天皇の御歌(14)-第117代 後桜町天皇 [後桜町天皇]
ブログを再開して、毎日、天皇陛下の御歌(おうた)を読もうと決めて、2週間経ちました。
どの御歌も心に響く御歌でしたが、この2週間を通じての私のベスト2首を選びました。
内容が重複する部分もありますが、この2週間を振り返る意味で、気持ちをまとめて見ました。
第117代 後桜町天皇の御歌 2首です。
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“竹(明和四年 ― 一七六七 ― 御年二十八歳)
見るに猶 わが心をも ならはなむ うてなの竹の なほきすがたを
(*うてな=清涼殿の東にある呉竹の台)“(p296)
(p297)
“竹契遐年(文化九年 ― 一八一二 ― 御年七十三歳)
(註・この年閏十一月、崩御)(*遐年=長生き、長寿)
ならひつゝ 千代も契らむ 呉竹の なほきすがたを 人のこゝろに
(御会始)
(P300)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
1首めは、皇居の清涼殿に置かれている呉竹の台を見れば見るほど、自分の心もこのように、すなおに、まっすぐでありたいとのお気持ちを詠まれた御歌です。28歳の、天皇御在位中の御歌です。
2首めは、再び、「呉竹」を詠まれていますが、最晩年の御歌で、この年に73歳で崩御(逝去)されています。
「契る」というのは、固く約束するという意味で、呉竹のまっすぐなすがたを、人のこころに映そう、「千代も」、いつまでも末長く、という固い御決意が表された御歌です。
人が素直である事を、固く神の前に約束すると、後桜町上皇がご決意されるほど、価値のあることであるのだと思わせていただきました。
時代が下りますが、明治天皇の皇后でいらした、昭憲皇太后の呉竹を詠まれた御歌も、折に触れ、心に浮かぶ、すばらしい御歌です。
☆☆☆
“人
人はただ すなほならなむ 呉竹の 世にたちこえむ ふしはなくとも“(p52)
“人は何よりも第一に、素直であってほしいものです。あの呉竹の節のように、世の中に目立って優れた才能が有る無しに拘わりません。“(p53)
(『大御心 明治天皇御製 教育勅語 謹解』明治神宮)
☆☆☆
同文に続いて、“何よりも先ず、心が素直であることが、明るい人生への出発点であります”とも、書かれています。
「心が素直であることが、明るい人生への出発点」とは、深いお言葉だと思います。世に目立つ才能のあるなしにかかわらず、というのもうれしいお言葉です。
才能はあるに越したことはありませんが、なくても、素直であるということが大きな美点である、それなら、誰にでもできることですね。
素直さを貫くことは、時には勇気のいることで、智慧も、愛も必要です。熟慮して正しいと思ったことを貫くことも、素直さに含まれると思います。
日常生活でも、すなおであること、自分の見ること、感じること、心のゆれ、喜び、悲しみ、苦しみの共感、そのままの自分であることが、皇室のお心であり、日本古来の心でもあるとも思いました。
努力をしないということではありませんが、本来の自分を、無理にねじまげる必要もない。そのままの自分を出せばよい。
もちろん、わがままな自分もあれば、人に不条理に怒る自分が顔を出すこともあるので、そういうときは、それが本来の自分だろうかと、問いかける謙虚さも必要で、一筋縄でいかない、複雑さもありますが。
それでも、人間は、どんな姿を表していても、本来は素直でありたい、やさしくありたい、親切でありたいと思っている、それがすべての人の本性である、そう信じて、希望を持って、明るく日々を生きて参りたいと思います。
今日も、読んでいただき、有難うございました。
熱くなってまいりました。今日が、皆様にとって、実り多い一日でありますように。
天皇の御歌(8)-第117代 後桜町天皇 [後桜町天皇]
今日も、江戸時代の女性天皇、後桜町天皇の御歌(おうた)を詠ませていただきます。
御在位期間は、二十三歳~三十一歳の9年間でしたが、それ以後も、ずっと上皇として、天皇の皇位継承に貢献され、七十四歳で崩御されるまで、第百十八代 後桃園天皇、第百十九代 光格天皇を、支えて来られました。
万葉一統の皇統の一員として、御皇室を支え、國民(くにたみ)のために、祈り続けられた女帝の愛と知恵に満ちたお姿がしのばれます。
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“述懐(明和四年 ― 一七六七 ― 御年二十八歳)
まもれなほ 神のめぐみに つたへきて 明暮 あふぐ ことの葉の道
(住吉社御法楽)“
(p296)
“述懐(明和六年 ― 一七六九 ― 御年三十歳)
おろかなる 心ながらに 國民の なほやすかれと おもふあけくれ“
(p297)
“竹契遐年(文化九年 ― 一八一二 ― 御年七十三歳)
(註・この年閏十一月、崩御)(*遐年=長生き、長寿)
ならひつゝ 千代も契らむ 呉竹の なほきすがたを 人のこゝろに
(御会始)
(P300)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
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第1首めは、神のめぐみに伝えられてきた言の葉の道。明暮(あけくれ)明けても暮れても、いつでも、その、ことの葉の道を、仰ぎ続けるとのご決意を述べておられます。
ことの葉の道は、和歌の道のことですが、よき言葉を使い続けることも、ことの葉の道につながるように思います。私も、日常生活の中でも、できるだけ、良いことば、美しい言葉を、心を込めて、味わい、使う努力をしてまいりたいと思います。
第2首めは、「おろかなる」は古語では「いい加減、ばかだ、拙い」という意味ですが、「もちろん」という意味もあるようです。
この場合は、謙虚に「拙い(つたない)」というお気持ちなのでしょうか。
拙い心ではあるけれども、国民が、さらにさらに、その生活、心が安らかであるように、と一日中祈っておられる。
いつも国民の安寧と幸福を祈られる、現代の上皇陛下、上皇后陛下、天皇陛下、皇后陛下の御心に相い通ずる尊さを感じます。ありがたいことです。
第3首めは、再び、「呉竹」を詠まれています。「契る」というのは、固く約束するという意味です。 呉竹のまっすぐなすがたを、人のこころに映そう、「千代も」、いつまでも末長く、というお心です。固いご決意の表れと思われます。人が素直である事、それは、固く約束する、後桜町上皇がご決意されるほど、価値のあることである、あらためてそう思いました。
素直さを貫くことは、時には勇気のいる事でもあります。智慧も必要です。頑固であるということでなく、熟慮して正しいと思ったことを貫く、肩ひじ張らずに、無理でなく。
そのようになりたいと思いました。
今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、今日一日が、安らかで、良いことに出会える一日でありますように。
天皇の御歌(7)-第117代 後桜町天皇 [後桜町天皇]
今日も後桜町天皇の御歌(おうた)を詠ませていただきます。
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“迎春祝(明和七年 ― 一七七〇 ― 御年三十一歳)(註・この年の十二月御譲位)
諸人も ひとつこころに 祝ふ代の ゆたけさ見えて 春ぞたのしき(御会始)“
(p297)
“禁中月(明和七年 ― 一七七〇 ― 御年三十一歳)
いつとなく 十年にちかき 秋もへて 思はずなるゝ 雲の上の月“
(p297)
“蟲吟露(安永六年 ― 一七七七 ― 御年三十八歳)
“百草の 露をよすがに 蟲ぞ鳴く おのがさまざま こゑをつくして
(御廟御法楽)
(p297)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
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第1首め、第2首めは、先帝 桃園天皇の第一皇子が十三歳になられたので、御位を譲られた年に詠まれた御歌です。
めでたくご成長された第一皇子(後桃園天皇)が御位につかれる新しい年を祝うお気持ちを詠まれていることと拝察申し上げます。
2首めの、「雲の上の月」は、天皇の御位をあらわされているのでしょうか。思わずに御位につかれて十年ちかく、秋をむかえて、過ぎてきた月日を思う御歌のように思われます。
3首めは、それから7年後、草むらで一心に鳴く、種々の蟲の声に耳を傾けておられます。小さい虫たちへのお優しい愛情が感じられます。
今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が皆様にとって、希望に満ちた一日でありますように。
天皇の御歌(6)-第117代 後桜町天皇 [後桜町天皇]
昨日に続き、後桜町天皇の御歌(おうた)を読ませていただきます。
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“竹(明和四年 ― 一七六七 ― 御年二十八歳)
見るに猶 わが心をも ならはなむ うてなの竹の なほきすがたを
(*うてな=清涼殿の東にある呉竹の台)“(p296)
“神祇(明和五年 ― 一七六八 ― 御年二十九歳)
まもれなほ 伊勢の内外の 宮ばしら 天つ日つぎの 末ながき世を(御会始)“
(p297)
“柞(ははそ)紅葉(文化二年 ― 一八〇五 ― 御年六十六歳)
染めつくす 中にわかれて たゞひと木 柞(ははそ)の紅葉 いろはめづらし“
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
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言葉の意味を少し調べました。
・ 神祇(「コトバンク」より)= 天の神と地の神。
・ 御会始(ぎょかいはじめ)= 歌会始のこと
・ 柞紅葉(ははそもみじ)= ブナ科コナラ属の落葉高木の紅葉を総称していう。
1首めは、皇居の清涼殿に置かれている呉竹の台を見つめると、自分の心もこのように、まっすぐな竹のすがたにならいたい、とのお気持ちを詠まれた御歌です。
竹と申しますと、明治天皇の皇后でいらした、昭憲皇太后の次の御歌を思い出します。
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“人
人はただ すなほならなむ 呉竹の 世にたちこえむ ふしはなくとも“(p52)
“人は何よりも第一に、素直であってほしいものです。あの呉竹の節のように、世の中に目立って優れた才能が有る無しに拘わりません。“(p53)
(『大御心 明治天皇御製 教育勅語 謹解』明治神宮)
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同文に続いて、“何よりも先ず、心が素直であることが、明るい人生への出発点であります”とも、書かれています。
心の素直な人に出会って話をすると、学歴や肩書など関係なく、気持ちのよいものです。
そのような人に私もなりたい、努力して参りたいと思います。
2首めは、伊勢神宮の外宮と内宮を参拝されての御歌であろうと思います。
前回、後桜町上皇が、光格天皇の即位に当り、皇位継承にご尽力されたことを述べました。
ここでも、「天つ日つぎ」(天皇の御位)が、伊勢の神殿の柱がどっしりと安定しているごとく、末長く続くようにと、真剣に祈られる後桜町天皇の御心が感じられます。
私もそのお心に習いたいと思います。
3首めは、紅葉をご覧になられて、普通の真紅の紅葉の中に、少し黄色味を帯びた「ははそ」(ブナ科コナラ属)の紅葉を見つけられて、その色の変化を楽しまれる、後桜町天皇のお姿が目に浮かびます。
紅葉は、よく見ると黄色、オレンジ、赤と、様々な色の違いがあります。
形も、「ははそ」の葉は、いわゆる赤ちゃんの手のようではなく、スッと伸びた形をしています。そんな美しさを想像しています。
今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
熱くなってまいりましたが、水分を十分にとって、体調にお気をつけください。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
天皇の御歌(5)-第117代 後桜町天皇 [後桜町天皇]
日本の歴史の中で、八人、十代の女性天皇がいらっしゃいました。
第百十七代 後桜町天皇は、桜町天皇の皇女、母君は二条家当主の娘で、現時点で最後の女性天皇です。
後桜町天皇の御在位期間は、1762年から1770年、23歳から32歳の9年間で、江戸時代、明治維新の約百年前です。
譲位後も、皇権回復に心血をそそぎ、明治維新の基礎となった第119代光格天皇を後見役として助けました。74歳で崩御されました。
主に、言の葉の道、しきしまの道(和歌の道)を詠まれた和歌を取り上げてみます。
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“寄道祝言(明和四年 ― 一七六七 - 御年二十八歳)
絶えせじな むべすなほなる 教をも 代々につたふる 言の葉の道(竟宴御会)
(p296)
寄道祝(安永七年 ― 一七七八 ― 御年三十五歳)
あめつちと ともにつきせぬ 敷島の 道は神代の ひかりなるらし
(p298)
寄道祝言(寛政九年 ― 一七九七 ― 御年五十八歳)
神代より ながくつたへて 天地と ともにたえせぬ しきしまの道
(春日社御法楽当座御会、内裏和歌御会)
(p299)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
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私は和歌の事は何も知らない素人ですが、大胆にも、天皇陛下の御歌を元に文章を書くことを始めてしまいました。
5回目になりましたが、分からない言葉がたくさん出てきました。詞書が分からないので、ネットの辞書で調べました。
寄道祝言、寄道祝の、「寄道」は、結局分かりませんでした。
このブログを見て、どなたか分かる方が、いらっしゃいましたら、ご教示ください。
・ 法楽(「goo辞書」より)
“1 仏法を味わって楽しみを生じること。また、仏の教えを信受する喜び。釈迦が悟りを開いたのち1週間、自分の悟った法を回想して楽しんだことが原義。
2 経を読誦 (どくじゅ) したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること。また、和歌・芸能などを神仏に奉納すること。
3 なぐさみ。楽しみ。放楽。「見るは法楽」
4 見世物などが、無料であること。「法楽芝居」“
この御歌では、2の、「音楽や舞、和歌、芸能を奉納して、神仏を楽しませる」意味であると思います。
・当座 = その場で
・御会(ぎょかい)(「コトバンク」より)
歌会をうやまっていう語。
・ しきしまの道 和歌の道
・ たえせぬ なくなることのない
・ 竟宴(きょうえん)(「コトバンク」より)
“1 平安時代、宮中で進講や勅撰集の撰進が終わったあとで催される酒宴。諸臣に詩歌を詠ませたり禄を賜ったりした。
2 祭りのあとで催される宴会。直会(なおらい)。“
第一首め、本当にすなおな教えを、代々伝える言葉の道を、絶えさせてはならないとのこと。和歌は、日本の歴史の始まりから、続く言の葉の道です、代々、語り継いでいくとの、後桜町天皇の御決意が感じられます。
第二首め、天地とともにつきないしきしまの道は、神代からの光であるだろう。
第三首め、神代より長く伝わってきて、天と地とともにつきることのない、しきしまの道を詠われています。
お祝いの宴席、神仏に奉納行事のあとの歌会で詠まれた御歌と拝察いたします。
どの御歌も、言の葉の道、しきしまの道が神代から続いていることを詠われ、素直な言葉によるお気持ちを表すことを、重く見ておられる皇室のお考えが表されていると思います。
「法楽」という言葉は「見るは法楽」「聞くは法楽」とことわざにもなっているようです。神仏の前に和歌を奉納することを、神様仏様が喜ばれ、奉納した自らも楽しくうれしくなるということなのでしょう。
楽しい言葉、明るい希望に満ちた言葉を口に出して、人に語り掛けると、その喜び、楽しみが倍になって返ってきます。「ありがとうございます」など、良い言葉を、多く使うように日々を過ごしたいものです。
後桜町天皇は、弟だった先帝、第116代 桃園天皇の急死をうけて、後継者となるべき、のちの118代 後桃園天皇がまだ5歳だったため、「中継ぎ」として即位されました。御在位期間は9年でしたが、その後も、甥にあたる後桃園天皇を支えられましたが、後桃園天皇が22歳の若さで幼い欣子(よしこ)内親王一人を残して崩御されたため、「傍系」の閑院宮典仁(のりひと)親王の子で、当時9歳だった光格天皇を後桃園天皇の“養子”にした上で皇位に着かせることになるに当り、大きくかかわられたとのことです。
皇位を継がれた責任感により、神代からのしきしまの道を強く意識されたのでしょうか。
今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の、毎日が明るく心豊かでありますよう、お祈り申し上げます。
※参考文献
・高森明勅著 『歴史で読み解く女性天皇』 KKベストセラーズ
・小林よしのり著 『ゴーマニズム宣言 2nd Season ③』扶桑社