SSブログ

無実の罪を着せられた道鏡に小室圭さんを思う [皇室典範改正]

DSC_173720210723blog.JPG木の根元に生えた苔です。不思議な色と形ですね。


デイリー新潮に小室圭さんを道鏡に例えた記事が載っていると、男系維持派の人が教えてくれました。

一読しましたが、各学者は底の浅いことしか書いていない、有識者会議の中身の無さ、政府の不決断、に、とても残念な気がしました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/facba13cf81bb45f8d67c90d0e4c853f2a29c30d


ここに出て来る本郷和人教授は、テレビにも出ていますが、専門は中世史で、古代のことは、とんと御存じないようです。

「皇位継承について考える際には、タテとヨコのどちらに重きを置くか」と述べていますが、彼の言うタテは、日本に「男尊女卑」が定着した中世以降だけのことであって、それ以前は、タテに含まれないのでしょう。歴史の一部分にしか、目が届いていない学者です。悠久の日本の歴史を語る資格はありません。

麗澤大学教授の八木秀次氏は、「私が訴えてきた男系男子による継承を頭ごなしに否定する方はおらず、旧宮家の皇籍復帰についても議論の俎上に載せられていました。それどころか、専門外のメンバーからも男系継承に肯定的な声が上がっていた。世論は確実に変化していると感じました。やはり、小室圭さんの存在が世論に与えた衝撃は計り知れないものがあったのでしょう」と、得意げに述べています。

女性宮家案を断固としてつぶそうと、なりふりかまわずに、小室圭さんの悪評をSNSやyou tubeで世間に流布したのは、男系維持派の竹田恒泰氏などの論客、日本会議を支持する女性メンバーたち、そして雑誌を売ることしか考えないマスコミでした。デマがこれほど国民に浸透することそのものに、恐ろしさを感じます。

何回もブログに書いていますが、どの記事を読んでも、私には、小室圭さんは普通の青年で、書き立てられていることは、一方的な推測まみれの情報であり、冷静に見れば、誰にでもあるような小さなことを大げさに書いているだけとしか、思えません。

発端になった、小室佳代さんの元婚約者は、代理人に立てた週刊現代の記者とタッグを組んで、一方的な情報をマスコミに垂れ流しましたが、小室圭さんの文書を読むと、元婚約者は、ウソばかりついていたことが分かります。

○婚約を破棄したのを佳代さんと言っていたが、事実は逆で、元婚約者が一方的に破棄していた。
○借金といいふらしたお金は、佳代さんに借金ではないから、あげるお金だからと何度もいっていた
○佳代さんが食事や結婚式の費用を高価なものにしたがっていると言っていたが、佳代さんは高価にならないようにとむしろ、気を遣っていた。

週刊誌で佳代さんが、遺族年金を断らなかったことを責めていたようですが、いきなり婚約を破棄するような信頼できない男性と交際をしている段階で、遺族年金を放棄する手続きをする人が、いるはずがありません。入籍して、初めて放棄するのが、常識だと思います。信頼できる友人がネットで詳しく調べた情報では、事実婚でも無かった、単に交際していただけ、とのことです。

小室圭さんのイジメを受けた女性があるという記事もありましたが、イジメに関わったとされる小室さんの友人全員が否定しています。微妙な事案ですが、真実を確かめなければ、不確定な情報のみでイジメがあったと決めつけるのは、痴漢の冤罪事件もあるので、慎重でなければならないと思います。


八木秀次氏は、小室さんが道鏡に似ていると述べていますが、実は道鏡事件そのものが、近年見直されています。

歴史上の日本三悪人というと、道鏡、平清盛、平将門があげられるそうですが、それぞれ、実は後世の人々に誇張されて「悪人」に仕立てられたという説が最近語られています。

道鏡は明治以降、和気清麻呂が忠臣であり、対照される悪人として、小学校の教科書にも載せられました。

八木氏は、「道鏡悪人説」を信じて疑わないようですが、道鏡の評価は最近見直されつつあります。


このことは、当ブログでも孝謙天皇・称徳天皇の時に取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306223719-1

今日はその続きを書きたいと思います。


「道鏡事件」は無かったと唱える学者さえあります。私は専門家でないので無かったかどうか、種になるような噂くらいはあったのかは分かりません。

公平に見れば、諸説あるというのが、バランスの取れた見方だと思いますが、私は少なくとも俗説通りのようなことは無かったという学者の説の方が、信ぴょう性が高いと思います。


その1、「道鏡事件」は無かったと唱える学者(関西学院大学教授・中西泰弘氏)があります。(社団法人 関西大阪21世紀協会HPより)


☆☆☆

怪僧、妖僧、悪僧・・・どこまで本当?

道鏡は戦前、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人に数えられた。道鏡と称徳は平安朝からスキャンダルの的となった。道鏡の巨根説、称徳の広陰説、「道鏡は座るとひざが三つでき」という川柳まで残る。明治以降は小学校用教科書に和気清麻呂と頻繁に登場するようになり、「国体護持」「万世一系」の皇国史観から道鏡は天皇の座を狙った悪僧、清麻呂はそれを阻止した忠臣の代表となった。

宇佐八幡神託事件は、称徳主体説、道鏡主体説、道鏡・称徳共謀に整理できる。戦後、古代史家・北山茂夫は「女帝こそが一介の名もない看病禅師をひきたてて、ついには、法王の地位をあたえた」「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」(『女帝と道鏡』)と称徳主体説を唱えた。

これに対し、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)は『続日本紀』に出てくる宣命と地の文の詳細な検証を進め、「称徳には道鏡を皇位に就けようという意思は毛頭なかった」(『続日本紀と奈良朝の政変』)とし、道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出とする。皇統は天武(?-686)から8代7人、天武系が続いたが、称徳亡き後、天智天皇(626-671)の孫の光仁(709-782)、その子の桓武(737-806)と天智系に変わった。『続日本紀』は桓武治世下で編纂されており、道鏡事件を「『前王朝』の失態」として描いたと問題提起している。


さらに東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)は評伝『孝謙・称徳天皇』で、称徳を革新的な女性天皇として描いた。称徳は歴史上ただ一人の女性皇太子。従来言われるような「中継ぎ」ではなかったとする。一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。「『天』が授ける者であれば皇統以外でも可能とする」「歴史上でも類いまれな、万世一系を否定する王権像」を持っていたとする。そして道鏡事件は後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われたと書いている。

いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。

(「なにわ大阪をつくった百人」(社)関西大阪21世紀協会=足跡をたずねて=)
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/039.html

☆☆☆

[1の感想]

「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」という古代史家・北山茂夫氏の意見も興味深いです。「儒教的な立場に立つ御用学者」は、男尊女卑的な見方が強く、このようなスキャンダルを大げさに批判することを得意とするからです。

そして、『続日本紀』を詳細に検証された、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)の説は、かなり説得力があると思います。

○道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出(創作)
○称徳には道鏡を皇位に就けようという意思はもうとうなかった。
○皇統が天武系から天智系に替わった時、道鏡事件を『前王朝』の失態として描いた。


「皇統が天武系から天智系に替わった時」、すなわち皇統が別系統になった時、前の系統の天皇を悪者に仕立てるのは、日本書紀にもみられることです。「勝者が敗者を悪者として記録する」のは、よくあることです。

「いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。」

と書かれています。これまで各時代の天皇の御製を学びましたが、天皇に謀叛を企てたことの処罰はいつの時代でも死に値する厳しいものでした。道鏡の処分は左遷という軽すぎるものだったということからも、本人自身に謀反の罪が無かったのは明らかだと思います。



その2、道鏡の名誉回復を願う、出身地・大阪府八尾市の有志団体「道鏡を知る会」により、木彫の坐像(ざぞう)が作られ、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納されました。坐像の制作者は、籔内佐斗司(やぶうちさとし)・東京芸大大学院教授。籔内氏は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」も考案した彫刻家です。

(「道鏡、実は「悪人」の事績乏しく 名誉回復願い坐像」日本経済新聞2020年10月22日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65273930R21C20A0AA1P00/

道鏡の実像を語り伝えられてきた道鏡の生地、大阪府八尾市の有志が、道鏡の名誉回復を願って、坐像をつくり、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納することができたという記事です。

以下は、前のブログで紹介した、坐像を作る運動をしている時の記事です。願いが結実して、坐像を奉納することができて、ほんとうに良かったですね。

☆☆☆

道鏡とは

河内国弓削氏出身の道鏡は、義淵増正に師事し、看病禅師として孝謙上皇の病を治し、女帝の信頼を得て、称徳天皇(重祚)勅願の西大寺の創建にも協力をしました。仏教理念による施政を総攬(そうらん)し、法王の位を受け、奈良仏教の礎を築いた一人。

(中略)

神護景雲3年(769年)10月、称徳女帝は道鏡を伴って、道鏡の故郷である河内国由義宮に来られ、大和川沿いの龍華寺に河内の商人たちを呼び集めて市を開かせ、官人たちの買い物風景を楽しんだといわれます。また、天皇は龍華寺に綿二万屯(とん)、塩三十石を寄進しました。翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕したとの記録が残されています(続日本紀)。

植松渋川神社の前の観音が当時の龍華寺であることや、渋川神社の前一帯の地域が「市の町」と今も呼ばれていることなど、私たちの身近なところに道鏡が活躍した名残が存在しています。

八尾市が生んだ偉大な人物、道鏡の真の姿を再発見し、称徳女帝と道鏡の清らかな恋に思いをはせて、道鏡を知る会は今年も活動を続けています。また、関東地方をはじめ、全国の「道鏡の会」との交流も行っています。会員は2か月に1回程度、奈良時代、特に道鏡ゆかりの地に出かけて拝観・見学をしています。

「85歳の挑戦。奈良仏教の礎を築いた一人である道鏡禅師像を造立へ 」
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆



その3、「奈良まちあるき風景紀行」は、一般的な観光案内の感じですが、道鏡事件について、「具体的な悪行」は何一つ伝わっていない、評価に諸説ありとしています。


☆☆☆

道鏡が何かを自らで大規模に粛清したとか、特定の存在を極端に弾圧したとか、誰かと共謀してまれに見るような凶悪な働きを果たした。といったような歴史に残る「具体的な悪行」は特に伝わっていないことは紛れもない事実です。

(「道鏡とは何者なのか?悪人とされがちな僧侶についてシンプルに解説【宇佐八幡宮神託事件】」奈良まちあるき風景紀行)
https://narakanko-enjoy.com/?p=35061

☆☆☆

○観光案内的なホームページですが、幅広い見方があると、紹介しています。

○『「具体的な悪行」が特に伝わっていないことは紛れもない事実です。』

具体的な悪行が特に伝わっていないのに「謀叛人」「極悪人」にされているのなら、それはいわば冤罪(えんざい)ではないでしょうか。





[全般的な感想]

八木氏は、道鏡と孝謙天皇に男女の関係があったと思い込んでいるようですが、道鏡60歳、孝謙天皇45歳というご年齢から考えても、また、孝謙天皇が潔癖な御性格であられたこと、道鏡が優れた高僧であったと配流先でも民から慕われていることから、そのような関係では無く、清らかなものだったと考えるのが自然です。


小室圭さんが、まじめな一般国民であるのにかかわらず、ぬれぎぬを着せられて、謀反人に仕立て上げられ、マスコミのバッシングの標的にさせられてしまったことは、何の罪も無かった道鏡が、デマによって極悪の謀叛人に仕立てられたのと、実は、似ているかも知れません。

そして、眞子様の置かれている状況は、(その1の引用文で)東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)が述べているように、

『後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われた』

という、称徳天皇の置かれた状況にそっくりです。


『時の為政者をあやつる男系維持派が、「女性皇族(内親王)をスキャンダルまみれに伝え」、「男女の関係におぼれた愚かな悪女」に仕立て上げて、「女性宮家の出現阻止に使われた」』

と言葉を置き換えれば、なんとそのまま、すべてが当てはまるではありませんか。歴史は繰り返すというのは真実です。男系派が、道鏡を念頭に置いて、仕組んだワナではないかと思えるほど、酷似しています。


勝浦教授はこうも述べています。

(称徳天皇は)「一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。」

このような女性優遇策が、古代中国の男尊女卑文化が浸透しつつあった当時の為政者にとって、伝統破壊に思えたのでしょう。その反感が、続日本紀の記録者に映し出されて、称徳天皇をおとしめる記述の動機の一つになったのではないでしょうか。これも男系を支持する男尊女卑の人々に共通していますね。


それにしても腹立たしいのは、女性宮家制度創設をつぶすために、何の罪もない無名の一般国民を、デマをまき散らして、極悪の謀叛人であるかのように仕立て上げた人々の存在です。竹田恒泰しかり、八木秀次しかり。一般国民に過ぎない一人の青年のプライバシーをあばき、デマを流し続け、悪人に仕立て上げる、これでも法治国家だろうか、一般国民を守ろうとしない国が、民主主義の国だろうかと、日本人に生まれたことが、真底、恥ずかしくなります。

デイリー新潮の記事に出て来る里中満智子さんは、デビュー当時からファンだったのですが、結局、男性に肩を並べることに生きがいを感じる、名誉白人ならぬ名誉男性の一人で、本質的なことが何も分かっていない浅はかな人だったと知って、がっかりしています。知識量と、人間として正しい判断ができるかどうかは、まったく別物ですね。


これが、女性宮家の制度が出来ていて、小室圭さんの皇室入りが選択できるというなら、国民が色々と声を上げたくなるのは、まだ理解できます。美智子様が婚約され、皇室入りが決まった時も、柳原白蓮などが、猛烈な妨害活動を行い、暴力の行使も辞さないという勢いだったそうですから、歴史は繰り返すと思えば、理解できます。

しかし、今の制度のままでは、眞子様が一般国民になられると決まっていて、小室圭さんが皇室入りすることができないことが分かっているのに、国民が大騒ぎするのはなぜなのでしょう? 

裏を返せば、眞子様に女性宮家の当主になっていただきたい、その伴侶も皇室入りしてほしいとの、国民の潜在的な願望が高まって、彼らを異常な行動に駆り立てているのではないでしょうか? 現在意識では分からなくても、国民の潜在意識が「女性宮家を創設してほしい! 女性天皇を実現してほしい!」と大声で叫んでいる、その気持ちが素直にだせないためにひねくれて、可愛さ余って憎さ百倍となっているような気がします。


男系維持派は、そのような国民の魂の底からわきあがる声なき声、女性天皇を待望する声、女性宮家創設を願う声を、「左翼の陰謀だ!」と偏見に満ちた悪口を投げかけて一蹴します。

日本の古代史を謙虚に学ぶことをしない、浅はかな、そのくせ日本のことを誰よりも知っていると錯覚している愚かな人々が、自民党政権に巣くって、日本を害し続けています。


男系派はこう叫びます。

「日本は男尊女卑の国だぞ!」

「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」

「偉大なる古代中国さまがそういっておられたのだ、われらはその伝統にしたがうのだ!」

「皇室こそは男尊女卑の伝統を守る最後のとりでなのだ!」

と。いつまで、叫び続けるつもりなのでしょう。まるで駄々っ子です。困ったものです。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
オリンピックが開会しました。平穏に無事に開催されますよう、選手たちが力いっぱい競い合えますよう、祈らせていただきます。
皆様も、どうぞお健やかな毎日をお過ごしください。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

熱中症に注意―マスクを外せる時は外そう [新型コロナ]

PICT054320210720blog.JPG
この1週間(7月5日から11日まで)だけで、2,568人が救急搬送されたそうで、死者6人、重傷者59人とのことです。
https://www.gosen-dojo.com/blog/31643/

猛暑が続いていますが、街中を歩いていると、人通りが少ないところでも、ほとんどの人がマスクを着用しています。

厚生労働省はマスク着用を薦めていますが、一方、外してよい場合と、年齢層も発表しています。


外して良い場合

① 屋外で、他の人と2メートル以上、距離が取れる時。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000798079.pdf


着用しないで良い年齢層

② 2歳以下の幼児はマスク不要。
※WHOの基準では「5歳以下の子どもは必ずしもマスク着用にこだわらなくてよい」とされています・
https://news.yahoo.co.jp/articles/24f804d12dac8bf9a51cfd2fe393a863761130a2

昨年は厚労省から、2歳未満にマスクを着用させないようにという呼びかけもありました。

保育所についても、厚生労働省は子どもによって発達の状況が異なるため、「一律にマスクを着用することは求めない」としています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200831/k10012593421000.html


新潟県上越市では、「学校でのマスク着用 選択できるように」と熱中症など心配した保護者が要望書を提出したそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/38894340aaccb6914d6ed1efdd953b9af4f59cba

保護者として、当前の心配だと思います。小学生くらいの子どもはとかく我慢しがちなので、大人が気をつけてあげないと、無理してしまうと思います。


昨年は、屋外で畑仕事を一人でしていたお年寄りがマスクを着用して、熱中症で亡くなったというニュースがありました。暑い盛りに畑仕事をすることも考えものですが、ましてや、誰も周りにいないのに、マスクを着用するのは、絶対にやめてほしいです。

屋外で、2メートル以上、距離が取れる時は、マスクを外しましょう。厚労省が認めていることなので、遠慮はいりません。人込みに近づいた時にマスクをすれば、厚労省の基準にも適います。


以上は、厚労省の基準ですが、私は、前回のブログに書いたように「新型コロナはインフルエンザと同じ対策で良い」、「ゼロ・コロナは不可能、ウィズ・コロナ=コロナとの共生」しか解決の道はないという考えです。マスクについても必要最小限の着用でよいと思っています。

街を歩いていて人がマスクをしていないのを気にする人もあるようですが、私は、ここまで暑くなると、マスクをしていない人に会う方が、むしろ安心します。熱中症で倒れることの方が心配です。登下校中の小学生がマスクをしているのも、気の毒でなりません。

私は、時々、散歩しますが、人の少ないところではマスクを外し、店の近くなど人通りが増えてきたときに初めてマスクをします。マスクをしていないときに、近づいてくる人があると、うつむいてなるべく距離を取るように道を譲ります。先日、そのようにして、ふと顔を上げると、すれ違ったご夫婦(60代くらい)がお二人ともマスクなしだったので、ほっとしました。医学的には、65歳以上の高齢者も呼吸機能が衰えているので、常時マスク着用は危険であるといわれています。65歳以下でも、呼吸障害など何らかの障害でマスクを着用できない人もあります。マスクの非着用に寛大であってほしいと思います。


最近『コロナ脳 日本人はデマに殺される』という本を読みました。『コロナ論』1~3巻の著者・漫画家小林よしのり氏と、獣医学博士・宮沢孝幸氏の対談本です。

宮沢孝幸氏は、京都大学ウィルス・再生医科学研究所ウィルス共進化分野准教授で、ウィルスの専門家です。獣医学の観点から、現場で色々と調査するそうで、興味深い話が色々書かれています。

宮沢氏は、新型コロナは、有症状患者に比べて、無症状の人はほとんど感染させないとの、アメリカ、フロリダ大、ワシントン大の研究者の発表について、述べています。


☆☆☆

アメリカのフロリダ大やワシントン大の研究者らがコロナの家庭内感染率を調べた研究結果が2020年12月に発表されていて、無症状の人が他の家族に感染させた確率は0.7%だった。有症状者の場合は、18.0%です。
 家の中ではマスクしないし、食卓囲んでご飯食べて、ときには大笑いしたり、大声出したりもするでしょう。家族は常に濃厚接触をしているわけで、非常に感染が起きやすい状態だけど、無症状の人からはたった0.7%。
 たぶん、この0.7%は、夫婦間のディープキスだと思う。(p66)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

☆☆☆


最後の「夫婦間の…」というのは、根拠があります。


☆☆☆

新型コロナウィルスは何個くらい入ると人への感染が成立するかというと(中略)ワクチン開発ではアカゲザルを使った動物実験をしていて、アカゲザルに感染させるために、100万個単位のウィルスを肺に直接流し込んでいるようで、そのレベルの量を入れないと確実に感染させられないと研究者が判断したのだろうと思います。(中略)人の場合、最低でも一万個くらいウィルス粒子が入らないと感染しないだろうと推測しています。
発症前後で体内のウィルス量が最大になっている状態で、口の中に1ミリリットルあたり100万個くらいのウィルスがあって、そのうち1万個が唾液や飛沫で他人の口の中に入って感染が起きる、そんなイメージだと思います。ウィルスが1万個入った唾液の量は10マイクロリットルくらい、小さなスポイトで1滴採ると20マイクロリットルなので、その半分くらいの量です。半滴です。(p72)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

☆☆☆


昨年、ホストクラブでのクラスター発生が話題になりましたが、宮沢氏は新宿・歌舞伎町のホストクラブへ調査のためオーナーに話を聞きにいったところ、対策を打ったので、今年はまったくクラスターが発生しなくなったとのことです。


☆☆☆

[宮沢] 私、クラスターが発生した新宿・歌舞伎町のホストクラブへ、調査のために話を聞きにいったことがあるんです。(中略)

宮沢 そこのオーナーは店をたくさん持っていて、そのうちの何軒かでクラスターが発生していた。オーナーは、「どうすれば感染が起きるのか理解したので、今は完璧に対策して、起きないようになった」と自信満々だったんですよ。それで店の中を見たら、誰もマスクしていない。客との距離を少し空けて、静かに会話しているだけなんですが、その程度の対策だけでクラスターが起きなくなったと言っていた。
 それで、「どういう状態だとクラスターが起きると思います?」と、当時の店内の状況を撮ったビデオを見せられたんですが、文字通り、ドンチャン騒ぎでした。シャンパン回し飲みして大騒ぎしているのが映っていた。(p68)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

☆☆☆


宮沢氏は、近距離で、マスクせずに大声で長時間しゃべり続けるのでもなければ、飛沫感染はしない、マスクが必要なのはそういう場面だけで、通行してすれ違ったくらいでは、感染しないと述べています。私見ですが、ホストクラブは、ワインの回し飲みが、原因かも知れませんね


家庭内で有症状者がいても、感染率18%というのは、一般の風邪やインフルエンザよりも感染率が低いのではないでしょうか。子供が一人かかると次々に兄弟が罹患して家庭内のほぼ全員が感染する風邪もありますが、18%と言えば、5人家族で1人しか感染しないということで、むしろ感染率が低いのではないかという気がします。


コンピューター富岳の実験では、マネキンが咳の飛沫をもろに浴びる映像が流されて、飛沫感染を防ぐのにマスクが有効と言いますが、実生活の場で、相手の至近距離で大口を空けて咳を浴びせかける人などまずいないし、そういう人を目の前にして、口を空けて、その咳を思い切り吸い込む人もいないでしょう。顔をそむけて避けると思います。

大声を出して至近距離で話すならマスクが有効なのかもしれませんが、静かに会話をする分には食べ物を口に運ぶ時以外はマスクせよという、マスク会食ルールも不要だと思います。そもそも普通は大声を出す必要もありません。

街中を歩くのでも、同じでしょう。通気の良い屋外では、2メートルといわず、50センチも離れれば、互いの呼気を、思い切り吸い込むことはないと思います。

一人で車を運転している人もマスクは必要ないでしょう。

とはいえ、私も、街中で1メートル以内に何人も人が歩くところでは、世間のルールに従って、マスクをします。マスク着用でなければ入れない店内でのマスク着用は勿論のこと、コロナ以前よりまじめに手洗いしますし、トイレ便座の除菌も念入りにしています。感染対策をおろそかにするつもりはありませんが、マスクの着用の徹底は、熱中症のリスクを考慮して、再考する必要があると思います。この暑さに、屋外で仕事をする人々、小学生、中学生の登下校時など、マスクを外してよいのではないでしょうか。


今日も読んでいただき、有難うございました。
暑い日が続きます。熱中症対策は、水分を十分に摂ることも有効です。どうぞお健やかにお過ごしください。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

明治天皇は女系を容認されていたのか [皇室典範改正]

DSC_173420210718blog.JPG
男系維持を主張する人から、こんな質問をいただきました。

Q. たるとさんは、明治天皇が女系容認だったと言われますが本当ですか?

この質問者は、竹田恒泰氏を尊敬していて、竹田氏の主唱する、大御心とは「歴代天皇の御心」である、今上陛下が歴代の「大御心」に反する女系容認だったら尊重する必要が無い、という思想を信じる人でもあります。

A. そこで、私は次のように答えました

明治天皇は、女系を容認されていたし、明治天皇以来、今上天皇に至るまで(大正天皇、昭和天皇、上皇陛下、今上天皇)容認されていると、考えるのが自然です。それは大正天皇が側室を置かれなかったからです。側室が無ければ男系男子の継承が維持できないのは、明治天皇の時に、既に明らかでした。大正天皇は、明治天皇の庶子でしたから、大正天皇もそのことを十分知っておられながら、側室を置かなかったので、いずれは西欧と同様に、女系容認が必要と考えられていたと、拝察するのが自然だと思います。

また、女性天皇は、歴代天皇において、容認されていました。歴史上、8方10代の女性天皇がありました。 江戸時代の後水尾天皇による明正天皇への譲位、後桜町天皇の即位は、江戸幕府による女性が家督を継ぐことを禁止した「禁中並公家諸法度」を破って強行された女性天皇の即位でした。それが皇室の伝統です。

竹田恒泰氏の「大御心」における「歴代」は、例外だらけであり、一貫した「大御心」が、女性天皇禁止、女系天皇絶対反対、女系天皇になると日本が亡びるとのお考えである、と主張する竹田氏は、真の「大御心」を理解しているとは、到底思えません。

本題に入ります。

明治天皇が「女系天皇、女統を容認」とのお言葉を残しているという記録は、見つけることができませんでした。読者の方で、そういう記述があると知っている方は、ぜひ教えていただきたいと思います。

私の想像ですが、明治天皇も立憲君主たらんとされたので、直接のご発言は控えられ、大正天皇、昭和天皇、上皇様、今上陛下と同様に、記録が残されていないかも知れません。


しかし、旧皇室典範(明治22年)の制定過程において、「女系、女統」容認の案が、提出されたのは歴史上の事実です。それは「宮内省」案に記述されているので、明治天皇が容認されない内容が、そこに入れられるはずがない、仮に明治天皇が「何よりも男系優先、男系を護持しなければ国が亡ぶ」とお考えだったなら、宮家が数多くある中で、「女系、女統」が明記された案を、元老会議に検討させることは、考えられません。すなわち、明治天皇は「女系、女統」を容認されていたと考えるのが自然であり、当然であると思います。

以下、関連する資料からの引用を列記します。


☆☆☆

【明治典範制定に至るまでの女性天皇に関する議論】
①各種憲法試案の中に、皇位継承資格を男性のみとする案や女性の皇位継承も可能
とする案がある。
②制定過程における皇位継承資格の変遷
- - 35
〔日本国憲按〕(元老院による立案:明治9年~13年)
・明治9年案 …女性も皇位を継承できるとする案
・明治11年案…女性は皇位を継承できないとする案
・明治13年案…女統による皇位継承もできるとする案
〔皇室制規〕(宮内省による立案:明治18年~19年頃)
・女性・女系による皇位継承もできるとする案
〔井上毅「謹具(きんぐ)意見」〕(明治18年~19年頃)


(「皇室典範に関する有識者会議 報告書 平成17年11月24日」)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

(「参考資料」(pp34~35))
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/sankou.pdf

☆☆☆

[説明]

明治9年以来、元老院による立案が、何回かありました。
注目すべきは「日本国憲按」明治9年案、明治13年案、及び明治18年の「皇室制規」案に次の通り、女系、女統による継承を認める条文があったことです。


☆☆☆

1.日本国憲按
(1)明治9年案:女性も皇位を継承できるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 現今統御スル皇帝ノ子孫タル可キ者ヲ以テ帝位継承ノ正統ノ裔トシテ帝位ヲ世伝ス
第二条 継承ノ順序ハ嫡長入嗣ノ正序ニ循フ可シ尊系ハ卑系ニ先チ同系ニ於テハ親ハ疎ニ先チ同族ニ於テハ男ハ女ニ先チ同類ニ於テハ長ハ少ニ先ツ

(3)明治13年案:女統による皇位継承もできるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 今上皇帝ノ子孫ヲ帝位継承ノ正統トス
第二条 帝位ヲ継承スル者ハ嫡長ヲ以テ正トス如シ太子在ラサルトキハ太子男統ノ裔嗣ク太子男統ノ裔在ラサルトキハ太子ノ弟若クハ其男統ノ裔嗣ク嫡出男統ノ裔渾テ在ラサルトキハ庶出ノ子及其男統ノ裔親疎ノ序ニ由リ入テ嗣ク
第三条 上ノ定ムル所ニ依リ而シテ猶未タ帝位ヲ継承スル者ヲ得サルトキハ皇族親疎ノ序ニ由リ入テ大位ヲ嗣ク若シ止ム事ヲ得サルトキハ女統入テ嗣ク事ヲ得

2.皇室制規:女性・女系による皇位継承もできるとする案。
皇位継承ノ事
第一 皇位ハ男系ヲ以テ継承スルモノトス若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス男女系各嫡ヲ先キニシ庶ヲ後ニシ嫡庶各長幼ノ序ニ従フヘシ

(資料3-1「資料3-1-14」)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3-1.pdf

☆☆☆


[説明]

素人考えですが、明治9年の案は、「同族に於ては男は女に先立ち」とあるものの、男統の跡継ぎが無い(13年案)、男系が絶える時(19年案)という文言が無いので、女性が跡継ぎになることが、順序によって、自然に認められるようになっている気がします。最初の案が、そのようであったことは、皇室の伝統において、女性天皇継承が自然であったことを表わしているように思われます。

かなり難解な文章です。尊系と卑系の意味の違いがよく分かりません。細かいところの読みがすぐには分からないので、時間をかけてもう少し読み込もうと思います。もしも、読者の方でこの文章を読解できる方があり、また現代語訳がありましたら、お教えいただければありがたいです。

この経緯を、国史大辞典では、明治19年の案のみを、取り上げて以下のように解説しています。


☆☆☆

皇室典範
こうしつてんぱん
皇室および皇族の基本であり、皇位継承をはじめ、結婚・摂政・皇族などが定められている。明治二十二年(一八八九)非公式に発表され、明治四十年と大正七年(一九一八)に増補を加えた。第二次世界大戦後の昭和二十一年(一九四六)、現在のものに改正されている。明治十五年伊藤博文が欧州に赴いた際、オーストリアのローレンツ=フォン=シュタインから皇室の家法をつくるようすすめられた。伊藤は同十九年から皇室典範の取調べを始めた。最初の案は皇室制規で、シュタインの意見を参考とし、皇位継承・丁年および結婚・摂政・皇族について定めた。女系の継承権を認め、庶出の子女は皇族として待遇しないことにした。

(「国史大辞典」「皇室典範」
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=132

☆☆☆


[結論]

2005年小泉政権による有識者会議の報告が提出されて以来、女系容認、男系固持の論が、取り交わされています。有識者会議では、色々と深いことが議論されていたのだなあと、資料を調べて、思いました。

明治時代の、欧州の識者に作成を薦められて、歴史始まって以来初めて作成された旧皇室典範成立の過程に於いても、既に、女系容認案、男系男子限定案の、押したり引いたりの議論があったのは、驚くべきことです。議論の過程を垣間見ても、今の議論とあまり変わりないことが問題にされています。歴史は繰り返すということですね。

明治時代の旧皇室典範制定において、宮内省が提出した明治9年案、13年案、19年案に、明治天皇のご意向が反映されていないはずがないので、明治天皇は男系固執ではなく、女系でもよい、すなわち女系を容認しておられたと拝察しても、間違いないと思います。

2005年の有識者会議の報告も同様に、当時の天皇(上皇陛下)のお考えが反映され、「女系容認」となっていたことも、間違いないと拝察いたします。


今日も読んでいただき有難うございました。
もうすぐオリンピックですね。皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

天皇の御歌(71)―第10代・崇神天皇(2) [崇神天皇]

DSC_169020210713blog.JPG
第10代・崇神天皇の御事績と御歌を学びます。第2回目です。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)

前回では、神武天皇以来、「この宝鏡を(み)視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」との天照大神の御言葉のままに、皇居内に奉斎していた八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とを、皇居の外、大和の笠縫(かさぬひ)にお遷ししたという話をしました。皇居内には、神鏡と御劔の模造が安置されています。

この大きな変革がなされた、ことの始まりは、疫病でした。崇神天皇の御代の五年、国内に疫病流行、多くの人々が死に、また治安も乱れるさまとなりました。

日本書紀(巻第五)には、以下のように書かれています。文中の五年、六年は、崇神天皇の治世の五年、六年という意味です。


☆☆☆

“五年に、國内(くにのうち)に疾疫(えのやまひ)多くして、民(おほみたから)死亡(まか)れる者ありて、且大半(なかばにす)ぎなむとす。
六年に、百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。或いは背叛(そむ)くもの有り。その勢ひ、徳(みうつくしび)を以(も)て治めむこと難(かた)し。是(ここ)を以(も)て、晨(つと)に興(お)き夕(ゆふべ)までに愓(おそ)りて、神祇(あまつかみくにつかみ)に請罪(のみまつ)る”(p238)

(『日本書紀上 日本古典文学大系57』岩波書店))

☆☆☆

言葉の意味:

晨(つと):夜明け、早朝

[感想]

疫病の流行は、現代のコロナ禍をほうふつとさせますが、「且大半(なかばにす)ぎなむ」とあるとおり、民の半分以上が亡くなったとすれば、コロナどころではありません。
人心が不安定になり、家を失って流浪する民の中には、罪を犯すものもある、それは今も変わりない気がします。家や職を失って、ネットカフェの立てこもり事件が起きる、自殺者が増える、皇室のスキャンダルが話題になるなど、日ごろ見られない動揺が、社会全体に表われている気がします。

この時代にも、不安に勢いがついて、平常の穏やかな徳(みうつくしび)の政り事(まつりごと、政治)だけではおさまりがつかない、そんな様子が描かれています。そこで宮中では、早朝から、夕方まで、天津神地祇(あまつかみくにつかみ)をお祀りして、世の平らかならんことを願われました。

現代において、天皇陛下が、各行事などで発せられるお言葉で、いつもコロナの終息を願われるのも、同じで御心だと思います。

天皇陛下は、先月6月25日に、オンラインで開催された第5回国連水と災害に関する特別会合で基調講演をなさいましたが、そこでも講演の冒頭で次のように、新型コロナウィルス感染症において、献身的に尽力する医療従事者への敬意と感謝を表され、世界的各地の大規模な自然災害の犠牲になられた方々に哀悼の意を表わされ、被災者にお見舞いを述べられました。


☆☆☆

“今,世界は新型コロナウイルス感染症によるさまざまな試練と困難に直面しています。多くの命を救うために,日夜献身的に力を尽くされている医療従事者の方々に深い敬意と感謝の意を表します。また,この未曽有の疫病下にあっても,大規模な自然災害は世界各地で発生しています。日本でも,昨年,西日本を中心とした豪雨災害により大きな被害が発生しました。新型コロナウイルス感染症や災害の犠牲となられた多くの方々に心から哀悼の意を表し,被害を受けた方々に心からお見舞いを申し上げます。”

(「第5回国連水と災害に関する特別会合における天皇陛下基調講演」)
https://www.kunaicho.go.jp/page/koen/show/5

☆☆☆


天皇陛下も宮中において、2千年前の崇神天皇と同じように、日夜、世の平らかならんことを切に願い、祈っていらっしゃることと拝察申し上げます。


天照大御神を宮中から外にお遷ししたことについて、山口悌治氏は著書『万葉の世界と精神 前篇』の中で次のように述べています。天つ神と同時に、地祇(くにつかみ)を祀ることも励行されたことが、述べられているのが、眼を開かされる思いです。

☆☆☆

“この崇神天皇の治世には、きはめて重大なことが二つある。
その一つは、従来同床共殿の神勅のまにまに、宮中に奉斎せられてきた天照大御神を、倭の笠縫(さらに伊勢への鎮座は次の垂仁天皇の御代のことで、以後今日に及んでゐる)に遷しまゐらせ、皇女豊鋤入姫命をして斎き祭らせ給うたことである。(中略)
もう一つの神勅、「宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あめつち)とともに窮(きはま)りなかるべし」のとほりに、大和朝廷の統治の範囲がいよいよ拡大されると共に、治世下には、表向きは臣従してゐるものの、中には荒ぶる氏族や豪族や土豪達もゐて勝手に振舞ふあり、また反抗をしめすものもあり、またそれぞれに自己の氏神や産土神や地祇を奉じてゐるのであるから、天照大御神を宮中に昔ながらに奉斎してゐることは、天照大御神を皇室だけの氏神の如くに受けとらしめることであり、これこそ全く畏れ多きこととして、宮中から笠縫に遷し祀られ、天照大御神こそ、ありとしあらゆるものをあらしめ給ふ根元の神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の顕現にましまし、一切の天つ神地祇(くにつかみ)の総攬神としての神格を明かにしようとせられたのである、と私は考へる。したがってこれは神人の分離などといふべき事柄ではなく、皇祖神(こうそしん)であるといふことは、同時に神々の総攬神であることの不変的神格の徹底を期せられたものと解するのである。
第二のことは、この第一のことと呼応して、広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないかと思ふのである。”(pp51~52)
(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』)日本教文社)

☆☆☆

「広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。」

天照大御神をお遷ししただけでなく、地祇(各地の産土神、各氏族の氏神等)もあつく祀らせたことに、心打たれます。

西欧諸国でイスラム教を信じる地域を占領した時に、イスラム教寺院の地上部分を破壊してその上に建てられた教会があるとテレビで見たことがあります。

日本であれば、イスラム教寺院を残して、その横にキリスト教の教会を建てて、イスラム・キリスト習合の寺院を建てるようになったかも知れません。天つ神と地祇(くにつかみ)を祭る人々が、単純な支配・被支配の関係ではなかったことが伺われます。

「天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないか」

という海辺の民のために船を造らせたり、農業に従事する民を豊かにせよと灌漑用の池を各地につくらせたことにも、深い感動を覚えます。具体的な経済を豊かにする施策を実行されるご治世に、国民と共に歩む皇室の姿を思わせられます。


現代のように医療万能でない崇神天皇の御代は、疫病のまん延には、神に祈ることを第一にすえて、対応するしかなかったとも言えます(祈るだけでなく具体的な政策も施されました)。

災害にあったとき、そこから立ち直れる、立ち直りを支える力が何であるかを考えさせられます。「病は気」からの言葉の通り、人間の気持ちの安定が免疫力を高めること、人と人、人とペットとの愛情が幸福感を増すホルモンを出させて、健康に寄与することなどは、現代の医学も認めるところです。

神仏に祈ることで気持ちが落ち着き、病気が快方に向かうとか、たとえ肉親を失っても立ち直る力を与えられるとなれば、神仏に手を合わせるという、古代の人々の知恵に学ぶのも必要かもしれません。

歴史をかえりみれば、古代のみならず、後の時代においても、疫病が収まった後に、大きな社会改革が生まれ、新たな時代が展開することも、しばしばみられることです。

歴史の一コマを生きる者として、「災い転じて福となる」と信じて、希望を持って、毎日を過ごしたいと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様が、心に希望を抱いて進める一日でありますようにと、お祈り申し上げます。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

男系派・百地章氏のご都合主義―女系に価値を認めつつ、反対? [皇室典範改正]

DSC_171220210710blog.JPG
男系派の論客・百地章氏(国士舘大学特任教授)は、皇室の伝統は男系であると強固に主張しています。

『「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』のヒアリング講師に招かれた、百地章氏の資料を、読んでみようと思いましたが、探すのが大変でした。

内閣官房ホームページの第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第をやっと探し当てることが出来ました。

こういう大切な資料は、多くの国民が検討できるように、もう少し、見つけやすくしていただきたいと思います。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

をクリックすると、以下のページが出て来ます。

++++++++++++++++++
内閣官房

第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第
日時:令和3年5月10日(月) 16:45~19:00
場所:総理大臣官邸大会議室
(中略)
配付資料
(中略)
資料5 : 百地 章 国士舘大学特任教授 説明資料(PDF/2,308KB)

++++++++++++++++

ここで資料5のPDFをクリックすると百地氏の資料を読むことが出来ます。

以下に部分引用します。

++++++++++++++++++

1、「皇室の伝統」及び「憲法」は「男系」…問4

(1)皇室の伝統は、いうまでもなく「男系」(126代の天皇は全て「男系」)であ
る。…資料①天皇系図
・天皇の系図を見ると、直系継承ばかりではなく、非常に複雑である。これは
「男系による皇位の継承」を維持するためであった。「直系」が長く続いた例
は、初代神武天皇から第13代成務天皇までや、第119代光格天皇から第
126代今上天皇までなど数少ない。それ故、「直系」を優先し、結果的に女
系をもたらすやり方は、皇室の伝統を否定するものである。

「資料5 百地氏説明資料」、『第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第』
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

++++++++++++++++

○百地氏は、男系はいうまでもなく皇室の伝統といいますが、「男系」がこれまで続いて来たのは、天皇が複数の奥様を持つ「側室制度」と言う条件に支えられていたので、側室制度が無くなった昭和から、皇室の不変の伝統ではなくなったというのが、私どもの考えです。明治天皇でさえ、将来を見越して「女系」の採用を検討されていたのも、男系男子の継承が「不変の伝統でない」ことを証明しています。また男系男子の継承が、固定化、明文化されたのは、明治22年の典範制定以来のことで、それまでは「女性天皇」が認めらていました。男系男子限定は、近代明治以来の新しい伝統で、決して日本古来の伝統ではありません。

明治天皇が女系を容認されていたことは、当ブログで5月24日に述べています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/20210524


○百地氏が挙げていない憲法学者の権威が、有識者会議において、最新の判断として、世襲に女性も含まれることを述べています。さらに、旧宮家系男子の婚姻を介さない皇室入りは「門地による差別」、家格による差別であり、憲法違反(第14条)が濃厚であるとも、述べています。

「門地による差別」については、高森明勅氏が、ブログで説明されています。
https://www.a-takamori.com/post/210515


今日は、取り上げるのは、女系を都合よく利用する男系派の、2枚舌についてです。
百地氏は旧宮家を推薦するに当り、次のように述べています。


++++

(3)戦後、皇籍を離脱された旧宮家の方々は、明治以降、すべて伏見宮家の家系に属
しておられた。そして、旧皇族およびその男系男子孫の方々は、現在の皇室と親
戚関係にある方々ばかりである…資料➂旧宮家略系図

➀現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。具体的には、久邇家の当主邦昭氏は、上皇陛下と従兄弟関係にあり、東
久邇家の当主も今上陛下と従兄弟関係にある。また、東久邇家には明治天皇と昭
和天皇のお二人の内親王が降嫁され、竹田家にも明治天皇の内親王が降嫁されて
いる。さらに、旧賀陽宮家は、明治時代に久邇宮家から分家して設立された。

(5)皇室典範の特例法として、「旧皇族の男系男子による皇族身分取得特例法」(仮称)
や「旧皇族の男系男子による養子特例法」(仮称)を制定し、旧皇族の男系男子孫
の中から何人か若い相応しい方々に「皇族」になって戴いたり、現宮家の「養子」
という形で「皇族」になって戴き、将来「宮家」を名乗って戴く。そして悠仁天皇
を支えて戴く…問9 問3

+++


[感想]

「現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。」と百地氏は述べています。

○百地章氏が、「女系」に意味を認めない論調を重ねながら、旧宮家が、内親王の降嫁により、現在の皇室と親戚関係にあるというのは、ダブル・スタンダード、2枚舌です。「女系」に意味が無いのなら、内親王が降嫁された宮家が、現在の皇室と女系を通じた親戚関であることにも、意味はないと述べなければ、思想の一貫性が保てません。

女系の内親王のお血筋に意味を求めるなら、現在、皇族でいらっしゃる、天皇直系の内親王(愛子様)、傍系の内親王お二方(眞子様、佳子様)こそ、現在の天皇のお血筋が最も近い方々で、大切にしなければなりません。その方々を、意味の無いことのように扱うのでは、思想に一貫性がありません。皇族を自分たちの都合で好き勝手に選ばないでほしいです。


男系のお血筋に着目するにしても、いわゆる旧宮家の昭和22年の臣籍降下以前にも、臣籍降下された例があります。

高森明勅氏は、7月8日のブログ「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」で次のように、明治時代に臣籍降下された王・親王について、述べています。


☆☆☆

《明治以降に皇籍離脱された方々》

又、明治以降に限定しても、皇籍を離脱された親王・王が14方いらっしゃる。

明治21年6月28日に臣籍降下された清棲家教伯爵(伏見宮邦家親王第15男)が早い例で、龍田徳彦伯爵(久邇宮多嘉王第3男、後に養子縁組により梨本姓)が昭和18年6月7日に降下されたのが、最も降ったケースだ。


この方々ご本人は、もとより「元皇族」。

その子孫の男性も「(皇族ではない)皇統に属する男系の男子」に該当する。

今回、有識者会議のヒアリングに招かれた聴取対象者が提出した説明資料を見ると、「(皇族でない)皇統に属する男系の男子」を「(いわゆる)旧宮家の男系男子孫」“だけ”と短絡しているケースがあった(八木秀次氏ほか)。

初歩的な無知と言うべきだ。


「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」2021.07.08「高森明勅公式ブログ」)
https://www.a-takamori.com/post/210708

☆☆☆


高森氏が例に挙げているのは、それぞれ宮家から臣籍降下された方々のようです。

なお、昭和22年臣籍降下された旧宮家は、男系の血筋で天皇をたどるなら、北朝第3代・崇光天皇(在位1348~51)の子孫です。

天皇の直系に着目すれば、崇光天皇より後の時代の天皇の直系で、臣籍降下された方もあります。

第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の曾孫(ひまご)、忠幸王(源朝臣忠幸)です。

正親町天皇(おおぎまちてんのう)は、日本の第106代天皇(在位:1557年11月17日〈弘治3年10月27日〉 - 1586年12月17日〈天正14年11月7日〉)です。
.wikipedia.から引用します。

男系の血筋から言えば、忠幸王(源朝臣忠幸)の子孫の方が、現代の天皇にお血筋が近いと言えるでしょう。


☆☆

「臣籍降下」

江戸時代
忠幸王(源朝臣忠幸)
正親町天皇曾孫。名古屋藩主徳川義直の女婿となる。清華家の広幡家初代。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B

☆☆


旧宮家の臣籍降下は「GHQの干渉による不本意な臣籍降下だったから特別扱いせよ」は、男系派の口癖ですが、それでは何故、日本が独立を果たした昭和27年(1952)4月28日以後に、皇籍復活の動きが無かったのでしょう。大日本帝国憲法の復元が成立しなかったのと同様に、皇籍復活が不要であると当時の政府、国民が判断したとしか言いようがありません。今さら、文句を言って70年前に戻そうとしても、すでに手遅れです。


男系派の議論は、ぽろぽろ、ぼろが出てきて、それを隠すために次の無理筋なことを実行しようとする、そういう状態に陥っていて、日本にとって、ますます害を流すに至っていると思います。そういうことを少しずつ書いていきたいと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ皆様も、良い一休日をお過ごしください。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コロナとの共生を考える―コロナには日本に合う対応を [新型コロナ]

昨日は、日本では新型コロナの死者数がインフルエンザとほとんど変わりないという話をしました。

また、新型コロナの場合、別の病気、極端な例では自殺で亡くなっても、死後のPCR検査でコロナウィルスが検出されれば、コロナ死とされてしまうとのことです。このため、実際は、インフルエンザより死者数が少ないとさえ言われています。

しかし、日本では新型コロナはインフルエンザ以下であるとか、国によって患者数が大きく異なる、東アジアや日本ではけた違いに患者数が少ないという話を、You tube で放映すると、番組が配信停止、削除されます。

これまで聞いた事例は、漫画家小林よしのり氏の番組、札幌のソーランドラゴンの番組です。「コロナは日本では欧米より死者数が少ない」「コロナの脅威はインフルエンザ以下」という言葉がAIのチェックに引っかかると、削除されてしまうとのことです。

戦後生まれの私はGHQ(進駐軍)の検閲は知りませんが、それと似たようなことが、現代の日本で行われるとは思いもよりませんでした。当たり前だと思っていた「言論の自由」は、当たり前ではなく、先人が勝ち取ってきたものなのですね。

昨日も書いた通り、インフルエンザの死者は今でも年間約1万人、新型コロナの死者は1年半で1万5000人です。厚生労働省の発表している文章です。最流行期とされるこの1年半でも、コロナの死者は、毎年のインフルエンザと大差ありません。感染者数は、インフルエンザの場合、無症状者はもちろんカウントされませんから、新型コロナの感染者の何十倍に上るはずです。


☆☆☆

直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

(「厚生労働省ホームページ」「新型インフルエンザに関するQ&A」)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

☆☆☆

言葉の意味:

超過死亡(ちょうか‐しぼう)
予測される死亡者数と比較した場合の、増加分の死亡者数。感染症の流行時に算出されるものは、その感染症が社会に及ぼす影響の大きさを見る指標の一つとなる。超過死亡数。(コトバンク)

超過死亡 感染症による死亡だけでなく、他疾患を含めたすべての死亡数が平年に比べて増減したか示す指標。インフルエンザの流行が社会に与えた影響を把握するため開発され、世界保健機関(WHO)が評価指標として推奨している。(日本経済新聞2021年3月29日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70364640W1A320C2TCC000/

つまり、インフルエンザが流行したことによって、その年にどれだけ死亡者が増えたかということです。コロナウィルスの現在の統計の取り方と結果的に同じ意味を持つと思います。


○日本と世界の比較

表1は、7月7日東京新聞に掲載された、日本の感染者数(死者数)のコピーです。データの大きさの関係で2分割しましたが、同一の表の左部分です。少し見づらいかも知れませんが、左下に、これまでの感染者数(死者数)の累計の数字があります。累計死者数は、1万4902人です。

表1
img03220210708blog1.JPG


表2は、同じ表の右部分、感染者数(死者数)が多い、海外5か国のこれまでの累計です。

表2
img03220210708blog表1.JPG


日本の死者数は、米国の40分の1、インドの27分の1、ブラジルの35分の1です。もちろんそれぞれの国で亡くなられた方々はお気の毒だと思いますが、日本がこれらの国々と一律に同じ対策を取るのが、有効なのか、経済など総合的に考えて本当に必要なのかを、考え直す必要があるのではないでしょうか。

新型コロナの患者が少ないのは、ステイホームやマスク着用、飲食店営業の制限によって、人流を減らしているからと言われるかも知れません。しかし、それだけでは説明できないファクターXがあると言われています。

ひとつには、日本の歴史を紐解くと、疫病の流行が何回もありました。当時の日本が交流していたのは、朝鮮半島、中国でしたから、遠い昔から、中国からの疫病に何回もかかって、中国から遠い国々に比べて、耐性ができているとも考えられます。


とは言っても、これまでになかった新しい感染症なのだから、医療従事者の対応の負担が大きく、医療崩壊、医療のひっ迫が起きているではないかと思う人もあるでしょう。

しかし、医療のひっ迫は、感染症の第2類指定を、第5類に引き下げれば解決します。

以下に第1類から第5類までの対応の分類票を掲げます。

https://yahoo.jp/NMIbjU

分類表を見て気が付きましたが、「濃厚接触者へ外出自粛要請」を指定されているのは、新型コロナだけです。これを外すだけでも、随分、不自由度が変わるのではないでしょうか。患者を隔離するという発想はここから来ていると思います。この隔離の考え方で、医療者の負担も大きくなっています。その他の対応も「エボラ出血熱」と同じで、とても厳しいものになっています。実態を考えたら、そろそろインフルエンザ並みにしても良いのではないでしょうか。そのために、まず第一に、「ゼロ・コロナ」は達成できない、共生を目指すしかないとの発想の転換が必要だと思います。

現場で医療に携わる医師からも、2類を5類に変えてほしいとの声が多く上がっています。2類であるために、治療に対応できる病院が限られてしまうからです。


☆☆☆

日本の医療法では都道府県知事は病院の医療内容に口を出せません。そのため公的医療機関に新型コロナ患者の受け入れを指示するしか打つ手がなく、一部の公立病院と高い使命感を持った一部の私立病院に負担が集中してしまい医療者が疲弊してしまっているという構図が現状の「医療崩壊」と言われている状況です。

 公的医療機関が中心の欧米と異なり、日本では8割以上を民間病院が占めています。しかし新型コロナ患者を受け入れない民間病院が悪いと短絡的に決めつけてはいけません。指定感染症第2類相当とされている限り、致死率5割超のエボラ出血熱並みの対応を求められるとしたら、金銭的な余力がなく赤字なら倒産せざるおえない民間病院にはあまりにも負担が過大であることに加えて、万一クラスターでも起こしてしまったら意地悪なマスコミの格好の餌食となって風評被害も甚大なものとなり、最悪の場合倒産も避けられないという厳しい現実も存在するのが現状だからです。(中略)

2類相当から5類に引き下げれば医療の逼迫はかなり抑えられて安定すると思われます。しかしゼロを目指して感染を抑えようとはしなくなるため感染者は爆発的に増える事が予想されます。そのときにマスコミや一部の市民団体等から責められ吊るしあげられるのが専門家も政府も怖いのだと思いますし、その気持ちは十分理解できます。

 しかし医療の逼迫を抑えることができれば、別のたくさんの疾患の患者さんを救えるようになります。残念なことにこれは数字に表れず評価されません。しかし中枢部にいらっしゃる誰かが行動していただかないと日本は経済も医療も沈没してしまいます。

「2類指定は果たして正しいのか? (2021-01-18)」
http://www.momotaro-net.com/column/51.html

☆☆☆

この医師は「ゼロを目指して感染を抑えようとはしなくなるため感染者は爆発的に増える」と書いていますが、多少増えるとしても、爆発的に増えるのは、この1年半に無かったのですから、杞憂だと思います。

2類から5類にすれば、医療のひっ迫は避けられる、そのために新型コロナはインフルエンザと同様の対応で乗り切れることを、多くの国民が認識する必要があると思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ良い週末をお過ごしください。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

天皇の御歌(70)―第10代・崇神天皇 [崇神天皇]

DSC_168920210709blog.JPG
前々から気になっていた第10代・崇神天皇の御事績と御歌を学びます。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)

なぜ崇神天皇が気になっていたかと申しますと、初代・神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」というお名前を以て呼ばれているからです。

神武天皇:始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)

崇神天皇:御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)

と、漢字は異なっていますが。

ハツクニシラススメラミコトと呼ばれたのは、新しい時代を切り開かれたからだと思い、崇神天皇の御代にどのようなことがあったのか、興味を覚えました。


☆☆☆

崇神天皇は、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと)と申し上げ、第九代・開化(かいか)天皇の第二皇子。第二代・綏靖(すいぜい)天皇以降、八代・五百六十三年間は、神武天皇の御創業を継がれて、守勢を御事となされたが、この天皇の御代の五年、国内に疫病流行、多くの人々が死に、また治安も乱れるさまとなった。崇神天皇は、それまでの歴朝が皇居内に奉安した三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との御二つを鄭重(ていちょう)に大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられ、さらに御鏡(みかがみ)と御劔(みつるぎ)とを模造せしめて、これを皇居内に安置せられることになった。このほか、この天皇の御代に北陸・東海・西海・丹波の四地方に四道将軍(しどうしょうぐん)が派遣され、特に皇族を用ひられて人心の収攬に当てられ、永く文武の大権が天皇に置かれる基盤を確立された。崇神天皇に対し、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と後世から御讃へ申し上げるやうになったのも故あることであった。なほ、次の垂仁(すいにん)天皇の御代(B.C.5)に、皇大神宮を伊勢の五十鈴川のほとりに遷された。こゝへの引用は、「日本書記・巻五」に拠った。
(御陵墓は、奈良県天理市にある、山ノ邉道匂岡上陵(やまのべのみちのまがりのをかのへのみささぎ)[前方後円]と申し上げる。)
(p21)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首 -』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

崇神天皇の主な御事績は以下の通りです。

① それまでの歴朝が皇居内に奉安した三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との御二つを鄭重に大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられ、御鏡と御劔とを模造せしめて、これを皇居内に安置せられたこと。
② 北陸・東海・西海・丹波の四地方に四道将軍が派遣され、特に皇族を用ひられて人心の収攬に当てられ、永く文武の大権が天皇に置かれる基盤を確立されたこと。


① は伊勢神宮の起源が、崇神天皇の御代であったことを表わしています。伊勢神宮の起源について、高森明勅氏は著書『この国の生い立ち』で次のように述べておられます。

☆☆☆

神宮の起源は、もとは「この宝鏡を(み)視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」との皇祖の神勅(日本書紀 神代下、第九段・第二ノ一書)のままに、皇居内に奉斎していた神鏡を、皇居の外にお遷ししたのに発すると伝えられます。(崇神天皇紀、皇大神宮儀式帳等)
 天照大神は「皇祖神として、子々孫々に、祭祀の根本(神鏡の奉拝)と統治の根拠(皇位の世襲)と生産の根源(稲作の伝習)とを、明確に示された神様」(所功氏)とされます。その大神の「御霊(みたま)」(古事記)といつき奉る神鏡を、皇居の外にお遷し申し上げたことは、上古史上空前の事件に他なりません。(p112)

(高森明勅著『この国の生い立ち』PHP研究所)

☆☆☆


これを読んで驚きました。天照大神が天孫瓊瓊杵尊(てんそん ににぎのみこと)に下された御神勅では、三種の神器の中の宝鏡(神鏡)を、天皇と、床の同じところ同じ御殿、即ち皇居の中に安置して、斎鏡(いわいのかがみ)とすべしと仰せられたのに、その神鏡を、第十代・崇神天皇が、皇居の外にお遷ししたからです。高森氏の指摘される通り、上古史上空前の事件だったと思います。人々の驚きも大きかったことでしょう。ここに大改革が行われたといっても過言ではないと思います。

このことの意義について、高森氏は次のように述べられています。


☆☆☆

大神の伊勢への奉遷は、天皇が祭祀王的な素朴な王権の境涯を脱却し、より高次の権威と神聖性を体されて国内統治に臨まれる、国政上の新たな歴史段階に達したのに対応します。正しくそれは、統一王権の樹立を証しするもので、むしろその達成を確認する壮挙であったでしょう。その意味では、大和王権は神宮を創始奉ることによって、最終的に成立し得たといえます。(p116)
(高森明勅著『この国の生い立ち』PHP研究所)

☆☆☆


こうして、第10代・崇神天皇の御代に、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との二つを大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられたこと、第11代・垂仁天皇の御代に、天照大神を奉祀せられた皇大神宮を伊勢の五十鈴川のほとりに遷されたことは、大和の国の発展の大きな基盤を築く転機となりました。

内容がとても深いので、何回かに分けて学んで参りたいと思います。

日本人の心の拠り所とされる伊勢神宮の起源と、日本の歴史の発展との関係はたいへん興味深いものがあります。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって清々しい一日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コロナとの共生を考える―ゼロ・コロナよりウィズ・コロナ [新型コロナ]

DSC_166320210708blog.JPG僕は子供と若者には、インフルエンザよりもやさしいんだよと、主張するコロナ君です。→

前回は、新型コロナのワクチンについて、問題とされている点を書かせていただきました。

昨日、7月7日、天皇陛下が第1回のワクチン接種をされたことを宮内庁が発表しました。国民と共に歩まれる天皇陛下らしいご決断と拝させていただきました(私としては不安ではありますが)。天皇陛下以外の皇族は上皇陛下御夫妻はじめ、65歳以上の方々が接種されたとのことですが、その方々以外の皇族の接種については非公表とのことです。リスク管理がなされていることを祈らせていただきます。

一昨日の東京新聞1面トップに、ワクチンに関する日本医師会常任理事・宮川正明氏の話が掲載されていました。ワクチン接種を薦める記事ですが、同時に副見出しに「納得できない人、打たない権利も」とあります。「打たない権利」が尊重されるのも大切だと思います。外からの圧力で、納得いかずに接種することだけは避けてほしいと思います。自分の身体は自分が一番よく知っているはずですから。

昨日の、NHK「朝イチ」では、コロナワクチンに関する疑問、副反応などを「取り上げていました。副反応への備え方などの、疑問に丁寧に答える良い番組だったと思います。発熱、下痢など色々な症状が出ることがあり、前もって準備していた良かったという人の体験も報道されていました。ワクチンは安全との報道一辺倒でなく、マイナス面も隠さずに報道して、各人の判断材料を提供していただきたいと思います。

今日の朝刊に『女性セブン』最新号には「日本製ワクチン シオノギ製薬 承認まで待つべき! これだけの理由」という記事の広告が載っていました。シオノギ製薬のワクチンは、従来と同じ手法で作られているうえ、日本人の体質が良く分かって開発されたワクチンですから、より安全だと思われます。

それぞれの判断でと書きましたが、今日の「日刊ゲンダイDigital」には「厚労省が新型コロナワクチン接種後556件の死亡事例を報告」との記事が発表されています。


☆☆☆

“厚生労働省は7日、この日開かれた専門家の新型コロナワクチンの副反応を検討する合同部会で新型コロナワクチン接種後に死亡した事例556件を報告した。

 その内訳は2日までに米ファイザー社製接種後に死亡した事例554件、米モデルナ社製2件の計556件。2月17日から接種がスタートしたファイザー社製は6月27日までに453件、28日から7月2日までに101件の報告があった。5月22日から接種が始まった米モデルナ社製は前回部会で報告された1例に加え、55歳男性の死亡事例が報告された。”

“また、今回の死亡事例では初めて「ワクチンと症状名との因果関係が否定できない」(因果関係評価αβγのうちα)が報告された。問題となったのは80歳の女性で、5月20日に2回目接種をファイザー社製ワクチンで行い、7日後に亡くなった。報告医は死因を「血小板減少症」「くも膜下出血」として、ワクチンとの因果関係は「関連あり」とした。”

(「厚労省が新型コロナワクチン接種後556件の死亡事例を報告」7/8(木) 9:06配信「日刊ゲンダイDigital」)
https://news.yahoo.co.jp/articles/95ef783c55bca14dd387dbb986560da29106cabb

☆☆☆

○ファイザー社製、2月17日の初接種から、556件

○モデルナ社製、5月22日の初接種から、2件

○今回の死亡事例で初めて「ワクチンと症状名との因果関係が否定できない」と報告された。

これまで、ワクチンと症状名の因果関係は確認できないとの報告が続いていましたが、初めて「因果関係が否定できない」と報告されました。


標題にゼロ・コロナ(コロナの撲滅)でなく、ウィズ・コロナ(コロナとの共生)と書きました。これまでのインフルエンザ、風邪などのウィルスも、撲滅できませんでした。唯一撲滅できたのは天然痘だけだそうです。コロナも撲滅はできないので、共生しかないと思います。

インフルエンザの死者は今まで年間約1万人、新型コロナの死者は1年半で1万5000人です。最盛期と思われるこの1年半でも、死者は、毎年のインフルエンザとあまり変わりません。

歴史を振り返れば、1918年~1920年にかけて世界的に流行したスペイン風邪の、日本本土の死者は45万人でした。
http://aoi-kids.jp/kodawari/benkyokai/20201021.html


1931年にも、世界的なインフルエンザの流行があり、その時の日本の死者は、合計1万5673人だったそうです。これは今回の新型コロナとほぼ同数です。
http://www.bosaijoho.jp/reading/years/item_5934.html

スペイン風邪でも、インフルエンザでも、日常生活が停止されることはありませんでした。そして、スペイン風邪にも、その後のインフルエンザ流行にも揺らぐことなく、日本の人口は増え続け、経済も栄えました。(近年の少子化は疾病流行とは別の理由からです)

スペイン風邪では幼い子供が大勢亡くなったようですが、コロナでは、子供の死者は0名、若者の死亡も3名だそうです。子供、若者には、インフルエンザよりもやさしいウィルスという見方もできます。

これからの季節はむしろマスク着用を原因とする子供の熱中症の方が気になります。少なくとも屋外では、必ずマスクを外した方がよいと思います。

ここまで書いていて、ふと『古事記』神話の一節を思い出しました。


☆☆☆

“最後(いやはて)にその妹(いも)伊邪那美命(いざなみのみこと)、身自(みづか)ら追ひ來たりき。ここに千引(ちびき)の石(いは))をその黄泉平坂(よもつひらさか)に引き塞(す)へて、その石(いは)を中に置きて、各對(おのおのむか)ひ立ちて、事戸(ことど)を度(わたす)す時、伊邪那美命言ひしく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)、かく為(せ)ば、汝(いまし)の國の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺(ころ)さむ。」といひき。ここに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまひしく、「愛うつくし」しき我(あ)が汝妹(なにも)の命、汝(いまし)然為(しかせ)ば、吾(われ)一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(ううぶや)立てむ」とのりたまいき。ここをもちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。”(pp27~28)

(倉野憲司校注 『古事記』岩波文庫)

☆☆☆

言葉の意味:

千引きの石:千人で引かなければ動かせないような重い岩石。

黄泉平坂:『古事記』で、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、

事戸を度す:離別を言い渡す

産屋立てむ:子を産む

[感想]

『古事記』の中で、人の生と死の起源を語る有名な場面です。

離縁の話なのに、「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)」、「愛うつくし」しき我(あ)が汝妹(なにも)の命」と呼び交わす伊邪那美命、伊邪那岐命の思いが切ない気がします。

こうして、一日に、千人が黄泉の国に引き入れられ、千五百人が新たに誕生することになったという話です。人間の生命の力強さが感じられます。困難を乗り越えたとき、必ず新しい希望に満ちた明日が来ると信じて、前向きに、明るく、毎日を過ごしたいと思います。

とりとめのない話になりましたが、一日も早く日常が回復できるように、特に次世代を担う子供たちが伸び伸びと暮らせるように、祈らせていただきます。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって幸多い日でありますよう、お祈り申し上げます。
タグ:神話
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

新型コロナとコロナの予防注射 [新型コロナ]

20210706blogDSC_1664.JPG僕をそんなに怖がらないでと言って泣くコロナ君です。→

長い間、お休みしてしまいました。個人的に多忙だったのもありますが、同時にコロナの予防注射について、次々に驚きのニュースを聞いたので、立ち止まって考えていました。

コロナについて、私はこれまで小林よしのり著『コロナ論』1,2巻を読んで、新型コロナは、日本においては、欧米より圧倒的に患者数が少ないので、インフルエンザ並みの対応をすればよいと考えて来ました。しかし、身近に新型コロナに感染した人も無く、直接困ることがなかったので、比較的のんきに構えて、特に何か意見を述べることはありませんでした。

しかし、コロナの予防注射(ワクチン)については、身近に接種する人もありますし、また当ブログを読んでくださる方も、接種予定があると思うので、取り上げることにしました。

政府はコロナワクチンの接種を推奨していますが、一度、立ち止まって考えた方がよいと思います。危険性を警告する人々があるからです。多くの情報の中には誇張やデマも混じっているかも知れませんが、真面目な医師が真剣に警告している情報が数多くあるのは、間違いありません。科学的にも納得の行く説明がされています。

以下は、NetIB-Newsが紹介した国際政治経済学者の浜田和幸氏のメルマガ「浜田和幸の世界最新トレンドとビジネスチャンス」2021年06月18日の記事です。


☆☆☆

“いずれにせよ、日本でもファイザー社のワクチン接種が進んでいるが、その危険性については十分な理解が得られていないようである。ファイザー社自身が、そうした警告を発しているのだが、日本ではまったく報じられていない。

 たとえば、ファイザー社は5月19日、39ページにおよぶ「ファクトシート」と銘打った報告書を発表した。これはアメリカの食品医薬品局(FDA)の緊急承認ガイドラインに沿ってまとめたもの。それによれば、12歳から15歳の子どもたち1,097人に接種したところ、866人に副反応が確認されたとのこと。

 何と、8割もの高い比率で異常が発生しているのである。幸い、そのうちの半分は軽い症状だったというが、残りの半分は深刻だったことが報告されている。問題は、深刻な副反応に見舞われた子どもたちの大半は「生涯にわたって障害を引きずる可能性がある」との指摘であろう。「メッセンジャーRNA」と呼ばれる、これまで人に注射したことのないワクチンのため、「長期的な副反応については不明な点が多い」ことを製造会社が認めているわけである。

 ワクチン接種の必要性のみが大きく宣伝されているが、製薬メーカーがリスクについて報告しているにも係わらず、日本政府はそうした情報を提供しようとしていないのは、理解に苦しむ。実は、ファイザー社の元副社長も内部告発のかたちで、自社のワクチンが動物実験に際して、死亡したり副作用に見舞われたことを明らかにしている。

 そんな折、フランスから衝撃的なニュースが届いた。ノーベル生理学・医学賞の受賞で知られるウイルス学の権威、リュック・モンタニエ博士による警告である。曰く、「新型コロナウィルス用のワクチンを接種した人は長く生きれない。2年前後で死亡する可能性が高い。残念ながら、すでに接種した人には治療方法がなさそうだ。遺体を埋葬する準備をするのが精一杯できることだ」。

 ネット上に流布する陰謀論者の発言ではない。モンタニエ博士といえば、パスツール研究所に籍を置き、HIV発見の功績で2008年にノーベル生理学・医学賞を授与されている。”

(「コロナ用ワクチンは安全か?世界で広がる疑念や疑問の声」2021年06月18日 16:30)
https://www.data-max.co.jp/article/42298

☆☆☆


○日本でワクチン接種が進むファイザー社自身の報告書によれば、12歳から15歳の子どもたち1,097人に接種したところ、約8割の866人に副反応が確認されたとのこと。副反応が確認された866人の半分は軽症だが残り半分(筆者注:ということは約433人)の症状は深刻で、生涯にわたって障がいを引きずる可能性があるとのこと。

○HIVウィルス発見の功績でノーベル生理学・医学賞を授与されたモンタニエ博士は、「新型コロナウィルス用のワクチンを接種した人は長く生きれない。2年前後で死亡する可能性が高い。」と述べる。 mRNAワクチンにはウィルスの変異種を拡大する成分が含まれていて、ワクチン接種者が未接種の人々への感染を拡大する恐れを指摘、さらに抗体低下で、免疫力が破壊され、通常の風邪、インフルエンザでも死亡することになるという。

○欧米のエネルギー関連多国籍企業では「ワクチンを接種した従業員が数年以内に働けなくなる」ことを見越して、ロボット化を含めて従業員の補填作業に取り組み始めたというが、日本では報道されていないという話も。

モンタニエ博士の発言、「2年前後で死亡する可能性が高い」は、にわかに信じがたいですが、ファイザー社製もモデルナ社製もワクチンの治験が終わるのは2023年と発表しています。治験が終わっていないワクチンですから、予想のつかない問題が起きる可能性があるというリスクは承知しておいた方がよいと思います。

井上正康氏(大阪市立大学名誉教授・現代適塾 塾長)の講演は、新型コロナウィルスの全体像や、日本に於ける感染者数がけた違いに少ないことを知るのに、とても分かりやすい講演です。ワクチンについての説明は、最後の40分から5分程度ですから、ワクチンのみに興味のある方は、最後の5分だけでもぜひご視聴ください。

(「コロナ人災とワクチン問題、日本コロナと共生の意味論」)
https://www.youtube.com/watch?v=VNxwdIR920E

政府はワクチンが安全であるとして、接種を推進していますが、ネットを検索しますと、医者の警告、副反応が出た体験が、おどろくほど多くあります。

わが家は元々接種しないことにしていましたが、これから接種される方は、色々と情報を調べてから、判断される方が良いと思います。接種は延期するのが、賢明だと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
お健やかな毎日であることをお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。