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天皇の御歌(51)―第122代・明治天皇 [明治天皇]

PICT0324青空20201105blog.JPGちょっと遅くなりましたが、11月3日の文化の日(戦前は明治節)に関連して、明治天皇の御歌を学びます。

御在世:1851~1912(崩御・61歳)
御在位:1867~1912(16歳~61歳)



「明治節」という歌があります。戦前生まれの母はこの歌が大好きで、私も一緒に歌います。歌詞は格調高く、メロディーは美しく、母が好きになるのはよく分かります。

戦後は、戦争と結び付けられて歌われなくなってしまったようですが、もったいないことです。長い歴史のスパンで見れば、明治天皇の御代は日本の転換期で大きな飛躍の時代でもありました。第二次大戦は痛切な悲しみの出来事で、反省すべき点も多々あり、あのような戦争が2度と繰り返されないことは肝要なことです。けれどもそのことと、明治時代が先人の切実な苦難と努力の時代であったことをしのぶことが、両立できないことはないと思います。「明治節」の歌も、歴史をしのぶよすがとして、歌われる機会があってもよいのではないでしょうか。

明治天皇は御生涯に9万2千32首の御歌(御製)を詠まれました。驚異的な数です。それだけ明治が凝縮された時代であったことと思います。


☆☆☆

“折にふれて

さまざまの うきふしをへて 呉竹(くれたけ)の
よにすぐれたる 人とこそなれ

うきふし―つらいこと、
へて―経て
呉竹―世(よ)にかかる枕詞
よ―竹の節と節との間(よ)と世間とにかけた用語。

竹の幹(みき)が多くの節(ふし)を持って、どんな風雪にも耐えられるように、人はさまざまの艱難辛苦(かんなんしんく)を凌(しの)いで、はじめて世の中に優れた人となるのです。”(pp22~23)


“折にふれて

世の中の ひとにおくれを とりぬべし
すすまむときに 進まざりせば

折にふれて―その場、その時に応じて、
おくれ―……よりあとになる、とりのこされる
とりぬべし―とってしまうはずである

世の中は日進月歩(にっしんげっぽ)で、絶えず進歩しています。もしも日ごろの努力を怠ると、進むべき時に進まれず、世間から取り残されてしまいましょう。”(pp24~25)


“天

あさみどり 澄みわたりたる 大空の
広きをおのが こころもとがな

あさみどり―うすい緑色

おのが―自分、自分の心

がな―希望の意をあらわす

あさみどり色に晴れて澄みわたった大空のように、広い大きな心を、お互の心として、日々の生活に励みたいものです。”(pp40~41)

『大御心 明治天皇御製 教育勅語 謹解』明治神宮社務所)

☆☆☆

第3首目を詠まれたのは、明治37年―1904年―御年53歳ですが、他の2首については、いつ詠まれたのか、手持ちの本では分かりませんでした。

それぞれに解釈が付されていますから、感想だけ述べさせていただきます。

1首目の感想
「呉竹」は、第117代・後桜町天皇も詠まれていました。明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御歌にもあります。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-07-20

昭憲皇太后は素直な心を詠まれましたが、呉竹は、節(ふし)という苦難をのりこえる心でもあります。素直に努力することが、人生で次々に現れる苦難を乗り越える道でもあるのでしょう。それを乗り越えたとき、“艱難汝を玉にす”とのことわざのとおり、ほんとうの意味ですぐれた人になれるというお言葉から、御心労の多かった明治天皇の、どんな困難も乗り越えてこそ人格が磨かれるとの、強い御心が感じられます。強く生きようという勇気を与えられる御製です。

2首目の感想
「おくれをとる」を、最初は人類の進歩、科学技術などのことと思っていましたが、今読み返すとそれだけではなく、文化や伝統、生活習慣なども含まれることに気が付きました。

 天皇陛下は、伝統の守り手でありながら、科学技術でも、生活習慣でも、変えるべきと思われたら、先頭に立って新しいものを取り入れて来られました。生活習慣では、髪型、洋装、肉食の導入など、率先して洋風を取り入れられました。その御姿勢が、当時の日本に必要だった、急速な近代化と国際化を促したと思います。

生活習慣では、有史以来、続いてきた一夫多妻の慣習を廃止して、一夫一婦制に改められた昭和天皇の御英断が思われます。皇室における皇族や華族からお后を迎える慣習を止めて、一般庶民からお后(正妻)を迎えられた上皇陛下、その革新の延長線上に、女性天皇、男系男子に限定しない女性宮家創設があると思えます。

伝統を継承しつつ、時代とともに新しいことも躊躇することなく取り入れる斬新さ、それが皇室の特色であり、それがあったればこそ、2600年以上、絶えることなく続いてきたのだと思います。

進むべき時は、思い切って進まなくてはならない、そういう御製です。


3首目の感想
なんともいえないさわやかな御製ですが、このたびは、日露戦争開戦の年に詠まれたこと御製であることに思いをいたし、心打たれました。日本の存亡をかけた大きな戦争が始まった年に、このような御心を持っておられたことを、心に留めたいと思います。

“四海同胞
よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ“

は、よく知られた、明治天皇の御歌ですが、やはり明治37年の御歌です。この御製を拝誦し、世の中の種々の争い事を見聞きしますと、明治陛下の御悲しみが切々と伝わってくる心地がいたします。

形の上では、一時争うことがあっても、晴れ渡った大空のように澄んだ広い心をお互いに持つようにつとめれば、争いも最小限となり、早期に止むことでしょう。そのように願わずにはおれません。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、晴れやかな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:後桜町天皇
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天皇の御歌(4)―第122代 明治天皇 と 和歌の心 [明治天皇]

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天皇陛下のこと、御皇室のことを、口に出したり、文章に書こうと思うとき、何となしにためらいを覚える、そういう人も案外、多いのではないでしょうか。

言葉遣いが失礼になっていないかなど、気になるときもあります。わりあい勇気がいります。

そんなときは、20年ほど前に、雑誌で目にした、故高円宮憲仁親王のお言葉が、後押ししてくださいます。現物の雑誌が手元にないのでうろ覚えですが、次のような内容のお言葉です。

「(国民は)とにかく、皇室に関心を持ってほしい。悪口でもよい、それが皇室が不要と云う議論でもいい、無関心が一番よくない」

20年前ですから、平成十年ごろの、韓国ご訪問の時の記者インタビューへのお答えだったと思います。

とにかく、日本国民として、御皇室の事を、書いてみたい、話題にしたいと思いました。


和歌はいちばん飾りなく、詠む人の人柄が感じられると言います。

和歌の前に平等という言葉もあります。お正月の歌会始は、老いも若きも誰でも投稿できる、日本の美しい伝統だと思います。

天皇陛下の御歌(おうた)を、毎日読むことから、色々な発見ができるのではないか、そんなわけで、できるだけ毎日、こうしてブログに文字を残すことを始めました。

今日は、明治天皇の、和歌について詠まれた御歌三首を謹写いたします。


☆☆☆

“明治四十年 ― 一九〇七 ― 御年五十六歳”(p366)

おもふこと うちつけにいふ をさなごの 言葉はやがて 歌にぞありける
(*やがて=そのまま)“(p367)


“明治四十四年 ― 一九一一 ― 御年六十歳”(p371)

“をりにふれたる

おもふこと 思ふがままに いひてみむ 歌のしらべに なりもならずも

敷島の やまと心を うるはしく うたひあぐべき ことのはもがな“(p373)


(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


第一首め、思うことを、あれこれ深く考えずにそのまま口に出してみる、幼な児の言葉も、歌が芽生える種になります。素直に、言葉を出すことが、和歌づくりの第一歩です。

第二首めも、思うことを思うままに、歌の調べにしなくてはとか、格調高く歌おうとか余計なことを考えずに、まず言ってごらんなさい、とそのままの心を、大切にすることを書かれています。

第三首めは、それでも、歌作りを進めていく中で、やまと心を美しく歌い上げる言葉をさがして選ぶことも勧めておられます。そのままの心を美しく表す言葉、そんな言葉をさがすことは、和歌つくりの楽しみでもありましょう。


今日も読んでいただき、有難うございました。

今日が、皆様にとって安らかで希望を抱ける日でありますよう、お祈り申し上げます。

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