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大事を決めるときは議論を尽くそう―憲法十七ヶ条(2) [聖徳太子]

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推古天皇の御代、摂政に
任ぜられた聖徳太子。

太子の御事績の中でも
憲法十七ヶ条は、
スゴイと思います。

今の世につながる
ことが盛りだくさん。




今日は憲法十七ヶ条の最後の条、第十七条を学びたいと思います。


☆☆☆

「大事をば独り断(さだ)むべからず。かならず、衆(もろもろ)と与(とも)に論(あげつら)ふべし。小事(ちひさきこと)はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆(もろもろ)と共にすべからず。たゞ大事を論(あげつら)ふに逮(およ)びては、もし失(あやまち)有らむことを疑ふ。故に衆と与に相弁(あひわきま)ふるときは、辞(こと)、即ち理(ことわり)を得む」(p111)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社)

☆☆☆


〔ふりがな〕(一部、現代仮名遣いに直し、読みやすいように、字間を空けました。
by「たると」)

だいじをば ひとりさだむべからず。かならず、もろもろと ともにあげつらうべし。
ちいさきことは これかろし。 かならずしも もろもろと ともにすべからず。
ただ だいじをあげつらふにおよびては、もしあやまちあらんことを うたがう。
ゆえにもろもろと ともにあいわきまうるときは、こと、すなわち ことわりをえん。

論う:(善い悪いを)議論する

衆(もろもろ):すべての人々、多くの人々

弁(わきま)ふる:判別する

辞(こと):言葉、言語

理(ことわり):道理、筋道


大きなことは一人で決めてはいけない。必ず関係者全員で一緒に議論すべきである。小さいことは軽いから、必ずしも全員で議論しなくてもよい。ただ大きなことを議論するときのみ、間違いがないように疑わなければならない。それゆえに全員が一緒になって判別するときに、言葉で決めた事柄は必ず道理を得たものになるだろう。

特別難しい言葉は無いと思います。 国政を司る人々にとって、大きなことは必ず衆議を、善い点も悪い点も議論しつくしてこそ、道理にかなった結論に到達することができるとの、当然の心構えが説かれています。

しかし、現代に当てはめて、国会がどうなっているかと見渡すと、集団的自衛権、共謀罪などの政権による強権的な決定など、衆議を尽くしていない例があることが気にかかります。


身近なことでも関係者が一堂に会して「衆議を尽くした」時に、「腑に落ちる」という感じで、ふっと結論が出るときがあり、そこまで議論しつくすと何事でもスッキリしますし、スムーズに実行されます。

そこまで至らずに、議論不足のまま一部の人の独断やゴリ押しで決められてしまうと、構成員の「やる気」がそがれて、結局、やり直しや中止に追い込まれることが多いのは、結論が「理」にかなわなかったからでしょう。

このことが1400年前の聖徳太子によって既に明らかに示されていることがスゴイと思いました。

今日もよんでいただき、有難うございました。

今日一日が皆様にとってスッキリした一日になりますように。

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