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シンポジウムに参加して―皇位の安定継承 [皇室典範改正]

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11月25日はシンポジウム「皇位の安定継承に向けて」(会場:参議院議員会館)に行って参りました。登壇者は君塚直隆氏、小林よしのり氏、高森明勅氏、矢部真紀子氏でした。

シンポジウムに参加して感じたのは、女性皇族が宮家の当主になることと、女性天皇のお子様が天皇になることは、世界の進歩に歩調を合わせることだということです。

日本は古き良き伝統・文化を持つ国だと海外に思われていますが、反面、欠点として、世界的な視野が狭い、島国根性、ガラパゴス化したところがある、因習を固守する国と見られることもあります。

そのガラパゴス的な因習が、何と皇室に残されていたことを知り、驚きました。

11月25日のシンポジウムでは、初めて耳にした、二人の登壇者、君塚氏と矢部氏の話が、印象に残りました。

その一人コラムニストの矢部真紀子氏は、週刊誌アエラの創設メンバーで現在はフリーランス。近著に「雅子様の笑顔――生きづらさを超えて」があります。

矢部氏は、女性宮家の創設について、公務に励んだ黒田清子さん(上皇陛下の長女)の姿勢から、「責任ある立場に就ける道を開く」という視点で皇室制度の変革を考えたとのことです。

皇室典範第12条に「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と結婚したときは皇族の身分を離れる」とあります。黒田清子さんが生まれて4か月の時、美智子様は「結婚までは皇族として生活させていただくのだから、それにこたえるような人になってほしいと思います」と語られたそうです。黒田清子さん(当時は紀宮清子内親王)は2002年の33歳のお誕生日に「内親王の立場」として次のように語られていたそうです。
“皇族という立場に於いて、男女の差やその役割の違いというものは特別に無いと感じています(中略)内親王という立場も、他の皇族と変わるところは無いでしょう(中略)ただ、内親王という立場は、先行きを考えるとき、将来その立場を離れる可能性がどうしても念頭にあるため、中途半端に投げ出してしまうことのないように、継続的な責任のある立場に就いたりすることは控えてきたということはあるかもしれません“(シンポジウム、レジュメより)

矢部氏は、皇室のご公務を普通の会社に例えるのは気が引けるのですが、と前置きしてから、次のような話をされました。

①皇族は、職業選択の自由がなく、就職先が一つに決められている。
②女性皇族は、結婚退職が決められていることが前提なので、仕事に於いて継続的な責任ある立場を選ぶことができない。

公務の上では、皇族に生まれた女性は皇族男性より、一段下に位置付けられているというお立場でいなければならないとも言えます。

また、愛子様は、小学生の時登校拒否されたり、中学で拒食症になられたりしました。女に生まれた自分を悲しむ気持ちがそうさせたのではないかとも、話していました。

矢部氏の話を聞いて、私は、次のような感想を持ちました。

日本には「男女雇用機会均等法」(「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」の通称)があり、1985年に制定され、1986年施行されました。

「結婚退職」はもちろん、「男女雇用機会均等法」違反です。皇室は別世界という考え方もあるでしょう。儀式の形式や装束はそうだとしても、「公務」という皇室外の世界に接する、公のお務めについては、国民の職業と同じ目線で見ることが、許されると思います。

国民が35年前から享受している「結婚しても仕事を続けられる。男性と同様に責任ある立場を選べる」権利が、35年間、まったくその恩恵にあずかれない若い女性が、よりによって皇室の皆様であったことに、ショックを受けました。

自分に置き換えて見れば、①の職業選択の際、「自分の能力を最大限に生かす職場」との期待を持って、就職先を選べたことを、当たり前と思っていました。②については、就職後、ほどなく、「男女雇用機会均等法」が施行されました。施行前の女性の仕事は、お茶くみ、コピー取り、それ以外でも男性の補助的な仕事がメインでした。やる気のある女性は昇進もできますが、結婚の代わりに仕事を選択した独身者が多数を占めていました。施行後は、出産、育児があっても希望により仕事が続けられ、仕事に男女の差別が無いことになり、責任ある仕事を引き受ける人も出て来ました。

それが、当たり前と思っていたのですが、皇室では35年前のまま時間が止まっていたのです。結婚したら必ず退職となっているのは、35年前の庶民よりも厳しい条件です。庶民は強く希望すれば仕事を続けることが出来ましたから、男女雇用機会均等法施行前でも、結婚して子供ができるまで仕事を続ける女性が何人かありました。

さらに今、政府が推し進めようとしている国家公務員として「皇女」職を設けるというのは、いわば、冒頭の職場で「結婚したらパート職員になれ」、と国が押し付けているようなものだと、矢部氏はいいます。これまでであれば、結婚したのちに自分が生涯続けたい他の仕事を自由に選んで就職することが可能だったのに、職種を一つに限定され、パート職員を続けなさいと言われるようなものだということに私も同感です。また、「皇女」という名称は、天皇の御子様のことですから、皇族女子でなくなった一般人が使用するのは言葉の混乱を招きます。

皇室を、せめて男女の扱いについて、日本国民と等しく差別の少ない空間にして差し上げたい、女の子に生まれたことを後悔するような空間であってほしくない、それが私の国民としての願いです。


もう一人は、君塚直隆(きみづかなおたか)氏です。君塚氏は、関東学院大学教授で、史学博士、専攻は世界の王室研究など。主要著作は『エリザベス女王』『現代世界の陛下たち』など、世界の王室研究者です。

皇族の減少(日本)や、「ヨーロッパのほとんどの王室が「絶対的長子相続制」に移行していることを話され、最後に、現イギリス女王エリザベス2世の配偶者であられるエディンバラ公(99歳)のお言葉を引用して、「21世紀は国民の支持あっての王室」で「時代に即した変革も必要」だと話されました。当日渡された君塚直隆氏が用意されたレジュメから、エディンバラ公の言葉を引用します。

「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」(エディンバラ公の言)

エディンバラ公は99歳、ギリシャ王室の出身で、ギリシャ王室廃止(1974年)を目の当たりにされてのお言葉には重みがあります。他の王室が滅びた理由も十分に調べられた上でのご発言だと思います。ギリシャ王室は1974年、国民投票により廃止されました。国民の大多数が「廃止」に投票したのは、国民の心が、王室から離れていたからです。エディンバラ公は、国民離反の原因が、「君主制の中核に位置する熱心な支持者が、改革・変革を行わず、体制の維持だけを考えた」からだと喝破しています。


「熱心な(天皇)支持者」が「男系男子継承を維持すること」だけを考えて改革・変革を拒否する行動が、結果的に皇室を、「女性は男性の一段下」、「女性は男子を産む機械」、「男女差別」、「男尊女卑」という、国民の意識とかけ離れた空間にしてしまい、皇室を滅ぼす方向に向かわせることを示唆しているのが、ギリシャ王室の先例です。

人類の進歩に歩調を合わせるためにも、女性を当主とする宮家制度の創設、女性である天皇のお子様が性別に関係なく皇位を継げるようにする、改革・変革により、皇室と国民の隔たりを少しでも小さくしたいと、切望する次第です。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって素敵な休日でありますことをお祈り申し上げます。

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