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インフォームドコンセントが大切 [新型コロナ]

20220328blog DSC_2035.JPG写真を見てこれは何、気持ち悪いと思われた方があったら、いきなりいつもと違う写真を貼ったことをお詫びします。初めて見る方は、びっくりされたかも知れません。そういう方は、写真を見ないで、本文からお読みください。

一昨日、近くの緑地に行ってきました。日当たりのいい水路にヒキガエルの卵を見つけました。私は幼いころ、おたまじゃくしを飼っていたので、とても懐かしく思います。暖かい日が続いたので、今ごろは、しっぽが出て、チョロチョロ泳いでいることでしょう。


桜も一気に開花して、春の息吹がそこここで感じられます。寒かった冬が、一気に遠くなり、活発な生命の輝きが見られます。縮こまっていた動物も植物も虫たちも、内側からの、伸びよう、開花しようという働きで活動を始めました。人間にも、同じような働きが宿っていると思うと、気持ちがはずみます。


新型コロナウィルス感染症は、発生から3年目を迎えました。日本ではオミクロン株の流行が続いていますが、世界的に何とか終息に向かおうという様子がうかがえます。一日も早く日常が取り戻されてほしいと思います。

これまで新型コロナウィルス感染症で亡くなられた皆様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。重篤になられた方々にお見舞い申し上げ、後遺症が残っていらっしゃる方々のご快癒を心より祈念申し上げます。


当ブログでは、昨年の7月6日から今日まで、7回にわたって、新型コロナウィルス感染症について、取り上げて参りました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306271310-1

年頭に当たって、振り返ってみます。昨年のブログを読むと、新型コロナの予防注射、接種後の後遺症についての懸念から、あえてコロナについて、発言し始めたことが分かります。あれから8か月と20日経ちました。

私は元々、ワクチン全般について反対論者ではありません。積極的に接種を勧めることはしませんが、接種が必要と思う人は自由意思で接種してよいものと考えています。

しかし、今回のワクチンについては、従来のワクチンとは異質のもので、はっきりと分けて考えなければならないと思います。

私自身、8か月と20日を経て、昨年抱いたワクチンに関する不安が的中したことに、驚いています。

当ブログを読んでくださる方の中には、3回目接種をすまされた方もあると思います。これから接種をしようと思っていられる方、5歳~11歳の子供さんの1回目接種、10代の子供さんの3回目接種を考えている方もあるでしょう。そういった方々には、多くの情報を集めてよくよく考えた上で、慎重に行動されることを、強くおすすめします。

一つの例をあげます。

2021年7月7日付けの新型コロナウィルス感染症による累計死者数は1万409人でした。
2022年3月27日現在の、累計死者数は2万7790人です。
この8か月と20日で、1万7381人増加しました。

この数値は、他の病気で亡くなったのにPCR検査が陽性だったためコロナ死者にカウントされた方が含まれるので、コロナが直接の死因だった方は6割だと、奈良県のホームページに公表された表を元に、則武謙太郎氏(心理カウンセラー)が解説した動画があります。コロナが直接の死因は、累計死者数より少ないということは、前々から言われていたことで、則武氏の動画がそれを説明してくれています。
https://www.youtube.com/watch?v=GwXb9-rEdsk

これを当てはめると、この8か月と20日間に増加した死者数1万7381人のうち、コロナが直接の死因で亡くなった方は、約1万人ということになります。

同じ期間の、ワクチン接種後の死者数と比較してみます。2021年2月8日からデータを取り始めた接種後の死者数は、2021年7月2日まででの5か月間で556人でした。それから8か月と20日を経て、2022年3月18日、厚労省分科会の発表では、1571人です。同じ期間に約1000人の方々が、亡くなられたことになります。

厚労省はこれらの死者と、ワクチン接種との因果関係を不明としていますが、「不明」は、「因果関係が無い」ではありません。他に通常と変わったことをしていないのに、ワクチン接種後に次々に亡くなれば、ワクチンが原因ではないかとの疑いは濃厚です。

いのちの重さを簡単に比較できませんが、8か月間に1万名が亡くなられた感染症を防ぐためのワクチン接種の副作用で、同じ期間にその10分の1に当たる1000名が亡くなられたとしたら、それはワクチンの役割としてどうなのだろうかと、疑問を持たずにいられません。

ワクチンで感染症の死者数が抑えられたという意見もありますが、世界を見れば、ワクチン接種者の比率が低いのに、かえって早く感染が収まった国(インド)もあり、4回目まで接種しているイスラエルで感染爆発が起きているというデータもあります。


何より、今回のワクチンは、2023年まで、治験が終了していません。治験が終了していないということは、効果があるかどうか、将来にわたって、どのような副作用があるかが、「効果と安全性が確認されていない」ということです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/fukyu1.html


医療を受けるには、インフォームドコンセントが大切だと思います。新型コロナワクチンのように、国と医療機関が副作用について十分な情報を提供しないまま接種だけを推奨している現状には、インフォームドコンセントが守られているのかという疑問を感じます。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/fukyu3.html

このように政府が提供する情報、マスメディアの情報が偏っている現状に対して、様々な圧力に屈しないで、必要と思う情報を発信し続けている方々があります。そういう方々の努力と熱意には頭が下がり、日本の将来を考えて、勇気を持って情報発信していらっしゃることに、希望を覚え、感動しています。次回は、そのような方々の話を取り上げたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様が、お健やかな日々と過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。

タグ:医療 健康
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天皇のお言葉(1)―第44代・元正天皇 [元正天皇]

20220324 blogDSC_2040.JPG昨年まで、『古事記』、『日本書紀』を読みました。『日本書紀』は神代から持統天皇までの記録です。その後に『続日本紀』が続くので、持統天皇の次はどうなるのか知りたくなり、『続日本紀』を読み始めました。

久しぶりに、歴史上の天皇のお言葉を題材に文章化することに緊張を覚えます。なるべく抵抗なく、天皇のお言葉を語りたいと思っていますが、口に出さない、文字化しない時間があくと、私でも、知らない間にハードルができることを、考えさせられます。何ごとも、続けることが大切なのですね。


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“『続日本紀』は、『日本書紀』についで編纂された、いわゆる勅撰(天皇の名による編纂)の史書である。”(pⅴ)
(編注 直木考次郎他 『続日本紀1』(全4巻)東洋文庫 457)

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『古事記』、『日本書紀』は書き下し文でしたが、『続日本紀』は、口語訳なので、だいぶ勝手が違います。好奇心だけで、ともかく読み始めました。読み慣れてくると、なかなか興味深い内容です。

第44代・元正天皇の御歌は、これまで当ブログでも3回、取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306218719-1

元正天皇は、第43代・元明天皇の皇女で、第40代・天武天皇の御孫にあたられます。
御在世:680~748(崩御69歳)、御在位:715~724(36歳~45歳)です。

第40代・天武天皇の皇太子だった草壁皇子が早逝され、皇太子たる、草壁皇子の皇子(後の第42代・文武天皇)が幼かったため、天武天皇のお后、持統天皇が御位を継がれました(第41代)。しかし、第42代・文武天皇は即位後3年で亡くなられたので、草壁皇子のお后・文武天皇の母君・天智天皇皇女であられた阿閉皇女(あへのひめみこ)が、第43代・元明天皇として御位につかれました。元明天皇が譲位なさりたかった715年、文武天皇の御子の首皇子(おびとのみこ)が15歳と若かったため、文武天皇の姉である氷高皇女(ひたかのひめみこ)が即位され、第44代・元正天皇となられました。

元正天皇の御在位は9年間でした。そのあと、首皇子が、24歳で御位を継がれて、第45代・聖武天皇となられました。

元正天皇の御在位中の詔(みことのり)では、災難が起こった年のお言葉が心に響きます。養老五年(721)2月に地震があるなどの不思議な兆候があったときの詔です。

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“癸巳(十六日)(中略)
朕は徳が少なく、民を導く充分な才能もない。早朝から起きて〔その方策を〕求め、夜寝についても〔このことを〕思い続けている。身体は宮中の奥深い中にあっても、心は人民のもとにある。汝らに〔政治を〕任せなければ、どうして天下〔の民〕を導いてゆくことができようか。〔ついては〕国家のことで、万事に有益なことがあれば、必ず〔朕に〕奏上するように。もし〔朕が〕聞きいれないようなことがあれば、何度でも厳しく諫めてほしい。汝らは〔天皇の〕面前では服従し〔たように見せかけ〕て、退出した後で陰口をいわないようにせよ。
甲午(十七日)〔天皇が次のように詔した。
世の諺(ことわざ)では、申年には常に災いがあるというが、これはそのとおりである。去る庚申の年(養老4年=720年)には、天の咎めの印がしばしば現れ、洪水と旱魃が両方ともおこり、庶民はさすらい没落して、秋の収穫も不作で、国中が騒然となり、総ての人が苦労した。(中略)
古い典籍に尋ねてみると、王者の政令が事にそぐわない時に、天地が〔それを〕きびしく戒め責めて、咎めのしるしを示すのだとある。あるいは道に外れた行いがあるために、天災がおこっているのであろうか。今、汝ら臣下の者たちは、高位にあり任務も重大である。どうして忠誠を尽くさないでよかろうか。故に、〔朕の出す〕政令に不都合なことがあれば、総て上申し、〔それを〕遠慮して避けてはならない。まっすぐに考えていることを総て表し、隠してはならない。朕が〔その上申書を〕自ら読むつもりである。
そこで公卿たちは、この話をうけたまわって退出し、各々所管の漢詩に命じて意見を言上させた”(pp226~227)

(編注 直木考次郎他 『続日本紀1』(全4巻)東洋文庫 457)

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「国家のことで、万事に有益なことがあれば、必ず〔朕に〕奏上するように。もし〔朕が〕聞きいれないようなことがあれば、何度でも厳しく諫めてほしい。」「〔朕の出す〕政令に不都合なことがあれば、総て上申し、〔それを〕遠慮して避けてはならない。まっすぐに考えていることを総て表し、隠してはならない。」と、公卿の提言を求めておられます。

当時の天皇は、今日と違って、政治の実権を持っておられる為政者でした。臣下に、忌憚のない意見を求められ、政治に反映させるという、1300年前の女性君主の堂々たるお言葉に、感銘を覚えました。


今日も読んでいただき有難うございました。

昨日、緑地に散歩に行ったら、ガマガエルの卵がありました。あたたかさが続けば、近々、おたまじゃくしの群が見られるでしょう。

皆様に、希望に溢れた日々が訪れますよう、お祈り申し上げます。
タグ:続日本紀
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あるべきやうわ(明恵上人) [明恵上人]

20220323 DSC_1974.JPG皆様に、新年のご挨拶も申し上げないまま、ご無沙汰しておりました。
皆様、よいお年を迎えられたことと存じます。本年もよろしくお願い申し上げます。
新しい年を迎えて、気がついてみれば、早や3月になってしまいました。
年末から、ワクチンの5歳~11歳接種のこと、その他の諸々が重なって、情報のインプットとfacebookでの情報の拡散に、夢中になっているうちに日が過ぎました。
今日から、心をあらためて、1日置きぐらいを目途にブログを更新して参りたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

年頭に当り、「あるべきやうわ」ということを考えました。

「あるべきやうわ」は、明恵上人のお言葉です。明恵上人は、1173年(承安3年)生まれ、鎌倉時代前期の華厳宗の僧です。私も詳しく知るわけではなく、もっぱら、白洲正子著の『明恵上人』を読んで、そのお人柄をしのんでおります。

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条義時と同時代ですから、いずれ大河ドラマにも出て来られるかも知れません。


今日は、石水院(栂尾(とがのお)山高山寺)の壁にかけられているという、掛板に書かれた文字「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」について、思ったことを書きます。

白洲正子氏の著書『明恵上人』には、次のように書かれています。

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“[掛板は]明恵の直筆と称されるもので、はじめは白木の板に、墨で書いてあったのでしょうが、現在では漆をぬった上に、胡粉で、「阿留辺幾夜宇和」と書き、酉の刻(午後五時―七時)から、翌日の申の刻(午後三時―五時)に至る、勤行の次第が記してあります。
 詳細はここでは省きますが、それを見ると高山寺内の生活が、いかに充実したものであったか、想像がつきます。その後につづけて、学問所や持仏堂で守るべき行儀作法のことが書いてある。一、聖教の上に数珠や手袋をのせてはならない。一、円座の上に草紙のたぐいを置いてはいけない。一、夏は硯の水を、常に替えるべきである。文机の下に、お経を置くな、筆を口でなめるな、等々、掃除の仕方から、ふきんの始末に至るまで、ことこまかに教えている。また、この中にはありませんけれど、別の所では厠における作法まで記し(伝記)、厠が汚れているのは見苦しい、高山寺を訪れた人々が、この寺は居心地が悪いなどと思われては、勿体ないかぎりである。その程度のことは、皆で見つけ次第、きちんとすべきである“(p99)

(白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫)

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明恵上人に心惹かれたのは、「夢の記」と「樹上座禅図」からです。私も子供のころから、夢を見ることが多く、朝見た夢で、時には励まされ、時には進む方向を決めたということもあります。また、子供のころ木登りが大好きだったので、樹上座禅図を一目見て、こんな座禅をしたいと思いました。これはまだ実現していません。

今年は、身近な生活の中に、高山寺にはとてもおよびませんが、「あるべきやうわ」、居心地のよさを整えることを目標にしたいと思います。年の終わりにどれだけ実現できるかが楽しみです。

新型コロナウィルスのこと、皇位の安定継承のこと、徐々に世の中が動き始めています。今年は日常生活をていねいに送りながら、自分の等身大で出来ることを、地道に行って参りたいと思います。

今日もブログを読んでいただき有難うございました。

桜も開花し始めました。皆様にとって、明るい春が訪れますよう、お祈り申し上げます。

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