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無実の罪を着せられた道鏡に小室圭さんを思う [皇室典範改正]

DSC_173720210723blog.JPG木の根元に生えた苔です。不思議な色と形ですね。


デイリー新潮に小室圭さんを道鏡に例えた記事が載っていると、男系維持派の人が教えてくれました。

一読しましたが、各学者は底の浅いことしか書いていない、有識者会議の中身の無さ、政府の不決断、に、とても残念な気がしました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/facba13cf81bb45f8d67c90d0e4c853f2a29c30d


ここに出て来る本郷和人教授は、テレビにも出ていますが、専門は中世史で、古代のことは、とんと御存じないようです。

「皇位継承について考える際には、タテとヨコのどちらに重きを置くか」と述べていますが、彼の言うタテは、日本に「男尊女卑」が定着した中世以降だけのことであって、それ以前は、タテに含まれないのでしょう。歴史の一部分にしか、目が届いていない学者です。悠久の日本の歴史を語る資格はありません。

麗澤大学教授の八木秀次氏は、「私が訴えてきた男系男子による継承を頭ごなしに否定する方はおらず、旧宮家の皇籍復帰についても議論の俎上に載せられていました。それどころか、専門外のメンバーからも男系継承に肯定的な声が上がっていた。世論は確実に変化していると感じました。やはり、小室圭さんの存在が世論に与えた衝撃は計り知れないものがあったのでしょう」と、得意げに述べています。

女性宮家案を断固としてつぶそうと、なりふりかまわずに、小室圭さんの悪評をSNSやyou tubeで世間に流布したのは、男系維持派の竹田恒泰氏などの論客、日本会議を支持する女性メンバーたち、そして雑誌を売ることしか考えないマスコミでした。デマがこれほど国民に浸透することそのものに、恐ろしさを感じます。

何回もブログに書いていますが、どの記事を読んでも、私には、小室圭さんは普通の青年で、書き立てられていることは、一方的な推測まみれの情報であり、冷静に見れば、誰にでもあるような小さなことを大げさに書いているだけとしか、思えません。

発端になった、小室佳代さんの元婚約者は、代理人に立てた週刊現代の記者とタッグを組んで、一方的な情報をマスコミに垂れ流しましたが、小室圭さんの文書を読むと、元婚約者は、ウソばかりついていたことが分かります。

○婚約を破棄したのを佳代さんと言っていたが、事実は逆で、元婚約者が一方的に破棄していた。
○借金といいふらしたお金は、佳代さんに借金ではないから、あげるお金だからと何度もいっていた
○佳代さんが食事や結婚式の費用を高価なものにしたがっていると言っていたが、佳代さんは高価にならないようにとむしろ、気を遣っていた。

週刊誌で佳代さんが、遺族年金を断らなかったことを責めていたようですが、いきなり婚約を破棄するような信頼できない男性と交際をしている段階で、遺族年金を放棄する手続きをする人が、いるはずがありません。入籍して、初めて放棄するのが、常識だと思います。信頼できる友人がネットで詳しく調べた情報では、事実婚でも無かった、単に交際していただけ、とのことです。

小室圭さんのイジメを受けた女性があるという記事もありましたが、イジメに関わったとされる小室さんの友人全員が否定しています。微妙な事案ですが、真実を確かめなければ、不確定な情報のみでイジメがあったと決めつけるのは、痴漢の冤罪事件もあるので、慎重でなければならないと思います。


八木秀次氏は、小室さんが道鏡に似ていると述べていますが、実は道鏡事件そのものが、近年見直されています。

歴史上の日本三悪人というと、道鏡、平清盛、平将門があげられるそうですが、それぞれ、実は後世の人々に誇張されて「悪人」に仕立てられたという説が最近語られています。

道鏡は明治以降、和気清麻呂が忠臣であり、対照される悪人として、小学校の教科書にも載せられました。

八木氏は、「道鏡悪人説」を信じて疑わないようですが、道鏡の評価は最近見直されつつあります。


このことは、当ブログでも孝謙天皇・称徳天皇の時に取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306223719-1

今日はその続きを書きたいと思います。


「道鏡事件」は無かったと唱える学者さえあります。私は専門家でないので無かったかどうか、種になるような噂くらいはあったのかは分かりません。

公平に見れば、諸説あるというのが、バランスの取れた見方だと思いますが、私は少なくとも俗説通りのようなことは無かったという学者の説の方が、信ぴょう性が高いと思います。


その1、「道鏡事件」は無かったと唱える学者(関西学院大学教授・中西泰弘氏)があります。(社団法人 関西大阪21世紀協会HPより)


☆☆☆

怪僧、妖僧、悪僧・・・どこまで本当?

道鏡は戦前、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人に数えられた。道鏡と称徳は平安朝からスキャンダルの的となった。道鏡の巨根説、称徳の広陰説、「道鏡は座るとひざが三つでき」という川柳まで残る。明治以降は小学校用教科書に和気清麻呂と頻繁に登場するようになり、「国体護持」「万世一系」の皇国史観から道鏡は天皇の座を狙った悪僧、清麻呂はそれを阻止した忠臣の代表となった。

宇佐八幡神託事件は、称徳主体説、道鏡主体説、道鏡・称徳共謀に整理できる。戦後、古代史家・北山茂夫は「女帝こそが一介の名もない看病禅師をひきたてて、ついには、法王の地位をあたえた」「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」(『女帝と道鏡』)と称徳主体説を唱えた。

これに対し、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)は『続日本紀』に出てくる宣命と地の文の詳細な検証を進め、「称徳には道鏡を皇位に就けようという意思は毛頭なかった」(『続日本紀と奈良朝の政変』)とし、道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出とする。皇統は天武(?-686)から8代7人、天武系が続いたが、称徳亡き後、天智天皇(626-671)の孫の光仁(709-782)、その子の桓武(737-806)と天智系に変わった。『続日本紀』は桓武治世下で編纂されており、道鏡事件を「『前王朝』の失態」として描いたと問題提起している。


さらに東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)は評伝『孝謙・称徳天皇』で、称徳を革新的な女性天皇として描いた。称徳は歴史上ただ一人の女性皇太子。従来言われるような「中継ぎ」ではなかったとする。一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。「『天』が授ける者であれば皇統以外でも可能とする」「歴史上でも類いまれな、万世一系を否定する王権像」を持っていたとする。そして道鏡事件は後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われたと書いている。

いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。

(「なにわ大阪をつくった百人」(社)関西大阪21世紀協会=足跡をたずねて=)
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/039.html

☆☆☆

[1の感想]

「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」という古代史家・北山茂夫氏の意見も興味深いです。「儒教的な立場に立つ御用学者」は、男尊女卑的な見方が強く、このようなスキャンダルを大げさに批判することを得意とするからです。

そして、『続日本紀』を詳細に検証された、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)の説は、かなり説得力があると思います。

○道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出(創作)
○称徳には道鏡を皇位に就けようという意思はもうとうなかった。
○皇統が天武系から天智系に替わった時、道鏡事件を『前王朝』の失態として描いた。


「皇統が天武系から天智系に替わった時」、すなわち皇統が別系統になった時、前の系統の天皇を悪者に仕立てるのは、日本書紀にもみられることです。「勝者が敗者を悪者として記録する」のは、よくあることです。

「いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。」

と書かれています。これまで各時代の天皇の御製を学びましたが、天皇に謀叛を企てたことの処罰はいつの時代でも死に値する厳しいものでした。道鏡の処分は左遷という軽すぎるものだったということからも、本人自身に謀反の罪が無かったのは明らかだと思います。



その2、道鏡の名誉回復を願う、出身地・大阪府八尾市の有志団体「道鏡を知る会」により、木彫の坐像(ざぞう)が作られ、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納されました。坐像の制作者は、籔内佐斗司(やぶうちさとし)・東京芸大大学院教授。籔内氏は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」も考案した彫刻家です。

(「道鏡、実は「悪人」の事績乏しく 名誉回復願い坐像」日本経済新聞2020年10月22日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65273930R21C20A0AA1P00/

道鏡の実像を語り伝えられてきた道鏡の生地、大阪府八尾市の有志が、道鏡の名誉回復を願って、坐像をつくり、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納することができたという記事です。

以下は、前のブログで紹介した、坐像を作る運動をしている時の記事です。願いが結実して、坐像を奉納することができて、ほんとうに良かったですね。

☆☆☆

道鏡とは

河内国弓削氏出身の道鏡は、義淵増正に師事し、看病禅師として孝謙上皇の病を治し、女帝の信頼を得て、称徳天皇(重祚)勅願の西大寺の創建にも協力をしました。仏教理念による施政を総攬(そうらん)し、法王の位を受け、奈良仏教の礎を築いた一人。

(中略)

神護景雲3年(769年)10月、称徳女帝は道鏡を伴って、道鏡の故郷である河内国由義宮に来られ、大和川沿いの龍華寺に河内の商人たちを呼び集めて市を開かせ、官人たちの買い物風景を楽しんだといわれます。また、天皇は龍華寺に綿二万屯(とん)、塩三十石を寄進しました。翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕したとの記録が残されています(続日本紀)。

植松渋川神社の前の観音が当時の龍華寺であることや、渋川神社の前一帯の地域が「市の町」と今も呼ばれていることなど、私たちの身近なところに道鏡が活躍した名残が存在しています。

八尾市が生んだ偉大な人物、道鏡の真の姿を再発見し、称徳女帝と道鏡の清らかな恋に思いをはせて、道鏡を知る会は今年も活動を続けています。また、関東地方をはじめ、全国の「道鏡の会」との交流も行っています。会員は2か月に1回程度、奈良時代、特に道鏡ゆかりの地に出かけて拝観・見学をしています。

「85歳の挑戦。奈良仏教の礎を築いた一人である道鏡禅師像を造立へ 」
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆



その3、「奈良まちあるき風景紀行」は、一般的な観光案内の感じですが、道鏡事件について、「具体的な悪行」は何一つ伝わっていない、評価に諸説ありとしています。


☆☆☆

道鏡が何かを自らで大規模に粛清したとか、特定の存在を極端に弾圧したとか、誰かと共謀してまれに見るような凶悪な働きを果たした。といったような歴史に残る「具体的な悪行」は特に伝わっていないことは紛れもない事実です。

(「道鏡とは何者なのか?悪人とされがちな僧侶についてシンプルに解説【宇佐八幡宮神託事件】」奈良まちあるき風景紀行)
https://narakanko-enjoy.com/?p=35061

☆☆☆

○観光案内的なホームページですが、幅広い見方があると、紹介しています。

○『「具体的な悪行」が特に伝わっていないことは紛れもない事実です。』

具体的な悪行が特に伝わっていないのに「謀叛人」「極悪人」にされているのなら、それはいわば冤罪(えんざい)ではないでしょうか。





[全般的な感想]

八木氏は、道鏡と孝謙天皇に男女の関係があったと思い込んでいるようですが、道鏡60歳、孝謙天皇45歳というご年齢から考えても、また、孝謙天皇が潔癖な御性格であられたこと、道鏡が優れた高僧であったと配流先でも民から慕われていることから、そのような関係では無く、清らかなものだったと考えるのが自然です。


小室圭さんが、まじめな一般国民であるのにかかわらず、ぬれぎぬを着せられて、謀反人に仕立て上げられ、マスコミのバッシングの標的にさせられてしまったことは、何の罪も無かった道鏡が、デマによって極悪の謀叛人に仕立てられたのと、実は、似ているかも知れません。

そして、眞子様の置かれている状況は、(その1の引用文で)東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)が述べているように、

『後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われた』

という、称徳天皇の置かれた状況にそっくりです。


『時の為政者をあやつる男系維持派が、「女性皇族(内親王)をスキャンダルまみれに伝え」、「男女の関係におぼれた愚かな悪女」に仕立て上げて、「女性宮家の出現阻止に使われた」』

と言葉を置き換えれば、なんとそのまま、すべてが当てはまるではありませんか。歴史は繰り返すというのは真実です。男系派が、道鏡を念頭に置いて、仕組んだワナではないかと思えるほど、酷似しています。


勝浦教授はこうも述べています。

(称徳天皇は)「一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。」

このような女性優遇策が、古代中国の男尊女卑文化が浸透しつつあった当時の為政者にとって、伝統破壊に思えたのでしょう。その反感が、続日本紀の記録者に映し出されて、称徳天皇をおとしめる記述の動機の一つになったのではないでしょうか。これも男系を支持する男尊女卑の人々に共通していますね。


それにしても腹立たしいのは、女性宮家制度創設をつぶすために、何の罪もない無名の一般国民を、デマをまき散らして、極悪の謀叛人であるかのように仕立て上げた人々の存在です。竹田恒泰しかり、八木秀次しかり。一般国民に過ぎない一人の青年のプライバシーをあばき、デマを流し続け、悪人に仕立て上げる、これでも法治国家だろうか、一般国民を守ろうとしない国が、民主主義の国だろうかと、日本人に生まれたことが、真底、恥ずかしくなります。

デイリー新潮の記事に出て来る里中満智子さんは、デビュー当時からファンだったのですが、結局、男性に肩を並べることに生きがいを感じる、名誉白人ならぬ名誉男性の一人で、本質的なことが何も分かっていない浅はかな人だったと知って、がっかりしています。知識量と、人間として正しい判断ができるかどうかは、まったく別物ですね。


これが、女性宮家の制度が出来ていて、小室圭さんの皇室入りが選択できるというなら、国民が色々と声を上げたくなるのは、まだ理解できます。美智子様が婚約され、皇室入りが決まった時も、柳原白蓮などが、猛烈な妨害活動を行い、暴力の行使も辞さないという勢いだったそうですから、歴史は繰り返すと思えば、理解できます。

しかし、今の制度のままでは、眞子様が一般国民になられると決まっていて、小室圭さんが皇室入りすることができないことが分かっているのに、国民が大騒ぎするのはなぜなのでしょう? 

裏を返せば、眞子様に女性宮家の当主になっていただきたい、その伴侶も皇室入りしてほしいとの、国民の潜在的な願望が高まって、彼らを異常な行動に駆り立てているのではないでしょうか? 現在意識では分からなくても、国民の潜在意識が「女性宮家を創設してほしい! 女性天皇を実現してほしい!」と大声で叫んでいる、その気持ちが素直にだせないためにひねくれて、可愛さ余って憎さ百倍となっているような気がします。


男系維持派は、そのような国民の魂の底からわきあがる声なき声、女性天皇を待望する声、女性宮家創設を願う声を、「左翼の陰謀だ!」と偏見に満ちた悪口を投げかけて一蹴します。

日本の古代史を謙虚に学ぶことをしない、浅はかな、そのくせ日本のことを誰よりも知っていると錯覚している愚かな人々が、自民党政権に巣くって、日本を害し続けています。


男系派はこう叫びます。

「日本は男尊女卑の国だぞ!」

「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」

「偉大なる古代中国さまがそういっておられたのだ、われらはその伝統にしたがうのだ!」

「皇室こそは男尊女卑の伝統を守る最後のとりでなのだ!」

と。いつまで、叫び続けるつもりなのでしょう。まるで駄々っ子です。困ったものです。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
オリンピックが開会しました。平穏に無事に開催されますよう、選手たちが力いっぱい競い合えますよう、祈らせていただきます。
皆様も、どうぞお健やかな毎日をお過ごしください。

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