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東日本大震災 海上自衛隊の救援活動 [温故知新]

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ジャーナリストの笹幸恵氏のブログによれば、2016年『新潮45』に掲載された座談会記事

『「生きて帰れないかもしれない」 海上自衛隊指揮官たちが明かした「東日本大震災」救援活動の裏側』

が、デイリー新潮に再掲されたとのことです。




[笹幸恵氏のブログ]
https://www.gosen-dojo.com/blog/30241/


[座談会記事]
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03121109/


東日本大震災のとき、海上自衛隊がどのように救援活動をして下さったかを、初めて読んで深く感動いたしました。

海上自衛隊の掃海艇「ぶんご」で執り行われた5年目の洋上慰霊の話をはじめ、震災当日からの活動、護衛艦乗員の家族にも被災者がいたが誰も文句ひとつ言わなかったこと、そして福島第一原発に冷却水を運んだ作戦「オペレーション・アクア」などの重大な任務を果たされたことを知りました。

原発に冷却水を運んだ作戦「オペレーション・アクア「の詳細は、基礎知識の無い私が読んでもよく分からない所もありますが、井ノ久保雄三氏(横須賀警備隊司令(1佐))の座談会の発言から、その時の自衛隊の皆さんのご覚悟が伝わり、ただただ頭が下がります。


☆☆☆

“井ノ久保 最終的には、「誰かがやらなきゃいけない」という気持ちだけですよね。あのときは救援活動に携わる者が皆、そういう気持ちでいたと思うんです。私もまたその一人に過ぎません。出港前、女房に「福島第一原発に行くことになった」と言ったんですよ。そしたらたったひと言、「お国のためにがんばっていらっしゃい」って。(中略)

井ノ久保 26日早朝、私たちは港務隊の曳船3隻でひっそり出港するもんだと思っていたんです。ところが高嶋総監*が直接見送りに来て、激励の言葉をかけてくれました。それに、出港したら横須賀の湾内に停泊している護衛艦の乗員たちが、上甲板に上がって皆で「帽振れ」をやってくれた。誰にも知られずに行くと思っていましたから、これには胸が熱くなりましたね。同時に、このとき初めて「戻ってこられないかもな」と、任務の重さを実感した。”

(『「生きて帰れないかもしれない」 海上自衛隊指揮官たちが明かした「東日本大震災」救援活動の裏側』 2021年3月11日掲載 デイリー新潮
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03121109/?all=1

☆☆☆


*高島総監:高島博視氏は、第40代横須賀地方総監。2011年(平成23年)3月の東日本大震災の際、被災者救援、東京電力福島第1原発事故などの対応を指揮した(Wikipediaより)


東日本大震災救援活動の自衛隊員の頑張りで、自衛隊のイメージは大きく変わったそうです。


他方、法的なことなどで、問題がなかったわけではないとのことです。

震災直後、米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」が被災地に支援物資を送ろうとしたら、「通関していない」ということで「待った」をかけられたこと、外国の医者が国内で日本人を診察することが医療法で禁止されているため、韓国から医療団が来てくれたが、勝手に診察してはいけないので、現場が混乱したなどのことがありました。 

現在の法律で縛っていたら、助かる命も助からないことになるそうです。

福本出氏(掃海隊群司令(海将補))は、そのことを次のように発言されています。


☆☆☆

“福本 いまの憲法改正論議の中で、どこを最優先に改正するのかという話がありますが、ある識者は災害時における緊急事態法が現憲法にないことを問題視しています。国家の緊急事態のときに、超法規的な行動を認めるという内容が、どこにも書いていないんです。このままでは、何かあるたびに自衛官は法律違反を犯さなくてはなりません。”

(前掲記事:https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03121109/?all=1

☆☆☆


5年前の座談会のことなので、その後、どのように改善されたのか、改善されていないのか、勉強が足りない私には今はよく分かりません。

しかし、自衛隊が緊急事態の時に、法律違反にならないような法整備は、とても重要なことだと思います。

自衛隊の皆様に、深く感謝申し上げるとともに、現場の皆様が眼にされた問題点についても、今後、関心を持ち続けたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって有意義な一日でありますようお祈り申し上げます。

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ご縁は不思議なもの [温故知新]

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祖母の愛蔵していた本がめぐりめぐって私の手元にきた。昭和6年発行の『新譯佛教聖典』という本だ。表紙は皮のようだがすっかりやわらかくなっている。
少しずつ読もうと思ったが文字が細かくてなかなか読み進められない。
そこで文字の大きな新しい版がないかとインターネットで調べてみたところ、この本はいろいろな変遷をたどって、『仏教聖典』(財団法人 仏教伝道協会発行)という名称になっていることがわかったので、仏教伝道協会のホームページを見て、現在発行されている『仏教聖典』の一覧から本を選ぼうと思った。

するとそこに見覚えのある本があった。それは私がかつて職場でよく目にしていた本だった。
中を詳しく見たことはなかったが、なつかしい本に再会した気持ちになり、さっそく取り寄せてみた。

本文に入る前に「法輪について」という文があり、その2ページ後に、法句経からの引用が書かれていた。


「DHAMMAPADA

Hatreds never cease by hatreds in this world. But love alone they cease. This is an ancient Law.(5)」

「法句経

怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。(5)」
(『和英対照仏教聖典』財団法人 仏教伝道協会発行 平成6年2月10日)

この言葉に初めて出会ったのは『生命の實相』という本を通してだった。


「「まことに『怨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。このことは永劫に易(かわ)ることのない真理である」とは『法句経』の第五にある仏陀の聖言である。」(『生命の實相』頭注版第13巻 倫理篇53ページ、谷口雅春著、日本教文社刊)


冒頭の『新譯佛教聖典』では、このことは次のように書かれている。

「第五節 法句(のりのことのは)
(中略)
實(げ)にやこの世は、いかなるときも、怨(あだ)は怨(あだ)もて鎮(しず)まらず、怨(あだ)なきにこそ、鎮(しず)まらめ。これ古(いにしえ)よりの法(さだめ)なり。」(『新譯佛教聖典』348ページ 佛教教會発行 昭和六年三月十一日)

それにしても、この『怨みなき心』が「love alone」、「忍を行じてのみ」、「怨(あだ)なきにこそ」と、それぞれの本や言語によって異なる表現になっているのも、趣のあることである。

『生命の實相』が発刊されたのは昭和初期で昭和六年発行の『新譯佛教聖典』とほぼ同時代であるため、表現もいちばん似ていると思われる。

祖母が愛読していた本の、新版のすぐ近くで、長年仕事をしていたご縁を、あらためて不思議に思う。

『新譯佛教聖典』の表紙を開くと、次のような精密な美しい絵が描かれている。

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菩薩来迎図だろうか。



いのちをくれた人 [温故知新]

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<サボテンのつぼみです>

最近、歴史の本をよく読みます。
読書は子供のころから好きでしたがそのころは海外の小説ばかり読んでいて日本の歴史に興味がありませんでした。真剣に日本の歴史を学ぶようになったのは二十代になって「歴史」と「自己」の深いかかわりを思うようになってからのことです。

「歴史を学ぶとは、自己を学ぶことであり自分が自分に対面することにほかならない。」
(山口悌冶著 『万葉の世界と精神 前篇』18ページ、日本教文社刊)


それまでは人間は一人で生きていくものだから自分一人がどんな生き方をしても自分を取り巻く世界に変化は起こらないと思っていました。しかしあることをきっかけに自分が両親、友人をはじめとする多くの人々に支えられていること小さいことでも良いことをすればかならず世界に良い影響を与えられることを知りました。

自分のいのちが両親から与えられ、両親も祖父母からいのちを与えられたといういのちのつながりを感じた時から父母、祖父母が生きた時代への関心が深まり、その時代の歴史に興味を持つようになりました。

いのちのつながりについて書かれた絵本を10年前にいただきました。いただいた絵本『いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」』(草場 一寿著、2004年発行)の一部をご紹介します。

  「ぼくにいのちをくれた人、2人」
  「お父さんとお母さんにいのちをくれた人、4人」
  「おじいちゃんとおばあちゃんにいのちをくれた人、8人」
  「ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんにいのちをくれた人、16人」
  「そのまた上に、32人」
  「そのまた上に、・・・・・」
  「もう数えられないよ」
                          (前掲書17~18ページより)

むずかしいことは何も書かれていませんが味わいのあるすばらしいことばだと思います。

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<冒頭のつぼみが花になったところです。一日で開きました。
いのちはふしぎです>


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雑巾を洗うと、心も洗われる [温故知新]

今日、職場のトイレ掃除をした。

5週間に1回、まわってくる当番だ。
トイレには、2種類の雑巾と、台拭きが用意されている。
雑巾は、トイレ便器用、壁や水洗器用と、黒マジックで
きちんと書かれている。

その雑巾で、床や便器や壁を、感謝を込めて拭く。
拭き終わり、雑巾を洗ったら、心がすっきりした。

掃除をしながら、先月、異動になったK先輩が、雑巾を
洗っていた光景を思い出した。掃除を大切に考える
私の職場の中にあっても、K先輩の掃除の徹底ぶりは、
光っていた。

そのK先輩が、雑巾を力を込めて洗って、どんな汚れでも、
どんどん落ちて、雑巾がもとどおり、きれいになっていくの
を見たとき、ふと思った。

「雑巾は、もともと、汚れていない。きれいだった雑巾が、
床や便器を清めるために、自らに汚れをうつしとったから
汚れたのだ。」、「だから、先輩は、一所懸命、働いて、
まわりを清めた雑巾を、本来の清らかな雑巾にもどす
ために、きれいに洗ってやっているのだ」

トイレを清めた雑巾が、先輩の手で清まっていく。
先輩の心も、雑巾を清める中で、清まっていく。

掃除も、奥が深いと思った。

話が変わるが、私が子供の頃、掃除は毎日するのが当然というのが
世間の雰囲気だった。毎日掃除をすれば、強い洗剤を使わないでも、
汚れが落ちるから、その頃の掃除は、環境にも、あまり負荷をかけな
かったのではないかと思う。

しかし、私が成人する頃には、「掃除をしないで死んだ人はいない」
と言われはじめ、掃除を手抜きしても良いという風潮が出てきて、
掃除の効率を上げる合成洗剤を使って、1週間に1回ぐらいで、
集中して汚れを落とす掃除方法に変わっていったように思う。

洗剤も、汚れを落とすため、強力な(水質汚染につながる)ものが、
どんどん使われるようになったと思う。

今の私の掃除の仕方は、1週間に1度ぐらいだが、環境への負荷を
減らすために、合成洗剤を使わず、自然の石鹸や、重曹を使うよう、
心がけている。

でも、今の方法がベストとは思っていない。ベストは、水だけでも
落ちるくらい、汚れの少ないうちに落とす、つまり、毎日、掃き掃除、
拭き掃除をすることなのだろうな、と思う。今は、勤めているので、
ちょっと無理だけれど、そんな生活がいつかできたらよいと、夢
見るのである。


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