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天皇の祈りを指針とする―オリンピック開催によせて [今上陛下]

110628_12312620210808blog.JPG私が日々愛読している「愛子さま 皇太子への道」ブログでは、「【8/6~8/15 天皇制を考える10日間】」とのタイトルで、6日、9日、11日、15日に、それぞれに設けたテーマに沿ったブログを振り返りながら、天皇制について考察するそうです。

今日は、第1回目「1. 愛子さまの作文 ~天皇の祈りと現実の葛藤~」が掲載されました。

上皇陛下が挙げられた「(日本人が)忘れてはならない4つの日」のうちの3つが集中するこの時期に「天皇制を考える」のはとても意味のある事だと思います。

https://aiko-sama.com/archives/6357


このブログ記事で、「天皇の祈りを指針とする」という言葉が特に心に残りました。


☆☆☆

厳しい現実を前にしたとき、私達は天皇の祈りとどう向き合うべきなのでしょうか。
天皇の祈りを金科玉条として、ひたすら衝突を回避すべきか。
あるいは、現実を優先して天皇の祈りを無視するのか。

どちらも違うと思います。
国政の権能を託された私たちは、戦争も含むあらゆる手段を選択肢に入れて、日本を守っていかねばなりません。
しかし、日本を守るためなら何をしても良い、ということには当然なりません。
なるべく犠牲を出さないように。講和への道を閉ざさないように。
法の及ばない、人道的態度を保つために最も強い規範となるのが、天皇の祈りであると考えます。
日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
それが私たちに求められることではないでしょうか。

そしてこれは、戦時中に限りません。

平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。

https://aiko-sama.com/archives/6357

☆☆☆

ここでは終戦直前の10日間の事を指していますが、私は

「平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。」

に眼が止まりました。

色々の問題に没頭していて、天皇陛下のお言葉に帰ることを忘れていたことに気が付いたのです。宮内庁のホームページで、ご発表の都度、眼を通すことにしていたのに、その習慣からいつの間にか遠ざかっていました。それで最近の天皇陛下のお言葉をもう一度、気持ちをあらためて読むことにしました。

遅ればせながら、オリンピック開会に関係するお言葉を紹介させていただきます。
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#303

○国際オリンピック委員会関係者ご引見
令和3年7月22日(木)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】

○第32回オリンピック競技大会(2020/東京)開会式に出席する各国首脳等ご会見及びご引見
令和3年7月23日(金)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】

○第32回オリンピック競技大会(2020/東京)開会式
令和3年7月23日(金)(オリンピックスタジアム)

さりげないおことばですが、ゆっくり読むと、心が静まります。

オリンピックについて、開催反対の声もありました。天皇陛下ご自身が「五輪御懸念と拝察」との宮内庁長官の発言もありました。政府に対して開催に際し細心の注意を払うようにとの陛下の御心だったのだろうかと、私見ですが、拝察しております。

私自身、オリンピック誘致の際の安倍前総理の発言、福島はアンダーコントロールであるとか(いまだに多くの人々が大変な廃炉作業に取り組んでいるのに)、その時期の日本の気候はオリンピックに最適である(この酷暑の時期に)とかよくウソを並べられるものだと、苦々しい思いで見ていたひとりでした。

それにもかかわらず、宮内庁のホームページを拝見しますと、いざ開催となれば全身全霊で取り組まれる天皇陛下の御心が伝わって来て、オリンピックの成功を応援したいと思いました。


☆☆☆

バッハ会長,
国際オリンピック委員会関係者の皆様,

 第32回オリンピック競技大会は,明日開会式を迎えます。

 現在,世界各国は,一昨年末より世界中を襲った新型コロナウイルス感染症の感染拡大という大変厳しい試練に直面しています。人が集い,繋がることが簡単ではない状況が続いています。

 そのような状況の中,新型コロナウイルス感染症に対する万全の対策を講じながらの大会運営は決して容易なことではないと思います。それぞれの競技会場の現場などで大会運営に携わる方々をはじめ関係者の皆さんのご尽力に深く敬意を表します。

 オリンピックが長く,そして広く世界で支持されてきたのには,平和と調和というオリンピズムの精神に理由があると思います。私自身にとって,1964年の東京オリンピックの閉会式で各国選手団が国ごとではなく,混ざり合って仲良く行進する姿を目にしたことが,世界の平和を願う気持ちの源となりました。

 東京2020大会のビジョンは,「スポーツには世界と未来を変える力がある。」です。スポーツに挑むアスリートや,そのアスリートを支える御家族や関係者の姿は,わたしたちに様々なことを感じさせてくれます。この大会は,新型コロナウイルス感染症に直面する中で迎えます。また,夏の盛りの熱波にも注意が必要です。この大会が,皆さんをはじめとする関係者の連携による感染防止対策に万全が期されることにより,アスリートの皆さんが健康な状態で安心して競技に打ち込み,その姿を通じて,新しい未来へと希望の灯火がつながれる大会となることを願います。皆様と共に全てのアスリートのご健闘を祈ります。

(「国際オリンピック委員会関係者ご引見 令和3年7月22日(木)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】」
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#303

☆☆☆


ご文章の中に、

「私自身にとって,1964年の東京オリンピックの閉会式で各国選手団が国ごとではなく,混ざり合って仲良く行進する姿を目にしたことが,世界の平和を願う気持ちの源となりました。」

とのお言葉があります。

私はオリンピックの時、小学校高学年でした。オリンピックの時、わが家にテレビが入りました。開会式で各国選手団が整然と隊列を組んで入場した様子も美しかったですが、陛下のおっしゃるとおり、閉会式で各国選手団が国ごとでなく思い思いに手を取り、肩を組んで行進する様子に、胸が熱くなったのを覚えています。競技の時も、重量挙げでしたか、勝敗が決した後で、敵だった選手が肩を組んで勝利者を祝福する姿にも胸を打たれました。

お言葉中のオリンピズムが耳慣れなかったので、辞書を見てみました。「オリンピック精神」のことなのですね。

オリンピズム(Olympism):
近代オリンピックの創始者クーベルタンが提唱した、オリンピックのあるべき姿。「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というもの。オリンピック精神。(コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%BA%E3%83%A0-1284974


「文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりより世界の実現に貢献する」

この精神があったから、「国籍などの差異を超えて」、ライバルの肩を抱いて祝福し合い、手に手を取り合って行進する姿に心打たれたのだと思います。

それにしても、1964年のオリンピックの時、天皇陛下は満4歳でいらしたはずです。そんな幼い時にそのような感慨を抱かれ、いつまでも覚えていられるということも、驚きでした。

冒頭に掲げた「愛子さま 皇太子への道」には、広島の原爆ドームを訪れたときのお気持ちを作文にされていますが、中学生と思えないしっかりしたご文章と平和への祈りに心打たれます。

以下、「愛子さま 皇太子への道」からの引用です。


☆☆☆

この記事では、その後半で、愛子様の作文も紹介されています。ご存じの方も
多いと思いますが、愛子様が広島を訪問されたときの作文です。
https://www.sankei.com/article/20170322-LWNVTS255BM47HUSW5WI2BUT3Y/2/

《「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げていくもの》

これが中学生の作文かと思うほど、力強い使命感を感じるメッセージですが、
この記事を書かれた記者さんが、「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉で、この愛子様の作文を想起された感覚は、よく分かる気がします。

https://aiko-sama.com/archives/6357

☆☆☆


天皇陛下のお気持ちの深さに思いを致し、このような素晴らしい天皇を日本国の象徴として戴けることの尊さを思います。そして愛子さまが天皇の御長女として天皇の平和へのお気持ちを継がれて、お健やかにご成長されていることを、ありがたく思います。


ブログ冒頭に引用した、

「日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
それが私たちに求められることではないでしょうか。

そしてこれは、戦時中に限りません。

平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。」


「天皇の祈りを指針とすることが、日本が日本として発展していく上での道しるべとなる」

何ごとのおはしますかは存じませぬが言うに言われぬ深さをたたえる、「天皇の祈り」を指針とすることを、日々の生き方の中で忘れずにいたいと思います。

オリンピックも残りわずかとなりました。賛成、反対、色々な思いを抱かれている方々があるようですが、それはそれとして大会がつつがなく終了し、オリンピズム(オリンピック精神)が選手、関係者、応援する人々の心に刻まれるよい思い出として残りますようにと、祈らせていただきます。なお、PCR検査、外出制限、酷暑などの苦難に負けずに全力を尽くされ、感動を与えてくれた各国選手の皆様に、心より感謝申し上げます。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、こころ穏やかなよい一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:愛子さま
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皇室祭祀と国民との触れ合い―天皇のお務め [今上陛下]

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女性天皇に反対を唱える、ある人のブログを読みました。

その人の主張では、天皇にとって宮中祭祀は最も重要である、もし女性が天皇になられると、妊娠、ご出産により、宮中祭祀が十分に執り行えないから、天皇は男性でなければならないとのことでした。

宮中祭祀が天皇にとって最も重要であることは、もちろん、私も同感です。しかし、女性天皇になったら宮中祭祀がおろそかになるとの心配は、杞憂だと思います。

日本の歴史では8方10代の女性天皇がいらっしゃいました。女性天皇のご妊娠、ご出産、月経の時などの祭祀の執り行い方の先例は、宮中の記録に残っているはずです。

直近では、江戸時代の第117代・後桜町天皇(御在位:1762年~1770年)がいらっしゃいますが、ご即位にともなう大嘗祭は、2つの日程が用意されていたとのことです。日常の祭祀についても、その時の記録に習えば、何の問題も無いことと拝察申し上げます。

畏れ多い例えですが、男性の天皇でも、一時的なお身体のご不調で祭祀を執り行えないこともあるでしょう。同じように考えられるのではないでしょうか。


宮中祭祀などの、国内の天皇のお務めに関連する、高森明勅氏の「皇室祭祀」と国民との触れ合いについてのブログを思い出しました。

少し前、3月1日の記事ですが、大切なことだと思ったのでご紹介します。


☆☆☆

『天皇の“お務め”を巡って、奇妙な対立があるように見える。右派や保守系は、天皇の最も大切なお務めは神聖な祭祀である、と強調する。その一方で、国民との触れ合いには冷淡で、わざわざ被災地などにお出まし戴く必要はない、などと言う。


これに対し、左派やリベラル系は、被災地などにお出ましになって、国民と触れ合われることこそが天皇の最も重要なお務めだとする。しかし、これまで天皇が大切にして来られた祭祀については、むしろ否定的。国民と無縁な古臭い祭祀なんて、今後はいつまでも続けられるには及ばない、と。ほとんど正反対の立場だ。


この対立をどう考えるべきか。私は、天皇の国内に向けたお務めを、大まかに3種類に整理している。


①憲法に定められた国事行為。

②国民の思いに寄り添われること。

③皇室の神聖な祭祀に携わられること。


これらのうち、①は憲法の規定によるものなので、原則として賛否の対象にはなりにくい(問題視する場合は憲法改正論という切り口になる)。


残りの②③から、右派や保守系が③を重視し、左派やリベラル系は②を重視するという構図だ。しかし、どちらか一方だけを重視して、他方を軽視又は否定するという態度は、正しくないだろう。』

『そもそも天皇の祭祀は、一般の宗教家の祭祀とは異なる。皇祖皇宗(こうそ・こうそう、皇室の最初の祖先=天照大神以降、代々の祖先)への祭祀が中軸をなす。祖宗(そそう、皇祖皇宗)と厳粛に向き合われる祭祀を通じて、代々受け継いで来られた国民の為に誠心誠意お尽くしになられるご精神を、改めてご自身の御心にお刻みになる。それは突き詰めて言えば、国民の為の祭祀に他ならない。


にも拘(かかわ)らず、実際に目の前で国民が災害などで苦しんでいても、それには背を向けて、ひたすら宮中の奥深くで祭祀だけ型通りに打ち込まれるとしたら、それは肝心な祭祀の“精神”そのものを蔑(ないがし)ろにする振る舞いと言わねばならない。』

『日々、心身の清浄を保たれ、謙虚かつ真摯に祭祀に携わられることによって、代々受け継いで来られた国民に尽くされる無私公正な精神を自ら身に付けられ、その高貴な精神のご発露として、被災者や様々な国民の身近にお出まし戴くからこそ、政治家や他の者からは期待できない、絶大なお慰め、お励ましなどを、人々は天皇から“受け取る”ことが出来るのではないか。』


『「皇室祭祀」と国民との触れ合い』高森明勅公式ブログ 2021年3月1日
https://www.a-takamori.com/post/210302

☆☆☆


右派は「宮中祭祀」の重要性を説きますが、国民との触れ合いには比較的冷淡に見えます。

一方左派は「国民との触れ合い」を重視しますが、宮中祭祀は軽視するというような傾向があります。

しかし、「宮中祭祀」と「国民との触れ合い」は補い合うものであり、どちらも欠くことができないという視点が必要だという、高森氏のお考えは重要だと思いました。

今日も読んでいただき有難うございました。
私の住んでいるところでは桜が満開です。
皆様も、どうぞ良い一日をお過ごしくださいますよう。


タグ:女性天皇
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東日本大震災10周年追悼式のおことば [今上陛下]

DSC_115620210314blog.JPG天皇・皇后両陛下は3月11日、国立劇場で執り行われた、東日本大震災10周年追悼式に出席されました。

東日本大震災から、10年経ちました。

震災によって亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、被災されたすべての皆様が平穏な暮らしを取り戻されますようにお祈り申し上げます。

天皇陛下のおことばから、震災後の復興につとめて来られた皆様への感謝と、まだ被災地での復興には様々な課題が残されていることを考えさせられました。


☆☆☆

“東日本大震災から10年が経(た)ちました。ここに皆さんと共に,震災によって亡くなられた方々とその御遺族に対し,深く哀悼の意を表します。

10年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す方が亡くなり,行方不明となりました。また,この地震に伴う津波や原子力発電所の事故により,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。この震災の被害の大きさは,忘れることのできない記憶として,今なお脳裏から離れることはありません。”

“今後,困難な状況にある人々が,誰一人取り残されることなく,一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように,復興の歩みが着実に実を結んでいくよう,これからも私たち皆が心を合わせて,被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。私も,皇后と共に,今後とも被災地の方々の声に耳を傾け,心を寄せ続けていきたいと思います。”

“我が国の歴史を振り返ると,巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が,その都度,後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も,今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと,そして災害の経験と教訓を忘れず,常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。そして,その教訓がいかされ,災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。

今なお様々な困難を背負いながらも,その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い,御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。”

(天皇陛下のおことば「東日本大震災10周年追悼式令和3年3月11日(木)(国立劇場)」
宮内庁ホームページhttps://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#286

☆☆☆


TBSNEWSにも、おことば全文と映像が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d11aca340eac13f34d9ca28fdad32d4ff45f5092

映像を拝見して、天皇陛下の真剣な御心が伝わるおことばの調子、そして皇后陛下が天皇陛下と思いを一つにされて祈るように横に立たれるお姿に心打たれました。

TBSNEWSのコメント欄に、陛下のおことばで「国民」の代わりに「私たち」、「皆さん」を使われているとありました。

おことばの中に

“160を超える国・地域や多数の国際機関,大勢のボランティアなど,国内外の多くの人々が様々な形で支援に力を尽くしてきました。”

とおっしゃっていることから、国内外の多くの人々の支援をいただいたことを思いました。 また、被災者の中には海外から日本に来ていた方々もいらしたそうです。その方々も取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻されますよう、お祈り申し上げます。

宮内庁ホームページのおことばには、英文も掲載されています。

“今後,困難な状況にある人々が,誰一人取り残されることなく,一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように,復興の歩みが着実に実を結んでいくよう,これからも私たち皆が心を合わせて,被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。”

「誰一人取り残されることなく」の「誰一人」は、「a single soul」なのですね。

“without leaving even a single soul behind”


“その教訓がいかされ,災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。”

“I sincerely hope that we will build a nation resilient to the natural disasters by utilizing those lessons learned.”

「災害に強い国」が「a nation resilient to the natural disasters」で、「resilient」という言葉が使われています。

「レジリエンス」という言葉をこの頃、よく眼にします。
「回復力」「復元力」「弾力性」と訳されるそうです。

ネットでは色々説明がありますが、下記が分かりやすかったです。

https://kiwi-english.net/31925

失敗しても、起き上がる力とのことです。

新しいチャレンジに失敗はつきものですが、レジリエンスは、打たれ強いとか、心が折れないということではなく、ゴムのタイヤが衝撃を受けて変形しても、すぐに元の形に戻る力、失敗しても元に立ち直る力のことです。

子供には、だから、小さな失敗をする機会が必要だということも書かれています。

天皇陛下のおことばは、歴史の中の過去の災害に遭遇した人々が残した記録が「レジリエントな国」、災害の経験と教訓を忘れずに、常に災害に備えることで強い国を築いていけるとのこと。きちんと考えたいと思います。

また「レジリエンス」は、災害だけでなく、人生全般に当てはまることだとも思いました。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって実り豊かな一日でありますようお祈り申し上げます。

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直接国民と接すること―象徴天皇の在り方 [今上陛下]

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嵯峨天皇の写経について、皇太子でいらしたときの2017年2月23日の御誕生日の記者会見の中で、今上陛下が語っておられます。

この記者会見は、前年2016年(平成28年)8月に上皇(当時は天皇陛下)が象徴天皇のあり方についてのビデオメッセージを御発表された翌年の2月、直近のお誕生日の会見でした。

☆☆☆

“陛下[上皇陛下]は,おことばの中で「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました”

“私も,阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には,雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ,被災された方々から直接,大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。”

“そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております”

“このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。”

“昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般若心経(はんにやしんぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。”

“そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。”

“災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。”

”私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。私が,この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。”

(「皇太子殿下の記者会見 会見年月日:平成29年2月21日」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9

☆☆☆

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)」について、平成28年9月22日に、私のブログでも、書かせていただきました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/201609-1

政治的発言にならないようにと、渾身の力を込めて国民にメッセージを発せられた上皇陛下のお気持ちを思うと、「皇室典範の改正」について、あれから4年半が過ぎたのに未だ解決していないことに、深い悲しみを覚えます。


第52代・嵯峨天皇の御代は、藤原氏の勢力争いの中で、「薬子の変」が起こりました。そのような難しい時代においても、疫病に際して、写経によって国民に御心を寄せられた嵯峨天皇のおすがたは、一貫しておられ、そのお心を象徴天皇のかたちで、上皇陛下、今上陛下が受け継いでいらっしゃいます。

上皇陛下、今上陛下の震災やコロナ禍に際して、国民に御心を寄せられていること、災厄の去ることと希望をもって明るい将来を思い描くように激励して下さること、絶え間なく祈ってくださっていることを、尊くありがたいことと感謝申し上げます。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様にとって良い一日でありますようにお祈り申し上げます。


ご参考:

該当する、皇太子殿下(当時)のお言葉の一部を謹写させていただきます。

☆☆☆

“象徴天皇については,陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこれまで何度かお話ししたように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

陛下は,おことばの中で「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。私も,阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には,雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ,被災された方々から直接,大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが,少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。また,ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが,そうした機会を通じ,直接国民と接することの大切さを実感しております。

このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。私が,この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。”
「皇太子殿下の記者会見 会見年月日:平成29年2月21日」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9

☆☆☆

言葉の意味

宸翰:(しんかん)は、天皇自筆の文書のこと。宸筆(しんぴつ)、親翰(しんかん)ともいう。


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幸くいませ―幸せであること [今上陛下]

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高森明勅氏の2月25日のブログ「一つ一つの務めを大切に」を拝見して、直系のお子様が皇位を継がれることは御祖父君、御父君であらせられる天皇陛下の背中を見てお育ちになられた方が皇位を継承されることになるゆえに、「直系継承」に大切な意味があることを考えさせられました。


☆☆☆

“天皇陛下はお誕生日に際しての記者会見で、
敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下が今年12月に成人を
迎えられることに関連して、以下のようにおっしゃった。

「今後、成年皇族として公務に当たっていくことになりますが、
感謝と思いやりの気持ちを持って、一つ一つの務めを大切に
果たしていってもらいたいと思います」と。”

“このおことばに接し、今から40年ほど前の、
まだ皇太子にもなっておられなかった当時のご発言を思い出した。
陛下はこのようにおっしゃっておられた。

「(大学ご卒業後)これから先はいろいろな公務が確かに
多くなると思うのですが、当面は皇族として、公務として与えられたこと
一つ一つを大切にしていきたいと思っています」
(昭和57年3月15日)と。”

“ご公務(お務め)の「一つ一つを大切に」されるお気持ちは、
まさに一貫して揺らぐことがない。”

“これは、昭和天皇と上皇陛下のなさりようから間近で学びながら、
ご自身が実際にご公務のご経験を重ねられる中で、
より深く心に刻まれたことだろう。”

(「一つ一つの務めを大切に」高森明勅氏ブログ、2001年2月25日
https://www.a-takamori.com/post/210225

☆☆☆

天皇陛下が御公務を大切にされ、いつも国民に寄り添い、目に見えない形で国民の精神を支えて下さっているおすがたに、感謝の思いをあらたにいたしました。

また、次のご文章にも感動いたしました。


☆☆☆

“更に、次のようなご表現も。

「国民を思い、国民に寄り添う点で、災害で被災された方々、障害者や高齢者、あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ、ねぎらい、励ましていくことはとても大切なことです。それは、私と雅子二人の自然な気持ちであるとともに、皇室として

大切な務めであるとも思います」と。


皇室の務め“だから”国民に心を寄せるのではなく、何よりもそれがご自身の「自然な」お気持ちであるということ。それを率直にお述べになっておられる。”

(「一つ一つの務めを大切に」高森明勅氏ブログ、2001年2月25日
https://www.a-takamori.com/post/210225

☆☆☆

今上陛下の御言葉はそのまま、上皇陛下の御言葉を思い起こさせます。

拙ブログ「日本書紀「天壌無窮の神勅」を読み解く」2020-12-13で、このことを書かせていただきました。

☆☆☆

“☆行矣(さきくませ):さきく【幸く】(副詞) 無事に。つつがなく。 それに助動詞の「ませ」がつく形です。 日本書紀では 行矣。つつがなく、幸せに、その任をつとめなさい。

さきくませは、幸くいませ、ですから、天皇ご自身も幸福になるようにと、天照大御神が祝福されていると考えました。これは平成28年8月8日の上皇陛下(当時は天皇陛下)のお言葉の一節から思いつきました。


“皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。”
(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

大変な重責を負いながら「幸せなことでした」と言われたお言葉に深く感銘いたしました。
天皇にも皇室の皆様にも、幸福であっていただきたい、心からそう思います。”

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-12-13

☆☆☆

国民の幸せを天皇陛下、皇室の方々がいつも願ってくださっている、それが天皇陛下、皇室の方々の御幸福でもある、そんな日本を大切にしてまいりたいと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。
今日が皆様にとって、祝福された一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:皇統継承
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天皇陛下の御誕生日をお祝い申し上げます [今上陛下]

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今上陛下の61歳のお誕生日を心よりお祝い申し上げます。

今上陛下におかれましてはお健やかにお誕生日を迎えられたことを御慶び申し上げるとともに、御皇室の弥栄をお祈り申し上げます。

天皇陛下の御誕生日に際し、2月19日、赤坂御所で記者会見が行われました。

☆☆☆
“日本の歴史の中では,天変地異や疫病の蔓まん延など困難な時期が幾度もありました。これまでの歴代天皇のご事蹟せきをたどれば,天変地異等が続く不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を作られた聖武天皇,疫病の収束を願って般若心経(はんにやしんぎよう)を書写された平安時代の嵯峨天皇に始まり,戦国時代の後奈良天皇,正親町天皇など歴代の天皇はその時代時代にあって,国民に寄り添うべく,思いを受け継ぎ,自らができることを成すよう努めてこられました。

その精神は現代にも通じるものがあると思います。皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います。そして,時代の移り変わりや社会の変化に応じて,状況に対応した務めを考え,行動していくことが大切であり,その時代の皇室の役割であると考えております。

国民を思い,国民に寄り添う点で,災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。それは,私と雅子二人の自然な気持ちであるとともに,皇室としての大事な務めであるとも思います。この1年は,コロナ禍かに翻弄されてきました。愛する方を失ったご家族やご友人のお悲しみはいかばかりであったことでしょう。心から哀悼の意を表します。また,コロナ禍かの閉塞感からでしょうか,自ら命を絶つ人が増えていることも極めて痛ましいことで,皆で何とか防がなくてはなりません。その一方で,強い使命感を持って医療に取り組んできた方々や保健所などで現場の対応に当たってきた関係者を始め,高齢者や障害者など,社会的に弱い立場にある人々を支えてきた関係者や,子供食堂のような,困難な状況に置かれた子供たちを支援してきた関係者など,多くの方々からお話を伺う機会を得,皆さんの有り難い尽力に思いをより深く致しました。このような方々に対し,国民の間で感謝の念を広く共有することができた1年となりました。

このところ,新規感染者の数は,幸いにして全国的に減少傾向に転じているようです。また,新型コロナウイルスワクチンの接種も始まりました。今しばらく,国民の皆さんが痛みを分かち合い,協力し合いながら,コロナ禍かを忍耐強く乗り越える先に,明るい将来が開けることを心待ちにしております。”
(「天皇陛下お誕生日に際し(令和3年)」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/43

☆☆☆

今上陛下のお言葉を心に刻み、明るい将来が開けるという希望をもって、日々を過ごして参りたいと思います。

☆☆☆
“先日,私は雅子と共に「国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)」満了5周年のオンライン国際会議に参加しましたが,その場でも感染対策としての水の重要性が話題になりました。感染拡大防止対策として,我が国では,いわゆる三密回避,マスク着用と並んで手洗いが当然のこととして行われていますが,世界には,手洗いに適した衛生的な水が満足に得られない地域もあります。

また,世界では,特に発展途上国を中心に,新型コロナウイルス感染症以外でも,結核,マラリア,HIV/エイズ,エボラ出血熱など,様々な感染症が非常に多くの人命を奪っています。これらの感染症を克服するには,一国のみの努力では不十分であり,国際的な協力が不可欠であることを改めて認識させられています。”
(「天皇陛下お誕生日に際し(令和3年)」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/43
☆☆☆

日本国内の東日本大震災のことはもちろんですが、海外の発展途上国にも思いを寄せておられることも心に残ります。

しばらくブログをお休みして、色々と考えておりましたが、再開したいと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、素晴らしい一日でありますようお祈り申し上げます。

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天皇陛下のお言葉(令和2年8月15日「全国戦没者追悼式」)に寄せて [今上陛下]

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皆様、お盆はどのように
過ごされましたか。

生活のリズムが変わって
ブログを更新できない日
が続きました。

今日からやっと普通に
戻れそうです。



8月15日は終戦記念日でした。正午には全国戦没者追悼式の中継を見ながら、黙とうを捧げ、天皇陛下の御言葉を拝聴いたしました。

☆☆

“本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来75年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。

私たちは今,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,新たな苦難に直面していますが,私たち皆が手を共に携えて,この困難な状況を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。

ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”

(天皇陛下の御言葉 全国戦没者追悼式 令和2年8月15日(土)宮内庁ホームページより)https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/61#231

☆☆

短いお言葉ですが、かみしめると様々なことを考えさせられます。新型コロナウィルス感染症のことも、手を共に携えて困難な状況を乗り越えて、幸せと平和を希求し続けるとの願いを深く受け止めたいと思います。

戦争の惨禍により失われた命に向けられた陛下の深い悲しみと強い平和への願いが伝わってきて、全文が心に沁みます。昨年は、「深い反省の上にたって」のお言葉に言及いたしました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306215194-1


今年は、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに、心から追悼の意を表し」の「戦陣に散」った人々に陛下が毎年、追悼の意を表され、思いを寄せられていることに感慨を覚え、そのことを書かせていただきます。

このお言葉「戦陣に散」った人々に着目したのは、戦争から帰還した将兵の手記を、数冊読んでからです。亡父が遺した本で父を偲びながら手に取りました。

最初に読んだのは、兵士の六割以上が餓死したといわれるインパール作戦に21歳で従事した兵士の手記(小田敦巳著『ビルマ最前線』)でした。極限状態に置かれた兵士の悲惨さに衝撃を受けましたが、同時に食べ物も無く、負傷しても治療を受けられない惨状でも、戦友を助け、軍紀を守ろうとする兵士の真剣さにも、心打たれ、涙しました。深沢卓男著『祭兵団インパール戦記』も心に残る本でした。

小田敦巳氏と深沢卓男氏のあとがきから、それぞれ引用させていただきます。

☆☆

“最後に伝えたいことは、多くの方々が平和、平和、平和がよいと語っておられ、まことにそのとおりですが、いったい何にくらべて平和が有り難く、どれほど幸いなのか――戦争の生の姿、その悲惨さを知っていただき、そのうえで平和がどれほど有り難いかを悟り、感じていただきたいと願うのです。それがこの小著を将来に対し贈る所以でもあります。”
(小田敦巳著 『ビルマ最前線』p284 光人社NF文庫)


“人間として歴史を知ることは、非常に大切なことである。それは遠く深く識るほど良いのである。
そして思考を重ね、反省し、誤りなく過去を把握し、現況を知り、将来を見通し、最良の方向を選択し、つねに交渉や、協調を重ね、ともに生きるという調和点を発見し、一人よがりの独走を避け、邪道は決して繰り返さない、繰り返させない努力が必要であろう。そして英知をもって、下等動物のような「共食い的」な戦争は絶対避けるべきだ。
しかし、他を顧みない、思いやりのない、独走や侵略がある限り、永遠に戦争はなくならないであろう。
大事なことは、それでも諦めてはいけない。
あくまでもねばり強く話し合いを続け、チャンスを逃すことなく、互いの調和点を見出し、少なくとも戦争は最小限に食い止めることに、最大の努力を続けるべきではないか。自らも侵略をせず、他の侵略をも、絶対認めるべきではない。そしていまわしい戦争の数を少なくし、小さくして行くことに、限りない努力を続け、永遠の平和を、願望すべきであろう。“
(深沢卓男著『祭兵団インパール戦記』pp301~302 光人社NF文庫)

☆☆


数冊の手記は、それぞれ異口同音に、平和を切に願う言葉で結ばれています。手記を出版するほどですから真面目な人ばかりなのでしょうが、極限の苦しみの中でも、人間の尊厳性を失わない姿に、深く感動いたしました。第三者の評論ではなく、直接戦闘に従事した人の手記を読むと、戦争とは実に複雑で多様な面を持っていることを、あらためて知らされます。

終戦の日を期に読み返してみようと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって幸ゆたかな一日でありますように。


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天皇陛下のお言葉(令和元年8月15日「全国戦没者追悼式」)に思うこと― 目的が正しくても、手段の反省は必要 ― [今上陛下]

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令和元年8月15日(木)(「全国戦没者追悼式」における天皇陛下のお言葉について、いかに細部に至るまで、お気持ちの行き届いたものであるか、高森明勅氏の文章から学ばせていただいた。

https://www.gosen-dojo.com/blog/23309/「おことば」の誠実さ)
https://www.gosen-dojo.com/blog/23320/「終戦記念日の「おことば」の深さ」)

「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」(天皇陛下のお言葉(令和元年8月15日「全国戦没者追悼式」)宮内庁ホームページより)

それぞれ心に沁みる、高森氏の文章である。


ところが、ある掲示板で、天皇陛下が「深い反省」と述べられたことについて、「陛下の『深い反省』との言葉は、戦争の結果、アジア諸国の植民地が解放されたという成果を否定された言葉だ」と、とんでもない誤解をして、陛下を非難している意見を目にした。

ある事柄について、「反省」と述べたら、その事柄の成果まで否定したと決めつけるのは、「風が吹けば桶屋がもうかる」たぐいの論理の飛躍であり、きわめて軽率であると思う。


戦時中に青春期を過ごした母に「なぜ日本はあのような悲惨な戦争をしてしまったのか」と質問したとき、母は「多くの植民地化されたアジア諸国から日本に亡命して来た人々が、祖国の独立を助けて欲しいと訴えて来たから」と答えた。インドネシアの独立のため、戦後も残留して戦った元兵士の話は、思い起こすたびに目に涙が浮かぶ。母の話はその時代を生きた人の実感であると思う。

先の大戦において、白色人種から植民地化された有色人種を開放するという目的(理想)は正しかったし、紆余曲折があっても、結果的にそれが実現したことには、大きな意味があったと思う。理想の為に祖国に尊い一命を捧げられた戦没者の皆様には、深い感謝と尊敬の念を表したい。

しかし、目的が正しくても、その時の手段が最適だったかと、反省することは何事においても大切だと思う。先の大戦そのものが目的達成の手段として日本にとって必須であったのかと、あらゆる角度から問いかけることは、日本のより良い未来を考えるために必要なことだ。そこに「反省」の意味がある。

日本は望まなかったのに、米国の戦略で開戦せざるを得なかったとの見方もある。
昭和16年(1941年)の開戦直前の国際状況を見れば、日米開戦がどうしても避けられなかったということも納得できる。

しかし、戦争の原因となったそれぞれの事柄について、歴史を、明治の初めまでさかのぼったらどうだろう。本当に避けられなかったのだろうか。


ざっと考えただけでも以下の分岐点(ターニングポイント)が考えられる。

○明治6年(1873年)西郷隆盛が使節となって朝鮮に渡り、「東洋王道の精神」による対朝鮮外交が実行され、明治8年(1875年)の「江華島事件」における砲艦外交がなかったとしたら?

○明治28年(1895年)日清戦争の下関条約で清国から多額の賠償金を取らずに、その結果、日本と清との関係がより友好的なものになっていたとしたら?

○昭和13年(1938年) 近衛文麿が「国民党を相手にせず」などと言わずに、蒋介石と和平を結んでいたとしたら? 泥沼の支那事変に踏み込むことがなかったかも知れません。

他にも数え上げればいくつもの分岐点があげられる。

各分岐点において、日本が「東洋の王道精神」による道義に基づく行動を選んでいたとしたら、先の大戦のような凄惨な形ではなく、仮に戦争があったとしてもより損失の少ない形で、植民地解放の目的が実現していたかも知れない。

隣国であり長い交流の歴史があり、同じ東洋人の朝鮮、中国に対して、いち早く西洋文明に目覚めたとの奢りが、日本にあったのではないか。


2600年の歴史を背負っておられ、昭和天皇、上皇陛下の御心を継がれた今上陛下は、歴史の見方において、吾々一般国民には見えていない、深遠なる透徹した世界を見ておられる。まさに一視同仁である。

これは長年、陛下の御文章に親しみながら、私が到達した結論である。

一国民としては、そのような重厚な意味をたたえた天皇陛下のお言葉を、そのまま謹んで承りたいと願うのみである。

戦陣に散った戦没者の皆様に感謝と尊敬の念を捧げるのは子孫として当たり前のことだが、同時に、先の大戦について子孫が真剣に調べて学んで、反省すべき点は反省して、天皇陛下と心を一つにして「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願」うことは、子孫の幸せを願い、誰よりも平和の尊さを知っている戦没者の方々の最大の望みではないかと拝察する。

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皇太子殿下のビデオメッセージ [今上陛下]

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平成27年4月14日に、「第7回世界水フォーラム」が、大韓民国大邱市で開催され、皇太子殿下は直接ご出席されませんでしたが、ご自身のビデオメッセージを送られました。

宮内庁のホームページ(http://www.kunaicho.go.jp/)に、皇太子殿下のビデオメッセージと、メッセージの全文(日本語、英語)が掲載されています。文章だけではなく、ビデオを拝聴できることはとても有難いことです。

皇太子殿下のメッセージを読ませていただきました。
いつも思うのですが、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下のお言葉を拝読すると、どんな疲れた時でも、希望と元気を与えられます。

「私たちが,世界の全ての人々に安全な水と衛生や,水災害からのより良い備えを届けたいと強く願い続けることで,科学技術が発展し,たとえ道は遠くとも,水と衛生へのアクセスや水災害からの改善が一歩一歩かなえられていくのではないでしょうか。」
(「宮内庁ホームページ、第7回世界水フォーラムにおける皇太子殿下ビデオメッセージ」より)

「世界の全ての人々に安全な水と衛生や、水災害からのより良い備えを届けたいと強く願い続けることで(中略)、たとえ道は遠くとも、水と衛生へのアクセスや水災害からの改善が一歩一歩かなえられていくのではないでしょうか」

良いことの実現を、「強く願い続けることで」、「改善が一歩一歩かなえられる」、
それはすべての事柄に通じる希望に満ちたお言葉だと思います。

何事にも希望を失わず、改善を一歩一歩かなえていきたいと思います。

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人類みな兄弟 [今上陛下]

 前回は、「いのちをくれた人」ということで自分のいのちをさかのぼる話を書きました。自分のいのちをどこまでもさかのぼると人類の最初の祖先に行きつきますが、その祖先は東アフリカで誕生したという説があるそうです。

 平成25年3月6日のアメリカ・ニューヨークの国連における「水と災害に関する特別セッション」の基調講演において、皇太子殿下は、次のように述べられました。皇太子殿下の基調講演の御文章は宮内庁のホームページから引用させていただきました。

 「東アフリカで誕生した人類の中の一握りの人々が,約5万年~10万年前に世界を巡る“人類の壮大な旅(Great Human Journey)”に出発し,その結果として現在のように人類が世界全体に広まったとの説は,多彩にみえる地球上の私達が同じ先祖を持つという点で実に魅力的です。」

(宮内庁ホームページ、国連水と災害に関する特別会合における皇太子殿下基調講演
「人と水災害の歴史を辿る-災害に強い社会の構築のための手掛かりを求めて-」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/koen/koen-h25az-kokuren.html より)

 「多彩に見える地球上の私たちが同じ先祖を持つという点で実に魅力的です」とのお言葉を拝見し、安心感と静かな喜びを覚えました。 地球上の人類は、5万年~10万年の時を経る間に、移住した土地や気候に合わせて、肌の色、顔の特徴、身長、多彩に変化しましたが、それでも同じ先祖を持つということは、まさに人類はみな兄弟だということであり、「実に魅力的」な説だと思います。
 もともと兄弟同士であるのに、民族の違い、国の違いを理由に互いに争ったり殺し合ったりするのは、とても残念なことです。

 明治神宮発行のカレンダーに月替わりで明治天皇または昭憲皇太后のお言葉が掲載されていますが、今月1日にカレンダーをめくって、2月の御製(天皇陛下がお詠みになった短歌)があります。

 「よもの海みなはらからと思う世に
  など波風の立ちさわぐらむ

  人類みな兄弟だと思っている世の中で、
  どうして、いつまでも争いの波風がたちさわぐのでしょうか」
  (明治神宮発行、平成二十七年カレンダー、2月)

 兄弟でも意見が異なれば、けんかになることもあるでしょう。遠い昔に分かれた「兄弟」であればなおさらのことです。それでも相手のことを思いやる気持ちがあれば、やがて仲直りをして、相手をもっと深く知ることができます。そのような世界の実現を切に願い祈っていきたいと思います。

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