SSブログ

民主主義国家のあり方を問う―コロナ特措法 [憲法]

DSC_119020210325blog.JPG
東京都から新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく時短命令を受けた外食飲食チェーン「グローバルダイニング」が22日、都の命令は違法だとして損害賠償を求めて東京地裁に提訴しました。同社の長谷川耕造社長の記者会見を見ましたが、骨のある方だと思いました。勇気ある提訴をしたこと、同社長のコロナ禍の見方に共感いたしました。スポーツ報知から記事を引用します。


☆☆☆

“グローバルダイニング社が東京都を提訴 長谷川社長、時短命令に「納得できないことにウンとは言えない」3/22(月) 14:05配信

 東京都から新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく時短命令を受けた外食飲食チェーン「グローバルダイニング」が22日、都の命令は違法だとして損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。

 都は18日、時短要請に応じなかった2000店舗を超える飲食店のうち27店舗に対し、同日から21日の4日間に午後8時以降の営業を停止するように命じる時短営業命令を出していたが、27店舗のうち26店舗はグローバルダイニングの店だった。

 代理人弁護士は、提訴の理由として「法的根拠や科学的根拠が曖昧なままに飲食店の営業を一律に制限することの是非や過剰な規制や特措法の違憲性を問題提起したい」として、企業としての損害賠償が主目的ではないとした。請求額は26店舗の営業が4日間停止したことを理由に104円とした。

 地裁で会見したグローバルダイニングの長谷川耕造社長(71)は「営業を短縮しないことでお客様に被害を加えることは絶対にあり得ないと確信していました」と述べた。1社のみでの提訴に至ったことについて「僕は天の邪鬼で日本的ではないんでしょう。納得できないことにはウンと言えない。言いたいことは口から出てしまう」と語った。”

(『グローバルダイニング社が東京都を提訴 長谷川社長、時短命令に「納得できないことにウンとは言えない」』スポーツ報知 3/22(月) 14:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4154e39c172d97431b09252666eaea767fadc62

☆☆☆


○都は3月18日、時短要請に応じなかった2000店舗を超える飲食店のうち27店舗に対し、同日から21日の4日間、午後8時以降の営業を停止するように命じる時短営業命令を出していたが、27店舗のうち26店舗はグローバルダイニングの店だった。

○3月22日、グローバルダイニング社が、都の命令が違法であるとして損害賠償を請求

請求額は104円。104円の内訳は1店舗につき1円、26店舗の4日分(18日~21日)で104円という安さ。

○弁護士は「過剰な規制や特措法(新型インフルエンザ対策特別措置法)の違憲性を問題提起」すると主張。

○長谷川耕造社長は「営業を短縮しないことでお客様に被害を加えることは絶対にあり得ない」と確信している。


この案件は、「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う」として、「CALL4」という“社会課題の解決を目指す訴訟“の支援に特化したウェブプラットフォームが、取り上げています。
支援者に呼びかけたクラウドファンディングは開設から3日間で、既に目標額1000万円を突破して1500万円を超えています。


☆☆☆

“法的義務のない時短要請に適法に従わなかった原告。原告が提出した弁明書に対して十分な回答をすることなく、東京都は施設使用制限命令を発出しました。「訴額1円」の国家賠償請求で「コロナ特措法」及び本件命令の違憲性と民主主義国家のあり方を問います。”

“【訴訟内容と社会的意義】

 2021年1月8日、緊急事態宣言が再発令され、東京都からの一律の時短要請が出されました。東京都は、2月26日以降、この要請に従わなかった2000超の施設のうち、113の施設に個別の時短要請を出しました。個別の時短要請に従わない場合には、東京都からの命令が発出され、命令に従わない場合には罰則も科されます。
個別の時短要請がかけられた原告は、都に対して、飲食業を狙い撃ちにした対策の問題点を弁明書にて指摘するも、都からは「正当な理由があるとは認められない」との一言しか返ってきませんでした。さらに、命令書の事前通知には、「緊急事態措置に応じない旨を強く発信するなど、他の飲食店の20時以降の営業継続を誘発する恐れがある」との記載がありました。

 特定の事業者に対してのみ、法律の枠外である事項を考慮して命令を発することは、民主主義国家の姿としてあるべきものなのでしょうか。

 この訴訟で原告が目指すのは、経済的利益の獲得ではありません。確たるエビデンスに基づかない東京都の対応について、司法の場できちんとした説明をしてもらうこと。そして、民主主義国家としてのあり方について、社会全体で考えるための一石を投じ、皆でより良い社会に向かう“きっかけ”とすること。この訴訟はこれらの公共的利益を目的としています。

 「訴額1円」で国家賠償を求めるこの訴訟は、あいまいな「自粛」や「要請」に頼ってきた、日本の民主主義の将来を決めるものになるはずです。(1円×26店舗×4日間で104円)

(「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う」”
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000071#case_tab

☆☆☆


この訴訟は、民主主義国家のあり方について、社会全体で考えるための訴訟であるということは、賠償金の少なさを見ても分かります。


訴状の訴訟提起の意義は、以下の通りです。弁護士倉持麟太郎氏のブログから転載します。

☆☆☆

「2020年に世界的に流行した新型コロナについて,日本でもその対応を迫られ,様々な感染症対策が実施された。その中で,日本社会の様々な問題点が露になった。政治権力は「自粛」の「要請」という語義矛盾を孕んだ法的根拠及び市民の権利制約の外延が極めて不明確で「あいまい」な施策を中心に,市民の行動変容を調達した。

このような状況のもと,原告は,法治主義及び法の支配の遵守の精神から,特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)に基づいた法的強制力を有する命令には従う旨を言明し,適法に営業を継続した。しかし,被告(東京都知事)は原告に対して営業時間短縮を事実上強制させるべく執拗にその要請を繰り返した上で,原告が市民が等しく享受する表現の自由の行使として自身のサイト及びSNSを通して適法な営業継続について「発信」を続けたことを特に問題視し,特措法第45条第3項に基づく命令を発出した。

 近代民主主義国家の「体裁」をとる日本において,原告の市民としてのまっとうな表現行為及び営業継続という適法合憲な権利行使に対して,東京都知事は自身の権力性を誇示するため,緊急事態宣言の終了が公示された段階で,あえて命令に及んだ。

これは,コロナ禍で露になった日本の「空気」の支配,無法の支配が表出した象徴的な一例に過ぎない。政治権力は科学,法,事実に依拠せず緊急事態宣言等の判断を繰り返し,国会を含め機能不全を露呈した。市民社会は「お上」に過剰に従う一方で,いわゆる“自粛警察”に象徴されるような全体主義的同調圧力と相互監視によって自ら自由を差し出した。その陰で,理不尽なしわ寄せを受けた弱者に陽があたらないまま,社会自体が萎縮している。

原告は,本訴訟を通じて,我が国に「偽物」ではない民主主義や法の支配は存在するのか,そして,我々一人一人が真に多様かつ公正でしなやかな市民社会を再構築することができるのかを問う。そして,本訴において特措法自体の違憲・違法を争う中で,コロナ禍における日本社会の空気への違和感を感じるすべての人々,また,声をあげられないすべての人々が心を寄せることのできる場として本訴訟を進めていく。」

(『「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う」訴訟、クラウドファウンディングで皆さんも当事者として闘いませんか』倉持麟太郎 2021.3.22 「ゴー宣ネット道場」
https://www.gosen-dojo.com/blog/30338/

☆☆☆


原告が、表現の自由の行使として自身のサイト及びSNSを通して適法な営業継続について「発信」を続けたことを、東京都が特に問題視し,特措法第45条第3項に基づく命令を発出したことも、訴訟提起の意義です。

原告の長谷川耕造さんは、規則の押し付け、世間の同調圧力で事が運ぶ日本社会に幼いころから疑問を抱いていて、「外から日本を理解したい」と海外を1年半放浪しました。その経験から、「日本が白黒つける国にならないと世界に通用しない」と会見で述べていました。

私も、事柄にもよりますが、こういう重要なことは白黒はっきりさせるのが好きなので、長谷川社長の意見に共感します。

「僕は天の邪鬼で日本的ではないんでしょう。納得できないことにはウンと言えない。言いたいことは口から出てしまう」も、いいですね!!

長谷川社長のように行動するのは、難しいことですが、そうありたいものです。

空気の支配に弱い日本人が、コロナ禍で露呈していると思います。その中に埋没していると、どんどん生気が失われていきます。そのような自分を脱したいと思います。


日本では、新型コロナはインフルエンザより怖くない病気です。子供や若者にほとんど死者が出ません。スペイン風邪やインフルエンザの方がむしろ子供や若者の患者が多いです。

日本のみならず、東南アジア諸国は、西欧諸国より患者数も死者数もけた違いに少ないのです。また西欧諸国でも、ロックダウンなど経済に影響する対策を取らなかったスウェーデンと、イギリスなどロックダウン、マスクなど対策を講じた国々と、人口比による患者数や死者数は、ほとんど変わりないというデータもあります。

ところが日本ではコロナはそれほど恐れなくてよいということを主張すると、you tubeでは、WHOの基準に合わないといって、投稿が削除されるそうです。日本を含む東南アジアと西欧諸国で明らかに患者数が異なるのに世界一律に規制し、言論の自由まで制限するWHOの基準はおかしな基準だと思います。

日本では、コロナの患者数、死者数はインフルエンザより少なく、高齢者の死亡率は、昨年はむしろ減少したそうです。それなのに、昨年は自殺者数が、特に女性と青少年で、大幅に増加しました。飲食店の閉店も次々に聞かれます。私の町でも、長年の飲食店、花屋などが次々に閉店しています。これ以上経済活動を止めていたら、その損失(人命も含めて)の方がはるかに大きくなります。

こういうことは、冷静に科学的なデータを知って、感情に走らずに判断する必要があると思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、健やかな一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:新型コロナ
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

憲法にいのちを吹き込む [憲法]

DSC_117020210317blog.JPG
昨日は、高森明勅氏のブログ「憲法は今、生きているか?」から、憲法9条に関する部分を取り上げました。

昨日は、既に引退した安倍政権を批判するような取り上げ方になりましたが、私は安倍政権が憲法改正について多くの人々が語り合える空気を作ったことは、よかったこととして評価しています。

9条改正案の内容が不備だったために、人々の支持が得られなかったことはむしろ残念なことだったと思います。


昨日の高森氏のブログについて、一部だけを取り上げたので、今日は、もっとブログ全体のテーマについて、学ばせていただきます。

☆☆☆

『少し先回りになるが、5月3日(憲法記念日)のゴー宣道場のテーマは勿論(もちろん)「憲法」。』

『現在、憲法を巡って、真に問われるべき“焦点”は何か。それは、憲法は今、本当に「生きて」いるのか、果たして最高法規としての規範性、理念性を保持できているのか、という根源的な問いかけではないか。


いくら“文字面”だけを「死守」しても、或いは逆に「改定」しても、憲法としての“命”が既に喪われているのであれば、全く無意味だ。そこを問う場を設けたい。その際、具体的な手掛かりとして、差し当たり3つの論点を考えている。


コロナ禍と自衛権と天皇。

先ず、コロナ禍における政府・自治体の様々な措置と憲法との整合性が、真正面から問題視される場面を殆(ほとん)ど見掛けなかった。そのこと自体、憲法の規範性が衰弱している表れではないか。』

『更に、憲法は皇位継承の具体的なルールを皇室典範に委ねている。だが、その典範のルール自体が、憲法が要請する「象徴」天皇の地位の「世襲」継承を“阻害”する内容になっている。

驚くべき矛盾だ。


ところが、その顕著明白で深刻この上ない矛盾が、今日までそのまま放置されて来た。憲法は皇位の安定継承を求めている。それを前提に、統治の基本的な仕組みが全て構想されている。なのに、憲法から名指しで委任されている典範が、その安定継承を困難にしている。』

(「憲法は今、生きているか?」高森明勅ブログ 2021年3月11日
https://www.a-takamori.com/post/210316

☆☆☆

5月道場のタイトルは、

「憲法は今、生きているかーーコロナ禍、自衛権、天皇」

とのことです。


「憲法は今、生きているか」という問いかけです。

今日のニュースで同性婚について、札幌地裁が、原告の賠償請求を退けた上で、「法の下の平等」を規定した憲法(14条)に反するとしたというニュースが流れました。

訴訟の場面で、憲法に基づいて判決が下されるので、憲法はもちろん生きていると言えます。

しかし、安保法制など、憲法違反の疑いのある法律が堂々と国会決議されてしまうことは、問題だと思います。

憲法9条さえ守れば、戦争に巻き込まれることは無いという護憲派の9条信仰も、結果的に憲法条文を形だけのものにしています。9条は、神社やお寺のお守りではありません。祈りは大切ですが、人事を尽くして天命を待つと言われるように、平和実現のためには、智慧を出し、努力しなければなりません。

自称保守派には、GHQの押し付け憲法だから、守らなくてもよいなどという人もありますが、制定されてから70年以上経った日本国憲法の条文に手をつけられなかった自らの不甲斐なさをこそ、反省しなければならないと思います。

と、偉そうなことをいう私も、憲法を考えるには、まだまだ知識や見識が足りません。
学び始めたばかりで、これから学ぶべきことがたくさんあります。

令和の憲法改正にあたっては、上から与えられるものを鵜呑みにするのではなく、多くの人々が、自分たちのこととして智慧を出し合って、取り組む必要があると考えています。
GHQが草案作りをした戦後の憲法のみならず、大日本帝国憲法も明治政府から下賜された憲法でした。どちらも、お上から与えられた憲法です。

令和の憲法は、多くの人々が議論を重ねて、草の根から作り上げる憲法であってほしいです。それによって、憲法が生きたものになります。

そのときに、憲法が一部の人々のものではなく、多くの庶民の、いのちが吹き込まれることになるのではないでしょうか。


5月のゴー宣道場の、各テーマは「コロナ禍、自衛権、天皇」とのことです。

緊急事態については、先日ブログで取り上げましたが、東日本大震災の時の「自衛隊が緊急事態の時に、法律違反にならないような法整備」にも関わってくると思います。

皇室典範との関連も、重要なことです。

どのテーマにも学ぶべきことがたくさんあります。

よりよい憲法が、日本の歴史始まって以来、初めて庶民の手によって創られることを想像すると、期待で胸が躍ります。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、楽しい一日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

憲法9条の改正案について [憲法]

以前、安倍政権の憲法第9条の改正案について、もっとすぐれた改憲案があると、当ブログで取り上げました。

本日、高森明勅氏が、このことを分かりやすく書いておられました。

その中で、第9条改正に関する部分を、引用させていただきます。

https://www.a-takamori.com/post/210316

☆☆☆

『しかし、果たして護憲派は、何を目指しているのか。
彼らの願いは叶(かな)っているのか。

もとより憲法9条それ自体(更に憲法の全条文)は、
これまで僅かな変更もなされていない。
しかし、それで護憲派は満足なのか。自衛隊という軍事組織が存在し、
在日米軍と共に、アメリカの国際軍事戦略の一翼をも担いつつある
という現実に対して、憲法がほぼ無力である現実をどう見ているのか。
一方、改憲派はどうか。

保守派の“希望の星”とも見られていた現職の首相が以前、
改憲派の集会で映し出されたビデオの中で、期限にまで言及して
改憲への気運を高めようとした…が、結局、空振り
(つまり安倍前首相の人気取りだけ)に終わった。』


『次に、憲法と自衛権の関係については、護憲派も改憲派もどちらも
“欺瞞的”である点では、五十歩百歩のように見える。
護憲派が、もし自衛隊違憲論を撤回しないならば、自衛隊の解体を
主張するか、憲法改正を唱えるべきなのに、どちらにも踏み込まない。
一方、改憲派の多くは、安倍氏が9条(戦力不保持、交戦権否認)を
維持(死守?)して、ただ「自衛隊」という語を書き加えるだけの
提案をした時に、それが自衛隊を「戦力」未満の“非軍隊”としての
地位に永遠に縛り付けることを意味するにも拘(かかわ)らず、
これに賛成した。
憲法を巡る欺瞞もここに極まったと言うべきだろう。』

(「憲法は今、生きているか?」高森明勅ブログ 2021年3月11日
https://www.a-takamori.com/post/210316

☆☆☆

1、 憲法と自衛隊の関係については、護憲派も改憲派も欺瞞的

2、護憲派は、現実に対して無力

護憲派は、9条の全条文を一切変更しないことを固守しているが、その結果、第9条は形骸化している。

・自衛隊という軍事組織が存在している。(違憲でないとされている)
・自衛隊は在日米軍と共に、アメリカの国際軍事戦略の一翼を担いつつある。

この現実に対して、憲法(9条)はほぼ無力である。

3、安倍改憲派の提案は、自衛隊を非軍隊としての地位に縛り付けるもの

改憲派は、9条(戦力不保持、交戦権否認)を維持して、ただ「自衛隊」という語を書き加えるだけの提案

・自衛隊を戦力未満の「非軍隊」としての地位に永遠に縛り付けることを意味する提案

9条の、戦力不保持、交戦権否認を固守して、自衛隊という語を書き加えたら、自衛隊を戦力でないとの地位に固定することになる。

とのことです。


私のよいと思う、9条改正案は、以下の通りです。(新国民民主党の改正案の考え方に、ほぼ一致しています)

「9条に、アクセル(戦力保持)を明記した上で、ブレーキ(自衛権行使の範囲、自衛隊の統制)の条文も新たに明記する」

現憲法9条は、自動車で言えば、ブレーキ(戦力不保持)しか規定されていないようなものです。

それでは、車が動かないので、(自衛のための)アクセル(戦力保持)を明記する必要があります。

その上で、ブレーキを使用すべき条件を明らかにして、自動車の暴走(アクセルの踏み違え)を防ぎます。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって充実した一日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

国民民主党の国民の声を聞く地道な憲法改正草案づくり [憲法]

国民民主党が、同党憲法調査会による、憲法改正草案づくりのための「憲法改正に向けた論点整理」を発表しました。

この「論点整理」を元に「『移動憲法調査会』のようなものを設けて全国で国民の声を直接うかがい、それを踏まえた最終的な憲法改正草案」に仕上げるとのことです。

私は、国民民主党だから、〇〇党だから、特に応援するというつもりは、今のところありませんが、この憲法改正の手法、改正案には、見るべきものがあると、考えます。

「憲法改正に向けた論点整理」を行い、全国の国民の声を「直接」聞いて、憲法改正草案を仕上げるという試みは、民主主義を育てる健全な手法で、とても良いことだと思います。


以下は、産経新聞デジタル版に掲載された記事です。
https://www.sankei.com/politics/news/201207/plt2012070037-n1.html

☆☆☆

”国民民主党は7日、憲法改正をめぐる現時点での党内議論を集約し、「憲法改正に向けた論点整理」として発表した。デジタル時代に即した人権保障規定の追加や同性婚を保障するための条文改定のほか、憲法9条改正の一案として、制約された限度での自衛権の行使や自衛隊の保持の明文化を提示した。同党は論点整理を基に、改憲草案づくりを進める。”

“ 憲法9条をめぐっては、自衛権行使の範囲や自衛隊の保持・統制のルールを規定する必要性に触れつつ、(1)9条2項を改定し、制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊の保持を明記する(2)9条1、2項を維持した上で、制約された戦力、交戦権の行使を認める例外規定の設置-の2つの条文イメージを列記した。”

“玉木雄一郎代表は7日の記者会見で「『移動憲法調査会』のようなものを設けて全国で国民の声を直接うかがい、それを踏まえた最終的な憲法改正草案に仕上げていきたい」と述べた。” 

https://www.sankei.com/politics/news/201207/plt2012070037-n1.html

☆☆☆

第9条についての改正案は(1)、(2)の2つの条文案があるとのことです。

(1) 9条2項を改定し、制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊の保持を明記する

(2)9条1、2項を維持した上で、制約された戦力、交戦権の行使を認める例外規定の設置

☆☆

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

《㋐案》
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦
争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。 【現行 9 条 1 項のまま】
② 前項の目的を達するため、Ⓐ又はⒸの範囲内の武力行使に限り、これを行うことが できる。また、当該武力行使のための必要最小限度の実力組織に限り、これを保持す ることができる。

※ 下線部分は改正部分

《㋑案》
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦
争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。 【現行の 9 条 1 項のまま】
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦
権は、これを認めない。 【現行の 9 条 2 項のまま】
前二項の規定にかかわらず、Ⓐ又はⒸの範囲内に限り、武力行使を行うことができ る。 ④ 第二項の規定にかかわらず、前項の武力行使のための必要最小限度の戦力を保持 することができ、また、当該武力行使に必要な限度内において交戦権の行使に当たる 措置をとることができる。
※ 下線部分は改正部分

(国民民主党のHPから転載)
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2020/12/a496a30ca55082bede1b85480540c5f4.pdf

☆☆

「自衛隊の文字を加えるだけで良い」という自民党案より、考え方が整理されていて、現実的な内容だと思います。

また、憲法裁判所を設置して、憲法違反を事前に審査することも、重要です。今の憲法では、実行された各施策が違憲かどうかについて、事後審査しかできないためです。

全体的に、よく考えられた、憲法改正草案づくりの「論点整理」だと思います。


神道学者の高森明勅氏も、国民民主党の憲法改正の動きについて、ご自身のブログに取り上げておられます。

https://www.a-takamori.com/post/201209

種を明かせば私は、高森氏のブログを通じて、産経新聞の記事を知りました。

☆☆☆

“12月7日、国民民主党が同党の憲法調査会(山尾志桜里会長)での討議を踏まえ、「憲法改正に向けた論点整理」を公表した。
野党が憲法全体に亘(わた)る改正構想を、責任ある形で提案したのは、画期的な出来事だろう。
その主なポイントは以下の通り(産経新聞12月8日付による)。
〔1〕人権保障(サイバー空間での個人の尊重。同性婚の保障)
〔2〕地方自治(住民自治・団体自治の明記。地方自治体の「課税自主権」の明記)
〔3〕9条(制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊保持の明記)
〔4〕検討すべき課題(安定的な皇位継承。緊急事態条項の制度化)”


“しばしばタブー視されがちな緊急事態条項も、決して誤魔化さず、検討すべき論点に盛り込んでいるのは注目に値する。
更に、皇位の安定継承についても、検討事項にしっかりと組み込んでいて、有難い。
但し、これについては、恐らく憲法それ自体の改正は、特に必要ないだろう。
憲法に「皇位は世襲」(2条)とあるのを前提に、皇室典範で継承資格を「男系の男子」(1条)に限定している、時代錯誤的な規定を改正すれば、それで解決する。
同党は「移動憲法調査会」のような形で、全国で国民の声を直接、聴く機会を設けたい、としている。
すこぶる意欲的だ。
それが実現したら、各地の有志はどうか積極的に参加されることを願う。
戦後日本にとって、最大の政治課題だった「憲法改正」。
このテーマが、野党サイドからの大胆な提起により、いよいよ新しい局面を迎えようとしている。
私ら国民は、責任感と主体性を持って、この世紀の大事業を“自ら”担おうではないか。”

https://www.a-takamori.com/post/201209

☆☆☆

国民民主党が提示したような、憲法改正に向けた論点整理を行い、国民の声を聞いて憲法草案を仕上げるという地道な試みが、現実に即した憲法改正につながるように思います。

また、皇位の安定的継承について、高森明勅氏によれば、憲法改正は必要ないそうですが、全国の国民の検討すべき課題として、同時に取り上げて各地で国民の声を聞いていただけることは、たいへんありがたいことです。

国民民主党のこれからの憲法改正に向けた活動に、期待いたします。

『移動憲法調査会』が近くで実施されたら、ぜひ参加したいです!

今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が生き生きした日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

安倍首相の改憲案よりも、優れた改憲案があると思います [憲法]

安倍総裁が三選されましたが、政治にはいろいろな問題が山積みです。

一方では、平成の御代となり、今上陛下の被災地ご訪問などの尊いご努力により、天皇陛下、御皇室に心を寄せる国民のパーセンテージ(割合)が増しているのは心強く、有難く存じます。

さて、憲法改正についてですが、私は安倍首相の案よりも、また九条に手を付けないで護るよりも、もっと日本の平和を守れる方向の改正案があると思っています。


憲法第九条に関する安倍首相の改憲案の内容は、2017年5月3日の首相メッセージにおいて、以下のように発表されています。

(以下引用)

「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」(引用終り)

(日本経済新聞 憲法改正に関する首相メッセージ全文 2017/5/3 15:19)
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFK03H16_T00C17A5000000/



私は安倍首相の「自衛隊を憲法に明文で書き込む」だけの改憲は不十分であるばかりでなく、日本の自衛隊の対アメリカ従属体制を強化する「憲法改悪」になりかねないと懸念しています。


私は、憲法9条の改正について、現在見聞きしている範囲では、以下の考え方を支持しています。



(以下引用)
「立憲的改憲」九条論

 「立憲的改憲」における九条論は、「自衛隊の明記」ではなく、「自衛権の統制」をその本質としています。
 具体的には、自衛隊の範囲を個別的自衛権に明文で制限し、その範囲において「戦力」であり、「交戦権」の主体であることを認める。それにより、二項との矛盾を解消し、立憲主義と平和主義を貫徹しようとするものです。(引用終り)

 (小林よしのり、井上達夫、山尾志桜里、駒村圭吾、曽我部真裕 著 (2018)「ゴー宣〈憲法〉道場 Ⅰ 白帯」p19 毎日新聞出版)


 憲法の条文に「自衛隊を明記する」のではなく、既存の「自衛権を統制する」という、現実に即した考え方です。


 統制する範囲は、武力行使の「旧三要件」の範囲です。


(以下引用)

(旧三要件)

・我が国に対する急迫不正の侵害がある
・これを排除するために他の適当な手段がないこと
・必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと(引用終り)

(小林よしのり、井上達夫、山尾志桜里、駒村圭吾、曽我部真裕 著 (2018)「ゴー宣〈憲法〉道場 Ⅰ 白帯」p20 毎日新聞出版)
 
 
「旧三要件」は、ウィキペデアの「武力の行使の『新三要件』」にも掲載されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%8A%9B%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%96%B0%E4%B8%89%E8%A6%81%E4%BB%B6%E3%80%8D

憲法第9条について、解釈改憲がなされて来たのは、国際的に軍隊を持たないわけには行かないという日本の現実を見て、歴代の日本政府が努力検討を積み重ねた結果でした。その現実を明文化します。これによって、第九条がより現実に即した文言になります。

ただし、集団的自衛権ありきで変更された新三要件より一段階前で明文化することによって、これ以上の政権の暴走、解釈の拡大を止めます。



さらに、「日米地位協定の正常化」も大切であると、同書には書かれています。


(以下引用)

「立憲的改憲」に欠かせないもう一つのピースが、日米地位協定の正常化です。
国民の意思で国家権力を統制しても、その国家権力が他国の意思に左右される状態では、統制は効きません。
 原発問題や基地問題など、わが国の根幹をなすエネルギー政策や安全保障政策が岐路に立つたびに、必ず現れる「アメリカ」というプレーヤー。
 この「アメリカ」との関係を正常化していく第一歩が、日米地位協定の正常化です。(引用終り)

(小林よしのり、井上達夫、山尾志桜里、駒村圭吾、曽我部真裕 著 (2018)「ゴー宣〈憲法〉道場 Ⅰ 白帯」p21 毎日新聞出版)


安倍首相の改憲案のように、今のアメリカ依存型の日本国の武力行使のあり方をそのままにして、自衛隊を憲法に明記したら、どうなるでしょうか。

イラク戦争の時に、アメリカが「戦争する」といったら、無条件で「show the flag」旗幟を鮮明にする=アメリカ支持を表明して来た日本は、今後「○○国と戦争する」とアメリカが宣言した時に、アメリカのいいなりに、日本の防衛と全く関係のない国との、大義も感じられない戦争に自衛隊を派遣することになりかねません。


「『立憲的改憲』九条論」の考え方で改正したときは、どうなるでしょうか。

「自衛権の統制」を憲法に明記することと日米地位協定の正常化によって、「日本が戦争したくない」、自国が侵略を受けていないし、大義も感じられない戦争に参戦しないことを、表明できる道筋を開きます。

(「我が国に対する急迫不正の侵害がある」場合の「武力の行使」を妨げるものでないことは言うまでもありません。)


分かりやすく言えば、自国が侵略を受けた時は祖国防衛のために立ち上がり、必要最小限の実力行使を行う、しかし、自国が侵略を受けていないし大義も感じられない他国の戦争には、参戦しないことを決定できる主体性を持った日本になる、日本の「自主独立」を目的とする改憲です。


「憲法改正」は重要ではありますが、「日本の自主独立」ための「手段」であってこそ、その改正が生きてきます。

従って、日本の自主独立など必要ない、アメリカ従属体制を強化する結果になっても、憲法の文言を少しでも変えることができればそれでよいという、安倍首相の案に対して、私は賛成しかねます。

日本の自主独立、アメリカとの同盟関係を今のように不平等なものではなく対等の友人としての同盟にすることが必要であるとも考えます。


その方向に向けての憲法改正を微力ながら、一国民として真剣に考えて参りたいと思います。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。