SSブログ

女系天皇排除は人種差別と同じ [皇室典範改正]

20220823blogPICT1133.JPG男系派は、「女系天皇は絶対ダメ」と言います。そして、国民は男系と女系の違いを理解していないから、女性天皇、女系天皇に賛成するのだと主張します。

実は「男系」と「女系」を歴然と区別し女系を忌み嫌う思想は、2005年小泉内閣の皇位継承を検討する有識者会議の報告に反対した男系派が大声で言い始めたことで、それまでは、専門家以外ほとんど耳にしたことのない区別です。

男系派の言う男系、女系の定義は以下の通りです。

「女性天皇」とは女性の天皇のこと
「女系天皇」とは「父親が皇統(天皇の血統)に属さない天皇」
「母親しか皇統(天皇の血統)に属さない天皇」のこと

実は、この女系の定義は、人種差別の定義と同じ考えに基づくものなのですが、それを指摘する人は、男系派にはいません。

女系反対と声高に言うのは、女性は男性より一段低いと考える女性差別思想であることに、気がついていないようです。

人種差別と、女系天皇の定義を比べて見ます。


白人の黒人差別を例に上げます。人種差別のことを書くのは本当に嫌です。私は、地球上からすべての人種差別が無くなってほしいと強く願っています。人種差別が無くなってほしいとの願いから、書かせていただきます。

ここに祖先がずっと白人で続いて来た家系があるとします。その家系に黒人の先祖が一人でも入ったら、その子孫はすべて「黒人」だとされます。逆を考えて、ずっと黒人で続いて来た家系に白人の先祖が一人あったら、その子孫は「白人」と言えるはずですが、現実はそうなっていません。子孫は「黒人」とみなされます。

なぜそうなるかというと、黒人は白人より一段劣っている、だから黒人の血が一滴でも入ったら、その子孫は「黒人」になるという人種差別があるからです。これをワンドロップ・ルールと言います。


++++

“ワンドロップ・ルール(one-drop rule)とは、黒人の血が一滴でも混ざっていれば、その人物を「黒人」と分類する法的な人種分類です。アメリカ合衆国の多くの州では1910年代から1960年代までこの制度を採用していました。”

“1924年の「人種純血保全法(Racial Integrity Act)」は白人と非白人の結婚を禁止する目的で作られた法律で、このとき黒人の血が一滴も混ざっていない者が「白人」となりました。”

(「【ワンドロップ・ルールとは】その意味・ジムクロウ法との関係を解説」リベラルアーツガイド)
https://liberal-arts-guide.com/one-drop-rule/

++++


黒人と白人が先祖であれば、子孫はすべて黒人であるというのは、どう考えても不条理なルールです。

男系派の言うところの「女系反対」は、このワンドロップ・ルールに酷似しています。

男系でずっと続いて来た天皇の家系を、一人でも女系で生まれた方が継げば、その子孫は、すべて女系の子孫であるとする。

もし、ここで男女差別、女性は男性より劣っているという心が無ければ、次のようにも言えるはずです。

女系で続いて来た天皇の家系を、一人でも男系で生まれた方が継げば、その子孫はすべて男系の子孫であるとする。

コトバ遊びのようになってしまいますが、それで初めて平等だと言えると思います。

細かく言えば、黒人の家系に白人が一人いても、白人の家系に黒人が一人いても、その子孫は、いずれも白人と黒人両方の血を継いでいることになります。いずれにしても、平等にものごとを考えてほしいと思います。

肌の色で差別するのはよくないことですが、男女の差別もよくありません。

ところが、男系、女系について、男女差別の概念を持ち込んだのが、男系派です。男系になったり、女系になったりする場合、精確には「双系」だということができます。

そして彼らの言うところの、これまで続いて来た男系継承は、近世以前は、男系→双系→双系→男系というように、両親とも天皇の血筋を引いている場合も多かったのです。


皇位継承において「男系継承は2000年続いた日本の伝統」と考えている人は多いと思います。

けれども、歴史を詳細に学びますと、男系継承は2000年以上続いてきたとしても、それが日本の伝統だったと言い切るのは、精確な表現ではありません。

おおざっぱに整理しますと、皇位継承を支えた社会の変遷は、次のようになります。

1、2600年前 ~ (日本誕生、神武天皇即位)双系社会
2、1400年前(西暦645年)~ 明治22年(1989年) (男女の法制定)男系優先社会
3、133年前(西暦1989年)~ 現在(旧皇室典範制定以後)男系優先社会、皇位について男系男子限定が決められる

1、は神話の時代なので、考古学的に証明されていない伝承ですが、歴史が記録される以前でも1000年以上の長い期間があったとされています。


前回のブログに書いた通り、皇位継承が男系男子に明文化されたのは、明治の皇室典範が始まりです。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2022-08-18


男系継承が2000年以上続いたのは、日本人の先祖が男系を何が何でも続けなければと死守して来たのではなく、男系優先社会が長年続いた中で、側室制度に支えられ、男系優先の「慣習」を続けることができたというのが、精確な言い方だと思います。

側室制度が廃止された時、男系限定継承も、いずれ続かなくなる運命だったのです。

明治政府もそれを見越して、女系容認案を皇室典範の原案に盛り込んでいましたが、明治時代には、一夫多妻が珍しくなかったこと、明治天皇に男子の皇太子(後の大正天皇)が既にいらして、その方に皇位を継いでいただくことを想定し、最終的に男系男子限定が採用されたのです。

令和では、一夫多妻などと言ったら、大変なことになります。そして、天皇陛下の直系のお子様の愛子内親王がいらっしゃいます。悠仁親王は、天皇陛下の甥御さまで傍系になります。お父様の礼宮殿下も素晴らしい方ですが、日々、天皇の背中を見て成長された愛子内親王に皇太子になっていただくのが、最も自然なことと、上皇陛下も考えていらっしゃったと、拝察申し上げます。


いずれにしても、男系派が主張する女系天皇絶対反対の考え方は、人種差別のワンドロップ・ルールと同じです。ワンドロップ・ルールに基づく女系天皇拒否の男系派の思想は、なんびとも差別されない天皇陛下の大御心に、ほど遠い思想なのだと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
また暑さがぶり返して来ました。皆様お身体にお気をつけて夏を乗り切ってください。お元気で!


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。