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皇室はマスコミに反論できない [皇室]

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神道学者、皇室、天皇研究者 高森明勅氏が、先月末、『「女性天皇」の成立』(幻冬舎新書)を出版されました。女性天皇を考えたい人に一読の価値ある1冊です。


眞子さま、小室圭さんのご結婚について、賛成の報道とともに、反対とバッシングも聞かれます。

過去には、上皇后・美智子様、皇后・雅子様のバッシングが繰り返されました。

その理由について、皇室の名誉を守る法的保護が機能していないことを、高森明勅氏がブログに書いています。


☆☆☆


皇室の方々の名誉・尊厳を守る法律上の保護が、建前はともかく、事実において存在していない。最低限、こうした異常な状態は速やかに解消されるべきだ。


《皇族は事実上、告訴できない》

国民には、刑法に名誉毀損及び侮辱を罰する規定がある(第230条・第231条)。

ところが、皇室については以下の通り(同第232条)。天皇・皇后・皇嗣などの場合は、内閣総理大臣が代わって告訴する。その他の皇族は国民と同様に自ら告訴する。


しかし、皇族がご自身で直接、国民を訴えるというのは、果たしていかがか。この点について、政府の見解は次の通り。


「皇族という御身分の方が一般の国民を相手どって原告・被告で争われるというようなことは、これは事実問題としては考えさせられる点が非常に多いですから、まああまりないと思います」

(昭和38年3月29日、衆院内閣委員会での瓜生順良宮内庁次長の答弁)


これは、皇族は事実上、“告訴できない”と言っているに等しいだろう。


《天皇などの告訴権は代行されず》

では、天皇などの場合はどうか。

内閣総理大臣が天皇などに代わって、適切に告訴権を行使しているのか、どうか。

しかし、私が首相官邸及び宮内庁に過去の事例を確認した限り、実際に内閣総理大臣が告訴権を代行した気配は無い。両者共、1例も具体的に答えることができなかった。


「中央公論」昭和35年12月号に、紹介するのも憚られるが、当時の皇太子・同妃(上皇・上皇后両陛下)の首が切り落とされる場面を描いた深沢七郎氏の「風流夢譚」が掲載された時は、さすがに政府内部で告訴を検討する声が出たようだが、結局、告訴には至っていない。


以上から、刑法の名誉毀損・侮辱罪は皇室の方々について、現実的には全く機能しないことが分かる。つまり、皇室の尊厳・名誉を守る法的な保護は無いということだ。


《「象徴侮辱罪」の可能性》

私は勿論、少しでも皇室を貶める言説があれば、ことごとく強権的に取り締まれ、と主張しているのでは“ない”。そんなことをすれば、むしろ皇室への素直な敬愛の気持ちが損なわれるし、何より皇室の方々が悲しまれるだろう。言論・表現の自由は、もとより最大限、尊重されるべきだ。


そうではなくて、ほとんどあらゆる自由と権利が制約された状態にある皇室の方々に対し、一部の心ないメディアやネット上の「匿名の群れ」によって、確かな事実に基づかない一方的なバッシングが繰り返されている状況の中で、法的保護が実態としては皆無の状態をそのまま放置することが、果たして人道上も許されるのかを問うているのだ。


(「皇室の名誉・尊厳を守る法的保護が事実上、存在しない異常さ」10月5日 高森明勅公式ブログ)
https://www.a-takamori.com/post/211006

☆☆☆


皇室が反論できないことを、一部の心ないメディア、ネット上の実名、匿名の群れと、それを無批判に信じた人々が知っていれば、今回のような混乱は避けられたと思います。


高森氏は次のように述べています。

「国民には、刑法に名誉毀損及び侮辱を罰する規定がある(第230条・第231条)。

ところが、皇室については以下の通り(同第232条)。天皇・皇后・皇嗣などの場合は、内閣総理大臣が代わって告訴する。その他の皇族は国民と同様に自ら告訴する。」

『政府の見解は次の通り。


「皇族という御身分の方が一般の国民を相手どって原告・被告で争われるというようなことは、これは事実問題としては考えさせられる点が非常に多いですから、まああまりないと思います」』


事実上、皇族が一般国民を相手どって告訴など出来ないということです。

バッシングする人々は、小室さんが、マスコミ報道の様々な問題に答えて来なかったことを非難します。唯一発表された28枚にわたる文書を、長すぎる、誠意が無いと決めつけています。

私は28枚の文書を全文読みました。 全文を読んで、この人はウソをつくような人ではない、誠実で真面目な人だと感じました。長すぎると評する人がいますが、それまでのマスコミの膨大なデマ報道に比べれば、少なすぎるくらいです。

その都度逐一反論しなかったのは、できなかったからです。小室さんは皇族ではありませんが、眞子さまと婚約中ですから、自分の発言が皇室に与える影響を慮って、いちいち反論できないのがあたりまえです。考えた末に、言葉を慎重に選んで発表した文書が長くて読めない人は、自らの読解能力の不足を恥じるべきです。

メディアは皇室が反論できないことを知らないはずはない。小室さんの立場を推し量れる記者はいなかったのでしょうか。知らなかったのならジャーナリスト失格です。 知っていて、真実より利益を優先したのなら、ただの金の亡者でジャーナリストを名乗る資格はありません。

ご結婚を目前にして、ようやくまともな見解を語るメディアが現れたことは、歓迎すべきことです。ご結婚されれば「めでたしめでたし」で終わりにしたいところです。ことが終わればすべてを水に流すのは、日本人の美点でもあります。

しかし、一方的なバッシングが続いて、罪のない人を悪人に仕立てたこと、雪崩のように皇室のイメージダウンの記事が氾濫したことの反省が無ければ、また同じことを繰り返すでしょう。今後の対処を考えるために、反省が必要です。

大きな問題は、皇室に無関心な多数の国民です。無関心よりも関心を持つ方がよいというのは、故高円宮殿下のお言葉でした。

今回、皇室に関心を持った人たちが、皇室への接し方、距離の取り方が分からずバッシングの方向に走ってしまったのは残念なことです。けれども楽観的に見れば、従来皇室に「無関心」だった人たちが「関心を持つ」に進歩したから、その中の何人かは正しい知識を持つことで、皇室に礼節を備えた人たちに生れかわれるかも知れないと期待しています。そのために皇室と国民の良いあり方を広く話題にして行きたいと思う次第です。

ヤフーコメントでは、もう皇室は無くなってもいいという意見もあります。けれども、皇室が無くても日本は今のまま続くだろうと思ったら大間違い。皇室が無くなり、一つにまとまらなくなった日本は、アメリカの51番目の州になるか、中国の属国になる可能性大です。今のように治安が良く、文化的にも世界に親しまれる国でなくなることは確実です。

過去にさかのぼれば、昭和天皇の御聖断がなく、終戦のタイミングが延びていたら、日本はアメリカとソ連の支配地域で、北日本、南日本に分割されたでしょう。

明治維新でも、フランス側とイギリス側に分裂していたら、今頃、日本は両国の支配地域になっていたかもしれません。

天皇を中心に一つにまとまるのは、日本人の叡智のたまものなのです。安易になくしたら、日本が日本でなくなります。

皇室をなくさないために、どうしたらよいでしょう。もはや自分が何もしなくても皇室は存続するという、安易な考えでは存続できません。

高森氏は、文化放送の【田村淳のNewsCLUB】で、現在の皇統継承の危機は1500年ぶりの危機であると話しています。
https://www.youtube.com/watch?v=9fX2mm-0hXs

分かりやすく要点がまとまった放送なので、よろしかったらお聴きください。

皇室を存続させるために何をしたらよいのか。 一人一人が真剣に考える時は「今」、1500年ぶりの危機を迎えている、「今」だと思います。

私も、自分に何ができるのか、さらに考え、行動していきたいと思います。


今日も読んでいただきありがとうございました。
今日が皆様にとって、より良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
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皇室バッシングに思うこと(2) [皇室]

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怒っているんだぞ! と見える切り株です。


ジャーナリストの笹幸恵氏が美智子様と雅子様のバッシングについてのブログを紹介します。

『』内が、大内糺(仮名)氏と、西尾幹二氏のバッシング記事です。


☆☆☆

“たとえば美智子さまが失声症になった端緒ともいえる
『宝島30』の大内糺(仮名)の記事に、こんな一文がある。

『正直申し上げて、バイニング夫人の教育を受けた今の陛下と、
クリスチャンの聖心女学院出身の皇后陛下に、
真に国民が望む天皇、皇后を体現されることを期待するのは、
いささか無理があるように思われる。』


またシリーズで取り上げた『WiLL』西尾幹二氏の
一連の記事では、雅子さまについて仮病だの
ワガママだのとバッシングした上で、こんな一文。

『日本人の信仰の中心であるご皇室に
反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、
やがて時間が経つと取り除くことができなくなる
「国難」について私は語ってきたつもりだ。
それは皇太子妃殿下の心に宿る「傲慢」の罪に
由来すると見た。』”

(「大衆はことごとく間違う。」2021.04.13 笹幸恵
https://www.gosen-dojo.com/blog/30595/

+++++++++


大内糺(おおうちただす)(仮名)の意味

大内(おおうち):皇居。内裏。天皇の御所。
糺す(ただす):物事の理非を明らかにする。罪過の有無を追及する。

宮中を俺さまが糺すぞ!という仮名です。ずいぶん気負った名前ですね。 


米国のバイニング夫人の教育を受けた上皇陛下、クリスチャンの聖心女学院を出た上皇后・美智子様に、「真に国民の望む天皇、皇后を体現されることを期待するのは、いささか無理がある」と言ってのけた大内氏(仮名)。

視野の狭さに思わず吹き出したくなるような文章です。平成という時代を振り返って、見事に象徴天皇を全うされ、国民の天皇制への人気を飛躍的に高められた上皇・上皇后陛下について、大内糺氏にもう一度、文章を発表してもらいたいものです。案外、別名ですでにお二方を絶賛する文章を書いていたりするかも知れません。雑誌が売れれば何でも良いのでしょうか。

そういえば今上陛下の皇太子時代にイギリス留学が決まったとき、「皇太子が外国留学するなど何事か! 外国から各教師を招いてご進講を受けるべきなのだ!」と憤慨していた某愛国団体のメンバーがいて、あっけにとられたことを思い出しました。外国留学の意義が分からないとは、江戸時代末期の尊皇攘夷思想から進歩していないのかなと思いました。

海外留学した人は「外国で生活すると日本に居る時より、日本を意識させられる」と口をそろえて言います。「日本はどんな国? 天皇はどんな人? 日本の歴史ってどうなの?」と質問攻めに会うからです。(中には海外が何でも日本より優れていると「海外では」、「海外では」と「海外でわの神」になってしまう人もあるようですが、そういう人は除くとして)日本の良さを再発見する人が多い、それが海外生活の意義だと思います。


西尾幹二氏の文章はさらにおどろおどろしいです。

『日本人の信仰の中心であるご皇室に
反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、
やがて時間が経つと取り除くことができなくなる
「国難」について私は語ってきたつもりだ。
それは皇太子妃殿下の心に宿る「傲慢」の罪に
由来すると見た。』


男系維持派には女系天皇を容認するのは「天皇が左傾化した」から「天皇は左翼に騙されている」からと思っている人があるようですが、この辺りにもその思想の片鱗がみられます。そういえば小泉政権の有識者会議の報告で女性の皇位継承、女性宮家案が発表された時、男系維持派が「左翼の陰謀だ!」と声高に叫んでいました。

西尾氏は、それが皇太子妃の「傲慢」の罪に由来すると見ていた、こう非難されて平静でいられる人はいないでしょう。気が弱ければ自殺したくなるかもしれません。皇后陛下はよく耐えて来られたと思います。そして即位祝賀パレードのあの輝く笑顔と涙…。敬服いたします。


最近、ネット上の悪口が若い女性プロレスラーを自殺に追い込んだことが話題になっています。本人に責任の無い事で不当にバッシングされて命を絶ってしまう、あってはならない、気の毒なことです。 再発を防ぐためにも、何らかの法的な保護が必要だと思います。


皇室について、国民の良識の高まりも必要ですが、マスコミが事実でない記事を、無責任に、金儲け主義で垂れ流している現状を見ると、国民の名誉棄損、侮辱罪に相当する罰則を設けることも必要なのではないかと思われます。

高森明勅氏が公式ブログで「象徴侮辱罪」(仮称)の創設などの問題に言及しています。

https://www.a-takamori.com/post/210406

罰則が強すぎて、言論の委縮につながるのには反対ですが、今のまま、マスコミの勝手放題を放置して良いとも思えません。

今日も読んでいただき有難うございました。
明日は土曜日ですね。よい週末をお過ごしください。

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皇室バッシングに思うこと [皇室]

DSC_126120210331blog.JPGツクシを取ってきました!
終わりかけだったので、全部で40本くらいです。
卵とじにして食べました(^^)



本題に入ります。

今、眞子内親王のご婚約に関連して、マスコミの皇室バッシングが続いています。

皇室バッシングは、しかし、今に始まったことではありません。

1993年の、美智子上皇后を失声症に追い込んだバッシングもありました。

10年前には、皇后陛下、雅子さま(当時は皇太子妃殿下)のバッシングを、「保守」論者が、繰り広げたことを、高森明勅氏(神道学者、皇室研究者)が、最近のブログで書いておられます。

当時はそういう記事を読みたくなくて眼を通さなかったのですが、高森氏の説明を読んで、想像以上のひどさと、「保守」の名において、こういう言論がまかり通っていたことに、驚きました。

私としては、このような不快な話題は避けたいのですが、心ある誰かが、皇室バッシングを正さないと同じことが繰り返されることになるので、そうならないようにと願って、勇気をふるって取り上げます。


☆☆☆

“皇室を敬愛し、今後の末永いご発展を願う者にとって、どうしても見逃せないのは、これまで繰り返されて来た皇室への心ない“バッシング”だ。”

“例えば、(個人的には、以前に些かご縁があったので、ここで取り上げるのは少し気がひけるが)西尾幹二氏。


月刊誌『WiLL』平成20年5・6・8・9月号に「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」シリーズを書き続けた(“忠言”とは真心を尽くして諌める言葉、又はその事)。「御忠言」という殊勝なポーズは、タイトルだけの話。中身は、確かな事実に基づかないで、不遜、不敬な言辞を連ねたものだった。


悪質なバッシングに悩まれ、長いご療養を続けておられた皇后陛下(当時は皇太子妃)に対し、ご公務が果たせないなら、実家が「引き取るのが筋」(小見出し)と言い放ち、「天皇制度の内部に入ってそれを内部から少しずつ崩しているいわば獅子身中の虫」と迄、極言した(5月号)。あろうことか、皇后陛下を名指しして、“獅子身中の虫”と断罪したのだ。”

(『「保守」知識人の皇室バッシング』2021.3.29. 高森明勅公式ブログ
https://www.a-takamori.com/post/210328-1


“もう10年以上も前になる。『WiLL』誌上で、西尾幹二氏による天皇・皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)への常軌を逸したバッシングが、執拗に続けられた(当時の同誌編集長は花田紀凱氏)。それには後日談がある。


同連載を視聴率が稼げるネタと判断したのか、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」がテーマに取り上げた。私にも出演依頼があったものの、この時ほど迷ったのは珍しい。”
(中略)

“番組中、同氏がこんな放言をしたのが、忘れられない。


「雅子妃(皇后陛下)は来年の今頃には全快しています!」と。

出演者は皆、驚いた。司会の田原総一朗氏が当然、問い質した。「どうしてそう言い切れるのか?」と。その時、同氏は平然とこう言ってのけた。「だって仮病だから!!」。


この瞬間、同氏がそれまで言論人として築き上げて来た信頼感は、立ち所に失われた、と言っても、恐らく言い過ぎではあるまい。この予言(?)は勿論、外れたし、外れたことに対して、同氏が謝罪したとか、弁明したという話を(少なくとも私は)聞かない。


周知の通り、皇后陛下は今もご療養を続けておられる。この事実を、同氏はどう受け止めるのか。”


(『皇后陛下を仮病扱いした「保守」知識人』2021.3.30. 高森明勅公式ブログ
https://www.a-takamori.com/post/210330


“「保守」知識人の中には、もはやバッシングの域を超えた、無礼・不敬の極みというべき暴論を吐いたケースもあった。平成時代、天皇・皇后両陛下(当時は皇太子・同妃)の離婚を公然と唱え、もし離婚されない場合は皇位継承順位の変更(事実上の廃太子)もあり得ると、恫喝したのだ。

皇后陛下がご療養の為に、皇室祭祀に十分、携わることが困難なのが、理由とされていた。

ほとんど正気を疑うレベルと言う他ない。”

“「ここであえて議論を起こしたい。皇太子ご夫妻(天皇・皇后両陛下)の離婚問題についてである」


「(皇室典範は皇后の離婚を想定していないので)御代代(替)わりが起こった後ではもはや離婚はできない」”

“「今は雅子妃のご快復を願う。だが、一皇太子妃のご病状快復と…宮中祭祀が天秤に掛けられるようであれば、離婚ないし皇位継承権(ママ、皇位継承順位)の変更を想定せざるを得ない事態になると思われる」(八木秀次氏、『SAPIO』平成19年5月9日号)

そもそも皇室祭祀は、天皇が皇祖・皇宗への恭敬の誠をお尽くしになる神聖なご作法であって、国民があれこれ注文すべき筋合いのものではない。それを「天秤に掛け」るなんぞ、僭越の沙汰も甚だしい。”

(『「保守」の離婚・廃太子論』2021.3.31. 高森明勅公式ブログ
https://www.a-takamori.com/post/210331

☆☆☆ 

高森氏のブログ全文を読めば、もっと酷い発言が取り上げられています。

皇后陛下が「獅子身中の虫」であり御病気は仮病であると断言した西尾幹二氏、天皇陛下の離婚と廃太子を主張した八木秀次氏は、令和の御代替わりをどのように迎えたのでしょう。
己の言論を恥じて断筆したとの話も聞きません。双手をあげてお祝いしたのでしょうか。


上皇后、美智子さまのバッシングについて、ジャーナリストの笹幸恵氏がブログに書いています。文中の、一水会代表の鈴木邦男氏の発言は、至極まっとうで、一服の清涼剤のようです。


☆☆☆

“美智子さまバッシングが繰り広げられていた1993年。
バッシングの急先鋒だった週刊文春が、
『美智子皇后 私はこう考える』と題して、
さまざまな識者のコメントを掲載している(93年10月7日号)。
ここでも皆が良いだの悪いだの好き勝手なことを
言っているのだけど、最後に紹介された
一水会代表の鈴木邦男さん(道場のゲストとして
来てくださったこともある)の一言がじつにシビれる。

「僕は皇室はどんどんひらかれるべきだと思いますよ。
というより、両陛下はもっと自由にお好きなことを
なさるべきです。(中略)
 天皇や皇后にあれこれ求めたり、タブーを設けたり
するのは、天皇を本当に信頼していない証し、
国民の甘えです」

全くその通りで、夜中にインスタントラーメンを
作らせるな、けしからんなどと言っていた人々は、
上皇后陛下となられた今の美智子さまをどう見るか?
平成という時代を上皇陛下と共に形づくられてきた
美智子さまをどう見るか?”

(『本物の憂国者は集まれ!』笹幸恵 2021.3.30 ゴー宣道場
https://www.gosen-dojo.com/blog/30445/

☆☆☆



「僕は皇室はどんどんひらかれるべきだと思います」
というより両陛下はもっと自由にお好きなことをなさるべき」

「天皇や皇后にあれこれ求めたり、タブーを設けたり
するのは、天皇を本当に信頼していない証し、国民の甘えです」

鈴木氏の発言の通りです。天皇、皇族と云う大変なお役目を果たして下さっている方々に、尊敬の念があれば、勝手放題なことは言えないはずです。
「保守」言論人は、天皇に甘えるのもたいがいにしてほしいと思います。

八木秀次氏は、男系男子維持派ですが、このように天皇を信頼しない言論人の言葉を、丸のみにしないことが大切だと思いました。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって有意義な一日でありますようお祈り申し上げます。

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令和3年 歌会始(2) 歌会始の御歌の花と鳥 [皇室]

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令和3年の歌会始の天皇陛下の御製、皇族方の御歌について、主として、花と木の実、野鳥に焦点を合わせて、学ばせていただきます。今年のお題は「実」でした。


☆☆☆

令和三年歌会始御製御歌  実

御製
人々の 願ひと努力が 実を結び 平らけき世の 到るを祈る

皇后陛下御歌
感染の 収まりゆくを ひた願ひ 出で立つ園に 梅の実あをし

皇嗣殿下
夏の日に 咲き広ごれる 稲の花 実りの秋へと 明るみてくる

皇嗣妃殿下
竹籠に 熟るる黄色 の花梨(くわりん)の実 あまき香りは 身に沁みとほる

眞子内親王殿下
烏瓜 その実は冴ゆる 朱の色に 染まりてゆけり 深まる秋に

佳子内親王殿下
鈴懸の 木から落ちにし 実を割りて ふはふは綿毛を 空へと飛ばす

正仁親王妃華子殿下
野鳥くる 実のなる木々に 植ゑかへて 君は若かる 庭師と語る

寬仁親王妃信子殿下
実りある 日のくるために ながさるる 汗は力と なるを信ずる

彬子女王殿下
地図帳に あの日見つけし 茶畑の 不思議な点は 茶の実のかたち

憲仁親王妃久子殿下
戸隠の 森にはびこる蔓(つる)柾(まさき)
赤き実を食(は)む は 眉(まみ)茶(ちや)鶫(じない)か

承子女王殿下
自室より 画面越しにて 繋がりて 旅せぬ集ひも 実現したる

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html

☆☆☆

それぞれの御製・御歌の解説は、宮内庁ホームページをご覧ください。


[感想]

御製
天皇陛下の深いお祈りが世界中の人々に安らぎと幸せをもたらしますよう、新型コロナが速やかに収束するよう、お祈り申し上げます。

皇后陛下御歌
皇后陛下のひたむきなお祈りが届いて、新鮮な梅の実のようなみずみずしさが、日本と世界によみがえりますよう、お祈り申し上げます。

皇嗣殿下
稲の花は白くて小さいけれど、緑の茎につらなる葉の間から吹きこぼれるような愛らしさがあります。稲は自家受粉で、虫の助けはいらないとのこと。ひっそりと咲きながら、秋の実りの豊かさを約束してくれます。秋篠宮殿下の控えめなうちに、日々の着実な実りを育む、誠実なお心と重なる気がいたします。

皇嗣妃殿下
花梨はのどの痛みに効く果実で、飴にもなります。実は美しい黄色ですがそのままでは食べられません。はちみつに漬け、花梨酒にします。はちみつ漬けをつくったことはありますが、熟すと甘い香りがすることを、皇嗣妃殿下の御歌で知りました。透き通った感じの黄色と相まって、さわやかな陽の光が感じられる御歌です。

眞子内親王殿下
烏瓜(カラスウリ)の実は固くて食べられないと思っていましたが、意外にも熟す前の青い実と葉は食用になるし、つるや葉が茂るので「緑のカーテン」にもできるとのこと、色々と役に立つようです。落葉が始まった林を散策していると、烏瓜のひときわ鮮やかな赤色が目に付いて、秋の深まりが感じられる、そんな光景が目に浮かびます。眞子様は幼いころから烏瓜の赤い色がお好きだったとのこと、長女らしくしっかりされている眞子様にお似合いの色だと思います。

佳子内親王殿下
鈴懸(すずかけ)はプラタナスで、街路樹でよく見るのに、花も覚えていないし、実がなるのも気が付きませんでした。ネットで見ると花は目立たちにくい緑色です。実は、鈴のような形で鈴懸の名の由来とも。種は、「ふはふはと」飛ぶほど軽いのですね。今度、街路樹をよく見ようと思います。

正仁親王妃華子殿下
野鳥が来るようにと、実のなる木々に植え替えられた、正仁親王のお優しさが思われます。正仁親王は、式典にお出ましの時も車椅子を使われているのでご健康が気遣われます。末長く、お健やかであられますよう、お祈り申し上げます。

寬仁親王妃信子殿下
信子妃殿下の、御公務に励まれるお気持ちが偲ばれます。新型コロナウィルス感染症対策の医療現場や保健所、研究機関などを始め様々な関係機関において最前線で働く関係者の健康への願いと深い尊敬及び感謝の念を込めておられます。関係者のご努力が実を結び、速やかに感染症が収束しますようにと祈られています。

彬子女王殿下 茶の実の現物をご覧になって、学習院初等科の頃、不思議に思われた茶畑の地図記号(3つの点々!)が、実の形そのままであったことを詠われています。子供の頃、不思議に思ったことを、大人になって知った時の新鮮な気持ちが詠われています。

https://www.gsi.go.jp/KIDS/map-sign-tizukigou-h10-01-05tyabatake.htm

彬子さまが総裁を務められる一般社団法人「心游舎」(大阪市)が主催。日本文化を伝承する活動の一環として、若い人と田植えをされた彬子女王殿下らしい御歌です。

憲仁親王妃久子殿下
植物の蔓柾(ツルマサキ)、鳥の眉茶鶫(マミチャジナイ)、どちらも私は聞いたことのない名前です。久子殿下は、野鳥の写真を撮影されるので、植物の名前、野鳥の名前に御詳しいのですね。ネットで見ると、ツルマサキの実は赤くてたわわに実るようです。

マミチャジナイは、スズメ目ツグミ科ツグミ属に分類される鳥類。渡り鳥で春と秋に日本に飛来するとのこと。なかなか見つけにくい鳥だそうです。戸隠の森で目撃された久子殿下は、さぞうれしく思われたのだろうと拝察いたします。

承子女王殿下
リモートの交流の良い面を率直に詠われています。直接会えない代わりに、旅行で行きにくい国や、交通の不便なところに住む人々とも交流できるということは、新しい発見ですね。
承子女王殿下の御歌は、いつも堂々として率直な御歌だと、思っております。

平成30年の御歌を、ご参考までに、載せさせていただきます。

☆☆☆

承子女王殿下
友からの出張土産にひめゆりの塔の語り部をふと思ひ出づ
(「歌会始め」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h30.pdf

☆☆☆


来年、令和4年の歌会始のお題は「窓」と定められたとのことです。

☆☆☆

”お題は「窓まど」ですが,歌に詠む場合は「窓」の文字が詠み込まれていればよく,「窓辺」,「車窓」,「同窓」のような熟語にしても差し支えありません。”

(「歌会始の詠進要領(令和4年)」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/event/eishin.html

☆☆☆

来年は、私も詠進出来たらと、夢見ています。


今日も読んでいただき、有難うございました。
花の美しい季節になりました。小鳥のシジュウカラの恋の歌も聴こえてきます。
皆様にとって、心豊かな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

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「天皇の主体性、能動性を徹底的に否定した」のは占領軍よりも戦後憲法学だった。 ――  今も否定し続けている保守系知識人 [皇室]

「天皇の主体性、能動性を徹底的に否定した」の占領軍よりも戦後憲法学だった。 ―― 今も否定し続けている保守系知識人


去る10月9日、東京で開催された「ゴー宣道場」に参加したときに、占領軍よりも、戦後の憲法解釈が天皇の主体性、能動性を徹底的に否定したとの話も聞いて、驚きました。

占領軍が、天皇陛下の御存在を否定し、あわよくば天皇制をなくしてしまおうとの意図によって「天皇陛下が政治に一切関与できない」「政治的なご発言ができない」ように縛ったとばかり思っていた私の先入観が覆りました。

そのことについて、高森明勅氏が、10月20日の「高森明勅の『今昔モノ語り』にくわしく書かれています。


(「2016/10/20戦後憲法学の異常さ」、「高森明勅の『今昔モノ語り』」)


 高森氏によれば、戦後憲法学においては、「マッカーサー・メモや、憲法草案の起草にあたったGHQ民政局次長だったケーディスらの構想と比べても、宮澤俊義以来の憲法学の「象徴」規定についての通説的な解釈は、常軌を逸している」とのこと。


さらに現代にいたるまで、『マッカーサーやケーディスら“より”自虐的な「象徴」解釈が、いつの間にか「保守」系と見られていた知識人の頭脳も、完全に支配』しているとのことです。


「天皇の主体性、能動性の否定」の部分をまとめると、以下のようになります。


・「天皇の主体性、能動性を徹底的に否定した」のは占領軍よりも、戦後憲法学である。


・「天皇の主体性、能動性を徹底的否定」自虐的な「象徴」解釈が、いわゆる「保守」系の知識人の頭脳も完全に支配している。


・その解釈は、現政権も受け継いでいて、天皇という存在を「戦後憲法学」的な“牢獄”に封じ込めようとしているようだ。


 占領軍よりも徹底的に「天皇陛下の主体性、能動性を認めない」いわゆる保守系知識人の意向を受けて、天皇陛下のご発言を軽んずる「有識者会議」を設けた現政権のあり方には、深い憂慮を覚えずにいられません。

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