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天皇の御歌(24)―第33代推古天皇 [推古天皇]

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今日は第33代推古天皇の御歌を学びます。

ご在世:554~628(崩御49歳)、
御在位629~641年(37歳~49歳)
です。





推古天皇は、第29代欽明天皇の
第三皇女で、日本における最初の
女性天皇です。

御母は堅塩媛(きたしひめ)、蘇我馬子の妹ですから、推古天皇は蘇我馬子の姪にあたります。

先帝第32代崇峻天皇は蘇我馬子の腹臣によって弑逆(しいぎゃく)せられています。

※弑逆=臣下・子など目下の者が、主君や親などを殺すこと


これに先立つ30年前(562年)には、朝鮮半島にあった任那日本府が滅亡しており、内外ともにきびしい時代でした。

天皇は御即位の翌年(593年)聖徳太子を摂政にお立てになり政治を行われ、太子は冠位十二階・憲法十七条の制定、隋との対等の国交の樹立、遣唐使の派遣など、内治外交にわたって画期的な事業を行われ、天皇を中心とした安定した時代が続きました。


☆☆☆

“二十年(六一二年)の春正月(むつき)置酒(おほみきをめ)して群卿(まへつきみたち)に宴(とよのあかり)す。是の日に大臣(おほおみ)(註・蘇我馬子)寿上(おほみさかづきたてまつ)りて歌ひて曰(まを)さく、(歌、省略)。天皇(すめらみこと)和(こた)へて曰(のたま)はく、

眞蘇我(まそが)よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向(ひむか)の駒(こま)
太刀(たち)ならば 呉(くれ)の眞刀(まさひ) 
諾(うべ)しかも 蘇我の子らを 大君の使はすらしき

(日本書紀、巻第二十二)“(p38)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

眞蘇我(まそが)よ:蘇我にかかる枕詞

日向:宮崎県

呉の眞刀:呉の国(中国)の優れた刀

諾(うべ)しかも:もっともなことだ

大君:天皇


御歌の意味は、蘇我の子ら(あなたたち)は、馬ならば日向の名馬、刀ならば呉で作られた優れた刀のように良い働きをしてくれる、なるほど天皇が遣わすにふさわしい蘇我のものたちであることよ、ということでしょうか。宴会の席で蘇我一族をほめたたえる御歌ですね。


蘇我一族というと繁栄を誇り権力をふるって大化の改新で誅殺されたというイメージが私には強かったのですが、推古天皇の御代には聖徳太子と共に天皇を補佐して国政を支えていて天皇も頼みにされていたことが分かります。

天皇を補佐申し上げている間に権力に溺れて次第に増長してしまったのでしょうか。権力の持つ魅力と落とし穴を感じさせられます。後の平家もそうですが、現代にも通じるようで、いつの時代にもありがちなことなのでしょう。褒められて人気が出たとき地位が上がったときほど心の修養を怠らないようにしたいものです。


今日も読んでいただきありがとうございました。

今日一日が、皆様にとって良い一日でありますように。


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