SSブログ

天皇の御歌(57)―第123代・大正天皇(4) [大正天皇]

DSC_0976花20201226blog.JPG

昨日、12月25日は大正天皇例祭でした。大正15年(1926)大正天皇が崩御された日で、毎年、宮中三殿の皇霊殿にて、同祭が執り行われ、東京・八王子市の武蔵陵墓地(むさしりようぼち)にある大正天皇の御陵(ごりょう)、多摩陵(たまのみささぎ)でも祭典が行われます。

御在世:1879―1926(崩御・48歳)
御在位:1912―1926(34歳~48歳)



大正天皇の御歌は、繊細で心にしみいる御製です。明治天皇のおおらかさ、昭和天皇の明るさに比べますと、夕方のやわらかな光というような、静けさと安らかさを感じます。私の主観ですが…。


☆☆☆

“(明治時代)(御詠年月、未詳の部)


沼津御用邸にて庭前の松露を拾ひて

はる雨の はるるを待ちて 若松の
つゆよりなれる 玉ひろひつゝ

その松露を節子(註・後の貞明皇后)に贈るとて

今こゝに 君もありなば ともどもに
拾はむものを 松の下つゆ” (pp378~379)


“(大正3年―1914―御年36歳)

北海道夕張なる若鍋炭山の爆発しける時

うもれたる國のたからを ほる人の
あまたうせぬと きくぞかなしき

久留米病院に侍従武官をつかはして負傷したる軍人を慰問せしめけるとき

とくいえて 皆もとの身に かへらなむ
いたで負ひたる 武士(もののふ)のとも” (p386)

“野径

學び舎は 遠くあるらむ 朝まだき
野道をいそぐ うなゐ子のむれ” (p390)


(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

言葉の意味

松露(しょうろ):イグチ目ショウロ科に属するキノコの一種。安全かつ美味な食用菌。現代では、マツ林の環境悪化に伴い産出量が激減、市場には出回ることは非常に少ない。

侍従武官:大日本帝国憲法下において、天皇に常時奉仕し軍事に関する奏上の伝達等に当たった日本軍の武官

とくいえて:早く恢復して。

朝まだき:夜が明けきらない早朝

うなゐ子:うない髪にした子供。元服前の少年。わらべ。幼いこども。

うない髪:髪を首のあたりに垂らして切りそろえた髪型。

第1首目、第2首目

後のお后、貞明皇后・節子様とのご結婚前に詠まれた御歌です。

春雨の晴れるのを待って、若い松の根元に生えた松露、松のつゆから生まれた小さなキノコを拾いました。

その松露を節子様に贈るからと詠まれた御歌

今ここに君(節子様)がいたらならば、一緒に拾っただろうに、この松の下の小さな露のようなキノコを

3首目、北海道夕張群の若鍋住山が爆発事故を起こした時の御製です。

埋もれている国の宝である石炭を掘る人が、多く命を失ったと聞いて、まことに悲しいことだ。

4首目、久留米病院に侍従武官を遣わして負傷した軍人を慰問させたときの御製です。

早く恢復して元の身体に戻ってほしいものです、負傷した勇ましい兵士のともよ。

5首目、学校が遠いのだろうか、朝早くから野道をおそろいの幼子の髪型の子供たちが大勢、先を急いでいる。

[感想]

最初の2首は、若い松の下で松露のキノコを拾われて、婚約中(?)の節子様に届けてあげよう、一緒に拾えたらどれほど楽しいことだろうとの、若々しく初々しいお心が感じられます。

「松のつゆ」の言葉がしみじみと美しく感じられます。

3首目は、炭鉱の事故に御心を寄せられるお気持ちが詠われています。こういった炭鉱夫のみなさまが時には犠牲を払いながら、大正の産業発展を支えて来られたことが偲ばれます。

4首目は、第一次世界大戦の開戦の年ですから、戦争に出陣して、負傷した兵士が病院で治療を受けているところに、侍従武官を遣わして、お見舞いされた時の御製です。大正時代も、大きな戦争がありました。

1921年のワシントン会議においては軍備制限が求められるなど、激しい変動期を経験されたのが大正天皇でした。御政務の総攬は10年という短い年月でしたが、その間の御心労は、私などに想像もつかないことばかりです。


漢詩の御詠草を1367首、残されているとのことです。御製は465首ですが、兵士のこと、和布(わかめ)をとる漁師のこと、学校に通う幼子、民に寄せられるお気持ちの細やかさに、御製を拝誦するたびに深く心うたれ、しみじみと大正天皇のことが思われます。

今日も読んでいただき有難うございました。
年末になりました。寒いですが、お身体にお気をつけてお過ごしください。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

上皇陛下の御誕生日を心よりお祝い申し上げます [上皇陛下]

DSC_0955菊20201223blog.JPG
今日は上皇陛下の、87歳のお誕生日です。心よりお祝い申し上げます。

お誕生日に際し、上皇陛下の、平成の御代を振り返ってみたく存じます。

省みますれば、昨年の御譲位まで、平成の30年間を、お見舞いと慰霊の祈りの旅を続けられると同時に、皇太子の時から今日まで、さまざまな皇室改革を成し遂げられたのが、上皇陛下でした。


[皇室改革]

○初めて民間・一般庶民の女性、美智子さまを、奥様に迎えられました。

○初めて、ご家族が御一緒に住まわれ、皇太子殿下はじめお子様方を、お手元でお育てになられました。

○陛下のご意向により、200年ぶりに、譲位を復活されました。(これにより「大喪の礼」の簡略化が見込まれます)

○陛下の御意向により、400年ぶりに、ご葬儀について火葬とすることを、お決めになられました。(用地に余裕がなくなっているとのご感想)
https://www.news24.jp/articles/2013/11/14/07240292.html

○2018年のビデオメッセージで「皇位の安定的継承」へのお気持ちを表明されました。(明治時代に制定された男系男子継承について、女性天皇、女系天皇の検討が開始されています。(2005年~))


陛下の、被災地などお見舞いと戦没者慰霊の旅も、深い感動と共に思いおこされます。

[お見舞いと慰霊の旅]

○震災(雲仙、阪神、東日本など)と洪水など自然災害のお見舞いに、各被災地をご訪問されました。

○各戦地(硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピン等)にて、戦没者を慰霊されました。

(「祈りの旅」朝日新聞
https://www.asahi.com/special/heisei-inori/11/

○沖縄にも、昭和天皇のご責任を継がれて、皇太子として5回、天皇として6回、合計で11回も、訪れられました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/29352/

昭和天皇の御製に、沖縄に寄せられた御心が拝されます。

☆☆☆

昭和天皇御製

「思わざる 病となりぬ 沖縄を

たづねて果たさむ つとめありしを」

☆☆☆


昭和天皇は、日本国未曽有の大東亜戦争終結、敗戦からの復興に大きな御事績を残されました。上皇陛下は、昭和天皇の御こころを継がれて、国民にくまなく、お心をお寄せになられました。天皇の御位にある間、昭和天皇の御心を継いだ名君として、大きな御事績を残されました。



上皇陛下の御近況について、宮内庁の発表も拝見いたしました。

退位された後も、いつでも国民生活にご配慮いただき、祈り続けていらっしゃる陛下のおすがたに、頭が下がります。

☆☆☆

“再び急増する新型コロナウイルスにより,国民生活が一層厳しく,困難な状況になっていることから,今年は記帳を含めすべてのお誕生日行事をお取り止めになり,恒例の御祝御膳もお控えになります。

ご即位前から大切にしてこられた沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,上皇后さまと共にご黙祷になりました。また,宮中祭祀が行われる時間は,いつもお慎みでいらっしゃいます。”

(上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)(令和2年))
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r021223.html

☆☆☆


ビデオを拝見して、上皇陛下、上皇后陛下のお健やかなご様子に、安堵いたしました。

https://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/r02-1223-mov.html

上皇后陛下と仲睦まじく、幾久しく、お健やかにお過ごしになられますことを、心よりお祈り申し上げます。


今日も、ブログを見ていただき、ありがとうございました。
年末、ご多用のことと思いますが、皆様もお身体にお気をつけて、健やかな日々とお過ごしください。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

道鏡は国家の安泰に寄与した忠臣だった [孝謙天皇・稱徳天皇]

DSC_0977花20201222blog.JPG
男系支持派は、女性天皇反対の理由に、しばしば称徳天皇と道鏡の例をあげます。
しかし、道鏡事件の解釈と宣伝の仕方は、称徳天皇の評価をおとしめようという、後世の脚色が強く、ある意味、でっち上げに近いもののようです。
江戸時代に特にそれが広まったと言われています。


最近、NHKテレビなどの歴史番組で、称徳天皇と道鏡のことについて取り上げられているのを見ました。最近の学者の説は、称徳天皇が私情に流されたという通説とは、だいぶ違っているようです。

奈良県で「道鏡禅師像の真のお姿を伝えたい」という運動もあるそうです。
仏教を広めるのに大きな功績をあげられたとのことです。

☆☆☆

”弓削の道鏡は、歴史上、悪人として評価されています。しかし、当時の僧は、山岳修行によって特殊な能力を身につけ、その能力で多くの人達の病気や災いをしりぞけ、国家の安泰に寄与していました。中でも、道鏡はさまざまな評価はありますが、医師、薬剤師、霊能者としてすぐれた僧であったと考えられます。”
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆

真相は、称徳天皇が道鏡を「寵愛という私的な感情」で皇位に就けようとしたのではなく、「公的な意味合い」において中継ぎとして皇位に就ける案が浮上したけれども、宇佐八幡宮の御託宣を支持した和気清麻呂などの側近により、その案が退けられたということのようです。 

称徳天皇は、その際、「宇佐八幡宮の御託宣」と側近の判断を尊重し、正しい御選択により、きちんと天皇の役割を果たされました。

背景に道鏡が、天智天皇の皇子、志貴皇子の御落胤、すなわち天智天皇の孫だったという説もあるようです(『公卿補任』『七大寺年表』など)。そうでなければ、皇位継承の案が浮上するのは、それまでの歴史に鑑みて、あり得ないことのように思えます。

ちょっと話が飛躍しますが、御落胤というのが真実であれば、今日話題になっている、皇籍離脱した旧宮家の宮様の孫が皇籍復活するのも、同じような理屈になります。

つまり、宇佐八幡宮の御託宣『「皇統を離れて一般人になった元皇族(道鏡の場合は天皇の皇子の子)が、60年以上を経て、皇族に復帰することはできない』というご託宣は、そのまま『皇籍を離れて一般人になった元皇族の子孫が、70年以上を経て皇族に復帰することはできない』ということに当てはまるのではないでしょうか。

道鏡が本当に皇位簒奪を試みていたら厳罰に処せられたはずなのに、そうならなかったという史実を丁寧に追っていくと、道鏡は忠臣であり、天皇のご自覚が高く潔癖だった称徳天皇も、何ら道を外れたことはされていないことになります。

称徳天皇の聖徳太子に習おうとした仏教重視政策により、利益が損なわれた藤原氏が自己保身のために、また天智天皇系の正当性を強調したい人々が天皇崩御後にデマを流し、その後、江戸時代には「男尊女卑」思想を徹底するために、女性が天皇になるのはまかりならんとの宣伝に利用されたというのが、真相のようですね。江戸時代の「禁中公家諸法度」における「女性に家を継がせない」施策を徹底するために、利用されたのかも知れません。


江戸時代は武家支配を徹底するために、男尊女卑が頂点に達し、明治時代にも、富国強兵のために男尊女卑が続き、大東亜戦争を経てもそれが尾を引いて、今日に至っているという感じがします。

しかし、日本は、政治家の世界や、社会的地位においては「男尊女卑」かも知れないが、実生活では女性が大切にされている国とも言われています。女性の側でも、社会に出ると男尊女卑の逆風にさらされるので、家庭や地域を主な活躍の場として安住して来たという面もあり、逆に男性は、社会で苦労して平均寿命が短く、妻に先立たたれると地域に居場所が無く、身辺のことも処理できず苦労するという面もあって、一概に男女平等とされる他国の方が幸福だとも言えませんが……。


それでも「心身ともに健康な女性が男子を産めないことを責め立てられて心を病んでしまう」異空間、「女性に生れたことで自分を責める」異空間が、皇室という、日本の中心にいつまでもあるという異常事態だけは、何とかしなければならないと感じております。

なお、女性天皇が結婚されると、皇統がその配偶者の家系に移ってしまうと心配する人がありますが、それは天皇の配偶者が皇族や華族に限定されていた明治時代までのことです。

例えば、孝謙天皇・称徳天皇は天武天皇系の子孫ですが、幼い時から皇太子でした。皇太子である孝謙天皇が、天智天皇系の子孫である男性皇族と結婚されれば、夫である天智天皇系の男性皇族にも、皇位継承の可能性が生まれます。それは、過去の女性天皇、推古天皇、斉明天皇、持統天皇が皇后から天皇になられたので、当然、女性天皇の配偶者にも皇位継承する方が現れるということです。

天武天皇系を守りたいと思えば、天智天皇系の皇族とは結婚できず、配偶者の範囲が限られてしまいます。独身を通されたのは、他にもそれぞれの理由があったようですが、称徳天皇の場合は、天武天皇系の継承を守るために、独身であられたということのようです。


現代において、一般庶民が夫になられれば配偶者が天皇になられるということはなく、女性天皇のお子様が皇統を継がれる「女帝の子も親王である」という意識が浸透すれば、一般庶民男性の家系に皇室が変わってしまうとの誤解は生まれません。

認識の仕方によるものですが、一般庶民の感情として、旧家に婿入りした父親が別の家系に生まれた人でも、婿入りした家に生まれた子孫は、その旧家の子孫であることに何ら変わりがないという、庶民感情に照らし合わせれば、何もさまたげにもならないと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
良い一日をお過ごしください。

参考資料:

高森明勅著『日本の十大天皇』幻冬舎新書、pp211~225


タグ:道鏡
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

無言のうちにつながっている―毎日読みたい美智子さま~愛が生まれるおことば [美智子さま]

DSC_0965穂花20201221blog.JPG
宮内庁が12月18日付で、「週刊新潮」12月24日号の記事について、事実と異なる報道をしたことを指摘し、クレームをつけました。

なぜ、「週刊新潮」はこのよう事実と異なる報道を繰り返すのかと憤りを覚えます。偽りの報道が、美智子さま、皇室のみなさまを苦しめることを、何とも思わないのでしょうか。

皇室のみなさまは、普通人と違って、事実と異なった報道があっても強くご抗議できません。そのことを承知の上で、商業主義に走って、平気で捏造記事を載せる週刊誌に対して、私たちも賢く、情報選択する眼をを養わなくてはならないと、あらためて思います。

+++++++++++

「週刊新潮12月24日号の記事について(令和2年12月18日)
令和2年12月18日
宮内庁

週刊新潮12月24日号は「小室圭・佳代さんに美智子さまからの最後通牒」と題する記事を掲載し,12月17日の朝刊に上皇后さまのお写真と共に大きな字で「宮内庁長官を動かした上皇后」との広告を載せています。

この記事は,宮内庁長官の12月10日の記者会見における秋篠宮眞子内親王殿下のご結婚に関する発言について,「もっぱら上皇后さまの強いご懸念が影響しています」とし,また,「上皇后さまのご意向を受け,宮内庁トップが代理人を皇居内に呼び出し,最後通牒を突きつけた」と報じています。

先般,長官は上皇上皇后両陛下に本年度補正予算のご報告に上がっていますが,その折,上皇后さまは報告をお聴きになるだけで,ご発言は皇室の皆様のご健康についてご無事を問われることだけでした。眞子内親王殿下のお話は全く出ておりません。今回の記者会見での長官発言は,記者質問に応じて,長官としての考えを述べたものであり,また,小室さんの代理人と会ったのも,長官自身の判断によるもので,事前に上皇陛下や上皇后さまのご指示を受けたとか,お諮りをしたとか,あるいはご意向を汲んだといった事実は全くありません。

眞子内親王殿下をめぐる週刊誌報道については,既に宮内庁ホームページで二度にわたり,上皇上皇后両陛下が首尾一貫して一切の発言を慎まれていること,また,上皇后さまの名の下に様々な事実に反する報道がなされていることに上皇上皇后両陛下も深く傷つかれ,お心を痛めておられることを説明してきました。86歳というご年齢でご自分も病いを持たれながら,上皇陛下のお世話を唯一の務めとして過ごしておられる上皇后さまに対し,このようなことが引き続き行われていることは誠に遺憾であります。」
(「週刊新潮12月24日号の記事について(令和2年12月18日)、宮内庁ホームページhttps://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-r02-1218.html

++++++++++


「先般,長官は上皇上皇后両陛下に本年度補正予算のご報告に上がっていますが,その折,上皇后さまは報告をお聴きになるだけで,ご発言は皇室の皆様のご健康についてご無事を問われることだけでした。眞子内親王殿下のお話は全く出ておりません。今回の記者会見での長官発言は,記者質問に応じて,長官としての考えを述べたものであり,また,小室さんの代理人と会ったのも,長官自身の判断によるもので,事前に上皇陛下や上皇后さまのご指示を受けたとか,お諮りをしたとか,あるいはご意向を汲んだといった事実は全くありません。」

つまり、記者会見の内容も、小室さんの代理人に会ったことも、西村宮内庁長官の考えを述べたものであり、長官ご自身の判断によるもので、上皇陛下、上皇后陛下のご指示を受けた、お諮りをした、ご意向を汲んだ事実はまったくなかったのでした。

週刊新潮が上皇后陛下の名の下に様々な事実と反する報道がなされ、86歳というご年齢の病をもたれている美智子さまをどれほど苦しめたかと思いますとただただ心が痛みます。

こういう報道、事実に基づかない心ないバッシング報道を目にするたびに、「日本人は皇室を戴く資格があるのだろうか」と天を仰いで嘆きたくなります。


それでも、上皇后陛下・美智子さまのこれまでのお言葉を拝読しますと、心が静まり、清められます。

+++++++++++

「家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます」

(‘04年10月、70歳のお誕生日に際し、宮内庁記者会から皇太子妃・雅子様の長期静養についての質問があり、美智子さまが文書で回答された)

【解説】同年5月、皇太子殿下が会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」とご発言。それをきっかけに、皇室をめぐってさまざまな報道や国民的議論がなされました。美智子さまはこの一連の騒動と、長期静養される雅子さまの苦悩について、それは家族の苦しみでもあるとお答えになられた。家族みんなで、雅子さまを支えていきたいというお気持ちだったのだと思います。
(pp53~54)

「祈ったり、時には子どもぽいおまじないの言葉をつぶやいてみたりすることもあります。
不思議に悲しみと不安の中で、多くの人々と無言のうちにつながっているような感覚を持つこともあります」

('93年9月から始まった皇室批判報道後、美智子さまは失声症となる。不安と苦しい日々の中、国民から寄せられた励ましの手紙などで心が慰められたと、後にこう回想されている。「寄りそう皇后 美智子さま 皇室の喜びと哀しみと」(宮崎貞行著/きれい・ねっと)より)

【解説】美智子さまは、悲しみと不安の中、「錯覚にすぎないのかもしれませんが」とことわったうえで〝連帯の感覚〟を持たれたと同書には書かれています。そして「生きてきたことのご褒美のように思え、慰めと励ましを感じています」ともおっしゃっています。国民からの無言の励ましが美智子さまのお力になったのだと思います。
(pp87~88)

(松崎敏弥著『毎日読みたい美智子さま~愛が生まれるおことば81~』光文社)

++++++++++++++

最初のおことばは、雅子さまのご回復のことですが、眞子内親王のご結婚のことも、宮内庁の説明の通り、「首尾一貫して一切の発言を慎まれ」、家族の苦しみとして、良き解決を望んでおられると拝察申し上げます。

「眞子内親王殿下をめぐる週刊誌報道については,既に宮内庁ホームページで二度にわたり,上皇上皇后両陛下が首尾一貫して一切の発言を慎まれていること,また,上皇后さまの名の下に様々な事実に反する報道がなされていることに上皇上皇后両陛下も深く傷つかれ,お心を痛めておられることを説明してきました。」

これらの一連の出来事について、今の私には、すべてが良くなりますようにと、祈ることしかできません。このささやかな祈りが「無言の励まし」となって美智子さま、皇室の皆さまに届いて、ほんの少しでもお慰めになりますよう、神さまがお導きくださることに感謝申し上げます。

今日も読んでいただき有難うございました。
今日が皆様にとって、さわやかな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:眞子内親王
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

なぜ女系天皇を支持するのか―今上陛下の御こころのままに [皇室典範改正]

DSC_0943花20201220blog.JPG
私の「女系天皇支持」の根拠は、前にも書いたと思いますが、今上陛下の大御心に謹んで従いたい、それがすべてです。今上陛下、上皇陛下、秋篠宮殿下の数々のお言葉を拝読して、思考と祈りを重ねた上で、「女系天皇容認」が道理に適い、人情にも適い、歴史的に見ても、天皇陛下の御叡慮であると、拝察できるからこそ、「女系天皇容認・公認」を支持しているのであって、決して私的感情の「女系天皇ありき」が先立つものではありません。


「男子男系支持」派の心情は、長年、続いてきたことが変わってしまうことへの不安が大きいと思います。その心情は、理解できます。


明治時代にも、生活様式の変革にいのちがけで抵抗した人々がありました。

明治天皇が、初めて牛肉を食された時(1872年)には、それに抗議する御岳行者10名が皇居に乱入して、4名が射殺、1名が重症、5名が逮捕される事件が発生したそうです。(Wikipedia)

「天皇が(牛肉を)食してしばらく後の1872年(明治5年)2月18日、御岳行者10名が皇居に乱入し、そのうちの4名が射殺、1名が重傷、5名が逮捕される事件が発生し、後に「外国人が来て以来、日本人が肉食し穢れて神の居場所が無くなった為、外国人を追い払うためにやったのだ」との動機が供述されている。」
(Wikipedia、日本の獣肉食の歴史、明治時代から太平洋戦争前まで)

牛肉食という食事の改革にさえ、明治時代に命をかけて抗議した人々がありました。


「皇統継承」、天皇陛下の跡継ぎという重大事になれば、心配でたまらなくなる気持ちはよく分かります。


それでもひとたび、天皇陛下の「改革・変革」のご意思に拠るものであることを知れば、私心を捨てて、陛下のご意思に従ってきたのが、明治時代の臣下であり、国民でした。


それによって、歴代の皇室は、伝統の核となる部分を護り伝えつつ、改革・変革を重ねて、つねに新しい伝統を築いて来られました。

女系天皇支持と申しますが、男系男子の継承が可能であるなら、それを続けたいというのは、人情でしょう。しかし、側室無しでの男系男子限定の継承が不可能であり、旧宮家系男子を迎えるという無理な手立てをとっても効果が一過性で、必ず先細りになって未来が無いという見通しが分かるからこそ、やむを得ず、女系天皇という新しい改革が必要になったということは、道理を分かる人なら、必ず理解できると思います。

何をかくそう私自身も、2005年に、小泉政権の「皇室典範に関する有識者会議」の発表を、初めて目にしたときには、天皇陛下が「女系容認」であることを知らなかったので、驚きが大きくて、強烈な反対の念を持ちました。

古事記神話を、私流に解釈して、「女系天皇まかりならん」の理屈を「自由日記」に、数ページにわたって書きなぐりました。

その後、各識者の愛国心、戀闕の心あふれる「女系天皇・容認論」を読み、自分の経験と照らし合わせて、精一杯、思考を巡らした後に、天皇陛下のお考えが「女系容認」に、ほぼ間違いないと確信いたしました。

それから、自分の懸念や反発する感情は横に置いて、陛下の大御心のままにすべてが実現しますようにと、意志的に、心の方向をそちらに向けました。最初はそれでも、しばらくの間、心の底から湧きおこる抵抗を抑えてという時期が続きました。心に沸き起こる各疑問を、解きほどいて、今日に至っています。

今上陛下、上皇陛下、秋篠宮殿下の数々のお言葉を拝読して、思考と祈りを重ねた上で、「女系天皇容認」が道理に適い、人情にも適い、歴史的に見ても、天皇陛下の御叡慮であると、拝察できるからこそ、「女系天皇容認・公認」を支持しているのであって、決して私的感情の「女系天皇ありき」が先立つものではありません。

先ごろ、2005年小泉政権の「皇室典範に関する有識者会議」を再読いたしましたが、よく検討された上での結論であると思いました。

いずれにしましても、私にとって、今上陛下の大御心がすべてです。万が一でも、天皇陛下が「男系男子による継承」を推奨されることがあれば、いつでも大御心のままに従うという、決意でおります。

☆☆☆

“「戀闕」という言葉は、確かに難しく一般の辞書にも無いものが多いですが、「戀」は「恋」の旧字体で「闕」は「宮城の門、また天使の宮城」を指し、両者で〝大君をいとおしく思う心〟を意味しています。幕末、維新に近い時代、〝天下の英傑〟と慕われた真木和泉守(まきいずみのかみ)から、「戀闕第一等の人」と称せられた平野国臣(くにおみ)に、次の歌があります。

斯(か)くばかり 悩める君の 御こころを
休めまつれや 四方(よも)の国民(くにたみ)”

これが「戀闕」の精神です。この言葉は、多彩な日本語の中でも、最も美しい〝宝〟というべき国語ですので、どうか敬遠しないで、愛用していただきたいとお願いいたします。”
(田中卓著『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生』幻冬舎新書)

☆☆☆

田中卓(たかし)先生の言われた「戀闕(れんけつ)」ということが、このごろ、少しずつ分かってきた気がいたします。

大君(天皇陛下)の御こころを休め奉(まつ)りたい、それが、私の願いのすべてです。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様にとって良い一日でありますようお祈り申し上げます。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

男系支持派の「女系天皇反対」論を考える [皇室典範改正]

PICT1125河童20201219blog.JPG
河童のような不思議な植物です。


皇位継承を男系男子に限定し、女系天皇に断固反対するという、「男系支持派」の学者等の意見は、理屈に合わないものばかりで、既に破綻しているとしか思えないのですが、惑わされている人もあるようなので、反論などをまとめて見ました。


男系支持派・女系天皇反対派の意見は、次のようなものです。

なお、御皇室のことを、染色体とかゲノムに関連づけて語るのは、私としては、気が進まないのですが、男系支持派がそういうことを話題にしているので、やむを得なく取り上げさせていただきます。

1、 男系を維持するために旧宮家の子孫に皇族復帰していただく案がベストである。

2、 女系天皇になると、Y染色体を受け継ぐことができないから、皇室が別ものになる。

3、 男性は種で、女性は畑である。種が変わると作物が別物になってしまう。皇室も同じである。

4、 古事記のイザナギ、イザナミ神話に、結婚の時は、女性が男性に先に声をかけて誘ってはいけないという話がある。女性が男性に先立ってはいけないというのが、日本精神である。だから、夫に従うように創られている女性は、天皇になれない。


【男系支持派の推す案の問題点、反対理由の反論】

1、 男系を維持するために旧宮家の子孫に皇族復帰していただく案について

① 旧宮家の子孫に政府は打診しましたが、これまで復帰希望者は一人もいませんでした。

② 旧宮家の竹田恒泰氏(臣籍降下した竹田宮様の孫)は、生まれて間もない赤ちゃんを養子にと主張しているようですが、養子には数々の問題があります。

   〇皇室の中のどの宮家が養子を受け入れられるのか、受け入れ側の宮家の御意思を無視して、そのような政策を決めてよいものかどうか。

   〇成人した養子が、離縁(養子関係解消)する例が、一般人でも3分の1ある。赤ちゃんの時に、皇室の養子になっても、3人に一人が離縁を申し出る可能性がある。

   〇成人した自分たちが皇室に入りたくないのに、生まれたての子供を手放す親があるかどうか。子供たちの意思を、親が勝手に決めてよいものかどうか。子供は親の道具ではない。

   〇一般家庭においては養子になった子供の成育環境は、皇室に入るほどの変化はありませんが、皇室は、人権の制限がある特殊な世界です。皇室のような特殊な世界に養子を出す場合、本人の意思確認ができない決定には、大きな問題があると思います。 


③ 旧宮家は、男系男子の系統といいますが、600年前の天皇の子孫です。その上、一般人になってから70年以上経っているというのは、日本の歴史始まって以来の、現在の皇室と縁の遠い、男系男子の子孫が、皇族復帰する例となります。

過去の歴史においては、皇籍離脱してから3年目で復帰(宇多天皇)の事例がありますが、離脱して70年以上で、代も孫やひ孫の代になっている復帰の例は、まさに前代未聞で、まったく前例のないことです。

それに固執するのは、「臣籍降下した皇族の復帰は認めない」という、明治時代に制定された皇室の大原則に、真っ向から対立するものです。


【女系天皇反対論に対する反論】

1、女系天皇になると、男性にしかない「Y染色体」を受け継ぐことができないから、皇室が別ものになる。

① Y染色体は、ヒトゲノム(遺伝子)の運び屋に過ぎません。飛脚の屋号のようなものです。

② 運び屋たるY染色体(歴代天皇の)を持っている男性は、日本中に無数います。多くの一般男性が、歴代天皇のY染色体を持っている可能性があり、旧宮家だけの特殊性を担保しません。

③ Y染色体をたどれば、神話の世界では、天照大神(女性神)につながります。結局、女系の祖先神が、日本人の考えた、皇室の始祖ということになります。

④ 生物学的に言えば、Y染色体は、アフリカの人類最初の男性に行きつきます。

⑤ いずれにしても、Y染色体が受け継がれていることを、尊ぶ理由は、どこにもありません。

 *上記①~④は生物学者 福岡伸一氏の説です。(『皇室典範改正への緊急提言』100~102ページ)


2、 男性は種、女性は畑である。種が変わると作物が別物になってしまう。皇室も同じという説。

① きわめて非科学的な、生物学に反する、古代の迷信です。

畑にオシベを蒔いたら、作物ができるでしょうか? オシベとメシベがなければ、肝心の「種」ができません。

人間の受精卵は、父親と母親のヒトゲノム(遺伝子)を半分ずつ継いでいます。

恐れ多いことですが、一般女性が天皇の配偶者になられた今の皇室と、一般男性が天皇の配偶者になることとの間に、何の差異もありません。お子様が、父親から半分、母親から半分のヒトゲノム・遺伝子を継いでおられること、継がれることにおいては、まったく同じです。

② 種と畑のたとえは、男性を通してのみ、特殊な「気」が子孫に受け継がれるという、古代シナの思想に基づくものであって、日本人にとっては、ただの迷信に過ぎません。非科学的な迷信を根拠にするのは、愚かなことです。

3、 古事記のイザナギ、イザナミ神話に、結婚の時は、女性が先に誘ってはいけないという話がある。女性が男性に先立ってはいけないというのが、日本精神である。

① 女性が男性に先立ってはいけないというのは、女系家族が主であった日本古来の思想ではありません。

古事記が成立した頃には、シナの男尊女卑思想が、日本に浸透し始めていました。古事記の、婚姻の時に、男性が先に声をかけるべきであるとの話は、その影響を受けたものです。

「日本書紀」の一書には、女性神が先に声をかけて、淡路島、蛭子(ひるこ)を生んだ後に、海、川、山、木の祖、草の祖、を生み、日の神(天照大神)を生んだという話があります。 男性神が先に声をかけるということが、国生みの必須の条件だったわけではありません。

② そもそも結婚という人生の一大事は、男性が声をかけても、女性が声をかけても、2人が心を一つにして、家庭を営む共同作業を行うという、2人の決意から始まるのであって、どちらが先に声をかけるということを、古事記神話の一節を根拠に「こうでなければならない」と、決めつける必要はないと思います。*

③ さらに、これは家庭生活の心構えだとしても、社会生活のすべてに敷衍できるものではありません。そんなことをしていたら、女性社長も、女性閣僚も、女性議員も、皆、男性の上に立てないことになって、社会生活が成り立ちません。

*女性と男性の特性の違いから、女性が男性を包み込むような愛情表現が、家庭生活を円滑にするということはあると思います。しかし、それは両性の優劣や、どんな時でも男性を先に立てなければならないというような硬直化したものではなく、愛情に基づくもので、時と場合に合わせて、融通性があるものだと思います。


今日も読んでいただきありがとうございました。
どうぞ良い週末をお迎えください。

参考資料:

中島英迪著、大前繁雄著『皇室典範改正への緊急提言』新風書房


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

聖徳太子の御歌―挽歌に見る死生観 [聖徳太子]

DSC_0707地蔵ネコ20201020blog.JPG

今日は、初期万葉の死生観を、聖徳太子の御歌から、学ばせていただきます。

万葉集には、挽歌(ばんか)、相聞歌(そうもんか)、雑歌(ぞうか)の三大部立てがあります。

挽歌(ばんか)は、人の死を悲しみ悼む歌。

相聞歌(そうもんか)は、恋の歌。また親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌も含まれます。

雑歌(ぞうか)は、挽歌、相聞歌に属さないすべての歌です。


『万葉の世界と精神』の著者、山口悌治氏は、初期万葉の挽歌を通読して、上代におけるわれわれの祖先が、人間の死をどのように受け取ったかということを、次のように述べています。


☆☆☆

「それらを通読すると、死は現世から身を隠すこととみなされてゐる。肉体の死は人間そのものの死ではなく、したがって死者は虚無の彼方に消滅したのではなく、単に現世から身を隠したにすぎないのである。」(p286)
(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』。日本教文社)

☆☆☆


私は、「死」は、現世から身を隠しただけ、という見方が好きです。

「生長の家」という宗教がありますが、その講師が「死というのは、ふすまをちょっと開けて、向こう側に行ったようなもので、姿は見えなくなるけれども、人間のいのちそのものが、消滅したのではない」と話されました。「死は、現世に背を向けて、正面があの世に向いただけ」とも言われました。

ある講師によれば、寿命を全うした人は、あの世に行くと、先に亡くなった親族や友人が、赤ちゃんの誕生を祝うかのように、駆けつけてきて、歓迎してくれて、可愛がっていたペットも迎えに来てくれるそうです。そんな感覚が分かる気がする時があります。「千の風になって」の歌とも相通ずるものがありますね。

ただし、自殺だけは、してはダメと言われました。本当はまだ生きたいのに、不自然に命を絶つと、自殺によって自分が逃げ出そうとした現世の課題・問題を解決できないで、それを背負ったまま、あの世に移行するからです。きちんと解決しない限り、同じ課題・問題がいつまでも自分について回るので、生きていた時より楽になるということはなく、むしろ苦痛の程度が増すそうです。

だから、与えられた課題は、つらくても苦しくても、現世で解決するのが、一番であり、与えられた生命を最後までまっとうするのが、最善の道なのです。人間に解決できない問題は与えられない、八方ふさがりでも、天が開いています。必ず解決の道があります。希望を捨てないでください! と教えられました。


死は現世から身を隠しただけ、隠り身になっただけ、そんな初期万葉の死生観を、聖徳太子の御歌から、学ばせていただきます。

☆☆☆

“聖徳皇子、竹原の井に出遊(いでま)しし時に龍田山の死人(みまかりしひと)を見て悲しみて作りませる御歌一首

家にあらば 妹(いも)が手纒(たま)かむ 草枕(くさまくら)

旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ (巻三・四一五)”

“聖徳太子が、竹原の井(大阪府中河内郡相原町高井田の地)大和から河内への道筋で、大和川に面し、当時は行宮(あんぐう)があった由)の行宮へお出になられた時、竜田山のほとりに行倒れてゐる死者を傷んで歌はれたもの。太子の歌は万葉集にはこの一首しかない。ほかに『日本書紀』には長歌一首が載せられてゐる。

(語意)

家にあらば―自分の家に居ったならばの意。

妹が手纒(たま)かむ―妹(いも)はここでは妻のこと。

手纒(たま)かむは、妻の手を枕にすることができるであらうのに。

臥(こや)せる―臥してゐる、寝てゐるの意。

(大意)

ここが旅先でなく、自分の家であったならば、そこには優しい妻がゐて、いたれり尽くせりに介抱してくれて、よし息をひきとるにしても、優しい妻の手を枕とすることができたであらうに、旅先であるから、誰一人看病してくれる者もなく、淋しく死んでいったこの旅人は、まことに哀れにいたましいことよ――といふほどの意。(p287)

(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』日本教文社)

☆☆☆

言葉の意味:

行宮(あんぐう):天皇の行幸のときに旅先に設けた仮宮。行在所 (あんざいしょ)

龍田山:龍田山(たつたやま)は、現在の奈良県生駒郡三郷町(さんごうちょう)の龍田本宮(たつたほんぐう)の西、信貴山(しぎさん)の南にあたる山地とされています。龍田山(たつたやま)という名前は現在残っていません。


龍田山のほとりに行き倒れていた死者を「寝てゐる」と表現するやさしさ、そこに悲惨さはありません。妻の看病が受けられず気の毒だったという傷むお気持ちが表わされているだけです。


日本書紀でも、同じ情景を聖徳太子が詠った長歌があります。

太子は死に瀕している旅人に食べ物と衣服を与えますが、翌日、使者を遣わしたところ、亡くなっていたので、使者は手厚く埋葬しました。その数日後、太子が、使者に様子を見に行かせたところ、亡骸が消えて、与えた衣服がきれいなまま残されていたという話になっています。

旅人を埋葬させて数日後、聖徳太子は次のように仰せられます。

『先の日に道に臥(こや)せる飢えたる者、凡人(ただひと)に非(あら)じ。必ず真人(ひじり)ならむ』

「道端に飢えて臥せっていた人は、聖(ひじり)であるに違いない」と言われたのです。聖徳太子は使者を遣わして様子を見に行かせました。使者が帰って来て申すことには、

「墓所に行きましたら、封(かた)めて埋めたところは動いていませんでした。開けて見ると、亡骸は消えていて、太子様の衣服が、棺の上にたたんで置いてありました」

それで太子はもう一度使者を遣わしてその衣服を持って来させ、何事も無かったかのように着用されました。

当時の人々はこの話を聞いて、「聖(ひじり)の聖を知るということは、実(まこと)のことである」といよいよかしこまったとのことです。[黒ハート]


キリスト教の、キリストの復活の話に似ていますね。これも、人間の肉体が消滅しても、人間そのものは消えたのではない、また旅先で不慮の死を遂げても、その人が、実は、聖(ひじり)であったという、死者に対するあたたかいお心が感じられます。

いずれにしましても、「亡くなったのではない、臥(ね)ているだけだ」という、死を自然のこととして、受けとめる感覚、人が他界しても、消えてしまうのではなく、別のところで生き続けているという、静かな感覚に、共感を覚えます。


今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって、生き生きとした楽しい一日でありますよう、お祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

女系になっても皇室は別物になりません [皇室典範改正]

DSC_0973紅葉20201216blog.JPG
女系天皇、女性宮家を創設したら、「皇室が別物になる」との言葉を目にしました。

昨年の産経新聞の記事に次のような言葉がありました。

そういうことを考えている人が、自民党議員重鎮の中に、まだいるのだなあと、不思議に思いました。


++++

『こうした中で、党幹部から女系容認論があがったことに対し、ある党重鎮は「女系になったら皇室が全く別ものになってしまうことを知らないのか。不勉強だ」と苦言を呈す。』
https://www.sankei.com/politics/news/191129/plt1911290078-n2.html

++++


申すまでもなく女系天皇、女性宮家が創設されても「皇室は別物」になりません。日本の、先祖が伝承してきた神話、そして日本の歴史を、古代から誠実・丁寧に学べば、「女系になったら皇室が全く別ものになる」と思い込む人こそ、よほど不勉強であることが分かります。


当ブログでは、女性天皇について、神功皇后、推古天皇、皇極天皇・斉明天皇、持統天皇を取り上げましたが、男性天皇と遜色ないご活躍ぶりを学ぶにつけ、日本は双系社会で、女性も男性に遜色なく活躍してきた国であり、これから活躍できる可能性を持っている国であることが分かって来て、期待に胸がふくらみます。

古代のように女性が生き生きと活躍できる時代が、もう一度復活すれば、日本は一段と活気づき、男性も女性も、共に幸福度を増し、国中が、新しい息吹に満たされると思います。その扉を開くのが、女性天皇の実現であり、女性宮家創設であると思います。


確かに過去においては126代の天皇の父方をたどると、一番遠くても五世離れた男性天皇の子孫であるというように、父方をたどれるというのは、そのとおりです。

女系の天皇を認めれば、「母方しか、たどれなくなる」ことになり、歴史始まって以来であるから、不安であるという気持ちはよく分かります。誰でも、初めてのことに恐れと不安を感じるもので、その気持ちは理解できます。

しかし、新しいことを恐れて、縮こまって、改革しなければ、行き詰まってしまうことが分かっていながら、それを行わないのは勇気がないということです。勇気の無さを、実行しないことの言い訳にしてはならないと思います。

明治以来、あるいはその前の時代でも、日本の皇室は、伝統を重んじつつ、必要とあらば、改革・革新を、躊躇することなく実行してきました。

昭和天皇は女官制度(側室制度)を廃止されました。それを反映して、現皇室典範では、庶子(正妻の子でないお子様)による皇位継承を廃止しました(1947年)。

それまでの2000年間、日本の歴史上の天皇の約半数は庶子でした。側室制度を廃止されたのは、まさに歴史始まって以来のことです。神武天皇の時から奥様は複数いらっしゃいます。偶然、奥様がお一人の方もあったかも知れませんが、制度としても、複数の奥様をお持ちになることは、昭和天皇の時代までは、当前のこととして、公認されていました。それを敢然と廃止されたのは、日本の2000年以上の歴史の中で、まさに初めてのことでした。

男系男子の継承を維持し続けようと思うのなら、側室制度を前提とした庶子による継承を復活しなければなりません。しかし、それはどう考えても無理です。

現皇室典範を制定するに当たって、当時の吉田茂首相は次のように説明しています。

+++++

「天皇陛下は国の象徴、国民おのおのの象徴として、則ち国民道義の儀表(手本)たるべきお方であるのでありますから、その御地位に即かれるお方も正当の婚姻によって生まれた方に限りたい、これが提案の趣旨であります。」(昭和21年12月6日、衆議院本会議)

+++++

当然と言えば当然ですが、国民のお手本でいらっしゃる天皇陛下が正妻のお子様でないということは、国民感情に照らしても、国際的に見ても、あり得ないことですね。


また、男系支持派は、女性天皇の夫(皇婿(こうせい))について、家系が変わるのではないかという懸念を持っています。

よく聞かれるのは、皇統が、配偶者の家系に移ったと観念されるというものです。1947年、旧典範の「男系男子」限定が、明治時代の典範から受け継がれる根拠になったのが、このことでした。当時、法制局がまとめた「皇室典範に関する想定問答」に、こう書かれていました。

++++

「女系が問題になるのは、その系統の始祖たる皇族女子に皇族にあらざる配偶者が入夫(にゅうふ)として存在しその間に子孫がある場合であって、此の場合、女系の子孫は仍(すなわ)ち皇族にあらざる配偶者の子孫で臣下であるといふことが強く感じられ、皇統が皇族にあらざる配偶者の家系に移ったと観念されることを免れない」と。

+++++

父親が皇族ではないので、その子孫が皇族ではない、一般庶民であると、見られてしまうことが懸念されたということです。

しかし、一般庶民の生活に置き換えても、家の名を継ぐということはよくあることで、入夫(にゅうふ)する男性は、女性の姓に改名して、その家を継ぎます。その子孫は、入夫した○○家の子であるということに、誰も疑問を持ちません。お父さんが○○家の人ではないから、などとこだわるという話は聞いたことがありません。庶民感情からして、皇室に入られた方が男性であっても、女性であっても、不自然だとこだわる方が、変だと思います。

一般庶民と皇室を一緒にするなと、重鎮の自民党議員からお叱りを受けそうですが、「国民と共にある」という天皇陛下の御心からしても、そこに区別を設ける理由は何もないと思います。区別を設けて、皇室を別世界だと強調することの方が、国民を皇室から遠ざけることになるのでは無いでしょうか。


皇室の場合は、「姓」が無いので、入夫される男性は、「姓」がなくなり、皇族になります。
元の姓が、皇室に影響を及ぼすことがないのは、美智子様、雅子様が皇太子妃、皇后になられても、正田家や小和田家が、皇室に何の影響も及ぼしていないのと同じことで、何も問題になりません。

それが問題になると思う人は、どこかで「女性というものは、男性の言いなりになるひ弱なもの」という、時代遅れの先入観があるのではないでしょうか。

男系支持派で、眞子様のご結婚に反対する某著述家は、「眞子様は悪くない、小室さんが悪い」と言っているそうです。眞子様は女性だから、男性を見る眼が無い、と言いたいのでしょうが、人を見る眼のある無しに、男性も女性もありません。それは「女性は男性のいいなり」、「女性は男性に騙されるもの」という、俗な先入観によるものだと思います。

天皇陛下が選ばれた伴侶、秋篠宮殿下が選ばれた伴侶を見れば、天皇、上皇、皇族の人を見る眼が確かであると信じることが出来ます。秋篠宮殿下ご夫妻が手塩にかけて育てられた眞子様も、これから女性宮家の当主となられる方々も、必ず人を見る眼を育てておられると思います。それを信じないのは、女性に対する偏見があるからではないでしょうか。


今日も読んでいただき有難うございました。

寒くなってまいりました。町に出ると紅葉がきれいです。
葉を落とした冬木立もそれなりの風情があります。

皆様お身体にお気をつけてお過ごしください。

[黒ハート][黒ハート]
参考資料:

高森明勅著『歴史で読み解く女性天皇』ベスト新書

タグ:女系天皇
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

皇統継承は天皇の意向を知ることが第一 ― 承詔必謹 [皇室典範改正]

DSC_0970シク赤20201215blog.JPG昨日ご紹介した『皇室典範改正への緊急提言』という本から、今日も学ばせていただきます。

著者の中島英迪氏は「日本は女系天皇を公認すべし」という立場、大前繁雄氏は女性宮家創設と旧宮家復帰を同時に(提案)という立場です。


私のブログでは、引用は必要最低限にして、できるだけ自分の言葉で語るつもりでいますが、今回はあまりにも分かりやすい名文なので引用が多くなりましたことをお断りいたします。


☆☆☆

“日本国の時間・空間を貫く超越者であり「大黒柱」である天皇の後継者をどうするかという大問題に、本来「臣」であり、「子」である国民が嘴を入れ、「絶対にこうすべきだ、ああすべきだ」などと断言するのは僭越であると思われます。しかも男系主義者のように、これを一大国民運動として大々的に宣伝し、時の権力者をも牛耳ろうとするのは、まさに越権行為と言わねばなりません。
 皇室のことは皇室の意向が優先されねばならず、まず天皇の意向がどうなのかを知ることが第一ではないでしょうか?”(p120)

“もっとも、上皇は即位以来、日本国憲法を尊重して国政に関わることには発言を控えてきました。皇位継承問題に関しても、上皇は国民に任せるとの態度で終止しましたし、今上天皇も令和二年二月二十三日の天皇誕生日の会見で、この事を問われて、「制度に関する事項については、私から言及することは控えたいと思います。」と答えています。

しかしながら、国論が二つに分かれて収拾がとれなくなり、安倍政権すらも議論を先送りせざるを得ない膠着状態に陥った以上は、打開の道は天皇の聖断の他にありません。ちょうど大東亜戦争の末期、御前会議で戦争継続と終戦とに閣僚の意見が分断された折、昭和天皇の裁断で終戦が決定されたのと状況は似ています。ただ、御前会議での決定は誰が見ても「国政」ですが。今回の問題は「国政」というより「国体」なのですから発言し易く、いづれに決まろうと「国政」にはほとんど影響はありません。

上皇が「皇室典範」に縛られることなく、摂政も置かず公務も軽減せず、「生前退位」を達成し、国民の祝福を受けながら譲位を成就したように、今上天皇も自分の意思を示した上で、国民の理解を願うという形を取るのが最善と思われます。”

“では、とるべき国民の態度とは如何なるものでしょうか? それは、もし天皇から「お前の意見を申してみよ」との下問があれば、「恐れながら私は……と愚考致しております」との謙虚な姿勢であるべきでしょう。無論、この小論もその思いで書いています。

そして、ひと度、聖断によって国民が理解して決着した以上は、私情を抑えてこれに服するのが「臣」としてのあり方でしょう。飛鳥時代の「十七条憲法」の中に「承詔必謹」、詔を受け給わりては必ず謹め、がありますが、天皇の決定には内心不満でもこれに従うのが忠臣のあり方で、「建武中興」時代の楠木正成がそうでしたし、先の大戦では阿南惟幾大将は聖断に服した後、すぐ自決しました。今回の問題は大時代の過去とは異なりますので、どうしても不服なら以後は沈黙を続けるか国外に出るか、の選択が妥当な所ではないでしょうか?

序ながら、男系派論客の中には、女系天皇が実現すれば不満な分子がこれに抵抗し、国が二分される、と脅しをかける者がいますが、彼らが黙りさえすれば国は二分などしないのです。既に自分たちが「男系絶対!」と怒鳴り散らして国論を二分している事には気付いていないようです。どういう訳か、男系派の論客の中には、この天皇の聖断に反対の者が多いようですが、多分「女系天皇」の容認を表明されたら一大事と思っているに違いありません。実際これまでに「もし天皇が女系を容認しても百二十五代の中の一人が間違ったことを述べたのだから自分は無視する」と断言した男系派同調者がいました。彼は一大事と思わず、天皇よりも自分の方が偉いと思っているに違いなく、尊皇心のかけらもありません。また、かつて皇族の一人、三笠宮家の寛仁親王が私的な「ひとりごと」のエッセイで男系継承に賛成したのを、男系派の指導者たちが国民の眼の前に引っ張り出して散々利用しながら、天皇の意向表明に反対するとすれば、全く支離滅裂、矛盾そのもので、卑怯のそしりは免れないでしょう。

天照大神を信仰し、その「天壌無窮」の「神勅」を至上のものと仰いで、神武建国時の「六合兼都」「八紘為宇」の「詔勅」を至高のものと崇める真正の日本人なら、己を空しくして、天照大神と一体になって日本と世界の繁栄、平和を祈る「現人神」=天皇の「聖断」に喜んで従うでしょう。”
(pp121~124)

(大前繁雄著、中島英迪著『皇室典範改正への緊急提言』新風書房)

☆☆☆

“日本国の時間・空間を貫く超越者であり「大黒柱」である天皇の後継者をどうするかという大問題に、本来「臣」であり、「子」である国民が嘴を入れ、「絶対にこうすべきだ、ああすべきだ」などと断言するのは僭越であると思われます。しかも男系主義者のように、これを一大国民運動として大々的に宣伝し、時の権力者をも牛耳ろうとするのは、まさに越権行為と言わねばなりません。

皇室のことは皇室の意向が優先されねばならず、まず天皇の意向がどうなのかを知ることが第一ではないでしょうか?”

特に最後の2行に、全く同感です。

天皇の大御心のままに、天皇のお心が休まりますようにと、「臣」として「子」として、それ以外、何も望みません。私ごときが「臣」を名乗るのは僭越かもしれませんが、天皇にお仕えするという意味では「臣」のような気持ちです。

“とるべき国民の態度とは如何なるものでしょうか? それは、もし天皇から「お前の意見を申してみよ」との下問があれば、「恐れながら私は……と愚考致しております」との謙虚な姿勢であるべきでしょう。無論、この小論もその思いで書いています。”

筆者の中島氏の思いに、深く共感いたします。これまで自分に謙虚さが足りなかったことについて、反省しております。

“上皇が「皇室典範」に縛られることなく、摂政も置かず公務も軽減せず、「生前退位」を達成し、国民の祝福を受けながら譲位を成就したように、今上天皇も自分の意思を示した上で、国民の理解を願うという形を取るのが最善と思われます。”

皇統継承について、天皇の聖断がいただければ、どれほど安心できることでしょう。もちろん、聖断があれば、私心を捨てて、すべて、一切合切、天皇のご決定に従います。

一方、これまで国民として天皇にお仕えする気持ちが不足して、国父であられる天皇と、皇室に、甘えてばかり、与えていただくばかりでした。ですから、恩返しの気持ちで、天皇のことを学ばせていただき、日本の素晴らしさを再認識する機会が与えられたことに、感謝しております。

男系派が、「天皇の聖断」に反対ということについては、以前、田中卓氏が、ご著書で次のように述べておられることと一致します。

☆☆☆

“ふつうに私どもが「大御心」と申せば、叡慮、すなわち現「天皇陛下の御心」を申し上げるが、男系派の「大御心」というのは、現在の天皇の「御心」とは異なり、二千年の日本歴史を通じて拝される歴代天皇の「御心」を総称しているらしいのである。すなわち「御心」とは現在の天皇の心であり、「大御心」とは、歴代天皇の心、だそうである。

 私は初めて聞く奇妙な解釈だが、これは、男系男子派の拠点となっている日本会議の事務局を代表し、かつ私の積年の知己からの率直な回答なのであって、決して私見の勝手な判断ではない。”

“今上陛下の叡慮に背いてまで、男系派は、女帝の出現も、女性宮家創設案も、それを誤った「御心」であって、伝統的な「大御心」ではないと、自己流に判断して否定した。しかも彼等は、その後の皇統永続の為の匡救案を一向に提出していないのだ。無責任ではないか。”

(pp243~244)

(田中卓著『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』幻冬舎新書)

☆☆☆

(言葉の意味)
匡救:悪を正し、危険などから救うこと。

「歴代天皇の大御心に従うが、今上天皇の御心には従わない」とは、実に奇妙な考え方です。今上陛下よりも自分たちの方が「歴代天皇の大御心が分かっている」という考えは、傲岸な思い上がりです。たかだか数十年、歴代天皇のことを学んだだけの国民の浅知恵が、125代の歴史を継承された、今上天皇の叡慮を上回ることなど、あり得ません。今上陛下を信頼してお任せするのが、臣下の当然の心構えです。

“男系派論客の中には、女系天皇が実現すれば不満な分子がこれに抵抗し、国が二分される、と脅しをかける者がいますが、彼らが黙りさえすれば国は二分などしないのです。既に自分たちが「男系絶対!」と怒鳴り散らして国論を二分している事には気付いていないようです。”


双方に、天皇陛下の大御心に従うという「承詔必謹」の姿勢があれば、国が二分するはずがありません。

国を「二分しない」という決意のもとに、双方に、礼儀と謙虚さを備えた静かな議論が望まれます。

今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって、安らかな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:女系天皇
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

議論に慎みの気持ちと謙虚さを [皇室典範改正]

DSC_0963花群20201214blog.JPG『皇室典範改正への緊急提言』という本を薦めていただき、昨日、読了いたしました。

著者の中島英迪氏は「日本は女系天皇を公認すべし」という立場、大前繁雄氏は「女性宮家創設と旧宮家復帰を同時に(提案)」という立場です。筆者の大前繁雄氏は元衆議院議員、中島英迪氏は文明批評家という肩書です。

中島英迪氏の経歴は、兵庫県立高校で30年間、英語科教諭を勤められ、その後、日本教師会副会長、兵庫県教職員連盟委員長を歴任されたとのこと。

県立高校の英語教諭のご経験からか、テキストのような、とても読みやすい文章です。

皇室典範改正を考える人にとって、男系男子維持の問題点がきちんと押さえられ、女系天皇公認の理由についても、要点が非常によくまとまっている好著だと思います。皇統継承の問題に興味のある方には、必読書の一つだと思います。

https://7net.omni7.jp/detail/1107135103

同著から学んだことの一部をシェアさせていただきます。

☆☆☆

“天皇という存在は言わば日本国民の中心者であり、原理として国民の誰とも等距離を保って平等な姿勢で対します。これは空間的に見た中心概念ですが、時間的に見ても過去・現在・未来を貫く歴史の中核でもあります。しかも天照大神と一体となり神仏の心をもって国民に接していますので、その慈愛の言葉や文章表現には強く国民の心を打つものがあります。ことに明治天皇から平成の天皇(現上皇)に到るまでその「御製」は皇后の「御歌」と共に、国民に多大の感銘を与えてきました。また戦前の「大元帥」であった時代には、天皇と国民の関係は「義は君臣にして情は父子」と言われていました。天皇とは日本国民にとって畏れ多い存在であり、日本の至宝・至玉であって「畏敬」の念をもって仰がれて然るべきなのです。
このような次第ですから、私ども国民が天皇や皇室を語ったり論じたりする際には、当然のこととして慎みの気持ちや謙虚さが必要になります。非礼な言葉や傲岸不遜な態度が尊皇心と両立しないのは当然です。そして皇室に関する議論を闘わす時も、自分と意見が違うからといって相手を激しく罵るといったことも控えねばなりません。いくら感情が昂ったとしても、相手側を非難するあまり「国賊!」「売国奴!」「朝敵!」といった激語を投げつけるようではとても慎みのある態度とは言えないでしょう。”

(pp118~119)
(大前繁雄著、中島英迪著『皇室典範改正への緊急提言』新風書房)

☆☆☆

前半では、“天皇とは日本国民にとって畏れ多い存在であり、日本の至宝・至玉であって「畏敬」の念をもって仰がれて然るべきなのです。”が、心に響きました。

一般の週刊誌、月刊誌の論調では、天皇、皇族への畏敬の念が感じられない、それどころか、近所の隣人にさえ使わないような罵詈雑言に近い、「上から目線」の礼を欠いた表現がしばしば見られます。

最近、知人が勧めてくれた「眞子様のご結婚について」のyou tubeを少し見て、冒頭で「眞子、眞子」と眞子様のお名前を呼び捨てにしていたのに仰天しました。同時に「保守派」を名乗る人のyou tubeも視聴を勧められたのですが、冒頭で「眞子様が発表された『お気持ち』の日本語がおかしい」という発言、これもびっくりしました。どちらも視聴は即刻中止しました。

皇室に対する基本的な礼儀をわきまえない人の意見を視聴するのは、時間の無駄だというのが私の信念です。


中島氏の文章を読んで、自分の信念に誤りが無かったと、自信を持つことが出来ました。「尊敬して親しむ」とブログに掲げさせていただいていますが、「尊敬して親しむ」というのは「親しき中にも礼儀あり」ということで、天皇、皇室に礼儀を欠くような親しみ方では、大切なものを見失ってしまいます。

美智子さまのご成婚のとき、独身時代の美智子様を「正田美智子さん」と報道していたこともあったと記憶しておりますが、皇室に入られてからは、美智子様だったと思います。

皇族方に対しては、正式な陛下や内親王でない、親しみを持つ意味での表現でも「さま」、「様」で、お呼びするのが限度だと思います。

また、推敲を重ねて国民に向けてご発表された眞子様の「お気持ち」の文について、「日本語がおかしい」と言ってのける人には、どこが「保守派」なのかと、あきれるのを通り越して、悲しくなります。

天皇は「国民統合の象徴」です。日本国の象徴であられる天皇陛下、上皇陛下、皇族方には、国民として、一定の尊敬を払い、礼儀を保つものであると思います。


中島氏の後半の文章も、読んで大いに反省させられました。

「非礼な言葉、傲岸不遜な態度が尊皇心と両立しないのは当然です」、「皇室に関する議論を戦わす時も(中略)相手を罵るといったことも控えねばなりません」、「相手側を非難するあまり『国賊!』『売国奴!』『朝敵!』といった激語を投げつけるようではとても慎みのある態度とは言えないでしょう。」

どんな相手でも、天皇は平等な姿勢で対します。反天皇の人でも、天皇に失礼な言葉を投げかける人でも、誰もが等しく、「天皇の赤子(せきし)」なのです。そのようなご姿勢でいらっしゃるので、天皇制に反対する人々が、直接お目にかかることで、すっかり天皇のファンになってしまうという現象が起こるのでしょう。

他の国民を、自分の方がものを知っているという傲岸な態度で罵ることは、自分自身を罵ることであり、天皇の大御心を悲しませることなのだと、反省いたしました。

赤子:1 あかご。ちのみご。2 《天子を恵み深い親にたとえて、その子の意から》人民。国民。


政府は「皇統継承の問題で、国論を二分したくない」と繰り返し述べています。

男系維持派の主張は、どう見ても、既に破綻しているので、国会議員がきちんと、皇室のこと、皇統継承のことを学べば、国論が二分するはずがないと思えるのですが、そこに感情的なもつれが混じっているのなら、いっそう感情的にならないよう、冷静に議論を進めなくてはならない、そのためには「慎みの気持ちや謙虚さ」を双方が持つ必要がある、それなら、自分から、極力そのように努めようと思った次第です。

間違っていると思うことは、間違っていると堂々と主張することに変わりはありませんが、自分だけが正しいというような傲岸な姿勢にならないように、また相手を過剰に罵ることがないように、今後、皇統継承について語る時には「慎みの気持ちと謙虚さ」を忘れないようにしたいと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、穏やかな一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:女系天皇
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日本書紀「天壌無窮の神勅」を読み解く [神話]

DSC_0937赤い花20201213blog.JPG日本の国の内に、日本人が共通して心の奥に持ち続けて来た日本の国の理想は、日本神話の天照大神の天壌無窮の神勅(天照大神のお言葉)に語られていると言われています。

戦前、この神勅があまりに強調され過ぎて、抵抗感を持つ人もあるかも知れません。

しかし「日本書紀」は、1300年前に成立した古典であり、たまたま、戦時中にそれが別な意味で強調されたからと言って、日本人が、長年親しんで来た古文そのものに罪はない、日本人の文化・教養として、知っておいて損はないと私は思います。

『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書で、養老4年(720年)に完成したと伝わっています。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたります。

古典文章の読み解きだと思って気軽に読んでいただければ幸いです。

天照大御神の御神勅を見たり聞いたりすることがあっても、内容を細かく読み解いたことがなかったので、今日は、言葉の一つ一つを味わいながら、理解を深めたいと思います。

出雲の国の大己貴神(おおなむちのかみ=大国主の神)は、開拓した国を天の神、天照大神に奉られ(譲られ)ます。天照大神は、使いに立てた武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)の「葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定が完了しました」との報告を受けて、次のように仰せられました。


☆☆☆

“故、天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほににぎのみこと)に八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)、三種の寶物(たから)を賜ふ。(中略)因りて、皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して曰(のたま)はく、

[筆者注:以下が御神勅です]

「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)就(い)でまして治(し)らせ、行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、當(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなけむ」

とのたまふ。”(p146~147)

(『日本書紀 上 日本古典文学大系67』岩波書店)

☆☆☆

[言葉の意味]

☆葦原(あしはら):《葦の生い茂っている原の意》日本国の美称

*葦は、水辺に生えるヨシのことです。ヨシズというように、葦の茎は乾かして日よけに使われます。豊かに葦が生い茂る平原ということは、水に恵まれ、稲作に適した、生活に利用できる葦の採れる豊かな土地のある国を表わしていると思います。

「葦原の瑞穂の国」の関連語:

・豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに):高天原(たかあまはら)と黄泉国(よみのくに)、根之堅洲国(ねのかたすくに)の中間に存在するとされる場所で、地上世界を指す。

八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、櫛名田比女(くしなだひめ)を妻として、出雲の根之堅洲国(ねのかたすくに)にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)へ行きそこに留まった。

須佐之男命の子孫または息子である大国主神(おほなむち)が、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させたといわれる。

・黄泉の国(よみのくに):人の死後魂が行き,死者が生活するとされるところ。 「よもつくに」ともいう。 字義は「地下にある泉」で,横穴式古墳の構造からの連想,あるいは古代の埋葬儀式からくるものとされている。

・根之堅洲国(ねのかたすくに):日本神話に登場する異界である。『古事記』では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國」(ははのくに)、『日本書紀』では根国(ねのくに)・「底根國」(そこつねのくに)という。

豊葦原中国は、高天原(天の国)と、黄泉の国(死者の国)の中間に位置する国、すなわち地球上の人間界のことでもあります。

☆千五百秋(ちいほあき):限りなく長い年月。永遠。

*「ちいほ」は「ちいお」と発音します。古事記で、伊邪那美命の一日に千の命を奪うという言葉に対して「千五百の産屋を立てる」と伊弉諾命が言い返しました。八百屋の百(お)も同じですが、数多く、無限の数を表します。秋が無数に繰り返されるので限りない年月となります。秋は、実りの秋で、次の瑞穂(稲穂)と関連します。

☆瑞穂(みずほ)の国:稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということ

*稲が多く取れる国が豊かな国という当時の人の思いが感じられます。

☆爾(いまし):二人称の人代名詞。親しみの気持ちで相手をさす。そなた。なんじ。おまえ。

☆皇孫(すめみま):天照大御神の子孫たる天皇の子孫。

☆就いて:行って位に就きなさい

☆治(しら)す:国民の声に耳を傾け、国民のことをくまなく知って、その声に答えて、統治しなさい。
統治は権力によって押さえつけて支配するのではありません。国民の声に耳を傾け、くまなく知って、その声に答える、そういう統治の仕方が、天皇の統治の仕方です。

☆行矣(さきくませ):さきく【幸く】(副詞) 無事に。つつがなく。 それに助動詞の「ませ」がつく形です。 日本書紀では 行矣。つつがなく、幸せに、その任をつとめなさい。

さきくませは、幸くいませ、ですから、天皇ご自身も幸福になるようにと、天照大御神が祝福されていると考えました。これは平成28年8月8日の上皇陛下(当時は天皇陛下)のお言葉の一節から思いつきました。


“皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。”
(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

大変な重責を負いながら「幸せなことでした」と言われたお言葉に深く感銘いたしました。
天皇にも皇室の皆様にも、幸福であっていただきたい、心からそう思います。


☆寶祚(あまつひつぎ):皇位。日の神(天照大神)の霊(ひ)を継ぐこと。「宝祚」「天業」(紀)、「天日嗣」(宣命)、「天津日嗣」。

天津は「天の」という意味で、天は天照大神を指します。霊は「ひ」とも言います。ゆえにあまつ(天の) ひ(霊)つぎ(継ぐ)御位(みくらい)、皇位ということになります。

☆隆(さか)えまさむ:まさむ、の「ます」(坐す・座す)は、敬語。栄えていらっしゃるようになる。

☆天壌(あめつち):天地

“このように天地とは、大和王権は天地開闢の神代に始まり、天地と共に永遠で、天地が接する極限まで無窮であると、大和王権の悠久の歴史をたたえる表現として多く用いられている。”(「あめつち 天地」国学院デジタルミュージアム)

☆窮(きはま)り:きわまること。また、きわまったところ。極限。はて。きわみ。


[解釈]

こうして、天照大神は、(御孫の)天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほににぎのみこと)に八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)及び八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)、三種の寶物(たから)を賜わりました。(中略)そして、皇孫(すめみま)に勅(みことのり)して仰いました。

[以下が御神勅の解釈です]

「葦の生い茂った平野、数限りのない年月をかけて、みずみずしい稲穂が実ってきたあの豊かな国は、私(天照大御神)の子孫が代々、君(天皇)となるべき国です。私の子孫であるそなたは、その国に行って、民の声に耳を傾け、民のことをくまなく知って、民の声に答えて、国民を統治しなさい。そなた自身も、幸せになって、つつがなく、その任を務めなさい。皇位が盛んになられることは、まさに天地と共に限りなく、永遠であることでしょう。」

と仰せられました。


上記の解釈には、一般の辞書の言葉に、私的解釈も加えています。違うところがあれば、ご遠慮なくお知らせください。また、「自分はこう思う」という見方があれば教えてください。どんなコメントでも、歓迎いたします。

今日も読んでいただき有難うございました。今日、私の地域では穏やかに晴れています。
皆様にとって良い休日になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

タグ:日本書紀
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

歴史をなぜ学ぶのか [歴史]

DSC_096720201212小花blog.JPG
なぜ、私は歴史を学ぶことになったのでしょう。それは「歴史を学ぶことは自己を学ぶこと」という言葉に出会ったことによるものです。

人間は、横に広がる感覚、家族、身近な友人、地域共同体、所属する会社など組織に気を配ります。
同時に、縦の感覚、自分を誕生させてくれた父母、父母の父母である祖父母、祖父母の父母である……先祖代々も、自分の心の中に抱いて生きて行くものだと思います。先祖の誰か一人が欠けても自分が存在しない、そう考えはじめると、やがて、遠い星を仰ぐような神秘を覚えます。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2015-01-30

先祖が生きて来た時代をしのぶこと、先祖の身になって、共に喜び、共に悲しみ、乗り越えて来た苦しみを想像すること、それが歴史を学ぶことではないかと思います。

他人事として冷たく批評するのではなく、先祖の身になって想像力を働かせること、何よりもいのちをつないでくださったことの感謝が、その根っこに必要だと思います。

そんな歴史の学び方をすると、自分の生き方に自信が湧いてきます。

私が歴史を熱心に学ぶきっかけとなった、尊敬する山口悌治氏の文章をご紹介いたします。

☆☆☆

“もとよりわたくしは歴史家ではない。わが国の古代史を専門に研究している学究の徒でもない。しかしわたくしは人間であると同時に、先祖代々この国の中に生れ生活し、この国と運命を偕にし、われわれの存在の根源につながりわれわれを今日あらしめ、また今後もあらしめて行く日本国の、国民の一人であることの意義を忘れることはできない。

先祖代々この国の中に生活し運命をともにして来たといふことは、この国はもはや自分という存在の外にある他者ではなく、自分といふ存在の内部にわかち難く融合し、かつ自分を構成してゐる生命的一体者であるといふことである。国は自分の外にあるやうに見えて、同時に自分の内部にあるものである。自分は国の外にあるやうに見えて、同時に国の内部にあって一つのものとして生存を保ってゐる。われわれと国とは内外相即であって、次元を異にする二者として切離すことはできない。従って日本の歴史は自分の外にあるのではない。歴史の外に、自分がゐて勝手な生活をし、時には歴史に対して関心を持つといふが如き関係のものではない。歴史とは自分といふ存在の内包であり外延であるからである。ここに国に対する国民としての「権利」と「義務」の根拠がある。

歴史は決していはゆる歴史家や歴史学者のものではない。われわれ一人々々のものであると同時に国民全体のものだ。歴史とは決して歴史家や歴史学者の解釈や理論付けや体系化の中にあるのではない。そんなものとは関係なく、今現に数千年にわたる途方もないボリュームを持った巨大な力でこの日本国家を支へ、この国の国民の存在の基底として働き続けてゐるものなのである。”(pp118~119)

(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』日本教文社)

☆☆☆

言葉の意味:

相即:1 仏語。事物の働きが自在に助け合い融け合っていること。
2 二つの物事が密接に関わり合っていること。「相即する文化と言語」

内包:1 内部にもっていること。「多大のリスクを内包する計画」
2 論理学で、概念が適用される事物に共通な性質の集合。例えば、学者という概念の内包は「学問の研究者」など。⇔外延。

外延:論理学で、概念が適用される事物の集合。例えば、惑星という概念の外延は水星・金星・地球・火星・木星・土星など。⇔内包。

内包と外延:内包(Intension)はある概念がもつ共通な性質のことを指し、外延(extension)は具体的にどんなものがあるかを指すものである。これらは互いに対義語の関係をもつ。

「日本の歴史は自分という存在の内部にあり、外部に様々な形をもって存在するものである」ということになりましょうか。

外部といえば、各地の史跡、お寺、神社、仏像、美術品(絵画、彫刻、書)、工芸品、数えきれないものがありますね。その文化の根元、源泉は、歴代の天皇陛下、皇室でありましょう。


歴史の中の良いことばかり書くと、「反省はしないのですか?」と聞く人もありそうですね。もちろん、反省すべき点に目をつぶる必要はありません。例えば戦争など、なぜ起こったのか、防ぐ道は無かったのか、そういう視点も必要です。しかしその場合でも、世界を見渡して、時間的、空間的にできる限りの広大な視野に立つことと、他人ごとでなく、自分だったらどうしたか、どこまで何が出来たかということを忘れてはならないと思います。自分に出来ないことを、祖先に要求しないという謙虚さが必要です。同じ立場に自分が立たされたとき、果たして信念に基づく勇気ある行動ができただろうかとか。できない弱い自分があれば、祖先を責める資格はないでしょう。といって、あっさりあきらめたり、絶望したり、自分を責めたりする必要もありません。少しずつでも、理想の自分に近づけばよいのです。祖先もそのようなあなたの努力を喜んでくれるはずです。

相手の立場に立つ、尊敬と思いやりを抱き、感謝を先立てて歴史に接することにより、先人のまごころに触れることができて、生き生きとした歴史に接することができて、それが今の自分の、明日を生きる栄養素、糧になるのだと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。

皆様が、ご先祖様のあたたかい愛に包まれて、今日一日つつがなく過ごされますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

女性天皇は「中継ぎ」と軽視する人たちが、秋篠宮さまを中継ぎにするという矛盾 [皇室典範改正]

DSC_0972紅葉20201210blog.JPG女性天皇の反対派に、歴史上の女性天皇は「中継ぎ」に過ぎないという言い方をする人がありますが、果たしてそうでしょうか。そうではないことは、当ブログでも書いた女性天皇の御事績(全体のごく一部)や、御在位期間を見ていただければ、一目瞭然です。

神功皇后:70年間、摂政を務められました。お子様の応神天皇が即位されたのは、神功皇后が崩御されてからですから、70年間、実質的には王(おおきみ、天皇)であられたと見ることができます。新羅、新羅、百済、高麗に軍隊を率いて遠征された、勇敢な皇后でした。摂政期間:200~270(30~100歳)。

第33代・推古天皇:御在位は、629~641年(37歳~49歳)で崩御されるまで終生天皇でした。聖徳太子を摂政にお立てになり政治を行われました。 太子は冠位十二階・憲法十七条の制定、隋との対等の国交の樹立、遣唐使の派遣など、内治外交にわたって画期的な事業を行われ、天皇を中心とした安定した時代が続きました。

第35代・皇極天皇・重祚して第37代・斉明天皇:御在位642~645年(49歳~52歳)、重祚して御在位655~661年(62歳~68歳) で、崩御されるまで終生天皇でした。

皇極天皇が即位された年(642年)は6月から日照りが続き、人々は困り果てていました。村々の神職が祈っても、多くの僧が『大雲経』を読んでも、小雨が降っただけでしたが、天皇自身が、飛鳥川の上流に出向き、天を仰いで雨を祈ったところ、たちまち大雨が降り始め、そのまま5日間降り続けて農作物の危機は救われました。人々は皇極天皇を称賛して「至徳(いきおい)まします天皇(すめらみこと)」と呼んだとのことです。


8人10代の女性天皇と神功皇后(実質的に天皇と同じ)の中から、神功皇后とお2人の女性天皇について述べましたが、いずれも、終生天皇(又は実質的な君主)として君臨されたことや、輝く御事績を見ますと、決して男性天皇に遜色ない、ないどころか、日本史において欠くことのできない、重要なお役目を果たして来られたと思います。

後世では、第109代・明正天皇、(御在位:1629~1643)のように、7歳で即位、21歳で退位された、「中継ぎ」の女性天皇もいらっしゃいますが、男性天皇でも、明らかに「中継ぎ」だった天皇は、何人もおられます。そこに男女の区別はありません。


ところで「中継ぎに過ぎない」と、歴代の女性天皇を軽んじる人たちは、まさに今、秋篠宮殿下が「中継ぎ」のお役目を背負っておられることを、どう思っているのでしょうか。

今上天皇と秋篠宮殿下の御年は5歳しか違わない。お二方のご健康状態が、同じであったと仮定して、今上陛下が80歳で譲位されたとしたら、秋篠宮殿下は75歳です。 御在位期間は5年、最大でも10年が限度でしょう。その短い期間はまさに、悠仁親王への「中継ぎ」以外の何物でもありません。

女性天皇は「中継ぎ」だったと「中継ぎ」を軽視する発言をしながら、秋篠宮殿下を「中継ぎ」にする現在の制度を、何が何でも固守するのは、ご都合主義だと言えないでしょうか。


秋篠宮殿下は、これまでもお言葉の端々で、このことについてご懸念を語って来られました。

ついこの間のお誕生日の会見でも、秋篠宮家に「非常に愛着がある」、「秋篠宮家当主を維持して行きたいと思った」と表明されています。

☆☆☆

“関連質問2 殿下は秋篠宮家当主という立場を維持されました。当初の議論,皇室典範改正前の議論では,殿下が内廷皇族として皇太子もしくは皇太弟という地位といいますか称号を得て内廷皇族になられるという案も検討されていたわけですが,殿下の意向もしくは希望という面も踏まえて最終的には秋篠宮家当主という立場を維持されたという御指摘もありますが,殿下御自身はこの宮家当主という立場を維持されたということについて,どのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。

殿下
 私自身はやはり約30年間,秋篠宮という一つの独立した宮家が続いており,それに対しては非常に愛着を持っています。したがって,秋篠宮家当主ということについては,私自身もそれは維持していきたいと思っていました。一方,おっしゃった内廷皇族になるという話はどこかで出ていたのかもしれませんけれども,皇太子とか皇太弟とか名称はともかくとして,恐らく内廷皇族になるというのは少し違うのではないかというのは意見として結構あったと私は記憶しています。”

(「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)秋篠宮皇嗣殿下の記者会見
会見年月日:令和2年11月20日」「宮内庁HP」
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/39

☆☆☆

内廷皇族というのは、天皇家の一員になられるという意味ですから、内廷皇族になっておられれば、秋篠宮家当主とは、両立できなかったという意味だと思います。

順番が前後しますが、「立皇嗣の礼」の「ご感想」、「皇嗣となったお心構え」のお答えも、引用いたします。

☆☆☆
“問1 「立皇嗣の礼」が,11月8日に執り行われました。新型コロナウイルスの感染拡大で,儀式の日程や内容は大きな影響を受けましたが,諸儀式に臨まれた感想とともに,改めて皇位継承順1位の皇嗣となったお心構えをお聞かせください。

殿下
11月8日に立皇嗣の礼が行われました。本来は春に行われる予定だったわけですけれども,COVID-19の感染が拡大し,それで延期になっていたわけですね。私自身,この秋に,11月に行うという時に,これから寒い時期に向かって,COVIDとインフルエンザの両方の流行が考えられるときに少しそのことは気にはなっていましたけれども,これ自体は国事行為でありますので,私が何か言うことではもちろんないわけですね。それですので決められたことに従って臨みました。そうですね,昨年から行われていた即位礼関連の儀式,これが一連のものが終了したわけでありますけれども,そのことに安堵どしております。今,御質問にあったもう一つのことについてですけれども,私自身は生まれてから今まで個体として同じ秋篠宮文仁なわけですね,それでずっと来ています。したがって,何か区切り,節目があったから変わるということではないわけですけれども,私自身は以前と変わらず一つ一つのことを大切に務めていきたいと思っております。そしてまたこれも昨年もお話ししたことかと思いますけれども,やはり人間はできることなら進歩していくことが大切だと思っておりますので,そのことも常に頭に置きながら過ごしていきたいと思っております。一つだけ今回,宣明の儀の後に宮中三殿にお参りをいたしました。今後は三殿でお参りをすることになるわけですけれども,私にとって今回が多分4回目なんですね。着袴の儀があった後と,成人の時と結婚の時で(今回は)4回目なわけですけれども,今後こちらでお参りすることになるのだなということで気持ちを新たに致しました。以上です。”

(「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)秋篠宮皇嗣殿下の記者会見
会見年月日:令和2年11月20日」「宮内庁HP」
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/39

☆☆☆

秋篠宮殿下は、「秋篠宮家に非常に愛着がある」と言われています。皇室において「宮家」の果たす役割が小さくはない、天皇陛下をお助けする大切なお役目であることを、深く御自覚されて、表現されていると拝察申し上げます。

また、「立皇嗣の礼」について、「お心構え」をとの記者の質問に対して、「個体として同じ秋篠宮である」、「何か区切りがあったから変わるということではない」というそっけないとも思われるご回答をされています。唯一気持ちを新たにされたと言われるのは「宮中三殿でお参りをすることになる」ことのみです。

拙ブログでも、8月12日に説明させていただいたように、「皇嗣」というお立場がいつでも変わり得るものであり、皇嗣を宣明した「立皇嗣の礼」を行うことに意味はない、ということを暗に示されていると、拝察申し上げます。

(「立皇嗣の礼」は歴史上前例がなく意味がない
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-12


私は「秋篠宮殿下はこうお考えだと思う」と申し述べましたが、「天皇や皇室の方がこうお考えだと思う」と書くことに対して、「天皇や皇族のお考えを忖度するのは不敬だ」という人もあります。

皇室に尊敬の念を持たない人が自分勝手な推測や解釈を加えるのは、もちろん「不敬」に当たるでしょう。しかし、尊敬の念を持ちながら、それぞれのお言葉の端々などから、「こうお考えなのだと思う」のは決して、不敬ではありません。まして、それが天皇や皇族の現状に対する御憂慮であり、国民に宛てた控え目なメッセージである場合は、そのことに思いを致さずに無視する方が、むしろ「冷酷」であり、「不敬」であるのではないでしょうか。


秋篠宮殿下が、「お子様方を学習院になぜ入れなかったか」という珍妙かつ不敬な発言が週刊誌などに見られます。それこそ、大きなお世話で、皇室の方への尊敬を欠いた発言だと思います。

秋篠宮殿下ご夫妻が、深いお考えのもとに、お子様の学校を選んでおられる、その御見識を信頼できないのは、不遜であり、そういうことに口出しすることこそが不敬(尊敬していない)なことです。

お子様方が学習院ではない学校を選ばれた理由を、私は、次のように推察申し上げます。

各宮家は、天皇家をお助けする意味で、「広い世界を知ることによって、皇室の御活動を広げる」のが大切なお役目です。天皇家が、愛子様が伝統的な「学習院」での勉学をされることを選ばれたのですから、いとこに当たられる秋篠宮家のお子様方が別の学校で教育を受けられて、皇族全体の学問の世界を広げるというのは、素晴らしい御見識だと思います。

やや踏み込んで申し上げれば、悠仁親王が天皇になられるのではなく、天皇をお助けする立派な宮家の当主になっていただきたいというのが、秋篠宮殿下の真の願いであると拝察申し上げても、的外れではないと存じます。

広く国民とともにありたいという天皇、皇族方のお心を思うと、宮家のお子様方が全員、学習院に通学されるより、幅広く豊かな学問の世界を体験されることこそ、はるかに魅力的な皇室のすがたであると思います。

そこに思いを致さず、硬直化した考えにとらわれ続ければ、国民と皇室の距離がどんどん遠ざかっていきます。王族を熱心に支持する人たちが、旧来の陋習(古い習慣)にとらわれて改革や変革が行えなかっために、ヨーロッパの王室が消滅したという、エディンバラ公(英国エリザベス女王の夫君)のお言葉が重く響きます。


☆☆☆

「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」(エディンバラ公の言)

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-11-28

☆☆☆


日本の皇室も、改革と変革が行えないで、時代に取り残されれば、ヨーロッパの王室の様に消滅しかねないということを、真剣に考えなければならない時だと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
年末が近づいて参りました。ご多用の中、体調管理を怠らず、お健やかにお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

タグ:秋篠宮家
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

国民民主党の国民の声を聞く地道な憲法改正草案づくり [憲法]

国民民主党が、同党憲法調査会による、憲法改正草案づくりのための「憲法改正に向けた論点整理」を発表しました。

この「論点整理」を元に「『移動憲法調査会』のようなものを設けて全国で国民の声を直接うかがい、それを踏まえた最終的な憲法改正草案」に仕上げるとのことです。

私は、国民民主党だから、〇〇党だから、特に応援するというつもりは、今のところありませんが、この憲法改正の手法、改正案には、見るべきものがあると、考えます。

「憲法改正に向けた論点整理」を行い、全国の国民の声を「直接」聞いて、憲法改正草案を仕上げるという試みは、民主主義を育てる健全な手法で、とても良いことだと思います。


以下は、産経新聞デジタル版に掲載された記事です。
https://www.sankei.com/politics/news/201207/plt2012070037-n1.html

☆☆☆

”国民民主党は7日、憲法改正をめぐる現時点での党内議論を集約し、「憲法改正に向けた論点整理」として発表した。デジタル時代に即した人権保障規定の追加や同性婚を保障するための条文改定のほか、憲法9条改正の一案として、制約された限度での自衛権の行使や自衛隊の保持の明文化を提示した。同党は論点整理を基に、改憲草案づくりを進める。”

“ 憲法9条をめぐっては、自衛権行使の範囲や自衛隊の保持・統制のルールを規定する必要性に触れつつ、(1)9条2項を改定し、制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊の保持を明記する(2)9条1、2項を維持した上で、制約された戦力、交戦権の行使を認める例外規定の設置-の2つの条文イメージを列記した。”

“玉木雄一郎代表は7日の記者会見で「『移動憲法調査会』のようなものを設けて全国で国民の声を直接うかがい、それを踏まえた最終的な憲法改正草案に仕上げていきたい」と述べた。” 

https://www.sankei.com/politics/news/201207/plt2012070037-n1.html

☆☆☆

第9条についての改正案は(1)、(2)の2つの条文案があるとのことです。

(1) 9条2項を改定し、制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊の保持を明記する

(2)9条1、2項を維持した上で、制約された戦力、交戦権の行使を認める例外規定の設置

☆☆

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

《㋐案》
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦
争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。 【現行 9 条 1 項のまま】
② 前項の目的を達するため、Ⓐ又はⒸの範囲内の武力行使に限り、これを行うことが できる。また、当該武力行使のための必要最小限度の実力組織に限り、これを保持す ることができる。

※ 下線部分は改正部分

《㋑案》
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦
争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。 【現行の 9 条 1 項のまま】
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦
権は、これを認めない。 【現行の 9 条 2 項のまま】
前二項の規定にかかわらず、Ⓐ又はⒸの範囲内に限り、武力行使を行うことができ る。 ④ 第二項の規定にかかわらず、前項の武力行使のための必要最小限度の戦力を保持 することができ、また、当該武力行使に必要な限度内において交戦権の行使に当たる 措置をとることができる。
※ 下線部分は改正部分

(国民民主党のHPから転載)
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2020/12/a496a30ca55082bede1b85480540c5f4.pdf

☆☆

「自衛隊の文字を加えるだけで良い」という自民党案より、考え方が整理されていて、現実的な内容だと思います。

また、憲法裁判所を設置して、憲法違反を事前に審査することも、重要です。今の憲法では、実行された各施策が違憲かどうかについて、事後審査しかできないためです。

全体的に、よく考えられた、憲法改正草案づくりの「論点整理」だと思います。


神道学者の高森明勅氏も、国民民主党の憲法改正の動きについて、ご自身のブログに取り上げておられます。

https://www.a-takamori.com/post/201209

種を明かせば私は、高森氏のブログを通じて、産経新聞の記事を知りました。

☆☆☆

“12月7日、国民民主党が同党の憲法調査会(山尾志桜里会長)での討議を踏まえ、「憲法改正に向けた論点整理」を公表した。
野党が憲法全体に亘(わた)る改正構想を、責任ある形で提案したのは、画期的な出来事だろう。
その主なポイントは以下の通り(産経新聞12月8日付による)。
〔1〕人権保障(サイバー空間での個人の尊重。同性婚の保障)
〔2〕地方自治(住民自治・団体自治の明記。地方自治体の「課税自主権」の明記)
〔3〕9条(制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊保持の明記)
〔4〕検討すべき課題(安定的な皇位継承。緊急事態条項の制度化)”


“しばしばタブー視されがちな緊急事態条項も、決して誤魔化さず、検討すべき論点に盛り込んでいるのは注目に値する。
更に、皇位の安定継承についても、検討事項にしっかりと組み込んでいて、有難い。
但し、これについては、恐らく憲法それ自体の改正は、特に必要ないだろう。
憲法に「皇位は世襲」(2条)とあるのを前提に、皇室典範で継承資格を「男系の男子」(1条)に限定している、時代錯誤的な規定を改正すれば、それで解決する。
同党は「移動憲法調査会」のような形で、全国で国民の声を直接、聴く機会を設けたい、としている。
すこぶる意欲的だ。
それが実現したら、各地の有志はどうか積極的に参加されることを願う。
戦後日本にとって、最大の政治課題だった「憲法改正」。
このテーマが、野党サイドからの大胆な提起により、いよいよ新しい局面を迎えようとしている。
私ら国民は、責任感と主体性を持って、この世紀の大事業を“自ら”担おうではないか。”

https://www.a-takamori.com/post/201209

☆☆☆

国民民主党が提示したような、憲法改正に向けた論点整理を行い、国民の声を聞いて憲法草案を仕上げるという地道な試みが、現実に即した憲法改正につながるように思います。

また、皇位の安定的継承について、高森明勅氏によれば、憲法改正は必要ないそうですが、全国の国民の検討すべき課題として、同時に取り上げて各地で国民の声を聞いていただけることは、たいへんありがたいことです。

国民民主党のこれからの憲法改正に向けた活動に、期待いたします。

『移動憲法調査会』が近くで実施されたら、ぜひ参加したいです!

今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が生き生きした日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

皇后陛下・雅子様、お誕生日おめでとうございます [皇后陛下]

20201208雅子様2DSC_0954blog.JPG今日、12月9日は、皇后陛下・雅子様の57歳のお誕生日です。
お健やかにお誕生日を迎えられたことを、心よりお祝い申し上げます。

宮内庁ホームページ「皇后陛下お誕生日に際してのご感想」から、本当は全文掲載したいほど深いお言葉なのですが、一部抜粋させていただきます。
国民に寄り添う、きめ細かいお気持ちが、ひと言ひと言に込められていて、心に響きます。


☆☆☆

“新型コロナウイルス感染症により,世界中で,そして日本国内でも多くの方が亡くなっていることに対し,この場をお借りしてお悔やみ申し上げます。世界の各地で,あるいは日本国内で,多くの方がこの感染症に苦しみ,懸命の治療にもかかわらず亡くなっていく現実は,本当につらいものです。”

“医療に従事される皆さんが,大勢の患者さんの命を救うために,そして,感染の拡大を防ぐために,、日夜献身的に力を尽くしてこられていることに,心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。”

“私自身は,特に昨年来,全国の多くの皆様から寄せられた温かい祝意に感謝しつつ,国民の皆様の現在の困難な状況を思うとき,国民のお一人お一人が,幸せであっていただきたいかけがえのない存在であるということを身にしみて感じます。感染症の不安が渦巻く中,様々な面で自由が失われている日々の中で,多くのご苦労と努力を重ねてこられたものとお察しいたします。

また,新型コロナウイルス感染症により苦労をされている方々の置かれた状況をより良く理解し,心を寄せることができればとの思いで,様々な分野の専門家や現場で対応に当たられている方々から,陛下とご一緒に度々お話を伺ってきました。

医療関係者の皆さんの置かれた環境やご苦労,お年寄りや障害を持った方々をめぐる状況,社会的孤立を深めやすい生活困窮世帯への影響や,そうした世帯の子供たちへの学習支援活動,感染対策と学習との両立に取り組む学校現場の状況など,現場に従事し,取組を進める方々から直接現状を伺うことができました。新型コロナウイルス感染症の感染拡大の中にあって,特に,ご高齢の方や基礎疾患のある方のご心配もいかばかりかと思いますが,そのような方々や障害のある方,あるいは生活に困窮している方や子供たちなど,社会的に弱い立場に置かれている人々を支える努力をされている方々の尽力にも大きなものがあると思います。

同時に,現在のこの状況の中で自分たちに何ができるかを考え,行動しようとする,若い人たちも含む多くの方の新しい試みや取組を目にするとき,勇気付けられ,心温まるとともに,人と人との絆きずなの大切さを強く感じます。

困難な状況に直面する人々を支え,力を尽くしている全ての方に深い敬意と感謝の意を表したいと思います。”

(「皇后陛下お誕生日に際してのご感想」https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/40

☆☆☆

ご感想では、このほか、新型コロナウイルス感染症の、経済社会活動への影響も、深く憂えておられます。このようなお言葉をいただけることに、深く感謝申し上げます。


私事ですが、皇后陛下のことを学ぼうと思い、友納尚子さんの著書『皇后雅子さま物語』を読み始めました。読み進むほどに、雅子様が、天皇陛下をお支えする最良のパートナーでいらっしゃることが思われ、よくぞ皇室に嫁いでくださったとの感を深くしております。

以下は、同著に書かれていた、雅子様の小学生、中学生の時の話です。

小学生の時は生物部に入られ、小学校の生物部顧問だった岸田先生は、

「静かなんだけど物事をはっきりというお子さんでした。生物に対しても筋道を付けて考えることができ、将来はお医者さんか理系の学者さんになるのかと思っていたので、外務省や皇室に入られた時には驚きました」

と言われたそうです。

中学に入られてから、お気に入りはもっぱら野球でした。お父さんと同じ巨人ファンで、高田繁選手のファンだったそうです。学校の近くに巨人軍の練習場があったので、野球好きの同級生と練習を見に行くことがありました。

当時、通っておられた田園調布雙葉(小、中、高一貫校)には、野球部がなかったので、部活で野球をしたいとの気持ちが高じて、小学校の時に友達と野球部を立ち上げようと約束し、中学入学と同時に同級生を誘って11人を集め、野球部は無理でしたが、ソフトボール同好会を立ち上げました。雅子様の、同好会での背番号は、高田選手と同じ8番を勝ち取り、体操着に8を貼り付けて妹たちに自慢されたそうです。

芸能界にはまったく関心がなく、友達が芸能雑誌『平凡』、『明星』を見ているのに、『プロ野球全選手写真名鑑』を読むのが好き、歌番組は見ないで、テレビ番組「プロ野球ニュース」を欠かさず見ていて、『巨人の星』、『あしたのジョー』などスポーツ漫画から手塚治虫の作品までよく読まれました。お父様(小和田恆さん)とキャッチボールをして、玉が速いので、恆さんは、手が痛くなったそうですが、知人には
「まさか娘とキャッチボールができると思っていなかった」
と、嬉しそうに語られたとのことです。

天は二物を与えずということわざがありますが、雅子様の場合は二物どころか、才色兼備、健康で、性格も明朗、クラスの人気者でいらしたとのこと、多くの才に恵まれた、皇室に入るために生まれて来られたような方なのだと思いました。外の世界でいくらでもご活躍できたでしょうに、皇室に入っていただけたことに、あらためて感謝申し上げたいと思いました。

医師団の発表によれば、

「皇后陛下には,依然としてご快復の途上にあり,ご体調には波がおありです。そのため,大きい行事の後や行事が続かれた場合には,お疲れがしばらく残られることもあります。」

とのことです。

いつの日か、小学生、中学生のときのように、活発で伸び伸びとした雅子さまになられますよう、心静かに、御快癒をお祈り申し上げたいと存じます。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

今日一日が、皆様にとって素晴らしい一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:皇室
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

愛子さま皇太子への道―結婚は心から愛する方とするもの [秋篠宮家]

20201208眞子さま花DSC_0956blog.JPG「愛子さま 皇太子への道」のサイトに、眞子様のご結婚に関連して「結婚は心から愛する方とするもの」という素晴らしい文章が掲載されました。

眞子さまのお気持ち表明、秋篠宮殿下の御誕生日会見の御結婚をお認めになるご発言と、眞子さまのご結婚に関する報道が、続いて発表されました。そんな中で、この文章には、とても大切なことがつづられていると思いました。何度読んでも、涙があふれる素晴らしい文章です。

☆☆☆

“眞子さまのご結婚へのお気持ちを読み、眞子さまの小室さんとの愛を貫く強いお覚悟に、私は凄くほっとしました。

眞子さまには、小室さんとの愛を貫いてほしい、チャールズ皇太子のようなことをしてほしくないと思っていたからです。

チャールズ皇太子は現在の伴侶であるカミラ夫人を愛されていましたが、

王室から恋愛経験の豊富なカミラ夫人は未来の国王の伴侶としてふさわしくないと交際を強く反対され、

それによりカミラ夫人ではなく、若く恋愛経験の少ないダイアナさんとの結婚を選ばれました。

ですが、ダイアナさんと結婚しても、チャールズ皇太子はカミラ夫人への思いは断ち切れずによりを戻し、

それによりダイアナさんとの夫婦生活は破綻。

ダイアナさんと、ダイアナさんとの間に生まれた二人の息子の心を、深く傷つけてしまいました。

それが原因でウィリアム王子はキャサリン妃と恋人時代一度破局し、

ヘンリー王子は荒れた青春時代を送ったと考えられます。

幸いウィリアム王子もヘンリー王子も、幸い素晴らしい伴侶に恵まれました。

一人の男性として、夫として、父親として幸せに暮らされ、己の責務を全うされています。

心から愛する方がいるのに、己の立場や周りの声に流されて、他の方との結婚を選ぶことは、

決して嫌いではなかったであろうその方とその間に生まれた子供たちの心を深く傷つけ、

その人生に暗い影を落とすことになります。

それは決してあってはならないことです。

眞子さまの、小室さんとのご結婚へのお気持ちは強く固いものであることが分かり、

今後国民としてとるべき行動がはっきりしました。

眞子さまがご結婚後も、皇族として皇室に残られて宮家を創設されたいと心から思ってくださるのなら、

国民としてそれが叶うよう、法整備の実現を政治家に強く働きかけていくのみです。

また、ご結婚後、皇籍離脱され民間人として生きたいと思ってらっしゃるのなら、

それを全力で応援いたします。

私個人の気持ちとしては、眞子さまと小室さんがご一緒に公務に励まれる姿を見たいです。

(メールより)文責 滋賀県 くりんぐ”

(「愛子さま 皇太子への道」https://aiko-sama.com/archives/4263

☆☆☆


結婚は、心から愛する方とするもの、それが何より、大切なことですね。

眞子さま女性宮家の当主になっていただきたいのは私の願いでもありますが、眞子さまがもしご結婚されて一般国民になりたいとご希望されるなら、喜んでそれを応援申し上げます。

今は女性宮家の選択枝がありませんので、国民としては、それを選べるような環境を整えて差し上げたいと存じます。女性宮家制度が創設されてのち、眞子さまが結婚されても皇族として皇室に残ることをご選択いただけるのなら、それは大きな喜びです。

文章を書かれた、くりんぐさんのやさしさには、いつも理屈ばかりこねている私には、とても真似のできない深いものがあります。

心から愛する方と出会ったとき、その愛をつらぬくことに困難があっても、愛をつらぬきとおす決意がゆるがないことの尊さ、大切さが伝わって参ります。深い感動とともに、ご紹介させていただきました。


ブログ更新が遅れて、だいぶ間が空いてしまって、すみませんでした。

今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が、皆様にとって素晴らしい一日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。