州の司法試験を受験。結果発表はまだだが、既に現地の法律事務所へ就職する見通しも立っているという内容だ。(中略)

小室さんが現地で就職する意向は強いようで、そうなると眞子さまもアメリカに渡ることになる可能性が高いらしい。(中略)

[週刊新潮の]この記事の見出しは「『小室佳代さん』が勤め先洋菓子店で大トラブル」だ。小室圭さんの母親と勤務先がギクシャクしているという内容だが、驚くのは店の関係者のこういう証言だ。「店にもよく『なぜあんな人を雇っているのか』『二度と買わない』といった抗議電話が掛ってきています。
私にはこのバッシングの空気の方が異常だとしか思えないのだが。
(月刊『創』編集長・篠田博之)

(「週刊誌を読む 8月1日~7日」東京新聞 8月8日朝刊 第十九面) 

☆☆☆


筆者は、「女性セブン」8月19日号の見出しに「眞子さま追放婚」と書かれ、「週刊女性」8月17・24日号は(国民が祝福できないのに結婚するのは傲慢だという)「裏切り婚」と呼んでいることについて、

「今やどう転んでもバッシングの対象になってしまうのが眞子さまと小室さんの結婚だ。だとすると、日本を離れて生活したいと当人たちが考えても無理はないように思う。」

とも述べています。

根拠のあいまいな情報をもとに、世論をとんでもない方向に誤誘導するマスコミの罪は重いです。

上皇陛下の初孫でいらっしゃる眞子さまが、本人に何の落ち度もないのに、国民の理解が得られないという理由で、皇室からも日本から追放されるような形でご結婚されるとしたら、日本人がフェイク・ニュース(ウソの報道)に簡単に踊らされるバカな国民だということを世界中に知らしめることになり、日本人の恥になります。井の中の蛙の男系派は無頓着なようですが、こういう形で日本の評判を落とすことを軽視してはならないと思います。

日本人が恥をかかないために、ご結婚までに何としてでも、小室さんの汚名を晴らし、きちんとした形を整える必要があります。女性宮家の創設はその第一歩です。眞子さまが女性宮家の当主になられ、配偶者の皇室入りの道が開かれれば、皇室入りを前提に小室さんの身辺調査も正式に行われて、三権(立法権、行政権、司法権)の長が出席する皇室会議で皇族にふさわしいかどうか慎重に審議されることになりますから、国民が前もって心配や疑惑を持つ必要はありません。

記事の末尾の話も小室佳代さんの勤め先がいわれなき抗議を受けるという、信じられない話です。小室佳代さんが何をしたというのでしょう。勤め先に脅迫的な電話をかける人々は、モンスター・クライアント(化け物顧客)というべきで、洋菓子店、小室佳代さんが気の毒でなりません。近くの店だったら、不当な圧力に負けないようにと、ケーキを買ってはげましたいくらいです。

今の世間のバッシングの空気は明らかに異常です。「週刊新潮」が「勤め先とトラブル」などと、世間の異常さを助長する見出しをつけるのは、もはや口害だといえます。読者にも、トンデモ記事に惑わされない賢さが求められていると思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
暑い日が続きます。皆さまお身体に気をつけてお健やかな日々をお過ごしください。

タグ:眞子さま
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無実の罪を着せられた道鏡に小室圭さんを思う [皇室典範改正]

DSC_173720210723blog.JPG木の根元に生えた苔です。不思議な色と形ですね。


デイリー新潮に小室圭さんを道鏡に例えた記事が載っていると、男系維持派の人が教えてくれました。

一読しましたが、各学者は底の浅いことしか書いていない、有識者会議の中身の無さ、政府の不決断、に、とても残念な気がしました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/facba13cf81bb45f8d67c90d0e4c853f2a29c30d


ここに出て来る本郷和人教授は、テレビにも出ていますが、専門は中世史で、古代のことは、とんと御存じないようです。

「皇位継承について考える際には、タテとヨコのどちらに重きを置くか」と述べていますが、彼の言うタテは、日本に「男尊女卑」が定着した中世以降だけのことであって、それ以前は、タテに含まれないのでしょう。歴史の一部分にしか、目が届いていない学者です。悠久の日本の歴史を語る資格はありません。

麗澤大学教授の八木秀次氏は、「私が訴えてきた男系男子による継承を頭ごなしに否定する方はおらず、旧宮家の皇籍復帰についても議論の俎上に載せられていました。それどころか、専門外のメンバーからも男系継承に肯定的な声が上がっていた。世論は確実に変化していると感じました。やはり、小室圭さんの存在が世論に与えた衝撃は計り知れないものがあったのでしょう」と、得意げに述べています。

女性宮家案を断固としてつぶそうと、なりふりかまわずに、小室圭さんの悪評をSNSやyou tubeで世間に流布したのは、男系維持派の竹田恒泰氏などの論客、日本会議を支持する女性メンバーたち、そして雑誌を売ることしか考えないマスコミでした。デマがこれほど国民に浸透することそのものに、恐ろしさを感じます。

何回もブログに書いていますが、どの記事を読んでも、私には、小室圭さんは普通の青年で、書き立てられていることは、一方的な推測まみれの情報であり、冷静に見れば、誰にでもあるような小さなことを大げさに書いているだけとしか、思えません。

発端になった、小室佳代さんの元婚約者は、代理人に立てた週刊現代の記者とタッグを組んで、一方的な情報をマスコミに垂れ流しましたが、小室圭さんの文書を読むと、元婚約者は、ウソばかりついていたことが分かります。

○婚約を破棄したのを佳代さんと言っていたが、事実は逆で、元婚約者が一方的に破棄していた。
○借金といいふらしたお金は、佳代さんに借金ではないから、あげるお金だからと何度もいっていた
○佳代さんが食事や結婚式の費用を高価なものにしたがっていると言っていたが、佳代さんは高価にならないようにとむしろ、気を遣っていた。

週刊誌で佳代さんが、遺族年金を断らなかったことを責めていたようですが、いきなり婚約を破棄するような信頼できない男性と交際をしている段階で、遺族年金を放棄する手続きをする人が、いるはずがありません。入籍して、初めて放棄するのが、常識だと思います。信頼できる友人がネットで詳しく調べた情報では、事実婚でも無かった、単に交際していただけ、とのことです。

小室圭さんのイジメを受けた女性があるという記事もありましたが、イジメに関わったとされる小室さんの友人全員が否定しています。微妙な事案ですが、真実を確かめなければ、不確定な情報のみでイジメがあったと決めつけるのは、痴漢の冤罪事件もあるので、慎重でなければならないと思います。


八木秀次氏は、小室さんが道鏡に似ていると述べていますが、実は道鏡事件そのものが、近年見直されています。

歴史上の日本三悪人というと、道鏡、平清盛、平将門があげられるそうですが、それぞれ、実は後世の人々に誇張されて「悪人」に仕立てられたという説が最近語られています。

道鏡は明治以降、和気清麻呂が忠臣であり、対照される悪人として、小学校の教科書にも載せられました。

八木氏は、「道鏡悪人説」を信じて疑わないようですが、道鏡の評価は最近見直されつつあります。


このことは、当ブログでも孝謙天皇・称徳天皇の時に取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306223719-1

今日はその続きを書きたいと思います。


「道鏡事件」は無かったと唱える学者さえあります。私は専門家でないので無かったかどうか、種になるような噂くらいはあったのかは分かりません。

公平に見れば、諸説あるというのが、バランスの取れた見方だと思いますが、私は少なくとも俗説通りのようなことは無かったという学者の説の方が、信ぴょう性が高いと思います。


その1、「道鏡事件」は無かったと唱える学者(関西学院大学教授・中西泰弘氏)があります。(社団法人 関西大阪21世紀協会HPより)


☆☆☆

怪僧、妖僧、悪僧・・・どこまで本当?

道鏡は戦前、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人に数えられた。道鏡と称徳は平安朝からスキャンダルの的となった。道鏡の巨根説、称徳の広陰説、「道鏡は座るとひざが三つでき」という川柳まで残る。明治以降は小学校用教科書に和気清麻呂と頻繁に登場するようになり、「国体護持」「万世一系」の皇国史観から道鏡は天皇の座を狙った悪僧、清麻呂はそれを阻止した忠臣の代表となった。

宇佐八幡神託事件は、称徳主体説、道鏡主体説、道鏡・称徳共謀に整理できる。戦後、古代史家・北山茂夫は「女帝こそが一介の名もない看病禅師をひきたてて、ついには、法王の地位をあたえた」「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」(『女帝と道鏡』)と称徳主体説を唱えた。

これに対し、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)は『続日本紀』に出てくる宣命と地の文の詳細な検証を進め、「称徳には道鏡を皇位に就けようという意思は毛頭なかった」(『続日本紀と奈良朝の政変』)とし、道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出とする。皇統は天武(?-686)から8代7人、天武系が続いたが、称徳亡き後、天智天皇(626-671)の孫の光仁(709-782)、その子の桓武(737-806)と天智系に変わった。『続日本紀』は桓武治世下で編纂されており、道鏡事件を「『前王朝』の失態」として描いたと問題提起している。


さらに東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)は評伝『孝謙・称徳天皇』で、称徳を革新的な女性天皇として描いた。称徳は歴史上ただ一人の女性皇太子。従来言われるような「中継ぎ」ではなかったとする。一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。「『天』が授ける者であれば皇統以外でも可能とする」「歴史上でも類いまれな、万世一系を否定する王権像」を持っていたとする。そして道鏡事件は後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われたと書いている。

いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。

(「なにわ大阪をつくった百人」(社)関西大阪21世紀協会=足跡をたずねて=)
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/039.html

☆☆☆

[1の感想]

「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」という古代史家・北山茂夫氏の意見も興味深いです。「儒教的な立場に立つ御用学者」は、男尊女卑的な見方が強く、このようなスキャンダルを大げさに批判することを得意とするからです。

そして、『続日本紀』を詳細に検証された、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)の説は、かなり説得力があると思います。

○道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出(創作)
○称徳には道鏡を皇位に就けようという意思はもうとうなかった。
○皇統が天武系から天智系に替わった時、道鏡事件を『前王朝』の失態として描いた。


「皇統が天武系から天智系に替わった時」、すなわち皇統が別系統になった時、前の系統の天皇を悪者に仕立てるのは、日本書紀にもみられることです。「勝者が敗者を悪者として記録する」のは、よくあることです。

「いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。」

と書かれています。これまで各時代の天皇の御製を学びましたが、天皇に謀叛を企てたことの処罰はいつの時代でも死に値する厳しいものでした。道鏡の処分は左遷という軽すぎるものだったということからも、本人自身に謀反の罪が無かったのは明らかだと思います。



その2、道鏡の名誉回復を願う、出身地・大阪府八尾市の有志団体「道鏡を知る会」により、木彫の坐像(ざぞう)が作られ、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納されました。坐像の制作者は、籔内佐斗司(やぶうちさとし)・東京芸大大学院教授。籔内氏は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」も考案した彫刻家です。

(「道鏡、実は「悪人」の事績乏しく 名誉回復願い坐像」日本経済新聞2020年10月22日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65273930R21C20A0AA1P00/

道鏡の実像を語り伝えられてきた道鏡の生地、大阪府八尾市の有志が、道鏡の名誉回復を願って、坐像をつくり、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納することができたという記事です。

以下は、前のブログで紹介した、坐像を作る運動をしている時の記事です。願いが結実して、坐像を奉納することができて、ほんとうに良かったですね。

☆☆☆

道鏡とは

河内国弓削氏出身の道鏡は、義淵増正に師事し、看病禅師として孝謙上皇の病を治し、女帝の信頼を得て、称徳天皇(重祚)勅願の西大寺の創建にも協力をしました。仏教理念による施政を総攬(そうらん)し、法王の位を受け、奈良仏教の礎を築いた一人。

(中略)

神護景雲3年(769年)10月、称徳女帝は道鏡を伴って、道鏡の故郷である河内国由義宮に来られ、大和川沿いの龍華寺に河内の商人たちを呼び集めて市を開かせ、官人たちの買い物風景を楽しんだといわれます。また、天皇は龍華寺に綿二万屯(とん)、塩三十石を寄進しました。翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕したとの記録が残されています(続日本紀)。

植松渋川神社の前の観音が当時の龍華寺であることや、渋川神社の前一帯の地域が「市の町」と今も呼ばれていることなど、私たちの身近なところに道鏡が活躍した名残が存在しています。

八尾市が生んだ偉大な人物、道鏡の真の姿を再発見し、称徳女帝と道鏡の清らかな恋に思いをはせて、道鏡を知る会は今年も活動を続けています。また、関東地方をはじめ、全国の「道鏡の会」との交流も行っています。会員は2か月に1回程度、奈良時代、特に道鏡ゆかりの地に出かけて拝観・見学をしています。

「85歳の挑戦。奈良仏教の礎を築いた一人である道鏡禅師像を造立へ 」
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆



その3、「奈良まちあるき風景紀行」は、一般的な観光案内の感じですが、道鏡事件について、「具体的な悪行」は何一つ伝わっていない、評価に諸説ありとしています。


☆☆☆

道鏡が何かを自らで大規模に粛清したとか、特定の存在を極端に弾圧したとか、誰かと共謀してまれに見るような凶悪な働きを果たした。といったような歴史に残る「具体的な悪行」は特に伝わっていないことは紛れもない事実です。

(「道鏡とは何者なのか?悪人とされがちな僧侶についてシンプルに解説【宇佐八幡宮神託事件】」奈良まちあるき風景紀行)
https://narakanko-enjoy.com/?p=35061

☆☆☆

○観光案内的なホームページですが、幅広い見方があると、紹介しています。

○『「具体的な悪行」が特に伝わっていないことは紛れもない事実です。』

具体的な悪行が特に伝わっていないのに「謀叛人」「極悪人」にされているのなら、それはいわば冤罪(えんざい)ではないでしょうか。





[全般的な感想]

八木氏は、道鏡と孝謙天皇に男女の関係があったと思い込んでいるようですが、道鏡60歳、孝謙天皇45歳というご年齢から考えても、また、孝謙天皇が潔癖な御性格であられたこと、道鏡が優れた高僧であったと配流先でも民から慕われていることから、そのような関係では無く、清らかなものだったと考えるのが自然です。


小室圭さんが、まじめな一般国民であるのにかかわらず、ぬれぎぬを着せられて、謀反人に仕立て上げられ、マスコミのバッシングの標的にさせられてしまったことは、何の罪も無かった道鏡が、デマによって極悪の謀叛人に仕立てられたのと、実は、似ているかも知れません。

そして、眞子様の置かれている状況は、(その1の引用文で)東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)が述べているように、

『後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われた』

という、称徳天皇の置かれた状況にそっくりです。


『時の為政者をあやつる男系維持派が、「女性皇族(内親王)をスキャンダルまみれに伝え」、「男女の関係におぼれた愚かな悪女」に仕立て上げて、「女性宮家の出現阻止に使われた」』

と言葉を置き換えれば、なんとそのまま、すべてが当てはまるではありませんか。歴史は繰り返すというのは真実です。男系派が、道鏡を念頭に置いて、仕組んだワナではないかと思えるほど、酷似しています。


勝浦教授はこうも述べています。

(称徳天皇は)「一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。」

このような女性優遇策が、古代中国の男尊女卑文化が浸透しつつあった当時の為政者にとって、伝統破壊に思えたのでしょう。その反感が、続日本紀の記録者に映し出されて、称徳天皇をおとしめる記述の動機の一つになったのではないでしょうか。これも男系を支持する男尊女卑の人々に共通していますね。


それにしても腹立たしいのは、女性宮家制度創設をつぶすために、何の罪もない無名の一般国民を、デマをまき散らして、極悪の謀叛人であるかのように仕立て上げた人々の存在です。竹田恒泰しかり、八木秀次しかり。一般国民に過ぎない一人の青年のプライバシーをあばき、デマを流し続け、悪人に仕立て上げる、これでも法治国家だろうか、一般国民を守ろうとしない国が、民主主義の国だろうかと、日本人に生まれたことが、真底、恥ずかしくなります。

デイリー新潮の記事に出て来る里中満智子さんは、デビュー当時からファンだったのですが、結局、男性に肩を並べることに生きがいを感じる、名誉白人ならぬ名誉男性の一人で、本質的なことが何も分かっていない浅はかな人だったと知って、がっかりしています。知識量と、人間として正しい判断ができるかどうかは、まったく別物ですね。


これが、女性宮家の制度が出来ていて、小室圭さんの皇室入りが選択できるというなら、国民が色々と声を上げたくなるのは、まだ理解できます。美智子様が婚約され、皇室入りが決まった時も、柳原白蓮などが、猛烈な妨害活動を行い、暴力の行使も辞さないという勢いだったそうですから、歴史は繰り返すと思えば、理解できます。

しかし、今の制度のままでは、眞子様が一般国民になられると決まっていて、小室圭さんが皇室入りすることができないことが分かっているのに、国民が大騒ぎするのはなぜなのでしょう? 

裏を返せば、眞子様に女性宮家の当主になっていただきたい、その伴侶も皇室入りしてほしいとの、国民の潜在的な願望が高まって、彼らを異常な行動に駆り立てているのではないでしょうか? 現在意識では分からなくても、国民の潜在意識が「女性宮家を創設してほしい! 女性天皇を実現してほしい!」と大声で叫んでいる、その気持ちが素直にだせないためにひねくれて、可愛さ余って憎さ百倍となっているような気がします。


男系維持派は、そのような国民の魂の底からわきあがる声なき声、女性天皇を待望する声、女性宮家創設を願う声を、「左翼の陰謀だ!」と偏見に満ちた悪口を投げかけて一蹴します。

日本の古代史を謙虚に学ぶことをしない、浅はかな、そのくせ日本のことを誰よりも知っていると錯覚している愚かな人々が、自民党政権に巣くって、日本を害し続けています。


男系派はこう叫びます。

「日本は男尊女卑の国だぞ!」

「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」

「偉大なる古代中国さまがそういっておられたのだ、われらはその伝統にしたがうのだ!」

「皇室こそは男尊女卑の伝統を守る最後のとりでなのだ!」

と。いつまで、叫び続けるつもりなのでしょう。まるで駄々っ子です。困ったものです。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
オリンピックが開会しました。平穏に無事に開催されますよう、選手たちが力いっぱい競い合えますよう、祈らせていただきます。
皆様も、どうぞお健やかな毎日をお過ごしください。

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明治天皇は女系を容認されていたのか [皇室典範改正]

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男系維持を主張する人から、こんな質問をいただきました。

Q. たるとさんは、明治天皇が女系容認だったと言われますが本当ですか?

この質問者は、竹田恒泰氏を尊敬していて、竹田氏の主唱する、大御心とは「歴代天皇の御心」である、今上陛下が歴代の「大御心」に反する女系容認だったら尊重する必要が無い、という思想を信じる人でもあります。

A. そこで、私は次のように答えました

明治天皇は、女系を容認されていたし、明治天皇以来、今上天皇に至るまで(大正天皇、昭和天皇、上皇陛下、今上天皇)容認されていると、考えるのが自然です。それは大正天皇が側室を置かれなかったからです。側室が無ければ男系男子の継承が維持できないのは、明治天皇の時に、既に明らかでした。大正天皇は、明治天皇の庶子でしたから、大正天皇もそのことを十分知っておられながら、側室を置かなかったので、いずれは西欧と同様に、女系容認が必要と考えられていたと、拝察するのが自然だと思います。

また、女性天皇は、歴代天皇において、容認されていました。歴史上、8方10代の女性天皇がありました。 江戸時代の後水尾天皇による明正天皇への譲位、後桜町天皇の即位は、江戸幕府による女性が家督を継ぐことを禁止した「禁中並公家諸法度」を破って強行された女性天皇の即位でした。それが皇室の伝統です。

竹田恒泰氏の「大御心」における「歴代」は、例外だらけであり、一貫した「大御心」が、女性天皇禁止、女系天皇絶対反対、女系天皇になると日本が亡びるとのお考えである、と主張する竹田氏は、真の「大御心」を理解しているとは、到底思えません。

本題に入ります。

明治天皇が「女系天皇、女統を容認」とのお言葉を残しているという記録は、見つけることができませんでした。読者の方で、そういう記述があると知っている方は、ぜひ教えていただきたいと思います。

私の想像ですが、明治天皇も立憲君主たらんとされたので、直接のご発言は控えられ、大正天皇、昭和天皇、上皇様、今上陛下と同様に、記録が残されていないかも知れません。


しかし、旧皇室典範(明治22年)の制定過程において、「女系、女統」容認の案が、提出されたのは歴史上の事実です。それは「宮内省」案に記述されているので、明治天皇が容認されない内容が、そこに入れられるはずがない、仮に明治天皇が「何よりも男系優先、男系を護持しなければ国が亡ぶ」とお考えだったなら、宮家が数多くある中で、「女系、女統」が明記された案を、元老会議に検討させることは、考えられません。すなわち、明治天皇は「女系、女統」を容認されていたと考えるのが自然であり、当然であると思います。

以下、関連する資料からの引用を列記します。


☆☆☆

【明治典範制定に至るまでの女性天皇に関する議論】
①各種憲法試案の中に、皇位継承資格を男性のみとする案や女性の皇位継承も可能
とする案がある。
②制定過程における皇位継承資格の変遷
- - 35
〔日本国憲按〕(元老院による立案:明治9年~13年)
・明治9年案 …女性も皇位を継承できるとする案
・明治11年案…女性は皇位を継承できないとする案
・明治13年案…女統による皇位継承もできるとする案
〔皇室制規〕(宮内省による立案:明治18年~19年頃)
・女性・女系による皇位継承もできるとする案
〔井上毅「謹具(きんぐ)意見」〕(明治18年~19年頃)


(「皇室典範に関する有識者会議 報告書 平成17年11月24日」)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

(「参考資料」(pp34~35))
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/sankou.pdf

☆☆☆

[説明]

明治9年以来、元老院による立案が、何回かありました。
注目すべきは「日本国憲按」明治9年案、明治13年案、及び明治18年の「皇室制規」案に次の通り、女系、女統による継承を認める条文があったことです。


☆☆☆

1.日本国憲按
(1)明治9年案:女性も皇位を継承できるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 現今統御スル皇帝ノ子孫タル可キ者ヲ以テ帝位継承ノ正統ノ裔トシテ帝位ヲ世伝ス
第二条 継承ノ順序ハ嫡長入嗣ノ正序ニ循フ可シ尊系ハ卑系ニ先チ同系ニ於テハ親ハ疎ニ先チ同族ニ於テハ男ハ女ニ先チ同類ニ於テハ長ハ少ニ先ツ

(3)明治13年案:女統による皇位継承もできるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 今上皇帝ノ子孫ヲ帝位継承ノ正統トス
第二条 帝位ヲ継承スル者ハ嫡長ヲ以テ正トス如シ太子在ラサルトキハ太子男統ノ裔嗣ク太子男統ノ裔在ラサルトキハ太子ノ弟若クハ其男統ノ裔嗣ク嫡出男統ノ裔渾テ在ラサルトキハ庶出ノ子及其男統ノ裔親疎ノ序ニ由リ入テ嗣ク
第三条 上ノ定ムル所ニ依リ而シテ猶未タ帝位ヲ継承スル者ヲ得サルトキハ皇族親疎ノ序ニ由リ入テ大位ヲ嗣ク若シ止ム事ヲ得サルトキハ女統入テ嗣ク事ヲ得

2.皇室制規:女性・女系による皇位継承もできるとする案。
皇位継承ノ事
第一 皇位ハ男系ヲ以テ継承スルモノトス若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス男女系各嫡ヲ先キニシ庶ヲ後ニシ嫡庶各長幼ノ序ニ従フヘシ

(資料3-1「資料3-1-14」)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3-1.pdf

☆☆☆


[説明]

素人考えですが、明治9年の案は、「同族に於ては男は女に先立ち」とあるものの、男統の跡継ぎが無い(13年案)、男系が絶える時(19年案)という文言が無いので、女性が跡継ぎになることが、順序によって、自然に認められるようになっている気がします。最初の案が、そのようであったことは、皇室の伝統において、女性天皇継承が自然であったことを表わしているように思われます。

かなり難解な文章です。尊系と卑系の意味の違いがよく分かりません。細かいところの読みがすぐには分からないので、時間をかけてもう少し読み込もうと思います。もしも、読者の方でこの文章を読解できる方があり、また現代語訳がありましたら、お教えいただければありがたいです。

この経緯を、国史大辞典では、明治19年の案のみを、取り上げて以下のように解説しています。


☆☆☆

皇室典範
こうしつてんぱん
皇室および皇族の基本であり、皇位継承をはじめ、結婚・摂政・皇族などが定められている。明治二十二年(一八八九)非公式に発表され、明治四十年と大正七年(一九一八)に増補を加えた。第二次世界大戦後の昭和二十一年(一九四六)、現在のものに改正されている。明治十五年伊藤博文が欧州に赴いた際、オーストリアのローレンツ=フォン=シュタインから皇室の家法をつくるようすすめられた。伊藤は同十九年から皇室典範の取調べを始めた。最初の案は皇室制規で、シュタインの意見を参考とし、皇位継承・丁年および結婚・摂政・皇族について定めた。女系の継承権を認め、庶出の子女は皇族として待遇しないことにした。

(「国史大辞典」「皇室典範」
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=132

☆☆☆


[結論]

2005年小泉政権による有識者会議の報告が提出されて以来、女系容認、男系固持の論が、取り交わされています。有識者会議では、色々と深いことが議論されていたのだなあと、資料を調べて、思いました。

明治時代の、欧州の識者に作成を薦められて、歴史始まって以来初めて作成された旧皇室典範成立の過程に於いても、既に、女系容認案、男系男子限定案の、押したり引いたりの議論があったのは、驚くべきことです。議論の過程を垣間見ても、今の議論とあまり変わりないことが問題にされています。歴史は繰り返すということですね。

明治時代の旧皇室典範制定において、宮内省が提出した明治9年案、13年案、19年案に、明治天皇のご意向が反映されていないはずがないので、明治天皇は男系固執ではなく、女系でもよい、すなわち女系を容認しておられたと拝察しても、間違いないと思います。

2005年の有識者会議の報告も同様に、当時の天皇(上皇陛下)のお考えが反映され、「女系容認」となっていたことも、間違いないと拝察いたします。


今日も読んでいただき有難うございました。
もうすぐオリンピックですね。皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
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男系派・百地章氏のご都合主義―女系に価値を認めつつ、反対? [皇室典範改正]

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男系派の論客・百地章氏(国士舘大学特任教授)は、皇室の伝統は男系であると強固に主張しています。

『「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』のヒアリング講師に招かれた、百地章氏の資料を、読んでみようと思いましたが、探すのが大変でした。

内閣官房ホームページの第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第をやっと探し当てることが出来ました。

こういう大切な資料は、多くの国民が検討できるように、もう少し、見つけやすくしていただきたいと思います。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

をクリックすると、以下のページが出て来ます。

++++++++++++++++++
内閣官房

第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第
日時:令和3年5月10日(月) 16:45~19:00
場所:総理大臣官邸大会議室
(中略)
配付資料
(中略)
資料5 : 百地 章 国士舘大学特任教授 説明資料(PDF/2,308KB)

++++++++++++++++

ここで資料5のPDFをクリックすると百地氏の資料を読むことが出来ます。

以下に部分引用します。

++++++++++++++++++

1、「皇室の伝統」及び「憲法」は「男系」…問4

(1)皇室の伝統は、いうまでもなく「男系」(126代の天皇は全て「男系」)であ
る。…資料①天皇系図
・天皇の系図を見ると、直系継承ばかりではなく、非常に複雑である。これは
「男系による皇位の継承」を維持するためであった。「直系」が長く続いた例
は、初代神武天皇から第13代成務天皇までや、第119代光格天皇から第
126代今上天皇までなど数少ない。それ故、「直系」を優先し、結果的に女
系をもたらすやり方は、皇室の伝統を否定するものである。

「資料5 百地氏説明資料」、『第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第』
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

++++++++++++++++

○百地氏は、男系はいうまでもなく皇室の伝統といいますが、「男系」がこれまで続いて来たのは、天皇が複数の奥様を持つ「側室制度」と言う条件に支えられていたので、側室制度が無くなった昭和から、皇室の不変の伝統ではなくなったというのが、私どもの考えです。明治天皇でさえ、将来を見越して「女系」の採用を検討されていたのも、男系男子の継承が「不変の伝統でない」ことを証明しています。また男系男子の継承が、固定化、明文化されたのは、明治22年の典範制定以来のことで、それまでは「女性天皇」が認めらていました。男系男子限定は、近代明治以来の新しい伝統で、決して日本古来の伝統ではありません。

明治天皇が女系を容認されていたことは、当ブログで5月24日に述べています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/20210524


○百地氏が挙げていない憲法学者の権威が、有識者会議において、最新の判断として、世襲に女性も含まれることを述べています。さらに、旧宮家系男子の婚姻を介さない皇室入りは「門地による差別」、家格による差別であり、憲法違反(第14条)が濃厚であるとも、述べています。

「門地による差別」については、高森明勅氏が、ブログで説明されています。
https://www.a-takamori.com/post/210515


今日は、取り上げるのは、女系を都合よく利用する男系派の、2枚舌についてです。
百地氏は旧宮家を推薦するに当り、次のように述べています。


++++

(3)戦後、皇籍を離脱された旧宮家の方々は、明治以降、すべて伏見宮家の家系に属
しておられた。そして、旧皇族およびその男系男子孫の方々は、現在の皇室と親
戚関係にある方々ばかりである…資料➂旧宮家略系図

➀現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。具体的には、久邇家の当主邦昭氏は、上皇陛下と従兄弟関係にあり、東
久邇家の当主も今上陛下と従兄弟関係にある。また、東久邇家には明治天皇と昭
和天皇のお二人の内親王が降嫁され、竹田家にも明治天皇の内親王が降嫁されて
いる。さらに、旧賀陽宮家は、明治時代に久邇宮家から分家して設立された。

(5)皇室典範の特例法として、「旧皇族の男系男子による皇族身分取得特例法」(仮称)
や「旧皇族の男系男子による養子特例法」(仮称)を制定し、旧皇族の男系男子孫
の中から何人か若い相応しい方々に「皇族」になって戴いたり、現宮家の「養子」
という形で「皇族」になって戴き、将来「宮家」を名乗って戴く。そして悠仁天皇
を支えて戴く…問9 問3

+++


[感想]

「現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。」と百地氏は述べています。

○百地章氏が、「女系」に意味を認めない論調を重ねながら、旧宮家が、内親王の降嫁により、現在の皇室と親戚関係にあるというのは、ダブル・スタンダード、2枚舌です。「女系」に意味が無いのなら、内親王が降嫁された宮家が、現在の皇室と女系を通じた親戚関であることにも、意味はないと述べなければ、思想の一貫性が保てません。

女系の内親王のお血筋に意味を求めるなら、現在、皇族でいらっしゃる、天皇直系の内親王(愛子様)、傍系の内親王お二方(眞子様、佳子様)こそ、現在の天皇のお血筋が最も近い方々で、大切にしなければなりません。その方々を、意味の無いことのように扱うのでは、思想に一貫性がありません。皇族を自分たちの都合で好き勝手に選ばないでほしいです。


男系のお血筋に着目するにしても、いわゆる旧宮家の昭和22年の臣籍降下以前にも、臣籍降下された例があります。

高森明勅氏は、7月8日のブログ「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」で次のように、明治時代に臣籍降下された王・親王について、述べています。


☆☆☆

《明治以降に皇籍離脱された方々》

又、明治以降に限定しても、皇籍を離脱された親王・王が14方いらっしゃる。

明治21年6月28日に臣籍降下された清棲家教伯爵(伏見宮邦家親王第15男)が早い例で、龍田徳彦伯爵(久邇宮多嘉王第3男、後に養子縁組により梨本姓)が昭和18年6月7日に降下されたのが、最も降ったケースだ。


この方々ご本人は、もとより「元皇族」。

その子孫の男性も「(皇族ではない)皇統に属する男系の男子」に該当する。

今回、有識者会議のヒアリングに招かれた聴取対象者が提出した説明資料を見ると、「(皇族でない)皇統に属する男系の男子」を「(いわゆる)旧宮家の男系男子孫」“だけ”と短絡しているケースがあった(八木秀次氏ほか)。

初歩的な無知と言うべきだ。


「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」2021.07.08「高森明勅公式ブログ」)
https://www.a-takamori.com/post/210708

☆☆☆


高森氏が例に挙げているのは、それぞれ宮家から臣籍降下された方々のようです。

なお、昭和22年臣籍降下された旧宮家は、男系の血筋で天皇をたどるなら、北朝第3代・崇光天皇(在位1348~51)の子孫です。

天皇の直系に着目すれば、崇光天皇より後の時代の天皇の直系で、臣籍降下された方もあります。

第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の曾孫(ひまご)、忠幸王(源朝臣忠幸)です。

正親町天皇(おおぎまちてんのう)は、日本の第106代天皇(在位:1557年11月17日〈弘治3年10月27日〉 - 1586年12月17日〈天正14年11月7日〉)です。
.wikipedia.から引用します。

男系の血筋から言えば、忠幸王(源朝臣忠幸)の子孫の方が、現代の天皇にお血筋が近いと言えるでしょう。


☆☆

「臣籍降下」

江戸時代
忠幸王(源朝臣忠幸)
正親町天皇曾孫。名古屋藩主徳川義直の女婿となる。清華家の広幡家初代。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B

☆☆


旧宮家の臣籍降下は「GHQの干渉による不本意な臣籍降下だったから特別扱いせよ」は、男系派の口癖ですが、それでは何故、日本が独立を果たした昭和27年(1952)4月28日以後に、皇籍復活の動きが無かったのでしょう。大日本帝国憲法の復元が成立しなかったのと同様に、皇籍復活が不要であると当時の政府、国民が判断したとしか言いようがありません。今さら、文句を言って70年前に戻そうとしても、すでに手遅れです。


男系派の議論は、ぽろぽろ、ぼろが出てきて、それを隠すために次の無理筋なことを実行しようとする、そういう状態に陥っていて、日本にとって、ますます害を流すに至っていると思います。そういうことを少しずつ書いていきたいと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ皆様も、良い一休日をお過ごしください。
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皇位継承は天皇のご意思によるーマスコミは自重を [皇室典範改正]

DSC_166820210623blog.JPG昨日は小室さんの問題と皇室典範の関係を述べました。

小室圭さんについて、マスコミがマイナスイメージを作り上げていますが、各問題の概要を読んだ範囲では、小室さん自身に重大な欠点があると思えるものは一つもありませんでしたし、お母さんの佳代さんも色々な噂を立てられていますが、法的に問題のあると思えるものは一つもないと思いました。

発端になった元婚約者と、小室さんの文書について、当ブログでも、以前取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-04-14

〇元婚約者は匿名
〇その代理人は「週刊現代」の記者(弁護士ではない!)

この2点を見ただけで、元婚約者は信用がおけないと思いました。さらに小室さんの文書を読んで、一方的に婚約破棄したのは元婚約者だったことが分かりましたが、元婚約者は、婚約解消を佳代さんが申し出たとしていました。その時点で元婚約者側が言っていることは、ウソばかりで信用できないとの、私の判断が確定しました。

最近、「週刊現代」は小室さんの問題を取り上げなくなりました。風向きが変わったことに、気が付いたのでしょう。それなのに、真実に眼をつぶって、いまだに小室さん側に落ち度があるかのように報道しているマスコミがありますが、実に非常識です。それを鵜呑みにして騒いでいる人々も、立ち止まって、自分の頭で考え直してほしいです。

一度、誤った流れができてしまうと、修正するのが大変ですが、いずれ真実が明らかになる日が来ると思います。

小室さんの問題、それ以前の、美智子さまバッシング、雅子さまバッシングもそうですが、マスコミには、皇室の方々は、いくらウソを並べて非難して攻撃しても、許してくださるとの甘えが感じられます。(小室さんはまだ皇室入りしていませんが、皇族の眞子内親王が伴侶として選んだ方ですから、小室さんを非難することは、間接的に眞子内親王を、ひいては秋篠宮殿下を、非難していることになります。)

天皇、皇室は自然現象のようにいつでもそこにあって、いくら非難しても許される、何があっても皇室は恒久的に続いていくと勘違いしているのです。

しかし、天皇というお立場が、歴代の皇位継承者の強い決意と大きな犠牲の元に成り立っていることについて、高森明勅氏は著書『天皇陛下からわたしたちへのおことば』の中で次のように述べています。文中の天皇陛下は、上皇陛下のことです。


☆☆☆

日本国憲法の第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり、国民統合の象徴」と規定されている。これは「天皇は国民ではなく、日本国および日本国民統合の象徴であらねばならない」という意味。そして第2条には「皇位は世襲」とある。驚くべきことに、憲法にたったお一人の方の人生が規定されてしまっているのだ。自由気ままな振る舞いが一切許されない極めて責任の重い地位に、選択の余地なく血筋でつくと憲法に定められている。これはある意味で非常に残酷な話ではあるまいか。
 しかし、実は今の制度でも、皇位継承者は天皇になることを拒否できる。そういった規定が皇室典範の中にある。すなわち第3条にこう記されているのだ。
「皇嗣に、精神もしくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる。」(中略)
この「重大な事故」にはさまざまなケースがありうる。元最高裁判事の園部逸夫氏は『皇室法概論』(第一法規出版)という書籍の中でこう述べている。
「皇位継承順位第一位の人間が、自分は天皇になりたくないと公衆の面前で発言した場合、これも重大な事故と解釈せざるを得ない」(意訳)
つまり、現行のルールの中でも皇位継承者が「私は天皇になりたくない」と公に意思を表明すれば、即位を拒否できるのだ。
にもかかわらず、天皇陛下は潔く即位された。
「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定められています。私はこの運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。
したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」
このおことばには、自分が天皇になるという「運命」を受け入れるかどうかを、自ら選択できることが前提になっている。つまり受け入れないケースもありうると。だが、自分は「受け入れる」と決意した。そう決意した以上は「望ましい在り方」をどこまでも追及していく。天皇には与えられない自由は望まないと、おっしゃっているのだ。
何とも崇高な犠牲的精神ではあるまいか。(中略)
皇位継承者が次々に即位を辞退されるような事態になればどうなるか。天皇が不在になれば国事行為が行われず。国家の運営にかかわる中枢的な機能がまったくマヒしかねない。国民統合のための求心力もそこなわれる。政治にも経済にも巨大な悪影響が広がるだろう。
我々国民は「皇位継承者が拒否をするはずがない」「皇室はつつがなくこれからも恒久的に続いていく」と無意識に思い込んでいる。皇位の継承をあたかも「自然現象」であるかのように勘違いしているのではないか。決してそうではない。天皇という過酷なお立場はその代その代の皇位継承者の強い決意と大きな犠牲のもとに成り立っている。天皇陛下は国民のためにその厳しい運命を受け入れてくださっているのだ。(pp76~78)

(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』双葉社)

☆☆☆


天皇陛下は、崇高な犠牲的精神によって、苛酷なお立場をお引き受けくださっているのです。皇族方も、皇室典範の規定により、申し出があれば、皇室を離脱することが可能です。それなのに、ご自身の自由意思によって、一般国民に比べてきわめて不自由なお立場を引き受けて下さっています。それを思えば、ただ感謝の念しかありません。マスコミのように「甘え全開」のでっち上げ記事を書くことは決してできないはずです。

皇室の方々も生身の人間でいらっしゃいます。高円宮憲仁親王が47歳と言う若さで急逝されたのも、知らないうちに心身のストレスをためておられたことが一因ではないでしょうか。国民もマスコミもそのことを考えて、自分たちの甘えによって、天皇陛下、皇室に過度な御心労をおかけすることは、厳に慎まなくてはならないと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:小室圭さん
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小室さん問題と皇室典範―マスコミの根本的な過ち [皇室典範改正]

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写真は、「因幡(いなば)の白兎」というお菓子です。

眞子内親王の令和2年、歌会始での御歌を思い出します。




☆☆☆

眞子内親王殿下

望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-r02.pdf

☆☆☆

眞子内親王の前途に、幸多からんことを、心よりお祈り申し上げます。


眞子内親王と小室圭さんの婚約に関連するマスコミ報道が過熱して久しく、中には婚約を破棄すべきだなどと、非常識きわまりないお節介を述べ立てる人もあります。

騒ぎ立てるマスコミも国民は、いちばん肝腎なことを理解していないように思えます。皇室典範に照らせば、彼らの行いのズレ、勘違いに気が付かないはずはないと思うのですが、何も勉強していないのでしょうか。こんな基本を理解していないのが、マスコミや知識人なのだと思うと、日本人の民度の低さに、絶望的な気分になります。

現在の皇室典範に則れば、眞子内親王は、ご結婚後、皇族の身分を離れて、一般国民になられます。それを念頭に置けば、マスコミがいかに常識外れであるかが、見えて来ます。

「皇室典範」から関連する条文を抜粋します。


☆☆☆

第二章 皇族

第十条 皇后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。

第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻した時は、皇族の身分を離れる。

第十五条 皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない。


第五章 皇室会議

第三十五条 皇室会議の議時は、第三条、第十六条第二項、第十八条及び第二十条の場合には、出席した議員の三分の二以上の多数でこれを決し、その他の場合には、過半数でこれを決する。

☆☆☆


現在の皇室典範では、眞子さまが一般国民である小室圭さんと結婚されて、お二人とも、一般国民になられるのです。

眞子内親王が一般国民になられれば、憲法第三章以下の国民の権利がすべて与えられます。秋篠宮殿下が述べられた通り、第二十四条が適用されます。

「憲法第二十四条 ① 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 ② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」


「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するのですから、マスコミや他人が口をさしはさむことはできません。口をさしはさめば、憲法違反です。

マスコミも、それに同調する国民も、既に、憲法違反を犯しているのです。

婚約内定の小室圭氏とその親族も、もちろん一般国民です。一般国民に対して、他人が結婚のことに口をさしはさむのは、プライバシーの侵害です。小室圭氏の親族について、マスコミがあることないことスキャンダルを報道するのは、一般国民ならば、名誉棄損で訴えることが出来る違法行為です。スキャンダルを拡散したり、ご結婚に反対したりする人々も同罪で、違法行為に加担していることになります。

竹田恒泰という、旧宮家の血筋を宣伝に利用している御仁があります。私は彼を宮様詐欺モドキであると見ていますが、その竹田氏は、小室圭さんバッシングの先頭に立ち、先日は、小室さんが公表した文書の中に天皇陛下への謝罪が無いと批判していました。

しかし、謝罪すべきは、小室さんをバッシングしてきたマスコミと、そのお先棒をかついで世の中を騒がせ、国民をデマであおっている、竹田氏自身です。彼らの言動がどれだけ天皇、皇族をお悩ませしていることでしょう。即刻、バッシングを中止して、あなた方が、天皇陛下に謝罪してください!

ウソをばらまかれた小室さんはむしろ被害者です。天皇陛下に謝罪する必要はまったくありません。イジメ行為が世間を騒がせたとしたら、イジメの被害者が謝罪しなければならないのでしょうか。謝罪すべきはイジメの加害者であって、被害者ではありません。

竹田氏の熱烈な思惑(策略)が功を奏して、恐らく女性宮家創設は、少なくとも当面は見送られ、眞子様が一般国民になられることは、残念ながら、ほぼ確定でしょう。(最悪の場合、永遠に見送られ、皇室は消滅するかもしれないとの危惧の念を抱いております)

万が一の僥倖で、皇室典範が改正されて、女性宮家創設が間に合い、眞子さまが宮家の当主になられるとしたら、その時は、小室圭さんの皇族入りについて、皇室典範(第十条)に基づき、皇室会議で審査されることになります。審査の過程で、きわめて厳しい身辺調査がなされるでしょう。基本的に皇室会議の調査に任せればよいと思いますが、その時なら、国民が何らかの意見を述べることがあっても、やむを得ないかと思います。

そうであれば、眞子内親王も、皇室会議の結論によって、ご結婚のこと、ご自分の身の振り方をお決めになることができます。しかし今は、一般国民になるしか、道がありません。

眞子さまの将来の道を閉ざして置いて、勝手な文句ばかりいうマスコミ、国民の知能は、幼児以下です。本当に情けないと思います。

一般国民の結婚に口出しするのは、繰り返しになりますが、憲法違反です。

「われわれが税金を出すのだから」と、寝とぼけたことを言う人があります。それをいうなら国家公務員でも、われわれ国民の税金で仕事をしてもらっていますが、公務員の結婚にいちいち口出しするような愚か者はいません。皇族としてこれまで真剣にお務めいただいたのですから、規定通りの額をお受けになるのは当然のことです。

金額に文句があるのなら、制度そのものに対して苦情を言うのが筋で、自分らが気に入らない方とのご結婚だからお金を出すなというのは、実に見苦しいことです。戦後まもなく、プラカードで「朕はたらふく食っておる…」と掲げた左翼の人々と同じ心根であることを考えてほしいと思います。非難する人々にはネトウヨも多いようですが、仮にも愛国者を名乗るなら、もっと潔く、美しい生き方をしてほしいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
夏至も過ぎ暑い日もあるので、体調にお気をつけて、お元気にお過ごしください。

タグ:女性宮家
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『古事記』は天皇のお子様の呼び名を男女で区別していない [皇室典範改正]

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高森明勅氏のブログの紹介が続いています。日本が古来、男系も女系も尊重する、双系社会であったことを分かりやすく説いているので、つい紹介したくなります。

高森氏の6月7日のブログでは、古事記が天皇のお子様に同じ表記を使い、日本書紀がお子様の表記を書き分けていることについて、書かれています。




(「古事記の男女「王」から日本書紀の「皇子」「皇女」の書き分けへ」高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210607

古事記では、天皇の御子様の表記は男性も女性も「王」ですが、日本書紀では「皇子、皇女」となって男女が書き分けられています。

今、わが家では日本書紀の輪読を始めました。つっかえながら読み始めましたが、「読書百遍(ひゃっぺん)意(い)自ずから通ず」の精神でチャレンジして、だんだん慣れて参りました。ちょうど昨日から「欽明天皇」の巻に入ったところです。


☆☆☆

“「正妃(むかひめ)武小廣國押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)の女(ひめみこ)石姫(いしひめ)を立てて皇后(きさき)とせむ」とのたまふ。是二人の男(ひこみこ)・一人の女(ひめみこ)を生れませり。長(このかみ)を箭田玉勝大兄皇子(やたのたまかつのおほえのみこ)と臼(まう)す。仲(なか)ちを譯語田淳中倉太珠敷尊(をさたのぬなくらのふとたましきのみこと)と臼す。少(すなき)を笠縫皇女(かさぬひのひめみこ)と臼す。”(p64)

(『日本古典文学大系 日本書紀下』岩波書店)

☆☆☆

武小廣國押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと):宣化(せんか)天皇

[大意]
「正妃に宣化天皇の皇女、石姫を立てて、皇后にしよう」と[欽明天皇が]仰せられました。石姫は二人の男子、一人の女子をお生みになりました。長子を箭田玉勝大兄皇子と申します。中のお子を譯語田淳中倉太珠敷尊と申します。末子を笠縫皇女と申します

念のため、『古事記』の欽明天皇の項を確認しました。


☆☆☆

“天皇、檜垌(ひのくまの)天皇の御子、石(いし)比賣命を娶(めと)して、生みませる御子、八田(やたの)王。次に沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましきの)命。次に笠縫(かさぬひの)王。”(p206)

(倉野憲司校注『古事記』岩波書店)

☆☆☆


なるほど、『古事記』には、皇子、皇女の区別はありません。男子も女子も「王」です。

もう一つ気が付いたのは、後に天皇になられた御子は、日本書紀では「尊」、古事記では「命」とされています。沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましきの)命は、後の敏達天皇です。天皇になられた方は「みこと」と呼ばれたのですね。

欽明天皇は石姫皇后の他に、4人の妃を迎えられ、お子様は『古事記』によれば25方、そのうち4方が天皇の位に就かれたと書かれています。

余談ですが、欽明天皇の時代に仏教が伝来したと、小学校では習いました。仏教を伝えたとされる、百済の聖明王の名前が出て来たので、懐かしい気がしています。

高森明勅氏の書かれている通り、日本では、元々双系社会だったのが、儒教、仏教の伝来、唐の律令制度の採用によって、支那の男系主義が優位になってきました。


☆☆☆

“江戸時代の国学者・本居宣長は、長年、尊重されて来た『日本書紀』に見られる「漢意(からごころ)」への傾きを指摘して、それまで軽視されがちだった『古事記』に「大御国(おおみくに=日本)の古意(いにしえごころ)」(やまとごころ)が託されている点を、高く評価した。”

“シナのような男尊女卑の男系社会ではなく、双系の伝統を持つわが国では、元々、男女を区別しないで、同じ「王」だった(シナでは女子が「王」と称されることはない)。

ところが、シナ文明の影響が強まる中で、「皇子」「皇女」と書き分けられるようになった(それが恐らく飛鳥浄御原令〔689年〕からで、大宝律令〔701年〕からは「親王」「内親王」になる。
田中卓氏・虎尾達哉氏らの研究による)。”

(『古事記の男女「王」から日本書紀の「皇子」「皇女」の書き分けへ』2021.6.7 高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210607

☆☆☆


『古事記』(712年成立)は、日本最古の律令と言われる飛鳥浄御原令や大宝律令成立の直後に完成したので、律令の影響を受けなかったということのようです。

私見ですが、漢文で書かれた『日本書紀』(720年に完成)が、今日でいえば海外向けに、英語で日本の歴史記録を作成したようなものであれば、西欧的価値観の人が理解できるように書くでしょう。そのように、支那(古代中国)に理解してもらえるような書き方を選んだのかも知れません。それに比べて『古事記』は大和言葉で書かれていますから、日本国内の人々向けに、古来からの呼び名の通り、男女とも「王」のままにしたのではないかとも思いました。


☆☆☆

“「男系(父系)」「女系(母系)」「双系」という概念については、以下の説明が分かりやすい。

「生まれた子どもが父方の一族に属するのが父系社会、母方に属するのが母系社会である。
厳密な父系社会では、父系でつながる一族は同じ姓を称し、一族の内部での婚姻は禁じられる(族外婚/同姓不婚)。…中国は典型的な父系社会だった。

父方の親族だけが社会的に重んじられ、地位の継承は男子の血統を通じてのみ行われるのである(男系継承)。


それに対して双系的親族結合を基本とする社会では、父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる。

人類学的な知見によると、こうした社会は東南アジアから環太平洋一帯に広がりをみせていて、日本列島もそこにつらなる。古代の倭/日本の社会はもともと双系社会だったのである」
(義江明子氏『女帝の古代王権史』)”

(『古事記の男女「王」から日本書紀の「皇子」「皇女」の書き分けへ』2021.6.7 高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210607

☆☆☆

この説明もとても分かりやすく、「父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる」は、肌感覚でも、分かりやすいです。

「父方の親族だけが社会的に重んじられ、地位の継承は男子の血統を通じてのみ行われるのである(男系継承)」が浸透したのは、歴史のほんの一時代(江戸から明治、大正、昭和初期)の習わしだったのではないかと思われます。

物部守屋、蘇我入鹿が、母方の姓を名乗ったことがあったというのも、興味深いご指摘です。


☆☆☆

“私は以前、6世紀後半の人物で物部氏の族長だった物部守屋が、「物部弓削」(『日本書紀』敏達天皇89元年5月是月条ほか)「弓削」(『播磨国風土記』)などの姓を称している例を、示したことがある。

“弓削”は守屋の母方の姓だった(『先代旧事本紀』天孫本紀)。

蘇我入鹿の異名「林太郎」(『上宮聖徳法王帝説』)の“林”も、母方の姓による可能性が指摘されている(東野治之氏)。”

(『古事記の男女「王」から日本書紀の「皇子」「皇女」の書き分けへ』2021.6.7 高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210607

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今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとってすばらしい一日でありますようお祈り申し上げます。



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有識者会議の結論では安定的な皇位継承は望めない [皇室典範改正]

DSC_172520210620blog.JPG
6月16日、共同通信が「安定的な皇位継承策を議論する有識者会議が16日の会合で、現在の皇位継承順位を変更しない方針を確認したと報道しました(高森明勅氏のブログから引用します)。

この記事を読んで、有識者会議といいますが、これが日本人の皇室を語る「有識者」の出した結論だとしたら、日本人には皇室を戴く資格などないとの極論が、私の頭脳の中を駆け巡り、目の前が暗くなりました。




☆☆☆

共同通信が以下のような記事を配信した(6月16日、20時46分)。

「安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤元慶応義塾長)は16日の第7回会合で、皇位継承資格を男系男子に限定する皇室典範の規定を尊重し、現在の皇位継承順位を変更しない方針を確認した。

これに伴い、女性・女系への資格拡大は見送る。

皇族数確保のため、女性皇族が結婚後も皇室に残る『女性宮家』の創設と、旧宮家(旧皇族)の男系男子孫による皇籍取得の是非の2案を軸に今後の議論を進める。
継承順位の維持は、清家氏が会合後に記者団に明らかにした。
現順位を見直せば皇室制度が動揺しかねないため、混乱を回避すべきだと判断した」

(「「女性・女系天皇」を見送るなら皇位継承の安定化は望めない」2021.6.18高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210618

☆☆☆


この結論に、唖然とするほかありませんでした。高森氏の言われる通り、「女性・女系への資格拡大は見送る」としたら、それは最大の要となる方策を、はじめから認めないと宣言したことになります。


そもそも有識者とは何者なのかと、言葉の意味を確かめるために、辞書を引いてみました。

[有識者の意味]

有識者:広く物事を知っている人。学問・識見のある人。(コトバンク)
学問があり、見識が高い人。(goo辞書)

見識:1 物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。 (goo辞書)

識見:物事を正しく見分ける力。また、 優れた意見。見識。((goo辞書))

[対語]

無識(むしき):見識や知識のないこと。(goo辞書)

[関連語]

有職故実(ゆうそくこじつ):有職は、古くは有識と書き、博識なること、歴史、文学、朝廷の儀礼によく通じていることをいう。(コトバンク)


今回の「有識者会議」の結論には、

物事を正しく見分ける力(識見)
物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力

が、まったく感じられません。

皇位継承者がたったお一人という、不安定な皇位継承の状態を何十年も続けて、平気でいられるという無神経さ、頭の悪さは信じがたいほどです。肩書、学歴と「賢さ」は、まったく別物ですね。

他の分野で学問があると言われているのかもしれませんが、肝心な皇室のこと、日本の国の本質について、何一つ知らないし、正しい判断ができない無識(むしき)な人々の集まりでした。

ご譲位の検討の時も、まったく見当違いな「天皇の公務 の負担軽減等に関する有識者会議」を設置した自民党政権のすることですから、ある程度、予想できましたが、これほどひどいとは思いませんでした。


有識者会議の結論には、「現順位を見直せば皇室制度が動揺しかねないため、混乱を回避すべきだと判断した」とありますが、筋の通ったていねいな説明をすれば、国民の大多数は納得できます。

その時に大声で騒いで混乱を起こすのは、一部国会議員と彼らを支持する頑迷固陋な一部のノイジー・マイノリティー(声の大きい少数者)です。彼らの狂信的な男尊女卑思想が、日本の未来を閉ざすのを看過してはなりません。


「皇位継承者が秋篠宮殿下、悠仁親王と2代先までいらっしゃるから」と彼らは言いますが、高森氏が指摘する通り、秋篠宮殿下が皇位継承される頃には、殿下は御高齢ですから、実質的な皇位継承資格者は、悠仁さまお一人だといえます。たったお一人の皇位継承者しかおられない、それを「安定的な皇位継承」と見るなら、有識者とは名ばかりで、先の見通せない無識な人々の集まりです。

深読みすればノイジー・マイノリティーの人々は、現皇室の継承者が誰もいなくなった後に、自分たちの息のかかった「旧宮家系男子」に皇位継承させて、平安時代の藤原氏が外戚として権力をふるったように、彼らの悲願である憲法改正を後押しする「新しい王朝」を建てようとしているのだろうかと、ふと思いました。


反対派の説得の例として、1959年(昭和54年)、「元号法制化」法案が可決された時のことを思い出します。その時にも、先延ばしをはかる、同じような議論がありました。

与党自民党議員の中にも、昭和天皇がご健在でいらっしゃるのに、今から、崩御の(亡くなられた)後のことである、次の天皇の元号法制化を議論するのは、昭和天皇に対して不敬ではないかという理由で、法制化に反対する人々が少なからずありました。彼らは、野党の反対を恐れて、現状に波風を立てたくないと思っていたのです。

それに対して、法制化を推進する人々は、天皇が崩御されてから、あわただしく決めようとするなら、すぐに決められない混乱の中で、天皇制廃止を望む革新派の声が高まり、法制化できずに元号が消えてしまうかもしれない、だからあらかじめ決めておかねばならない、と根気よく説明しました。こうして、反対意見を述べる人々を説得し、元号法制化を実現しました。

彼らの見通した通り、昭和天皇御崩御に伴い、日本国中が動揺する中で、「平成」という元号が速やかに決定され、発表されて、天皇崩御の悲しみの中でも、新しい時代の到来という希望を人々に期待させるよりどころになったのでした。平成おじさん、小渕首相の「平成」の文字を誇らしく掲げた映像を見た方も多いでしょう。

今回も、同じことが言えます。現に皇位継承者がいらっしゃるのに、順番を変えようというのは不敬ではないかと言いますが、いざ継承者が一人もいなくなってから、あわただしく決めようとしたら、なかなか継承者が決められない混乱の中で、皇室廃止論が高まって、皇室そのものが消えてしまうかもしれないと、反対派を真剣に説得すれば、切り抜けられるはずです。

時間の無い中で皇位継承を論じれば、人々が皇室を愛する故に、さまざまな混乱が起こると同時に、皇室は不要であるとの意見が国民の間に広がるのは、現在のマスコミ報道による皇室バッシングや、その記事に対する各コメントを読んでも十分予想されることで、杞憂ではないと思います。

小室さんの一件に関連する記事のヤフー等のコメント欄を見ると、このような混乱があるなら皇室が無い方がいい、との意見を書く人々が少なくありません(小室さんの一件は、小室さん本人に何の罪もないと私が考えていることは、これまで何回も述べてきましたが、その続きは、別の機会に書くことにします)。

時間があるうちに、恐れずに、反対者の説得を地道に続けることが大切だと思います。


今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が皆様にとって有意義な一日でありますことをお祈り申し上げます。
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男系継承でも王朝交替になりうる―王朝とは理念の継承 [皇室典範改正]

DSC_171020210619blog.JPG男系派は、女系天皇、女性宮家になると王朝交替になると、喧伝しています。しかし、果たしてそうでしょうか、そうはなりません、ということを、前回まで書いて参りました。

男系、女系と王朝交替はどのような関係にあるのでしょう。王朝が続くとは、何を意味するのでしょう。

世界を見れば、男系継承でも王朝交替はあり、女系継承でも王朝存続の事実があります。

そのことについて、高森明勅氏が「男系継承でも王朝交替、女系継承でも王朝存続という事実」という記事を書いておられます。


☆☆☆

“皇位継承資格の男系限定を、無理な条件下でも維持しようとする人々は、「女系継承は王朝の交替を意味するから駄目!」と主張されている(王朝とは同じ君主の家筋に属する君主の系列)

しかし、そんな単純な話ではない。”

(「男系継承でも王朝交替、女系継承でも王朝存続という事実」2021.6.16高森明勅公式ブログ)https://www.a-takamori.com/post/210616

☆☆☆


高森氏は、男子の血筋を継いでいながら、王朝が交替したとされる、フランスの歴史上の実例を述べています。文字だけで少しわかりにくいので、どのようになっているのか、Wikipedia で見てみました。

フランス君主一覧表を見ると、たいへん複雑ですが、男系の血筋がつながっているからといって、同じ王朝名を名乗っていないことは、分かります。(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7

高森氏は、オランダ王家の場合、3代、女系継承が続いていますが、「オランニェ=ナッサウ家」が続いており、断絶していないことを述べています。

「男系継承が王朝の存続、女系継承が王朝の交替を意味するーという“単純図式”では、歴史を正しく見ることが出来ない」ことが、このように、実例とともに分かりやすく書かれています。


高森氏の文章から話題が外れますが、日本の南北朝時代は、両統迭立という、日本で一度しかなかった、王朝(皇統)が2分した時代でした。

ところが、南朝(持明院統)、北朝(大覚寺統)、それぞれの初代の天皇は、同じ父母のお子様、実の御兄弟でした。男系の血筋という見方で見れば、同じ天皇、同じお后のお子様ですから、同じ男系の血筋です。いわば今上陛下と秋篠宮殿下と同じです。

持明院統・初代=第89代・後深草天皇
第89代・御嵯峨天皇の第三皇子

大覚寺統・初代=第90代・亀山天皇
第89代・御嵯峨天皇の第七皇子

この間の事情は、概略、次のような事情とのことです。(参考資料:『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』)

後深草天皇は、弟君の亀山天皇に譲位されて、以後亀山天皇の系統を皇位継承者としようとせられたのですが、時の鎌倉幕府の執権・北条時宗が、後深草上皇に御同情申し上げ、亀山天皇の皇子・後宇多天皇のあとは、後深草天皇の皇子が伏見天皇として皇位をおつぎになるよう斡旋したことから、いつの間にか皇位継承者が亀山天皇の御系統(大覚寺統)と後深草天皇の御系統(持明院統)の両統迭立(交互に皇位につく)ということになり、不幸にも歴代天皇と歴代外天皇という2つの皇位を生む悲劇につながりました。


弟君の大覚寺統が後の南朝、兄君の持明院統が、後の北朝です。

現代では、結局、兄君の後深草天皇がご希望された通り、弟君の亀山天皇の系統が、正統とされています。

いずれにしましても、初代は同じ父君母君の御子様ですから、男系の血筋と見れば全く同じです。それなのに、外見上、2つの王朝が同時に存在するような形をあらわしたことは、単なる男系の血筋の連続が王朝の連続を保証するのではない、男系の血筋が連続していても交替のような形を表わすことがあることの表れです。いまだにそれが尾を引いて「南朝が正統ではなく北朝が正統である」と主張する人もあります。

では、王朝の連続を保証するものは何なのか。それは「理念」の継承ではないでしょうか。王朝を継ぐ各継承者が掲げる理念、この家名を選び、この理想を実現するとの理念が、前の王朝と異なる時に、王朝の交替が現れるのだろうと思います。

理念:
1 ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。「憲法の理念を尊重する」2 哲学で、純粋に理性によって立てられる超経験的な最高の理想的概念。プラトンのイデアに由来。イデー。(goo辞書)

日本の皇室では、天照大神の御神勅の通り、「世々吾が子孫(うみのこ)の君たるべき国」の理念(理想)の継承が皇統継承(王朝の継承)とされています。

男系派の主張する旧宮家系男子が「男系の血筋」だからという理由のみで皇室入りしたとき、そこに継がれる「理念」(理想)に、「女性は男性より一段劣る」という「観念」が加わり、固定化されることになります。「男尊女卑」思想に基づき皇室入りした方々と言う観念が、国民の間に広まると思います。

前回まで述べて来た皇室に「名字が無い」ことが表わす「理念」、皇室が古代から引き継いできたすべての人々を男女ともに公平に見るという「理念」に、「男尊女卑」の観念という異物を加えて、固定化することになります。

そういう意味で、旧宮家系男子を、男系男子という条件だけで皇室入りさせるのは、皇室の「理念」(理想)を著しく損なうことになりはしないか、「王朝交替」に等しい悪影響をを与えることになるのではないかと懸念いたします。それを将来に引き継いでよいのかといえば、よくないと私は考えます。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様、どうぞ良い週末をお過ごしください。

タグ:女系天皇
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男系派の漢心(からごころ)―根底にある男尊女卑思想 [皇室典範改正]

DSC_171220210618blog.JPG男系派の漢心(からごころ)について考えます。漢心の反対語は大和心(やまとごころ)です。

漢心:から‐ごころ
【▽漢心/▽漢▽意】
中国的なものの考え方。
中国の文化に心酔し、
それに感化された思想を持つことを、江戸時代の国学者が批判的にいった語。(Weblio)

大和心:
① =やまとだましい(大和魂)
② やさしくやわらいだ心。優美で柔和な心情。(コトバンク)

大和心:1 「大和魂 (やまとだましい) 2」に同じ。2 日本人らしい自然ですなおな心。(goo辞書)

大和魂:1 日本民族固有の精神。勇敢で、潔いことが特徴とされる。天皇制における国粋主義思想、戦時中の軍国主義思想のもとで喧伝された。
2 日本人固有の知恵・才覚。漢才 (からざえ) 、すなわち学問(漢学)上の知識に対していう。大和心。(goo辞書)

漢心は、漢意、唐心とも表記します。

大和心は、大和魂の意味においては、天皇制における国粋主義思想、戦時中の軍国主義思想の印象が強くなってしまいますが、このブログでは、むしろ「やさしくやわらいだ心。優美で柔和な心情。日本人らしい自然な心」の意味で使いたいと思います。


昨日、男系派がよく口にする「女系になったら王朝交替」の話をしました。なぜその発想が浮かぶのかといえば、男系派の頭脳が古代中国の革命思想に染まっているからではないかと思いました。

そこで隣国支那では、王朝はどのようなものだったのか、杉田幸三氏の文から学びたいと思います。


☆☆☆

隣国支那では、堯(ぎょう)・舜(しゅん)のような有徳の帝王時代でも、「帝王われに於ては何かあらん」といはれた。(中略)
それが悪徳王の代表として有名な、殷(いん)の紂(ちゅう)王、夏の桀(けつ)王ともなると、もはや易姓革命しか途がない。堯・舜は、不肖の子を措いて有徳の臣下に天下を譲った。湯王、武王は暴虐の君主を伐って天下を簒った。このやうに天子が姓を代へるのを革命といふ。そして堯・舜のやうに平和裡に自発的に天下を譲るのが禅譲、湯・武のやうに武力、暴力で民望を失った暴君を逐ふて王位を継ぐのを放伐といふ。易姓とは姓をか(易)ふ。革命とは命をあらた(革)める。獣の体から剥取った仮のものは皮、それから毛をとり去ったものが革。毛を取り去り、あらため作るから革をアラタムと訓ずるようになった。作り革、作り変へともいへさうではないか。つまり生命のつくりかへである。(中略)
元来漢族の信仰は風雨、寒暖、雷霆といった自然現象を神と考へた。自然崇拝である。そのうち天(皇天、上帝ともいふ)を至上のものとして尊敬した。これが拝天思想、といふのがふるい支那(中国)の政治、道徳、宗教の基調と思はれる。
 天は万物の親だ。宇宙の神羅万象はこれ悉く天が生んだとする。人間もしかりだ。天は人間の生成発育を望み、それを完成させるため、万民のうちでもっとも聡明有徳の人士でかつ衆望を負ってゐる者を万民の君、天の代表者として天下を治めしめる。天子がこれ。つまり天が任命したものである。だが、天は姿がなく発表表現の手段を持たない。そこで天命は下民、人員の与論となって発顕する。天子が失徳、暴政を施し与論の反抗の前に立つとする。ここに於て天命すでに彼を去り他の有徳者に下ったとする。
 だから天子の子孫でも、徳望がなければ父祖の業を継いで天下に君となり得ない。天子であることの資格は血統ではない。徳にのみあり、とする。堯・舜の禅譲といへども自分の意志のみで後継者を定めたものではなからう。おそらくは、諸侯や人民が推服してゐるかどうかが考へに入っていたに違ひない。
 上代における理想上の天子は、かく徳望の有無によって左右された。だからその地位は絶対不動のものとはいへない。近世の専制君主よりも、むしろ共和政体の大統領の地位に似ている。(pp90~91)

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

☆☆☆

[各王の国名、姓など]

堯舜:中国古代の伝説上の帝王、尭と舜。徳をもって理想的な仁政を行ったことで、後世の帝王の模範とされた(コトバンク)

堯:中国,古代伝説中の帝王。姓は伊祁(いき),名は放勲,尭は諡(おくりな)。
(デジタル大辞泉)

舜:中国太古の伝説上の聖天子。五帝の一人。姓は虞(ぐ)(有虞)、名は重華(ちょうか)。
(デジタル大辞泉)

紂(ちゅう):古代中国,殷王朝の最後の君主。名は辛(しん)。紂は諡(おくりな)。(コトバンク)

桀(けつ):前11世紀ごろの周の建国者。姓は姫,名は発。(コトバンク)

湯王:中国古代の殷(いん)王朝の創始者。成湯・武湯・武王ともよばれた。姓は子、名は履(り)といわれる。(コトバンク)

武王:中国、周王朝の創始者。姓は姫(き)。名は発。(コトバンク)

[感想]

支那(古代中国)では、日本の天皇とまったく違って、それぞれ別の姓の赤の他人が、次々に新しい国と王朝を建てていることが分かります。

杉田幸三氏は、「共和政体の大統領の地位に似ている」と評しますが、その通りで、次々に王朝が交替して、国の名前まで変わってしまうのは(時々、世襲があるにしても)、民意(にあらわれた「天命」)によって国の代表が交替する「共和政体の大統領」制に、むしろ似ていると思います。

男系派は、女系天皇のお子様の代になると、王朝が交替する日本になるとの幻想を抱いているようです。人は、対抗する相手が、自分の思想と同じ思想を持っていると思いがちです。彼らの頭脳が、古代中国の王朝の形が、日本と同じであると考えているから、対抗する女系容認の人々が王朝交替を起こすなどという、突拍子もない発想が浮かぶのでしょう。思いもよらぬことを言われた女系派(私)は眼を白黒するばかりでした。


ここでクイズを出します。

〇〇には「血筋」の継承について、次のような考え方が、伝統的にあった。
生命(気)は、父(男性)からその息子(男性)たちに伝わっていく。
母(女性)は、生命の形成と伝達について、その「形」を与えるだけ。
娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。

〇〇(字数は決まっていません)に入る国名又は地域名を以下①~③から選んでください。

① 日本
② 支那(古代中国)
③ 西欧

男系派はきっと①の「日本」と答えるでしょう。男系派の一人と対話したときに、天皇の「霊統(天皇の証となる血筋)」というものがあって、それは男系の血筋でなければ伝わらない、それが日本の伝統的な思想であると、強く言われました。女系反対論の重要な根拠であると言いはって、決して譲ろうとしませんでした。広く男系派が共有している思想でもあるようです。

日本古代の双系社会について学んだ方は②を選ぶと思います。もちろん、私は②です。女性が間に入ったら「霊統(天皇の証となる血筋)」が伝わらないとしたら、皇祖(皇室の始祖)天照大神が女性神であるのは不自然です。(皇統と直接関係ありませんが、古事記神話で伊邪那美命(女性神)が単独でお生みになった神々は、神の力が伝わらないから、神々ではないことになりますが、古事記はそのように扱っていません。)女性天皇が8方10代即位されたこととも、整合性がなくなります。男系派は一代限りだったからというかも知れませんが、そうだとしても、古代の人々が、わざわざ霊統が途切れるかもしれないリスクを冒すでしょうか。

父方を通さなければ霊統が途切れるというのは、支那(古代中国)から儒教、仏教と共に日本に伝来してきた思想で、日本古来の思想を大和心とすれば、海外から流入して取り入れられた漢心(からごころ)だといえます。

『母(女性)は、生命の形成と伝達について、その「形」を与えるだけ。』、「娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。」は、女性にとって実に失礼な話です。

故渡辺昇一氏(男系支持派)は、男は種、女は畑といって、種が同じならどんな畑でも同じ作物ができると言ったそうですが、前者はまさにこの支那思想そのものです。

普通の人の生活実感からいっても、父と母と、どちらも重要な役割があります。DNAからいっても、子供は父と母のDNAを半分ずつ継いでいます。父だけが大切、母は一段劣るという考えがあるとすれば、それは女性を不幸にし、妻の不平不満がまわりまわって、その夫たる男性も不幸にします。

この古代中国の迷信を、男系派諸氏が大真面目に信じて述べ立てるのを聞きますと、何と時代遅れなことかと、遺憾に思います。この迷信を信ずる人々が、自民党のコアな支持層として幅をきかせ、議員たちを牛耳って皇室典範改正の議論を必死に妨げているのは、現代日本と思えない、信じがたい有様です。

父(男性)を通して「気」が息子たちに伝わる、母、娘は子に伝えられないという思想は、「男尊女卑」の思想と密接な関係にあります。

女子誕生が喜ばれずに、男子誕生を待ち望む風習のために、どれだけ多くの母親が男子を産めないことに苦しみ、どれだけ多くの娘たちが誕生を喜んでもらえなかった悲しみに生きる気力を失ったか、男系派は考えて見たことがあるのでしょうか。

彼らは天皇を尊崇すると自称していますが、それにしては、日本人らしい大和心、「やさしくやわらいだ心。優美で柔和な心情。日本人らしい自然な心」をまったく失っている、男尊女卑の漢意(からごころ、)古代中国思想、にどっぷり浸かっている人々だと、断ぜざるを得ません。


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タグ:女系天皇
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皇室に名字は無い―その深い意味(2) [皇室典範改正]

DSC_167220210616blog.JPG「皇室に名字は無い」ことの意味について、昨日の続きです。

皇室に名字が無いことが、『皇室は唯一絶対のもの』で「○○家」など対立を超越しているという話をしました。

敢て言えば「国」が父なる天皇の家といえるが、その「国家」の相対的関係も超越しているのが天皇であると、杉田幸三氏は、述べています。

文中の「今上天皇」は、昭和天皇のことです。

☆☆☆

“もし、敢て天皇に家があるといふのなら、今上天皇御即位の勅語(昭和三年十一月十日官報)の「皇祖皇宗、国ヲ建テ民ニ臨ムヤ、国ヲ以て家トナシ、民ヲ視ルコト子ノ如シ」のやうに、この日本国が天皇の家である。大正天皇もまた御即位の詔書で、「義ハ即チ君臣ニシテ、情ハ猶ホ父子のゴトク」と仰せられてゐる。これは国が父なる天皇の家であるからであらう。
 しかし、これとても「家」が元来、私的な性格をもつ以上、宇宙大、グローバルな目からみれば、国家も相対的な存在となる。これは今日の国際間における国家対国家の対立関係をみればうなづけるであらう。
 であればこそ、明治天皇は、「よもの海(人類)、みなはらから(同胞)だと思ふのに、「なぜ戦ひ、傷つけあはねばならぬのであらうか。まことに悲しいことである」といふ大御歌となる。今上陛下もまた祖父の天皇に学ばれて、「西ひがしむつみかはして栄ゆかむ世をこそ禱(いの)れ年のはじめに」(昭和十五年)とお歌ひである。歴世一貫の平和性がこのことにもあらはれてゐる
これを日本国内的にあてはめれば、天皇にとって、政党は与党だから、野党だからの区別は無い。どちらにも与しない。また敵対もしない。野党の社会党も民社党も公明党も、これみな天皇の社、民、公明党にほかならない。いや、共産党すら、天皇の共産党といってもいいのではないか。”(p93)

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

☆☆☆


[言葉の意味]

皇祖:天子の始祖。 日本では、天照大神(あまてらすおおみかみ)や神武天皇など、天皇の先祖。(コトバンク)

皇宗:天皇の代々の先祖。第二代綏靖(すいぜい)天皇以後、当代にいたるまでの天皇をいう。(コトバンク)

勅語:天子のことば。みことのり。勅言。(コトバンク)

義:人のふみ行うべき正しい筋道。(Weblio)

情:1 物事に感じて起こる心の動き。気持ち。(コトバンク)

[感想]

天皇に家があるというなら、日本国が天皇の家であり、御即位の時のお言葉で、昭和天皇は「建国の時、民に臨んで、国を以て家とし、民を視ること子のようである」と仰せられ、大正天皇は人の道筋として君臣であるが、情においては父と子のようである」と仰せられました。

しかし、これも国家という相対的存在にならぬよう、
明治天皇は
「よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ」と詠われ、
昭和天皇は
「西ひがし むつみかはして 栄ゆかむ 世をこそ禱(いの)れ 年のはじめに」と詠われました。

日本国内に当てはめれば、与党も野党も、どの政党も区別なく、天皇は与(くみ)せず、敵対もしません。どの政党も、天皇の政党なのです。

このことが広く革新派政党を支持する国民の中に理解され、天皇制への誤解が解けたのは、平成時代の天皇、皇后両陛下の全身全霊で国民に寄り添ってこられたことの賜物です。

このことについて、文明批評家の中島英迪(ひでみち)氏は次のように述べています。

☆☆☆

 共産党や立憲民主党などの革新派政党を支持する国民の中には、当初は天皇制に反撥していても、平成時代を通して全身全霊をこめてひとえに国民に寄り添ってきた上皇と上皇后によって、天皇制度を誤解していたことに気付いた者が多くいたのでしょう。
 振り返ってみれば、平成時代の天皇は、即位に当たって、まず「日本国憲法を守ります」と述べました。これは保守派からすれば違和感があって、「第九十六条」憲法改正条項を含めての「守る」であり、決して改正に反対の護憲擁護ではないと内輪で確認し合っていましたが、革新派の方は「憲法遵守」の護憲を支持する言葉だと受け取りました。また皇后は、明治時代の憲法制定時に、国民有志から出された憲法案の中にあった「五日市憲法」について、そこに人権擁護の規定があることを高く評価しました。これは革新派の人々にとって皇室への親近感を増す発言でした。
 そしてまた皇后は、当時の雅子妃殿下が男児を生まなかったことで強いバッシングを受けて、適応障害にまで追い込まれ長く苦しんだことに対して、「伝統」ということは大切だが、それが人を傷つける場合には賛同できない旨の発言をしました。もともと男女平等論の多い革新派の人々は、皇室自体が男女差別をする存在でないことを、その時はっきりと知り、天皇制に全面的に賛成できないものの皇室支持の気持ちを強めたことに間違いはありません。
 さらに彼らは、天皇の先の大戦への態度には強く共感を覚えた筈です。天皇は譲位までの誕生日に再三、「先の大戦への反省」を口にし、ついに具体的に満州事変以降を反省すべきだと言い、最後の誕生日には「強く反省し」と語気を強めました。保守派の中には「天皇は左傾した!」と反撥を覚えた人々も多かったでしょう。(中略)
 そして革新派の人々の心を揺るがした極め付きは沖縄です。沖縄は革新の地、激しい戦いに苦闘し、戦後も昭和天皇に見捨てられたとの恨みの深い県民たちでしたが、上皇の皇太子時代から天皇の時代を通して、妃殿下・皇后と共に何度も慰霊の訪問をくり返し、琉球文化の粋である「琉歌」を何首も作り、国民に思いを寄せ続けた結果、「ヤマトンチューは嫌いだけど、天皇陛下は好き!」の声がどんどん増えて行ったのでした。
 こうして、昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け入れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。こと、天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。平成時代の天皇は左派に取り込まれたと見えて、実はすっかり左派を取り込んだのでした。

3、みんなの皇室
 共産党が賛成している「女系天皇」など間違っている、と本心から信じている男系主義の論客は、恐らく天皇が自分たちのみの存在だと心の奥ではおもっているのでしょう。たしかに多くの男系主義者が本当に日本の事を思い、将来を心配していることは疑いないでしょう。しかし、天皇とは日本人全体のための存在であり、女系論者にとっても、無関心の人々にも大きな意義のある日本の至宝なのです。(pp112~116)

(〈大前繁雄・中島英迪傘寿記念公刊〉『皇室典範改正への緊急提言』)新風書房)

☆☆☆

[感想]

憲法については、改憲派、護憲派それぞれの思惑があり、難しい問題ですが、私は、現憲法を法律として遵守するが、広く国民で議論した上で、不都合な部分は改正すべきだと考えています。考え続けたい課題です。


上皇后さまの「伝統」についてのお考えに深く同感いたします。

☆☆☆

“質問の中にある「皇室」と「伝統」,そして「次世代への引き継ぎ」ということですが,陛下はご即位に当たり,これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも,昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また,皇室が過去の伝統と共に,「現代」を生きることの大切さを深く思われ,日本各地に住む人々の生活に心を寄せ,人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ,一つの時代を築いてこられたように思います。

伝統と共に生きるということは,時に大変なことでもありますが,伝統があるために,国や社会や家が,どれだけ力強く,豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が,社会の進展を阻んだり,伝統という名の下で,古い慣習が人々を苦しめていることもあり,この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。”

(「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」「宮内庁ホームページ」)
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html


“皇室も時代と共に存在し,各時代,伝統を継承しつつも変化しつつ,今日に至っていると思います。この変化の尺度を量れるのは,皇位の継承に連なる方であり,配偶者や家族であってはならないと考えています。

伝統がそれぞれの時代に息づいて存在し続けるよう,各時代の天皇が願われ,御心をくだいていらしたのではないでしょうか。きっと,どの時代にも新しい風があり,また,どの時代の新しい風も,それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています。”

(「皇后陛下お誕生日に際し(平成6年)」「宮内庁ホームページ」)
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h06sk.html

☆☆☆

「皇室が過去の伝統と共に,「現代」を生きることの大切さを深く思われ,日本各地に住む人々の生活に心を寄せ,人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ,一つの時代を築いてこられた」とのお言葉の、伝統と共に、「現代」を生きる、「今」と丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築く、ということが心に響きました。

「型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり」と上皇后様のおっしゃるとおり、古い慣習が人々を苦しめるようになったとき、「伝統」だから絶対に変えてはいけないと固執するのは、間違っていると思います。

平成6年の「変化の尺度を量れるのは皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならない」も重いお言葉です。「皇位の継承に連なる方」それは、「上御一人」、天皇を指すと思います。天皇のお気持ちが第一ということを肝に銘じます。

「皇室自体が男女差別をする存在でない」も重要なことです。革新派の方がよく理解しているかも知れません。

『「先の大戦への反省」を口にし、ついに具体的に満州事変以降を反省すべき』と上皇さまがおっしゃったこと、先の大戦については、もう少し掘り下げたいと思いますが、別の機会といたします。

沖縄に何度も慰霊の訪問を繰り返し、琉球文化の粋である「琉歌(りゅうか)」を何首も作り、思いを寄せ続けられたのこと、特に琉歌を作られたのは並大抵のご努力ではなかったと存じます。昭和天皇も「 思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを」と御歌を詠まれたほど、沖縄に強い思いをお持ちでした。その思いを果たされたのだと思います。

『昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け入れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。こと、天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。』

天皇、皇室に反感を持っていた諸勢力の活動を目の当たりにして来た私にとって、今日の革新派の変容は信じがたいほどであり、上皇さま、上皇后さまのご努力に思いを致す時、まことに感無量で、ただただ感謝申し上げるしか言葉がありません。

天皇とは日本人全体のための存在であり、党派の支持、政治的主張に関わりなく、天皇に無関心の人々にさえ、大きな意義のある日本の至宝という中島氏の言葉に、深く共感いたします。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって充実した一日でありますよう、お祈り申し上げます。
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皇室に名字は無い―その深い意味 [皇室典範改正]

DSC_166220210615blog.JPG6月13日の当ブログで、有識者会議ヒアリングにて、里中満智子氏が「女系天皇、新しい王朝」と述べたことについて、「皇室に姓が無い」ことを知らないのではないかと私は評しました。

姓や氏というと分かりにくいので、「名字」と言っても良いですが、ともかく天皇、皇室は、国民ではないので戸籍が無く、名字もありません。今日はその話を、私自身の知識の整理も兼ねて、書かせていただきます。

天皇、皇室の方々に戸籍は無く、身分などについては「皇統譜」に記録されています。

皇統譜:天皇,皇族の身分と系統とを登録する典籍。 1926年公布の皇統譜令および同令施行規則によって調整されたもの。大統譜,皇族譜から成り,大統譜は天皇と皇后とに関する事項を,皇族譜は所出天皇により,親王,内親王,王,女王のおのおのについて登録するもので,第2次世界大戦後も皇統譜に関しては従来どおりとなっている。宮内庁書陵部に保管。(コトバンク)

大統譜は天皇と皇后に関する事項、皇統譜はそれ以外の皇族が登録されています。皇族が結婚などで、皇室を離れられますと、一般国民としての戸籍が作られ、そこに記載されます。一度、皇統譜を離脱された方は、仮に離婚されても、「皇統譜」に戻ることはありません。「皇統譜」に記載されるのは、天皇、皇室のみで、そこには、厳しい君臣(天皇と一般国民)の区別があります。

皇室に名字(氏、姓)が無いことと、男系派の、「○王朝になる」との憂慮が杞憂であることについて、田中卓氏は次のように書いておられます。

☆☆☆

男系固執派の最も問題視し、強く憂慮するのは、女系の場合、その皇婿に当たる御方が、民間(仮に甲氏とする)から撰ばれた場合、その後次第に皇婿の氏が勢力をもって、甲王朝が成立する可能性が大きいという点である。そしてこの場合は、いわば〝易姓革命〟に当り、二千年の皇室の変革となり、国体の破壊につながるというのである。
しかし、それはまったくの杞憂である。なぜなら、皇室には氏がなく、皇室に入られた方は、その時点で同時に氏(甲氏)が消えるのであるから、甲王朝など、生ずるわけがない。
(田中卓著『愛子さまが天皇陛下ではいけませんか』p156 幻冬舎新書)

☆☆☆


注:「皇婿(こうせい)」は、女性天皇の男性配偶者の仮称です。「皇配(こうはい)」という呼称もあります。

「新しい王朝が始まる」は、あり得ないことです。一般的な通念でも、乙家に甲家から婿入りした人が乙姓を名乗れば、乙家の人とみなされます。政治家でも、あの人もこの人もというくらい、婿入りや養子で、乙家を継いだ人だらけです。

まして、一般の戸籍から離脱して戸籍が無くなり、皇統譜に記載されて、名字の無くなった男性が「甲氏」の人であると意識する人は、特殊な思想の持ち主以外、いないでしょう。「甲王朝」ができるというのは、まったく根拠のない屁理屈または偏見だと思います。


なぜ、皇室に名字が無いのか、不思議に思いませんか。その理由を、時代作家、文筆家の杉田幸三氏は次のように書いておられます。


☆☆☆

“何故天皇に姓がないのか

そもそも姓は、古代には氏族の長に対し、天皇から賜ったものだった。その起源には、連(むらじ)、宿禰(すくね)など職業に、橘、源、平など皇胤(こういん)の血統に、藤原、雀部など功績によって、下賜されたものがある。(中略)

「上御一人(かみごいちにん」といふ言葉がある。このやうに天皇といふおかたは只お一人である。ご一人である以上、他と区別したり比較するための姓が必要ないことになる。(中略)

藤原家と木曽家とは区別も比較も出来る。が、仮に藤原氏をもってきたとしても、はじめから今日まで、天皇は臣下と並立、比較を絶してゐる。さらにいへば、一切を包摂はしても対立しない関係にある。つまり、吉田元首相の家とも、現野党の宮本共産党首や土居委員長の家とも並立しても居らねば対立もして居ない。”

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

☆☆☆


言葉の意味

皇胤:
・天皇の血すじ。また、その血すじにあたる人。皇統。皇裔(こうえい)。(コトバンク)
・天皇の血統。また、その血統をひく人。皇統。皇裔 (こうえい) (goo辞書)
・天皇の血統。また、その血統をひく人。皇統。 皇裔(こうえい)。(Weblio)

調べて気が付いたことですが、Wikipediaでは、皇胤を「広く天皇の男系子孫を指す言葉である」としています。しかし、上記3つの辞書では男女の別はありません。なぜWikipediaだけが、他の辞書と異なる解釈をしているのか、その理由は分かりません。男系派が大勢で書き込んだからでしょうか。3つの「辞書」が、本来の意味であると思います。

天皇に名字が無いということは、臣下(国民)と並立、比較を絶している、各家とも、並立も対立も無いということであります。

昭和62年なので、各党首の名前が当時のものですが、今に置き換えれば、安倍前首相の家とも、枝野立憲民主党首、志位共産党首、福島社民党首の家とも、並立も対立もして居ない、となるでしょう。

さらに杉田氏は、草地貞吾氏の言葉を次のように引用して、「まさにその通りである」と同感を表わされています。


☆☆☆

〈――わが皇室は唯一絶対のもので、そのやうな比較や面子から完全に超越してゐる。皇室は万世一系の皇統といふのみで、序列的家格や階級党派、見栄や外聞を問題にされてない。これにみても皇室を殊更に天皇家などと称し、一般普通の家なるものと同一視する不合理性が指摘されよう。巷間の一部に、天皇家といふが、皇室と申し上げるより親近感があらうとの意見がないでもないが、これはひいきの引き倒しといふものである。また、天皇家といふのは宮家、摂関家、将軍家といふやうな熟語から連想されての造語かもしれないが、これも思慮が足りない。宮家にはその上に秩父とか常陸とか、摂関家には近衛とか九条とか、将軍家には足利とか徳川とか固有の冠頭詞、いはゆる名字がつくことに着目する要がある。
 そればかりか天皇家と称することにより、知らず知らずの間に摂関家、将軍家、大名家などと同等、同格に取り扱ふ思想、思潮を馴致(じゅんち)するのおそれなしとしない。〉
(『さきもり』誌S58.1月号)

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

☆☆☆


思潮:ある時代の社会にみられる支配的な思想の傾向。

馴致:なれさせること。なじませること。 また、徐々にある状態になっていくこと。

天皇の御製に関するある書籍に「天皇家の家訓は○○である」と書かれているとの感想文を見て、「家訓」という言葉に何だか違和感を覚えたのですが、その理由がこの文章から分かりました。書籍の作者が、「知らず知らず、天皇を摂関家、将軍家、大名家と同等、同格に取り扱う思想、思潮(思想の流れ)に馴れ親しませる」書き方だったからなのですね。それは天皇のご本質から離れている見方で、天皇の御製を学んでいるというほどの人ならば、そのような言葉は使わないほうがよいと思います。天皇は、「家」「家格」といった、一切の対立の外にあるご存在だからです。

このテーマは、明日に続きます。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
タグ:皇室
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皇位継承を巡る有識者会議第5回ヒアリング [皇室典範改正]

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6月7日「安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議」第6回会合が開かれ、第5回目のヒアリングが行われました。





毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/6acfbf67f1fa1e79e481ddbe186831f588646ddc

日テレNEWS24
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c6b7727dbd386650edb26b9f341a57a28726c47

共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe28cce7067efbcdef3dd5ec907dc064ebc6b8bd

産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c51c72ae68b52328ebcb63d7cf54d554825e9e6

産経新聞によれば、「ヒアリングは今回が最後となり、今後は計21人を対象に行ったヒアリングの結果を踏まえ、政府に対する報告をまとめる見通し。これを受け、政府は国会に安定的な皇位継承策に関する検討結果を報告するが、次期衆院選への影響を考慮し、選挙後に先送りする案が有力だ。」とのことです。

共同通信は「有識者会議(座長・清家篤元慶応義塾長)の専門家ヒアリングで順位をすぐに変えるべきだとの意見は少なく、秋篠宮さまの長男悠仁さまを含む現順位は当面変えず、将来的な課題として女性・女系天皇などの是非を議論する。政府関係者が7日、明らかにした。」と報道しています。

共同通信の報道する「政府関係者」の意見、「秋篠宮さまの長男悠仁さまを含む現順位は当面変えない」が政府の公式見解かどうか明確ではありません。「政府関係者」の実名が報道されないのですから。しかしこれが政府の本音であるなら、有識者会議の開催そのものが「出来レース」、「結果ありきのセレモニー」だったのかと、いささかがっかりしました。

出来レース:八百長・談合などにより、始める前から結果が分かっている勝負や競争
(コトバンク)

そうはいっても、私自身、各ヒアリングでの意見を読んで、自分の足りない所に気が付くこともあり、勉強になりました。まだ読み込み切れていない資料もあります。前回の有識者会議資料始め、ヒアリング資料を必要に応じて読み直したいと思います。

女系容認が「理」にかなっているので当然そうなると、油断していました。

「無理が通れば道理が引っ込む」ことが身に沁みました。仕切り直しです。

しかし、皇統継承を巡る有識者会議に関する重要な情報を、マスコミがもっと取り上げてほしいです。そして皇室のことを真剣に考える人々が、増えてほしいと思います。


第5回ヒアリングを行った4人は、産経新聞、日テレNEWSによれば、以下の通りです。

綿矢(わたや)りさ氏(芥川賞作家)

半井(なからい)小絵氏(気象予報士・女優)

里中満智子氏(漫画家)

松本久史氏(国学院大教授、近世・近代神道史)

それぞれの資料が下記の通り閲覧できます。


綿谷りさ氏
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou2.pdf

半井小絵氏
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou3.pdf

里中真知子氏
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou4.pdf

松本久史(國學院大學教授)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou5.pdf


産経新聞は以下のように概括的に報道しています。

++++

7日のヒアリングでは文化・芸能と神道の専門家4人から約30分ずつ意見を聴いた。母方にのみ天皇の血筋を引く女系への皇位継承資格には全員が慎重で、戦後に皇籍を離れた旧宮家の皇籍復帰には4人とも前向きだった。

(産経新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c51c72ae68b52328ebcb63d7cf54d554825e9e6

++++

男系派支持を貫いている産経新聞らしいまとめ方です。

しかし、私は綿谷氏の次の言葉に注目します。

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問 4. 皇統に属する男系の男子である皇族のみが皇位継承資格を有し、女性皇族は婚姻に伴い皇族の身分を離れることとしている現行制度の意義をどのように考えるか。

今後、いつ、どのように制度の変更があるとしても、御本人が「ずっとこうだ」と言われてきた制度から、いきなりの変化が生じることは、動揺があるのではないかと思う。人生設計は個人の内面で、長い時間をかけてされてゆくものだと思う。関係する制度が、婚姻後の家庭環境にも関わってくる可能性がある。ただ一般的には、婚姻前の生活と、婚姻後の生活は大きく変わるものだと思う。家族を作ることだけでなく、自分のアイデンティティも、婚姻によって変わる部分は大きい。それは性別によって変わらないのに、性差によって違いがありすぎた場合、違和感がある人も多いのではないか。

(資料2(綿矢氏説明資料))
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou2.pdf

+++++


「一般的には、婚姻前の生活と、婚姻後の生活は大きく変わるものだと思う。家族を作ることだけでなく、自分のアイデンティティーも、婚姻によって大きく変わる。(中略)それは性別によって変わらないのに、性差によって違いがありすぎた場合、違和感がある人も多いのではないか」

ここに綿谷氏の正直な庶民の感性が表現されています。「一般的に、婚姻前の生活と、婚姻後の生活は大きく変わることは、性別によって変わらないのに、性差によって違いがありすぎた場合、違和感がある人も多い。」皇室を、婚姻後の生活の変化について、性差によって違いがありすぎる形に固定化して、自然な庶民感覚からどんどん遠ざけていくのがはたして良いことなのかどうか、そこに綿谷氏も気付いていることが分かります。

里中真知子氏の意見もよく読むと次のように、女系容認についても触れています。

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問6について

女系天皇と女性天皇の違いを国民の全てが詳しく知っているとは思えず、アンケートなど(100%参考にならないが)「(その違いを)よく知らない」という答えも多い。よく知らなくても何となく「男女同権」「女性の力を生かす」というイメージで女系天皇をよしとする気持ちになっている人もいると思う。国民の声を参考にするのであれば、どうか誤解を招かないような設問の仕方を考えて欲しいとメディアには願う。

2
男系男子が一人も存在しなくなった場合を考えて、いろんなケースごとに準備をしておくことが望まれる。もし仮に「女系天皇しか選択肢がない」ような状況になれば、女系天皇、新しい王朝という事態も受け入れることも考えておく必要がある。

(資料4 里中氏説明資料)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai6/siryou4.pdf

++++++++


後半部分、『もし仮に「女系天皇しか選択肢がない」ような状況になれば、女系天皇、新しい王朝という事態も受け入れることも考えておく必要がある。』

将来を見通すなら「女系天皇しか選択肢がない」と思うのですが、里中氏も、他の選択肢がなければ「女系容認」せざるを得ないことは、理解されています。

しかしここで、里中氏が「女系天皇、新しい王朝」という言葉を使っているのには、いささか驚きました。里中氏は「天上の虹」(持統天皇物語)という漫画を描いてヒットさせているので、古代史にも詳しいと思っていたのですが、「女系になったら、新しい王朝になる」と考えるなら、肝心なことを、知らないようです。皇室に氏や姓が無いことの意味を知らないのだろうと思います。

民間から皇后を迎えたら、皇后の実家が、藤原氏のように外戚となって権力をふるうと、上皇さまの美智子さまとのご結婚を反対した、旧華族のようなものです。女性天皇の男性配偶者の実家がどこの王朝に該当するのでしょう。西欧の王室から配偶者をお迎えするつもりなのでしょうか。時代錯誤がはなはだしいと思います。

里中氏意見の、前半部分は「女系容認」の国民の理解について、考えさせられます。百地章氏の資料を見ましたが、令和元年のNHK,産経新聞のアンケートで「女系について理解していない」と答えた人が、全体の半数余りあるとのことです。女系天皇について正しい理解を広めるのが、今後の大きな課題だと思います。


余談ですが当ブログ冒頭で、共同通信の報道する「秋篠宮さまの長男悠仁さまを含む現順位は当面変えず」と述べた「政府関係者」について、政府の公式見解ではないだろうという話をしました。なぜ公式見解ではないと思うのかというと、以下の理由からです。

「○○関係者」の言葉について興味深いことを当の「関係者」が激白した記事が、「愛子さま 皇太子への道」に掲載されました。

『当事者が激白!皇室記事に出てくる「関係者」の正体』
https://aiko-sama.com/archives/5831

男系派論客の八木秀次氏が、自身が週刊誌の取材に電話で答えた意見が「宮内庁関係者」の声として掲載された事実を、八木氏自身が、「チャンネル桜」で激白しました。

「○○関係者」の実態は公式な関係者でなく、マスコミが、取材を受けた本人承知の上で、誤った印象操作をするために利用する、詐称に近い業界コトバであることが、「関係者」本人の証言で裏付けられました。

マスコミのいい加減さはうすうす知っていましたが、ここまでヒドイとは思いませんでした。商業主義、金儲け主義のマスコミにだまされないよう、注意深く智慧を働かせることが、読者に求められています。


今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって楽しく有意義な一日でありますようお祈り申し上げます。


タグ:女系天皇
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男系男子維持派との対話(七)―安定的皇位継承を願って [皇室典範改正]

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皇位継承を巡る有識者会議の第5回ヒアリングが6月8日に開催されました。

毎日新聞の記事によれば、政府は有識者会議の議論を踏まえた検討結果について、国会報告の時期を次期衆院選後に先送りする方針とのことです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6b0836e3a982755918fb0e302a588c6b08f5b2

速やかに典範改正してくれれば、喜んで自民党に投票しようと思っていましたが、楽観的に見過ぎていたようです。自民党にはもう投票しません。政府の、ご譲位を検討する際、上皇陛下のご意向に反対を繰り広げたような、現状維持・先延ばし体質に失望しています。第5回ヒアリングについては、後日、コメントいたします。

以下は、男系維持派から質問があったのではありませんが、関連して書いた文章です。男系派も少しは念頭にあるようで、非現実的な政略結婚的計画を考えているようです。

男系維持派は、皇室における女性の役割を軽視していないかというのが、私の疑問でした。悠仁様のご即位まで何も検討しないというのは、女性皇族のほとんどが皇室を出ても少しも気にならないからだと思えたからです。

日本の歴史を顧みれば、先代天皇直系の内親王や、先代女性天皇が、天皇をお支えする重要な役割を果たしてこられました。

歴史上、何人もの天皇直系の内親王が傍系天皇の正妻になり、夫に直系天皇の大御心をお伝えするお役目を果たしていらっしゃいます。

男系維持派が主張するように、父方の血筋を継いでいることだけが最重要だったのなら、歴代天皇の中で傍系や遠縁で即位された天皇が、前天皇や前々天皇の直系の内親王を皇后(正妻)とされる例が多いのはなぜなのでしょう。男系の血筋を継ぐことがすべてであれば、そのような配慮は不要だったはずです。

第26代・継体天皇は、第15代・応神天皇の5世孫です。 前天皇、第25代・武烈天皇と血筋が遠かったので、前々天皇(第24代・仁賢天皇)直系の皇女(内親王)手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后(正妻)とされました。世間でいう入り婿のようなお立場です。

継体天皇のお子様の第27代・安閑(あんかん)天皇も、第24代・仁賢天皇の皇女、春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)を皇后とされました。

同じく継体天皇のお子様の第28代・宣化(せんか)天皇も、第24代・仁賢天皇の皇女、橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)を皇后とされました。

安閑天皇、宣化天皇は、継体天皇の皇后・手白香皇女のお子様ではありませんでした。

すなわち直系天皇から見れば遠縁であったために、直系に近い第24代・仁賢天皇の内親王を皇后に迎えることにより、女系の権威によって御位を安定させることができたのです。

天皇直系の内親王を皇后に迎えた理由のもう一つに、身近に父たる天皇の背中を見てお育ちになった内親王から、夫である傍系天皇に、先代天皇のご日常の中で知ったこと、言葉を超えてお伝えできること、があったのではないでしょうか。

安閑天皇、仁賢天皇のお二方は、継体天皇と手白香の皇女の実子で「女系を通じて直系天皇に最も近い」第29代・欽明天皇がご成長遊ばすまでの「中継ぎ」だったという見方もできます。男系維持派は「女帝は中継ぎ」と主張しますが、男性にも中継ぎ的なお役目だった天皇はいらっしゃいます。

第49代・光仁天皇は即位されるご予定ではなかったのですが、妻である皇后の井上内親王が第45代・聖武天皇の皇女(直系)であられたために、天皇の御位に就かれることになりました。

光仁天皇は第38代・天智天皇の皇子の皇子、すなわち孫でした。当時の直系は天武天皇系でしたから、傍系の天皇の皇子とみなされていました。光仁天皇の次には、第45代・聖武天皇の皇女、井上内親王と間のお子様、他戸親王(おさべしんのう)が即位される予定でした。光仁天皇は天武天皇の系統をつなげるという、中継ぎ的なお役目を期待されて即位されたのです。

ところが、井上内親王が謀反の罪を着せられるというご不運があり、他戸新王のご即位がかないませんでした。その結果、光仁天皇の第一皇子が第50代・桓武天皇として即位されることになり、天皇の系統は、それまでの天武天皇系から天智天皇系に戻ることになりました。

すなわち光仁天皇も、正妻が、第45代・聖武天皇直系の皇女だったという、女系のご縁で即位された天皇でした。

第119代・光格天皇は、閑院宮典仁親王の第六王子であり、第113代・東山天皇の曾孫(4世孫)です。直系の前天皇、第118代・後桃園天皇とは遠縁でした。

ご即位にあたり、皇后に、第118代・後桃園天皇の皇女、欣子(よしこ)内親王を迎えられました。

天皇が選ばれるにあたって3人の候補者がありましたが、欣子(よしこ)内親王の配偶者に年齢などを考えてふさわしい方をということで、光格天皇が選ばれました。遠縁であった御方を直系の皇后がお支え申し上げたと言えます。

なお第117代・後桜町上皇(女帝)はたびたび内裏に御幸し光格天皇と面会して、朝廷の権威向上に努め、後の尊皇思想、明治維新への端緒を作った、光格天皇の良き補佐を務めたことから、しばしば「国母」といわれたとのことです(Wikipediaより)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%A1%9C%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87

後桜町天皇のことは、当ブログでも数回、取り上げています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306215183-1

このように傍系の光格天皇に、天皇の心構えを伝える、今なら帝王教育というべき、大切なお役目を果たされた、直系の女性天皇もいらっしゃいました。

[まとめ]

継体天皇、安閑天皇、仁賢天皇、光仁天皇、光格天皇など、傍系の天皇は、前天皇や前々天皇直系の内親王(皇女)を正妻(后)に迎えるという「入り婿」的な形で天皇になっておられます。

直系をいかにして伝えるか、男系が直系でないなら、女系の直系でつなごうということが、重視されていました。

男系派は、直系の内親王(眞子様、佳子様、愛子様)がすべて一般人になって(臣籍降下されて)皇室からいなくなられても、気にならないようですが、それは歴史をないがしろにする行いだと思います。

皇室の歴史や伝統を大切に思うのなら、旧宮家系男子について、これらの直系の内親王が重要なお役目を果たされた前例を無視して、婚姻なしに復帰させるのは、無茶苦茶な話です。「70年という、歴史上一度も無かった長期間」、皇籍を離れていた一般国民が直系の内親王とのご婚姻なしに、独身または伴侶である民間女性と共に皇族入りするなど、日本の歴史上前例がないばかりか、君臣の別を理解しないトンデモ方策だといえます。

GHQに無理やり臣籍降下させられたと言いますが、占領政策が終わったのち、すぐに皇籍復帰がなかったのは、日本人全体の選択の結果です。アメリカのせいにしてはいけません。

男系派も女性皇族のお役目に気づいたようで、「旧宮家の子孫」、又は天皇の男系の血筋(戦前の摂関家など)の男系子孫を、内親王の配偶者にしたいと画策しているようです。結果的に良い方がいらっしゃれば、排除する必要はありません。

しかし、それを皇婿(こうせい、皇族の男子配偶者)の「条件」にすると言う意見には反対です。あくまで皇室入りするご本人のお人柄や資質、何よりも内親王が選んだ方をお迎えするのが第1義であって、氏素性は2義的、3義的なことです。そうでなければ、今上天皇、上皇がお后を民間からお選びになられたことを否定することになります。

世間では小室圭さんと眞子様の御結婚について、根拠のあやふやな噂に基づく、否定的なニュースが氾濫していますが、私は眞子様の、世間の偏見に捉われない幅広い見方に、皇室のフレキシビリティを感じて、むしろ心強く、尊敬の念を抱いています。

国民とともに歩まれる皇室とはそういうことではないかと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様が充実した良い一日をお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。
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古代の双系社会と皇位継承―「愛子さま 皇太子への道」 [皇室典範改正]

DSC_164520210608blog2.JPG「愛子さま 皇太子への道」のサイトで4回シリーズだった「古代の双系社会と皇位継承」の第4回目が昨日掲載されました。

先日私は「父方が血筋を引く男系継承が維持されて来たのは色々な条件が重なった結果であって、男系の血筋ばかりが偏重されていたのではない」と書きましたが、そのことを各時代に対応させて簡潔明瞭に説明してくださっていて、脱帽いたします。

https://aiko-sama.com/archives/5784

一部引用させていただきます。

☆☆☆

“古代の日本は、双系(双方)社会を基盤に、直系男子に必ずしもこだわらない系譜意識および男女の性差よりも年齢・資質を重視する皇位継承システムが存在した(仁藤 2006)と考えるのが、最近の古代史研究の主流になっています。”
(中略)
“性差のない皇位継承システムから誕生した古代女帝の歴史は、(古代中国の)父系原理が律令官人制を通じて貴族社会に浸透し、官人を経た熟年男性の即位の連続によって8世紀後半に終焉します(義江 2021)。

そしてさらに、9世紀以降外戚である藤原氏が摂政・関白として統治権を代行することで、幼年での立太子や即位が忌避されなくなり、資質よりも血統を優先する父子直系継承が確立されました(佐伯 2019)。

このように皇位継承のあり方は、天皇と権力の関係、天皇の親族をめぐる問題と深く関わって、時代ごとに移り変わってきました(佐伯 2019)。

しかし、それでも女性天皇や女系による皇位継承は制度上否定されることはありませんでしたが、近代になって旧「皇室典範」が制定されることで制度上「廃止」となります。

古代女帝像の根本的な見直しを提起した研究者である荒木敏夫氏は、旧「皇室典範」について、前近代まで自身の進退・後継者について規制のなかった天皇を法の枠内に封じ込めた面をもち、その枠内で女帝即位の可能性が封じ込められたが、それは「前近代の天皇-王権が保持していた諸状況に対応する「柔構造」=フレキシビリティを確実に弱くさせた」と指摘しています(荒木 1999)。”

(「古代の双系社会と皇位継承(4)時代によって変わる皇位継承のあり方」「愛子さま 皇太子への道」https://aiko-sama.com/archives/5784

☆☆☆


加藤官房長官は『父方が血筋を引く男系継承が「古来例外なく維持されてきた重み」と政府の見解を述べています。
しかし「例外なく維持されてきた重み』の中身は男系継承が格別に重視されていたのではなく、各時代の状況に対応する中で続いて来ただけのことで、絶対に変えてはいけないほどの「重み」はないといえます。
近代になるまで、女性天皇や女系による皇位継承は制度上否定されていませんでした。近代になって、明治の旧皇室典範制定により、それまでなかった「男系男子限定」の規制がかけられました。
規制がかけられたことにより、「前近代の天皇=王権が保持していた諸状況に対応する「柔構造」=フレキシビリティが確実に弱くされた」ことこそ、注目すべきだと思います。

*ここでいう「女系による皇位継承」は女性天皇の実子が天皇になられたことを指します。

後水尾天皇のところで説明申し上げた通り、幕府が「禁中並びに公家衆諸法度(きんちゅうならびにくげしゅうしょはっと)」で禁じていた「女性の家督相続」を決行されたのが、江戸時代の皇室でした。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-10-17

時の権力者に屈しないフレキシビリティがあったのです。フレキシビリティがあったから皇室が2000年以上続いて来たことをよくよく考えて見る必要があると思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
心の柔軟性を失うことなく楽しい人生を送って参りましょう。

タグ:女系天皇
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皇位継承を巡る有識者会議第4回ヒアリング―4人中3人が女系容認 [皇室典範改正]

DSC_168120210607blog.JPG皇位の安定継承の対応について、2004年(平成16年)12月27日に皇室典範に関する有識者会議が設置され、2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について「女性天皇・女系天皇(母系天皇)の容認、長子優先」を柱とした報告書を提出されました。それ以来、足踏み状態が続いていましたが、今年になって改めて有識者会議が設置され、ようやく事態が動き始めました。

5月31日には、第5回会合が開かれ、第4回目のヒアリングが開かれました。
共同通信によれば、海外王室や歴史の専門家ら4人から意見を聴取し、このうち3人が女性天皇に賛成。女系天皇にも前向きな意見が相次いだとのこと。政府は次回6月7日の会合で専門家からの意見聴取を終了すると明らかにしました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5e5fa1edae5b80e539557b7ec5adc8d8ebca88e

NHKによれば、来月7日の会合では芥川賞作家の綿矢りささんや漫画家の里中満智子さんらから意見を聴くとのことです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210601/k10013061371000.html

共同通信によれば、ヒアリングを行った4人と各意見の要点は以下の通りです。

○君塚直隆(きみづかなおたか)・関東学院大教授(英国政治外交史)
意見:父方が天皇の血筋を引く男系の男子のみが継承する現行制度を改め、男系女子と女系を認めるべきだと主張。継承順位は男女問わず第1子を優先すべき。

○曽根香奈子(そねかなこ)・日本青年会議所監事
意見:男系女子に関し「一時的に必要な時は可能」とし、女系は「新たな王朝、国家を開くことになる」として反対。

○橋本有生(はしもとゆき)・早稲田大法学学術院准教授(家族法)
意見:天皇の子や孫に当たる女性皇族「内親王」への資格拡大に賛成。「女性天皇は過去にも存在し、伝統の観点からも否定されない」と説明した。女系も「国民意識の変化によっては女系天皇の可能性も十分に論じる余地がある」。

○都倉武之(とくらたけゆき)・慶応大准教授(近現代日本政治史)
意見:男系女子について「法的な条件が整えば容認に賛成」と強調。女系についても「最後の選択肢として継承の道を確保しておくことも今後の在り方だ」。


男系女子について4人が賛成、女系についても3人が賛成又は前向きな意見で、1人が反対です。

反対意見(曽根香奈子氏)の資料は未だ読んでいませんが、『女系は「新たな王朝、国家を開くことになる』との記事の文のままであれば、曽根氏は「皇室に姓が無い」ことの意味を理解していないのだろうと思います。


古代支那、西欧では、王朝があり、それぞれの姓がありました。

漢の姓は「劉」、宋は「趙」、明は「朱」

西欧でも、ロシアのロマノフ王朝、フランスのルイ王朝、オーストリアのハブスブルグ家、ハノーバー家、ヨーク家、ランカスター家など。

しかし日本の天皇には姓がありません。

上皇后・美智子さまは『橋をかける』『バーゼルより』など何冊か素晴らしいご著書を執筆されています。『橋をかける』の表紙をみますと著者名は「美智子」としか書かれていません。
DSC_168420210607blog.JPG

美智子様の旧姓は正田です。皇室に入られて皇族になられると戸籍がなくなり、皇統譜にお名前が記載されます。そのときに姓がなくなります。

男性が女性皇族と結婚され皇室に入られますと同様に姓がなくなります。仮に、田中太郎さんが皇族になられれば「太郎」さまになります。そもそも婿入りするということは自分の姓を妻の姓に変えるということです。その上、皇室には姓がないので、結婚前の「姓」が何らかの影響を及ぼすなど絶対にあり得ないことです。

新たな王朝になるとの意見は日本の皇室に姓がないという特色を理解していない発想です。専門家を名乗るなら不勉強のそしりは免れません。

君塚直隆氏は、昨年11月25日に参加したシンポジウム「皇位の安定継承に向けて」の登壇者のお一人でした。その時の内容を11月28日当ブログに書いています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/20201128

[ブログ抜粋]

“皇族の減少(日本)や、「ヨーロッパのほとんどの王室が「絶対的長子相続制」に移行していることを話され、最後に、現イギリス女王エリザベス2世の配偶者であられるエディンバラ公(99歳)のお言葉を引用して、「21世紀は国民の支持あっての王室」で「時代に即した変革も必要」だと話されました。当日渡された君塚直隆氏が用意されたレジュメから、エディンバラ公の言葉を引用します。

「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」(エディンバラ公の言)”

曽根氏の意見が代表する男系派は、ヨーロッパの君主制を滅ぼした「熱心な支持者」、改革、変革を行わず古い体制を維持しようとする人々だと思います。

明治天皇の五か条の御誓文の4番目、5番目のご文章を思い出します。

☆☆☆

一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし。
一、 智識を世界に求め、大いに皇基(こうき)を振起(しんき)すべし。

[文の意味]

一、 これまでのような、かたくなな習慣を打破して、普遍性のある道理に基づいて進め。
一、 知識を世界の先進国に求めて、天皇の大業を振興せよ。

(『明治天皇御製 教育勅語 謹解』 明治神宮社務所)

☆☆☆


もはや男系男子限定の皇位継承に固執するのは「旧来の陋習」にほかなりません。明治以来のかたくなな習慣「男系男子固執」を打破して、普遍性のある道理「双系継承」に基づいて勇気を出して前進いたしましょう!

「皇基」は「天皇が国を治める基礎」の意味ですが、国民とともに歩まれる皇室であることを思えば、天皇と国民が心を一つにして歩む日本のことであると思います。知識を世界に求め、他国の王室の良いところを取り入れて、天皇と国民が一つになって日本を盛り立てて行きましょう。

そして世界の人々の安らかさと幸せに、益々ますます貢献できる日本を築いて参りましょう!


今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって希望に満ちた日でありますようお祈り申し上げます。
タグ:女系天皇
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古代の双系継承について―「愛子さま 皇太子への道」 [皇室典範改正]

DSC_161920210606blog.JPG「愛子さま 皇太子への道」のサイトで「古代の双系社会と皇位継承」というタイトルの4回シリーズの記事が掲載されています。

昨日は、「(3)女性天皇の御子にも皇位継承資格があった」が掲載されました。
1~3まで読ませていただきましたが、多くの文献を調べ、要点を簡潔にまとめて下さっていて、とても勉強になります。

https://aiko-sama.com/archives/5652(1)
https://aiko-sama.com/archives/5707(2)
https://aiko-sama.com/archives/5636(3)

最終回(4)は、6月7日掲載とのことで楽しみにしております。

「(3)女性天皇の御子にも皇位継承資格があった」では、長屋王の例があげられていますが、当時の皇族のお気持ち、宮中の考え方が男系ばかりにこだわるのではなく、双系(男系、女系)が総合的に考慮されたことが拝察されます。

加藤官房長官は『父方が血筋を引く男系継承が「古来例外なく維持されてきた重み」といわれますが、父方の血筋を引く男系継承が維持されて来たのは色々な条件が重なった結果であって男系の血筋が偏重されていたのではありません。


先日、男系派の一人から「皇位継承に女系があったのですか」という質問をいただきました。私は次のようにお答えしました。

質問:皇位継承で女系はあったのでしょうか?

お答え:女系、男系についての定義が二通りあると思います。

男系派の定義は、次のようなもので。

○父方をずっとたどっていくと初代・神武天皇につながる。母方の血筋は問わない。父方を通して神武天皇につながっている女性天皇を「男系女子の天皇」という。父が天皇でなくても祖父、曾祖父など何代も父親をたどると神武天皇につながっている天皇を「男系男子」という。 旧宮家の方々は、600年前の天皇の子孫だが、父方の血筋が天皇につながっているので「男系男子」である。

○「女系」の定義は、父方の血筋が神武天皇につながらない、すなわち父親が皇族でない(臣籍降下した者や一般国民である)場合、母親が天皇であって母方を通して神武天皇の血筋につながっていてもそのお子様は男子も女子も、女系である。

○父方が神武天皇の血筋につながる方が女性天皇になった歴史上の前例は8方あるが、これらの女性天皇は全員が元皇后又は生涯独身であった。女性天皇が皇位継承後(または皇太子の時)に結婚して、そのお子様が天皇になった前例はない。

これに対して、女系派(女系容認派、双系派)の女系の定義は次のようなものです。

○女性天皇から皇位を継がれた御方の父親が、皇族(天皇の孫、曾孫など天皇の子孫)であるが天皇でない場合は、先代の女性天皇から皇位を継いだ御方だから、母親から皇位を継いだという意味で、「女系」と呼ぶのがふさわしい。

実例として第43代・元明天皇から皇位を継いだ第44代・元正天皇があげられます。元正天皇の父君、草壁皇子は天皇ではありませんでしたから、男性天皇から御位を継いだことにはなりません。

当時の人々は「女帝の子も親王」との「継嗣令」との考えに基づき、母親たる天皇から皇位を継いだ御方という意識を持っていたのではないかと思われます。

答えは以上です。

前述の「(3)女性天皇の御子にも皇位継承資格があった」(愛子さま 皇太子への道)を読むと、双系の見方による「女系」の考え方がよく分かります。

男系派の方への回答には書きませんでしたが、男系派による「男系」「女系」の定義は、何だか偏った考え方だという気がしています。

「一代でも女系になり、一般庶民の父親の血が一滴でも入ったら、その子は皇族でなくなる」と言う考え方は、アメリカのワンドロップ・ルールに似ています。

「ワンドロップ・ルール(英語: one-drop rule)とは、サブサハラアフリカ系の祖先が一人でもいれば(黒人の血が「一滴」つまりワンドロップでも流れていれば)、その人物は黒人(歴史的にはニグロという言葉が使用された)と見做されるという法的な人種分類の原則であり、歴史上アメリカ合衆国では重要な規定と見做されていた」(Wikipedia)

こんなことを言うと男系派に叱られるかも知れませんが「黒人の血が一滴(一代)でも入ったら白人ではない」との思想に酷似しています。きつい言葉を使いますが、レイシズム、人種差別主義につながる言葉です。

「男系男子」による継承は「古来例外なく維持されてきた重み」といいますが、注目され始めたのは明治の旧皇室典範以後のことで、それほど昔ではありません。日本人のふつうの感覚では、父方の血筋をそこまで重く見ていないと思います。一般庶民の間では、もはや家を継ぐという感覚そのものが昔ほど強くありません。仮に先祖代々の家業があって家を継ぐことが意識される家庭でも、婿養子や娘が家業を継いだからといって、「家業」の価値がまったくなくなったと嘆く人などいないでしょう。

日本の歴史では、男系男子の家督相続を過大に尊重したのは武家社会だけです。宮中では一貫して双系(男系、女系)の男女とも尊重されてきたことが学者の間で通説になりつつあります。

古来より現在に至るまで、皇室では、双系継承が考慮され、男女ともに大切なお役目を果たされて来たと思うと、何より心が安らかになります。庶民感情にも一致しているからでしょう。一視同仁ということですね。

今日も辛口になりました。感じた通りはっきり言ってあげるのも愛情のうちだと思って、自分を励まして書いてみました。


今日も読んでいただきありがとうございました。
良いことがたくさん見つかる一日でありますようお祈り申し上げます。
タグ:女系天皇
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憲法上「女系天皇」容認と加藤官房長官が答弁 [皇室典範改正]

DSC_166120210604blog.JPG6月2日の衆議院 内閣委員会で、皇位の安定継承に関する質疑が行われ、加藤勝信官房長官が玄葉光一郎議員の質問に対し、「憲法上は女系継承も可能」との旨の答弁をされました。また、旧宮家の皇籍復帰について意思確認をする考えはないことも答弁されました。


このことについて、以下のサイトに詳しく掲載されています。

「愛子さま 皇太子への道」のサイト
https://aiko-sama.com/archives/5732

「高森明勅公式サイト」
https://www.a-takamori.com/post/210603


私も、「愛子さま 皇太子への道」サイト文中にリンクが貼られていたyou tube、6月2日の国会中継を視聴しましたが、なかなか興味深いものでした。


加藤官房長官が、はっきり答弁できないでコメントを控えた質問が、以下のように何点かありました。

・有識者会議はいつ頃を目途に検討結果をまとめられるのか
・念のための確認だが、非嫡出への継承は論点になりうるのか
・新・旧皇室典範では、養子が禁止となっているが、今後、論点になりうるのか

などです。


その中で、①憲法第2条の「世襲」には男系、女系両方が含まれるとの政府見解を改めて明言したことと、②旧宮家系の皇籍取得について意思確認をする考えはないことについて明言したことの意味は、小さくありません。


①憲法第2条の「世襲」は男系、女系両方が含まれる。 すなわち憲法上は女系継承も可能であることを、政府自体が理解している

②旧宮家系の皇籍取得について、意思確認をする考えはないと、繰り返し明言した。

ことが、確認されました。

日本国憲法「第一章 天皇 第2条」の条文は以下の通りです。


☆☆

第2条 【皇位の継承】
 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

☆☆


条文の「世襲」には男系、女系両方が含まれるというのが政府見解です(従来通り)。

有識者会議のヒアリングでは、『女系は違憲』という旨の発言をした学者(百地章氏)が一人だけいましたが、政府としては、百地氏の見解は採らないと、ここで明言したわけです。

これで憲法を改正しなくても、「皇室典範」だけ改正すれば、女系天皇の継承が可能になることが、改めて確認されました。

旧宮家系の皇籍取得については「門地の差別」にあたるとして、憲法上の疑義が、複数の憲法学者から提示されています。
https://www.a-takamori.com/post/210515

「門地の差別」について、当ブログでも取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-05-23

旧宮家系の皇籍取得に対する憲法上の疑義について、百地氏は有識者会議出席者の質問に答えて、(旧宮家系の方々は)「一般国民とはやや違った立場にいらっしゃる方々」と苦しい説明をしていました。
https://www.a-takamori.com/post/210601

しかし、「国民平等の原則の例外とされるのは唯一、第1章(第2条も含む)の適用を受ける天皇・皇族だけ」なのです。
https://www.a-takamori.com/post/210526


「一般国民とはやや違った立場にいらっしゃる方々」などという、法的に全く無効な曖昧な概念を創作して、皇位継承という重大問題を決めるなど、とんでもない話です。

百地章氏が孤軍奮闘して主張する「女系天皇は憲法上問題がある」との意見が政府見解と異なることが加藤官房長官の答弁で、いっそう明確になったということです。

百地氏に希望を託す男系派は、将棋でいえばとっくに「詰んでいる」としか思えません。
男系派諸氏は、理性的になって、真剣に現実を見つめてほしいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。

地方によって雨が激しいようです。気温の変化もありますので、どうぞ皆様それぞれに御自愛下さい。

タグ:女系天皇
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男系男子維持派との対話(六)―安定的皇位継承を願って [皇室典範改正]

DSC_165120210602blog.JPG*日本アジサイは部分も美しいです。

昨日の続きです。

政府は、男系支持派と女系容認派は対立した意見を持っていて歩み寄る余地はないと考えて、国論が二分されることを極端に恐れているように思えます。

確かにネット上で色々なやりとりを目にしますが、相互の礼を失うことなく、かつ真摯な議論は、少ないように思われます。

しかし意見の違う者同士が、真剣に、本心を披歴して、肝胆相照らして、最良の結果を求めて話し合うとき、新しい価値が生まれることは、歴史の真実です。

ポジショントークでなく、人間が本音で話し合うことの可能性を、私は信じたいと思います。


聖徳太子の憲法十七ヶ条の第十七条が、再び思いおこされます。

「大事をば独り断(さだ)むべからず かならず、衆(もろもろ)と与(とも)に論(あげつら)ふべし。」

過去の歴史を顧みますと、天皇が独断専行でなく、臣下の議論を重視されて、ご自身のお気持ちにそぐわなくても、その結論を受け入れられたことがうかがわれます。聖徳太子の憲法十七ヶ条の精神を、御自ら、実行して来られたのだと思います。

ここに明治天皇と、昭和天皇の実行の例を掲げます。

例1:明治天皇

明治時代1889年(明治22年)2月11日に旧皇室典範が裁定された時、明治19年の明治天皇が希望された「生前退位」、「女系天皇を認める」案が採用されなかった皇室典範の裁定を、明治天皇裁定を認められたのは、伝統的な天皇のあり方、かつ立憲君主のあり方を守られたからだと思います。

産経新聞に、ご譲位(生前退位)について、明治天皇が希望されていた記事がありました。

https://www.sankei.com/article/20161010-23YHWA4TAFJT3MPWGGHQRM326A/

明治天皇が「女系容認」でいらしたことは、先日、当ブログで取り上げました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-05-24


明治22年の旧皇室典範は譲位不可、男系男子継承で裁定され、明治天皇のご希望された「譲位」、「女系天皇」は採用されず、この2点は、後世に先送りされた「課題」となりました。


例2:昭和天皇

☆☆

1981年(昭和56年)4月17日・報道各社社長との記者会見[165]
[記者] 八十年間の思い出で一番楽しかったことは?
[天皇] 皇太子時代、英国の立憲政治を見て以来、立憲政治を強く守らねばと感じました。しかしそれにこだわりすぎたために戦争を防止することができませんでした。私が自分で決断したのは二回(二・二六事件と第二次世界大戦の終結)でした。
(Wikipedia 昭和天皇)

☆☆


昭和天皇は「自分で決断したのは二回(二・二六事件と第二次世界大戦の終結)でした。」とおっしゃるように、立憲政治(立憲君主のあり方)を厳守されました。

立憲政治を厳守されたために第二次世界大戦を防止できなかったとのお言葉、これも令和の今、心に留めるべき課題ではないかと思います。

「広く会議を興し万機公論に決すべし」。

国会で議論されることは、雲の上のことのように思われますが、そこに留めるのではなく、庶民の間でも多くの人が関心を持って議論することが大切だと思います。

例え意見が対立しても、対立を恐れず、かつ礼を失うことなく、真剣な議論を交わして、相互理解を深めることにより、可能であれば一致点に到達すること、少なくとも納得し合えること。

それこそが、天皇のお気持ち(大御心)に沿うことになるのであり、日本の歴史が物語る「伝統」の一つではないかと思います。

そうやって国民が真剣に考えたこと、それを明治天皇も、昭和天皇も最大限に尊重してくださいました。そのような歴代の天皇の、国民へのご信頼にお答えできる国民の一人でいたいと思います。

戦前は、もっぱら「臣下」、大臣、閣僚、官僚など社会のエリートが、天皇の御信任を実行する主体でしたが、戦後になって、「国民主権」が日本国憲法の精神だと学校で教えられるようになりました、まだまだ建前上かも知れませんが、国民一人一人が主体となって、国家運営を考え、政治に反映できる時代になりました。

私自身は、国民と天皇が一体になった「国家主権」という言葉が、より適切だと思います。

しかし「民主主義」の国、天皇を戴く「立憲君主国」であると同時に「民主主義」でもある国の理想としては、国民全員が智慧を出し合って、天皇と心を一つにして、力を合わせて、よりよい日本の国と築いていく、そのために実のある議論を大切にするということが、必要なのではないでしょうか。 皇統継承のみならず、憲法など他の問題に関しても言えることだと思います。


ネット上の議論はささやかなことですが、「一隅を照らす」という言葉があるように、小さな議論でも、互いに真剣で誠実であれば、そこに深い意味があると思います。

そのような実のある議論を行い、今後も、男系維持派との対話で、たとえ意見が対立しても、対立をおそれずに、日本の国を良くしようとの思いを持つ人々との間で議論が出来ること、少しでも相互理解の助けになれることを祈り、願っております。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、心豊かな一日でありますようお祈り申し上げます。

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男系男子維持派との対話(五)―安定的皇位継承を願って [皇室典範改正]

DSC_161120210601blog.JPG*タイサンボクの花は大きい!*
今日は、なぜ男系男子維持派とネットで対話をするようになったか、また対話の成果について、述べます。
男系男子維持派とネット上で対話したいとの願いが強まり、やっと実現できたのは昨年末のことでした。ネット上とは言え、意見が対立している方々との対話は、かなり勇気が要りました。罵倒を浴びたこともあります(^^;)。

それでも対話できたことにより、大いに得るところがありました。勇気を振るって対話できたことはとてもよかったと思います。今は対話に応じてくださった皆様に、感謝しております。

対話といっても、対面でないネット上の文字だけのやりとりですから、どこまで深い話ができたか分かりません。私が思いのたけを綴ったことについて、何人かの方から、正直なご返事をいただいたという感じです。

その中で、うれしかったのは、女系容認は左翼の人だけが主張していることだと思っていたが、そうでない人もいることが分かったという、ご返事をいただいたことでした。

また、男系維持派との対話の中で、一つの気付きをいただいたことは、大きな収穫でした。

意見の相違があっても、天皇陛下に深い思いを抱いていることは同じであり、対話を試みたことにより、新たなより高い次元のアイディアが私の中に生まれたのだと思います。

その体験は、次のように訪れました。

私の願いは、「一番大事なことは、天皇陛下のお気持ち(大御心)に思いを致すということ」との信念のもと、天皇陛下は女系容認であるのでそのお気持ちをかなえたい、それによって「安定的な皇位継承」を実現したいということです。

それで男系維持派の皆さんに、

『天皇陛下が「女系天皇容認」』だとしても、男系支持を続けるつもりですか?

という質問を投げかけたのです。

それに対して、ある方から、仮定の問いを立てての論法にはそもそも疑問を感じます、とのご返事をいただきました。

さらにその方は、以下に掲げる天皇陛下と、上皇后陛下のお言葉を引用されて、天皇、皇室が国民の叡智に深い信頼を寄せて下さっていることに頭を垂れると述べられました。


☆☆☆

即位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば (令和元年10月22日)

「国民の叡智とたゆみない努力によって,我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和,人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/show/46 

☆☆

皇后陛下お誕生日に際し(平成7年)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答

問4 阪神・淡路大震災,オウム真理教事件など国民を不安に陥れる災害や事件が続きましたが,こうした世の中で皇室が存在する意義や役割についてどのようにお考えですか。

皇后陛下
人の一生と同じく,国の歴史にも喜びの時,苦しみの時があり,そのいずれの時にも国民と共にあることが,陛下の御旨みむねであると思います。陛下が,こうした起伏のある国の過去と現在をお身に負われ,象徴としての日々を生きていらっしゃること,その日々の中で,絶えずご自身の在り方を顧みられつつ,国民の叡智がよき判断を下し,国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが,皇室存在の意義,役割を示しているのではないかと考えます。

https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h07sk.html

☆☆☆


「国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と、仰った天皇陛下

「国民の叡智がよき判断を下し,国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示している」と仰った上皇后さま


この方が述べられた、天皇、皇室が国民の叡智に深い信頼を寄せて下さっているということがずっと心の片隅に残っていて、今回、私が思索をめぐらすきっかけになりました。


最初のご回答、仮定の問いを立てての論法にはそもそも疑問を感じます、とのご意見をいただいたのは、何か月か前のことで、その場では反論しませんでしたが、その後、他の方々と議論を重ねる中で、私の気持ちが固まって参りました。


今の私なら、次のように答えると思います。

私は、万が一、天皇陛下のお気持ち(大御心)が「男子男系を何としても続けてほしい」だとしたら、それを否定せず、今日から、今すぐに、「女系容認」はきれいさっぱり諦めて「男子男系」を維持する方途を必死に考えます。そこに一点の迷いもありません。

仮定の問いを立てられても即答できます。天皇陛下のご叡慮を限りなく信頼申し上げているからです。限りなき信頼は何十年もかけて自分の心の中に築き上げたものですから、決して揺るぎません。

天皇の大御心に沿い奉る、それが私の唯一の願いです。


けれども、その決意とは別に、天皇陛下のお気持ちは、皇統継承の問題についてのみならず、皇室に関わる他の問題についても、国のあり方などについても、国民の間で議論が尽くされ、皇室と日本の国のあり方が、人々の間で、広く深く理解されること、国民の叡智がよき判断を下すこと、国民の意志がよりよきことを志向するよう、祈り続けていらっしゃる、願っていらっしゃるということに、思いが至ったのです。


聖徳太子の憲法十七ヶ条の、第十七条を思い出しました。

(*当ブログでも取り上げています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-08


☆☆☆

「大事をば独り断(さだ)むべからず。かならず、衆(もろもろ)と与(とも)に論(あげつら)ふべし。小事(ちひさきこと)はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆(もろもろ)と共にすべからず。たゞ大事を論(あげつら)ふに逮(およ)びては、もし失(あやまち)有らむことを疑ふ。故に衆と与に相弁(あひわきま)ふるときは、辞(こと)、即ち理(ことわり)を得む」(p111)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社)

☆☆☆

[大意]

大きなことは一人で決めてはいけない。必ず関係者全員で一緒に議論すべきである。小さいことは軽いから、必ずしも全員で議論しなくてもよい。ただ大きなことを議論するときのみ、間違いがないように疑わなければならない。それゆえに全員が一緒になって判別するときに、言葉で決めた事柄は必ず道理を得たものになるだろう。


五か条の御誓文にも次のお言葉があります。

「広く会議を興し、万機公論に決すべし」(五か条の御誓文)


聖徳太子の憲法十七ヶ条の第一条のお言葉も思いおこされます。

「和をもって(とうと)しとなし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」(十七ケ条憲法 第一条)

(*当ブログでだいぶ前に取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2006-12-23


これらは日本の良き伝統であり、「君臨すれど統治せず」の立憲君主のあり方にも通じるところがあります。


「国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ,国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と、仰った天皇陛下

「国民の叡智がよき判断を下し,国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示している」と仰った上皇后さま

いちばん大事なことは「天皇のお気持ちに思いを致す」ということです。天皇のお気持ちが安定的皇位継承であるのはもちろんのことですが、同時に、この問題をきっかけに国民が相互に品位を失うことなく、議論を尽くすことも、天皇のお気持ちであるのではないかと、拝察するに至りました。これは大きな驚きをともなう発見でした。

長くなりましたので、明日、続きを書きます。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとってすばらしい一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:女系天皇
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