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何があってもありがとうございます [恩師の言葉]

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恩師というと普通は学校の先生を指すと思いますが、ここでは学校の先生に限らず人生で出会った忘れられない心の中の師について、話したいと思います。人生を変える言葉を投げかけてくれた、そんな心の中の師のお一人、藤原敏之(ふじわらとしゆき)先生の思い出を書くことにします。

私が藤原敏之先生の大ファンになったのは、先生の最晩年でした。藤原敏之先生は、生長の家という宗教の教えを説く講師でした。昭和60年~63年(1985~1988)頃、私は「生長の家」の道場がある京都の宇治別格本山で、毎月開かれていた「写経練成会」(宿泊して教えを学ぶ研修会)に、年に2,3回参加していました。2泊3日の練成会は、藤原先生の講話、写経、講話、写経というプログラムでした。写経は、生長の家のお経を書き写す行事ですが、心休まる時間でした。

藤原敏之先生のプロフィールを、著書『あなたは必ず救われる』カバー頁より、省略してご紹介します。
明治41年(1908)生れ。昭和22年(1947)生長の家地方講師拝命。昭和40年、管理職を歴任した日本生命を定年退職。余生を生長の家の教え普及に捧げることを決意。本部講師を命ぜられ、富山石川両県の教化部長を兼任、七尾練成を始めた。以来、各地の練成指導に携わる。昭和63年6月、80歳をもって本部講師を勇退とあります。

生長の家の講師ですが、定年まで日本生命で管理職を務め、社会経験豊かで、温和でバランスの取れた話しぶりの先生でした。

藤原先生のお話で、心に残っているのは「何があってもありがとうございます」と、「大根がほしいのに人参が出て来たら、大根の種を蒔けばいい」です。

今日は「何があってもありがとうございます」の話をします。「何があってもありがとうございますぢゃよ」と、80近い仙人のような風貌で、藤原先生が話していらしたお姿が今でも目に浮かびます。

藤原敏之先生は、次のように説かれています。


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“このように人生は神様からの尊い御使命であると同時に、自己の魂の向上のための道場でもあります。何でも「ありがとう」と感謝して受けることが肝要なのであります。生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」との教えでありまして、都合のいいものだけや、よくしてくれるものだけに感謝するのであれば楽でありますが、そうではなく最も都合の悪いものや、自分を苦しめるものにまで感謝せよというのでありますから、ちょっとむずかしいのであります。”

(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(pp149~150 日本教文社)

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何でもありがとうございますと感謝して受けることで、運命が開けるというお話でした。他の先生からの話ですが、一日一万回ありがとうございますを唱えて、運命が開けた人の話もありました。私も先生の教えを実行しようと思い、ありがとうございます、を、通勤電車の中で唱えて、朝晩の往復で平均3500回、何日も続けたことがあります(心の中で)。それまで苦痛だった満員電車が、感謝の時間に変り、快適に過ごせるようになりました。ありがとうございます、を唱える前は、当時はやっていたウォークマンから漏れる音が騒音で不快でしたが、全然気にならなくなりました。赤ちゃんが泣いていたりすると、困ったなと思っていたのが、(子供は元気が一番、お母さん、赤ちゃんの子育てがんばって偉いですね。いい子、いい子)とテレパシーを送るようになりました。そうすると不思議と赤ちゃんの機嫌がよくなり、泣きやみます。

「ありがとうございます」光線を発していると、どこへ行っても、人と会うのが楽しくなります。近所の人との立ち話、スーパーのレジ係、コンビニの店員さん、宅配便配達員、コロナの中で働くエッセンシャルワーカーの皆さんが素晴らしい神の子に見えます。病院に行けば、先生も、看護師さんも、天使に見えてきます。「ありがとうございます」は、日常生活の中に天国を築く道だと思います。


藤原敏之先生の師に当たる、谷口雅春先生の言葉もご紹介します。

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“吾々を生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日の如くさわやかな思想である。さし昇る朝日の如くさわやかな精神こそ日本精神である。”

“生命には光が必要なのである”

(谷口雅春著『生命の實相』〈愛蔵版〉第十九巻P4 日本教文社)

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明るい思想は、ありがとうから始まります。ありがとうのあるところ、生命が生き生きと育ちます。

ありがとうと言えば、すべての人が神の子、天使に思えると言うなら、日ごろ私が、歯に衣着せず批判している自民党議員も、統一教会も、男系派論客も、神の子で天使だと思っていますかと、疑問を抱く方があるかも知れません。

ハイ、自民党議員も、統一教会もその本質は、神の子で、天使です。釈迦を惑わす悪魔波旬(はじゅん)のように悪役を演じているだけで、その本性はまぎれもない神の子で、天使です。「魂の向上のための道場」で、人の人生修行を手助けするために、必要な役割を演じているのだと思っています。

こういうお話を思い返すと、眼に見える事象にいちいち腹を立ててわれを忘れる自分が恥ずかしくなります。つまらないことに腹を立てる自分と、本来のほがらかな神の子の自分と行ったり来たりしながら、神の子の自分に立ち返る時間を増やしていくのが、人生修行ではないかと思います。

今日は、藤原敏之先生の教えを思い返し、ささやかな体験を書かせていただきました。ありがとうは人生を開くカギだと思います。

今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
皆様も、どうぞよい週末をお過ごしください。

タグ:生長の家
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