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男子を産めという価値観 [皇室典範改正]

20220917blogDSC_2164.JPG前回は、心の師藤原敏之先生の思い出をつづりました。著書を読み返して、予想しなかった文章に突き当たりました。今取り組んでいることに深く関わりがあるので、そのことを今日は述べたいと思います。

藤原敏之先生は明治41年(1908)生まれです。お姉さんが3人続いた後に生まれた、祖母待望の男の子でした。明治の家庭の空気が感じられる、藤原先生の文章を引用します。


☆☆

”私は姉が三人つづいて生まれた後の四番目に生まれた長男だったのです。今と違って長男は跡取りといって、家の後継ぎ者として大変重宝がられたものですが、ことに私の場合、姉三人でもう跡継ぎはないのではないかと思っていたときだけに(中略)私への期待と歓迎ぶりは大変なものであったというのであります。
(中略)
当時、祖父は亡くなってもういなかったのですが、祖母があり、家の中ではかなり権力を持っておられ、母はいつも遠慮し、気兼ねを強いられていたようです。一人目の姉のときは、それでも初孫ということで一応喜ばれ、祝福されたそうですが、二人目の姉のときから、段々と祖母の機嫌がわるくなり、母への風当たりが厳しくなりはじめたというのです。「三人目こそ男!」と期待していたところ、三人目もまた女の子というので、祖母は母を露骨(あらわ)に責め、病室でまだ寝ている母にわざと聴こえるように、「才吉(私の父)はかわいそうなものだ。かかり子も生まれない女子(おなご)腹でッ……」とどなるのだそうです。(中略)
四人目の私のとき、母は「もしもまた、この子が女の子だったらどうしよう」と処刑を待つ囚人のように、生きた心地がしなかったといっていました。そこへ私が生まれて来たのですから、私の誕生がどんなに喜ばれ、歓迎されたかは御想像にお任せするとして、子供の誕生を喜び、祝福しない家はないと思いますが、私の場合はそんな事情の所へ生まれてきたのですから、母はお産婆さんから「坊ちゃんですよ」ときかされたとき、「やれ助かった!」と手を合わせ、泣いたということです。
それからというもの、祖母はまるで人が変わったように、いつもニコニコしたやさしいおばあちゃんになり、とりわけ私をみるときには、相好(そうごう)をくずして、「よう来た、よう来た」とって喜んでいたそうです。(中略)母はそれ以後、鬼の首でもとったような、まるで凱旋将軍のごとく晴れ晴れとした心持ですごせたと話しておりました。”
(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(pp10~11) 日本教文社)

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私の身近にも、女の子3人目に生まれた女性があります(昭和初期生まれ)。女の子の父親は、誕生当時、遠隔地にいたのですが、女子誕生を知らせた電報の返信が「マタ オンナカ」だったと、いつまでも語り草になっているそうです。ある時、その女性に「女に生まれて良かったと思いますか?」と聞いたところ、「よかったと思ったことはない。ただ与えられた人生だから精一杯生きようと思った」と聞いて、胸を突かれる思いでした。

藤原敏之先生は、上記の文に続けて、次のように述べています。


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“人間がこの世に生まれるということは、決して人間業ではなく、人間の力や都合によるものでもなく、すべて神様の御意(みこころ)によるもので、神様の御計画に基づくものですから、人間の都合で喜んだり、厄介扱いするなどはまちがっています。祝福され、喜ばれて生まれて来た子は必ず幸せになります”

(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(p11 日本教文社)

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男だから、女だからではなく、生まれた子供が等しく祝福される世の中であってほしいと思います。この問題は、私が取り組んでいる女性天皇、女系天皇、女性宮家を認める皇室典範改正にも、深くかかわっています。矢部万紀子さん(1961年生まれ)というコラムニストが、著書『雅子さまの笑顔』で「皇室は、必ず男子を産まなければならないのか」と、述べています。


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“それは二〇一九年(令和元年)十一月五日の朝だった。テレビを何気なくつけると、「羽鳥慎一モーニングショー」が皇位継承問題を取り上げていた。作家の竹田恒泰さんが神武天皇以来の「男系男子」を守るべきで、「旧宮家の皇籍復帰」で安定継承はできると述べていて、保守派のいつものそれだった(中略)だが、聞こえて来た一人のコメンテーターの意見に驚いた。
弁護士の菅野朋子さんがこう言っていた。
「私が一つ申し上げたいのは、女性・女系天皇を認めないということがどれほど女性にとって苦痛か、女は男を産まなければいけないんですか。そこを強いられることになるんですよ。」(p199)”

“「今は一人の女性だけだが、どこかで(男子が)生まれればいい」ので旧宮家復帰なら大丈夫。そういう趣旨を語る竹田さんに、菅野さんは「女性にとって男子を産まなくては認められない。そのことを突きつけられる。その価値観というものは、今は国民になかなか受け入れられないのではないですか」と反論していた。(p200)”

(矢部万紀子『雅子さまの笑顔 いきづらさを超えて』幻冬舎新書)

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矢部万紀子さんは、もっと菅野さんの意見を知りたくなって、インタビューに行き、より掘り下げた意見を次のように、記しています。

☆☆

“菅野さんの思いには二つの視点があった。
ひとつは、皇后という立場の人を視る視点。菅野さんは「国民統合の象徴」は天皇だが、皇后という存在は「みんなの憧れ」「お手本」であり、「女性のあるべき姿」のようにとらえられていると、整理した。「あるべき姿」を示す人が男子出産を強いられれば、日本はそういう国なのかと女性たちは思う。そういう価値観があること自体が重たい、と。
もう一つは。隣人としての雅子さまという視点だ。(中略)
「例えば友人から「男の子を生んでほしいと言われた」と聞けば、多くの女性は自分の話のように受け取り、嫌な気持ちにあると思います。それができないと、女性として否定される。直感的にそう思うはずです。」(中略)
「国民統合の象徴が男性だけというのは、「女性差別」。これは男性もわかるだろう。けれども「絶対男の子を生まなくてはならない」ことが、どれだけプレッシャーか。そのことは、おそらく女性にしかわからないだろう、と。
相撲や歌舞伎など「男性だけ」の文化があることは理解する。だが、相撲は「継ぐ」ものでなく、歌舞伎は「継ぐ」人もいるが、そうでない人もたくさんいる。なのに「皇后になる方だけが『男子の後継者』を産む役割を堂々と背負わされている」と菅野さん。(中略)
話は、愛子さまのことにも及んだ。愛子さまは、「お母さんが批判されるのは、自分が女の子だからなんだ」と自分を責めていただろう。菅野さんは、そう見ていた。
二〇一六年(平成二十八年)、十五歳になった愛子さまが極端にやせ、拒食症が心配されたことがあった。(中略)
菅野さんは、自分が摂食障害になったことがあり、始まりは自己否定感だったと語った。愛子さまに自分を否定する理由など見当たらない。だからあの時の愛子さまは、「『男の子でない』」ことの葛藤」があったろう、と菅野さん。
愛子さまが生まれた時のことをよく覚えている。皇太子夫妻(当時)に待望のお子様が生まれたことを喜ぶ気持ちが世の中にあふれたことは間違いないが、それだけではない空気も確かにあった。「男の子」でなかったことをどう消化するのか、それぞれがそれぞれに考えた。(中略)
「男系男子は、それまでして守らなければいけないものでしょうか。」” (pp210~202)

(矢部万紀子『雅子さまの笑顔 いきづらさを超えて』幻冬舎新書)

☆☆


藤原敏之先生の誕生は明治41年(1908)のことです。それから、110年も経ったのに、皇室だけが、時代から取り残されるように「男子を産む」役割を背負わされているのは、おかしくないでしょうか。「女性・女系天皇を認めないということがどれほど女性にとって苦痛か、女は男を産まなければいけないんですか。そこを強いられることになるんですよ。」という菅野さんの言葉が心にひびきます。

「みんなの憧れ」「お手本」「女性のあるべき姿」のようにとらえられている皇后という御存在が、男子出産を強いられれば、日本はそういう国なのかと女性たちは思う、その価値観が重たくのしかかってくる、日本はそういう国でいいのでしょうか。

相撲や歌舞伎など、男子だけという文化はあることは、理解できる。しかし、皇室が必ず跡継ぎの男子を産まなければならない役割を背負わされている。それは、無理が生じている、その役割を保持し続けることは、国の進歩を停滞させ、活気を失わせます。

子供は天からの授かりものです。人間の都合で喜んだり、厄介扱いするなどはまちがっています。祝福され、喜ばれて生まれて来た子は必ず幸せになります。男でも、女でも、五体満足でも、そうでなくても、その子のかけがえのない生誕を祝福するとき、そこに本当の幸わせが表れると思います。

男でも、女でも生まれて来たことを後悔したくない、後悔させたくない、そういう日本であってほしい、そういう国を子孫に引き継ぎたいと、強く思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
台風が近づいているようです。皆様、どうぞお気をつけて、平穏な週末をお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。


タグ:女系天皇
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何があってもありがとうございます [恩師の言葉]

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恩師というと普通は学校の先生を指すと思いますが、ここでは学校の先生に限らず人生で出会った忘れられない心の中の師について、話したいと思います。人生を変える言葉を投げかけてくれた、そんな心の中の師のお一人、藤原敏之(ふじわらとしゆき)先生の思い出を書くことにします。

私が藤原敏之先生の大ファンになったのは、先生の最晩年でした。藤原敏之先生は、生長の家という宗教の教えを説く講師でした。昭和60年~63年(1985~1988)頃、私は「生長の家」の道場がある京都の宇治別格本山で、毎月開かれていた「写経練成会」(宿泊して教えを学ぶ研修会)に、年に2,3回参加していました。2泊3日の練成会は、藤原先生の講話、写経、講話、写経というプログラムでした。写経は、生長の家のお経を書き写す行事ですが、心休まる時間でした。

藤原敏之先生のプロフィールを、著書『あなたは必ず救われる』カバー頁より、省略してご紹介します。
明治41年(1908)生れ。昭和22年(1947)生長の家地方講師拝命。昭和40年、管理職を歴任した日本生命を定年退職。余生を生長の家の教え普及に捧げることを決意。本部講師を命ぜられ、富山石川両県の教化部長を兼任、七尾練成を始めた。以来、各地の練成指導に携わる。昭和63年6月、80歳をもって本部講師を勇退とあります。

生長の家の講師ですが、定年まで日本生命で管理職を務め、社会経験豊かで、温和でバランスの取れた話しぶりの先生でした。

藤原先生のお話で、心に残っているのは「何があってもありがとうございます」と、「大根がほしいのに人参が出て来たら、大根の種を蒔けばいい」です。

今日は「何があってもありがとうございます」の話をします。「何があってもありがとうございますぢゃよ」と、80近い仙人のような風貌で、藤原先生が話していらしたお姿が今でも目に浮かびます。

藤原敏之先生は、次のように説かれています。


☆☆☆

“このように人生は神様からの尊い御使命であると同時に、自己の魂の向上のための道場でもあります。何でも「ありがとう」と感謝して受けることが肝要なのであります。生長の家は「天地一切のものに感謝せよ」との教えでありまして、都合のいいものだけや、よくしてくれるものだけに感謝するのであれば楽でありますが、そうではなく最も都合の悪いものや、自分を苦しめるものにまで感謝せよというのでありますから、ちょっとむずかしいのであります。”

(藤原敏之著『あなたは必ず救われる』(pp149~150 日本教文社)

☆☆☆


何でもありがとうございますと感謝して受けることで、運命が開けるというお話でした。他の先生からの話ですが、一日一万回ありがとうございますを唱えて、運命が開けた人の話もありました。私も先生の教えを実行しようと思い、ありがとうございます、を、通勤電車の中で唱えて、朝晩の往復で平均3500回、何日も続けたことがあります(心の中で)。それまで苦痛だった満員電車が、感謝の時間に変り、快適に過ごせるようになりました。ありがとうございます、を唱える前は、当時はやっていたウォークマンから漏れる音が騒音で不快でしたが、全然気にならなくなりました。赤ちゃんが泣いていたりすると、困ったなと思っていたのが、(子供は元気が一番、お母さん、赤ちゃんの子育てがんばって偉いですね。いい子、いい子)とテレパシーを送るようになりました。そうすると不思議と赤ちゃんの機嫌がよくなり、泣きやみます。

「ありがとうございます」光線を発していると、どこへ行っても、人と会うのが楽しくなります。近所の人との立ち話、スーパーのレジ係、コンビニの店員さん、宅配便配達員、コロナの中で働くエッセンシャルワーカーの皆さんが素晴らしい神の子に見えます。病院に行けば、先生も、看護師さんも、天使に見えてきます。「ありがとうございます」は、日常生活の中に天国を築く道だと思います。


藤原敏之先生の師に当たる、谷口雅春先生の言葉もご紹介します。

☆☆☆

“吾々を生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日の如くさわやかな思想である。さし昇る朝日の如くさわやかな精神こそ日本精神である。”

“生命には光が必要なのである”

(谷口雅春著『生命の實相』〈愛蔵版〉第十九巻P4 日本教文社)

☆☆☆

明るい思想は、ありがとうから始まります。ありがとうのあるところ、生命が生き生きと育ちます。

ありがとうと言えば、すべての人が神の子、天使に思えると言うなら、日ごろ私が、歯に衣着せず批判している自民党議員も、統一教会も、男系派論客も、神の子で天使だと思っていますかと、疑問を抱く方があるかも知れません。

ハイ、自民党議員も、統一教会もその本質は、神の子で、天使です。釈迦を惑わす悪魔波旬(はじゅん)のように悪役を演じているだけで、その本性はまぎれもない神の子で、天使です。「魂の向上のための道場」で、人の人生修行を手助けするために、必要な役割を演じているのだと思っています。

こういうお話を思い返すと、眼に見える事象にいちいち腹を立ててわれを忘れる自分が恥ずかしくなります。つまらないことに腹を立てる自分と、本来のほがらかな神の子の自分と行ったり来たりしながら、神の子の自分に立ち返る時間を増やしていくのが、人生修行ではないかと思います。

今日は、藤原敏之先生の教えを思い返し、ささやかな体験を書かせていただきました。ありがとうは人生を開くカギだと思います。

今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
皆様も、どうぞよい週末をお過ごしください。

タグ:生長の家
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日本の皇室は政治から離れている [上皇陛下]

20220906blogDSC_2158.JPG日本の皇室はヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れています。
天皇は政治的対立を超えた神聖な精神的権威としての役割を担っておられます。



今日は、高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』を学びたいと思います。
2017年発行ですから「天皇陛下」は、現在の上皇陛下です。
文章は、陛下の次のお言葉から始まります。

☆☆☆

〔陛下のお言葉〕
“日本の皇室はヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れている
(昭和47年12月19日 39歳の誕生日を前に)“

“「日本の皇室はヨーロッパの君主と違い、政治から離れているのでどうということはありません。天皇陛下(昭和天皇)からかねがね、これまで時の政府がどう変わろうと、永続してきたところに意味があると聞かされています。明治以後、政治にかかわりを持たれたこともあったが、本来は政治から中立的で、それらを超えたものであり、今後もそうあらねばならないと思っています。」”

(pp23~24)
(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』双葉社)

☆☆☆


お言葉が発表された、昭和47年(1972)は、日本共産党が第33回総選挙で38議席を獲得し大躍進した年です。高森氏は“当時の共産党は今以上に天皇制に批判的であった。共産党は民主連合政権構想を打ち出し、政権入りを目指し、それに一定の現実味もかんじられたような政治情勢であった。”と述べます。

当時の日本共産党は「君主制の廃止」を綱領に掲げており、(「君主制の廃止」の課題は、2004年の綱領改定で削除されました)、日本共産党が政権を取れば、天皇制廃止になりかねないことに一定の現実味が感じられました。そんな時代背景の中で、心配して質問した記者に向かって、陛下(当時は皇太子)は、「どうということはありません」、「(天皇は)本来は政治から中立的で、それらを超えたものであり、今後もそうあらねばならない」と答えられました。

高森氏は、陛下のお言葉を次のように説明しています。


☆☆☆

“陛下のこのお考えは、一貫している。慶應義塾を創立した福沢諭吉の著作である『帝室論』及び『尊王論』は、近代日本における卓越した天皇論と言われるが、これを教科書に勉強されていたことも、その背景にあるだろう。著書の中で、福沢諭吉が説いているのは次のような考え方だ。
① 国家には世俗的な利害の対立と調整に関わる政治の領域と、それを超えた神聖な精神の領域がある。
② 世俗政治の領域は政党と議会が担当する。近代的な政党政治は、合理性の一方で激しい権力闘争や策謀も免れない。
③ その政治的対立が避けがたければこそ、そうした対立を超えた高く神聖な精神的権威によって国内の統合が守られる必要がある。皇室はそうした精神的権威としての役割を担われるべき存在だ。”
(pp24~25)
(高森明勅監修『天皇陛下からわたしたちへのおことば』双葉社)

☆☆☆


皇室は、政治的対立を超えた高く神聖な精神的権威としての役割を担われるべき、この考え方を陛下は実際に身に付けておられ、その後も、繰り返し、このような表現をされています。平成18年(2006)に6月6日にも「他国の同じような立場にある人達(ヨーロッパの君主)と比べると(天皇は)政治へのかかわり方は少なかったと思います」と述べておられます。(前掲書p25)

作家の杉田幸三氏は、天皇にとって、政党は与党だから、野党だからの区別はない、どちらにもくみしない、また敵対もしない、共産主義すら、天皇の共産党といってもいのではないかと述べていますが、私はそれを読んで深い感銘を覚えました。執筆は昭和62年(1987)ごろで日本共産党は「君主制廃止」を綱領に掲げていました(2004年に削除)。自らを滅ぼしかねない日本共産党でさえ、天皇はご自身の政党だと見ておられると知って、眼からウロコが落ちる思いでした。(『日本の覚醒』新日本協議会)

文明批評家・中島英迪氏は自著『皇室典範改正の緊急提言』(新風書房)の中で、“昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け容れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。平成時代の天皇は左派に取り込まれたと見えて、実はすっかり左派を取り込んだのでした”(p115)と述べています。

反共を旗印に旧統一教会とタッグを組んでいる自民党保守派の中には「天皇が左傾した」と危惧する人がいるそうですが、天皇の公平無私な人格に感化された左派(日本共産党など)が、天皇に取り込まれたのであって、その逆ではありません。そこを間違えると、道を見誤ります。政党を超越された神聖な権威である天皇の偉大さがそこにあります。

ヨーロッパなどの君主と違い、政治から離れている天皇と皇室。日本の国が色々な混乱があっても、乗り越えて来られたのは、天皇という政治的対立を超えた高く神聖な精神的権威を戴いているからだ、とあらためて感じ入りました。

私自身の日本共産党へのイメージも修正されました。政策すべてに賛成とは行きませんが、カルト統一教会と手を組んで反天皇に走っている自民党旧安倍派よりも、はるかにまともだと思います。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、心豊かな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:日本共産党
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皇室の眼は世界に開かれている [皇室典範改正]

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猛暑のせいか8月中ほとんど咲かなかった朝顔が、9月になって咲き始めました。今年は咲かないかと思っていたので、うれしいです。

先日は、産経新聞の施光恒(せ・てるひさ)氏の記事“「愛子天皇」待望論の危うさ”
の一部を取り上げ、反論を試みました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/202208-1

同氏の記事に次の記述もあります。


“『文藝春秋』の本年7月号でも、歴史学者・小田部雄二氏らの「『愛子天皇』をあきらめない――世界は女王の時代へ。一刻も早い議論を」という鼎談(ていだん)記事が掲載されている。”

“例えば、上記の『文藝春秋』の記事は率直に言って浅薄だった。題目が示すように、欧州王室で女王が増えつつあるから、わが国の皇室もそれにならうべきだという話がほとんどだった。”

「欧州王室で女王が増えつつあるから、わが国の皇室もそれにならうべき」という話は、浅薄であると施氏は言いますが、欧州王室にならうのが果たして「浅薄」といえるのかと、考えて見ました。

昨日、「皇室ご一家」(フジテレビ9月4日(日) 5:45~6:00)の録画を見ました。毎週、録画で楽しみに見ています。

昨日は、佳子内親王殿下の、ガールスカウト日本連盟「100周年インターナショナルキャンプin戸隠」ご参加の話題でした。

☆☆
“7日、「戸隠ガールスカウトセンター」に到着された佳子さま。キャンプ場では8日まで中高生およそ90人が参加し、日本のガールスカウト運動がおととし100周年を迎えたことを記念するキャンプが開かれています。

まず、佳子さまはジェンダー平等の実現をテーマにした生徒たちの発表に、熱心に耳を傾けられました。“
(佳子さま 戸隠でキャンプファイアも ガールスカウト100周年記念で中高生と交流長野放送8/8(月) 21:01配信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6da9351fc3c0cb02c9564ebecea239cf397b990d
☆☆

生徒達の発表に大きな眼をまっすぐ向けて聞いていらっしゃる佳子さまの映像を見ながら、世界に開かれた「ジェンダー平等の実現」という情報に、皇室の方は深い関心をもっていられるのだと思いました。

今年の歌会始の愛子内親王の御歌が脳裏に浮かびました。

☆☆
“愛子内親王殿下
英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓“

“初めて外国の学校をご訪問になり、歴史の重みを感じさせる立派な建物を目の前にされた時、今、ここから世界が開かれようとしているというお心持ちになられました。“
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-r04.pdf
☆☆

学習院女子高等科二年生の夏休みにイギリスの「イートン・サマースクール」に御参加になられたときを詠まれた御歌です。「開かれそむる世界への窓」にはずむようなお気持ちが感じられます。

御歌から、皇族のご公務、外国の王室の方々との国際親善のご様子が眼に浮かぶ気がいたします。佳子内親王も、愛子内親王も日本の良さを世界の人々に知っていただく、素晴らしいお役目を果たされることと思います。

天皇陛下の御製も、世界を詠われています。

☆☆
“御製
世界との往き来難(がた)かる世はつづき窓開く日を偏(ひとへ)に願ふ“

“今年は、このコロナ禍が収束したその先に、今大きく落ち込んでいる世界との人々の往来が再び盛んになる日の訪れを願われるお気持ちをお詠みになりました。“
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-r04.pdf
☆☆

天皇、皇室の皆様の思いは日本だけではなく、世界の人々の幸せを願っておられます。皇室は日本国の至宝であると同時に、「世界の中の皇室」がいつも視野にあったのが、天皇であり、皇室であり、皇室をいただいてきた私たちの先祖です。

「欧州王室で女王が増えつつあるから、わが国の皇室もそれにならうべきだという話」が浅薄だと評する施氏の記事の視野の狭さが気の毒になります。

施氏が話題にしている皇室典範は、そもそも「明治十五年伊藤博文が欧州に赴いた際、オーストリアのローレンツ=フォン=シュタインから皇室の家法をつくるようすすめられた。」ことがきっかけで作ることになったものです。
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=132

皇室典範の「男子限定」は、プロイセン、ベルギー、スウェーデンに習ったものです。
https://www.a-takamori.com/post/220221

皇室典範は、当初から、西洋の王室と照らし合わせながら、決められたのです。

それを令和になって、日本独自の皇室だから西洋にならう必要が無いなどと、明治の人より古臭いことを言っていたら、先人に笑われます。

日本の皇室は日本だけの独占物ではありません。世界の中の皇室、それをいつも考えていらっしゃるのが、天皇、皇室の方々です。

長野放送の8/7(日) 19:49配信では、ガールスカウトの生徒の発表「ジェンダー平等の実現」を「性別にとらわれない進路のあり方」と報道しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/73ae7bd26940453eeeb190292034f580f352b807

性別の多様性が認められることによって、男性も、女性も、マイノリティーとされる人々も、生まれ持った天分を伸び伸びと発揮できる世の中になってほしいと思います。

今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとってすばらしい日々であることをお祈り申し上げます。

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男系男子維持派との対話(九)―訂正とお詫び「直系の定義」 [皇室典範改正]

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一昨日、私は「直系」の定義が2通りあるとしました。これに対して、読者のTさんから、2番目の定義で、「直系」が奈良時代から使われていたと書いているが、それは誤りではないかという、コメントがありました。Tさんは、双系派です。Tさんは、「直系」を、各辞書で調べたが、明治以前の使用例が見つからなかったというのです。

私は、2番目の定義を以下のように述べました。

+++++
2つ目は、「直系」は、父祖からのものという考え方です。古典に基づく考え方です。

>直系  祖父・親・子・孫と血筋が父祖から子孫へと一直線につながる系統。
父祖〘名〙: 父と祖父。また、先祖。祖先。
※令義解(718)賦役「凡三位以上父祖兄弟子孫、及五位以上父子、並免二課一」
(コトバンク)<
+++++


例文にあげた「令義解(りょうぎのげ)」は、奈良時代の律令の注釈書ですが、説明文中に「父祖」はありますが、「直系」は、確かにありません。

私は、辞書で「直系」を引いた時に、コトバンクで「父祖」と書かれているのをみて、「父祖」をコトバンクで引いて、「父祖」の用例があるのを見て、「直系」の用例があると、すっかり勘違いしていたのでした。

当たり前の話で、「父祖」と「直系」は別の言葉であり、「直系」が奈良時代に使用されていたというのは、明らかな間違いです。読者の皆さんに、間違ったことを書いたことを、お詫び申し上げます。


では、「直系」がいつごろから使われ始めたかと言えば、それは明治の旧皇室典範以来、というのが正解です。明治以前ではありません。「男系」、「女系」が使われ始めたのも、旧皇室典範が検討され始めた時です。

ということで、一昨日の、2つ目の「直系」の説明を以下のように訂正したいと思います。


【訂正後】
+++++
2つ目は、「直系」が父系であるという考え方です。明治の旧皇室典範制定の過程で使われるようになったものと思われます
+++++


「直系」の言葉が、奈良時代から使われていたというのは、全く誤りでした。ここに訂正し、お詫び申し上げます。


Tさんとの直系に関するコメントの中で、男系男子限定思考の始まりについても、話がありました。Tさんの考えでは、確信はないけれども、皇室の皇位継承が、男子に限るとされたのは、江戸時代の「禁中並びに公家衆諸法度」からではないかということです。

かつて、私のブログでも「禁中並びに公家衆諸法度」について、「第108代・後水尾天皇(2)」と題して、取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-10-17

第108代・後水尾天皇(第109代・明正天皇)(1)~(4)のブログは、以下の通りです。「禁中並びに公家衆諸法度」と、その後、「諸法度」にて禁じられていた女帝が即位された話を取り上げています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306242764-1


今読み返しても、我ながら力作だったと思います。高森明勅氏著『日本の十代天皇』によれば、徳川家康のブレインだった天海僧正は、天皇を伊勢神宮の宮司にしてしまえばいい、との暴論まで述べたそうです。さすがに、家康はそれを採用しなかったものの、そこまで天皇を押さえつけようという意図が、「禁中並びに公家衆諸法度」にあったわけです。

“「禁中並びに公家衆諸法度」の第六条に「女縁者の家督相続は古今一切これ無き事」”すなわち、「女性の縁者の家督相続を、古今(過去も今も)、一切ないことにする」という、女性が一切、家督相続をしてはいけないという条文がありました。

けれども、徳川家康・秀忠が制定した「女性の家督相続は古今にない」との「法度」を、第108代・後水尾天皇が、突然の譲位と、女のお子様、興子内親王(第109代・明正天皇)の即位により、あっさり破られました。しかし、明正天皇が、徳川将軍・秀忠の直系の御孫であられたため、幕府は何も言いませんでした。

天皇、皇室を抑え込もうとした徳川家康の所業は、自民党政権のそれに重なります。安倍元総理の時から、皇室を権力で抑えつけて、思うままにしようという自民党政権のあり方は、眼に余ります。昨年12月に皇位継承に関する有識者会議が出した結論、悠仁さままでの皇位継承順位は変えない、女性天皇、女系天皇は検討しないという方針は、上皇さまがビデオメッセージで話された皇位の安定継承を切に願われるお気持ちに背くものです。

上皇さまのお気持ちが、天皇陛下の直系長子、愛子さまが皇太子になられ、次の天皇になられること、それが皇室の伝統に照らして最もふさわしいことは、日々明らかになっています。

悠仁さまは、天皇になられなくても、皇嗣であることに変わりありません。皇嗣は、皇位継承資格を表わすものですから、継承順位が変わるだけです。愛子さまが天皇になられることを、殊更に反対する理由は何もありません。

また、養子案は、養子候補者も名乗り出ないし、男系男子にこだわる限り、養子をとっても、その宮家が永続することはなく、2、3代で、行き詰まるのは眼に見えています。生まれつきの血統で、養子の資格を決めるのは、憲法が禁止している門地による差別にも抵触します。どこから考えても無理筋の案です。

男系男子の血統だけが尊いというのは、明治時代の男尊女卑に配慮した旧皇室典範を盲信している人々が作り出した都市伝説です。あるいは、徳川家康の天皇の権威を弱めようとする策謀の一環、「禁中並びに公家衆諸法度」に起因するものです。

つまり、政府が公言し、男系派が強弁する、男系継承が、日本建国以来、祖先が守り続けて来た伝統というのは、まったく事実ではありません。皇室の伝統は、男系も女系も大切にする双系です。皇位継承は、各時代の世相を反映しており、女性の社会進出が求められている現代では、女性天皇、双系に開かれることが自然であり、それこそ、国民と共に歩んでこられた皇室の伝統にかなう皇位継承なのです。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、幸福な一日でありますよう、お祈り申し上げます。

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男系男子維持派との対話(八)―直系の定義 [皇室典範改正]

20220901blogDSC_0638.JPG再び、男系派の人(仮名Aさん)とネット上で対話(文字の意見交換)するご縁がありました。男系派との対話は、以前は緊張して、敵対心に燃えていたのですが、このごろは余裕が出来ました。「愛子天皇の道」サイトの皆さんが何でもよく知っていて、「男系派」の論理が全く破綻していること、議論が圧倒的に「愛子天皇派」に有利であることが見えて来たからです。

男系派の人と話すと新しい発見があります。

昨日、女系、男系の定義に2通りあると述べましたが、今日は「直系」という言葉にも2通りの意味があると知ったことを述べます。

男系派のAさんは、こう言います。「天皇は、天照大神の直系です。だから、男系継承が正しいのです」

男系派の口癖だった神武天皇の直系と言わないで、天照大神(女神)の直系と言うのは、進歩したと思います。古代人が、天皇を女神の子孫であると考えていたのですから、女系で始まった天皇は、女系天皇で差し支えない、となると思いますが、今日述べたいのは、そのことではありません。

「直系」は、私の頭の中では男系、女系どちらも直系なので、なぜ「天照大神の直系」を「男系」だとAさんは考えるのだろうと、不思議に思いました。

直系というのは、祖父母→子→孫のことです。これに対して傍系というのは、叔父、叔母、いとこなどです。

そこで、直系の言葉を調べ直したところ、新しい発見をしました。直系には、2通りの意味があったのです。

1つは、私の考えと同じで、法律(戸籍法)の考え方です。
https://ka-ju.co.jp/column/a_direct_line/#anc-4

父方と母方、両方の祖父母からの系統が「直系」であるという考え方です。

2つ目は、「直系」は、父祖からのものという考え方です。古典※に基づく考え方です。
※(ここで「古典」と書いたのは誤りです。文末の「追記:2022年9月3日」をご覧ください)
++++
直系  祖父・親・子・孫と血筋が父祖から子孫へと一直線につながる系統。
父祖〘名〙: 父と祖父。また、先祖。祖先。
※令義解(718)賦役「凡三位以上父祖兄弟子孫、及五位以上父子、並免二課一」
(コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B4%E7%B3%BB-98414
https://kotobank.jp/word/%E7%88%B6%E7%A5%96-618603
+++++

これで、Aさんの意見の謎が解けました。Aさんは、直系が、古典にある父祖からの系統だと考え、「天照大神の直系」を天照大神の男系だと、解釈したのでした。

なお、皇室典範は現代の法律ですから、皇室典範改正に当り、古典ではなく、1、の法律の考え方による「直系」で解釈するのが、至当だと思います。

意見の異なる人との対話は、新しい発見をもたらしてくれます。意見の対立する人とも嫌がらずに話し合うことは、大切だとあらためて思いました。

昨日、初めてコオロギの声を聴きました。秋がそこまで来ています。
今日から学校が始まります。学生の皆さん、身体に気をつけて、頑張ってください。


今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様、体調にお気をつけて、お健やかにお過ごしください。


※「追記:20222年9月3日」

2つ目の考え方で、「直系」が奈良時代に使用されていたとしましたが、9月2日に、読者から、明治時代以前の「直系」の使用例は無い、一般の使用は明治時代からではないかとのご指摘を受けたので、確認したところ、その通りでした。訂正を9月3日のブログに掲載いたしました。このブログの記述も訂正しようかと思いましたが、後々の反省材料にするために、そのまま残します。くわしくは9月3日の投稿をご参照ください。


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