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天皇のお気持ちを理解する [上皇陛下]

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行き詰まった時は、天皇陛下のお言葉を読むと、いつでも打開の指針が得られます。
宮内庁HPに発表される天皇陛下のお言葉は、短い中に、多くの示唆が込められています。

そんなわけで、今日は上皇陛下の平成28年(2016年)のビデオメッセージを、もう一度読み返してみました。

当ブログでは、2016年9月22日に、その年8月8日に御発表された上皇陛下のビデオメッセージについて、書かせていただきました。

「天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して(平成28年9月22日)」
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/201609-1

自画自賛になりおこがましいですが、原稿作成に1週間かけただけあって、今読み返しても、天皇陛下のお言葉を細かく読み込もうと、一所懸命、努力していたと思います。

上皇陛下は、2010年頃から、退位と皇室典範改正のご意向を、時の政府に、宮内庁を通じて内々に示されていました。ところが、政府は一向に動こうとしなかったそうです。2016年のビデオメッセージは、頼みの綱として、国民に呼びかけられた、大げさに言えばSOSメッセージだったと、思います。政府が2010年に速やかに陛下のご意向を受けて皇室典範改正に取り組んでいれば、このような国民に宛てたメッセージは、発表されなかったのではないかと思われます。

皇位継承に天皇陛下のご意向があるという話を、ネット上で話題にしたところ、次のような質問を受けました。

「今までの皇位継承は、天皇陛下のご意向で決まってきたのでしょうか?」

今までと言われても漠然としているので、皇室典範に焦点を宛てて、明治天皇(大正天皇)以降の話をしました。

明治時代(明治22年、1889年)に制定された旧皇室典範は、皇室自律主義で、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされました。(議会の議決=国民の関与は不要でした。)


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“旧皇室典範の改正又は増補は、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされ(旧皇室典範第62条)、この手続きに帝国議会の協賛又は議決は要しないとされた(大日本帝国憲法第74条)。これは、現在の日本国憲法及び同憲法の下にある皇室典範(昭和22年法律第3号)にはない皇室自律主義の表れといってよい。”

(「皇室典範 (1889年)」 Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%85%B8%E7%AF%84_(1889%E5%B9%B4)

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旧皇室典範は、明治天皇のご意向を熟知している皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定されました。

[言葉の意味]

〇枢密院
“枢密院(すうみついん、旧字体:樞密院)は、枢密顧問(顧問官)により組織される天皇の諮詢機関。憲法および憲法付属の法令、緊急勅令、条約等について天皇の諮問に応ずる機関でその性質上「憲法の番人」とも呼ばれた[1]。1888年(明治21年)に明治憲法草案審議のために創設され、1947年(昭和22年)5月2日、翌日の日本国憲法施行に伴い廃止。”
(「枢密院」Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E5%AF%86%E9%99%A2_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

〇諮詢(しじゅん)
“参考として他の機関などに意見を問い求めること。諮問。「案件について—する」”
(Weblio辞書)

〇勅定(ちょくじょう)
“天子がみずから定めたこと。また、天子の命令。勅命”
(Weblio辞書)

旧皇室典範は、皇族会議と天皇の諮問機関に意見を求めて、天皇の御命令(勅命)で決められたということです。

皇位継承は、側近が明治天皇のご意向を十分に汲んで検討された『旧皇室典範』に基づいて決まってきたので、大正天皇、昭和天皇、上皇陛下は「天皇陛下のご意向で決まってきた」と考えていいと思います。

天皇お一人の独断でないことは、五か条の御誓文第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」の精神で、皇族会議で皇族の意見、諮問会議で側近の意見を取り入れられたことは言うまでもありません。

現在の天皇(今上陛下)の御即位は、昭和22年に制定された「皇室典範」に基づいて決まりました。

旧皇室典範は「現在の日本国憲法及び同憲法の下にある皇室典範(昭和22年法律第3号)にはない皇室自律主義」とされ、大日本帝国憲法下の「帝国議会の協賛又は議決は要しない」典範でした。皇室の家法という性格のものでした。

言い換えれば、現皇室典範(昭和22年制定)の改正は「国会(議会)の議決を要する」ので、皇室自律主義ではないことになります。国民の代表が集まった議会の議決が必要だということです。

皇室(天皇)が女系天皇にしたいと思われても、国民の賛成(国会の議決)が無ければ、皇室の意向が通らないような皇室典範になっている、だから、天皇のご意向が通りにくくなっています。新皇室典範は、制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向により、国民の意向で皇室のことを変えられる形になりました。


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「昭和22年1月16日法律第3号」の法令番号を持つ2020年(令和2年)現在の皇室典範は「法律」として1947年(昭和22年)1月16日に公布された。他の法律と同様にその改正は国会の議決で行われることにより、皇室の制度そのものに国民の民意が国会を通じて関与することとなった。これは、制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向によるものである。
(「皇室典範」Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%85%B8%E7%AF%84

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旧皇室典範は大日本帝国憲法から自律 → 国民は関与しない

現皇室典範は日本国憲法下にある → 国民の意向でどうにでもできる

という感じです。

つまり、国民が皇位継承のための皇室典範改正に関与するのは、今回が、歴史上、初めてだと言えます。

だから、国民一人一人が天皇のお気持ち(ご意向)を理解することが大切になります。

今上陛下は男性であり、現皇室典範で問題なかったのですが、天皇陛下の長子(愛子内親王)は女性です。このような現皇室典範の不備が明らかになり、上皇陛下が改正を望まれました。上皇陛下のご意向を受けて設けられたのが2005年に報告書を提出した「皇室典範に関する有識者会議」です。今上陛下も上皇陛下のご意向を共にされています。

2016年の上皇陛下(当時は天皇)のビデオメッセージにある「国民の理解を得られることを、切に願っています」の短い一言は、こうした旧皇室典範と、新皇室典範の位置づけに関連します。

☆☆☆

“象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。“

(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(平成28年8月8日)宮内庁ホームページ」
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

☆☆☆


上皇陛下は、そして、国民の皆さんは、皇室が存続した方がよいですか、存続を望まないですか、存続を望むなら、皇位継承の不安定な現状を知り、安定継承に何が必要なのか真剣に考えてくれませんか、と私達一人一人に問いかけていらっしゃるような気がいたします。

表面は、退位のお気持ちの理解を求め、皇室典範改正してほしいというメッセージですが、さらに安定的な皇位継承に向けた皇室典範改正のお気持ちにも国民の理解を得たいという、メッセージから、国民と共に歩まれる、皇室を理解してほしいという、天皇のお気持ちがひしひしと伝わって参ります。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
朝晩、少し涼しくなりました。季節の変わり目、どうぞ皆様お健やかにお過ごしください。

タグ:皇室典範
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