天皇の御歌(65)―第124代・昭和天皇―「昭和の日」 [昭和天皇]
今日は「昭和の日」です。
コトバンクには、「昭和の日」が次のように説明されています。
『国民の祝日の一つ。4月 29日。昭和天皇の誕生日であったが,1989年の死去に伴いみどりの日として制定された。 2007年国民の祝日に関する法律の改正によって,みどりの日は5月4日に変更され,4月 29日は新たに昭和の日となった。「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす」ことをその趣旨としている。』
2007年に「みどりの日」から「昭和の日」になりました。
激動の昭和を国民と共に乗り越えて来られた昭和天皇様を思いますと胸に迫る思いがあります。昭和天皇様に感謝と尊敬の意を込めて、御製を学ばせていただきます。
御在世:1901―1989(崩御・87歳)
御在位:1926―1989(26歳~87歳)
☆☆☆
“(昭和21年―1946―御年46歳
*新日本建設に関する詔書發布。極東軍事裁判開廷
戦災地視察(註・2月19日神奈川県を御巡幸、これより御巡幸全國に及ぶ)”
戦(たたかひ)の わざわひうけし 國民を おもふ心に いでたちて來ぬ
わざわひを わすれて われを出むかふる 民の心を うれしとぞ おもふ
國をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし
皇居内の勤労奉仕者
をちこちの 民のまゐきて うれしくぞ 宮居のうちに 今日もまたあふ”
(pp401~402)
“昭和22年―1947―御年47歳)”
帝室林野局移管
うつくしく 森をたもちて わざはひの 民におよぶを さけよとぞおもふ
こりて世に いだしはすとも 美しく たもて森をば 村のをさたち
(*こりて=木を伐って)”
(p402)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
初めの3首は、昭和天皇の全国御巡幸を詠まれた御製です。
昭和天皇の全国御巡幸
https://ironna.jp/article/1303
4首目は、皇居勤労奉仕(現在の皇居清掃奉仕)の初めの時の御製です。
https://fng.or.jp/koukyo/2019/07/02/post_248/
5、6首目は、皇室の御料林が国有財産となり、帝室林野局が廃止になった時の御製です。
言葉の意味
御料林(ごりょうりん):明治憲法下で皇室財産であった森林
帝室林野局(ていしつりんやきょく):
『戦後の編入
GHQによる宮内省組織の縮小要求や農林省との林野行政を巡る対立を避けるための「林政統一」論に押される形で1947年3月31日に帝室林野局は廃止され、残された御料林は翌4月1日付で農林省林野局(後の林野庁)管轄の国有林に編入された。』(Wikipedia 「帝室林野局」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%AE%A4%E6%9E%97%E9%87%8E%E5%B1%80
[御製について]
昭和天皇の御製は分かりやすいお言葉なのでそれぞれの大意は省かせていただきます。
1~4首目は、昭和天皇とお迎えした民の心、お応えする青年団の心の通い合いが生き生きと感じられます。
5首目は、森の木々を伐採し過ぎると水害などの元になるので、美しく森をたもってほしいとの御製、6首目は、それまで皇室の管理下にあった御料林が国有林になるに当たって、管理を託された村のをさ(長)、地域の首長に、利益を得るために森林を伐採することがあっても、森全体を美しくたもってほしいとの願いを託された御製だと思います。
[感想]
戦災地視察が、戦災で傷ついた人々の心にどれほど希望の灯をともし、その後の戦後復興につながったことかと、当時が偲ばれます。
特に感慨を覚えるのは、共産党系の一団が、天皇のひとことで全員泣きだし、後に天皇制護持論者に転向したとの記事です。
☆☆
九州巡幸のさいの24年5月22日、佐賀県基山町の因通寺境内の戦災孤児収容施設「洗心寮」をお訪ねになった。住職、調寛雅(74)が父から引き継いで運営しており、多くはフィリピンなどからの引揚孤児。天皇は「お健やかにね」と子供たちの頭をなでられ、山門を後にされた。
このとき、調にはひとつ気になることがあった。沿道にシベリア帰りの共産党系の一団が戦争責任を追及しようと待ち構えていたのだ。
だが、天皇のひとことが、心配を吹き飛ばす。彼らの前で立ち止まられてリーダーのMに「長い間、外国で苦労をさせて申し訳ない。これからは日本再建のためにしっかり頑張ってほしい」と帽子を取られた。Mに感動の衝撃が走った。全員泣き出し、後に天皇制護持論者に転向した。
https://ironna.jp/article/1303?p=3
☆☆
同様の話が、九州だけでなく各地で起こったことと、聞いております。陛下のご慈愛あふれるひとことに、共産党系の人々、天皇制反対の人々が、一度に天皇制護持論者になってしまうことに深い感慨を覚えます。
平成の御代においても、同じことが各地で起こったのだと拝察申し上げます。ご慈愛あふれる大御心は、平成の御代になって上皇・上皇后様の、震災、水害の被災地ご訪問、海外の戦没者慰霊の旅になって引き継がれ、令和の天皇・皇后さまにも引き継がれています。
皇居勤労奉仕は、宮城県栗原郡青年団の自発的な荒廃している皇居内外の清掃奉仕を許してほしいとの申し出から始まりました。占領下にあって、身の危険をかえりみずに、清掃奉仕を発願した宮城県栗原郡青年団に、深く敬意を表します。昭和天皇様のお喜びも一入であったことと拝察申し上げます。
私も皇居清掃奉仕に何回か参加いたしましたが、その感激も、宮城県の青年団から初まったことを思い起こし、あらためて当時の青年団と関係者の皆様に、感謝を表したいと思います。
御料林が国有林になった時の御製は、上皇様、天皇様の全国植樹祭における、国民と共に、森林を大切になさる御心につながっていると拝察申し上げます。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって良い祝日でありますよう、お祈り申し上げます。
コトバンクには、「昭和の日」が次のように説明されています。
『国民の祝日の一つ。4月 29日。昭和天皇の誕生日であったが,1989年の死去に伴いみどりの日として制定された。 2007年国民の祝日に関する法律の改正によって,みどりの日は5月4日に変更され,4月 29日は新たに昭和の日となった。「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす」ことをその趣旨としている。』
2007年に「みどりの日」から「昭和の日」になりました。
激動の昭和を国民と共に乗り越えて来られた昭和天皇様を思いますと胸に迫る思いがあります。昭和天皇様に感謝と尊敬の意を込めて、御製を学ばせていただきます。
御在世:1901―1989(崩御・87歳)
御在位:1926―1989(26歳~87歳)
☆☆☆
“(昭和21年―1946―御年46歳
*新日本建設に関する詔書發布。極東軍事裁判開廷
戦災地視察(註・2月19日神奈川県を御巡幸、これより御巡幸全國に及ぶ)”
戦(たたかひ)の わざわひうけし 國民を おもふ心に いでたちて來ぬ
わざわひを わすれて われを出むかふる 民の心を うれしとぞ おもふ
國をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし
皇居内の勤労奉仕者
をちこちの 民のまゐきて うれしくぞ 宮居のうちに 今日もまたあふ”
(pp401~402)
“昭和22年―1947―御年47歳)”
帝室林野局移管
うつくしく 森をたもちて わざはひの 民におよぶを さけよとぞおもふ
こりて世に いだしはすとも 美しく たもて森をば 村のをさたち
(*こりて=木を伐って)”
(p402)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
初めの3首は、昭和天皇の全国御巡幸を詠まれた御製です。
昭和天皇の全国御巡幸
https://ironna.jp/article/1303
4首目は、皇居勤労奉仕(現在の皇居清掃奉仕)の初めの時の御製です。
https://fng.or.jp/koukyo/2019/07/02/post_248/
5、6首目は、皇室の御料林が国有財産となり、帝室林野局が廃止になった時の御製です。
言葉の意味
御料林(ごりょうりん):明治憲法下で皇室財産であった森林
帝室林野局(ていしつりんやきょく):
『戦後の編入
GHQによる宮内省組織の縮小要求や農林省との林野行政を巡る対立を避けるための「林政統一」論に押される形で1947年3月31日に帝室林野局は廃止され、残された御料林は翌4月1日付で農林省林野局(後の林野庁)管轄の国有林に編入された。』(Wikipedia 「帝室林野局」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%AE%A4%E6%9E%97%E9%87%8E%E5%B1%80
[御製について]
昭和天皇の御製は分かりやすいお言葉なのでそれぞれの大意は省かせていただきます。
1~4首目は、昭和天皇とお迎えした民の心、お応えする青年団の心の通い合いが生き生きと感じられます。
5首目は、森の木々を伐採し過ぎると水害などの元になるので、美しく森をたもってほしいとの御製、6首目は、それまで皇室の管理下にあった御料林が国有林になるに当たって、管理を託された村のをさ(長)、地域の首長に、利益を得るために森林を伐採することがあっても、森全体を美しくたもってほしいとの願いを託された御製だと思います。
[感想]
戦災地視察が、戦災で傷ついた人々の心にどれほど希望の灯をともし、その後の戦後復興につながったことかと、当時が偲ばれます。
特に感慨を覚えるのは、共産党系の一団が、天皇のひとことで全員泣きだし、後に天皇制護持論者に転向したとの記事です。
☆☆
九州巡幸のさいの24年5月22日、佐賀県基山町の因通寺境内の戦災孤児収容施設「洗心寮」をお訪ねになった。住職、調寛雅(74)が父から引き継いで運営しており、多くはフィリピンなどからの引揚孤児。天皇は「お健やかにね」と子供たちの頭をなでられ、山門を後にされた。
このとき、調にはひとつ気になることがあった。沿道にシベリア帰りの共産党系の一団が戦争責任を追及しようと待ち構えていたのだ。
だが、天皇のひとことが、心配を吹き飛ばす。彼らの前で立ち止まられてリーダーのMに「長い間、外国で苦労をさせて申し訳ない。これからは日本再建のためにしっかり頑張ってほしい」と帽子を取られた。Mに感動の衝撃が走った。全員泣き出し、後に天皇制護持論者に転向した。
https://ironna.jp/article/1303?p=3
☆☆
同様の話が、九州だけでなく各地で起こったことと、聞いております。陛下のご慈愛あふれるひとことに、共産党系の人々、天皇制反対の人々が、一度に天皇制護持論者になってしまうことに深い感慨を覚えます。
平成の御代においても、同じことが各地で起こったのだと拝察申し上げます。ご慈愛あふれる大御心は、平成の御代になって上皇・上皇后様の、震災、水害の被災地ご訪問、海外の戦没者慰霊の旅になって引き継がれ、令和の天皇・皇后さまにも引き継がれています。
皇居勤労奉仕は、宮城県栗原郡青年団の自発的な荒廃している皇居内外の清掃奉仕を許してほしいとの申し出から始まりました。占領下にあって、身の危険をかえりみずに、清掃奉仕を発願した宮城県栗原郡青年団に、深く敬意を表します。昭和天皇様のお喜びも一入であったことと拝察申し上げます。
私も皇居清掃奉仕に何回か参加いたしましたが、その感激も、宮城県の青年団から初まったことを思い起こし、あらためて当時の青年団と関係者の皆様に、感謝を表したいと思います。
御料林が国有林になった時の御製は、上皇様、天皇様の全国植樹祭における、国民と共に、森林を大切になさる御心につながっていると拝察申し上げます。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって良い祝日でありますよう、お祈り申し上げます。
タグ:皇居清掃奉仕
皇位継承を巡る有識者会議第2回ヒアリング―傾聴すべき女系容認の意見 [皇室典範改正]
去る4月21日、皇位継承を巡る有識者会議の第2回ヒアリングが実施されました。有識者としては、3回目です。(1回目は顔合わせでした)
ヒアリングの模様について、歴史の専門家ら4人の名前と意見の概要が東京新聞ウェブ版に報道されています。以下に引用します。
☆☆☆
『政府は21日、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾長)の第3回会合を開き、歴史の専門家ら4人からヒアリングを実施した。女性天皇を認めるべきだとの意見が多数出たほか、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」の創設を求める声も上がった。』
(「女性天皇認めるべき」の意見が多数 女性宮家創設の声も 皇位継承策の有識者会議)
2021年4月21日 20時04分 東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/99593)
☆☆☆
東京新聞によれば、ヒアリングを行った4人と各意見の要点は以下の通りです。
○今谷明(いまたに あきら)・国際日本文化研究センター名誉教授(日本中世史)
意見:女性宮家は「早く創設」すべき、父方が天皇の血筋を引く男系の男子に限定する継承資格を、女系や男系女子に広げるかどうかの結論を出すのは時期尚早。
○所功(ところ いさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)
意見:男系男子を優先しつつ、一代限りで男系女子まで認めるのは「可能であり必要」。
○古川隆久(ふるかわ たかひさ)・日本大学文理学部教授(日本近現代史)
意見:母方に血筋がある女系天皇に賛成。女性天皇は安定的な継承策の「抜本的な解決策とならない」と指摘、女系容認とセットなら賛同。
○本郷恵子(ほんごう けいこ)・東大史料編纂所所長(日本中世史の専門家)
意見:女系、女性天皇いずれにも賛意を示す。
神道学者・高森明勅氏がブログで本郷恵子氏の説明資料から傾聴すべき点を引用しています。同ブログでは、古川隆久氏の説明資料についても簡単にコメントしています。
☆☆☆
『本郷氏の説明資料から。
「〔皇位継承資格を男系男子に限定する現在の制度について〕今日の家族観や性別についての考え方からすれば、男女の別のみにもとづいて、このような身の振り方を分けるやり方には疑問を感じざるをえない」
「〔内親王・女王に皇位継承資格を認めることについて〕少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実は、たとえば他の大臣・大納言のような役職には決してみられないものである。天皇は…必ずしも女子を排除する存在ではないと考えられる。
また、中世には内親王が、皇室領の継承者・天皇家の構成員の庇護者としてあらわれるなど、確固たる役割を担った事例がみられる。このような歴史的事実を踏まえれば、内親王・女王への皇位継承資格の拡大という措置は、驚くべき展開ではなく、一定の根拠をもつものと理解することができる」
「〔皇位継承資格の女系への拡大について〕女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば、男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的な筋道にかなったやり方である。皇位継承資格の女系への拡大は当然であろう。…女系による皇位継承は先例のないことではあるが、長きにわたる天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、その価値を再認識する意義を持つであろう」
「〔皇統に属する国民男性の皇籍取得について〕旧宮家が皇籍を離脱して以来、すでに70年以上が経過しており、国民にとっては全く遠い存在となっている。皇統に属する男子というだけでは、皇位継承資格者として現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないだろうか。
また…〔養子縁組や別に皇籍を取得する場合〕いずれにしても、皇統に属する男系の男子のなかから、なんらかの選択を行うことになるだろうし、当事者の側の希望や事情なども勘案する必要があるだろう。…厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合を除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないだろうか」
「天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきた。この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないだろうか」
傾聴すべき指摘が含まれている。
古川氏の説明資料も、もとよりそのまま支持し難い箇所も見掛けるが、興味深い。同資料の脚注に、平成17年6月8日の皇室典範有識者会議のヒアリングでの私の意見陳述を取り上げて戴いたのは光栄だ。』
「4月21日、皇位継承有識者会議ヒアリングでの女性・女系容認論」2021.4.24【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/post/210424)
☆☆☆
中世史専門家の本郷氏の指摘はそれぞれ傾聴すべきことが述べられていると私も思います。要点を書き出してみます。
① 少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実は…天皇は…必ずしも女性を排除する存在ではない。
② 中世には内親王が[天皇家において]確固たる役割を担った事例が見られ、この歴史的事実を踏まえれば内親王・女王への皇位継承資格の拡大は一定の根拠を持つと理解できる。
③ 女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的筋道にかなったやり方であり、皇位継承資格の女系への拡大は当然である。
④ 女系による皇位継承は先例のないことであるが、天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、伝統の価値を再認識する意義を持つ。
⑤ 旧宮家が皇籍を離脱してすでに70年以上が経過しており国民にとって遠い存在になっている。皇統に属する男子というだけでは、現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないか。
⑥ [養子縁組や皇籍を取得する場合]皇統に属する男系男子のなかからなんらかの選択を行うことになり、当事者の側の希望や事情を勘案する必要がある。
⑦ 厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合を除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないか。
⑧ 天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきたが、この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないか。
[感想]
特に⑧は重要な指摘だと思いました。天皇制とは何なのか、なぜ必要なのか、それとも不要なのか、なぜ2681年(皇紀)も続いて来たのか。天皇制はなんとなく必要だろうと思いながら、国民全体でその必要性を検証するということは、歴史始まって以来のことではないでしょうか。
このたび、国民が天皇制を今後も存続させるという意思を持ち、皇統継承について重要な決定に関与することによって自信を持つことができるのは、とても価値あることだと思います。
敗戦後、日本国に対して自信を喪失した日本人でしたが、今日ではようやく日本の歴史や伝統の価値が再認識されるようになってきました。世界の国々にも、アニメ文化など日本の良いものが発信されています。もちろん、改善すべき点も残されていますが。
天皇、皇室とは日本国民にとって何なのかを深く見直すために、今日の問題が起こってきたのかも知れない、ピンチはチャンスということを思わせられます。
なお、古川隆久氏の説明資料は、以下の通り、ネットに公開されています。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou4.pdf
高森氏は古川氏の資料について「もとよりそのまま支持し難い箇所も見掛けるが、興味深い。」と指摘しています。私はまだ深く読み込んでいなくて「もとよりそのまま支持しがたい箇所」を理解していませんが、興味のある方はどうぞご覧ください。
今日も読んでいただき、有難うございました。
街はすっかり初夏の装いになりました。行く場所が限られるかもしれませんが、それぞれに良い週末を過ごされますよう、お祈り申し上げます。
ヒアリングの模様について、歴史の専門家ら4人の名前と意見の概要が東京新聞ウェブ版に報道されています。以下に引用します。
☆☆☆
『政府は21日、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾長)の第3回会合を開き、歴史の専門家ら4人からヒアリングを実施した。女性天皇を認めるべきだとの意見が多数出たほか、女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」の創設を求める声も上がった。』
(「女性天皇認めるべき」の意見が多数 女性宮家創設の声も 皇位継承策の有識者会議)
2021年4月21日 20時04分 東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/99593)
☆☆☆
東京新聞によれば、ヒアリングを行った4人と各意見の要点は以下の通りです。
○今谷明(いまたに あきら)・国際日本文化研究センター名誉教授(日本中世史)
意見:女性宮家は「早く創設」すべき、父方が天皇の血筋を引く男系の男子に限定する継承資格を、女系や男系女子に広げるかどうかの結論を出すのは時期尚早。
○所功(ところ いさお)・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)
意見:男系男子を優先しつつ、一代限りで男系女子まで認めるのは「可能であり必要」。
○古川隆久(ふるかわ たかひさ)・日本大学文理学部教授(日本近現代史)
意見:母方に血筋がある女系天皇に賛成。女性天皇は安定的な継承策の「抜本的な解決策とならない」と指摘、女系容認とセットなら賛同。
○本郷恵子(ほんごう けいこ)・東大史料編纂所所長(日本中世史の専門家)
意見:女系、女性天皇いずれにも賛意を示す。
神道学者・高森明勅氏がブログで本郷恵子氏の説明資料から傾聴すべき点を引用しています。同ブログでは、古川隆久氏の説明資料についても簡単にコメントしています。
☆☆☆
『本郷氏の説明資料から。
「〔皇位継承資格を男系男子に限定する現在の制度について〕今日の家族観や性別についての考え方からすれば、男女の別のみにもとづいて、このような身の振り方を分けるやり方には疑問を感じざるをえない」
「〔内親王・女王に皇位継承資格を認めることについて〕少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実は、たとえば他の大臣・大納言のような役職には決してみられないものである。天皇は…必ずしも女子を排除する存在ではないと考えられる。
また、中世には内親王が、皇室領の継承者・天皇家の構成員の庇護者としてあらわれるなど、確固たる役割を担った事例がみられる。このような歴史的事実を踏まえれば、内親王・女王への皇位継承資格の拡大という措置は、驚くべき展開ではなく、一定の根拠をもつものと理解することができる」
「〔皇位継承資格の女系への拡大について〕女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば、男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的な筋道にかなったやり方である。皇位継承資格の女系への拡大は当然であろう。…女系による皇位継承は先例のないことではあるが、長きにわたる天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、その価値を再認識する意義を持つであろう」
「〔皇統に属する国民男性の皇籍取得について〕旧宮家が皇籍を離脱して以来、すでに70年以上が経過しており、国民にとっては全く遠い存在となっている。皇統に属する男子というだけでは、皇位継承資格者として現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないだろうか。
また…〔養子縁組や別に皇籍を取得する場合〕いずれにしても、皇統に属する男系の男子のなかから、なんらかの選択を行うことになるだろうし、当事者の側の希望や事情なども勘案する必要があるだろう。…厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合を除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないだろうか」
「天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきた。この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないだろうか」
傾聴すべき指摘が含まれている。
古川氏の説明資料も、もとよりそのまま支持し難い箇所も見掛けるが、興味深い。同資料の脚注に、平成17年6月8日の皇室典範有識者会議のヒアリングでの私の意見陳述を取り上げて戴いたのは光栄だ。』
「4月21日、皇位継承有識者会議ヒアリングでの女性・女系容認論」2021.4.24【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/post/210424)
☆☆☆
中世史専門家の本郷氏の指摘はそれぞれ傾聴すべきことが述べられていると私も思います。要点を書き出してみます。
① 少数であれ、天皇位に就いた女性がいたという事実は…天皇は…必ずしも女性を排除する存在ではない。
② 中世には内親王が[天皇家において]確固たる役割を担った事例が見られ、この歴史的事実を踏まえれば内親王・女王への皇位継承資格の拡大は一定の根拠を持つと理解できる。
③ 女性皇族に皇位継承資格を認めるのであれば男性皇族と同じ条件で処遇するのが論理的筋道にかなったやり方であり、皇位継承資格の女系への拡大は当然である。
④ 女系による皇位継承は先例のないことであるが、天皇の歴史を十分に理解したうえで、新しい段階に歩を進める決断をすることは、伝統を更新し、伝統の価値を再認識する意義を持つ。
⑤ 旧宮家が皇籍を離脱してすでに70年以上が経過しており国民にとって遠い存在になっている。皇統に属する男子というだけでは、現在の女性皇族を上回る説得力を持つとは考えられないのではないか。
⑥ [養子縁組や皇籍を取得する場合]皇統に属する男系男子のなかからなんらかの選択を行うことになり、当事者の側の希望や事情を勘案する必要がある。
⑦ 厳密な血統継承には人智を超えた部分があり、(婚姻によって皇族となる場合を除き)選択や希望の結果として皇族になるというのは、そぐわないのではないか。
⑧ 天皇制は、明確な検証を経ないまま続いてきたが、この機会に女性・女系への継承資格の拡大が実現すれば、国民たる私たちは、天皇制の存続について非常に重要な決定を行ったという、大きな自信を持つことができるのではないか。
[感想]
特に⑧は重要な指摘だと思いました。天皇制とは何なのか、なぜ必要なのか、それとも不要なのか、なぜ2681年(皇紀)も続いて来たのか。天皇制はなんとなく必要だろうと思いながら、国民全体でその必要性を検証するということは、歴史始まって以来のことではないでしょうか。
このたび、国民が天皇制を今後も存続させるという意思を持ち、皇統継承について重要な決定に関与することによって自信を持つことができるのは、とても価値あることだと思います。
敗戦後、日本国に対して自信を喪失した日本人でしたが、今日ではようやく日本の歴史や伝統の価値が再認識されるようになってきました。世界の国々にも、アニメ文化など日本の良いものが発信されています。もちろん、改善すべき点も残されていますが。
天皇、皇室とは日本国民にとって何なのかを深く見直すために、今日の問題が起こってきたのかも知れない、ピンチはチャンスということを思わせられます。
なお、古川隆久氏の説明資料は、以下の通り、ネットに公開されています。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai3/siryou4.pdf
高森氏は古川氏の資料について「もとよりそのまま支持し難い箇所も見掛けるが、興味深い。」と指摘しています。私はまだ深く読み込んでいなくて「もとよりそのまま支持しがたい箇所」を理解していませんが、興味のある方はどうぞご覧ください。
今日も読んでいただき、有難うございました。
街はすっかり初夏の装いになりました。行く場所が限られるかもしれませんが、それぞれに良い週末を過ごされますよう、お祈り申し上げます。
有識者会議に関する質問に対する政府答弁書―皇位継承順位等について [皇室典範改正]
去る4月8日、退位特例法の附帯決議に応える為の有識者会議に関し、国民民主党の山尾志桜里衆院議員から、以下の3点について質問主意書が政府に提出されました。
これに対して4月20日、皇位の安定的継承を検討する有識者会議における議論は、「現在の皇位継承順位を前提にしない」との政府見解が答弁書として示されました。
現在の皇位継承順位は皇嗣の秋篠宮様が第一位ですが、皇室典範が改正されれば、その順位が変更になり、愛子様が皇太子になって継承順位第一位になることも、有識者会議で検討されるということが示されました。このことについて、当ブログでは、4月13日に取り上げています。現在の継承順位を変えることも検討できることが分かって、一安心です。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-04-13
質問の趣旨と、政府の答弁書はおよそ次の通りです。高森明勅氏ブログより引用します。
https://www.a-takamori.com/post/210422
☆☆☆
[質問の主旨]
①皇位継承の順位について、「現在の順位を変えない」ことが前提になっているのか?
②ヒアリングの聴取項目に「(現在、皇族でない)皇統に属する男系の男子」とある(項目9)のは、いわゆる旧宮家に限定されないように読み取れるが、どのような対象を想定しているのか?
③今後のスケジュールについて。
これに対し、政府から4月20日に答弁書が示された。回答はおよそ以下の通り。
①「(附帯決議に示された課題について)予断を持つことなく議論していただきたいと考えている」。
②「具体的なものが念頭に置かれているものではない」
③「落ち着いた議論をしっかり行っていただきたいということで、スケジュールというものを具体的にお示しをしているわけではございません。そうした進め方を含めて、会議のメンバーの皆さんに、附帯決議も前提によくお考えいただきたい」(加藤勝信内閣官房長官、令和3年3月26日、参院予算委員会)との答弁の通り。
(「政府答弁書、有識者会議は現在の皇位継承順位を前提にせず!」2021.4.22【高森明勅公式サイト】https://www.a-takamori.com/post/210422)
☆☆☆
予断を持つことなく、というのは、前もって判断することなく、という意味です。すなわち、現在の皇位継承順位を変えることも議論できるということになります。
現在の皇位継承順位は皇嗣の秋篠宮様が第一位ですが、皇室典範が改正されれば、その順位が変更になり、愛子様が皇太子になって継承順位第一位になることも、有識者会議で検討されることになります。
国民の80%が天皇直系の愛子様が天皇になられることに賛成しています。現在の皇室典範でも、直系のお子様優先という精神で構成されています。
直系長子のお子様が、男性だけでなく女性でも皇位継承できるという典範改正が、皇室の存続と安泰のための最良の策であると思います。そのような改正が実現することを心から願っています。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、生き生きとした1日でありますようお祈り申し上げます。
これに対して4月20日、皇位の安定的継承を検討する有識者会議における議論は、「現在の皇位継承順位を前提にしない」との政府見解が答弁書として示されました。
現在の皇位継承順位は皇嗣の秋篠宮様が第一位ですが、皇室典範が改正されれば、その順位が変更になり、愛子様が皇太子になって継承順位第一位になることも、有識者会議で検討されるということが示されました。このことについて、当ブログでは、4月13日に取り上げています。現在の継承順位を変えることも検討できることが分かって、一安心です。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-04-13
質問の趣旨と、政府の答弁書はおよそ次の通りです。高森明勅氏ブログより引用します。
https://www.a-takamori.com/post/210422
☆☆☆
[質問の主旨]
①皇位継承の順位について、「現在の順位を変えない」ことが前提になっているのか?
②ヒアリングの聴取項目に「(現在、皇族でない)皇統に属する男系の男子」とある(項目9)のは、いわゆる旧宮家に限定されないように読み取れるが、どのような対象を想定しているのか?
③今後のスケジュールについて。
これに対し、政府から4月20日に答弁書が示された。回答はおよそ以下の通り。
①「(附帯決議に示された課題について)予断を持つことなく議論していただきたいと考えている」。
②「具体的なものが念頭に置かれているものではない」
③「落ち着いた議論をしっかり行っていただきたいということで、スケジュールというものを具体的にお示しをしているわけではございません。そうした進め方を含めて、会議のメンバーの皆さんに、附帯決議も前提によくお考えいただきたい」(加藤勝信内閣官房長官、令和3年3月26日、参院予算委員会)との答弁の通り。
(「政府答弁書、有識者会議は現在の皇位継承順位を前提にせず!」2021.4.22【高森明勅公式サイト】https://www.a-takamori.com/post/210422)
☆☆☆
予断を持つことなく、というのは、前もって判断することなく、という意味です。すなわち、現在の皇位継承順位を変えることも議論できるということになります。
現在の皇位継承順位は皇嗣の秋篠宮様が第一位ですが、皇室典範が改正されれば、その順位が変更になり、愛子様が皇太子になって継承順位第一位になることも、有識者会議で検討されることになります。
国民の80%が天皇直系の愛子様が天皇になられることに賛成しています。現在の皇室典範でも、直系のお子様優先という精神で構成されています。
直系長子のお子様が、男性だけでなく女性でも皇位継承できるという典範改正が、皇室の存続と安泰のための最良の策であると思います。そのような改正が実現することを心から願っています。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、生き生きとした1日でありますようお祈り申し上げます。
タグ:女性天皇
天皇の御歌(64)―第121代・孝明天皇(3) [孝明天皇]
今日も、第121代・孝明天皇の御歌を学びます。3回目です。
御在世:1831―1866(崩御・36歳)
御在位:1846―1866(16歳~36歳)
最初に当時の時代背景、「攘夷論」と「開国論」の違いについての説明文を学びます。
文頭に「これらの諸国」とあるのは「和親条約」を調印した相手国、米国、ロシア、フランス、オランダ国のことです。
☆☆☆
“これらの諸国は、表では日本に開港の決意を促し、日本の啓蒙に援助の手を差し伸べてゐるかの如くであったが、内実は、各国それぞれに日本国土日本国土への勢力扶植を、虎視たんたんとして狙ってゐたのである。この時期の日本は、文字通り一歩誤れば、支那の二の舞を踏んで西欧諸国に蹂躙される危機にさらされていたのである。
(中略)
幕末の日本を説明するのに、攘夷論と開国論の二つの思想の対立があったとだけごく簡単に割り切ってしまって説明したり、さらには、それを解説して、前者を固陋なる保守派、後者を賢明なる進歩派としての価値判断の基準にしたりすることは、全く軽率きはまりないことであって、もしもこの様な教へ方が、今日の日本で流行してゐるとすれば、それはわが青少年を誤らしめるも甚だしいものであると思ふ。すなはち、当時攘夷論を唱へたといはれる人々―-孝明天皇をはじめ吉田松陰その他幕末の諸大名・志士たち――は、幕府側の主唱する開港論よりも。はるかに強い開国進取の気象(ママ)[気性?]、をその心中に蔵してゐたのであって、その志を達成するためには、先づ自国の独立を堅持できなくてはそれがかなへられないことを痛感してゐたので、あへて譲位を唱えたのであった。祖国日本の独立の堅持といふこの一点における深浅が、いはゆる攘夷論と開港論との分かれ目であったのである。当時諸外国に脅かされて無定見に条約締結にはいっていった幕府側の開港論を尊王攘夷派が徹底的に糾弾したのは、決して正しい開港に反対したのではなく、いはれなき屈従の故にで、あった。” (p319~320)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
言葉の意味など:
啓蒙けいもう):人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。
扶植(ふしょく):勢力などを、植えつけ拡大すること。
固陋(ころう):古い習慣や考えに固執して、新しいものを好まないこと。また、そのさま。
[感想]
私が子供の頃には、攘夷派は外国人を嫌って国に入れたくなかった頭の古い人々、開国派は時代に先駆けて鎖国を解こうとした人々と教えられました。
しかし、そんな単純な図式で明治の歴史を捉えると、攘夷派が明治時代になって積極的に開国政策に取り組んだこととの、つじつまが合わなくなってしまいます。
攘夷派の本心は、開国の必要性を承知しながら、日本の自主独立を保とうというものでした。開国にあたって、時の幕府のように西欧諸国の言いなりになることを嫌ったのです。
これは今の時代にも通じることですね。
攘夷派のように、日本の自主独立を志すのか。
開国派のように、グローバル化を無定見に取り入れて、日本占領以来の米国従属体制を堅持し続けるのか? 憲法改正にも、関わってくる事柄です。
御製の学びに移ります。
☆☆☆
“(安政4年―1857―御年27歳)
樹蔭流水(閏5月11日新造の御茶室・聴雪に渡御。和歌当座御会あり)
ときは木の かげをながるゝ 水の音に 心すゞしき 庭のおもかな”
“寄世祝(6月17日)
天地と ともに久しく 世の中の すゑがすゑまで 安けくもあれ”
(pp334~335)
(萬延2年、文久元年―1861―御年31歳)
6月2日長門藩主・毛利義親の臣・長井雅樂(うた)を以て義親へたまひたる
國の風 ふきおこしても あまつ日を もとの光に かへすをぞ待つ”
(pp335~336)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
言葉の意味:
ときは木:常磐木。松や杉などのように、年じゅう葉が緑色の木。常緑樹。
庭のおも:庭面。庭の表。
長門藩:長州藩
毛利義親(もうり たかちか/よしちか):長州藩の第13代藩主(安芸毛利家25代当主)。幕末の混乱期に有能な家臣を登用し活躍させ、若い才能を庇護することで長州藩を豊かにし幕末の雄藩に引き揚げ、結果として明治維新を成し遂げるきっかけを作った人物としても有名。
長井雅樂(ながい うた):江戸時代末期(幕末)の長州藩士。公武一和に基づいた『航海遠略策』を藩主に建白。一般的な呼び名である雅楽は通称で、諱は時庸(ときつね)
『航海遠略策』(こうかいえんりゃくさく):は、江戸時代末期(幕末)に浮上した政治・外交思想。(詳細は文末の参考資料参照)
國の風:国風は、その国や地方独特の風俗や習慣。 くにぶり。
吹きおこす:① 風をおこす。 ② 吹いて火を燃えたたせる。
天つ日:天の日。太陽。日。
御歌の大意:
1首目
常緑樹の青々とした下蔭を流れる水の音に耳を傾けると心が涼しくなってくる庭の面です
2首目
天地とともに世の中がいついつまでも、末の末の御代までも安らかであってほしいものです
3首目
国(藩など)の風俗や慣習を吹きはらう風を起こして、太陽の光をもとのとおりにかえすのを待っています
[感想]
1首目。
新しく造られた茶室で和歌の会が開かれ、5月の新緑の時期に、その木陰をちょろちょろと流れる水の音に耳を傾けて涼しさを楽しまれる孝明天皇の御製。緊迫した世情を離れたつかの間の涼やかな時間をお過ごしになられたことを思うと心が和みます。
2首目。
(天地とともに久しく)「末が末まで」と繰り返されるお心持は如何ばかりだったことでしょう。一つ間違えば日本の国が西洋の国々に踏みにじられて大変な混乱が起こる。そのようなことにならないようにと祈られる大御心が切々と伝わって参ります。
3首目。
『航海遠略策』は『積極的に広く世界に通商航海して国力を養成し、その上で諸外国と対抗していこうとする「大攘夷」思想に通じる考えで、その精神自体は後の明治維新の富国強兵・殖産興業などにも影響を与えたとも言える』という策です。
孝明天皇は斬新なアイディアを進めるようにと、長井雅樂を遣わした長州藩主・毛利義親に御製でお答えになられました。新しい策を実行して日本を再び輝かせるようにと願われたのでした。
長井雅樂は、文久3年(1863年)長州藩の責任を全て取る形で切腹を命じられました。
幕末には、惜しい人材が処刑されたり、切腹を命じられたりしています。長井の切腹は二分された藩内を統一するという理由によるものでした。
明治維新に貢献した人々、とりわけ多くの人々を激励された孝明天皇のことの学びを重ねて、ご先祖のご苦労を偲びたいと思います。
今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ良い休日をお過ごしください。
***
参考資料:
『航海遠略策』(こうかいえんりゃくさく):は、江戸時代末期(幕末)に浮上した政治・外交思想。後述するように長州藩の長井雅楽(時庸)が文久元年(1861年)頃に提唱したものが特に有名である。他に佐久間象山、吉田松陰や平野国臣ら先駆的な思想家も同様な主張をしていたが、具体的な建白書の形にし、政治運動にまで盛り上げたのは長井によるものである。異人斬りに象徴される単純な外国人排斥である小攘夷や、幕府が諸外国と締結した不平等条約を破棄させる破約攘夷ではなく、むしろ積極的に広く世界に通商航海して国力を養成し、その上で諸外国と対抗していこうとする「大攘夷」思想に通じる考えで、その精神自体は後の明治維新の富国強兵・殖産興業などにも影響を与えたとも言えるが、この時点においては実行手段の具体性に欠け、また急速な尊王攘夷運動の高まりもあって、大きな政治運動となる前に挫折した。(Weblio辞書)
長井雅樂について(Wikipediaより)
文久2年(1862年)、幕府で公武合体を進めていた安藤や久世らが坂下門外の変で失脚すると藩内で攘夷派が勢力を盛り返し、長井の排斥運動が激しくなった。同年3月、再度入京したが、この頃には尊攘激派の台頭が著しく、岩倉具視や久坂らの朝廷工作もあり、長井の説は朝廷を誹謗するものとして聞き入れられず、敬親により帰国謹慎を命じられた。同年6月に免職され、帰国。翌、文久3年(1863年)、雅楽は長州藩の責任を全て取る形で切腹を命じられた。長井本人もこの措置には納得しておらず、また長井を支持する藩士はいまだ多くいたが、藩論が二分され、内乱が起きることを憂いて切腹を受け入れ、同年2月、萩城下、土原(ひじはら)の自邸にて、検視役正使国司親相の下に切腹した。享年45(満43才没)。長女・貞子は後に富岡製糸場で勤務した。
長井雅樂の辞世の句
今さらに何をか言わむ代々を経し君の恵みにむくふ身なれば
君がため捨つる命は惜しからで ただ思はるる国のゆくすえ
以上
皇室バッシングに思うこと(2) [皇室]
怒っているんだぞ! と見える切り株です。
ジャーナリストの笹幸恵氏が美智子様と雅子様のバッシングについてのブログを紹介します。
『』内が、大内糺(仮名)氏と、西尾幹二氏のバッシング記事です。
☆☆☆
“たとえば美智子さまが失声症になった端緒ともいえる
『宝島30』の大内糺(仮名)の記事に、こんな一文がある。
『正直申し上げて、バイニング夫人の教育を受けた今の陛下と、
クリスチャンの聖心女学院出身の皇后陛下に、
真に国民が望む天皇、皇后を体現されることを期待するのは、
いささか無理があるように思われる。』
またシリーズで取り上げた『WiLL』西尾幹二氏の
一連の記事では、雅子さまについて仮病だの
ワガママだのとバッシングした上で、こんな一文。
『日本人の信仰の中心であるご皇室に
反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、
やがて時間が経つと取り除くことができなくなる
「国難」について私は語ってきたつもりだ。
それは皇太子妃殿下の心に宿る「傲慢」の罪に
由来すると見た。』”
(「大衆はことごとく間違う。」2021.04.13 笹幸恵
https://www.gosen-dojo.com/blog/30595/)
+++++++++
大内糺(おおうちただす)(仮名)の意味
大内(おおうち):皇居。内裏。天皇の御所。
糺す(ただす):物事の理非を明らかにする。罪過の有無を追及する。
宮中を俺さまが糺すぞ!という仮名です。ずいぶん気負った名前ですね。
米国のバイニング夫人の教育を受けた上皇陛下、クリスチャンの聖心女学院を出た上皇后・美智子様に、「真に国民の望む天皇、皇后を体現されることを期待するのは、いささか無理がある」と言ってのけた大内氏(仮名)。
視野の狭さに思わず吹き出したくなるような文章です。平成という時代を振り返って、見事に象徴天皇を全うされ、国民の天皇制への人気を飛躍的に高められた上皇・上皇后陛下について、大内糺氏にもう一度、文章を発表してもらいたいものです。案外、別名ですでにお二方を絶賛する文章を書いていたりするかも知れません。雑誌が売れれば何でも良いのでしょうか。
そういえば今上陛下の皇太子時代にイギリス留学が決まったとき、「皇太子が外国留学するなど何事か! 外国から各教師を招いてご進講を受けるべきなのだ!」と憤慨していた某愛国団体のメンバーがいて、あっけにとられたことを思い出しました。外国留学の意義が分からないとは、江戸時代末期の尊皇攘夷思想から進歩していないのかなと思いました。
海外留学した人は「外国で生活すると日本に居る時より、日本を意識させられる」と口をそろえて言います。「日本はどんな国? 天皇はどんな人? 日本の歴史ってどうなの?」と質問攻めに会うからです。(中には海外が何でも日本より優れていると「海外では」、「海外では」と「海外でわの神」になってしまう人もあるようですが、そういう人は除くとして)日本の良さを再発見する人が多い、それが海外生活の意義だと思います。
西尾幹二氏の文章はさらにおどろおどろしいです。
『日本人の信仰の中心であるご皇室に
反日左翼の思想が芽生え、根づき、葉を広げ、
やがて時間が経つと取り除くことができなくなる
「国難」について私は語ってきたつもりだ。
それは皇太子妃殿下の心に宿る「傲慢」の罪に
由来すると見た。』
男系維持派には女系天皇を容認するのは「天皇が左傾化した」から「天皇は左翼に騙されている」からと思っている人があるようですが、この辺りにもその思想の片鱗がみられます。そういえば小泉政権の有識者会議の報告で女性の皇位継承、女性宮家案が発表された時、男系維持派が「左翼の陰謀だ!」と声高に叫んでいました。
西尾氏は、それが皇太子妃の「傲慢」の罪に由来すると見ていた、こう非難されて平静でいられる人はいないでしょう。気が弱ければ自殺したくなるかもしれません。皇后陛下はよく耐えて来られたと思います。そして即位祝賀パレードのあの輝く笑顔と涙…。敬服いたします。
最近、ネット上の悪口が若い女性プロレスラーを自殺に追い込んだことが話題になっています。本人に責任の無い事で不当にバッシングされて命を絶ってしまう、あってはならない、気の毒なことです。 再発を防ぐためにも、何らかの法的な保護が必要だと思います。
皇室について、国民の良識の高まりも必要ですが、マスコミが事実でない記事を、無責任に、金儲け主義で垂れ流している現状を見ると、国民の名誉棄損、侮辱罪に相当する罰則を設けることも必要なのではないかと思われます。
高森明勅氏が公式ブログで「象徴侮辱罪」(仮称)の創設などの問題に言及しています。
https://www.a-takamori.com/post/210406
罰則が強すぎて、言論の委縮につながるのには反対ですが、今のまま、マスコミの勝手放題を放置して良いとも思えません。
今日も読んでいただき有難うございました。
明日は土曜日ですね。よい週末をお過ごしください。
名誉を重んじること―小室圭さんの文書について [秋篠宮家]
4月8日に、眞子内親王との婚約が内定している小室圭さんの文書が発表されました。
ネットや週刊誌報道では小室さんに不利な話題ばかりが強調されているようです。
しかし、私は小室さんと眞子様のご結婚を応援しています。
大体、週刊誌というのは「あることないこと」どころか、「ないことないこと」を売り上げを確保するために書き立てるものです。その週刊誌にお母さんの元婚約者なる男性が記事の種を「匿名」で提供したことを知った時点から、違和感を覚えました。
この度、小室さんの文書を読んで、元婚約者の代理人を務めているのが弁護士資格のない、週刊現代の記者(匿名)であることを知って、最初の疑惑が一層深まりました。
それは元婚約者と「週刊現代」の記者がタッグを組んで、些細な事柄を皇室スキャンダルに仕立てて、「週刊現代」の売り上げに貢献しようと思ったのではないかということです。
○匿名の元婚約者、代理人は匿名の週刊現代記者
○実名公開の小室佳代さん、代理人は実名公開の上芝弁護士
この両者を比較しただけで、どちらがより誠実であるかと言えば、実名を公開されている側であると考えるのが常識ではないかと思います。
文書の中で、文書発表前から私の想像に一致していて、共感したた2点について、述べます。
☆☆
「金銭トラブルと言われている事柄に対する私や母の認識を公にすることを避けてきた理由は、元婚約者の方のプライバシーを必要以上に晒すことになる可能性もあると考えたためです。」
https://dot.asahi.com/dot/2021040800031.html?page=2
「借りたお金であろうがなかろうが一括でお金を渡せば済む話なのになぜそうしないのか、といった意見が当初からあることについては承知しています。どのみち支援を受けたのは事実なのだから元婚約者の方がお金を返して欲しいと言うのであれば渡せばよいではないか、たとえ元婚約者の方のおっしゃることが事実でないとしても支援に感謝しているのならお金を渡すべきだ、といった意見もあったと思います。それでもそうしなかったのは、どのような理由があろうと、早期解決と引き換えに借金でなかったものが借金であったことにされてしまう事態を受け入れることはできないと考えたからです。借金だったことにされてしまえば、元婚約者の方のおっしゃることが正しかったということになり、私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します。それを仕方のないことだとは思いませんでした。一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし、今でも、同じように受け止めています。」
https://dot.asahi.com/dot/2021040800031.html?page=4
☆☆
1点目
「私や母の認識を公にすることを避けてきた理由は、元婚約者の方のプライバシーを必要以上に晒すことになる可能性もあると考えたためです。」
週刊現代の記事が出た時に、早い時点でなぜ文書や記者会見で記事についての説明をしないのかと多くの人々が言っていましたが「お世話になった人をなるべく傷つけたくない、すぐに反論したら、匿名の相手のプライバシーを公に晒すことになる」という懸念は、世間ずれしていない佳代さんや小室さんにしてみれば、きわめて自然な感情だと思います。
できれば当事者間で静かに話し合いたいと交渉を続けて来たのに、その誠意を裏切った元婚約者と、記事を次々掲載した「週刊現代」側に、よほど非人情な恐ろしさを感じます。
2点目
「借金だったことにされてしまえば、元婚約者の方のおっしゃることが正しかったということになり、私や母は借金を踏み倒そうとしていた人間だったのだということになります。これは、将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続けるということを意味します。(中略) 一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし、今でも、同じように受け止めています。」
支援を受けたのだから、借金を踏み倒したと言われても、返すのが大人のやり方だという人々がありますが、私は「名誉」なんかどうでもよいではないか、お金を払って丸く収めればそれでよいという、事なかれ主義的な解決法は、大嫌いです。小さなことならやむをえずそうやって解決することもありますが、本件は小さなことではありません。
ですから、小室さんの、「名誉」を重んじる決意に、さわやかさを覚えます。今時、珍しいほど、真剣な生き方ができる人だと思います。小室さんの生真面目すぎる考え方を、世間知らずと受け取る人もあるかも知れませんが、私はとても共感できます。
小さな話ですが、名誉について、自分の中学生の時の体験を思い出しました。
今、思えば、それは「お金」ではなく、「名誉」の問題でした。
私は、母から「ウソツキは泥棒の始まり」と言われて育ったので、自分で言うのも変ですが、22歳まで生真面目に、ウソをつかない人生を過ごして来ました。(22歳の時、大人社会で痛い目にあって「ウソも方便」という処世術を知ってしまい、それからは小さいウソをつくこともあります)
そんな私が中学一年で初めて、小学校は徒歩だったので、電車通学をした時のことです。最初の定期券買い替えの時、うっかり期限を過ぎてしまったのです。
当時は自動改札ではなく、駅員さんが改札口に立って目視で確認していたので、乗車駅では、定期券の期限切れを見逃されました。
下車した学校最寄りの駅で、駅員さんがいきなり私の定期券を取り上げたのでびっくりしました。駅員さんから「期限が切れています」と叱られました。
運の悪いことに、前日は通っていた私立中学の創立記念日で、私の学校だけが休校でした、
駅員さんは、前日の分も支払いなさいというのですが、私は「昨日は創立記念日で休校でした。電車に乗っていません」といいました。駅員が「ウソをついてはいけない」というので、私は「ウソじゃありません」と押し問答になりました。
その時、私の中学校の年配の先生が改札を通りかけて、自分の学校の生徒が駅員と言い合っているのを見て、話に割って入ってきました。私は、(先生が昨日休校日だったと証言してくれる、そうすれば、私がウソをついたのでないことが分かる)と安心しました。
ところが予想に反して、先生は「早く、昨日の料金も支払いなさい」というのです。自分の学校の生徒が駅員と言い合っている場面は体面が悪いから一刻も早く解消したいという考えだったのでしょう。ともかく払いなさいの一点張りでした。
私は本当に腹が立ちました。お金の問題ではなく、自分がウソをついていないのに「ウソをついた生徒」のレッテルを張られることが、どうしても我慢できなかったのです。その場をとにかく丸く収めようという先生の態度が許せませんでした。
押し問答の末、駅員さんも私がウソをついていないことを信じてくれて、料金は当日分だけになりました。
その時のことを思い出しました。
先生はお金さえ払えばよいと思ったようですが、私はそこで折れなくてよかったと思います。折れていたら、それ以後、改札を通るたびにその時の屈辱感を思い出したことでしょう。
幼い中学生が乗車賃のことで「ウソをついた」と言われただけで、あれだけ悔しかったのですから、小室さんの気持ち、「借金を踏み倒した家族」の汚名をこれから家族になる眞子様にあるいは将来の子供たちに負わせたくないという気持ちがすごくよく分かる気がしました。
今日も読んでいただき有難うございました。
お健やかな一日でありますようお祈り申し上げます。
参考資料:
(「【速報】小室圭さん 文書発表!」2021年4月8日 愛子さま 皇太子への道
https://aiko-sama.com/archives/5187)
タグ:眞子さま
有識者会議と政府への質問主意書 [皇室典範改正]
先日、3月23日に「皇位の安定継承を目指す制度改正を検討する有識者会議」が初会合を開いたことをお知らせしました。
その後の経過をお伝えします。
1、4月8日に、櫻井よしこ氏ら5名から、第一回ヒアリングを実施。
2、同日(4月8日)、国民民主党の山尾志桜里衆院議員が同会議を巡り、政府への質問主意書を提出。
同主意書の質問事項は3項目です。
①皇位の継承順位について、一部の報道に「現在の順位を変えないことが前提」という趣旨の報道があった。現状からの変更の是非について、何らかの前提を置いているのかどうか。
②ヒアリングでの聴取項目の問9に「皇統に属する男系の男子」とあるのは、いわゆる“旧宮家”に限定されないようにも読み取れる。旧宮家を意味するのか、それとも対象となる範囲を広げているのか。仮に広げているとすれば、いかなる基準で、どこまで広げるのか。
③今後のスケジュールについて様々な報道がなされている(6月に会期末を迎える今国会中にもヒアリングを終え、成果をまとめて国会に報告。年内をめどに論点を整理。スケジュールありきではない)が、とりまとめの時期について方針を定めているのか。定めているならその方針を明らかにして欲しい。定めていないならば、いつ誰がどのように定めるのか。
[感想]
1、 について
4月8日のヒアリングの対象者は、ジャーナリストの岩井克己氏、笠原英彦・慶大教授、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、新田均・皇学館大教授、八木秀次・麗沢大教授。
櫻井よしこ氏、新田均氏、八木秀次氏は強固な男系男子支持者です。
笠原英彦氏は、上皇陛下の御譲位に反対した学者です。
岩井克己氏は、東宮(現在の今上陛下)を批判した著者を出版したジャーナリストです。
○女性天皇、女系天皇反対派、上皇陛下の譲位に反対、皇太子時代の天皇陛下を批判。
ヒアリング対象者5名は、思想が一つの方向に偏り過ぎていないかというのが、私の第一印象です。
また聴取項目の問9が、彼らの主張する旧宮家系男子による継承に最も関連があると思いますがそのことに触れた識者は少なかったそうです。(櫻井よし子氏が養子縁組に触れたそうですが)
彼らの意見は国民全体の声を反映しているのでしょうか? とてもそうは思えません。
念のため、退位特例法の附帯決議に対応する為の有識者会議の、専門家へのヒアリングを行う聴取項目を再度掲載します。
☆☆☆
問1、天皇の役割やご活動について。
問2、皇族の役割やご活動について。
問3、皇族数の減少について。
問4、皇位継承資格を「男系男子」に限定し、女性皇族はご婚姻と共に皇籍を離れられる現行制度の意義について。
問5、内親王・女王に皇位継承資格を認めること、その場合の継承順位について。
問6、皇位継承資格を女系に拡大すること、その場合の継承順位について。
問7、内親王・女王がご婚姻後も皇籍に留まられること、その場合、配偶者やお子様を皇族にすることについて。
問8、ご婚姻により皇籍を離れられた元女性皇族が皇室のご活動を支援することについて。
問9、皇族ではない皇統に属する男系の男子が①養子縁組や②そのままで新しく皇籍取得を可能にすること、その場合の継承順位について。
問10、皇位の安定継承、皇族数の減少への対策について、その他にどのようなものが考えられるか。
(「皇位の安定継承へ有識者会議」2021.3.17【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/post/210317)
☆☆☆
2、 山尾議員が、政府への質問主意書を提出したことについて
政府からの回答はまだ来ていないようです。
☆☆☆
①皇位の継承順位について、一部の報道に「現在の順位を変えないことが前提」という趣旨の報道があった。現状からの変更の是非について、何らかの前提を置いているのかどうか。
②ヒアリングでの聴取項目の問9に「皇統に属する男系の男子」とあるのは、いわゆる“旧宮家”に限定されないようにも読み取れる。旧宮家を意味するのか、それとも対象となる範囲を広げているのか。仮に広げているとすれば、いかなる基準で、どこまで広げるのか。
③今後のスケジュールについて様々な報道がなされている(6月に会期末を迎える今国会中にもヒアリングを終え、成果をまとめて国会に報告。年内をめどに論点を整理。スケジュールありきではない)が、とりまとめの時期について方針を定めているのか。定めているならその方針を明らかにして欲しい。定めていないならば、いつ誰がどのように定めるのか。
☆☆☆
① 現在の皇位継承順位を変えないことが前提なのか?
② 「皇統に属する男系男子」の範囲を(どこまで)広げるのか?
③ 今後のスケジュールについて、とりまとめの時期を定めているのか?
①は、もしそうだとすれば、議論の幅が最初からせばまるのではないかと思います。
どれも、知りたい問題です。
今後の推移を見守りたいと思います。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって充実した一日でありますことをお祈り申し上げます。
参考資料:
(『皇位継承有識者会議を巡り、山尾志桜里衆院議員が質問主意書』高森明勅公式ブログ 2021年3月12日
https://www.a-takamori.com/post/210412)
(「皇位の安定継承へ有識者会議」2021.3.17【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/post/210317)
天皇の御歌(63)―第121代・孝明天皇(2) [孝明天皇]
今日も、第121代・孝明天皇の御歌を学びます。
御在世:1831―1866(崩御・36歳)
御在位:1846―1866(16歳~36歳)
☆☆☆
“嘉永元年―1848―御年18歳)
女御入内の折の宸筆の御製(12月15日)
かげならぶ 千世のくれたけ 河竹の 根ざしふかくも なかにちぎらむ
(嘉永6年―1853―御年23歳)
*米使ペルリ浦賀に来航
春朝日(正月22日水無瀬宮御法楽)
天のはら ふりさけ見れば 朝日影 かすむも飽かぬ 春のいろかも
煙(9月8日当座御会)
朝な夕な 民のかまどの にぎはひを なびく煙に おもひこそやれ”
(pp324~325)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
言葉の意味:
女御(にょうご):後宮(こうきゅう)に入り天皇の寝所に侍した高位の女官のこと
*この日付で入内(宮中入り)された女御は後の「英照皇太后」(孝明天皇の准后(じゅごう))。
宸筆(しんぴつ):天子の直筆(じきひつ)。勅筆。宸翰(しんかん)
かげ:(日・月・灯火などの)光。(人や物の)姿・形。
くれたけ:竹の一種。淡竹(はちく)。葉が細かくて、節(ふし)が多い。庭などに植える。清涼殿の前庭にも植えてあった。
河竹:①川のほとりに生えている竹。②まだけ、またはめだけの古名。
③②の、清涼殿の東側の庭の御溝水(みかわみず)のそばに植えてあるもの。◇「河竹」と書く。
千世:1000年のこと、あるいは抽象的に非常に長い年月を指す言葉。千代と同義。
根ざし:①地中に根を深く伸ばすこと。根の張りぐあい。
ちぎる:夫婦の約束をする
水無瀬宮(みなせぐう):水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神宮。旧社格は官幣大社。旧称は水無瀨宮。後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇を祀る。
天の原(あまのはら):1 広々とした大空。 2 日本神話で、天上界のこと。 高天原。
ふりさけ見れば:はるかに見渡す
朝日影(あさひかげ):朝日の光。朝日の色。
御会(ぎょかい):歌会あるいは宴会をうやまっていう語
御歌の意味:
1首目
清涼殿の庭に植えてある呉竹、河竹が深く根を張って並ぶ姿のように、いつまでも末長く仲睦まじい夫婦になろうではないか
2首目
広々とした青空をはるかにみわたせば 朝日の光がかすんでいる様子が飽きることのない春のいろであることよ
3首目
朝夕に民のかまどのにぎわいをなびく煙を見ると思いやられることだ
[感想]
1首目。女御(旧名、九条 夙子(くじょう あさこ)、後の英照皇太后)は、この前年12歳で、3歳年上の東宮・煕宮(ひろのみや)統仁(おさひと)親王(のちの孝明天皇)の妃となられ、孝明天皇が16歳で践祚された年に13歳で入内されました。昔のことですから16歳といっても成人の御自覚を持たれて、孝明天皇は、末永く仲睦まじい夫婦になろうとの誓いを詠われたのでしょう。
2首目。「天のはらふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」は遣唐使阿部仲麿の和歌ですね。日本に帰ることなく唐で生涯を終えた阿倍仲麿。偶然なのか異国の使者ペリー提督来日の年でした。不思議な偶然の一致を思わせられる御歌です。
3首目。この御製は仁徳天皇の故事を思い出させます。「民のかまどはにぎわいにけり」と、煙が家々から立ちのぼる光景を御喜びになったことを思いつつ、御所の中から民の生活を思いやられた御歌です。
孝明天皇は夙子様の立后を望まれましたが、先ず准三宮に叙すべしという幕府の反対にあい、嘉永6年(1853年)5月7日、夙子様は正三位・准三宮に上られました。準三宮は「準后」という皇后より下位の称号とのこと。江戸幕府は色々なことを干渉していたのですね。
嘉永3年(1850年)に第一皇女・順子内親王(1850年 - 1852年)、安政5年(1858年)に第二皇女・富貴宮(1858年 - 1859年)を出産されましたが、いずれも幼児期に夭折したため、万延元年(1860年)7月10日、勅令により中山慶子(なかやまよしこ)所生の第二皇子・祐宮睦仁(さちのみやむつひと)親王(当時9歳、後の明治天皇)を「実子」と称されました。明治天皇の嫡母(実母ではない)として皇太后に冊立されました。
孝明天皇崩御後、明治天皇即位後の慶応4年(1868年)3月18日、皇太后に冊立され、皇后を経ずして皇太后となられました。
「明治日本を支えた養蚕」で、1873(明治6)年6月に、英照皇太后が昭憲皇太后と御一緒に富岡製糸場をご訪問されたことを当ブログで書かせていただきました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2021-03-08
その時、私は英照皇太后を「孝明天皇の皇后」と書きましたが、正しくは「孝明天皇の准后(じゅごう)」でした。謹んで訂正させていただきます。
英照皇太后は能を好まれ、明治11年(1878年)には青山御所に能舞台が建てられました。明治14年(1881年)に誕生した日本最初の能楽堂「芝能楽堂」も、皇太后の鑑賞に供することが設立目的の一つだったとのことです。(Wikipediaより)
能は今や世界的に知られているそうです。まだ調べていないので確かではありませんが、その始まりは、もしかしたら英照皇太后だったのかと、想像が膨らみます。能を直接鑑賞したのは、靖国神社の奉納薪能の他、数えるほどですが、奥深く神秘的なところが好きです。
今日も読んでいただき有難うございました。
皆様どうぞお健やかに、楽しい週末を迎えられますよう、お祈り申し上げます。
タグ:英照皇太后
天皇の御歌(62)―第121代・孝明天皇 [孝明天皇]
今日は、第121代・孝明天皇の御歌を学びます。
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で幕末の「尊皇攘夷論」が描かれていますが、そのエネルギーの源であられたのが第121代・孝明天皇でした。
御在世:1831―1866(崩御・36歳)
御在位:1846―1866(16歳~36歳)
孝明天皇は、第120代・仁考天皇の第4皇子です。弘化3年(1840)御年16歳で践祚され、翌年秋に即位の礼を行わせられました。
☆☆☆
“天皇は以後20年間、幕末の急運を告げる内外諸情勢の中で、終始、独立不羈の御精神を以て幕府の施政・外交のあやまりなきを凝視された。そしてともすれば対外屈従に傾き勝ちの幕府に対し、これを叱咤激励し続けられたが、慶応2年(1866)12月13日、疱瘡(天然痘)に罹られ、御発病後10日余りにして12月25日、御在位のまゝ36歳の御若さで崩御せられた。”(p317)
“(御陵墓は、京都市東山区今熊野にあり、後月輪東山陵[円墳]と申し上げる。また、京都の平安神宮に祀られてをられる”(p324)
“(寛永7年、安政元年―1854―御年24歳)
*4月皇居炎上のことあり、幕府、米、英、露などと和親条約締結
柳(6月11日神宮御法楽の和歌)
打ちなびく 柳のいとの すなほなる 姿にならへ 人の心は
寄地祝言(12月21内侍所御法楽)
かみわざの 天のみほこの雫より なりにし國ぞ すゑはひさしき
同年の御製とて子爵六角博通所蔵の草書の中に見えたる
あさゆふに 民やすかれと おもふ身の こゝろにかゝる異國(ことくに)の船”
(pp325~326)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首 -』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
寛永7年(1854)に皇居(京都御所)が炎上したことを、存じませんでした。同じ年に、米、英、露との和親条約が締結されました。
「青天を衝け」に描かれている通り、「勅許」(天皇陛下の御許可)を得ない条約締結だったので、水戸藩主・ 徳川斉昭が烈火のごとく怒っていましたね。
3月、日米和親条約
8月、日英和親条約
12月、日ロ和親条約
翌年安政2年(1854)には、
10月、日仏和親条約
12月、日蘭和親条約
が、いずれも勅許を得ずに調印させられてしまいました。幕府が外圧に屈して主体性なく条約を締結したのが、日本の独立を妨げるということで、尊皇攘夷派の強い反発を招いたのでしょう。
言葉の意味:
神宮:伊勢神宮のこと
法楽:和歌・芸能などを神仏に奉納すること。
うちなびく:草や髪などが、風になびく
柳のいと:細い柳の枝を糸にたとえていう語。 [季語] 春
第1首目
風になびく柳の細い枝はすなおです、人の心もその姿にならいましょう
第2首目
(日本は)神様のわざによって、天沼矛(あめのぬぼこ)から滴り落ちた雫より成りたった國ですから いつまでも久しいことでしょう
第3首目
朝に夕べに 民が安らかであれとおもう心に 異国の船のことが気にかかります
[感想]
難しい言葉は何もないので、私などが説明するのは恥ずかしいですが、天皇を敬いつつ、親しむという気持ちで、書かせていただきます。
「柳に雪折れなし」といいます。呉竹のようにまっすぐな心も大切ですが、ことに当たっては、素直でありながら柔軟な心が、物事の判断を誤らないこつであると思いました。
日本神話の、伊邪那岐命・伊邪那美命が、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛(あめのぬぼこ)で、こおろこおろと大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)-日本列島‐になったという話です。神様がそのようになさって、お造りになられた国なので、いつまでも幾久しく栄えますとの祈りの御製です。
天皇は、朝も夕も、民の安寧と幸福を祈っておられます。その安らかさが異国によって破られる可能性があったのが、この時代でした。「青天を衝け」でも、清国が酷い目に遭っている絵が描かれた書物を渋沢栄一が手にしている場面がありました。日本も一歩、道を誤れば同じように蹂躙されるという事態が現実に迫っていました。
今日は16歳~36歳という若さで20年という御在位期間に、明治維新前夜の歴史の上で大きな役割を担われた孝明天皇の御製をあらためて拝読させていただきました。まだまだ学びが足りませんが、少しずつ勉強を重ねたいと思います。
今日も読んでいただき有難うございました。
生き生きした日々をお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。
タグ:青天を衝け
ボーカル・マジョリティーになろう! [皇室典範改正]
サイレント・マジョリティーという言葉があります。
あるテーマについて自分の考えが正しいと思いながら、沈黙している多数派のことです。
一方、ノイジー・マイノリティー(喧しい少数派)という言葉があります。少数派なのに、声が大きいので多数派を圧倒して、世論を誘導する人々です。
皇位の安定継承についての議論においては、議論を封じようとするノイジー・マイノリティー(男系男子固執派)が声を大にして叫んでいることが、政府の問題解決先延ばしの理由になっている一方で、圧倒的多数を占めるサイレント・マジョリティー(女性天皇、女系天皇容認派)は、これまであまり声を上げてきませんでした。
サイレント・マジョリティーは、今こそボーカル・マジョリティーにならなければなりません。
このことについて「愛子さま 皇太子への道」のサイトで、分かりやすく説明している記事が載ったので、その一部を紹介させていただきます。
サイ君(サイレント)ボーちゃん(ボーカル)の戦い、やりとりが秀逸です。
☆☆☆
神道学者・歴史家・皇室研究者の高森明勅先生が「ボーカル・マジョリティー」という言葉を生み出されました。
https://www.a-takamori.com/post/20191120
「サイレント・マジョリティーは、そのままでは団結した活動的な少数派(ボーカル・マイノリティー又はノイジー・マイノリティー)に敗ける。しかし、マジョリティーが“サイレント”ではなく、自覚的に「声」を挙げ始めれば事態は変わる。サイレント・マジョリティーからボーカル・マジョリティーへ。」
(中略)
私は、皇室をお護りするため、サイレント・マジョリティーだった自分を変えボーカル・マジョリティになることにしました。
日々、サイ君とボーちゃんの戦いです。
サイ「真っ当なこと言っているから、いつか分かるでしょう」
↓
ボー「正しい答えほど世の中に流れない、だから自分から発信しよう!」
サイ「きっちり取り組むには、時間があんまり取れないからやめておこう」
↓
ボー「コピー&ペーストでもいい、リツイートでもいいから取れる時間のサイズに合わせて数多く発信しよう!」
サイ「自分がやっても何も変わらないから、できる人にやってもらおう」
↓
ボー「傍観で終わっては愚論に与するのと同じだから、小さくても一歩を出そう!」
サイ「当たり前の正論過ぎて、わざわざ発信するのが恥ずかしい」
サイ「マジメなことを真剣に言うと変な人に見られる」
↓
ボー「当たり前のことこそ、大きな声で言おう!」
サイ「運動にはアレルギーがあって、特定団体に見られるのが嫌だ」
サイ「少し引いた位置から意見する、かっこいいポジションを維持したい」
↓
ボー「自分のことは少しわきに置いて、少しだけでも公のために動こう!」
(後略)
(『ボーカル・マジョリティーに脱皮して、少しでも皇室の力になろう!』」2021年4月3日愛子さま 皇太子への道 https://aiko-sama.com/archives/5086)
☆☆☆
3月23日から、「安定的な皇位継承を議論するための有識者会議」が開かれています。
政府を動かすために、沈黙していた多数派、女性天皇推進派が声を上げなければなりません。
声を上げることで事態が変わります。
真っ当なことなのだから、黙っていても誰かが何とかしてくれるだろうとの他人任せでは、取り返しのつかないことになりかねません。
記事にあるように、コピー&ペースト、リツィートなら、時間をとらずにできますね。
皇室のことは、発信しにくいと自己限定していないでしょうか。思い切って発信して見たら、案ずるより産むがやすし、だんだん慣れてくるものです。
黙っていることは、ノイジー・マイノリティーに力を貸すことになり、皇室を滅亡の危機にさらします。
今年は、上皇陛下の御孫さま筆頭である、眞子内親王のご結婚が目前に迫っています。
「女性宮家創設」のタイムリミットを迎えていると言えましょう。
「悠仁さまがいらっしゃるから」と、国民がのほほんとしていたら、いずれ皇室の若い世代がお一人になる可能性があります。
因習に固められた皇室は不要であるとの世論が興り、皇室の存在意義そのものが希薄になり、皇室廃止の声が優位になって、皇室が無くなってしまう可能性さえあります。
世界の消滅した王室の先例がそれを教えてくれます。
皇室は空気のような存在で、ふだんは、その有り難さに気が付きませんが、もし無くなったら、大変なことになります。
そうならないために、正しいと思う考えを、どんどん発信して参りたいと思います。
今日も読んでいただき有難うございました。
春爛漫で、温かくなりました。皆様どうぞお健やかにお過ごしください。
タグ:眞子内親王
皇室祭祀と国民との触れ合い―天皇のお務め [今上陛下]
女性天皇に反対を唱える、ある人のブログを読みました。
その人の主張では、天皇にとって宮中祭祀は最も重要である、もし女性が天皇になられると、妊娠、ご出産により、宮中祭祀が十分に執り行えないから、天皇は男性でなければならないとのことでした。
宮中祭祀が天皇にとって最も重要であることは、もちろん、私も同感です。しかし、女性天皇になったら宮中祭祀がおろそかになるとの心配は、杞憂だと思います。
日本の歴史では8方10代の女性天皇がいらっしゃいました。女性天皇のご妊娠、ご出産、月経の時などの祭祀の執り行い方の先例は、宮中の記録に残っているはずです。
直近では、江戸時代の第117代・後桜町天皇(御在位:1762年~1770年)がいらっしゃいますが、ご即位にともなう大嘗祭は、2つの日程が用意されていたとのことです。日常の祭祀についても、その時の記録に習えば、何の問題も無いことと拝察申し上げます。
畏れ多い例えですが、男性の天皇でも、一時的なお身体のご不調で祭祀を執り行えないこともあるでしょう。同じように考えられるのではないでしょうか。
宮中祭祀などの、国内の天皇のお務めに関連する、高森明勅氏の「皇室祭祀」と国民との触れ合いについてのブログを思い出しました。
少し前、3月1日の記事ですが、大切なことだと思ったのでご紹介します。
☆☆☆
『天皇の“お務め”を巡って、奇妙な対立があるように見える。右派や保守系は、天皇の最も大切なお務めは神聖な祭祀である、と強調する。その一方で、国民との触れ合いには冷淡で、わざわざ被災地などにお出まし戴く必要はない、などと言う。
これに対し、左派やリベラル系は、被災地などにお出ましになって、国民と触れ合われることこそが天皇の最も重要なお務めだとする。しかし、これまで天皇が大切にして来られた祭祀については、むしろ否定的。国民と無縁な古臭い祭祀なんて、今後はいつまでも続けられるには及ばない、と。ほとんど正反対の立場だ。
この対立をどう考えるべきか。私は、天皇の国内に向けたお務めを、大まかに3種類に整理している。
①憲法に定められた国事行為。
②国民の思いに寄り添われること。
③皇室の神聖な祭祀に携わられること。
これらのうち、①は憲法の規定によるものなので、原則として賛否の対象にはなりにくい(問題視する場合は憲法改正論という切り口になる)。
残りの②③から、右派や保守系が③を重視し、左派やリベラル系は②を重視するという構図だ。しかし、どちらか一方だけを重視して、他方を軽視又は否定するという態度は、正しくないだろう。』
『そもそも天皇の祭祀は、一般の宗教家の祭祀とは異なる。皇祖皇宗(こうそ・こうそう、皇室の最初の祖先=天照大神以降、代々の祖先)への祭祀が中軸をなす。祖宗(そそう、皇祖皇宗)と厳粛に向き合われる祭祀を通じて、代々受け継いで来られた国民の為に誠心誠意お尽くしになられるご精神を、改めてご自身の御心にお刻みになる。それは突き詰めて言えば、国民の為の祭祀に他ならない。
にも拘(かかわ)らず、実際に目の前で国民が災害などで苦しんでいても、それには背を向けて、ひたすら宮中の奥深くで祭祀だけ型通りに打ち込まれるとしたら、それは肝心な祭祀の“精神”そのものを蔑(ないがし)ろにする振る舞いと言わねばならない。』
『日々、心身の清浄を保たれ、謙虚かつ真摯に祭祀に携わられることによって、代々受け継いで来られた国民に尽くされる無私公正な精神を自ら身に付けられ、その高貴な精神のご発露として、被災者や様々な国民の身近にお出まし戴くからこそ、政治家や他の者からは期待できない、絶大なお慰め、お励ましなどを、人々は天皇から“受け取る”ことが出来るのではないか。』
『「皇室祭祀」と国民との触れ合い』高森明勅公式ブログ 2021年3月1日
https://www.a-takamori.com/post/210302)
☆☆☆
右派は「宮中祭祀」の重要性を説きますが、国民との触れ合いには比較的冷淡に見えます。
一方左派は「国民との触れ合い」を重視しますが、宮中祭祀は軽視するというような傾向があります。
しかし、「宮中祭祀」と「国民との触れ合い」は補い合うものであり、どちらも欠くことができないという視点が必要だという、高森氏のお考えは重要だと思いました。
今日も読んでいただき有難うございました。
私の住んでいるところでは桜が満開です。
皆様も、どうぞ良い一日をお過ごしくださいますよう。
タグ:女性天皇