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皇室に名字は無い―その深い意味 [皇室典範改正]

DSC_166220210615blog.JPG6月13日の当ブログで、有識者会議ヒアリングにて、里中満智子氏が「女系天皇、新しい王朝」と述べたことについて、「皇室に姓が無い」ことを知らないのではないかと私は評しました。

姓や氏というと分かりにくいので、「名字」と言っても良いですが、ともかく天皇、皇室は、国民ではないので戸籍が無く、名字もありません。今日はその話を、私自身の知識の整理も兼ねて、書かせていただきます。

天皇、皇室の方々に戸籍は無く、身分などについては「皇統譜」に記録されています。

皇統譜:天皇,皇族の身分と系統とを登録する典籍。 1926年公布の皇統譜令および同令施行規則によって調整されたもの。大統譜,皇族譜から成り,大統譜は天皇と皇后とに関する事項を,皇族譜は所出天皇により,親王,内親王,王,女王のおのおのについて登録するもので,第2次世界大戦後も皇統譜に関しては従来どおりとなっている。宮内庁書陵部に保管。(コトバンク)

大統譜は天皇と皇后に関する事項、皇統譜はそれ以外の皇族が登録されています。皇族が結婚などで、皇室を離れられますと、一般国民としての戸籍が作られ、そこに記載されます。一度、皇統譜を離脱された方は、仮に離婚されても、「皇統譜」に戻ることはありません。「皇統譜」に記載されるのは、天皇、皇室のみで、そこには、厳しい君臣(天皇と一般国民)の区別があります。

皇室に名字(氏、姓)が無いことと、男系派の、「○王朝になる」との憂慮が杞憂であることについて、田中卓氏は次のように書いておられます。

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男系固執派の最も問題視し、強く憂慮するのは、女系の場合、その皇婿に当たる御方が、民間(仮に甲氏とする)から撰ばれた場合、その後次第に皇婿の氏が勢力をもって、甲王朝が成立する可能性が大きいという点である。そしてこの場合は、いわば〝易姓革命〟に当り、二千年の皇室の変革となり、国体の破壊につながるというのである。
しかし、それはまったくの杞憂である。なぜなら、皇室には氏がなく、皇室に入られた方は、その時点で同時に氏(甲氏)が消えるのであるから、甲王朝など、生ずるわけがない。
(田中卓著『愛子さまが天皇陛下ではいけませんか』p156 幻冬舎新書)

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注:「皇婿(こうせい)」は、女性天皇の男性配偶者の仮称です。「皇配(こうはい)」という呼称もあります。

「新しい王朝が始まる」は、あり得ないことです。一般的な通念でも、乙家に甲家から婿入りした人が乙姓を名乗れば、乙家の人とみなされます。政治家でも、あの人もこの人もというくらい、婿入りや養子で、乙家を継いだ人だらけです。

まして、一般の戸籍から離脱して戸籍が無くなり、皇統譜に記載されて、名字の無くなった男性が「甲氏」の人であると意識する人は、特殊な思想の持ち主以外、いないでしょう。「甲王朝」ができるというのは、まったく根拠のない屁理屈または偏見だと思います。


なぜ、皇室に名字が無いのか、不思議に思いませんか。その理由を、時代作家、文筆家の杉田幸三氏は次のように書いておられます。


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“何故天皇に姓がないのか

そもそも姓は、古代には氏族の長に対し、天皇から賜ったものだった。その起源には、連(むらじ)、宿禰(すくね)など職業に、橘、源、平など皇胤(こういん)の血統に、藤原、雀部など功績によって、下賜されたものがある。(中略)

「上御一人(かみごいちにん」といふ言葉がある。このやうに天皇といふおかたは只お一人である。ご一人である以上、他と区別したり比較するための姓が必要ないことになる。(中略)

藤原家と木曽家とは区別も比較も出来る。が、仮に藤原氏をもってきたとしても、はじめから今日まで、天皇は臣下と並立、比較を絶してゐる。さらにいへば、一切を包摂はしても対立しない関係にある。つまり、吉田元首相の家とも、現野党の宮本共産党首や土居委員長の家とも並立しても居らねば対立もして居ない。”

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

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言葉の意味

皇胤:
・天皇の血すじ。また、その血すじにあたる人。皇統。皇裔(こうえい)。(コトバンク)
・天皇の血統。また、その血統をひく人。皇統。皇裔 (こうえい) (goo辞書)
・天皇の血統。また、その血統をひく人。皇統。 皇裔(こうえい)。(Weblio)

調べて気が付いたことですが、Wikipediaでは、皇胤を「広く天皇の男系子孫を指す言葉である」としています。しかし、上記3つの辞書では男女の別はありません。なぜWikipediaだけが、他の辞書と異なる解釈をしているのか、その理由は分かりません。男系派が大勢で書き込んだからでしょうか。3つの「辞書」が、本来の意味であると思います。

天皇に名字が無いということは、臣下(国民)と並立、比較を絶している、各家とも、並立も対立も無いということであります。

昭和62年なので、各党首の名前が当時のものですが、今に置き換えれば、安倍前首相の家とも、枝野立憲民主党首、志位共産党首、福島社民党首の家とも、並立も対立もして居ない、となるでしょう。

さらに杉田氏は、草地貞吾氏の言葉を次のように引用して、「まさにその通りである」と同感を表わされています。


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〈――わが皇室は唯一絶対のもので、そのやうな比較や面子から完全に超越してゐる。皇室は万世一系の皇統といふのみで、序列的家格や階級党派、見栄や外聞を問題にされてない。これにみても皇室を殊更に天皇家などと称し、一般普通の家なるものと同一視する不合理性が指摘されよう。巷間の一部に、天皇家といふが、皇室と申し上げるより親近感があらうとの意見がないでもないが、これはひいきの引き倒しといふものである。また、天皇家といふのは宮家、摂関家、将軍家といふやうな熟語から連想されての造語かもしれないが、これも思慮が足りない。宮家にはその上に秩父とか常陸とか、摂関家には近衛とか九条とか、将軍家には足利とか徳川とか固有の冠頭詞、いはゆる名字がつくことに着目する要がある。
 そればかりか天皇家と称することにより、知らず知らずの間に摂関家、将軍家、大名家などと同等、同格に取り扱ふ思想、思潮を馴致(じゅんち)するのおそれなしとしない。〉
(『さきもり』誌S58.1月号)

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

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思潮:ある時代の社会にみられる支配的な思想の傾向。

馴致:なれさせること。なじませること。 また、徐々にある状態になっていくこと。

天皇の御製に関するある書籍に「天皇家の家訓は○○である」と書かれているとの感想文を見て、「家訓」という言葉に何だか違和感を覚えたのですが、その理由がこの文章から分かりました。書籍の作者が、「知らず知らず、天皇を摂関家、将軍家、大名家と同等、同格に取り扱う思想、思潮(思想の流れ)に馴れ親しませる」書き方だったからなのですね。それは天皇のご本質から離れている見方で、天皇の御製を学んでいるというほどの人ならば、そのような言葉は使わないほうがよいと思います。天皇は、「家」「家格」といった、一切の対立の外にあるご存在だからです。

このテーマは、明日に続きます。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
タグ:皇室
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