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あるべきやうわ(明恵上人) [明恵上人]

20220323 DSC_1974.JPG皆様に、新年のご挨拶も申し上げないまま、ご無沙汰しておりました。
皆様、よいお年を迎えられたことと存じます。本年もよろしくお願い申し上げます。
新しい年を迎えて、気がついてみれば、早や3月になってしまいました。
年末から、ワクチンの5歳~11歳接種のこと、その他の諸々が重なって、情報のインプットとfacebookでの情報の拡散に、夢中になっているうちに日が過ぎました。
今日から、心をあらためて、1日置きぐらいを目途にブログを更新して参りたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

年頭に当り、「あるべきやうわ」ということを考えました。

「あるべきやうわ」は、明恵上人のお言葉です。明恵上人は、1173年(承安3年)生まれ、鎌倉時代前期の華厳宗の僧です。私も詳しく知るわけではなく、もっぱら、白洲正子著の『明恵上人』を読んで、そのお人柄をしのんでおります。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条義時と同時代ですから、いずれ大河ドラマにも出て来られるかも知れません。


今日は、石水院(栂尾(とがのお)山高山寺)の壁にかけられているという、掛板に書かれた文字「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」について、思ったことを書きます。

白洲正子氏の著書『明恵上人』には、次のように書かれています。

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“[掛板は]明恵の直筆と称されるもので、はじめは白木の板に、墨で書いてあったのでしょうが、現在では漆をぬった上に、胡粉で、「阿留辺幾夜宇和」と書き、酉の刻(午後五時―七時)から、翌日の申の刻(午後三時―五時)に至る、勤行の次第が記してあります。
 詳細はここでは省きますが、それを見ると高山寺内の生活が、いかに充実したものであったか、想像がつきます。その後につづけて、学問所や持仏堂で守るべき行儀作法のことが書いてある。一、聖教の上に数珠や手袋をのせてはならない。一、円座の上に草紙のたぐいを置いてはいけない。一、夏は硯の水を、常に替えるべきである。文机の下に、お経を置くな、筆を口でなめるな、等々、掃除の仕方から、ふきんの始末に至るまで、ことこまかに教えている。また、この中にはありませんけれど、別の所では厠における作法まで記し(伝記)、厠が汚れているのは見苦しい、高山寺を訪れた人々が、この寺は居心地が悪いなどと思われては、勿体ないかぎりである。その程度のことは、皆で見つけ次第、きちんとすべきである“(p99)

(白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫)

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明恵上人に心惹かれたのは、「夢の記」と「樹上座禅図」からです。私も子供のころから、夢を見ることが多く、朝見た夢で、時には励まされ、時には進む方向を決めたということもあります。また、子供のころ木登りが大好きだったので、樹上座禅図を一目見て、こんな座禅をしたいと思いました。これはまだ実現していません。

今年は、身近な生活の中に、高山寺にはとてもおよびませんが、「あるべきやうわ」、居心地のよさを整えることを目標にしたいと思います。年の終わりにどれだけ実現できるかが楽しみです。

新型コロナウィルスのこと、皇位の安定継承のこと、徐々に世の中が動き始めています。今年は日常生活をていねいに送りながら、自分の等身大で出来ることを、地道に行って参りたいと思います。

今日もブログを読んでいただき有難うございました。

桜も開花し始めました。皆様にとって、明るい春が訪れますよう、お祈り申し上げます。

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