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男系男子維持派との対話(七)―安定的皇位継承を願って [皇室典範改正]

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皇位継承を巡る有識者会議の第5回ヒアリングが6月8日に開催されました。

毎日新聞の記事によれば、政府は有識者会議の議論を踏まえた検討結果について、国会報告の時期を次期衆院選後に先送りする方針とのことです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6b0836e3a982755918fb0e302a588c6b08f5b2

速やかに典範改正してくれれば、喜んで自民党に投票しようと思っていましたが、楽観的に見過ぎていたようです。自民党にはもう投票しません。政府の、ご譲位を検討する際、上皇陛下のご意向に反対を繰り広げたような、現状維持・先延ばし体質に失望しています。第5回ヒアリングについては、後日、コメントいたします。

以下は、男系維持派から質問があったのではありませんが、関連して書いた文章です。男系派も少しは念頭にあるようで、非現実的な政略結婚的計画を考えているようです。

男系維持派は、皇室における女性の役割を軽視していないかというのが、私の疑問でした。悠仁様のご即位まで何も検討しないというのは、女性皇族のほとんどが皇室を出ても少しも気にならないからだと思えたからです。

日本の歴史を顧みれば、先代天皇直系の内親王や、先代女性天皇が、天皇をお支えする重要な役割を果たしてこられました。

歴史上、何人もの天皇直系の内親王が傍系天皇の正妻になり、夫に直系天皇の大御心をお伝えするお役目を果たしていらっしゃいます。

男系維持派が主張するように、父方の血筋を継いでいることだけが最重要だったのなら、歴代天皇の中で傍系や遠縁で即位された天皇が、前天皇や前々天皇の直系の内親王を皇后(正妻)とされる例が多いのはなぜなのでしょう。男系の血筋を継ぐことがすべてであれば、そのような配慮は不要だったはずです。

第26代・継体天皇は、第15代・応神天皇の5世孫です。 前天皇、第25代・武烈天皇と血筋が遠かったので、前々天皇(第24代・仁賢天皇)直系の皇女(内親王)手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后(正妻)とされました。世間でいう入り婿のようなお立場です。

継体天皇のお子様の第27代・安閑(あんかん)天皇も、第24代・仁賢天皇の皇女、春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)を皇后とされました。

同じく継体天皇のお子様の第28代・宣化(せんか)天皇も、第24代・仁賢天皇の皇女、橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)を皇后とされました。

安閑天皇、宣化天皇は、継体天皇の皇后・手白香皇女のお子様ではありませんでした。

すなわち直系天皇から見れば遠縁であったために、直系に近い第24代・仁賢天皇の内親王を皇后に迎えることにより、女系の権威によって御位を安定させることができたのです。

天皇直系の内親王を皇后に迎えた理由のもう一つに、身近に父たる天皇の背中を見てお育ちになった内親王から、夫である傍系天皇に、先代天皇のご日常の中で知ったこと、言葉を超えてお伝えできること、があったのではないでしょうか。

安閑天皇、仁賢天皇のお二方は、継体天皇と手白香の皇女の実子で「女系を通じて直系天皇に最も近い」第29代・欽明天皇がご成長遊ばすまでの「中継ぎ」だったという見方もできます。男系維持派は「女帝は中継ぎ」と主張しますが、男性にも中継ぎ的なお役目だった天皇はいらっしゃいます。

第49代・光仁天皇は即位されるご予定ではなかったのですが、妻である皇后の井上内親王が第45代・聖武天皇の皇女(直系)であられたために、天皇の御位に就かれることになりました。

光仁天皇は第38代・天智天皇の皇子の皇子、すなわち孫でした。当時の直系は天武天皇系でしたから、傍系の天皇の皇子とみなされていました。光仁天皇の次には、第45代・聖武天皇の皇女、井上内親王と間のお子様、他戸親王(おさべしんのう)が即位される予定でした。光仁天皇は天武天皇の系統をつなげるという、中継ぎ的なお役目を期待されて即位されたのです。

ところが、井上内親王が謀反の罪を着せられるというご不運があり、他戸新王のご即位がかないませんでした。その結果、光仁天皇の第一皇子が第50代・桓武天皇として即位されることになり、天皇の系統は、それまでの天武天皇系から天智天皇系に戻ることになりました。

すなわち光仁天皇も、正妻が、第45代・聖武天皇直系の皇女だったという、女系のご縁で即位された天皇でした。

第119代・光格天皇は、閑院宮典仁親王の第六王子であり、第113代・東山天皇の曾孫(4世孫)です。直系の前天皇、第118代・後桃園天皇とは遠縁でした。

ご即位にあたり、皇后に、第118代・後桃園天皇の皇女、欣子(よしこ)内親王を迎えられました。

天皇が選ばれるにあたって3人の候補者がありましたが、欣子(よしこ)内親王の配偶者に年齢などを考えてふさわしい方をということで、光格天皇が選ばれました。遠縁であった御方を直系の皇后がお支え申し上げたと言えます。

なお第117代・後桜町上皇(女帝)はたびたび内裏に御幸し光格天皇と面会して、朝廷の権威向上に努め、後の尊皇思想、明治維新への端緒を作った、光格天皇の良き補佐を務めたことから、しばしば「国母」といわれたとのことです(Wikipediaより)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%A1%9C%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87

後桜町天皇のことは、当ブログでも数回、取り上げています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306215183-1

このように傍系の光格天皇に、天皇の心構えを伝える、今なら帝王教育というべき、大切なお役目を果たされた、直系の女性天皇もいらっしゃいました。

[まとめ]

継体天皇、安閑天皇、仁賢天皇、光仁天皇、光格天皇など、傍系の天皇は、前天皇や前々天皇直系の内親王(皇女)を正妻(后)に迎えるという「入り婿」的な形で天皇になっておられます。

直系をいかにして伝えるか、男系が直系でないなら、女系の直系でつなごうということが、重視されていました。

男系派は、直系の内親王(眞子様、佳子様、愛子様)がすべて一般人になって(臣籍降下されて)皇室からいなくなられても、気にならないようですが、それは歴史をないがしろにする行いだと思います。

皇室の歴史や伝統を大切に思うのなら、旧宮家系男子について、これらの直系の内親王が重要なお役目を果たされた前例を無視して、婚姻なしに復帰させるのは、無茶苦茶な話です。「70年という、歴史上一度も無かった長期間」、皇籍を離れていた一般国民が直系の内親王とのご婚姻なしに、独身または伴侶である民間女性と共に皇族入りするなど、日本の歴史上前例がないばかりか、君臣の別を理解しないトンデモ方策だといえます。

GHQに無理やり臣籍降下させられたと言いますが、占領政策が終わったのち、すぐに皇籍復帰がなかったのは、日本人全体の選択の結果です。アメリカのせいにしてはいけません。

男系派も女性皇族のお役目に気づいたようで、「旧宮家の子孫」、又は天皇の男系の血筋(戦前の摂関家など)の男系子孫を、内親王の配偶者にしたいと画策しているようです。結果的に良い方がいらっしゃれば、排除する必要はありません。

しかし、それを皇婿(こうせい、皇族の男子配偶者)の「条件」にすると言う意見には反対です。あくまで皇室入りするご本人のお人柄や資質、何よりも内親王が選んだ方をお迎えするのが第1義であって、氏素性は2義的、3義的なことです。そうでなければ、今上天皇、上皇がお后を民間からお選びになられたことを否定することになります。

世間では小室圭さんと眞子様の御結婚について、根拠のあやふやな噂に基づく、否定的なニュースが氾濫していますが、私は眞子様の、世間の偏見に捉われない幅広い見方に、皇室のフレキシビリティを感じて、むしろ心強く、尊敬の念を抱いています。

国民とともに歩まれる皇室とはそういうことではないかと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様が充実した良い一日をお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。
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