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男子を産めという価値観 [皇室典範改正]

20220917blogDSC_2164.JPG前回は、心の師藤原敏之先生の思い出をつづりました。著書を読み返して、予想しなかった文章に突き当たりました。今取り組んでいることに深く関わりがあるので、そのことを今日は述べたいと思います。

藤原敏之先生は明治41年(1908)生まれです。お姉さんが3人続いた後に生まれた、祖母待望の男の子でした。明治の家庭の空気が感じられる、藤原先生の文章を引用します。


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”私は姉が三人つづいて生まれた後の四番目に生まれた長男だったのです。今と違って長男は跡取りといって、家の後継ぎ者として大変重宝がられたものですが、ことに私の場合、姉三人でもう跡継ぎはないのではないかと思っていたときだけに(中略)私への期待と歓迎ぶりは大変なものであったというのであります。
(中略)
当時、祖父は亡くなってもういなかったのですが、祖母があり、家の中ではかなり権力を持っておられ、母はいつも遠慮し、気兼ねを強いられていたようです。一人目の姉のときは、それでも初孫ということで一応喜ばれ、祝福されたそうですが、二人目の姉のときから、段々と祖母の機嫌がわるくなり、母への風当たりが厳しくなりはじめたというのです。「三人目こそ男!」と期待していたところ、三人目もまた女の子というので、祖母は母を露骨(あらわ)に責め、病室でまだ寝ている母にわざと聴こえるように、「才吉(私の父)はかわいそうなものだ。かかり子も生まれない女子(おなご)腹でッ……」とどなるのだそうです。(中略)
四人目の私のとき、母は「もしもまた、この子が女の子だったらどうしよう」と処刑を待つ囚人のように、生きた心地がしなかったといっていました。そこへ私が生まれて来たのですから、私の誕生がどんなに喜ばれ、歓迎されたかは御想像にお任せするとして、子供の誕生を喜び、祝福しない家はないと思いますが、私の場合はそんな事情の所へ生まれてきたのですから、母はお産婆さんから「坊ちゃんですよ」ときかされたとき、「やれ助かった!」と手を合わせ、泣いたということです。
それからというもの、祖母はまるで人が変わったように、いつもニコニコしたやさしいおばあちゃんになり、とりわけ私をみるときには、相好(そうごう)をくずして、「よう来た、よう来た」とって喜んでいたそうです。(中略)母はそれ以後、鬼の首でもとったような、まるで凱旋将軍のごとく晴れ晴れとした心持ですごせたと話しておりました。”
(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(pp10~11) 日本教文社)

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私の身近にも、女の子3人目に生まれた女性があります(昭和初期生まれ)。女の子の父親は、誕生当時、遠隔地にいたのですが、女子誕生を知らせた電報の返信が「マタ オンナカ」だったと、いつまでも語り草になっているそうです。ある時、その女性に「女に生まれて良かったと思いますか?」と聞いたところ、「よかったと思ったことはない。ただ与えられた人生だから精一杯生きようと思った」と聞いて、胸を突かれる思いでした。

藤原敏之先生は、上記の文に続けて、次のように述べています。


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“人間がこの世に生まれるということは、決して人間業ではなく、人間の力や都合によるものでもなく、すべて神様の御意(みこころ)によるもので、神様の御計画に基づくものですから、人間の都合で喜んだり、厄介扱いするなどはまちがっています。祝福され、喜ばれて生まれて来た子は必ず幸せになります”

(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(p11 日本教文社)

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男だから、女だからではなく、生まれた子供が等しく祝福される世の中であってほしいと思います。この問題は、私が取り組んでいる女性天皇、女系天皇、女性宮家を認める皇室典範改正にも、深くかかわっています。矢部万紀子さん(1961年生まれ)というコラムニストが、著書『雅子さまの笑顔』で「皇室は、必ず男子を産まなければならないのか」と、述べています。


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“それは二〇一九年(令和元年)十一月五日の朝だった。テレビを何気なくつけると、「羽鳥慎一モーニングショー」が皇位継承問題を取り上げていた。作家の竹田恒泰さんが神武天皇以来の「男系男子」を守るべきで、「旧宮家の皇籍復帰」で安定継承はできると述べていて、保守派のいつものそれだった(中略)だが、聞こえて来た一人のコメンテーターの意見に驚いた。
弁護士の菅野朋子さんがこう言っていた。
「私が一つ申し上げたいのは、女性・女系天皇を認めないということがどれほど女性にとって苦痛か、女は男を産まなければいけないんですか。そこを強いられることになるんですよ。」(p199)”

“「今は一人の女性だけだが、どこかで(男子が)生まれればいい」ので旧宮家復帰なら大丈夫。そういう趣旨を語る竹田さんに、菅野さんは「女性にとって男子を産まなくては認められない。そのことを突きつけられる。その価値観というものは、今は国民になかなか受け入れられないのではないですか」と反論していた。(p200)”

(矢部万紀子『雅子さまの笑顔 いきづらさを超えて』幻冬舎新書)

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矢部万紀子さんは、もっと菅野さんの意見を知りたくなって、インタビューに行き、より掘り下げた意見を次のように、記しています。

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“菅野さんの思いには二つの視点があった。
ひとつは、皇后という立場の人を視る視点。菅野さんは「国民統合の象徴」は天皇だが、皇后という存在は「みんなの憧れ」「お手本」であり、「女性のあるべき姿」のようにとらえられていると、整理した。「あるべき姿」を示す人が男子出産を強いられれば、日本はそういう国なのかと女性たちは思う。そういう価値観があること自体が重たい、と。
もう一つは。隣人としての雅子さまという視点だ。(中略)
「例えば友人から「男の子を生んでほしいと言われた」と聞けば、多くの女性は自分の話のように受け取り、嫌な気持ちにあると思います。それができないと、女性として否定される。直感的にそう思うはずです。」(中略)
「国民統合の象徴が男性だけというのは、「女性差別」。これは男性もわかるだろう。けれども「絶対男の子を生まなくてはならない」ことが、どれだけプレッシャーか。そのことは、おそらく女性にしかわからないだろう、と。
相撲や歌舞伎など「男性だけ」の文化があることは理解する。だが、相撲は「継ぐ」ものでなく、歌舞伎は「継ぐ」人もいるが、そうでない人もたくさんいる。なのに「皇后になる方だけが『男子の後継者』を産む役割を堂々と背負わされている」と菅野さん。(中略)
話は、愛子さまのことにも及んだ。愛子さまは、「お母さんが批判されるのは、自分が女の子だからなんだ」と自分を責めていただろう。菅野さんは、そう見ていた。
二〇一六年(平成二十八年)、十五歳になった愛子さまが極端にやせ、拒食症が心配されたことがあった。(中略)
菅野さんは、自分が摂食障害になったことがあり、始まりは自己否定感だったと語った。愛子さまに自分を否定する理由など見当たらない。だからあの時の愛子さまは、「『男の子でない』」ことの葛藤」があったろう、と菅野さん。
愛子さまが生まれた時のことをよく覚えている。皇太子夫妻(当時)に待望のお子様が生まれたことを喜ぶ気持ちが世の中にあふれたことは間違いないが、それだけではない空気も確かにあった。「男の子」でなかったことをどう消化するのか、それぞれがそれぞれに考えた。(中略)
「男系男子は、それまでして守らなければいけないものでしょうか。」” (pp210~202)

(矢部万紀子『雅子さまの笑顔 いきづらさを超えて』幻冬舎新書)

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藤原敏之先生の誕生は明治41年(1908)のことです。それから、110年も経ったのに、皇室だけが、時代から取り残されるように「男子を産む」役割を背負わされているのは、おかしくないでしょうか。「女性・女系天皇を認めないということがどれほど女性にとって苦痛か、女は男を産まなければいけないんですか。そこを強いられることになるんですよ。」という菅野さんの言葉が心にひびきます。

「みんなの憧れ」「お手本」「女性のあるべき姿」のようにとらえられている皇后という御存在が、男子出産を強いられれば、日本はそういう国なのかと女性たちは思う、その価値観が重たくのしかかってくる、日本はそういう国でいいのでしょうか。

相撲や歌舞伎など、男子だけという文化はあることは、理解できる。しかし、皇室が必ず跡継ぎの男子を産まなければならない役割を背負わされている。それは、無理が生じている、その役割を保持し続けることは、国の進歩を停滞させ、活気を失わせます。

子供は天からの授かりものです。人間の都合で喜んだり、厄介扱いするなどはまちがっています。祝福され、喜ばれて生まれて来た子は必ず幸せになります。男でも、女でも、五体満足でも、そうでなくても、その子のかけがえのない生誕を祝福するとき、そこに本当の幸わせが表れると思います。

男でも、女でも生まれて来たことを後悔したくない、後悔させたくない、そういう日本であってほしい、そういう国を子孫に引き継ぎたいと、強く思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
台風が近づいているようです。皆様、どうぞお気をつけて、平穏な週末をお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。


タグ:女系天皇
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