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歴史の光と影ーレジリエンス(復元力) [歴史]

DSC_121420210320blog.JPG歴史には、誇りに思う美しい「光」の事象があれば、消してしまいたい「影」の事象もあります。

国の歴史も、個人の歴史も同じです。歴代天皇の歴史も例外ではありません。

歴代天皇の御歌を学び始めたとき、「光」の事象に主にスポットを当てていました。
未知に挑む勇気、非常時のご決断、民への慈愛に満ちた大御心、素朴な恋愛…。

しかし、同時に神武東征における敵を倒す戦いの激しさ、皇位をうかがう親族に下される厳格な措置なども、同時に学びました。


だいぶ前のことですが、ある月刊誌に歴代天皇の色々なエピソードをつづったエッセイが連載されていました。著者は歴史の専門家ではなく、詩人かエッセイストであったと思います。毎月楽しみに愛読していましたが、ある月の記事で、歴代天皇の中には問題を起こした方もあるというエピソードが載っていました。その月刊誌は、天皇を尊敬する団体の出版だったので、読んだ私は戸惑いました。なぜ、天皇の良い面ではなく、マイナス面を載せるのだろうと疑問に思い、不快にさえ思いました。

先日、第51代・平城天皇が関わられた「薬子の乱」を取り上げましたが、読者にはなぜ、影の部分を取り上げるのかと、不快に思われた方があったかも知れません。

第52代・嵯峨天皇の御事績をたどる中で、御兄君の平城天皇について取り上げたのですが、取り上げた理由はそれだけではありませんでした。天皇のことを話題にしていた時に、古代はともかく平安時代の藤原氏に利用されていた天皇は尊敬できないとの意見を人から聞いたからです。その意見を聞いて、私の好きな時代は、古代の万葉集、古事記、日本書紀が編纂された飛鳥・奈良時代なので、その時代を主に学んでいましたが、平安時代の学びが乏しかったので、少しずつ学びたいと思うようになりました。

そこで、第50代・桓武天皇に始まる平安時代初期の平城天皇、嵯峨天皇を学ぶことにしたのです。

歴史上の天皇のマイナス面を取り上げるのは、ためらわれました。それでも、第52代・嵯峨天皇の御事績をたどるために、その前の第51代・平城天皇のことを学びたい、自分の漠然とした嫌悪感で避けてはならないと、思ったので敢えて取り上げました。

「薬子の変」の原因は、人妻との公然たる「不倫」ですから、当時、週刊誌があったら大騒ぎになったことでしょう。御製を拝誦すると「恋愛至上主義」というような激しい恋が詠われていて、当時の文化として、そういう潮流があったのかとも思われます。それが個人の恋愛にとどまらず、上皇になられた後に皇位をうかがう事態になったので、嵯峨天皇も放っておけませんでした。

こうたどると、平城天皇は問題のある天皇だったということになりますが、裏を返せば、その混乱を収拾して、その後の国を大いに発展させた、嵯峨天皇の手腕が素晴らしかったという見方もできます。複雑な問題があったにも関わらず、皇室が滅びることなく、より強化されて復元されました。苦い経験は、皇室の記録に留められ、後世の反省材料となりました。ある意味、財産であるとも言えます。

これが、歴代天皇の復元力、回復力、弾力性、レジリエンスではないでしょうか。

何もしないで失敗しないことが尊いのではなく、柔軟に様々なことを試みる中で、時には失敗もする天皇があるが、その失敗から教訓を得て、必ず立ち直ることが尊いのだと思います。立ち直った時には、経験という財産が残ります。その集積を大切な教訓として、2681年続いて来たのが日本の皇室ではないでしょうか。

かつて少女漫画で「マリイルウ」(西谷祥子作)という作品がありました。ストーリー全体は覚えていませんが、主人公の少女「マリイルウ」について、恋人が評したセリフがずっと心に残っています。マリイルウは、おっちょこちょいで失敗もしますが、明るく正直で、素直な少女です。

手元に本が無いので、コトバは正確でないと思いますが、

彼女は多くの欠点を持っているが、その欠点を補って余りある「人間性」が魅力である

ということだったと思います。


漫画と、天皇、皇室と比較するのは畏れ多いことですが、天皇、皇室にも同じことを感じます。(天皇、皇室は、失敗なさることが、普通人より格段に少ない方々であることは申すまでもありませんが)

歴代の天皇それぞれが、御誠実で、明るく、進取の気性に富んでおり、人間性が豊かで、人間的魅力にあふれておられます。

新しいこと、もの、思想でも必要と判断されたら、ためらうことなく取り入れて来られました。ですから歴代天皇の中に、問題を起こされた天皇があったとしても、過剰に嫌悪したり、恥じたりする必要はないと思います。失敗も経験のうちであり、後世の反省材料になります。また失敗と見えることが、新しい時代を切り開くきっかけになることもあります。

個人の人生も同じだと思います。過去を省みれば、あの時ああすればよかったとか、あんなことをしなければよかったのにとか思うことは、色々あります。しかし、それを乗り越えたからこそ、今の自分があるのではないでしょうか。

必要とあれば失敗を恐れず前進する、失敗しても、そこから立ち直る、復活する、それが大切なのだと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様どうぞ、良い週末をお過ごしください。

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歴史をなぜ学ぶのか [歴史]

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なぜ、私は歴史を学ぶことになったのでしょう。それは「歴史を学ぶことは自己を学ぶこと」という言葉に出会ったことによるものです。

人間は、横に広がる感覚、家族、身近な友人、地域共同体、所属する会社など組織に気を配ります。
同時に、縦の感覚、自分を誕生させてくれた父母、父母の父母である祖父母、祖父母の父母である……先祖代々も、自分の心の中に抱いて生きて行くものだと思います。先祖の誰か一人が欠けても自分が存在しない、そう考えはじめると、やがて、遠い星を仰ぐような神秘を覚えます。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2015-01-30

先祖が生きて来た時代をしのぶこと、先祖の身になって、共に喜び、共に悲しみ、乗り越えて来た苦しみを想像すること、それが歴史を学ぶことではないかと思います。

他人事として冷たく批評するのではなく、先祖の身になって想像力を働かせること、何よりもいのちをつないでくださったことの感謝が、その根っこに必要だと思います。

そんな歴史の学び方をすると、自分の生き方に自信が湧いてきます。

私が歴史を熱心に学ぶきっかけとなった、尊敬する山口悌治氏の文章をご紹介いたします。

☆☆☆

“もとよりわたくしは歴史家ではない。わが国の古代史を専門に研究している学究の徒でもない。しかしわたくしは人間であると同時に、先祖代々この国の中に生れ生活し、この国と運命を偕にし、われわれの存在の根源につながりわれわれを今日あらしめ、また今後もあらしめて行く日本国の、国民の一人であることの意義を忘れることはできない。

先祖代々この国の中に生活し運命をともにして来たといふことは、この国はもはや自分という存在の外にある他者ではなく、自分といふ存在の内部にわかち難く融合し、かつ自分を構成してゐる生命的一体者であるといふことである。国は自分の外にあるやうに見えて、同時に自分の内部にあるものである。自分は国の外にあるやうに見えて、同時に国の内部にあって一つのものとして生存を保ってゐる。われわれと国とは内外相即であって、次元を異にする二者として切離すことはできない。従って日本の歴史は自分の外にあるのではない。歴史の外に、自分がゐて勝手な生活をし、時には歴史に対して関心を持つといふが如き関係のものではない。歴史とは自分といふ存在の内包であり外延であるからである。ここに国に対する国民としての「権利」と「義務」の根拠がある。

歴史は決していはゆる歴史家や歴史学者のものではない。われわれ一人々々のものであると同時に国民全体のものだ。歴史とは決して歴史家や歴史学者の解釈や理論付けや体系化の中にあるのではない。そんなものとは関係なく、今現に数千年にわたる途方もないボリュームを持った巨大な力でこの日本国家を支へ、この国の国民の存在の基底として働き続けてゐるものなのである。”(pp118~119)

(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』日本教文社)

☆☆☆

言葉の意味:

相即:1 仏語。事物の働きが自在に助け合い融け合っていること。
2 二つの物事が密接に関わり合っていること。「相即する文化と言語」

内包:1 内部にもっていること。「多大のリスクを内包する計画」
2 論理学で、概念が適用される事物に共通な性質の集合。例えば、学者という概念の内包は「学問の研究者」など。⇔外延。

外延:論理学で、概念が適用される事物の集合。例えば、惑星という概念の外延は水星・金星・地球・火星・木星・土星など。⇔内包。

内包と外延:内包(Intension)はある概念がもつ共通な性質のことを指し、外延(extension)は具体的にどんなものがあるかを指すものである。これらは互いに対義語の関係をもつ。

「日本の歴史は自分という存在の内部にあり、外部に様々な形をもって存在するものである」ということになりましょうか。

外部といえば、各地の史跡、お寺、神社、仏像、美術品(絵画、彫刻、書)、工芸品、数えきれないものがありますね。その文化の根元、源泉は、歴代の天皇陛下、皇室でありましょう。


歴史の中の良いことばかり書くと、「反省はしないのですか?」と聞く人もありそうですね。もちろん、反省すべき点に目をつぶる必要はありません。例えば戦争など、なぜ起こったのか、防ぐ道は無かったのか、そういう視点も必要です。しかしその場合でも、世界を見渡して、時間的、空間的にできる限りの広大な視野に立つことと、他人ごとでなく、自分だったらどうしたか、どこまで何が出来たかということを忘れてはならないと思います。自分に出来ないことを、祖先に要求しないという謙虚さが必要です。同じ立場に自分が立たされたとき、果たして信念に基づく勇気ある行動ができただろうかとか。できない弱い自分があれば、祖先を責める資格はないでしょう。といって、あっさりあきらめたり、絶望したり、自分を責めたりする必要もありません。少しずつでも、理想の自分に近づけばよいのです。祖先もそのようなあなたの努力を喜んでくれるはずです。

相手の立場に立つ、尊敬と思いやりを抱き、感謝を先立てて歴史に接することにより、先人のまごころに触れることができて、生き生きとした歴史に接することができて、それが今の自分の、明日を生きる栄養素、糧になるのだと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。

皆様が、ご先祖様のあたたかい愛に包まれて、今日一日つつがなく過ごされますようお祈り申し上げます。

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古事記神話について―神話と歴史の区別(2) [歴史]

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先般、8月27日に、神話と歴史の区別という文章を書いたところ、質問をいただきました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-27

私が神武天皇は神話であり、歴史ではないと書いたことに対して、それではあなたは神武天皇架空説を支持していて、神武天皇の実在を信じないのかというのが、質問の内容でした。

「歴史」ではないと書いたことに対して、神話を否定的に見ていると決めつけられたことにちょっと驚きました。しかし、そう受け取る人があったのは、私の書き方に、言葉が足りない所があったのでしょう。

「歴史的な証拠がない」と述べたことが、「架空である」となるのだろうかと、確認するため、「架空」の意味を辞書で調べてみました。

架空:根拠のないこと。また、事実に基づかず、想像によってつくりあげること。また、そのさま。

「架空」は、実在しない、根拠がないことが、断定される場合をいうようです。私は「実在しない」と断定したつもりはありませんでした。証拠がないから、実在したともしないとも断定はできませんが、それでも実在を信じたいというのが、私の考えです。


8月27日のブログで、私は以下のように述べました。


☆☆

現代において、『古事記』は神話であり、歴史ではありません。戦前では日本神話が全て正史であると教育されていて、弥生以前の研究をするのはタブーであるという風潮があったとのことです。

戦後はその反動もあり、考古学が盛んになったようです。「神話」は、時の権力者がでっちあげたものという見方もあり、神話が極端に軽視されていた時代もありました。

しかし、「神話」には、日本人の夢や理想が語られているので、心を豊かにする文学として、親しみ大切にして行きたいと私は思います。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-27

☆☆

確かにこれだと、神話が軽視されていることに対する、私の立場が曖昧かも知れません。

私は神武天皇を「実在が証明されていない」とも書きましたが、それは学問的に証明されていないと述べたまでで、「実在を信じるか」と聞かれたら、神話の一言一句そのとおりでなかったかも知れないが、「神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」と言われる方が日本を建国したという、古代の人々の言い伝えを私は素直に信じています、と答えます。古事記神話を編纂された時代の人々が、自分たちの都合の良いように勝手にでっちあげた架空の人物であるとは、決して思いません。

いつぞや聞いた話で、北極圏のイヌイットの話だったかと思います。ある西洋の学者が、昔からの口伝えで先祖の歴史を伝承してきたイヌイットにインタビューしたところ、先祖がマンモスと戦った話が含まれていたので、考古学と、イヌイットの伝承が奇しくも一致していることが証明されたという話を聞いたことがあります。

文字の無い時代に口承で、先祖代々、伝え続けられてきたことは、文字がある時代と同様に、あるいはそれ以上に丁寧に、細部を大切にして、伝承されてきたと、私は思います。

古事記の神話編纂に際しても、稗田阿礼という口伝えの伝承者からの話を聞いて編集したのですから、最も重要な建国神話の人物「神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」についても、間違いの無いよう、伝承されたままに出来る限り精確に語られたことを疑っていません。九州をはじめとする日本各地に、神武天皇東征に関わる様々な地名や伝説が残されているのも、記紀の記述を裏付けていると思います。

しかし、井戸からシッポのある人間が出て来たり、神と人が混然となっていたり、神武天皇の年齢が今の計算に合わないことなど、現代人の基準から言えば、言葉通りのことがあったと言い切ることにも無理があり、ある程度、象徴的に脚色された部分があるのは否定できません。だから、科学的な意味での「歴史」だと云えないけれども、「神話」であることそのものに、大いなる価値があると述べたいです。


神話について小田村寅二郎氏は次のように述べており、私も全く同感です。


☆☆☆

“なほ、神武天皇をはじめ三、四世紀までの天皇方は、全く架空に創られた人物であるかのごとき説が一般に信じられてゐるやうである。たしかに、天皇の御生誕御崩御の年月については、記紀の記載通りに信じられないところもあるが、だからといって、それがすべて後世の讖緯説による創作であるときめつけることには、まだ問題が残されてをり、その他、天皇の御事業についても、これを単なる創作として軽々しく否定することは許されないと思ふ。さらに以下にかゝげる御製がその天皇ご自身のものか否かについても、決定できない場合もあるが、かりに作者についてその間に微妙な変化が行はれてゐるにしても、それは決して恣意的なものではなく、長い民族の伝承の中に生まれた、古代の人々の表現である以上、われわれは、記紀が成立した当時の人々が信じてゐた伝承を、すなほに受けとって読んでゆくべきであると思ふ。”

(pp17~18)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


☆☆☆

「記紀が成立した当時の人々が信じてゐた伝承を、すなほに受けとって読んでゆく」という心でありたいと思います。「すなほに受け取って読んでゆく」のは、神武天皇の御製に限ることなく、記紀の記述全般についても、言えることです。そこに古代の先祖の魂と現代の子孫の魂の触れ合いがあります。


余談ですが、生長の家の谷口雅春氏は、存在の根本生命は“コトバ”であり、「存在」は「コト」であり、言葉と事は、“言事不二(ごんじふじ)”であると言われています。

“コトバ”が「存在」の根本にあるということ、運命は言葉が作るということ、色々と考えさせられます。

「神話」という生き生きとした言葉によって、日本国の魂が支えられていることを思うと、先祖の伝承を、大切にいとおしんで学んで行きたい、そこから何らかの教訓を得て、よりよい人生を送りたいと思うのは、その国に生まれた人間の自然な気持ちだと思います。


人間は、“コトバ”によって自分の人生を築いていきます。絶望のどん底で、もうだめだと思ったときでも、友人や家族の希望に満ちた一言によって、活気を取り戻すことができます。逆もありますが、そうならないよう、人に元気を与える言葉を発せられるように努めたいと思います。

コトバの使い方で、身近な話ですが、買い物で支払いのとき、何かのはずみで自分の気持ちが沈んでいるかなと思うときほど、「レジ係の、この人はいい人だ」と心の中で繰り返すようにしています。

コロナウィルスが騒がれているときにレジに立つこと自体がストレスかも知れないのに、そういう仕事をしてくれていることを思うと、普段以上に感謝の思いが湧いてきます。「私の前にいるこの人はいい人です」と、心で唱えると、自然にその人の良いところが見えて来て、自分の気持ちも楽になります。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって良い人々に囲まれた楽しい一日でありますようお祈り申し上げます。


タグ:皇室
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古事記の思い出―神話と歴史の区別 [歴史]

DSC_0466ヒマワリblog.JPG元明天皇が『古事記』を完成させたことに関連して、『古事記』について書いてみます。

私の『古事記』の思い出は幼時、たぶん4、5歳にさかのぼります。母は戦前生まれで戦後生まれの子供たちに古事記を伝えたかったらしく、寝る前に『古事記』を物語風にアレンジして、話してくれました。私は物語を聞きながらその光景がありありと目の前に浮かぶたちで、色々な光景を想像しながら聞いていました。

物語が進み、火の神を産んだときの火傷がもとで亡くなられた伊邪那美命(いざなみのみこと)を、黄泉の国に伊弉諾命(いざなぎのみこと)が追い求めて、対面する場面になりました。「見てはいけない」と言われていたのにもかかわらず、伊弉諾命は、待ち切れなくなって、手に持った櫛で火をともして、伊邪那美命が横たわっている有様を覗いてしまいます。

母の語りがあまりにも上手だったので、私の目の前には、横たわる伊邪那美命の頭、胸、腹、四肢にギョロリと眼を剥いた雷の神がゾロゾロ座っている光景がありありと浮かびました。恐くなって大声で泣きだした私に、母は慌てて話を中断し、なだめてくれました。その時は、ひたすら怖かったのですが、今は懐かしい思い出です。

それでも、『古事記』に悪い印象はありませんでした。原文を読み始めたのは大人になってからですが、お蔭様で断片的ではありますが、古事記の神話に親しんできたと思います。


現代において、『古事記』は神話であり、歴史ではありません。戦前では日本神話が全て正史であると教育されていて、弥生以前の研究をするのはタブーであるという風潮があったとのことです。

戦後はその反動もあり、考古学が盛んになったようです。「神話」は、時の権力者がでっちあげたものという見方もあり、神話が極端に軽視されていた時代もありました。

しかし、「神話」には、日本人の夢や理想が語られているので、心を豊かにする文学として、親しみ大切にして行きたいと私は思います。


一方、現在の歴史学の通説では、神武天皇は「フィクション」とされ、教科書でも神武天皇は歴史上の人物ではないとされています。神武天皇の後の8代までの天皇も実在が証明されていません。歴史学という学問において、そのような文書や記録に基づくことは必要であり、日本が国として教科書においてそのような方針を堅持していることは、学問的に必要なことなのだと思います。

それに対して、一国の総理大臣が学校教育と明らかに矛盾する説を公言するのは、好ましいこととは思えません。しかし、安倍総理は、神武天皇が歴史上の実在の人物であると信じているようです。

https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1117/ltr_161117_3345449054.html


人それぞれの考え方があるので、安倍総理が個人としてどのような信念を持っていてもかまいませんが、一国の総理の発言においては、国の決めた歴史教科書の方針と明らかに齟齬をきたすような発言は差し控えるべきだと思います。

また、安倍総理のブレーンで大勢を占める「皇位は何が何でも男系男子継承」支持派は「神武天皇以来、天皇は一貫して男系で続いてきた」と強弁しています。しかし、実在が証明されていない「神武天皇」という起点が不確かなのに、それから125代の天皇が男系で続いて来たということを、どうやって証明するのでしょうか。

神話と伝承の世界に天皇のルーツを求めるなら皇統譜の上でも「天照大神」が皇祖神です。同じ神話上の人物である「神武天皇」を起点とするよりも、「天照大神」を皇祖の初まりとするのが素直な見方だと思います。

※皇統譜:天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿

また、歴史学的な見方に立てば、「神武天皇」の「天皇」の名称が法的に成立したのは、「持統天皇」の御代ですから、「天皇の始祖」は「持統天皇」という見方が成り立つという説もあります。それまでは、神武天皇では無く、和風諡号(しごう)は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)で、中国から見れば「大王」でした。後世の人が「天皇」と名付けたわけです。歴史的に実在が証明されない、名称も天皇ではなく大王だった神武天皇から、男系が続いているというのは、「フィクション」であることを、安倍総理とそのブレーンの皆様はよく考えてほしいと思います。

天皇陛下のことを染色体で説明する「男系男子」支持派の意見を取り上げるのは不快ですが、科学的と称しながら、歴史上実在しない神武天皇からy染色体が続いているという考えなど、きわめて非科学的な、完全な虚構の産物であると言わざるを得ません。


何事も観念論にとらわれて、現実を見ないでいると、取り返しのつかないことになりかねません。

安倍政権には、現実を真剣に見つめて、御皇室の事を本気で考えて、国民の声を聞きながら、皇位継承問題に取り組んでいただきたいと、切に願っています。

今日も読んでいただき、有難うございました。

なかなか涼しくなりませんが、美味しいものを食べて、夏を乗り切ってください。

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

タグ:皇室 歴史
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アラビアのロレンス [歴史]

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「アラビアのロレンス」をDVDで観ました。

イスラム国のことが話題になるなかで、中東の歴史に関係がありそうということで、勉強を兼ねて、久しぶりの映画鑑賞でした。

第一次世界大戦の頃のことで現在の中東の混乱の原因の一つであるといわれるサイクス・ピコ協定を理解するのによい映画でした。

ロレンスは考古学者でもあったそうですが、私としては、映画の初めのおよそ軍人らしくなかったロレンスの変化が心に残りました。最初は一人の部下をやむをえなく処刑し、ロレンスにつき従っていた少年が亡くなったことを「二人の人間を死なせてしまった」と悲しんでいたのに、戦闘を重ねるうちに降伏してきた敵さえ無差別に射殺してしまうロレンス。戦争に直面した一人の人間の変貌が切なく哀しく思われました。

アラビア半島の歴史は、とても複雑ですが、「複雑さ」の一端に触れた気がする映画でした。

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