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心機一転 [ブログについて]

20220816blogDSC_2135.JPG街中、どこに行ってもサルスベリが目立ちます。落ちていた花をカップに入れたら、一週間くらい色が鮮やか。百日紅の名前にふさわしい、長持ちぶりです。


残暑お見舞い申し上げます。

ブログ更新が滞って、3か月経ちました。公私ともに色々なことがあって、更新できないでいました。

ロシアのウクライナ侵攻、新型コロナのワク後症候群、安倍元総理の銃撃事件、自民党の統一教会との問題発覚。変化の激しい昨今、新しく学ぶことが多すぎて、眼が回りそうです。

様々な問題が噴出する中、問題に真正面から解決に取り組む人々、例えば子供へのワクチン接種に警鐘を鳴らした勇気ある人々の姿に胸を熱くする日々でもありました。

言論の自由が保障されていると思っていたyou tubeが、言論統制を行っていたことも驚きましたが、言論統制にめげずに情報発信を続けた各国のyou tuberの工夫にも、感心しました。

困難なことが起こると、それを切り抜けようと努力する人々が現れる。困難な時代が人物を育てるとも言えます。こうして人類は歴史を積み重ねてきたのでしょう。


コロナ禍、ウクライナ侵攻、統一教会、皇統継承、様々な問題が起こる中で、漫画家小林よしのり氏の存在の大きさが、際立って感じられた日々でもありました。

小林氏が、漫画家だということ、個性が強いことで、今まで何となく控えめに書いてきましたが、私は、小林よしのりという思想家は、日本歴史に必ず残る大人物だと考えています。

小林よしのり氏の漫画は、「ゴーマニズム宣言」連載開始の頃から、ほとんど読んで来たと思います。「オウム真理教」に対峙した頃、薬害エイズ、「戦争論」、「天皇論」どれも、目からウロコが落ちる思いで読んできました。

というと、小林よしのり信者と冷やかされそうですが、盲目的信者ではありません。尊敬する思想家です。小林よしのり氏の主張が、一つ一つ腑に落ちるので、共感しているだけです。

小林よしのり氏が主宰する「ゴー宣ネット道場」の三大目標というのがあります。
https://www.gosen-dojo.com/blog/25460/

「男女双系皇位継承」・「女性の地位向上」・「国民の手による立憲的憲法改正」です。

どれも、心おどる目標です。できる範囲で、加勢して行きたいです。

世の中、色々ありますが、人間として生きていることは、楽しいことです。
今朝、ゴミ捨てに家を出た時、お隣さんの笑顔に心が癒されました。お年を召した方の柔和な笑顔は、仏様のように尊い気がいたしました。

今日から、心機一転、新しい希望を抱いて、日々、明るく楽しく生きて参りたいと思います。
同時に、間違っていると思うことは、これまで通り、率直に発信を続けて参ります。
心に思いをため込まないことは、生きる上で、必要なことですから。

今日も読んでいただき有難うございました。
暑い日が続きますが、どうぞお身体にお気をつけて、お健やかにお過ごしください。


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今年1年ありがとうございました [ブログについて]

DSC_197920211231blog.JPG今年1年、私の拙いブログを読んでいただき、感謝に堪えません。本当にありがとうございました。

新型コロナウィルス感染症の問題など、色々なことのあった1年でした。来年の、早期の収束を祈ります。

皇室に関しては、来年こそ安定的な皇位継承に向けた具体的な方策が決まることを願っています。そのために出来るところで、努力を続けたいと思います。

「愛子さま 皇太子への道」サイトでは、【参加型企画】として、愛子さまを想う絵馬&愛子さま宛の年賀状を募集しています。よろしかったら、ご参加ください。

https://aiko-sama.com/archives/9019


皆様、どうぞ、それぞれよいお年をお迎えくださいませ。来年もよろしくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
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この9か月間を振り返る [ブログについて]

PICT113320210806blog.JPGいつも私のブログを読んでくださっている皆様、有難うございます。しばらくお休みしていてすみませんでした。

休んでいる間に、昨年の11月以来、ブログの振り返りをしていないことに気がつきました。時々、立ち止まって振り返ることは、大切だと思います。

昔の手帳を整理していたら、三島由紀夫の『葉隠れ入門』から書き出したとする、以下のメモを発見しました。


一人の人間の生き方

1、 目前の事を為す。

2、 十五年先の事を考えて行動の布石を打つ。


私は1、に手いっぱいです。「十五年先の事を考えて行動の布石を打つ」のは、難しいことだと思います。


日本の将来全般の十五年先を考えるのは困難ですが、皇室について、今のままでは大変なことになるというのも、打つべき布石も分かっていると、自負しています。

十五年先を考えて打つべき最大の布石は「皇位の安定的継承のための皇室典範改正」です。
女性天皇とそのお子様が皇位継承できるように典範を改正することは、早急に実現しなくてはならない課題です。

昨年の11月以来を振り返りますと、この課題に関して公には、政府による「有識者会議」が設置され、ようやく検討がはじめられたことが挙げられます。しかし「有識者会議」は政府にとって問題先送りの口実に過ぎなかったようで、何ら本質的な進展はありません。

まだまだ課題解決の努力が必要です。心ある皆様のお力をぜひお借りしたいと思います。


昨年11月以降の期間の、私個人のささやかな成果は、「男系維持派との対話」を開始したことでした。

対話といっても、直接対面ではなく、男系維持派が主流である某掲示板に「道場破り」の浪人気分になって、ハンドルネーム(匿名)で意見を書きこみ、彼らの反論に答えたというだけのことです。最初の投稿は昨年の12月のことでした。

反対派の掲示板に投稿することは、たとえ匿名でも、気の小さい(?)私にとって大変なプレッシャーがあり、かなり疲れる作業でした。しかし、そこから得たものは大きかったと思います。

ネトウヨ的な保守派の集まる掲示板ですから、最初に「女系容認派は左翼だ」といわれてしまいました。その他、罵倒も浴びましたが内容はもう忘れました。

それで、自分は左翼ではない、古代史の泰斗田中卓氏、その師の平泉澄(きよし)氏〔物語日本史の著者〕のご著書をこよなく愛する者であるとの説明を駆使し、根気よく対話を続けました。

その掲示板は、掲示板の目的である「愛国思想」に反する投稿は削除すると書かれていたので、いつ削除されるかとひやひやしながら、気を使っての投稿でもありました。

冷やかしや罵倒は別にして、真剣に対話に応じてくれたのは2人でした。

対話の最後に、そのうち一人から、

○女系天皇容認を主張するのは左翼だけだと思っていたが、そうでない人もいるのが分かりました、

と言われたのは、望外の喜びでした。

もう一人からは、

○あなたのように真剣にものを考えている人にこれ以上言うことは無いので勉強し直します、

と言っていただきました。親切で誠実な方でした。

異なった意見の人々と接点を見つけて説明するのは、疲れる作業ですが、思い切って対話してよかった、対話の甲斐があったと思いました。


それ以後は、私がいつも投稿している中立的な別の掲示板で、先の掲示板と同じ「愛国思想」に共鳴している男系派常連さんから、時々質問されるので、そのつど回答しています。

彼らが質問する、私が詳しく説明をする、最後は相手が沈黙するというパターンになっているので、彼らも私の説明にそれなりに納得してくれているのだと解釈しています。


掲示板の対話では、感情的にならないで、事実を淡々と述べることを心がけています。それでも頭に血が上って、感情に走ることがありますが、そうなると別の人が仲裁に入ってくれるのも有り難いことです。

男系派常連さんの質問は、私の学習と思考を深めてくれるので、最近は彼らの存在が有り難いと思う時があります。問題を持ち込む人は、私の問題解決能力を鍛えるために、わざわざそういう役割を背負って目の前に現れるのだと前向きに解釈すれば、感謝するしかありません。彼らも真実を知りたいのだと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
暑い日が続きます。皆様お身体を大切になさって、夏を乗り切ってください。

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天皇の御歌に親しむ(2) [ブログについて]

DSC_0780どんぐり20201104blog.JPG昨日の続きで御製と和歌について、『歴代天皇の御歌』の「編集ノート」から、学びます。

ここに「和歌を詠む」ことは「やむにやまれぬ思ひを発露させるための大切なてだて」であり、「和歌を詠む」ことが、「日本人の誰もが践むことのできる道」と書かれていました。

和歌を詠むのは、日本語を書く人なら誰でもできます。それが道、歌道でもあるということですね。「和歌の前に平等」という言葉があります。新年の宮中の歌会始はそうです。国民の誰もが応募することができます。私はまだ応募したことはありませんが、お正月に中継を見られる時はできるだけ見ています。楽しみにしています。

昨日はこの言葉のお薦めに従い、3首ほど、和歌を詠んでみました。言葉を選ぶのが楽しかったです。

「編集ノート」、正確なタイトルは「編集にあたってのいくつかのノート」ですが、そこに次のような内容が書かれています。

天皇の皇位は、初代・神武天皇から昭和天皇まで124代にわたって継承されています。(出版当時の昭和48年のことです。令和2年、現在は126代です)

重祚(お一人が皇位に2回つかれること)が2度あるので、御人数は122人(令和2年現在は124人)、女性の天皇は8方おられます。このほか北朝の皇位が5代続いていて、「歴代外」とお呼びしています。「歴代外」の天皇方も、皇室の皇統譜に登録されています。

皇統譜(こうとうふ):天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿

歴代・歴代外あわせて127人(現代では129人)の天皇方がおられます。そのうち、20人の方々の御製は今日に伝わっていないので、107人(現代は109人)の方々の御製が今日まで伝わっています。

『歴代天皇の御歌』には、91人の方々の御製が集録されています。

この説明の後に、次の通り、書かれています。

☆☆☆

“わが日本に皇室が連綿として続いてゐることと、右のこととが、いったいどういふ関連性を持ってゐるかについては、軽々に論じ得ないが、せめて次のことだけはここに記しておきたいと思ふ。

日本最古の和歌としては、タケハヤスサノヲノミコトの

「八雲立つ 出雲八重垣 妻隱みに 八重垣つくる その八重垣を」(『古事記』・上巻)

の御歌があり、古くから五・七・五・七・七の句節をもった三十一文字(みそひともじ)といふ短歌形式が、日本に伝へられてきた。「古今和歌集」の編者の一人紀貫之(きのつらゆき)も、その「序文」にこのことに触れて

「やまとうた(和歌)は、人のこゝろ(心)を たね(種)として、よろづの こと(言)のは(葉)とぞ なれりける。 世中(よのなか)にある人、こと(事)わざ(業) しげ(繁)きものなれば、心におもふことを、み(見)るもの き(聞)くものに つけて、いひ(言)いだ(出)せるなり。花になく うぐひす、水にす(住)む かはづ(蛙)のこゑ(声)を き(聞)けば、いきとしい(生)けるもの、いづれか うた(和歌)を よ(詠)まざりける。 ちから(力)をも い(入)れずして、あめ(天)つち(地)をうごかし、めにみえぬ おに(鬼)神も あはれと おも(思)はせ、 おとこ(男)をむな(女)の なかをもやは(和らげ)、たけ(猛)き ものゝふ(武士)の心をも なぐさむるは うた(和歌)なり。」

と和歌とわが国民との深いつながりについて、懇切な説明をしてゐる。“ 

(p6)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

連綿:伸びる綿のように細くも長々と続く様

スサノオノミコトの和歌の解釈です。

「多くの雲が幾重にも重なって立ち上がる、めでたい出雲の地に、妻をこもらせるための新居をつくったよ、この新居を」

八重垣は、多くの垣根をめぐらすという解釈もありますが、必ずしもそうではなく、「新居」とシンプルに解釈している例がありましたので、そちらにしてみました。有名な和歌なので、色々な解釈があるようです。何しろ、日本最古の和歌ですから。

いずれにしましても、スサノオノミコトの、それこそ言葉にできないくらいのはじけるような、素直なよろこびが、何回も繰り返される「八重垣」にあらわされていると思います。

「貴子流離譚」という言葉があります。尊い身分に生まれた人が、故郷を離れ、諸国を放浪して、失敗や様々な困難に遭いながら、最後には、その困難を克服して幸せになるという話で、私の好きな話です。古代の、スサノオノミコトの伝承は、それを余すところなく、伝えています。

紀貫之の言葉も有名なので、知っている人も多いかと思います。

「和歌」は、人の心を種として、幾万の言葉となって、展開しているものである。世の中には、色々な事、色々な行いが、繁雑にあるものだが、心に思うことを、見るもの、聴くもの、何でも言葉に出すことで、ところを得させて、整えることができる。(梅の)花に鳴くウグイスも、池の水に住む蛙の声も、耳を傾けるなら、生きとし、生けるもの、すべてが和歌を詠んでいるではないか。力むこともなく、天を、地を動かし、目に見えない鬼神にも、あわれを、しみじみ心に染みる感動を、思わせ、男と女の中も和やかにして、勇猛な武士の心も慰めて安らかにするものが、和歌である」

だいぶ言葉を足した、私流の解釈です。どうぞ、ご了承ください。

「ウグイスも、蛙も、生きとし、生けるもののすべてが、和歌を詠んでいる」
なんてすてきな言葉でしょう! 

私の好きな、やなせたかしさんの歌では、「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」とありますが、虫も、きれいな声が出せる虫も、そうでない虫も、歌を歌っているのでしょう。草も花も、声は出せないけれども、人間が声をかけると、いっそうきれいな花を咲かせてくれます。そんなことも思います。

それらの生き物と人間が、通い合う心を歌に詠むこと、それは誰にとっても、無条件に楽しいことなのだと思います。

力を入れないでも、天地が動く、肉眼に見えない鬼神も感動する。さりげなく書かれていますが、天地が動くとは、驚くようなスケールの大きさですね。

雨乞いの歌、また源実朝の雨がやむようにとの和歌が思いおこされます。昭和天皇の頃は、「天皇晴れ」と言われましたが、外遊の時など行幸の先々で晴が続くことがよく聞かれました。舒明天皇の「国誉め」の和歌もあります。天地が和歌に感応するという、スケールの大きさに圧倒されます。

肉眼に見えない鬼神も、和歌で同じ感動を覚えて、心を鎮めるということも、考えて見たら、すごいことですね。男と女の仲も、ちょっとした言葉、真実の愛が込められた言葉で和らげられます。戦闘で荒んだ武士の心も、和歌によって慰められ、心の傷が癒されることも、紀貫之の体験に根差していることと思います。戦場に出た人も、社会生活で闘争に疲れた人も、音楽や歌に心が癒されるように、和歌で心が癒されるのではないでしょうか。

前回引用した部分に「編集にあたってのいくつかのノート」は、今日引用した部分の続きで、一続きの文章でした。

今日も読んでいただき有難うございました。

今日も素晴らしい一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:皇室
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天皇の御歌に親しむ [ブログについて]

DSC_0781コスモス20201102blog.JPG
ブログの第一の目標を「天皇陛下のことを気楽に話題にできるようにしたい」と書きましたが、その「よすが」として、なぜ「天皇の御歌(御製)」を学ぶことにしたのか、そのことを少し詳しく書いてみたいと思います。

天皇陛下のことを話題にするときに、一つの落とし穴があります。

それは、自己顕示欲のために、もしくは自分の属するグループを宣伝するために、天皇陛下の話題を利用するという落とし穴です。自分がそういう失敗をしてきたので、そのことを深く反省しています。

また、学問的に天皇陛下のことを調べると、とかく観念論に陥りがちです。ことに、天皇陛下についての意見が自分と対立する人との議論になると、互いに、理屈だけではなかなか納得できず、つい感情的になりがちです。皇室典範改正の問題について人と話すとき、そのことが感じられます。

そういうときに、天皇陛下の御歌(御製)を拝すると、一定の品位が保てるように思います。天皇陛下の御心に照らして、自分の言葉遣いを反省することができ、ことの本質に迫った会話ができます。

それは、天皇陛下御自身が、深い御内省の元に、心の真実を和歌の形で詠われているからだと思います。このことは『歴代天皇の御歌』の「編集ノート」に、次のように書かれています。


☆☆☆

“今日では、「和歌」は一種の趣味的な教養のひとつに考へられがちであるのに対して、古代からの日本人は(歴代の天皇がたは率先されてそれをなされたのであるが)、「和歌を詠む」といふそのことをもって、「やむにやまれぬ思ひを発露させるための大切なてだて」と受けとめ、「和歌を詠む」ことが、とりもなほさず「人の践(ふ)むべき道」「日本人の誰もが践むことのできる道」と理解してきたやうである。
ふりかへって考えて見ると、「自己の心のうちに生まれた感動」を、喜びにつけ、悲しみにつけ、また憤(いきどほ)りにつけ、それらをありのまゝに素直な〝ことば〟で、五・七・五・七・七の三十一文字の中に詠みあげるといることは、さう簡単に出来ることではない。まづ第一には、素材となる〝心の感動〟が生まれないやうな弛緩した生活からは、まともな和歌は決して生まれて来ない。そのうへ、心の中の感動を〝ことば〟に表現すると言っても、それを〝虚飾無く言ひ表す〟といふことは、さらにむづかしいことで、よほど虚心坦懐な心境に立たなくては、容易にできることではない。それは〝我を他人に良く見せよう〟とし勝ちな信条とはまさに正反対の努力を必要とするからである。
 このこと一つ考へてみても、わが歴代の天皇がたが、この「和歌」の御修業をその御生涯を通じて、かくも熱心にご努力された。といふことは、とりもなほさず、天皇が、その御主観が独善化しがちなことをきびしく御自省なされ、万人にかよふやうな広く豊かな御心をお持ち続けなさらう、と目指され、〝私心〟を離れるために絶大な御努力を一貫して受け継いで来られたことを意味するであらう。“
(p7)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

古代からの日本人は和歌を詠むことを「やむにやまれぬ思ひを発露させるための大切なてだて」と受け止め、和歌を詠むことが「日本人の誰もが践(ふ)むことのできる道」と理解してきたようです。

践(ふ)む:守り行う

「ふむ」には色々な意味がありますが、この場合「守り行う」がいちばんふさわしいと思います。


生きていると、自分の感情の微妙な動きを、ありのままに表現できない場面がたくさんあります。悲しみや憤りが心の中にたまって、憂鬱になることもあります。「やむにやまれぬ思い」を閉じ込めなければならないときがあります。喜びでも、感動でも、日常の言葉では十分に表しきれないことがあります。

それらの「やむにやまれぬ思い」は、日常の言葉に出来なくても、和歌に詠うことならできます。

ふつうの文章でそういう思いを書きつらねることや、冥想などで、心の内を見つめ直すこともできるでしょう。しかし、和歌に詠うことによって、よりいっそう「腑に落ちる」形に、できる気がします。

「やむにやまれぬ思い」を何回も自分の中で反芻し、その思いに即した言葉を選び、書き留めて、心の中をありありと見つめ直すことができます。自然の山野、風雨、植物、虫などに、その思いを託すこともできます。

歴代の天皇がたは「やむにやまれぬ思い」を言葉に託すこと、和歌を詠むことを、御修業とされました。それは、「自分をよく見せよう」という思いをなくして虚心坦懐な心境に立ち、主観が「独善化しがちなことを自省」して、「万人にかよう」広く豊かな心を持ち続けるという、厳しい道です。

天皇陛下のように、和歌を詠むことを通して修業することは難しいかも知れませんが、天皇が詠まれた和歌を学ぶことで、少しでも当時の天皇の御心に近づくことなら、誰でも出来るのではないかと思いました。

そこで、歴代の天皇が詠まれた御歌を読むことを続けてみよう、それを人に勧める前に「自分から始めよう」と思い立ちました。

予想以上に、それは楽しい作業でした。天皇陛下の御歌を写し、分からない言葉の意味を調べて、自分なりに解釈して説明を考えて書きとどめるのは。夢中で過ごした3か月余りでした。

それぞれの天皇が果たされた御事績も、少しずつですが、学ぶことができて、天皇が生きて来られた時代に、これまでよりずっと、親しみを感じられるようになりました。

天皇の喜び、悲しみ、天皇としての御覚悟を、御歌(御製)を通して学ぶことを選んで、ほんとうによかったと思いました。美しいお言葉に日々触れられる幸せをしみじみとかみしめています。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって、今日も明日も、さわやかな日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:御歌 天皇 皇室
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この3か月をふりかえって(2) [ブログについて]

DSC_0665朝顔20201101blog.JPG
雨上がりの朝顔です。
左下に朝顔の種もでき始めています。
生命は、来年にそなえています。





前回の「この3か月をふりかえって」を読み返して、肝心な目標を書いていなかったことに気が付きました。


【目標】その3

「皇位の安定的継承」について考える。

これはブログの期間限定的なテーマです。

【目標】その2の「女性天皇・女系天皇について理解を深める」は、どちらかといえば、【目標】その3の基礎知識を得るための中間的目標であり、【目標】その3をその2に変えてもよいくらいです。


そもそも、皇位の継承のあり方は、天皇陛下のご意向をそのまま実行することがいちばん望ましいことだと思います。戦前の旧皇室典範は「皇室の家法」という位置づけで、大日本帝国憲法と同格の法規とみなされていました。天皇のお心が皇室のあり方に直接、反映される形になっていて、天皇がお決めになることができました。 

旧皇室典範の改正又は増補は、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされ(旧皇室典範第62条)、この手続きに「帝国議会の協賛又は議決」は要しないとされていました。

皇族会議:かつて存在した国の機関である。日本の皇室に関する重要な事項を合議するために、天皇親臨のもと、成年男子皇族によって構成されていた。

枢密顧問(すうみつこもん):大日本帝国憲法の第56条に定められた重要な国務に関して天皇に意見を述べる職。 枢密院の構成員

*枢密院:枢密顧問(顧問官)により組織される天皇の諮問機関。憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれた。1888年(明治21年)創設、1947年(昭和22年)5月2日、翌日の日本国憲法施行に伴い廃止。

諮詢(しじゅん):参考として他の機関などに意見を問い求めること。諮問。

勅定(ちょくじょう):天子がみずから定めたこと。また、天子の命令。勅命。


皇族会議、枢密顧問の意見を問うて求めますが、天皇ご自身が、結論をお決めになる事が出来ました。

天皇ご自身のご家系の跡継ぎのことなのですから、天皇家の歴史も諸事情も、いちばんよく知っておられる天皇がお決めになるのは、当たり前のことだと思います。


しかし、日本国憲法制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向により、皇室典範の改正は国会の議決で行われることにより、皇室の制度そのものに国民の民意が国会を通じて関与することとなりました。つまり、時の政権と、現政権に一票を投じた国民の意向なしでは、決められないことになっています。


戦前は、国民が黙っていても、皇室の存続は「お上」(天皇陛下)が、決めることができたのですが、戦後は、国民が黙っていて、皇室の存続について、積極的に意思表明しなければ、消滅してしまう恐れさえあると言えます。今まさに、その危機に直面していると言っても過言ではありません。

悲観的なことは申し上げたくないのですが、「皇位の安定的継承」を確実にする期限がせまっています。

悠仁様がいらっしゃるから、その代までは安心と思う人があるかも知れません。しかし、畏れ多いことですが、悠仁さまがつつがなく即位されても、その時、各宮家には、同世代の皇族、悠仁さまより年の若い皇族が一人もいらっしゃらない可能性さえ、否定できません。そのような心細い状態になることが目に見えているのに、手をこまねいて、何もせずにいても、よいのでしょうか。

国民の大多数は、女性天皇に賛成し、女系天皇も70%以上が容認しています。その方向での皇室典範改正を、向こう1年以内に実現してほしいと、切望しております。そのために出来るところで、国民として、意見表明をしてまいります。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、幸多い一日でありますよう、お祈り申し上げます。


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この3か月を振り返って [ブログについて]

DSC_0638朝顔紫20201010blog.JPGブログを再開して約3か月と3週間、経ちました。
その期間について、振り返ってみたいと思います。

ブログ再開の時、目標を立てました。
天皇陛下のことを気楽に話題にできるようにしたいということと、安定的な皇統継承のため、皇室典範改正について考えたいというのが目標でした。

天皇の御製(御歌)を糧にして、これらの目標に近づきたいと思って、再開したブログでした。

どこまで、その目標に近づけたでしょうか。


【目標】その1

天皇陛下のことを気楽に話題にするという目標ですが、ブログを読み返すと、何だか固い内容になっているという気がします。尊敬の念を失わずに、天皇陛下・皇室に誰もが親しめるような文章にするのが、今後の課題です。

天皇陛下のことを友達に話すと「変な人」に見られるという声を聞いたことがあります。ちょっと残念な思いです。「変な人」に見られない日本に早くなってほしいと思います。

昨日、皇室カレンダーを購入しました。小さなお店ですが、そこの御主人(たぶん戦前生まれ)に、私が「毎年カレンダーを買っている」と話したら、実に嬉しそうに「家に帰ったら巻いてあるカレンダーをすぐに開いて、所定の場所にかけてください。巻いたままだとクセがつくから」と、何回も説明してくださいました。(ここにも、素直に天皇陛下と御皇室を尊敬している方がある)と、嬉しくなりました(^^)

この御主人のように、素直な自然な形で、天皇陛下と御皇室のことを、気楽に話題に出来ると良いなと思います。何も特別なことではないのに、ついかまえてしまうのは、敗戦の後遺症なのでしょうか。そのために、無理せず、気を長くして語っていこうと思います。

多くの日本人が、天皇陛下を「敬して遠ざける」のではなく、「敬して親しむ」となるのが、第1の目標です。

私のように学者でも何でもない、一人のアマチュアが、天皇への親しみと敬意をこめて、色々と思うところ、気が付いたことを書いていくことに、意味があると思います。

「なんだ、この程度のシロウトがいろいろ書いているのだから、自分も思ったことを、気楽に、話したり書いたりしてみようかな」と思う人が、もっと増えてほしいと思います。


【目標】その2

2番目に、心に決めていた目標は、歴史上の8人・10代の女性天皇とその御父君、夫君など、女性天皇に近縁の天皇の御製(御歌)を学ぶことを通して、女性天皇・女系天皇について理解を深めることでした。


8人・10代の女性天皇は以下の通りです。

第33代・推古天皇
近縁の皇太子:聖徳太子

第35代・皇極天皇・第37代・斉明天皇(重祚)
近縁の天皇:天智天皇

第41代・持統天皇
近縁の天皇:天武天皇

第43代・元明天皇

第44代・元正天皇

第46代・孝謙天皇・第48代・稱徳天皇(重祚)
近縁の天皇:聖武天皇、淳仁天皇

第109代・明正天皇(御歌は残されていない)
近縁の天皇:後水尾天皇

第147代・後櫻町天皇
近縁の天皇:後桃園天皇

8人・10代の女性天皇が果たされたお役目のアウトラインを学び、御歌を通して、自分なりにそのお心の一端に触れることができたと思います。

御歌と御経歴を学んだことで、気付いたことが何点かあります。

1、皇位継承に当り、近代では直系優先が重視され、第119代・光格天皇以来、今上天皇まで、直系継承が続いている。(直系=父から子への継承、傍系継承=兄から弟への継承)
2、 皇位継承においては、父方が天皇であるということだけが重視されていたのではない。母方が天皇であることも重視されていた。
3、 女性天皇は、歴史上重要な役目を果たされていた(単なる「中継ぎ」のお役目ではない)。

それぞれの項目ごとに、今後も、少しずつ書いて行きたいと思います。


【当ブログ宛のコメントについて】

筆者は、アマチュアなので、勘違いや、事実の間違いがあると思います。気が付いた方は、ご遠慮なく、コメントをお寄せください。ご意見、ご感想も歓迎いたします。

コメントは筆者が承認しなければ公表されないように設定されています。できるだけ公表するつもりですが、筆者の判断で公表を控えさせていただく場合がありますので、その点は、どうぞご了承ください。

公表を希望しないけれども、筆者宛てにご意見を述べたい場合は、公表されたくない旨を明記して、メールを出すつもりで、コメントを下さい。その場合、コメントは公表いたしません。


今日も読んでいただき有難うございました。

皆様にとって良い一日でありますようお祈り申し上げます。


タグ:皇室
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ブログ再開の理由―14年前を振り返って [ブログについて]

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仕事でも趣味でも、時々振り返ることは、大切なことです。今日はこのブログ開設の理由と先月から熱心に再開(更新)し始めた理由を振り返りたいと思います。


このブログは、2006年11月にスタートしました。こんなに息の長いブログも珍しいでしょう。


先月再開を決めたとき、新しいブログを立ち上げることも考えました。が、これまで過去の文章を読んでいただいた皆様のことを思い継続することにしました。


14年前、ブログ開設の時、以下のように書きました。

「昔も今も変わらないひとの思いやり、自然を敬う心、そんな心の表現は、さまざまな形で、いまも、いたるところに、見つけることができます。
そんな、心あたたまることやものを、さがして、 書いてみようと思います。」
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2006-11-30


昔の人々に思いをはせることは、両親に感謝すること、先祖に感謝すること、天皇陛下に感謝することにつながります。両親、先祖、天皇に感謝することは、生長の家から学びました。ブログ開設当初は生長の家を伝えたい気持ちもありましたが、今はその枠組みを意識しないで、自由に心のままに綴っていきたいです。


日本の今の喫緊の課題は、「安定的皇統継承」のための「皇室典範改正」です。愛子さまに皇太子になっていただきたいというのは、私が10年以上、熱願していたことでもあります。
それもブログ再開の引き金になっています。

世の中には口では「天皇はすばらしい」と言いながら現在の皇室の皆様の思いを理解しようとせずに、天皇の願いを閉ざす「男系男子の継承」に固執する一群の人々がいます。安倍政権のブレーンでもある彼らは「皇室典範」改正を20年も30年も先延ばしにしようと画策しているようです。

なぜそうなってしまうのか。彼らは日本の歴史を学んでいないし、歴史の中を貫いてきた天皇の祈りも、表面的なことは勉強したかも知れないが、真のお心を少しも分かっていないことが原因ではないかと思います。

私は35年前おこがましくも「天皇陛下のエキスパートになる」と決意しました。それから、「皇室」のグラフを毎月購入し、明治天皇の御製を読み、天皇の記者会見その他のお言葉を必ず読むなど、天皇の御言葉に日々接する私なりの努力を払ってきました。

自慢話をしたいわけではありません。単なる素人のオタクです。

しかし歴代天皇を日本史全体と通して、学んだことはありませんでした。皇室を知るには、天皇御自らが書かれた「お言葉」そのものを味わい、そこから伝わってくるものを自分の感性で受け止めることが、最良の道だと思っています。それで前々から手元にあった『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』をテキストにして文章を書くことを思い立ちました。

この作業によって「皇室は日本国の宝物である」という信念を強めて参りたいと思います。


戦前生まれの父母、叔父、叔母たちは皇室を尊敬しながら同時に自分の親戚に近いような親しみを持っているように思えます。皇室の方の口真似をしたり、気楽に話題にのせていました。

戦後に生まれた人々はどうしても皇室に心の隔たりを覚え、話題にすることに抵抗があるようです。尊敬は必要ですがもっと隔たりを外して気楽に話題にできる空気があってもよいのではないかと思います。

故高円宮憲仁(のりひと)殿下が、「良いことでも悪いことでも皇室を話題にしてほしい。無関心が一番よくない」と言われた言葉が強く心に残っています。「皇室制度は不要という議論をしてもらってもかまわない」とも言っておられたと思います。不要は極端な例で、私は「皇室は絶対に必要」と思っていますが、それでも「無関心よりましだ」との故高円宮殿下のお言葉は皇室を語る時の私の支えになっています。

皇室が国民の間でもっとのびのびと語られるようになると良いと思い、このブログが少しでもそのお役に立てればと願っています。

いにしへの 人の心を たずねれば ほのかにともる やまと言の葉

                          By たると


今日も読んでいただき有難うございました。

皆様にとって今日が心豊かな一日でありますようお祈り申し上げます。

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ブログ開設します [ブログについて]

今から五万年前のネアンデルタール人が、
人を弔うとき、その墓に一面の花を敷き詰めた
といいます。

そんな昔の人が、今の人々と同じように花を美しく思い、
またその美しい花を、死者に供えるという愛の思いを
持っていたことを知り、なんだか、とてもうれしく、
心があたたかくなりました。

昔も今も変わらないひとの思いやり、自然を敬う心、
そんな心の表現は、さまざまな形で、いまも、
いたるところに、見つけることができます。

そんな、心あたたまることやものを、さがして、
書いてみようと思います。
それ以外にも、日々のいろいろな思いをつづり、
明日を生きる元気のきっかけにできたら、うれしい。

そんな思いでブログを開設しました。

参考文献:『日本画から世界画へ』美術年鑑社、千住博著


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