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男系男子限定は、日本古来の伝統ではない [皇室典範改正]

20220818blogDSC_2129.JPG一昨日と別な角度からのサルスベリ。ピンクがきれいです。

男系男子限定の皇位継承は、近代の産物で、日本古来の伝統ではありません。

男系固執派は、男系男子による皇統継承を、2000年(神話を含めれば2600年)以上、続いた伝統と言いますが、それは真っ赤なウソ、ウソといって悪ければ、完全な事実誤認です。

皇位継承が男系男子限定になったのは、明治22年(1889年)の皇室典範施行以来のことで、たかだか133年前、2600年の20分の1という、近世の出来事です。

いやいや男子限定は別としても、男系継承は2000年以上続いて来た、だから女系継承はダメと、言われますか?

日本が男性優位の社会になったのは、奈良時代以降のことで1300年前です。その前、1300年間は、女性も男性と肩を並べて活躍していました。女性首長、女性家長は珍しくなく、結婚も妻問い婚で、妻の実家が強い力を持っていました。

奈良時代以降、江戸時代まで、確かに日本は男性優位社会でした。諸条件が重なって、自然な流れとして、男系継承が続いてきました。

けれども男系が女系がと、問題視されるようになったのは、実は、極めて最近のことです。

男系継承が「日本古来の伝統」というのは、現代の人々、正確に言えば皇室典範改正の議論が始まった2005年以降に、男系固執派が作り上げて、大々的に宣伝し、世間に浸透させた幻想です。

これまで諸条件が重なって続いて来たから、未来永劫続けなければならないとは限りません。男系継承は、側室が当たり前だった時代だからこそ、続けられた慣習に過ぎません。

これまで続いて来たから止められないというなら、神武天皇以来、複数の奥様を持つことが、明治天皇まで、当たり前のこととして、続いてきた側室制度も止めてはいけないことになります。しかし、大正天皇から奥様(お后)はお一人になり、昭和天皇の強いご意向により、女官制度も廃止され、お后がお一人という、新しい「伝統」が始まりました。

複数のお后を持たなければ、男系のみの継承が行き詰まるのは、生物たる人間には避けられないことです。当然の帰結として、男系限定の継承も時代とともに変わらざるを得ません。

だからこそ、ヨーロッパの王朝は、次々に、男女問わず長子優先の継承に舵を切ったのです。なぜ、日本だけ、それをためらうのでしょうか?

男系固執派は、なんだかんだと言いますが、説得力のある回答を出すことはできていません。

明治の皇室典範は、何故、男系男子限定に定められたのかということについて、神道学者・高森明勅氏が、分かりやすくブログで書いてくださっています。

高森氏のブログによれば、「男系限定」、「男子限定」はそれぞれ、日本書記とサリカ法にのっとって決められたそうです。

(“皇室典範が「男系男子」限定を採用したのはサリカ法の影響” 2022年2月20日 高森明勅ブログ)
https://www.a-takamori.com/post/220221


高森氏のブログを読んでいただければ一目瞭然ですが、私なりの要約と感想を述べて行きたいと思います。

1、 男子限定の根拠は、西欧(プロイセン、ベルギー、スウェーデン)のサリカ法(キリスト教カトリック思想に則った王位継承の考え方)

2、男系の根拠は、シナ文明の男系優先思想を取り入れた『日本書紀』

どちらも、日本古来の思想ではなく、外来思想です。

日本が外来思想を取り入れて、次々に改革を行ってきた国柄は、美点でもあります。
しかし、それを「日本古来」と思い込んでは、事実を見誤ります。

日本が新しい外来思想を取り入れるときでも、日本本来の個性を失いませんでした。

日本本来の個性は、男系至上主義でも、男子絶対優先でもありません。男性も女性も等しく尊重するのが、日本古来の伝統です。双系継承は、日本古来の伝統に深く根差した改革なのです。


追って続きを書きます。


今日も読んでいただき、有難うございました。
今日も明日も、皆様にとって素晴らしい一日でありますよう、お祈り申し上げます。


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