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男系男子維持派との対話(九)―訂正とお詫び「直系の定義」 [皇室典範改正]

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一昨日、私は「直系」の定義が2通りあるとしました。これに対して、読者のTさんから、2番目の定義で、「直系」が奈良時代から使われていたと書いているが、それは誤りではないかという、コメントがありました。Tさんは、双系派です。Tさんは、「直系」を、各辞書で調べたが、明治以前の使用例が見つからなかったというのです。

私は、2番目の定義を以下のように述べました。

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2つ目は、「直系」は、父祖からのものという考え方です。古典に基づく考え方です。

>直系  祖父・親・子・孫と血筋が父祖から子孫へと一直線につながる系統。
父祖〘名〙: 父と祖父。また、先祖。祖先。
※令義解(718)賦役「凡三位以上父祖兄弟子孫、及五位以上父子、並免二課一」
(コトバンク)<
+++++


例文にあげた「令義解(りょうぎのげ)」は、奈良時代の律令の注釈書ですが、説明文中に「父祖」はありますが、「直系」は、確かにありません。

私は、辞書で「直系」を引いた時に、コトバンクで「父祖」と書かれているのをみて、「父祖」をコトバンクで引いて、「父祖」の用例があるのを見て、「直系」の用例があると、すっかり勘違いしていたのでした。

当たり前の話で、「父祖」と「直系」は別の言葉であり、「直系」が奈良時代に使用されていたというのは、明らかな間違いです。読者の皆さんに、間違ったことを書いたことを、お詫び申し上げます。


では、「直系」がいつごろから使われ始めたかと言えば、それは明治の旧皇室典範以来、というのが正解です。明治以前ではありません。「男系」、「女系」が使われ始めたのも、旧皇室典範が検討され始めた時です。

ということで、一昨日の、2つ目の「直系」の説明を以下のように訂正したいと思います。


【訂正後】
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2つ目は、「直系」が父系であるという考え方です。明治の旧皇室典範制定の過程で使われるようになったものと思われます
+++++


「直系」の言葉が、奈良時代から使われていたというのは、全く誤りでした。ここに訂正し、お詫び申し上げます。


Tさんとの直系に関するコメントの中で、男系男子限定思考の始まりについても、話がありました。Tさんの考えでは、確信はないけれども、皇室の皇位継承が、男子に限るとされたのは、江戸時代の「禁中並びに公家衆諸法度」からではないかということです。

かつて、私のブログでも「禁中並びに公家衆諸法度」について、「第108代・後水尾天皇(2)」と題して、取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-10-17

第108代・後水尾天皇(第109代・明正天皇)(1)~(4)のブログは、以下の通りです。「禁中並びに公家衆諸法度」と、その後、「諸法度」にて禁じられていた女帝が即位された話を取り上げています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306242764-1


今読み返しても、我ながら力作だったと思います。高森明勅氏著『日本の十代天皇』によれば、徳川家康のブレインだった天海僧正は、天皇を伊勢神宮の宮司にしてしまえばいい、との暴論まで述べたそうです。さすがに、家康はそれを採用しなかったものの、そこまで天皇を押さえつけようという意図が、「禁中並びに公家衆諸法度」にあったわけです。

“「禁中並びに公家衆諸法度」の第六条に「女縁者の家督相続は古今一切これ無き事」”すなわち、「女性の縁者の家督相続を、古今(過去も今も)、一切ないことにする」という、女性が一切、家督相続をしてはいけないという条文がありました。

けれども、徳川家康・秀忠が制定した「女性の家督相続は古今にない」との「法度」を、第108代・後水尾天皇が、突然の譲位と、女のお子様、興子内親王(第109代・明正天皇)の即位により、あっさり破られました。しかし、明正天皇が、徳川将軍・秀忠の直系の御孫であられたため、幕府は何も言いませんでした。

天皇、皇室を抑え込もうとした徳川家康の所業は、自民党政権のそれに重なります。安倍元総理の時から、皇室を権力で抑えつけて、思うままにしようという自民党政権のあり方は、眼に余ります。昨年12月に皇位継承に関する有識者会議が出した結論、悠仁さままでの皇位継承順位は変えない、女性天皇、女系天皇は検討しないという方針は、上皇さまがビデオメッセージで話された皇位の安定継承を切に願われるお気持ちに背くものです。

上皇さまのお気持ちが、天皇陛下の直系長子、愛子さまが皇太子になられ、次の天皇になられること、それが皇室の伝統に照らして最もふさわしいことは、日々明らかになっています。

悠仁さまは、天皇になられなくても、皇嗣であることに変わりありません。皇嗣は、皇位継承資格を表わすものですから、継承順位が変わるだけです。愛子さまが天皇になられることを、殊更に反対する理由は何もありません。

また、養子案は、養子候補者も名乗り出ないし、男系男子にこだわる限り、養子をとっても、その宮家が永続することはなく、2、3代で、行き詰まるのは眼に見えています。生まれつきの血統で、養子の資格を決めるのは、憲法が禁止している門地による差別にも抵触します。どこから考えても無理筋の案です。

男系男子の血統だけが尊いというのは、明治時代の男尊女卑に配慮した旧皇室典範を盲信している人々が作り出した都市伝説です。あるいは、徳川家康の天皇の権威を弱めようとする策謀の一環、「禁中並びに公家衆諸法度」に起因するものです。

つまり、政府が公言し、男系派が強弁する、男系継承が、日本建国以来、祖先が守り続けて来た伝統というのは、まったく事実ではありません。皇室の伝統は、男系も女系も大切にする双系です。皇位継承は、各時代の世相を反映しており、女性の社会進出が求められている現代では、女性天皇、双系に開かれることが自然であり、それこそ、国民と共に歩んでこられた皇室の伝統にかなう皇位継承なのです。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、幸福な一日でありますよう、お祈り申し上げます。

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