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日本書紀「天壌無窮の神勅」を読み解く [神話]

DSC_0937赤い花20201213blog.JPG日本の国の内に、日本人が共通して心の奥に持ち続けて来た日本の国の理想は、日本神話の天照大神の天壌無窮の神勅(天照大神のお言葉)に語られていると言われています。

戦前、この神勅があまりに強調され過ぎて、抵抗感を持つ人もあるかも知れません。

しかし「日本書紀」は、1300年前に成立した古典であり、たまたま、戦時中にそれが別な意味で強調されたからと言って、日本人が、長年親しんで来た古文そのものに罪はない、日本人の文化・教養として、知っておいて損はないと私は思います。

『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書で、養老4年(720年)に完成したと伝わっています。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたります。

古典文章の読み解きだと思って気軽に読んでいただければ幸いです。

天照大御神の御神勅を見たり聞いたりすることがあっても、内容を細かく読み解いたことがなかったので、今日は、言葉の一つ一つを味わいながら、理解を深めたいと思います。

出雲の国の大己貴神(おおなむちのかみ=大国主の神)は、開拓した国を天の神、天照大神に奉られ(譲られ)ます。天照大神は、使いに立てた武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)の「葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定が完了しました」との報告を受けて、次のように仰せられました。


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“故、天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほににぎのみこと)に八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)、三種の寶物(たから)を賜ふ。(中略)因りて、皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して曰(のたま)はく、

[筆者注:以下が御神勅です]

「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)就(い)でまして治(し)らせ、行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなけむ」

とのたまふ。”(p146~147)

(『日本書紀 上 日本古典文学大系67』岩波書店)

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[言葉の意味]

☆葦原(あしはら):《葦の生い茂っている原の意》日本国の美称

*葦は、水辺に生えるヨシのことです。ヨシズというように、葦の茎は乾かして日よけに使われます。豊かに葦が生い茂る平原ということは、水に恵まれ、稲作に適した、生活に利用できる葦の採れる豊かな土地のある国を表わしていると思います。

「葦原の瑞穂の国」の関連語:

・豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに):高天原(たかあまはら)と黄泉国(よみのくに)、根之堅洲国(ねのかたすくに)の中間に存在するとされる場所で、地上世界を指す。

八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、櫛名田比女(くしなだひめ)を妻として、出雲の根之堅洲国(ねのかたすくに)にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)へ行きそこに留まった。

須佐之男命の子孫または息子である大国主神(おほなむち)が、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させたといわれる。

・黄泉の国(よみのくに):人の死後魂が行き,死者が生活するとされるところ。 「よもつくに」ともいう。 字義は「地下にある泉」で,横穴式古墳の構造からの連想,あるいは古代の埋葬儀式からくるものとされている。

・根之堅洲国(ねのかたすくに):日本神話に登場する異界である。『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀』では根国(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)という。

豊葦原中国は、高天原(天の国)と、黄泉の国(死者の国)の中間に位置する国、すなわち地球上の人間界のことでもあります。

☆千五百秋(ちいほあき):限りなく長い年月。永遠。

*「ちいほ」は「ちいお」と発音します。古事記で、伊邪那美命の一日に千の命を奪うという言葉に対して「千五百の産屋を立てる」と伊弉諾命が言い返しました。八百屋の百(お)も同じですが、数多く、無限の数を表します。秋が無数に繰り返されるので限りない年月となります。秋は、実りの秋で、次の瑞穂(稲穂)と関連します。

☆瑞穂(みずほ)の国:稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということ

*稲が多く取れる国が豊かな国という当時の人の思いが感じられます。

☆爾(いまし):二人称の人代名詞。親しみの気持ちで相手をさす。そなた。なんじ。おまえ。

☆皇孫(すめみま):天照大御神の子孫たる天皇の子孫。

☆就いて:行って位に就きなさい

☆治(しら)す:国民の声に耳を傾け、国民のことをくまなく知って、その声に答えて、統治しなさい。
統治は権力によって押さえつけて支配するのではありません。国民の声に耳を傾け、くまなく知って、その声に答える、そういう統治の仕方が、天皇の統治の仕方です。

☆行矣(さきくませ):さきく【幸く】(副詞) 無事に。つつがなく。 それに助動詞の「ませ」がつく形です。 日本書紀では 行矣。つつがなく、幸せに、その任をつとめなさい。

さきくませは、幸くいませ、ですから、天皇ご自身も幸福になるようにと、天照大御神が祝福されていると考えました。これは平成28年8月8日の上皇陛下(当時は天皇陛下)のお言葉の一節から思いつきました。


“皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。”
(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

大変な重責を負いながら「幸せなことでした」と言われたお言葉に深く感銘いたしました。
天皇にも皇室の皆様にも、幸福であっていただきたい、心からそう思います。


☆寶祚(あまつひつぎ):皇位。日の神(天照大神)の霊(ひ)を継ぐこと。「宝祚」「天業」(紀)、「天日嗣」(宣命)、「天津日嗣」。

天津は「天の」という意味で、天は天照大神を指します。霊は「ひ」とも言います。ゆえにあまつ(天の) ひ(霊)つぎ(継ぐ)御位(みくらい)、皇位ということになります。

☆隆(さか)えまさむ:まさむ、の「ます」(坐す・座す)は、敬語。栄えていらっしゃるようになる。

☆天壌(あめつち):天地

“このように天地とは、大和王権は天地開闢の神代に始まり、天地と共に永遠で、天地が接する極限まで無窮であると、大和王権の悠久の歴史をたたえる表現として多く用いられている。”(「あめつち 天地」国学院デジタルミュージアム)

☆窮(きはま)り:きわまること。また、きわまったところ。極限。はて。きわみ。


[解釈]

こうして、天照大神は、(御孫の)天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほににぎのみこと)に八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)、三種の寶物(たから)を賜わりました。(中略)そして、皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して仰いました。

[以下が御神勅の解釈です]

「葦の生い茂った平野、数限りのない年月をかけて、みずみずしい稲穂が実ってきたあの豊かな国は、私(天照大御神)の子孫が代々、君(天皇)となるべき国です。私の子孫であるそなたは、その国に行って、民の声に耳を傾け、民のことをくまなく知って、民の声に答えて、国民を統治しなさい。そなた自身も、幸せになって、つつがなく、その任を務めなさい。皇位が盛んになられることは、まさに天地と共に限りなく、永遠であることでしょう。」

と仰せられました。


上記の解釈には、一般の辞書の言葉に、私的解釈も加えています。違うところがあれば、ご遠慮なくお知らせください。また、「自分はこう思う」という見方があれば教えてください。どんなコメントでも、歓迎いたします。

今日も読んでいただき有難うございました。今日、私の地域では穏やかに晴れています。
皆様にとって良い休日になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

タグ:日本書紀
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