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天皇の御歌(68)―第126代・今上天皇(全国植樹祭) [天皇・皇后両陛下]

DSC_163820210603blog.JPG今日は、全国植樹祭と、天皇皇后両陛下、上皇上皇后陛下の御歌を学ばせていただきます。

令和3年5月30日に、第71回全国植樹祭が開催され、天皇皇后両陛下が、赤坂御用地から、初めてリモート(オンライン)にて出席(御臨場)されました。「全国植樹祭」は、年に1回、各都道府県の持ち回りで開催されています。
昨年は、今年の会場、島根県太田市で開催の予定でしたが、新型コロナウイルスのため、行われませんでした。

日テレNEWS 24 が植樹祭の模様を報道しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a21198f44576110692a055f0b1ea1c7d2eabf5


☆☆

天皇陛下「このかけがえのない森林を健全な姿で未来の世代につないでいくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます」

式典では、天皇陛下がコロナ対策に尽力している人たちに敬意と感謝の意を伝えた上で、「緑の循環」の実現を願うお言葉を述べられました。

島根県大田市では、50年前にも「全国植樹祭」が行われ、30日は、その際、昭和天皇が植樹したクロマツを赤坂御用地に運び、陛下がノコを入れた他、両陛下が新たにスギやヤマザクラなどの苗を植えられました。これらは今後、島根県に運ばれ、活用されるということです。

(「島根県で全国植樹祭 両陛下がリモート参加」、日テレNEWS 24、5/30(日) 18:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6a21198f44576110692a055f0b1ea1c7d2eabf5

☆☆

以下は、宮内庁ホームページに掲載されている「第71回全国植樹祭(オンラインにて御臨場)令和3年5月30日(日)の天皇陛下のお言葉の一部です。


☆☆☆

“島根県においては,50年前の昭和46年に,全国植樹祭が,今回と同じ大田市三瓶山(さんべさん)で開催されました。私は,平成3年に第15回全国育樹祭が同じ会場で開催された折に,昭和天皇と香淳皇后がお手植えになったクロマツの枝打ちをしました。その時,ちょうど20年前の全国植樹祭で植栽されたクロマツが立派な林に育っていたことと,紅葉で色づき始めた三瓶山(さんべさん)の美しい姿が深く印象に残っています。

今回,そのクロマツが全国植樹祭の会場で活用されていると聞きました。また,本日は,昭和天皇お手植えのクロマツを収穫し,皆さんと共に再び苗木を植え,新たな「緑の循環」を始めることができることをうれしく思います。昭和の植樹,平成の育樹を経て,令和の収穫に至るまでの豊かな森林づくりに要した長い年月と関係者の御苦労に思いを馳はせ,感慨を覚えます。

森林は,木材や水などの資源を始め,快適な環境や文化を育む土壌を人類に提供してきました。また,温暖化の防止など,地球環境の保全に重要な役割を果たしています。このかけがえのない森林を健全な姿で未来の世代につないでいくことは,私たちに課せられた大切な使命であると考えます。

本日表彰を受けられる方々を始め,各地域において日頃から森林や緑づくりに尽力されている全国の皆さんに敬意を表し,そうした活動が,今後とも多くの人々によって支えられながら,更に発展していくことを期待します。

また,木材を利用することに伴い,再び苗木を植えて育てることが,戦後に造成された森林資源が利用期を迎えつつある今,重要な課題となっています。この課題の解決に向けて,様々な分野の人々が連携,協力することにより,植えて,育てて使い,また植えるといった「緑の循環」が広く実現することを期待します。

終わりに,この大会のテーマである「木でつなごう 人と森との 縁(えにし)の輪」にふさわしく,人と森との関わりによる「緑の循環」が,島根の地から全国へ,そして未来に向けて継承されていくことを願い,私の挨拶といたします。”

(「第71回全国植樹祭(オンラインにて御臨場)令和3年5月30日(日)(三瓶山北の原(島根県))」、主な式典におけるおことば、(令和3年)天皇陛下のおことば
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#293

☆☆☆


天皇陛下は、平成3年の全国植樹祭に同じ会場で、昭和天皇と香淳皇后がお手植えになったクロマツの枝打ちをされました。

日テレNEWSは、今回は、天皇陛下が、伐採された同じお手植えのクロマツに、ノコギリを入れるお姿を映しています。

天皇陛下が仰る「緑の循環」を形に表わすお姿が、時の経過を思わせ、心に沁みます。

『この大会のテーマである「木でつなごう 人と森との 縁(えにし)の輪」にふさわしく,人と森との関わりによる「緑の循環」が,島根の地から全国へ,そして未来に向けて継承されていくことを願い、私の挨拶といたします。』

森林を守ること、人と森との縁(えにし)、それが島根の地から全国へ、そして未来に向けて継承されることを願われる天皇陛下、私も緑の循環を思い豊かな森林のある世界を願わずにおられない気持ちになります。


第一回の全国植樹祭は、昭和25年に、昭和天皇がはじめられました。

公益社団法人「国土緑化推進機構」のホームページで歴史・沿革を見ますと、昭和22年に、復活第1回愛林日植樹行事(東京・高尾)皇太子殿下ご臨席 (S22.4.4)とあります。正式な発足の前に植樹行事があったのですね。 
https://www.green.or.jp/about-us/history/


第124代・昭和天皇が、皇室の御料林が国有財産となり、帝室林野局に管理が移管された昭和22年に、「こりて世に いだしはすとも 美しく たもて森をば 村のをさたち」と、うつくしく森をたもつよう、にとの御製を詠まれたことを、先日当ブログでも、学ばせていただきました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-04-29

昭和22年まで皇室財産だった森が国有になったこと、国民の財産になったことを昭和天皇が慮られ、広く国民に「うつくしく森をたもつ心」をお伝えになりたいと思われたことが始まりだったことと、拝察申し上げます。

その昭和天皇の御心が、第125代・上皇陛下、第126代・今上陛下に脈々と引き継がれていることを、御製と御歌から、学ばせていただきたいと思います。

以下は平成の「歌会始」ですから、「御製」は今の上皇陛下、「皇后陛下」は上皇后陛下、「皇太子殿下」は天皇陛下、「皇太子妃殿下」は皇后陛下です。


☆☆☆

[平成三年歌会始御製御歌「森」]

“御製

いにしへの 人も守り来し 日の本の森の栄えを 共に願はむ

皇后陛下御歌

いつの日か 森とはなりて 陵(みささぎ)を 守らむ木木か この武蔵野に

皇太子殿下

五箇山を おとづれし日の 夕餉時 森に響かふ こきりこの唄”

(『平成三年「森」』、お題一覧(平成元年から)、お題一覧(昭和22年から)
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

☆☆

[平成八年歌会始御製御歌 「苗」]

“御製

山荒れし 戦(いくさ)の後(のち)の年々(としどし)に 苗木植ゑこし 人のしのばる

皇太子殿下

子供らと 苗木植ゑつつ 我祈る 健やかに育て 子らも苗木も

皇太子妃殿下
もろ手もちて ひたすら花の苗植うる 知恵おそき子ら まなこかがやく”

(『平成八年「苗」』、お題一覧(平成元年から)、お題一覧(昭和22年から)
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

☆☆☆


それぞれ平易なお言葉なので、説明はいらないと思いますが、感想を述べさせていただきます。

1首目、上皇陛下の御製は、昭和天皇の昭和天皇の御心そのままを継いでいらっしゃると思います。
「いにしへ」から、代々のご先祖が守ってきた日本の森を大切にしたいと思います。

2首目、上皇后様の御歌は、昭和天皇の陵の木々を詠われたのですね。昭和天皇のことがしみじみとしのばれます。苗木は今どうなっているでしょう。参拝に伺いたいと思います。

3首目、富山県五箇山(ごかやま)は、1995年12月に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」 として世界遺産に登録されているとのことで、五箇山に歌碑も作られたそうです。

https://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/bijutu/bi50.html

「歌碑に刻まれた御歌は、皇太子殿下が1991年(平成3年)の宮中歌会始 お題「森」に詠進されたお歌です。殿下が学習院高等科地理研究会の研修旅行で平村に来村になった折の感慨を詠まれたものです。」

http://nanto.zening.info/gokayama/Ainokura_Stone_monument_Crown_Prince.htm

白川郷五箇山は、自然に囲まれた合掌造りの家々がとても素敵なところですね。いつか行ってみたいです。

4首目、上皇陛下の御製は、戦後の荒れた山々に苗木を植えて、子孫に豊かな森を伝えようとした人々に思いを馳せていらっしゃいます。上皇様の戦跡に慰霊の旅を重ねられたことと思い合わせて、先の大戦と、その後の日本の復興を、いつもお心に留めていらっしゃることが偲ばれます。

5首目、天皇陛下の御製は、苗木とともに、子供たちのすくすく育つことを祈られています。健やかに生長されている愛子様のお姿とふと重ねられたのかと拝察申し上げます。

6首目の、皇后陛下の御歌に、皇后陛下の知恵おそき子らへの慈愛に満ちたまなざしが感じられ、このような深い思いを持つ、お優しい皇后陛下が天皇陛下と共にいらっしゃることを、尊くありがたく思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって喜びの多い一日でありますようお祈り申し上げます。

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宮中歌会始 [天皇・皇后両陛下]

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昨日、宮中の歌会始が3月26日に行われました。毎年、1月中旬に行われていたのがコロナのために延期されていました。お題は「実」でした。毎年、テレビ中継を楽しみにしていたのですが、昨日は見落としてしまっていて、残念でした。


天皇陛下の御製及び詠進歌は、宮内庁ホームページの「新着記事」→「令和三年歌会始御製御歌及び詠進歌」に掲載されています。

https://www.kunaicho.go.jp/

また、「皇室に伝わる文化」→「歌会始」→「御題一覧」で、「令和3年」をクリックすると同じファイルを見ることができます。

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html


天皇陛下の御製と皇后陛下の御歌と、御製、御歌の説明文を謹んで転載申し上げます。

☆☆☆

”御製

人々の 願ひと努力が 実を結び 平らけき世の 到るを祈る

天皇皇后両陛下には、昨年、世界全体で新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、多くの人命が失われ、現在まで引き続き世界中の人々が大きな試練に直面していることにお心を痛められています。こうした中、両陛下には、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、困難に直面している多くの人々の状況をよりよく理解し、お心をお寄せになりたいとのお気持ちで、様々な分野の専門家や、現場で対応に当たられている方々などからお話をお聞きになってこられました。この御製は、天皇陛下が、人々の願いと、人々がこの試練を乗り越えようとする努力が実を結び、感染症が収束していくことを願われるお気持ちをお詠みになったものです

皇后陛下御歌

感染の 収まりゆくをひた願ひ 出で立つ園に 梅の実あをし

天皇皇后両陛下には、新型コロナウイルス感染症の発生以来、感染拡大の収束を心から願ってこられました。そのような中、感染拡大に伴う緊急事態宣言下にあった昨年五月に、皇后陛下には、お住まいのある赤坂御用地内の御散策にお出になった折、御所のお庭の先にある梅林で、梅の木々に実った実がいつの間にか青々と大きくなっていることに目を留められました。感染症の感染拡大で人々の日常が様々な面で大きく変わった世の中にあっても、それまでの年と同じように花を咲かせ、実を育んでいる梅の木に、変わらぬ自然の営みの力をお感じになり、感慨深くお思いになりました。この御歌は、その時のお気持ちをお詠みになったものです”

(「令和三年歌会始御製御歌及び詠進歌」
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-r03.pdf

☆☆☆


世界中の新型コロナ感染症が早く収束して、安らかな日常が戻ることを、天皇皇后両陛下と共にお祈りさせていただきます。


宮内庁のホームページ「歌会始」の説明から、「歌会始」の歴史の一部を学びます。

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai.html


「歌会」は、奈良時代にも行われていたことが万葉集にも書かれていて、天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といい、天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。

「歌御会始」の起源は,必ずしも明らかではなく、鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。

明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ,それまでのような皇族・貴顕・側近などだけでなく,国民も宮中の歌会に参加できるようになりました。

明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。

大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められて、それまで歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。


[感想]

歴代天皇の御製を学んでいると、「歌御会」という言葉がよく出て来ました。萬葉集の時代からあったのですね。歌御会では、天皇と臣下が心の通う和歌のやりとりがあり、その情景を思い浮かべることができます。

「和歌の前に平等」という言葉があります。私はこの言葉が大好きです。身分も年齢も差別のない世界が「和歌」を通して現実に存在することが、ありがたいと思います。

一般からの詠進は、明治7年(1874)からで、「歌御会始」で披講されることになったのが明治12年(1879)とのこと、明治とは、そのように国民参加の歌会始のはじまりの時代でもあったのですね。

詠進:詩歌をよんで宮中や社寺などに差し出すこと。

披講:詩歌などの会で、作品を読み上げること。(歌会では読み上げた後に節をつけて歌うこと)

私は毎年の詠進歌で、最年少の詠進者、中学生や高校生ですが、の歌が好きです。

今年の歌は、長崎県 久田桃香さんの歌です

"実感がどうしてもない私が中学一年だといふことが"

新型コロナのために、入学式や授業に制限があったのでしょうか。そう思うと心が痛みます。それでも、中学に期待する初々しさが感じられます。その時にしか作れない和歌が選ばれたことに思いを馳せます。


なお、『週間新潮』4月1日号の記事において、いつもの曲解した深読みをして、眞子内親王の御歌を歌会始で公表される前に公開し、あろうことか、婚約中の方に捧げた和歌であるというような論調で取り上げたとのことです。私はタイトルをネットで目にしたのみで、中は読んでおりませんが、心ある方が某掲示板に投稿されていたのでその内容を知りました。

投稿者によれば、詠進歌というのは、宮中や社寺等に差し出す、いわば神仏に差し出すものであり、歌会始の場合は、天皇陛下に奉るものです。

それを勝手な解釈で、しかも歌会始の披講前に、一人の一般国民に捧げたように曲解して掲載した「週刊新潮」の罪は重大だと思います。日本文化と皇室に泥を塗るような行いです。 

「週刊新潮」のみならず、最近の一部マスコミの、皇室に対する曲解記事の非常識ぶりは、目に余るものがあります。売れさえすれば何を書いてもよいというものではありません。皇室の皆様が、反論できないお立場であることを知らないのでしょうか。

マスコミ関係者も、皇室のことが学校教育で教えられないことによって、行いの正邪の判断ができなくなった、被害者なのかもしれません。

皇室の正しい知識を身に付けて、そういうものに惑わされないよう、学びを深めて参りたいと思います。また、正しいことを知っている良識ある方は、気が付いたら、どんどん声を上げていただきたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様、どうぞ良い週末をお過ごしください。

タグ:眞子内親王
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新年ビデオメッセージ [天皇・皇后両陛下]

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皆様、新年おめでとうございます。
皆様お健やかに新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
昨年は当ブログをご愛読いただき有難うございました。
年末年始のいそがしさにかまけて間が空いてしまい、すみませんでした。

元旦、当地では晴れ渡った日でした。

1月1日の早朝、5時半にふと眼が覚めて自分はぬくぬくとふとんにくるまっているが、今頃天皇陛下は正装をお召しになり、四方拝を執り行ってくださっているのだ、この寒いのに、まことに有り難いことだと思いました。

https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html


新春には天皇・皇后両陛下のビデオメッセージを拝聴いたしました。

https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#276

画像が拝見できるので、天皇陛下の視線が間近に感じられました。 やさしさとあわせて、視ている国民に思いを届けたいとのお気持ちがひしひしと伝わる力強さが伝わって参りました。皇后陛下のおすがたにも、天皇陛下の御言葉にうなずかれ、国民を心から案ずるお気持ちがまっすぐに感じられました。

ビデオメッセージのお言葉の一部をご紹介いたします。
[黒ハート][黒ハート][黒ハート]

“天皇陛下

今年の正月は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,残念ながら一般参賀の場で皆さんに直接お話をすることができなくなりました。そこで,今回は,ビデオで新年の御挨拶をしようと思います。

振り返りますと,昨年7月に,豪雨により多くの尊い命が失われたことは痛ましいことでした。御家族を亡くされた方々や,住む家を無くし,仮設住宅などで御苦労の多い生活をされている方々の身を案じています。

この1年,私たちは,新型コロナウイルスという,今の時代を生きる私たちのほとんどが経験したことのない規模での未知のウイルスの感染拡大による様々な困難と試練に直面してきました。世界各国で,そして日本でも多くの方が亡くなり,大切な方を失われた御家族の皆さんのお悲しみもいかばかりかと思います。(中略)

私たち人類は,これまで幾(いく)度ども恐ろしい疫病や大きな自然災害に見舞われてきました。しかし,その度に,団結力と忍耐をもって,それらの試練を乗り越えてきたものと思います。今,この難局にあって,人々が将来への確固たる希望を胸に,安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ,皆が互いに思いやりを持って助け合い,支え合いながら,進んで行くことを心から願っています。

即位以来,私たちは,皆さんと広く接することを願ってきました。新型コロナウイルス感染症が収まり,再び皆さんと直接お会いできる日を心待ちにしています。

そして,今年が,皆さんにとって,希望を持って歩んでいくことのできる年になることを心から願います。ここに,我が国と世界の人々の安寧と幸せ,そして平和を祈ります。


皇后陛下
この1年,多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が,皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします。

また,この冬は,早くから各地で厳しい寒さや大雪に見舞われています。どうぞ皆様くれぐれもお体を大切にお過ごしいただきますように。”

(宮内庁ホームページhttps://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#276

[黒ハート][黒ハート][黒ハート]

「この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています」

難しいお言葉は一つもありません。

天皇陛下の御言葉の通り、互いに思いやりを持って助け合い、支え合い、遠くない将来に安心して暮らせる日々が必ずや来ることを信じます。

皇后陛下の寒さへの備え、お体をお大切にとのお言葉も、短いけれど真剣で、まっすぐなお人柄が伝わって参りました。


当たり前の日常がいとおしく尊く思えた昨年でした。
難局が去った後の伸び伸びした日常を思い、希望を胸に新たな年を歩んで参りたいと思います。

今年もよろしくお願い申し上げます。

読んでいただきありがとうございました。
お健やかな一日をお過ごしくださいませ。

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天皇の御歌(19)―天皇・皇后両陛下(2) [天皇・皇后両陛下]

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今日は、昨日に続いて今上天皇・皇后両陛下の御歌(おうた)を読ませていただきます。

一昨年の「平成三十年歌会始」の御歌です。御題は「語」でした。


☆☆☆

“皇太子殿下

復興の 住宅に移りし 人々の 語るを聞きつつ 幸を祈れり

皇太子殿下には、妃殿下と御一緒に、平成二十九年十一月に宮城県名取市閖上地区の中央第一団地を訪れられ、災害公営住ゆりあげ宅の整備の進捗状況などの復興状況についての御説明をお受けになり、引き続き団地に入居された被災者の方々と御懇談になりました。
皇太子殿下におかれては、復興事業が着実に進み、被災した方々が安心して暮らせる環境が整いつつある様子をお聞きになり、安堵される一方、これまでの御苦労を思われ、被災された方々一人一人の幸せを祈られた思いをお詠みになったものです。


皇太子妃殿下

あたらしき 住まひに入りて 閖上(ゆりあげ)の 人ら語れる 希望のうれし

皇太子妃殿下には皇太子殿下と御一緒に、昨年十一月に宮城県の名取市閖上地区などの被災地をご訪問になりました。その折、ゆりあげ津波被害の大きかった閖上地区に新しく建てられた災害公営住宅に入居された被災者の方々が、生活環境が少しずつ整いつつある中で、今後に向けての希望を見出されてきたことを語られたことに安堵され、嬉しくお思いになりました。
このお歌は、その時のお気持ちを、被災された多くの方々のこれまでの御苦労を思われながら、今後のさらなる復興を願われてお詠みになったものです。“

(「宮内庁ホームページ」 「お題一覧(昭和22年から)https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

☆☆☆


この御歌を拝見しながら、東日本大震災後まもなく、上皇陛下が、御発表されたビデオメッセージの一節を思い出しました。


☆☆☆

“被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。”

(「宮内庁ホームページ」東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成23年3月16日
 https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h02

☆☆☆


震災直後、上皇陛下のビデオメッセージで結びの部分の、このお言葉を忘れてはいけないと思っていましたが、震災から9年経ち、さまざまな日常の中で、つい忘れがちでした。この機会にふたたび、心にとどめたいと思います。

東日本大震災の全国の避難者数は、約4万4千人で、いまだに全国に避難されているとのことです。


☆☆

“令和2年4月9日現在)を把握しましたので、以下の通り公表します。
① 全国の避難者数は、約4万4千人
② 全国47都道府県、956の市区町村に所在“

(中略)

 “(注1) 自県外への避難者数は、福島県から30,211人、宮城県から3,867人、岩手県から961人となっている。“

(「復興庁 全国の避難者の数 (所在都道府県別・所在施設別の数 令和元年度公表分)」 
 https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/hinanshasuu.html

☆☆


このデータを見て、とりわけ心が痛むのは、福島県からの避難者が、全避難者約4万4千人の中、30、211人も、いらっしゃるということです。原子力発電所の事故のために帰りたくても帰れない人々が多いのではないかと思います。

心の痛むことであり、原子力発電所事故の影響が9年たった今もなお続いていることを忘れてはならないと思いました。原子力発電について、一番、気にかかるのは、発電で必ず発生する大量の放射性廃棄物の放射能の影響がなくなるまで、10万年という、気の遠くなるような時間が必要だということです。このこと一つとっても、原子力発電所については、今後、縮小、廃止以外の選択肢はないという思いが強まります。

話が福島に飛んでしまいましたが、閖上の話に戻します。


震災後、3年ほどたったころ、東北を旅行いたしました。閖上地区だったと思いますが、町がそのまま消えてしまい、海まで何もない土地が広がっている光景に、何とも言えない衝撃を覚えました。ただ頭を垂れて手を合わせることしかできませんでした。また、そのような困難な中で、明るくお店を開いている皆様から、希望を与えていただいたことも、思い出します。牡蠣が美味しかったです!

閖上地区には、平成31年3月29日、名取市震災メモリアル公園予定地にて、「皇太子同妃両殿下御歌碑除幕式」が行われて、冒頭の御歌の歌碑が建てられたそうです。刻まれた字は、名取市内の中学生が書いた字をモデルにしたとのこと、心あたたまるエピソードですね。


2020年3月1日付け、警察庁のまとめによれば、東日本大震災の死者は1万5899人、行方不明者は2529人とのことです。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災者の皆様のご多幸と、さらなる復興の進展を心よりお祈り申し上げます。


今日も、ブログを読んでいただき有難うございました。

今日一日が、皆様にとって、安らかな一日でありますよう、お祈り申し上げます。


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天皇の御歌(18)―天皇・皇后両陛下 [天皇・皇后両陛下]

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これまで、歴史の勉強を兼ねて、歴代天皇の御歌(おうた)を読んで参りましたが、現代に戻って、令和を迎えられた昨年の、今上陛下と皇后陛下の御歌を、今日は学びたいと思います。


昨年の「平成三十一年歌会始」、御題は「光」でした。

この年の4月末、上皇陛下が譲位され、今上陛下が即位されました。その記念すべき年の正月の「歌会始」で、ご即位を目前にされた、今上陛下と皇后陛下が詠まれた御歌です。


☆☆☆

”皇太子殿下

雲間より さしたる光に 導かれ われ登りゆく 金峰(きんぷ)の峰に

皇太子殿下には、高校一年生でいらっしゃった昭和五十年七月に、山梨県と長野県の県境にある金峰山にお登りになりました。当日は曇りでしたが、時々日がさす天候でした。この御歌は、そのような中、山頂付近で、さしてくる光に導かれるように歩みを進められたときの御印象を思い出されつつお詠みになられたものです。

皇太子妃殿下

大君と 母宮の愛でし 御園生(みそのふ)の 白樺冴ゆる 朝の光に

天皇皇后両陛下が昭和時代をお過ごしになり、現在は皇太子同妃両殿下がお住まいの東宮御所のお庭には、両陛下が慈しまれ、大切に育てられた、皇后陛下のお印の白樺の木立がございます。この御歌は、そのような白樺の木々が、朝の光をうけて白く輝いている様子を、この美しいお庭の景色を御覧になりながら二十数年間過ごしてこられたことへの感謝のお気持ちを込めて、お詠みになられたものです。”

(「宮内庁ホームページ」 「お題一覧(昭和22年から)https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

☆☆☆

今上陛下の御歌は、光に導かれ、金峰山の峰を登られるお姿に、雲間よりさす光に導かれ、高い峰に登り続けよう、そのように天皇という思い責務を背負って、上皇陛下の御心を継いで力強く歩もうという、御即位に向けての固い御決意が感じられます。金峰山は、奥秩父連峰の盟主であるとされる標高2599メートルの高い山です。

私は山登りの経験は1、2回しかありませんが、それでも息を切らしながら登り切って、頂上の峰から地上を見渡す時の気持ちよさは格別でした。


皇后陛下の御歌は、上皇陛下と共に歩んでこられた上皇后陛下のことを思い、お二方への深い感謝を詠われると同時に、これから今上陛下をお支えする皇后として、新たに歩まれる御決意も感じられます。


ご譲位は、江戸時代の光格天皇以来、220年ぶりとのことです。

私などは、天皇陛下というと、明治以降の歴史の天皇の印象が強く、天皇は終身という先入観がありましたが、いざ、御譲位と御即位を目の前にすると、上皇陛下のご判断が正しかった、現代にふさわしかったと、思いました。


歴史を振り返りますと、これまで譲位されたのは、歴代天皇125代のうち59代(北朝を含めると64人)で、半数近くが譲位されていました。それぞれの時代の事情があって、20代、30代の若いご年齢で譲位された天皇もあります。


現在の、上皇陛下は、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていく」のが天皇のお役目との見識を持たれて、「譲位」の復活という、優れたご判断を、ご発案されました。


この時のビデオメッセージは、今でも宮内庁ホームページで、読むことができ、ビデオを視聴することもできます。
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12


私も拙いながら、上皇陛下のメッセージについて、当ブログで取り上げさせていただきました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306215190-1


この時は、政府が御譲位実現を、渋っていて、御譲位が実現するかどうか、不確定でした。

上皇陛下の御決意がなければ、昨年の喜びの行事はなかったことを思うと、当初の政府の判断が間違っていたこと、上皇陛下のご判断が正しかったことが、よくわかります。

御譲位と御即位について、上皇陛下の先見の明があったことは、明白です。


長年の懸案、上皇陛下が希望される皇位の安定的継承のための、女性天皇を実現し、女系天皇を容認する方向の、皇室典範改正についても、現政権は、相変わらず渋って足踏みしていますが、現状を冷静に見つめて、一刻も早く、典範改正に取り組んでほしいと思います。そのために、私もできるだけのことをして参りたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。

皆様にとって、充実した新しい発見のある一日でありますようお祈り申し上げます。

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