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聖徳太子の御歌―挽歌に見る死生観 [聖徳太子]

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今日は、初期万葉の死生観を、聖徳太子の御歌から、学ばせていただきます。

万葉集には、挽歌(ばんか)、相聞歌(そうもんか)、雑歌(ぞうか)の三大部立てがあります。

挽歌(ばんか)は、人の死を悲しみ悼む歌。

相聞歌(そうもんか)は、恋の歌。また親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌も含まれます。

雑歌(ぞうか)は、挽歌、相聞歌に属さないすべての歌です。


『万葉の世界と精神』の著者、山口悌治氏は、初期万葉の挽歌を通読して、上代におけるわれわれの祖先が、人間の死をどのように受け取ったかということを、次のように述べています。


☆☆☆

「それらを通読すると、死は現世から身を隠すこととみなされてゐる。肉体の死は人間そのものの死ではなく、したがって死者は虚無の彼方に消滅したのではなく、単に現世から身を隠したにすぎないのである。」(p286)
(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』。日本教文社)

☆☆☆


私は、「死」は、現世から身を隠しただけ、という見方が好きです。

「生長の家」という宗教がありますが、その講師が「死というのは、ふすまをちょっと開けて、向こう側に行ったようなもので、姿は見えなくなるけれども、人間のいのちそのものが、消滅したのではない」と話されました。「死は、現世に背を向けて、正面があの世に向いただけ」とも言われました。

ある講師によれば、寿命を全うした人は、あの世に行くと、先に亡くなった親族や友人が、赤ちゃんの誕生を祝うかのように、駆けつけてきて、歓迎してくれて、可愛がっていたペットも迎えに来てくれるそうです。そんな感覚が分かる気がする時があります。「千の風になって」の歌とも相通ずるものがありますね。

ただし、自殺だけは、してはダメと言われました。本当はまだ生きたいのに、不自然に命を絶つと、自殺によって自分が逃げ出そうとした現世の課題・問題を解決できないで、それを背負ったまま、あの世に移行するからです。きちんと解決しない限り、同じ課題・問題がいつまでも自分について回るので、生きていた時より楽になるということはなく、むしろ苦痛の程度が増すそうです。

だから、与えられた課題は、つらくても苦しくても、現世で解決するのが、一番であり、与えられた生命を最後までまっとうするのが、最善の道なのです。人間に解決できない問題は与えられない、八方ふさがりでも、天が開いています。必ず解決の道があります。希望を捨てないでください! と教えられました。


死は現世から身を隠しただけ、隠り身になっただけ、そんな初期万葉の死生観を、聖徳太子の御歌から、学ばせていただきます。

☆☆☆

“聖徳皇子、竹原の井に出遊(いでま)しし時に龍田山の死人(みまかりしひと)を見て悲しみて作りませる御歌一首

家にあらば 妹(いも)が手纒(たま)かむ 草枕(くさまくら)

旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ (巻三・四一五)”

“聖徳太子が、竹原の井(大阪府中河内郡相原町高井田の地)大和から河内への道筋で、大和川に面し、当時は行宮(あんぐう)があった由)の行宮へお出になられた時、竜田山のほとりに行倒れてゐる死者を傷んで歌はれたもの。太子の歌は万葉集にはこの一首しかない。ほかに『日本書紀』には長歌一首が載せられてゐる。

(語意)

家にあらば―自分の家に居ったならばの意。

妹が手纒(たま)かむ―妹(いも)はここでは妻のこと。

手纒(たま)かむは、妻の手を枕にすることができるであらうのに。

臥(こや)せる―臥してゐる、寝てゐるの意。

(大意)

ここが旅先でなく、自分の家であったならば、そこには優しい妻がゐて、いたれり尽くせりに介抱してくれて、よし息をひきとるにしても、優しい妻の手を枕とすることができたであらうに、旅先であるから、誰一人看病してくれる者もなく、淋しく死んでいったこの旅人は、まことに哀れにいたましいことよ――といふほどの意。(p287)

(山口悌治著『万葉の世界と精神(前篇)―日本民族の心の原点』日本教文社)

☆☆☆

言葉の意味:

行宮(あんぐう):天皇の行幸のときに旅先に設けた仮宮。行在所 (あんざいしょ)

龍田山:龍田山(たつたやま)は、現在の奈良県生駒郡三郷町(さんごうちょう)の龍田本宮(たつたほんぐう)の西、信貴山(しぎさん)の南にあたる山地とされています。龍田山(たつたやま)という名前は現在残っていません。


龍田山のほとりに行き倒れていた死者を「寝てゐる」と表現するやさしさ、そこに悲惨さはありません。妻の看病が受けられず気の毒だったという傷むお気持ちが表わされているだけです。


日本書紀でも、同じ情景を聖徳太子が詠った長歌があります。

太子は死に瀕している旅人に食べ物と衣服を与えますが、翌日、使者を遣わしたところ、亡くなっていたので、使者は手厚く埋葬しました。その数日後、太子が、使者に様子を見に行かせたところ、亡骸が消えて、与えた衣服がきれいなまま残されていたという話になっています。

旅人を埋葬させて数日後、聖徳太子は次のように仰せられます。

『先の日に道に臥(こや)せる飢えたる者、凡人(ただひと)に非(あら)じ。必ず真人(ひじり)ならむ』

「道端に飢えて臥せっていた人は、聖(ひじり)であるに違いない」と言われたのです。聖徳太子は使者を遣わして様子を見に行かせました。使者が帰って来て申すことには、

「墓所に行きましたら、封(かた)めて埋めたところは動いていませんでした。開けて見ると、亡骸は消えていて、太子様の衣服が、棺の上にたたんで置いてありました」

それで太子はもう一度使者を遣わしてその衣服を持って来させ、何事も無かったかのように着用されました。

当時の人々はこの話を聞いて、「聖(ひじり)の聖を知るということは、実(まこと)のことである」といよいよかしこまったとのことです。[黒ハート]


キリスト教の、キリストの復活の話に似ていますね。これも、人間の肉体が消滅しても、人間そのものは消えたのではない、また旅先で不慮の死を遂げても、その人が、実は、聖(ひじり)であったという、死者に対するあたたかいお心が感じられます。

いずれにしましても、「亡くなったのではない、臥(ね)ているだけだ」という、死を自然のこととして、受けとめる感覚、人が他界しても、消えてしまうのではなく、別のところで生き続けているという、静かな感覚に、共感を覚えます。


今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって、生き生きとした楽しい一日でありますよう、お祈り申し上げます。

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ともにただひと―憲法十七ヶ条(4)第十条 [聖徳太子]

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今日は、憲法十七ヶ条の第十条を取り上げます。
「共にこれ凡夫のみ」がここで述べられています。私の人生の転機になった言葉の一つです。

☆☆☆

《憲法十七条、第十条》

「忿(ふん)(こころのいかり)を絶ち、瞋(しん)(おもてのいかり)を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人皆心有り、心各(おのおの)執ること有り。彼是(よし)むずれば、則(すなわ)ち我れは非(あし)むずる、我れ是(よし)むずれば、則ち彼れ非(あし)むずる。我れ必ずしも聖(ひじり)に非ず、彼れ必ずしも愚(ぐ)に非ず、共にこれ凡夫(ただひと)のみ。是非の理(ことわり)、誰か能く定む可(べ)き。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきが如し。彼の人は瞋(いか)ると雖(いへど)も、還って我が失(あやまち)を恐れよ。我れ独り得たりと雖(いへど)も、衆(もろもろ)に従ひて同じく挙(おこな)へ」(p114)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』、日本教文社)

☆☆☆

〔ふりがな〕(一部、現代仮名遣いに直し、読みやすいように、字間を空けました。
by「たると」)

「ふんをたち、しんをすてて、ひとのたがうを いからざれ。ひとみなこころあり、こころおのおのとることあり。かれ よしむずれば、すなわち われは あしむずる、われ よしむずれば、すなわち かれ あしむずる。 われ かならずしも ひじりにあらず、かれ かならずしも ぐにあらず。ともに これ ただひとのみ。ぜひの ことわり、たれか よく さだむべき。あいともに けんぐなること、みみがねの はしなきが ごとし。かのひとは いかるといえども、かえって わがあやまちを おそれよ。われひとり えたりといえども、もろもろにしたがいて おなじくおこなえ。」

忿(ふん):かっと腹を立てる(怒りは心の中)

瞋(しん):心にかなわない対象に対する憎悪(怒りが外に向かう)

聖(ひじり):世の模範と仰がれる、知徳の高い人、技量に優れた人、聖人

是非:正しいか正しくないか


大意は、心の中の怒りを絶って、表に表す怒りを棄てて、人が自分と違うからと言って怒るな。人は皆それぞれの心が有る。心にはそれぞれの執り方(政務事務等の取り扱い方)が有る。彼が正しいと思っても我は正しくないと思う。我が正しいと思っても彼は正しくないとする。我が必ずしも聖人でもなければ彼が必ずしも愚か者というわけではない。ともに凡夫、ただのひとであるのは耳輪が円になってつながっているようなものだ。だから相手が自分に対して怒るのを見たら、自分に間違いがあるのでないかと疑いなさい。自分一人が納得しても、人の意見をよく聞いて一緒に行動しなさい、となります。


怒りにも心の中の怒りと、形に表された怒りがあります。怒りは「絶つ」か「棄てる」しかないのは、今も昔も同じことですね。

「怒り」の対処法には、アンガーマネジメント、アンガーコントロールなどいろいろな方法があります。怒りを爆発させる前に、何回か深呼吸して静かに怒りを見つめる時間をとるのも一つの方法でしょう。


プライドが傷ついた場合には、「ともにただひと」と自分をなだめるのが有効かもしれません。

凡夫を「ただひと」と読むのが気に入っています。


自分も相手も普通の人といいますが、普通の人というのは価値が無いという意味ではなく、ともに同じものを備えた仲間であるという気持ちだと思います。同じもの、同じ善意、同じ向上心、同じ喜び、同じ悩みをもっていると思うと「ただひと」に共同体の一員としての一体感が生まれます。

若いころ、自分はプライドが高すぎるのではないかと薄々感じていた時に、この言葉「ともにただひと」に出会えて「そうだった!」と感動しました。背伸びしても虚勢をはっても「ただひと」なのだから無理をしなくてよいというのを身に着けるのは一生の課題ですが、地道に自分を反省していきたいと思っています。


推古天皇の時代(御在位629~641)の成果を少し勉強しました。高森明勅著『歴史で読み解く女性天皇』(KKベストセラーズ)をテキストにいたしました。

対外的には日本がシナ王朝から独立自尊であることを表明したこと①、国内においては現代にいたるまで続く二重統治の形式上の完成を示された②ことが挙げられます。

①推古天皇の時代に、天皇がシナ王朝から独立自尊であることを表明したことは、大きな歴史の節目です。

推古天皇15年(607)遣隋使小野妹子の携えた国書にある「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」の言葉の通り、隋(シナ)への服属の解消と、日本の独立自尊の立場を表示されました。

②国内においては二重統治の形式上の完成を示されました。

推古天皇は多くの仏像を作り、寺院を立てましたが、日本の在来の神々を祭り、礼拝すべきことも命じています。これは「祭祀王」としての御事績です。
国政や外交は「摂政」聖徳太子、「大臣」蘇我馬子が実務にあたりました。
二重統治というのは、天皇が「祭祀王」「神聖王」たる君主として統治にあたり、その下に「世俗王」として、聖徳太子と「大臣」蘇我馬子が実務にあたる形式です。
この形式は天皇の地位が長く存続する重要な条件になりました。政治権力の行使にあたる「世俗王」は、時代とともに、蘇我氏→太政官→摂政・関白→院政→幕府と交替しましたが、その上位には常に天皇がいつづけるという形で、現代まで続いています。


今日も読んでいただき有難うございました。

今日は山の日ですね。

空気のきれいな山に登りたいと思いつつ、テレビの登山番組を見ています。

皆様にとってさわやかな休日でありますように。



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私に背き公に向かう―憲法十七条(3)―第十五条 [聖徳太子]

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※私に背いて公に向かうのではなく、外に背をむけご飯を待っている白いニャン




今日は、聖徳太子が推古天皇11年(639年)に制定された憲法十七ヶ条の第十五条を通して「公」と「私」について学びます。

聖徳太子は、第33代推古天皇の御代に摂政として目覚ましい功績を残されました。(推古天皇の御在位629~641年(37歳~49歳))



☆☆☆

第十五条

「私を背(そむ)きて公に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。凡(およ)そ人私有れば必ず恨み有り。憾(うらみ)有るときは必ず同(ととのほ)らず。同(ととほ)らざれば、即ち私をもって公を妨ぐ。憾(うらみ)起こるときは則ち制(ことわり)に違ひ、法(のり)を害(やぶ)る。(p110)(pp114~115)(引用①)

「故(ゆえ)に、初章(しょしょう)に云(いわ)く、上下和諧(じょうげわかい)せよ。それまた是(この)情(こころ)なるか。」(引用②)

引用①(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社)

引用②「十七条憲法(原文・現代語訳・解説・英訳)」
http://www10.plala.or.jp/elf_/kenpou/2-1.html

☆☆☆


〔ふりがな〕(一部現代仮名遣いに直し、読みやすいように字間を空けました。
by「たると」

わたしをそむきて おおやけにゆくは これ しんのみちなり。 およそ ひとあれば かならず うらみあり。 うらみあるときは かならず ととのほらず。 ととのほらざれば すなわち わたくしをもって おおやけをさまたぐ。 うらみおこるときは すなわち ことわりにたがい のりをやぶる。 ゆえに しょしょうにいわく じょうげわかいせよ。 それまた このこころなるか。


恨み:不満であるうらみ

憾み:心残りであるうらみ

同(ととのほ)らず:同意できない

制(ことわり):さだめ、制度

法(のり):規準、規範

違(たが)う:食い違う、従わない

害(そこな)う:傷つける、壊す


臣の道、役人の心構えが説かれていますが、世の中の役に立ちたいと思う人なら役人でなくてもこのような心構えで臨みたいものです。

「公と私」とは何でしょう。

公(おおやけ)は、辞書ではどうなっているかと引いてみました。

名詞では、政治、行政にたずさわる組織・機関が第一に挙げられています

① 政治や行政にたずさわる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。
(weblio https://www.weblio.jp/content/%E5%85%AC

しかし、もしも自分が属する組織・機関が不正な行為に関わったらどうするか。黙って上の言うことに従うのは「公」の道でしょうか。社会正義を実現するために、是正の行動に出ることが「公につく」ことになると思います。

四番目の意味で次のような項目があります。

④ 天皇。また、皇后や中宮。

形容動詞では、「私心がなく、公平であるさま。」と書かれています。

「公:に対する「私」は私心を指すと思います。

私心:自己の利益をはかる心

私心は人のことは二の次という利己心を指すので、自分の利益を侵害されると恨みや憾みを生じる、その恨みに引きずられて制度や規範などどうでもよくなってしまうことを、第十五条は諫めていると思います。

公の立場を持つ人は何よりも個人的な私心から生じる恨みなどにとらわれないようにしたいものですね。

組織の中にあって、不正なことがいつの間にか進められることなく、最善と思われることが行われるためには、初章(第一条)「和を以て尊し」となす、あるいは十七条のように大事は衆議を尽くして決めることが、同時に重要になります。

当ブログでも、過去に第一条を取り上げました。よろしければご参照ください。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2006-12-23

☆☆

「然れども上和ぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、則ち事理(ことわり)自からに通ふ。」

「しかれども かみやわらぎ、しもむつびて ことを
あげつらうに かなうときは、すなわち ことわりおのずからにかよう。」

「それでも、上に立つ上司や親や年長のものが和やかな心をたもち、 部下や子や年下のものが互いに仲良くして、みんなが調和して十分に議論を尽くし合えば、 自然に天地の理にかなった解決方法が見出せるものである。」

☆☆

ここでも「十分に議論を尽くし合うこと」が強調されています。議論を尽くすことは、恨みを捨てることと同時に十七条憲法の大切な要素であるように思います。

『上宮聖徳法王帝説』*によれば、推古天皇6年(634年)、聖徳太子による「勝鬘経(しょうまんぎょう)」講義があったとされています。十七条憲法の制定は、日本書紀*によれば推古天皇11年(639年)ですから、その5年前に当たります。

*『上宮聖徳法王帝説』は、聖徳太子(厩戸皇子)についての現存最古の伝記です。
*日本書紀では「「勝鬘経(しょうまんぎょう)」講義は推古天皇14年とされています。

聖徳太子は「三経義疏」のうち、『法華経義疏』四巻、「「勝鬘経(しょうまんぎょう)」、「維摩経」に範を求められたと『万葉の世界と精神』の著者山口悌治氏は述べています。

仏教を規範とされた(仏教だけではありませんが)憲法十七条が人間の内面に切り込む深い洞察に拠ることを考えさせられます。

なお、『上宮聖徳法王帝説』は、若い時に買い求めたのですが文章が難しくて恥ずかしながら読み通すことができませんでした。いつか読み通せるかな(^^;)

今日も読んでいただき有難うございました。

暑さが続きますが、水分を十分に摂って健康にお過ごしください。
皆様にとってよい一日でありますように。


主な参考文献:
山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社

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大事を決めるときは議論を尽くそう―憲法十七ヶ条(2) [聖徳太子]

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推古天皇の御代、摂政に
任ぜられた聖徳太子。

太子の御事績の中でも
憲法十七ヶ条は、
スゴイと思います。

今の世につながる
ことが盛りだくさん。




今日は憲法十七ヶ条の最後の条、第十七条を学びたいと思います。


☆☆☆

「大事をば独り断(さだ)むべからず。かならず、衆(もろもろ)と与(とも)に論(あげつら)ふべし。小事(ちひさきこと)はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆(もろもろ)と共にすべからず。たゞ大事を論(あげつら)ふに逮(およ)びては、もし失(あやまち)有らむことを疑ふ。故に衆と与に相弁(あひわきま)ふるときは、辞(こと)、即ち理(ことわり)を得む」(p111)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社)

☆☆☆


〔ふりがな〕(一部、現代仮名遣いに直し、読みやすいように、字間を空けました。
by「たると」)

だいじをば ひとりさだむべからず。かならず、もろもろと ともにあげつらうべし。
ちいさきことは これかろし。 かならずしも もろもろと ともにすべからず。
ただ だいじをあげつらふにおよびては、もしあやまちあらんことを うたがう。
ゆえにもろもろと ともにあいわきまうるときは、こと、すなわち ことわりをえん。

論う:(善い悪いを)議論する

衆(もろもろ):すべての人々、多くの人々

弁(わきま)ふる:判別する

辞(こと):言葉、言語

理(ことわり):道理、筋道


大きなことは一人で決めてはいけない。必ず関係者全員で一緒に議論すべきである。小さいことは軽いから、必ずしも全員で議論しなくてもよい。ただ大きなことを議論するときのみ、間違いがないように疑わなければならない。それゆえに全員が一緒になって判別するときに、言葉で決めた事柄は必ず道理を得たものになるだろう。

特別難しい言葉は無いと思います。 国政を司る人々にとって、大きなことは必ず衆議を、善い点も悪い点も議論しつくしてこそ、道理にかなった結論に到達することができるとの、当然の心構えが説かれています。

しかし、現代に当てはめて、国会がどうなっているかと見渡すと、集団的自衛権、共謀罪などの政権による強権的な決定など、衆議を尽くしていない例があることが気にかかります。


身近なことでも関係者が一堂に会して「衆議を尽くした」時に、「腑に落ちる」という感じで、ふっと結論が出るときがあり、そこまで議論しつくすと何事でもスッキリしますし、スムーズに実行されます。

そこまで至らずに、議論不足のまま一部の人の独断やゴリ押しで決められてしまうと、構成員の「やる気」がそがれて、結局、やり直しや中止に追い込まれることが多いのは、結論が「理」にかなわなかったからでしょう。

このことが1400年前の聖徳太子によって既に明らかに示されていることがスゴイと思いました。

今日もよんでいただき、有難うございました。

今日一日が皆様にとってスッキリした一日になりますように。

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みんな仲良く大調和―憲法十七条 [聖徳太子]


(北海道に向かう機内から撮影しました。空から地上を見ると、
日ごろの悩みが小さく思えます。)

              ☆☆☆☆

今日は、私的な歴史の勉強について、書きます。

☆温故☆
車内広告で、奈良の観光案内広告に、「和以貴為(わをもってとうとし
となす)」とあるのを見て、若いころ、夢中になって勉強したことを、
懐かしく思い出しました。

「和をもって貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ」は、
聖徳太子の十七条憲法の第一条の言葉です。

以下は、第1条についての、私流の(今風の?)解釈です。(原文は、
末尾に掲載しています。)

〔第1条の大意〕
「人というものは、みな気に入ったもの同士のグループを作るものであり、
またものごとを良く分っている達人は少ないから、上司や親に逆らったり、
近隣の人々と意見が合わなかったりする。
それでも、上に立つ上司や親や年長のものが、和やかな心をたもち、
部下や子や年下のものが互いに仲良くして、
みんなが調和して、十分に議論を尽くし合えば、
自然に、天地の理にかなった解決方法が見出せるものである。
そうすれば何事でも、良い結果が成しとげられるものである。」

☆知新☆
 最近、話題になっている『コーチング』について、一冊の本を読みました。

 その中に、「部下が答を持っていると信じる」、
それを「メッセージ」として表現するということが書かれていました。
(『マンガでわかるコーチングのルール』、播磨早苗著、PHPハンドブック)

 「部下が答を持っていると信じる」、
 そして、その信頼を「メッセージ」として、
 上司が部下に向かって表現することは、
 「上司が和やかな心を持ち」、部下を信じて、
 「議論を尽くし」あうことにより、
 「自然に問題が解決され」、
 上司と部下の信頼が深まるということで、
 十七条憲法(第一条)に、通じるものがあるように思いました。

 職場や家庭で、人の中に善があり、すでに答えがあると信じる、というのは
ほんとうに、大切なことですね。

☆and +α☆
 生長の家にも、「大調和の神示」という文章があります。
 その最初に、「汝ら天地一切のものと和解せよ。」と書かれています。
 ここにも、「和」大切にする心、「和をもって貴しと為す」と相通じる
 「人と人との調和」を大切にする心が、感じられます。

☆結びのことば☆
 ひらったく言えば、「みんなが仲良くすれば、何でも解決するし、幸せになり
ますよ!」ということかな(^^)

 理想を述べるのは簡単ですが、すべてを、実行するのは難しいですよね。
 それでも、目標に掲げて、希望を持って、それに向かうのは、大切なことだと
思うので、私も、日々の生活で、努力を続けたいと思います。

                                                                   ☆☆☆

[参考]  《憲法十七条、第一条》
「和をもって貴しとなし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。人皆(ひとみな)党(たむら)有り、また達(さと)れる者少なし。是をもって、或ひは君父(きみかぞ)に順(したが)はずして乍(ま)た隣里(さととなり)に違(たが)ふ。然れども上和ぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、則ち事理(ことわり)自からに通ふ。何事か成らざらむ。」
(『万葉の世界と精神 前篇』山口悌治著、日本教文社刊、115ページより』

〔ふりがな〕(一部、現代仮名遣いに直し、読みやすいように、字間を空けました。
by「たると」)
「わをもって とうとしとなし、さかうることなきを むねとせよ。ひとみな たむらあり、
また さとれるもの すくなし。これをもって、あるいは、きみかぞに したがわずして
 また さととなりに たがう。しかれども かみやわらぎ、しもむつびて ことを
あげつらうに かなうときは、すなわち ことわりおのずからにかよう。なにごとか
ならざらん。」


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