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日本の皇室は政治から離れている [上皇陛下]

20220906blogDSC_2158.JPG日本の皇室はヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れています。
天皇は政治的対立を超えた神聖な精神的権威としての役割を担っておられます。



今日は、高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』を学びたいと思います。
2017年発行ですから「天皇陛下」は、現在の上皇陛下です。
文章は、陛下の次のお言葉から始まります。

☆☆☆

〔陛下のお言葉〕
“日本の皇室はヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れている
(昭和47年12月19日 39歳の誕生日を前に)“

“「日本の皇室はヨーロッパの君主と違い、政治から離れているのでどうということはありません。天皇陛下(昭和天皇)からかねがね、これまで時の政府がどう変わろうと、永続してきたところに意味があると聞かされています。明治以後、政治にかかわりを持たれたこともあったが、本来は政治から中立的で、それらを超えたものであり、今後もそうあらねばならないと思っています。」”

(pp23~24)
(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』双葉社)

☆☆☆


お言葉が発表された、昭和47年(1972)は、日本共産党が第33回総選挙で38議席を獲得し大躍進した年です。高森氏は“当時の共産党は今以上に天皇制に批判的であった。共産党は民主連合政権構想を打ち出し、政権入りを目指し、それに一定の現実味もかんじられたような政治情勢であった。”と述べます。

当時の日本共産党は「君主制の廃止」を綱領に掲げており、(「君主制の廃止」の課題は、2004年の綱領改定で削除されました)、日本共産党が政権を取れば、天皇制廃止になりかねないことに一定の現実味が感じられました。そんな時代背景の中で、心配して質問した記者に向かって、陛下(当時は皇太子)は、「どうということはありません」、「(天皇は)本来は政治から中立的で、それらを超えたものであり、今後もそうあらねばならない」と答えられました。

高森氏は、陛下のお言葉を次のように説明しています。


☆☆☆

“陛下のこのお考えは、一貫している。慶應義塾を創立した福沢諭吉の著作である『帝室論』及び『尊王論』は、近代日本における卓越した天皇論と言われるが、これを教科書に勉強されていたことも、その背景にあるだろう。著書の中で、福沢諭吉が説いているのは次のような考え方だ。
① 国家には世俗的な利害の対立と調整に関わる政治の領域と、それを超えた神聖な精神の領域がある。
② 世俗政治の領域は政党と議会が担当する。近代的な政党政治は、合理性の一方で激しい権力闘争や策謀も免れない。
③ その政治的対立が避けがたければこそ、そうした対立を超えた高く神聖な精神的権威によって国内の統合が守られる必要がある。皇室はそうした精神的権威としての役割を担われるべき存在だ。”
(pp24~25)
(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』双葉社)

☆☆☆


皇室は、政治的対立を超えた高く神聖な精神的権威としての役割を担われるべき、この考え方を陛下は実際に身に付けておられ、その後も、繰り返し、このような表現をされています。平成18年(2006)に6月6日にも「他国の同じような立場にある人達(ヨーロッパの君主)と比べると(天皇は)政治へのかかわり方は少なかったと思います」と述べておられます。(前掲書p25)

作家の杉田幸三氏は、天皇にとって、政党は与党だから、野党だからの区別はない、どちらにもくみしない、また敵対もしない、共産主義すら、天皇の共産党といってもいのではないかと述べていますが、私はそれを読んで深い感銘を覚えました。執筆は昭和62年(1987)ごろで日本共産党は「君主制廃止」を綱領に掲げていました(2004年に削除)。自らを滅ぼしかねない日本共産党でさえ、天皇はご自身の政党だと見ておられると知って、眼からウロコが落ちる思いでした。(『日本の覚醒』新日本協議会)

文明批評家・中島英迪氏は自著『皇室典範改正の緊急提言』(新風書房)の中で、“昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け容れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。平成時代の天皇は左派に取り込まれたと見えて、実はすっかり左派を取り込んだのでした”(p115)と述べています。

反共を旗印に旧統一教会とタッグを組んでいる自民党保守派の中には「天皇が左傾した」と危惧する人がいるそうですが、天皇の公平無私な人格に感化された左派(日本共産党など)が、天皇に取り込まれたのであって、その逆ではありません。そこを間違えると、道を見誤ります。政党を超越された神聖な権威である天皇の偉大さがそこにあります。

ヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れている天皇と皇室。日本の国が色々な混乱があっても、乗り越えて来られたのは、天皇という政治的対立を超えた高く神聖な精神的権威を戴いているからだ、とあらためて感じ入りました。

私自身の日本共産党へのイメージも修正されました。政策すべてに賛成とは行きませんが、カルト統一教会と手を組んで反天皇に走っている自民党旧安倍派よりも、はるかにまともだと思います。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、心豊かな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:日本共産党
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上皇陛下のおことば―民主主義について [上皇陛下]

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ミョウガの花が咲きました。清楚で可愛いです。






今日は、上皇陛下(当時は皇太子殿下)のお言葉から、民主主義について、神道学者・高森明勅氏監修のご著書『天皇陛下からわたしたちへのおことば』から、学ばせていただきます。上皇陛下が、皇太子でいらっしゃった昭和43年のおことばです。

始めに引用します。

☆☆☆

“民主主義とは人と人との信頼関係である
(昭和51年12月17日 43歳の誕生日を前に)


「民主主義とは人と人との信頼関係であると思います。それがうまく行われることが望ましい」
 このお言葉は、天皇陛下(当時は皇太子)が43歳の誕生日を前に会見で述べられたものである。
この年は首相が賄賂を受け取るという戦後最大の汚職事件「ロッキード事件」が起き、国民の政治に対する信頼が大きく揺らいでいた時期である。
民主主義においては、信頼関係は非常に重要である。それが失われると、全体主義へと走っていく。先鋭的な主張を打ち出し、閉塞感や不信感を打破してくれそうなリーダーに対して熱狂的な支持が集まる。ワイマール憲法下のドイツでは、政治が安定していないところにヒトラーが登場して悲劇的な歴史を歩んでしまった。
しばしば民主主義と君主制は対立関係にあるかのように語られがちだが、(中略)実際に民主主義がうまく機能している国は、イギリスをはじ伝統ある君主国である。そして日本も、伝統ある君主制が民主主義を安定して機能させている国のうちのひとつである。

昭和天皇は昭和21年(1946)1月1日にGHQの要求で「新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)を出されている。これは天皇が神格を否定したものだとされているが、昭和52年(1977)、昭和天皇は記者団の質問に対して、それは二義的な問題で一番大事なのは冒頭に入れてある五箇条の御誓文だという発言をされている。
五箇条の御誓文の第一条はよく知られている通りだ。
「広く会議を興し万機公論に決すべし」(会議を開いて広く意見を聞き、すべての政治のことは世論に従って決めよ)
 この五箇条の御誓文は、昭和天皇ご自身が提案して入れられたもの。民主主義というものは日本が戦争に負けてアメリカから輸入したものでは決してない。明治天皇が国是として採用されたもので、元をたどれば五箇条の御誓文にさかのぼるというお考えを持たれていたからである。
「民主主義とは人と人との信頼関係であると思います。それがうまく行われることが望ましい」という天皇陛下のおことばは、それを踏まえてのものでもある。民主主義というものは民意を政治に反映させるという意味では非常に大切ではあるが、その基盤となる信頼感が失われると危険な暴走をはじめかねない。”
(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』36~38pページ 双葉社) 

☆☆☆


政治への信頼関係が大きくゆらいでいるのは、今もそうです。統一教会と自民党政権のズブズブの関係が、どのように解消され、政治の正道に戻せるかどうかが問題です。

安倍自民政権の野党との十分な審議を拒絶するような一方的なものごとの決め方は、全体主義に似ていました。五箇条御誓文の第一条、万機公論に決すべし、の精神に反します。育ちもいい、見栄えもいい、一見閉塞感と不信感を打破してくれそうなリーダーだった安倍晋三氏に過大な期待をかけ、甘やかし、欠点を見過ごしたことが、安倍政権の権力濫用を許してしまったのだとも言えます。

失われた政治との信頼関係を築くには、どうすればよいのでしょうか。

自民党の自浄作用に期待して指を加えて待つのではなく、実効性のある対策を求めることはもちろん大切です。弁護士の皆さんの活躍、報道機関の正しい報道に期待します。

私たちに国民にもそれぞれ出来ることがあるはずです。

日本でまだ発展途上の民主主義では、国民一人一人が国会議員に意見を表明することに意味があると思います。一昔前と違って、各政党の政策について、インターネットを通じて、意見を届けることが出来ます。ホームページにメールを送ることもできます。

厳しい対応を求めるメールを送ることや、アンケートを通じて、公正な対策を求めることも必要だと思います。

批判だけでなく、私たちの日ごろの願いを、地道に各議員や政党に届けることも必要だと思います。

私は女性天皇を可能にする皇室典範改正を長年、念願しています。その希望を届ける努力の中で、政治家との信頼関係が築けたらと、思います。信頼関係といっても、統一教会や一部派閥のような、ズルズルべったりの仲間意識を持ちたいということとは違います。この人となら、大人同士の対話ができる、この人なら日本の政治を任せられるといった、プラスの意味での信頼です。

私自身の体験として、選挙の時の候補者の事務所訪問、街頭演説で声をかけたことがあります。女性天皇実現のための皇室典範改正をお願いしたのです。大げさなことではなく、事務所を訪問して少し話をし、手紙を渡しただけでした。それでも候補者に思いを届けたという手ごたえがありました。街頭演説で声をかけたときも、政治家も人間なので、投票する人から話しかけられるのは喜ばれるのだと思いました。何の団体の後押しの無い小さな個人の声でも、積み重なれば大きな力になるのだと思いました。

前の選挙の時「愛子天皇への道」のサイトでは、この事務所訪問を呼びかけ、訪問し、最後は、当選の手紙で締めくくりました。
https://aiko-sama.com/archives/15466
https://aiko-sama.com/archives/15813

今は、各議員に女性天皇実現を呼び掛けています。
https://aiko-sama.com/archives/17090


天皇陛下はいつでも国民を信頼され、人と人との信頼関係に支えられた民主主義の実現を願っておられます。その天皇陛下のお気持ちに答える為に、模索と努力を続けて参りたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとってよい週末でありますようお祈り申し上げます。

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天皇のお気持ちを理解する [上皇陛下]

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行き詰まった時は、天皇陛下のお言葉を読むと、いつでも打開の指針が得られます。
宮内庁HPに発表される天皇陛下のお言葉は、短い中に、多くの示唆が込められています。

そんなわけで、今日は上皇陛下の平成28年(2016年)のビデオメッセージを、もう一度読み返してみました。

当ブログでは、2016年9月22日に、その年8月8日に御発表された上皇陛下のビデオメッセージについて、書かせていただきました。

「天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して(平成28年9月22日)」
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/201609-1

自画自賛になりおこがましいですが、原稿作成に1週間かけただけあって、今読み返しても、天皇陛下のお言葉を細かく読み込もうと、一所懸命、努力していたと思います。

上皇陛下は、2010年頃から、退位と皇室典範改正のご意向を、時の政府に、宮内庁を通じて内々に示されていました。ところが、政府は一向に動こうとしなかったそうです。2016年のビデオメッセージは、頼みの綱として、国民に呼びかけられた、大げさに言えばSOSメッセージだったと、思います。政府が2010年に速やかに陛下のご意向を受けて皇室典範改正に取り組んでいれば、このような国民に宛てたメッセージは、発表されなかったのではないかと思われます。

皇位継承に天皇陛下のご意向があるという話を、ネット上で話題にしたところ、次のような質問を受けました。

「今までの皇位継承は、天皇陛下のご意向で決まってきたのでしょうか?」

今までと言われても漠然としているので、皇室典範に焦点を宛てて、明治天皇(大正天皇)以降の話をしました。

明治時代(明治22年、1889年)に制定された旧皇室典範は、皇室自律主義で、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされました。(議会の議決=国民の関与は不要でした。)


+++++

“旧皇室典範の改正又は増補は、皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定するものとされ(旧皇室典範第62条)、この手続きに帝国議会の協賛又は議決は要しないとされた(大日本帝国憲法第74条)。これは、現在の日本国憲法及び同憲法の下にある皇室典範(昭和22年法律第3号)にはない皇室自律主義の表れといってよい。”

(「皇室典範 (1889年)」 Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%85%B8%E7%AF%84_(1889%E5%B9%B4)

+++++


旧皇室典範は、明治天皇のご意向を熟知している皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経て勅定されました。

[言葉の意味]

〇枢密院
“枢密院(すうみついん、旧字体:樞密院)は、枢密顧問(顧問官)により組織される天皇の諮詢機関。憲法および憲法付属の法令、緊急勅令、条約等について天皇の諮問に応ずる機関でその性質上「憲法の番人」とも呼ばれた[1]。1888年(明治21年)に明治憲法草案審議のために創設され、1947年(昭和22年)5月2日、翌日の日本国憲法施行に伴い廃止。”
(「枢密院」Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E5%AF%86%E9%99%A2_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

〇諮詢(しじゅん)
“参考として他の機関などに意見を問い求めること。諮問。「案件について—する」”
(Weblio辞書)

〇勅定(ちょくじょう)
“天子がみずから定めたこと。また、天子の命令。勅命”
(Weblio辞書)

旧皇室典範は、皇族会議と天皇の諮問機関に意見を求めて、天皇の御命令(勅命)で決められたということです。

皇位継承は、側近が明治天皇のご意向を十分に汲んで検討された『旧皇室典範』に基づいて決まってきたので、大正天皇、昭和天皇、上皇陛下は「天皇陛下のご意向で決まってきた」と考えていいと思います。

天皇お一人の独断でないことは、五か条の御誓文第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」の精神で、皇族会議で皇族の意見、諮問会議で側近の意見を取り入れられたことは言うまでもありません。

現在の天皇(今上陛下)の御即位は、昭和22年に制定された「皇室典範」に基づいて決まりました。

旧皇室典範は「現在の日本国憲法及び同憲法の下にある皇室典範(昭和22年法律第3号)にはない皇室自律主義」とされ、大日本帝国憲法下の「帝国議会の協賛又は議決は要しない」典範でした。皇室の家法という性格のものでした。

言い換えれば、現皇室典範(昭和22年制定)の改正は「国会(議会)の議決を要する」ので、皇室自律主義ではないことになります。国民の代表が集まった議会の議決が必要だということです。

皇室(天皇)が女系天皇にしたいと思われても、国民の賛成(国会の議決)が無ければ、皇室の意向が通らないような皇室典範になっている、だから、天皇のご意向が通りにくくなっています。新皇室典範は、制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向により、国民の意向で皇室のことを変えられる形になりました。


+++++

「昭和22年1月16日法律第3号」の法令番号を持つ2020年(令和2年)現在の皇室典範は「法律」として1947年(昭和22年)1月16日に公布された。他の法律と同様にその改正は国会の議決で行われることにより、皇室の制度そのものに国民の民意が国会を通じて関与することとなった。これは、制定当時、日本を占領していたGHQの強い意向によるものである。
(「皇室典範」Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%85%B8%E7%AF%84

+++++


旧皇室典範は大日本帝国憲法から自律 → 国民は関与しない

現皇室典範は日本国憲法下にある → 国民の意向でどうにでもできる

という感じです。

つまり、国民が皇位継承のための皇室典範改正に関与するのは、今回が、歴史上、初めてだと言えます。

だから、国民一人一人が天皇のお気持ち(ご意向)を理解することが大切になります。

今上陛下は男性であり、現皇室典範で問題なかったのですが、天皇陛下の長子(愛子内親王)は女性です。このような現皇室典範の不備が明らかになり、上皇陛下が改正を望まれました。上皇陛下のご意向を受けて設けられたのが2005年に報告書を提出した「皇室典範に関する有識者会議」です。今上陛下も上皇陛下のご意向を共にされています。

2016年の上皇陛下(当時は天皇)のビデオメッセージにある「国民の理解を得られることを、切に願っています」の短い一言は、こうした旧皇室典範と、新皇室典範の位置づけに関連します。

☆☆☆

“象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。“

(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(平成28年8月8日)宮内庁ホームページ」
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

☆☆☆


上皇陛下は、そして、国民の皆さんは、皇室が存続した方がよいですか、存続を望まないですか、存続を望むなら、皇位継承の不安定な現状を知り、安定継承に何が必要なのか真剣に考えてくれませんか、と私達一人一人に問いかけていらっしゃるような気がいたします。

表面は、退位のお気持ちの理解を求め、皇室典範改正してほしいというメッセージですが、さらに安定的な皇位継承に向けた皇室典範改正のお気持ちにも国民の理解を得たいという、メッセージから、国民と共に歩まれる、皇室を理解してほしいという、天皇のお気持ちがひしひしと伝わって参ります。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
朝晩、少し涼しくなりました。季節の変わり目、どうぞ皆様お健やかにお過ごしください。

タグ:皇室典範
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上皇陛下米寿の御誕生日をお祝い申し上げます [上皇陛下]

昨日、12月23日、上皇陛下は、歴代天皇で初めて88歳の米寿を迎えられました。上皇陛下の御誕生日を心よりお祝い申し上げます。

上皇陛下の側近(上皇職)より、御近況が発表されました。


[黒ハート][黒ハート][黒ハート](以下引用)

上皇陛下は、今年88歳の米寿をお迎えになります。

新型コロナウイルスの感染拡大により,この1年は皇居にある宮内庁病院と生物学研究所以外へのお出ましを控えられ,仮御所で上皇后さまと静かにお過ごしになりました。

幸いご体調に大きな問題はなく,お健やかに穏やかな日々を送られています。(中略)

ご譲位により,公的なご活動からは離れられましたが,日々のご生活の中で,今も変わりなく,苦労や困難の中にある人々を案じ,それを支える人々の活動に思いを致され,人々の幸せと社会の安寧を願っていらっしゃいます。(後略)

(「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)(令和3年)」宮内庁HP)
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r031223.html

[黒ハート][黒ハート][黒ハート](引用終わり)


上皇陛下の御日常を読ませていただきました。宮中祭祀が行われる間、御慎みになっていらっしゃることに、感慨を覚えました。


[黒ハート][黒ハート](引用はじめ)

宮中祭祀については,ご在位中はもとより今も引き続き一番大切にお考えで,祭祀が行われる間,両陛下はいつも静かにお慎みになっていらっしゃいます。今年も新嘗祭に際し,両陛下は天皇陛下の出御(しゅつぎょ)に合わせてお慎みの時を過ごされ,暁の儀が終了する深夜までお慎みをお続けになりました。
(前掲HP)

[黒ハート][黒ハート](引用終わり)


終戦記念日など先の大戦に関わる日、そして戦後の2つの大震災の発生日に、黙とうをなさっておられることを拝し、ただ有り難く感動いたしました、


[黒ハート][黒ハート](引用はじめ)

沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,今もテレビ中継に合わせて,上皇后さまと共に黙祷をなさっています。
(前掲HP)

[黒ハート][黒ハート](引用終わり)


今も続けていらっしゃる上皇陛下の国民を思う深い御祈りに感謝申し上げます。

パラリンピックの歴史、長年のハゼの御研究のことも読ませていただき、上皇陛下のこれまで積み重ねていらした御歩みに思いを馳せました。

上皇陛下が、ますますお健やかに、上皇后陛下と穏やかな日々と過ごされますことを、心よりお祈り申し上げます。

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国民とともに歩む皇室―『天皇陛下からわたしたちへのおことば』 [上皇陛下]

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このブログのタイトル説明文の言葉について、私は
『天皇、皇室に「敬(うやま)いと親しみの気持ちをもつ」ことが目標』
と掲げていました。

いちばん最初は『「敬して親しむ」ことを目標』、としていました。


その理由は、小田村寅二郎氏の著書『日本思想の源流』(日本教文社)のカバー裏のご文章を読んだからです。

「明治中期以降のわが国の思想界は、天皇については不勉強のそしりを免れない状況であって、戦前においては、天皇のことは〝敬してこれを遠ざける〟嫌いが濃厚であったし、戦後は、〝忌避してこれを黙殺する〟傾向が顕著にみうけられる。」

「敬して遠ざける」ではなく、「忌避して黙殺する」では無論なく、「敬して親しむ」ようになればよいのではないかと単純に(浅はかにも)考えたのです。しばらくそのままにしていましたが、最近になって「敬いつつ親しみの心をもつ」に変えました。それでも「親しみ」という言葉が、どうもしっくりきませんでした。天皇を尊崇する読者から、なれなれしく違和感がある、という声も聞かれました。

その理由が、高森氏の著書『天皇陛下からわたしたちへのおことば』を読んで、分かりました。以下同著から引用します。(文中の天皇陛下は現在の上皇陛下です。)


☆☆☆

“国民に親しまれる皇室ということは
私は言った記憶がない (昭和57年12月17日 49歳の御誕生日を前に)

ここに掲げたおことばだけを見ると、国民を突き放したようにうつるかもしれない。しかし、天皇陛下(当時は皇太子)の真意はまったく逆のところにある。それはこの直後に述べられたおことばからも一目瞭然である。
 つまり「自分が言ったのは『国民に親しまれる』のではなく、『国民とともに歩む』皇室だ」ということだ。「ともに歩む」というのは、皇室と国民の立場の違い、両者の区別が前提になっている。だからただ「親しく」ということではない。違いを踏まえつつ、「やはり国民の苦労はともに味わうということを昔の天皇はしていらした」。その関係はこれからも続けていかねばならないとおっしゃっている。
(中略)
 このおことばは、ご自身の立場と国民の立場の違いを非常に明確に自覚されている。なぜならば、天皇陛下は国民ではないからだ。日本国憲法第1条にある通り、天皇は日本国民の統合の「象徴」であって、日本国民ではない。天皇は憲法第1条の適用をおうけになる。一方、国民は第3条の適用対象だ。憲法第3章には国民の権利と義務が列挙されている。だが、天皇はそこには当てはまらない。まったく立場が異なる。親と子が立場は違いながら、苦楽をともにしているのに近い。”

(pp53~54)
(『天皇陛下からわたしたちへのおことば』高森明勅著 双葉社)

☆☆☆

上皇陛下が皇太子の時のおことばですから、天皇よりも比較的自由なご発言ができたのだと思います。しかしマスコミでよく使われていた親しまれる皇室という言葉に慣れていた私には軽いショックでした。そして「敬いつつ親しむ」をどう変えたらよいのかという悩みができました。親と子であれば、「感謝」の気持ちを表わす、としか思いつかないので、とりあえず今日からそのように変えることにしました。「戀闕(れんけつ)の思い」とか「尊崇の念」の言葉もありますが、あまり堅苦しくならない良い言葉はないものでしょうか。

天皇、皇室のことを学ぶと、日ごろのイメージ、被災地などを訪問されるお姿、新年の皇居参賀のおことばなど、お優しい笑顔ばかりを考えてしまいますが、ご存在の厳粛さに頭を垂れるときがあります。高森氏が書かれた「おことば」がそうです。

皇室典範改正に関連する高森氏の下記ブログでもそのことが書かれています。

「国民平等の原則の例外は唯一、天皇・皇族だけという事実」(2021年5月26日)
https://www.a-takamori.com/post/210526

憲法第1条 天皇
憲法第3条 国民の権利と義務

条文が、天皇と、国民と、独立した別々の章になっていることを、重く受け留めたいと思います。皇室と国民の区別は厳格です。それは日本の歴史伝統に則ったものでもあります。

高森氏は先に引用した文章を以下の様に締めくくられています。


☆☆☆

こうした皇室の在り方は、現在の天皇陛下が「昔の天皇」から学んで、その精神を現代にふさわしい形で受け継いだものだ。とたえば、昭和天皇にも次のようなおことばがある。「皇室もまた国民をわが子と考えられて、非常に大事にされた。その代々の天皇の伝統的な思し召しというものが、今日をなしたと私は信じています。」(昭和52年(1977)8月23日)と。
(p54)
(『天皇陛下からわたしたちへのおことば』高森明勅著 双葉社)

☆☆☆


皇室と国民の厳格な区別を前提として、国民をわが子のように慈しみ、ともに歩まれる皇室。
国民として、感謝申し上げるとしか、今は言葉がありません。というわけで反省とともに、ブログの説明文を変えることにいたしました。よりふさわしい言葉があれば随時変えることにいたします。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様どうぞ良い週末をお迎えください。

タグ:憲法 皇室
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上皇陛下の御誕生日を心よりお祝い申し上げます [上皇陛下]

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今日は上皇陛下の、87歳のお誕生日です。心よりお祝い申し上げます。

お誕生日に際し、上皇陛下の、平成の御代を振り返ってみたく存じます。

省みますれば、昨年の御譲位まで、平成の30年間を、お見舞いと慰霊の祈りの旅を続けられると同時に、皇太子の時から今日まで、さまざまな皇室改革を成し遂げられたのが、上皇陛下でした。


[皇室改革]

○初めて民間・一般庶民の女性、美智子さまを、奥様に迎えられました。

○初めて、ご家族が御一緒に住まわれ、皇太子殿下はじめお子様方を、お手元でお育てになられました。

○陛下のご意向により、200年ぶりに、譲位を復活されました。(これにより「大喪の礼」の簡略化が見込まれます)

○陛下の御意向により、400年ぶりに、ご葬儀について火葬とすることを、お決めになられました。(用地に余裕がなくなっているとのご感想)
https://www.news24.jp/articles/2013/11/14/07240292.html

○2018年のビデオメッセージで「皇位の安定的継承」へのお気持ちを表明されました。(明治時代に制定された男系男子継承について、女性天皇、女系天皇の検討が開始されています。(2005年~))


陛下の、被災地などお見舞いと戦没者慰霊の旅も、深い感動と共に思いおこされます。

[お見舞いと慰霊の旅]

○震災(雲仙、阪神、東日本など)と洪水など自然災害のお見舞いに、各被災地をご訪問されました。

○各戦地(硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピン等)にて、戦没者を慰霊されました。

(「祈りの旅」朝日新聞
https://www.asahi.com/special/heisei-inori/11/

○沖縄にも、昭和天皇のご責任を継がれて、皇太子として5回、天皇として6回、合計で11回も、訪れられました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/29352/

昭和天皇の御製に、沖縄に寄せられた御心が拝されます。

☆☆☆

昭和天皇御製

「思わざる 病となりぬ 沖縄を

たづねて果たさむ つとめありしを」

☆☆☆


昭和天皇は、日本国未曽有の大東亜戦争終結、敗戦からの復興に大きな御事績を残されました。上皇陛下は、昭和天皇の御こころを継がれて、国民にくまなく、お心をお寄せになられました。天皇の御位にある間、昭和天皇の御心を継いだ名君として、大きな御事績を残されました。



上皇陛下の御近況について、宮内庁の発表も拝見いたしました。

退位された後も、いつでも国民生活にご配慮いただき、祈り続けていらっしゃる陛下のおすがたに、頭が下がります。

☆☆☆

“再び急増する新型コロナウイルスにより,国民生活が一層厳しく,困難な状況になっていることから,今年は記帳を含めすべてのお誕生日行事をお取り止めになり,恒例の御祝御膳もお控えになります。

ご即位前から大切にしてこられた沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,上皇后さまと共にご黙祷になりました。また,宮中祭祀が行われる時間は,いつもお慎みでいらっしゃいます。”

(上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)(令和2年))
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r021223.html

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ビデオを拝見して、上皇陛下、上皇后陛下のお健やかなご様子に、安堵いたしました。

https://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/r02-1223-mov.html

上皇后陛下と仲睦まじく、幾久しく、お健やかにお過ごしになられますことを、心よりお祈り申し上げます。


今日も、ブログを見ていただき、ありがとうございました。
年末、ご多用のことと思いますが、皆様もお身体にお気をつけて、健やかな日々とお過ごしください。

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天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して [上皇陛下]

天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して(序文)

 本年(平成28年)8月8日、平成の玉音放送とも言われる、天皇陛下が国民に直接呼びかけられるビデオ・メッセージが発表されました。天皇陛下の「おことば」のビデオを拝聴し、文字をくり返し読むたびに、陛下の固いご決意をひしひしと感じました。

 「おことば」の中の言葉は「憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しない」ため、政治的なご発言と受けとられないように最大限の配慮がなされています。 このため「陛下は高齢になられて、公務が大変になったので、譲位されたい」との意味だけを受け取っている人も多いように思います。

 私自身、陛下のおことばを本当に丁寧に読んだだろうか、読んだにしても本当に理解できているのだろうか? そんな反省をこめてあらためて全文を精読しどこまで自分が理解しているかを所感という形でまとめることにしました。

 おことば全文は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)」として、宮内庁のホームページに掲載されています。

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12


天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して(本文)

 お言葉の中で以下の3つのことが心に強く残りました。

 ― 天皇陛下は、憲法の下、政治的ご発言が制限されている
 ― 天皇の国民を思い国民のために祈るお務めについて
 ― 象徴天皇のお務めが安定的に続くこと 


 陛下のおことばは段落ごとに分けられています。最初と最後は1行なので、段落といってよいのか迷いましたが、便宜上、これらも段落と呼ばせて頂くことにしました。おことばは、10の段落で成り立っています。以下にそれぞれの段落(①~⑩)の「天皇陛下のおことば」を謹んで写し、段落ごとに私の所感を書かせていただきます。

① 戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

   所感:あえて「平成30年を迎える」とあるのは、「平成30年までに今回のおことばに書かれた内容を実現してほしい」とのお気持ちであると拝察いたします。

② 私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

   所感:「思いを致す」は、時間的・空間的に遠く離れた物事に心を向ける、思いを届かせるという意味があります。「天皇としての歩み」を時間的・空間的に遠くまで振り返り、「天皇としての自分の在り方や務め」についても遠い将来にわたって思いを届かせていらっしゃると拝察いたします。

③ 本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

   所感:社会の高齢化が進む中、高齢の天皇の望ましい在り方についてこれまで考えて来たことを話したいとされています。

   ここで注目すべきことは、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」と、天皇は政治的なご発言ができないと断っていらっしゃることです。このため本当は「公」のことを話していても「個人として」との言葉を付け加えるなど、きわめて慎重に言葉を選んでいらっしゃいます。このことに留意して「おことば」を読むことが大切だと思いました。⑨番目の段落でも「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しない」と、政治的なご発言ができないことを話されています。

④ 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

   所感:「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方」とありますが、「象徴」という言葉について、日本国憲法で新しく採用された言葉です。明治憲法(大日本帝国憲法)では、天皇は「元首」ですから、戦前を知っている方の中には「象徴」という言葉になじまない思いもあると思います。
   けれども、今上天皇は「天皇は日本国民統合の象徴」の言葉を、日本国憲法施行後の69年間にわたって、皇太子時代からその意味を日々模索され不断のご努力により、意味があいまいであった「象徴」という言葉に「いのち」を吹き込まれたと私は思います。国民に率先して憲法を遵守するとの陛下の堅いご決意が拝察されます。

   次に伝統について、陛下がどのように考えてこられたかが書かれています。伝統は、日々新たになる日本と世界の中にあって、現代に生かされるもの、生き生きとして社会に内在するもの、人々の期待に応えるものであり、形ばかりが残り、いのちが失われたものは伝統ではないとのお考えだと拝察いたします。

⑤ そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

   所感:陛下ご自身のご病気のこと高齢による体力低下のことなどに触れられ、従来のような重い務めが果たせなくなった時のどのような身の処し方が、国、国民、後に歩む皇族にとって良いことであるか考えるようになられたと話されています。

   ここで、注目すべきことは「全身全霊」のお言葉です。陛下がこれまで「従来のような重い務め」を「全身全霊」で果たして来られたことは、80歳を越えたと思えない過密なスケジュールを拝見すれば誇張でもなんでもない、事実そのままであることが分かります。また、テレビの『皇室アルバム』『皇室日記』などで、行事に臨まれる陛下のご様子を拝見すると、その時々の務めを「全身全霊で」果たされていることが、伝わって参ります。


⑥ 私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

   所感:この段落は、おことばの中でもっとも行数の多い段落で、その内容に圧倒されると同時に深い感動を覚えます。天皇の位についてからの28年間を振り返られるとの言葉を拝読し、昭和45年の昭和天皇の御製「よろこびもかなしみも民と共にして 年はすぎゆき いまはななそぢ」を思い出しました。同じ大御心を脈々として今上天皇も受け継いでおられることが伝わって参ります。

   天皇としてのお務めに、国事行為のほか、国民の安寧と幸せを祈ること(宮中祭祀)を大切にすると同時に、「事にあたっては(中略)人々の傍らに立ち(中略)思いに寄り添う」の言葉は被災地へのご訪問も大切にされていることがわかります。
   また「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」という意味において、陛下は、日本の各地、遠隔の島々に旅をされ、地域を支える市井の人々のあることを認識されたと書かれています。このお言葉に「君民同治の神示」を連想しました。

 「民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝み給う治は、君を拝むところの事と一体である。」
    (谷口雅春著『御守護 神示集』「君民同冶の神示」126頁)

   「国見」のことも思い起こされます。国見とは天皇が高い丘などに登られてそこから見渡せる国土をご覧になり、豊穣を祈り、土地と人々を祝福する行事です。万葉集(巻一・二)にある、「国見」を詠った舒明天皇の歌にその情景が表わされています。

   大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山
   登り立ち 国見をすれば 国原は煙(けぶり)立ち立つ
   海原(うなはら)は かまめ 立ち立つ うまし国ぞ あきつ島 大和の国は 
    (山口悌冶著『万葉の世界と精神 前篇』156ページ)

   「(大意) 大和の国には、たくさんの山々があるが、一点非のうちどころのない、まことに円満具足な天の香具山に登って、国見をするために見はるかすと、国原にはここかしこに炊煙があまた立ちのぼり、埴安池(はにやすのいけ)や磐余池(いはれのいけ)や耳成池(みみなしのいけ)の水面には、鷗(かもめ)がしきりに飛び立ち飛び交ってゐる。なんと美しい平和な、霊々妙々な国なのであらう、この秋津島(あきつしま)、大和の国は ―― といふほどの意。」(『万葉の世界と精神 前篇』159ページ)(*一部、振り仮名を加えました)

   子供でも大人でも褒めることによってその人の本来のすばらしい姿が現れます。国も褒めて讃えられると、その本来の素晴らしい姿が現れるといわれています。

   私の解釈ですが、お国自慢も、庶民による一種の「国見」「国褒め」ではないかと思うのです。自分の郷里を褒め讃えることによって、故郷が活性化し、生き生きとなる。山を、川を、畑を、森や木を褒める、町に住む人は、街並みを、そこに住む人々を褒める。褒めることによって、土地も人も活性化する。ましてやそこに天皇という日々の祭祀で清められた方が来訪されれば、なおのこと、迎えた人々が生き生きと元気をよみがえらせ、土地全体が生気にみちた豊かな土地となるのです。何と素晴らしいご公務だろうと感嘆するばかりです。

   さらに、天皇として大切な、「国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。」との言葉があります。これほどの「重い務め」を、「人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と言い切れる陛下の言葉は、まさに慈愛あふれる国民のお父様(国父)という言葉がぴったりだと思いました。

⑦ 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

   所感:その次の段落は、天皇の高齢化による対処の仕方について、国事行為や、象徴としての行為の縮小を望まれないこと、天皇が十分に務めを果たせないまま天皇であり続ける、摂政を置く「終身在位」も望まれないことを明確に示されています。

⑧ 天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

   所感:これは、昭和天皇が崩御された時のことを思い起こして書かれていると拝察します。昭和天皇がご病気になられてから、社会の様々な方面で自粛があったこと、崩御された後も長い服喪期間があったこと、即位はその行事が終わってだった事などを思い出します。

   聞くところによると、昭和天皇の時のような盛大な喪儀の形は大正天皇以来でそれまではもっと簡素だったそうです。約2680年の長い天皇の歴史から見れば簡略化してよいとのお考えだと拝察いたします。
   天皇の崩御ではなく「太上天皇、上皇」の崩御となれば簡略化が果たされることになり、殯(もがり)の行事と即位の準備が重なることも避けられます。土葬ではなく火葬を陵墓も小さい物をと平成25年11月に決められたことと共通する、国民に負担をかけたくないとの陛下の深い御配慮が感じられます。

⑨ 始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

   所感:最後の段落では、天皇陛下が「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しない」と政治的な発言ができないことを書かれています。すなわち、極度に制限された言葉の中から国民に真意をくみ取って欲しいとの強い願いを込められた重要な段落だと拝察いたします。
   「象徴天皇の務めが途切れることなく、安定的に続いて行くことを念じ」という言葉により、2年後の「皇位継承」、その時の「次の皇太子不在」、「皇位の安定的継承の為に早い時期(昭和30年まで)の『皇室典範改正』が必要」という事柄が浮かび上がってきます。政治的なご発言ができない中での陛下の精一杯のメッセージであると拝察いたします。

   このまま何もしなければ、24歳の眞子内親王、21歳の佳子内親王は、数年以内にご結婚により皇族の身分を離れます。そうなれば、皇太子殿下の次世代の皇族は、敬宮愛子内親王、悠仁親王のお二人になってしまいます。もう時間がないのです。「天皇の務めが途切れることなく、安定的に続いて行く」ためには、皇室典範を改正し、愛子様が次の皇太子になり、眞子様、佳子様が女性宮家を、悠仁様が宮家を創設されることが、最も自然で最良の道であると考えていらっしゃると拝察いたします。

   いずれにしましても、天皇陛下のお気持ちのとおりに皇位継承者のことが決められるように、心より祈らせていただきます。

 ⑩ 国民の理解を得られることを,切に願っています。

   所感:「切に願う」というお言葉の中に、陛下の切迫したお気持ちが感じられます。「譲位」のための「皇室典範改正」と同時に、十年以上前に提案されたのに、未だに解決していない、安定的な皇位継承のための「典範改正」が陛下の「御悲願」であると拝察いたします。


天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)を拝聴して(結び)

 天皇陛下のおことば全文を読み直して、あらためて思うことは、陛下の言葉の一語一語の重さでした。実は「おことば」を要約してから、所感を書こうと思ったのですが、どの一語も重要に思えて要約することができず、結局、原文のまま掲載いたしました。また、「おことば」は短いから、一日か二日で所感を書き上げられると思ったのですが、結局1週間近くかかってしまいました。

 私たちは大きな歴史の転換点に立ち会っている、そんなことも思いました。
 
 私の尊敬する山口悌冶先生(故人)は、著書『万葉の世界と精神 前篇』において「飛鳥維新」という言葉を使い、飛鳥・奈良時代が日本の歴史において大きな転換点であったと書いています。男性も女性もおおらかに、神を讃え恋を詠った万葉集が生まれた飛鳥・奈良時代は、推古天皇をはじめとする8代、7人の女性天皇が活躍された時代でもありました。

 次の時代が飛鳥・奈良時代のように、女性天皇が男性天皇と同じように活躍され、女性の特性である愛と結びに満ちた輝かしい時代になってほしいとの期待に胸をふくらませています。

 いずれにしましても、陛下の大御心のままに「皇室典範改正」が速やかになされるよう、心より願い、祈らせていただきます。

 最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

                                                      (平成28年9月22日)


参考資料:

山口悌冶著『万葉の世界と精神 前篇』(昭和48年3月1日発行、日本教文社)より抜粋

『国原 ―― 香具山の眼下に開けているのは大和平野であるが、この御製の国原の言葉の内容には、大和平野を象徴として、より広く、しろしめし給ふ日本の国土全体が、舒明天皇の発想の奥深く描かれてゐるのであることを忘れてはならない。(中略)大和国原を象徴として、しろしめし給ふ国土全体が精神の視界にはっきりと映ってゐるからこそ、現実の風光と舒明帝の心象に描かれてゐる国土全体の風光とが一つに溶合ってゐるからこそ、「うまし国ぞ、あきつ島 大和の国は ―― 」の、洋々と流れる大河のやうな豊かさと、悠々と迫らぬ素朴のやうで高雅な気品と、天と地とを遍く還流するかのごときこゝろよき諧調が感じられるのではないか。』(山口悌冶著『万葉の世界と精神 前篇』157~158頁)

『今も行はせられてゐる「国見」の行事(中略)
 この日本の国土をしろしめし給ふ天皇(すめらみこと)の国見の行事は、「しろしめす」といふ言葉に相応する重大な行事であったと推察されるのである。(中略)天皇の国家的行事としての国見は、連綿と今も現に行はれてゐるのである。今上天皇の、各種の催しへのご参列、国内各地への行幸は、まさしく国見の行事でなくしてなんであらうか。国見は決して遠い古代の習俗ではない。そうみなしては根本を誤ることになる。』(『万葉の世界と精神 前篇』162~163ページ)
                                                            以 上




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歴史を見るときに [上皇陛下]

歴史を見るときに時間の長さをどこまでとるかによって見え方が変わります。

国と国との関係について考えてみます。たとえば日本と韓国の関係について、近代以降のみの関係を見るのと、日本書紀の奈良時代までさかのぼってそれを見るのとでは印象がまったく変わります。

14年前のことですが、平成13年(2001年)12月18日に行われた「天皇陛下お誕生日に際して、天皇陛下の記者会見」における天皇陛下のお答えを読んだ時、大きな驚きを覚えました。

それは、記者会見の「問3」の、翌年開催されるサッカーのワールドカップが日本と韓国の共同開催で行われることに関連し「歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」との記者からの質問への天皇陛下の次のお答えを読んだ時のことでした。(以下引用)

「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。」
(宮内庁ホームページ、天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)天皇陛下の記者会見
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

当時の私が「日本と韓国の関係」を考えるとき、どうしても明治以降から第2次世界大戦までの両国の関係のみが思い出され、日本と韓国の関係の複雑さのために、個人はさておき、国同士が友好関係を築くのはとても困難であるという印象が先立ちました。

けれども、天皇陛下は「韓国に対する関心、思い」はという質問へのお答えの冒頭に、日本と韓国の人々の深い交流が日本書紀に詳しく記されている事、様々な文化や技術が伝えられたこと、現在の宮内庁学物の楽士にも当時の移住者の子孫がいらっしゃること、こうした文化や技術が日本にもたらされたことが日本のその後と発展に大きく寄与したことを述べていらっしゃいました。

見つめていらっしゃる歴史の時間のとても長いことに驚くとともに深く感銘いたしました。

さらに「日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的な態度」によって「こうした文化や技術が日本にもたらされた」というお言葉には、当時の日本人の熱意を誉めると同時に当時の韓国の人々の友好的な態度に感謝されるお気持ちがこもっているように思われます。

このブログを書くために、宮内庁のホームページに掲載されている記者会見のお答えをあらためて読みましたが、読めば読むほど、おことばのひとつひとつに「日本と韓国の理解と信頼感が深まる」ことを願っておられる天皇陛下のお気持ちがあらわされていることに、あらたな感動を覚えました。

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