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新型コロナを2類から5類に落とせば医療はひっ迫しない [新型コロナ]

DSC_179420210831blog.JPG新型コロナで自宅療養していた人の重症化、死亡のニュースが伝えられます。

しかし、2類(実際は1類相当)を5類に落として、保健所を通さずにどの医者でもコロナを診ることが出来るようにすれば医療はひっ迫しないと、多くの現場の開業医が声を上げています。

中でも長尾和弘氏のブログ「Dr.和の町医者日記」が、分かりやすくて勉強になります。

以下、「Dr.和の町医者日記」からの引用です。

☆☆☆

その結果かどうかは知らないが、政治と医師会が動いた。



8月12日に、保健所を通さずに医師が動いていいと政府が発表。

8月16日に、自宅療養者管理の診療報酬点数(250点)がついた

8月19日に、政府は抗体カクテル療法が外来でもできると発表し、

      日経新聞の一面は「初診からのオンライン診療を」と。

など、実質的に保健所外し(5類相当)に傾いてきた。

(「この8月、国と医師会を少し動かしたかな」)
http://blog.drnagao.com/2021/08/8-7.html

☆☆☆


「その結果」というのは、長尾医師が「ミヤネ屋」「バイキング」「プライムニュース」など視聴者の多いメディアで、歯に衣着せぬ意見を述べたことを指します。

多くのテレビ番組に出演して、新型コロナをエボラ出血熱、ペスト並みに扱う現在の感染症2類から、インフルエンザ並みの5類に落とせば医療崩壊にならないと述べたことが、政治と医師会に影響を与えたようです。2類から5類にしてほしいというのは、これまでも多くの開業医が主張して来たことですが、政府はなかなか動きませんでした。

長尾医師の「ミヤネ屋」出演を視聴しましたが、新型コロナに罹患した時の、今の医療のあり方にびっくりしました。

コロナ陽性になったら、保健所に連絡し、保健所の裁定を待って医師にかかるまで数日かかるとのこと。普通の病気なら熱があれば医者に駆け込んでその場で診断と投薬など治療してもらえるのに、コロナについては、重症化して初めて医療を受けられるというのが、現状だそうです。

どう考えても変です。長尾医師は、軽症のときに治療すればほとんどすぐに治る、自分の患者に死んだ人はいない、2類にしていることは、重症化するのを待ってやっと治療が受けられるというようなもの、と述べています。これでは医療がひっ迫するのも、死者が出るのもあたりまえですね。


また、東洋経済オンラインでは、新型コロナは、「感染力が強くなる一方、致死率は低下」とデータを載せて、説明しています。


☆☆☆

5月中旬をピークとする第4波についてデータを7日移動平均で見るとピーク時には感染者数(検査陽性者数)は6400人、死者数のピークは100人前後で推移した。これに対し、8月20日は感染者数は4倍の2.5万人に達し、その後も2.2~2.3万人で推移しているが、死者数は30~35人で推移し、陽性者数に対する死者数の比率は圧倒的に少なくなっている。

(「新型コロナ医療崩壊の原因は開業医の不作為だ」)
https://toyokeizai.net/articles/-/450974

☆☆☆


このコラムでは、一般の診療所の開業医がインフルエンザの場合と同様に外来診療や往診に応じる体制を作る必要がある、分科会の医師の一部や知事などが主張する国民への強力な活動制限、ロックダウンなどはすべきでない、と述べています。

この1年半の国民への強力な活動制限が何をもたらしたかといえば、飲食店の閉店など経済へのダメージ、自殺者の増大など、苦しんでいる人々は、数えたらきりがありません。

わが家の近辺を歩いていて、目立つのは、長年親しんで来た飲食店の閉店、花屋の閉店です。子供たちが修学旅行や運動会が行えない、一生に一度しかない時期に、思い出を作れないことも、ほんとうに気の毒です。

もう、普通の生活に戻してもいいころではないでしょうか。

インフルエンザ並みでも、病院での感染症対策は、丁寧です。感染者数が増えても、重症者数が減っているのは自然免疫を獲得している人が多くなったからだと思います。

エボラ出血熱やペストではないので、ゼロ・コロナを目指す必要はありません。インフルエンザはゼロになっていません。治療法もめどが立ってきています。

インフルエンザ並みの5類に落とす条件は整っていて、政府や医師会がメンツにこだわらず、決断すれば、多くに人の命が助かります。思い切って決断していただきたいと思います。
現場の開業医の声が生かされて、実態に即した医療が提供されることを、願っています。


今日も読んでいただき有難うございました。
もう少ししたら、涼しくなると天気予報が行っています。美味しい物を食べて、十分な睡眠と運動で免疫力を高めて、お健やかな日々をお過ごしください。


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竹田恒泰氏はなぜ女系天皇に反対するのか(3) [皇室典範改正]

121011_155221_-20210825blog.JPG3回にわたり竹田恒泰氏の女系天皇反対について、論じて来ました。

質問して来たTさんが持ち込んだ文章は、2006年頃の講義原稿とのことで、やや古いのですが、それに合わせて回答してきたからです。今日は、新しいニュースをお届けします。

今日(25日)東京新聞朝刊に、竹田恒泰氏と門田隆将氏の対談本、『なぜ女系天皇で日本が滅ぶのか』との宣伝広告が載っていました。購入して批評すれば丁寧なのですが、対談本の見出しとアマゾンの読者の声を読めば内容の見当がつくので、今のところ購入の予定はありません。

つまるところ、女系天皇を採用しないで、旧皇族から養子を迎えよ、という論を竹田氏は強力に推し進めようとしているようです。

信頼できる友人から聞いた話でが、旧宮家の単純な皇籍復活が不可能という意見が行き渡ったので今は養子案を推しているようです。

① 竹田氏の主張では「4、5家の旧宮家を復活すればよい」とのことである。
② しかし臣籍降下した21宮家の内、直系の男子が残っているのは、わずか4家である。
③ 4家の男子でも、年齢がかなり高い方もあり、皇籍復帰したいという希望者は一人もいない。

友人の見方では、竹田氏の主張をそのままに受け取るなら、4家未満、つまり3家だったら、復活してもその後が続かない、つまり竹田氏は、宮家復活はできないことを知っているのではないか。それは旧宮家から養子を迎える場合でも同様である。不可能であることを知っていてそれを強力に推進するのは、実は皇室を無くしてしまいたいと考えているとしか思えない。竹田氏は「女系天皇は左翼の陰謀」というが、竹田氏こそ「皇室を無くしてしまいたい左翼に操られているのではないか」という意見でした。

友人の「左翼に操られている」は言葉が過ぎるかもしれません。しかし実現不可能なものを実現できるように装って「先延ばし」の時間稼ぎを続ければ、結果的に「皇室が無くなる」方向に限りなく近づくことという現実を思えば、あながちデタラメとも言えません。利用されていることに、ご本人は気付かずにいるのかも知れません。

上記書籍の小見出しに

○「〝中国系〟〝韓国系〟の天皇が誕生!?」
○『男系は「女性差別」でなく「男性排除』

とあります。

〝中国系〟〝韓国系〟の内容は、男系派と対話した時によく聞かれた「女性天皇が外国人と結婚したらどうするんだ?」との質問に合致します。なぜ「女性」なら外国人との結婚を心配し、男性天皇の心配をしないのかとの疑問もありますが、それ以上に、竹田氏の強烈な外国人排除、差別主義的な意思が感じられます。

つい最近、竹田氏の差別主義的であるとの指摘は「公正な論評」であるとの、東京高等裁判所の判決が、下りたことを知りました。

竹田恒泰氏が、紛争史研究家の山崎雅弘氏を名誉棄損で訴えた裁判の第2審で、竹田氏の控訴が棄却されたとのニュースが、昨日、流れました。


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ツイッターで「差別主義者」「いじめの常習者」などと指摘されたのは名誉毀損(きそん)だとして、作家の竹田恒泰氏が紛争史研究家の山崎雅弘氏に550万円の損害賠償と投稿の削除などを求めた訴訟の控訴審判決が24日、東京高裁であり、高橋譲裁判長は「各ツイートは公正な意見論評の表明」とし、竹田氏側の控訴を棄却した。

 判決などによると、山崎氏は2019年11月、竹田氏が富山県朝日町教育委員会主催の講演会に講師として招かれることについて、中高校生に「自国優越思想」を植え付けるなどと批判する投稿をしていた。
 高橋裁判長は、竹田氏が書籍やツイートで中国や韓国に対し攻撃的、侮蔑的表現を多数使用したと認定。山崎氏の投稿は「(竹田氏の)言動や表現方法から導かれる意見論評として不合理と言えない」と結論付けた。
 一審東京地裁も今年2月、山崎氏の投稿を「公正な論評で違法性を欠く」として、請求を棄却していた。

(『作家の竹田氏、二審も敗訴 差別指摘は「公正」―東京高裁』2021年08月24日15時45分 時事ドットコムニュース)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021082400736&g=soc

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第二審の東京高等裁判所は、以下の通り、山崎雅弘氏の意見論評が不合理と言えない、名誉棄損に当たらないとの判決を下しました。

○高橋裁判長は、竹田氏が書籍やツイートで中国や韓国に対し攻撃的、侮蔑的表現を多数使用したと認定。

○山崎氏の投稿は「(竹田氏の)言動や表現方法から導かれる意見論評として不合理と言えない」

これに先立つ第一審の東京地方裁判所でも、『差別指摘は「公正」』との判決が出ています。


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判決によると、山崎氏は2019年11月、富山県朝日町教育委員会が、中高生らを対象とした講演会に竹田氏を講師として招くことについて、「問題なのは、公的機関が特定国やその出身者に対する差別やいじめの常習者である竹田氏を登壇させること」などとツイッターに投稿した。
 竹田氏は投稿について「誹謗(ひぼう)中傷で、人格攻撃を繰り返した」と主張。損害賠償と投稿の削除などを求めていた。
 前沢裁判長は、竹田氏が著書で「(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々」と記したことや、「韓国は、ゆすりたかりの名人」とツイッターに投稿したことなどに触れ、山崎氏の投稿は人権侵害や差別が広がることを懸念した公益目的があり、「相応の根拠がある」と判断した。

(『差別指摘は「公正な論評」 作家の竹田氏敗訴―東京地裁』2021年02月05日18時27分 時事ドットコムニュース)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020501172&g=soc

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私は上記の竹田氏の中華民族、韓国に対する言葉を見ただけで、目が点になるくらい驚きました。中華民族、韓国に対して、こんなヒドイ中傷を著書に書いたり、ツイッターに投稿したりする人物が、皇室に縁のある宮家の一員であるかのようにふるまうのは、日本の大いなる恥です。そんな人物を中高生を対象とした講演会に招こうとした、富山県教育委員会の見識の無さにあきれます。

竹田氏が「特定国、その出身者に対する差別、いじめの常習犯」であるという山崎氏の指摘に、私も心から同意します。

山崎氏は、

「問題なのは、公的機関が特定国やその出身者に対する差別やいじめの常習者である竹田氏を登壇させること」

との言葉をツイッターで表明したそうです。

山崎雅弘氏の勇気に、拍手を送ります。

特定国、その出身者に対する差別、いじめのみならず、出自が一般庶民だからとして、小室さんを「差別、いじめ」の対象にしていることも、竹田氏の同じ性根から出ているのだと思います。根っからの差別主義者なのだと思います。

山崎氏は、ツイッターで、以下のように投稿したそうです。

「この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」

短い言葉で、的確に表現できていると、感心いたしました。「人権侵害常習犯」「差別主義者」との竹田恒泰氏の本質がよく表されています。

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一審の東京地裁と同じく、ツイートを「論評」と認めた控訴審判決を受けて、山崎さんは「私の一連の投稿が、社会から差別をなくすという公益に寄与する公正な論評だと認められました」とコメントした。

●「教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者」と指摘していた

山崎さんは2019年11月8日、富山県朝日町の教育委員会が竹田さんを講師とした講演会を主催することについて取り上げ、「この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」などツイートした。

竹田氏は一連の5つのツイートを名誉毀損だとして、損害賠償や投稿の削除などをもとめて提訴したが、東京地裁は論評であり、違法性はないとして請求を棄却していた。

東京高裁もまた、竹田さんのツイートや発言、著作などの言論を踏まえたうえで、山崎さんのツイートが論評にあたると評価した。

(『竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイートは名誉毀損にあらず「公正な論評」』8/24(火) 16:28 弁護士ドットコム ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/60913911deb09052f7ff16bf32a98d844fdc2524

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先ほどの、竹田氏著書の小見出し『男系は「女性差別」でなく「男性排除』も、竹田氏が得意げに繰り返す言葉です。「男性排除」というなら、「男性排除」もやめましょう。「男性排除」は「男性差別」を言い換えただけのことです。

「男性差別」もダメなのです。女性も男性も不当に差別されないのが、皇室本来の伝統です。女性も男性も尊重されてこそ、皇室本来の伝統にかなうのであって、「男性差別」があることが皇室の伝統だというのは、コンコンチキの大間違いです。

男性も女性も差別されない皇室の中にこそ、新しい生き生きとした日本の伝統が再生します。

男性も女性も、等しく活躍できる皇室をいただきたい、それが保守系であれ、革新系であれ、思想に関係なく、大多数の日本人の願いであると思います。日本人のみならず、親日的な外国人の中にも、その差別心の無い皇室の姿を見て、感動している人々があると思っています。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって新しい良き日々が訪れますよう、お祈り申し上げます。

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女性天皇、女系天皇、女性宮家という選択肢の難題 [皇室典範改正]

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*わが家の朝顔が咲きました。持ち主に似て、のんびり遅咲きですが眼を楽しませてくれます。*



高森明勅氏が「女性・女系天皇、女性宮家という選択肢が抱える難題とは?」との文章をブログに書かれました。高森氏が「難題」とされた3点について、考えて行きたいと思います。

高森氏は、次の3点を「女性・女系天皇、女性宮家」を選択する上の難題とされています。

①当事者となられる内親王方などご本人のお気持ちはどうか?
②果たして国民男性からご結婚相手が現れるか?
③男系男子に頑固に拘る少数の反対論者が残り続けるのではないか?

高森氏のお答えは明快なので、全文をそのまま読んでいただきたいと思います。自分の学びのために、感想を述べさせていただきます。

(「女性・女系天皇、女性宮家という選択肢が抱える難題とは?」2021.08.21高森明勅公式ブログ)
https://www.a-takamori.com/post/210821

以下、部分引用させていただきます。


☆☆☆

《内親王方ご本人のお気持ちは?》

①について、対象が国民である場合は、憲法第3章が規定する基本的人権を享有する主体なので、勿論、ご本人の自由意思が大前提になる。旧宮家案の“最初の”ハードルはそこにあった。

しかし、憲法第1章の適用を受ける(一方、第3章の全面的な適用は受けない)内親王方などの場合、制度の建前として、自由意思は必ずしも絶対的な前提とはならない。


対象となる内親王方などは、物心がついて以来、長年、女性・女系天皇、女性宮家を巡る議論が行われて来た事実は、当事者ゆえに熟知しておられるはずだ。だから、唐突な話ではもとより無い。むしろ、「世襲」の「象徴」天皇という制度を維持するのであれば、決して避けられない課題に対して、政治の怠慢と国民の無関心によって、現在まで結論が先延ばしされて来たことの方が、申し訳なかった。


この間、ご自身の将来が見通せない辛さを、ずっと抱え続けてこられたはずだ。これ以上、宙ぶらりんの状態を強制し続けることこそ、残酷な仕打ちだろう。だから、その意味からも、一刻も早く決着をつける必要がある。

(「女性・女系天皇、女性宮家という選択肢が抱える難題とは?」2021.08.21高森明勅公式ブログ)
https://www.a-takamori.com/post/210821

☆☆☆

[感想]


「憲法第1章の適用を受ける(一方、第3章の全面的な適用は受けない)内親王方などの場合、制度の建前として、自由意思は必ずしも絶対的な前提とはならない。」

「もしご本人に辞退されるお気持ちが強い場合は、個別に皇室典範の第3条(皇位継承の順序の変更)や第11条(皇族の身分の離脱)などの適用が検討されるべきだろう。」

上記に、「憲法第1章の適用を受ける(一方、第3章の全面的な適用は受けない)内親王方」とあります。しかし「ご本人に辞退されるお気持ちが強い場合」皇室典範の第3条、第11条を適用すれば、辞退のお気持ちを通されることも可能なのです。

誤解している人もあるようですが、天皇でも、皇族でも、ご本人に「天皇、皇族のお務め」を辞退するお気持ちが強い場合、そのお気持ちをとどまらせることはできません。

天皇、皇族は、国民が享受している権利を制限されても、ご自身の「自由意思」で、今のお務めをしてくださっているのです。そのことに国民は気付いて、そのお気持ちを受け止めて、まず感謝しなければならないと思います。

当事者であられる内親王方が、「女性天皇、女性宮家」について熟知されているのは疑う余地がありません。それなのに、2005年の小泉内閣の有識者会議による検討以来、女性宮家創設について、16年間もの間、「政治の怠慢と国民の無関心によって、現在まで結論が先延ばしされて来た」のです。誰かが何とかしてくれる、政府がちゃんと対応してくれると、人任せにしてきたからです。国民の一人として、申し訳なかったと思います。それで今は、微力ながら、このような情報を発信し続けています。


「将来が見通せない辛さを、ずっと抱え続けてこられたはずだ。」
「一刻も早く決着をつける必要がある」

に心から共感を覚えます。笑顔でこの不安に耐えて来られた皇室の皆様にいつまでも甘えていてはいけないと思います。一刻も早く決着をつけて、将来を見通せるようにして差し上げなければなりません。


☆☆☆

《ご結婚のお相手は?》

②は、政治(政府・国会)が関与できる領域ではない。
お相手は国民である以上、上記の通り、もっぱら当事者の自由意思に委ねられるべき事柄なので、制度上の議論にはなじまない。
(中略)
国民的な課題として、皇室の方々の人格や名誉が、一方的に傷付けられ続けるこれまでのような状況は、いつまでも放置できない。畏れ多いが、秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下のご結婚も、
(男系維持なら、必ず男子を生まなくてはならない重圧を避け難い、という事情に加えて)いつバッシングの標的にされるか分からない状態が続けば、困難を極めるだろう。

(同上)
☆☆☆


[感想]

「ご結婚のお相手が国民である以上、当事者の自由意思に委ねられるべき事柄」は、その通りで、美智子さま、雅子さまの時と同じで「当事者の自由意思」が何より大切だと思います。

皇族入りに当たって皇室会議で検討されますが、それ以外の制度を議論する事柄ではありません。天皇の男系男子の血筋の方ということを男系派は希望するでしょうが、それは国民のわがままというものです。

気になるのは、皇室への激しいバッシングに歯止めが効かなくなっている現状です。平成には美智子さまのバッシング、雅子様のバッシング、直近では小室圭さんから眞子さま、秋篠宮さまに波及しているバッシングがそれです。

戦前の不敬罪など法的な規制を設けたくなりますが、それでは国民と皇室の距離を遠ざけることになりかねず、法的な規制には、慎重であるべきだと思います。

いちばんよいのは、多くの国民が皇室を正しく理解して、マスコミの見当違いなバッシングに対して、デマをきちんと見分けて、誤った情報の拡散に歯止めをかけることでしょう。

小室圭さんのことでも、「行き過ぎではないか」という記事も、ぼつぼつ出てきています。そういう冷静な記事を読んで支持を表明する、国民が事実を正しく見極める知恵と行動を身につけるのが、根拠のないバッシング拡散をとどめる特効薬だと思います。

本来は、小学校からの学校教育で、天皇、皇室について、基本的な知識を身に付けさせる必要があると思います。私は学校時代、一切、そういう教育を受けませんでした。成人してから、幸運にも天皇のことを知る機会を得ましたが、それがなかったら、今でも天皇、皇室は遠い存在だったと思います。世界の至宝ともいうべき、日本の天皇を中心とした国のありかたについて、何も知らないのはもったいないことです。宝の持ち腐れです。


☆☆☆

《頑固な反対派は?》

③について、私の肌感覚として、さすがに頑固な「男系」固執派の数は、次第に少なくなっているように感じている。しかし、上皇陛下のご譲位に対しても、「権威の二重化」が起こるなどと全く見当外れの懸念を述べ立てて(これは、ご譲位後の上皇陛下のお振る舞いへの不信感を前提としなければ、出て来ないはずの不敬・非礼な言い分だった)、最後まで反対した少数者が存在した
(令和の今、彼らが主張したような状態は、国内のどこにも存在しない)。
(中略)
上皇陛下のご譲位によって、平成から令和への御代替わりが実現した時の全国民的な祝福の前には、一握りのご譲位反対派の存在など、まさに物の数ではなかった事実を思い起こせばよい。

(同上)

☆☆☆


[感想]

『頑固な「男系」固執派の数が、次第に少なくなっている』は、安心材料です。頑固に男系継承に固執して、志望者が無く、様々な困難な条件により、宮家系男子の皇籍復帰は実現の可能性が限りなく0に近いのですが、仮に実現できたとしても、側室制度なしでは皇室は存続できません。昭和22年に21の宮家が臣籍降下しましたが、現在、男子の後継者がいらっしゃるのは4、5家であると聞きます。4分の1、5分の1に減少しているのが、そのことを証明しています。

天皇を中心とする国のあり方を願い、皇室の末長い存続を願うなら、女性天皇、女系天皇、女性宮家しか打開の道は無いという、当然な道理を理解してくれる人は、確実に増えて行くでしょう。

理屈に合わないのに見当はずれの反対を唱える少数者は最後まで残るとのことですが、論より証拠で、いざ女性天皇、女性宮家が実現すれば、圧倒的なお祝いの声の前に、自然に消えて行くでしょう。


今日も読んでいただきありがとうございました。
夏も終わりに近づき時折、秋の雲が見られます。お健やかな毎日でありますようお祈り申し上げます。


タグ:女系天皇
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竹田恒泰氏はなぜ女系天皇に反対するのか(2) [皇室典範改正]

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*ミョウガの花が咲きました。ミョウガの味は落ちますが、花は可憐です*




一昨日の、竹田恒泰氏の文章について、続きです。



男系派のTさんとのやりとりで、私は

「天皇陛下、上皇陛下が『女系容認』だとしても、男系派は、断固反対するつもりなのですか。」

と質問しました。


それに対する答えとして、Tさんが引用して来たのが、竹田恒泰氏の次の文章でした。


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■皇位継承問題と大御心
 よく「大御心(おおみごころ/天皇の意思)」という言葉が間違って使われているが、大御心とは皇祖皇宗の遺訓に他ならず、今上天皇の個人的な意思のことではない。
 葦津珍彦先生は「天皇の地位が世襲的なものである以上、天皇の意思と云ふのも世襲的なものでなければ意味をなさない」と仰った。また先生によると、大御心は天皇の個人の意思よりも、遥かに高い所にあり、また大御心とはすなわち日本民族の一般意思であって、時代によって変化する民衆の多数意思よりも貴いという。
 したがって、もし天皇がそのような大御心に反する事を仰せになったなら、これは「聞いてはいけない」ということになる。幕末に孝明天皇から第二次征長戦争の勅許が降りた時、大久保利通が西郷隆盛に宛てた書簡には「非義の勅命は勅命に非ず」と書かれていたことはよく知られている。本来勅命は天下万民が承知してこそ勅命なのであり、この勅命には大義が無いから勅命とは言えないので、自分はこれに従わないというのだ。
 もし天皇の個人的な御意思と大御心が食い違った場合には、当然大御心を優先させなくてはならないのである。

(「第5回 皇位継承問題と大御心」北海道神宮ホームページ)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda5.html
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Tさんいわく、天皇の御心が歴代天皇の大御心と異なっていれば、それを否定しても良いとのことです。

大久保利通が西郷隆盛に宛てた書簡に「非議の勅命は勅命に非ず」とあったそうですが、この件は前後の事情を吟味しなければならないので、ここではコメントいたしません。


『「大御心(おおみごころ/天皇の意思)」という言葉が間違って使われているが、大御心とは皇祖皇宗の遺訓に他ならず、今上天皇の個人的な意思のことではない。』と竹田氏は述べています。

「大御心」と言えば、今上天皇の御心のことで、間違いないと思うのですが、今上天皇の個人的意思のことではないというのは、何を言わんとしているのかと、考えました。


それは、私も人生百般の出来事すべてに関して「今上天皇の個人的意思」が絶対的に正しく、日本国民が何もかも細部に至るまで天皇のおっしゃるとおりにしなければならないとは考えておりません。

大久保の話だけでなく、臣下の立場で天皇の勅許に従えなかったという例は、歴史の中にも数多くあると思います。専制君主でない天皇はそういうことを許容されて来たこともあったでしょう。

しかし今話題になっている「皇統継承」という重大事について、

「臣下の我々男系派の方が、歴代天皇の大御心に通じている、歴代天皇の大御心は『男系固執で女系絶対反対である』」

という主張は見当違いであり、全く肯定できません。

国政の諸問題、国際情勢への対処など外部的なこと、世俗のことについては、現場の人間である大臣や実務者の方が、天皇よりもよく分かっているということもあるでしょう。

そのような場合、天皇は臣下を信頼されて、その意見を採用されます。

昭和天皇の昭和41年歌会始お題「声」の時の御製でもこのことを詠っていらっしゃいます。


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御製(昭和天皇)

日日のこのわがゆく道を正さむとかくれたる人の声をもとむる

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai-s41.html

☆☆☆

天皇ご自身が、かくれたる人の声をもとめられ、日々のわがゆく道を正そうとなさった、それが日本の天皇でいらっしゃいます。決して独断専行ではありません。

しかし他ならぬ、天皇ご自身の跡継ぎの決め方について、当事者であられる天皇よりも臣下の判断が正しいなどと言うことがあり得るでしょうか。皇位継承について、最も真剣に考えられ、歴代天皇のお心を熟知していらっしゃるのが、天皇であることは、疑う余地がありません。

竹田氏と彼の信奉者である男系派の「女系天皇断固反対」が「皇祖皇宗の遺訓」であり、「歴代天皇の大御心」であるというのは、実体のない虚構であり、幻想だと思います。

あえて申せば、明治の旧皇室典範制定までは、皇統継承は「男子優先だが男子限定ではない、女子容認」が長年続いた、ということはいえると思います。それが明治22年の旧典範制定の時に「男系男子限定」に、せばめられてしまいました。

明治天皇のお考えでは「女系容認」、「譲位」、「永世皇族制廃止」を旧典範に入れるご希望であったという記録が残されています。そのような明治天皇、大正天皇、昭和天皇、上皇さまの一貫したお気持ちがあって、今日に至っているのだと思います。男系派は、この4方を歴代天皇ではないというつもりでしょうか。

小泉政権の有識者会議での検討以来、15年以上も憲法の制約を受けて直接ご発言できない中で、何回も「女系天皇」の検討、「女性宮家の創設」が話題に上っています。天皇(現在の上皇)の御内意でなくて、何回も「女系天皇」の提案が蒸し返されることがあるでしょうか。

もはや「女系天皇容認」を含めた「安定的な皇位継承」が、天皇のお気持ちにかなうことは、誰の眼にも明らかです。

竹田氏は、女性宮家創設=女系天皇論であるとして、女性宮家創設に断固反対を唱えています。女性宮家創設案を潰すために、初代女性宮家の可能性を持つ眞子さまのお相手になられる小室圭さんを散々おとしめるという策略を駆使してきました。


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■女性宮家は形を変えた女系天皇論
 ところが、皇族を確保するために、如何なる手段を講じてもよい訳ではない。女性宮家創設とは、すなわち女性皇族が民間から婿を取ることを意味する。もしこれが現実のものとなれば、皇室の歴史上、初めて民間出身の男性が皇族の身分を取得することになる。そして、その子や孫が将来の天皇となった場合、男系継承の原則が崩され、初の女系天皇が誕生することになる。
女性宮家創設というのは一般人の耳に優しく響くだろう。しかし、女系天皇を容認する国民的合意なくして、女性宮家について論じるのは適切ではない。女系天皇論者は、悠仁親王殿下ご誕生で女系天皇論が進められなくなっていたところ、最近になってこれまでと違った形で攻勢を仕掛けてきたのである。これは、天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論にほかならず、「禁じ手」というべきである。

(『第11回 女性宮家創設は「禁じ手」』北海道神宮ホームページ)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda11.html
+++++++++++++++++++++

この発言の中で、1点だけ同意できるのは、以下の一文です。

「女系天皇を容認する国民的合意なくして、女性宮家について論じるのは適切ではない。」

裏を返せば、「女系天皇を容認する国民的合意があれば、女性宮家も論じることが出来る、実現できる」ということになります。

わたしたち一人一人が「女系天皇を容認する国民的合意」を固めて、もっともっと積極的に表現することが求められています。

「皇室の歴史上、初めて民間出身の男性が皇族の身分を取得することになる。そして、その子や孫が将来の天皇となった場合、男系継承の原則が崩され、初の女系天皇が誕生することになる。」と竹田氏は危惧しています。

民間出身の女性がこれまで3方(美智子さま、紀子さま、雅子さま)皇室に入られました。それによって皇室と国民は、良い意味で一体感が強まりました。皇室は庶民を理解され、国民と共に歩まれる皇室のあり方が、いっそう幅広く豊かになられたと思います。今後、民間出身の男性が皇室に入られれば、良い意味で、皇室と国民が共に歩む国づくりに貢献していただけると思います。民間出身の男性の皇室入りを、なぜそれほど拒否するのかが、理解できません。

しかし、竹田氏の「女系天皇」反対の根拠は、実は極めて薄弱です。色々理屈をつけますが、何と最後には「もはや理由などどうでもよい」と言い放ちます。


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■もはや理由などどうでもよい
 「天皇の皇位がなぜ男系によって継承されてきたか」。これに答えるのは容易ではない。そもそも、人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない。なぜなら、特定の理論に基づいて成立したのではないからだ。天皇そのものが理屈で説明できないように、その血統の原理も理屈で説明することはできないのである。
 だが、理論よりも前に、存在する事実がある。男系継承の原理は古から変更されることなく、現在まで貫徹されてきた。これを重く捉えなくてはいけない。例えば、現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない。
 もはや理由などどうでもよいのである。特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない。

(「第3回 なぜ男系継承でなくてはならないか」北海道神宮ホームページ)
http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda3.html

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竹田氏は、男系継承の原理を法隆寺に例えています。しかし法隆寺はどれほど価値があっても、一建築物であり、男系継承と比較するのは、何か違う気がします。形が価値である伝統と、生きている伝統との違いです。

「天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない。」

竹田恒泰氏の考え方はもっともなように聞こえますが、その背景となる同氏の考え方には、何か大切なものが欠けている気がします。

竹田氏は、「血の一滴」へのこだわり「家格」、「男系の血筋」に並々ならぬ、異常なまでに、価値を認めています。

テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演した時、論議が激しくなったところで、対談者に向かって、

「私とあなたは血筋が違う!」

竹田氏が叫んだのを見て、ギョっとしました。

元皇族の子孫が、そのようなことを公の場で叫ぶことに、驚きました。竹田氏の「人柄の卑しさ」しか感じませんでした。心でそう思っても(思うこと自体が謹み深い人なら恥ずかしいことですが)、それを口に出したら人間性が疑われます。裏を返せば「下賤の生まれのお前が何を言うか!」と、相手を見下げていることになります。

仮に皇族がそのようなことを発言されたとしたら、人々の皇室への尊敬は一気にさめてしまうでしょう。そのような精神は、「一視同仁」の皇室の精神の対極にあります。


竹田氏は、小室圭さんについて、次のように評しているとのことです。

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「皇室とは公的な存在であり、関係を持とうとする人には一定の品格が求められます。残念ながら、小室さんはその基準を満たしていないように思えます。」(p169)

(矢部真紀子『雅子さまの笑顔』幻冬舎新書)
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私に言わせれば宮家の血筋を誇る竹田恒泰氏の方が、皇室を語る「一定の品格」を欠いているとしか思えません。竹田氏のいう「品格」は、小室さんの「血筋」が庶民であることが気に食わないというのを、言葉を変えただけではないでしょうか。

男系派と話をしていると「家格」とか「血筋」とか、外国人を軽蔑するとか、およそ皇室の精神と対極にある差別感情を平気で吐露する人が多いです。男系派の多くは、レイシスト(差別主義者)ではないかと思うときがありますが、竹田氏の口調にも、同じものが感じられます。

小室圭さんのことは、婚約内定の会見を見て、発表された文書を読んだだけですが、素直な人柄の青年だと思います。眞子さまと生涯をともにされたいという覚悟があるなら、素直でありさえすれば、必要な品格は、今後の訓練でいくらでも磨くことができると思います。

「家格」、「血筋」がいかに当てにならないかを、宮様詐欺師・竹田恒泰氏は、みごとに証明しています。「氏より育ち」といいますが、血筋よりも、素直で正直で誠実な人柄であることの方が、はるかに価値があると思います。

竹田氏は、こうも言います。

「天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない。」

女系になると「断絶」となぜ、決めつけるのでしょう。母方の血筋がつながっている、父方の血筋がつながっている、父母両方の血筋がつながっている、どの場合でも、血統は断絶していません。そう考えるのが、人として自然ではないでしょうか。


確かに、女性天皇容認(公認)は、大いなるパラダイムシフトであるともいえます。

パラダイムシフト:ある時代・集団を支配する考え方が、非連続的・劇的に変化すること。社会の規範や価値観が変わること。

竹田氏や男系派、あるいは彼らの言うこと、これまで続いて来たこと、父方の血筋がつながってきたことを変えてはいけないと思う人々は、この劇的な変化に不安と抵抗を覚えているのだと思います。

しかし、パラダイムシフトは、新たな発展をもたらす大いなるエネルギーを生み出すことにつながります。「女系天皇公認」は、「女性の価値の再発見」という新しい希望に満ちた時代を生み出す、そんな予感がいたします。新たに生まれ替わる、そのための変化を恐れない、それが国民と共に歩んでこられた皇室が長年続いて来たゆえんだと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
暑い日が戻ってきました。皆様の御多幸とご健康をお祈り申し上げます。

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竹田恒泰氏はなぜ女系天皇に反対するのか [皇室典範改正]

DSC_176820210818blog.JPG熱心な男系派の知人(仮にTさんとします)から竹田恒泰氏の文章について、意見を求められました。Tさんは竹田恒泰氏の熱烈な信奉者です。

Tさんが引用してきたのが、北海道神宮での竹田氏講演のまとめだったので、元の文章を同神宮のホームページで確認しました。

最初に問題だと思ったのは、ホームページに掲載されている竹田恒泰氏の肩書です。

竹田氏は2014年に、慶応義塾大学講師を解任されています。
https://www.daily.co.jp/gossip/2014/04/23/0006885688.shtml

それにもかかわらず、北海道神宮は公式ホームページで、

「天皇弥栄(すめらぎ いやさか) 慶應義塾大学講師 竹田 恒泰」

として同氏の講演原稿を掲載しています。

講演日時を検索すると第1回が平成18年(2006年)となっています。ということは2014年以前の講演なのでまだ講師資格があったのでしょう。それなら、現在のホームページの見出しに「肩書は掲載当時のもの」との断り書きをつけた方が丁寧ではないでしょうか。読んだ人が現役の講師かと勘違いします。

竹田恒泰氏の現在の肩書は、「政治評論家、作家、実業家」です。慶応義塾大学に何の関係もありません。

こういうことは掲載された本人も気を配ることではないかと思います。

竹田恒泰氏は、このような勘違いをわざとそのままにしておくところがあり、自身の肩書にきわめていい加減な人です。

著書に「明治天皇の玄孫」と紹介されることをそのままにしていますが、「女系天皇、女性宮家に絶対反対」との先鋒に立っています。明治天皇の「女系」の玄孫(やしゃご)という肩書を自分はちゃっかり利用しています。それにもかかわらず、女系天皇に絶対反対と言う二枚舌を使って恥じることがありません。そんなに「女系」が無価値だと思うのなら、自分の肩書でも使用しないという矜持が必要でしょう。

また、周りの人に「殿下」と呼ばせて悦にいっているようです。現に私に質問して来た男系派のTさんも「竹田殿下」というので、私は「殿下ではないでしょう」と一喝しました

竹田恒泰氏の祖父竹田恒徳氏は臣籍降下した「旧皇族」です。しかし、恒泰氏の父親の竹田恒和氏は誕生時から一般国民であり、その子息である恒泰氏も一般国民で、一度たりとも「宮様」だったことはありません。まぎれもない一般国民です。旧宮様の孫ということなら、他に何人もいらっしゃいますが、「旧皇族」などと公言して、利用しつくしているのは竹田恒泰氏ぐらいでしょう。

彼は旧皇族と呼ばれるのをいいことに、過去において2回も宮様の血筋というブランドを利用して、詐欺的行為をはたらいています。


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一つ目は、マルチ商法への関与。「FLASH」(光文社)2002年7月30日号によれば、彼はインターネットマルチ商法・スカイビズ2000に関わっていた。スカイビズ2000は、加入金110ドルを払えば自由に使えるホームページのスペースと、簡単にサイトが作れるソフトの利用権が得られるというサービスだが、新会員を勧誘すると、その数に応じて多額のボーナスを得られるとも喧伝しており、“ねずみ講”と指摘されていた。

 竹田恒泰は旧皇族の出自を出すことで信用を得て、新規会員を次々と勧誘していった。そのためのミーティングを東京のみならず全国各地で行なっていた事実も報道されていた。

ちなみに、スカイビズ2000を展開していたスカイビズ社は、01年に米国連邦取引委員会からねずみ講にあたるとして提訴され実質破綻している。

 二つ目はもっと事件性の高いもの。彼の祖母・松見イクが経営していた精神病院・松見病院の多額借金をめぐるトラブルである。松見病院の経営陣のひとりでもあった竹田恒泰氏は、この件をめぐる借金の保証人となっており、東京地裁で1200万円および13年6月24日から年5分の利息の支払い命令を受けた。その経緯について、「週刊文春」14年10月16日(文藝春秋)で、原告の男がこのように語っている。

「知人から金を貸してくれという話があったのは去年2月のことでした。聞けば、“病院の売却話が進んでいる。ついては、つなぎ資金が必要で、融通してもらえないか”という話でした。それが1200万円だったのです。大金なので躊躇していると、今度は竹田さんを“保証人”につけると言う。本人にも会いましたが、なにせ明治天皇の玄孫というから信用するでしょう。大丈夫だろうと考えて知人に1200万円を貸すことにしたんですよ」
(「大麻逮捕の竹田恒泰の従兄弟より悪質? 旧宮家の”権威”を利用したトンデモ事件簿! 竹田恒泰もマルチ商法関与」リテラ 2015.09.24)
https://lite-ra.com/2015/09/post-1522.html
https://lite-ra.com/2015/09/post-1522_2.html

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また、恒泰氏の父竹田恒和氏は、東京五輪招致をめぐる収賄容疑でフランス司法当局の捜査を受けていますが、その弁護費用2億円をJOCが負担していたことが、朝日新聞に報道されていました。


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 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック招致をめぐる贈賄疑惑でフランス司法当局の捜査を受けている竹田恒和・元招致委員会理事長の弁護費用が2020年度までの3年間で約2億円に上り、その全額を竹田氏が19年6月まで会長を務めていた日本オリンピック委員会(JOC)が負担していることがわかった。

(「JOCが弁護費用2億円負担 五輪招致で疑惑の元会長に」朝日新聞DIGITAL 2021年8月8日)
https://www.asahi.com/articles/ASP876QNGP7NUTQP029.html

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竹田恒泰氏は、「女性宮家、女系天皇」の制度を設けることに絶対反対を唱え続けています。 小室圭さんのスキャンダルを語っているYOU TUBEを薦められて、一度だけ視聴しましたが聴くに堪えない見苦しいものでした。眞子さまは悪くない、眞子さまをだましたK.K.(小室圭さんのこと)が悪いんだという論調で「ケーケー、ケーケー」とニワトリのように連呼していました。こういう品のない発言に「宮様の末裔だから」というだけで、コロッとだまされてしまう人がいるのですね。宮様ひいては、皇室の面汚しです、
https://m.youtube.com/watch?v=zZFLXNU4aUg

視聴したくない人は視聴しないでください。視聴する人は、気分が悪くなること覚悟の上で、気分転換のための飲み物や音楽を用意してから、視聴してください。

竹田恒和氏が国際手配をされて外国旅行ができないでいることを思えば、「父親の犯罪を隠したいために、罪のない一般国民の小室圭さんをスケープゴートにしているのか」と、勘繰りたくなります。

世間では、眞子さまのご結婚費用が1億5千万円だと騒いでいますが、竹田恒泰の父親は、JOCに2億円を既に負担させています。わいろ疑惑が片付くまでもっとお金が要ることは間違いありません。潔くフランス司法当局のお縄につけば、無駄な費用をJOCが負担せずに済むはずです。

(真偽のほどは分かりませんが、他の勤務者から類推してJOC会長の退職金が1億を超える、既に受け取っているだろうと書いているブログもありました。)

こう並べると竹田恒泰氏が、自分の父親の不祥事を隠したくて、小室圭さんを餌食にしているとの見方も、あながち間違っていない気がします。

さらに、恒泰氏自身の結婚までの一時期に、4人もの女性と二股、三股交際していた人が、人様の結婚、一筋の純愛に、あれこれ言えるのかとも言いたいです。

このように竹田恒泰氏は、思想以前に人間性に大いに問題があります。旧皇族の血筋を徹底利用する、金儲け主義がひどすぎます。

北海道神宮ホームページに掲載されたシリーズを一読しますと、皇室の知識は勉強しているようですから聴いた人が騙されるのでしょう。しかし、肝心なところがズレています。
天皇を尊敬する心がないのです。 そのため豊富な知識が災いの元になっています。

経歴を見ても、お金のために何でもする人だと思いました。

今は販売していませんが、三種の神器をプリントしたTシャツやグッズを○万円単位の高額で販売していたこともありました。宮内庁から何らかの許可を得て販売しているのかと思いましたが、短期間で姿を消したところを見ると、無許可だったのでしょう。三種の神器を商売に利用すること自体、皇室を何と心得るのかと、あきれます。


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あのニセ旧皇族・竹田恒泰が、
自身のウェブサイト
「竹之屋・竹田恒泰商店」で、
「三種の神器もどきグッズ」を
売っていました!
現在は「販売中止」となっていますが、
「竹田恒泰デザイン」で、
「大御剣」「大御鏡」「御勾玉」
をプリントしたTシャツで、
他にもシリーズがあったようです。
(中略)

しかも、この、どー見ても
安っぽそうなTシャツが、
14700円!?

三種の神器は、
天皇でさえ実見が許されない
神聖なものです。

神話を絵画や漫画などに描く場合は、
描かないわけにはいかないから
絵にしますが、それも本来は
畏れ多い行為ともいえるのです。

それを、こんな安っぽいTシャツの
図案に使って荒稼ぎ!?

(『「三種の神器もどき霊感グッズ」を売ってた竹田恒泰!』2013.10.31 ゴー宣ネット道場)
https://www.gosen-dojo.com/blog/8509/

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竹田恒泰氏に関しては、思想うんぬんよりも人間性だけで、文字数超過になりました。

誰がいったということより、思想内容を吟味すべきだという考え方もありますが、皇統継承に関しては、発言する人の人間性も考慮する必要があると思います。

文章内容についての批判は、次回にゆずります。


今日もよんでいただき、ありがとうございました。
明日から暑さが戻って来るようです。皆様、お元気にお過ごしください。

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本物を見る目 [友情]

IMG20210816blog.JPG
*私の尊敬する仏師 西村公朝師の仏画の描きかたを手本にしました。*

今日は本物を見る目について、日ごろ思っていることを書きます。

わたしはひところ白洲正子の作品を続けて読みました。その中に、骨董品の真贋を見分ける眼を養うには名品に数多く接することと書かれているのが、目に留まりました。

絵の勉強をしていた若かったころ、私は「本物を見る目」が無いことに悩んでいました。名作と言われる作品を目にしても心の奥から湧いてくる感動がなく、尊敬する先輩、先生方の評価を気にして、その人々の見方を真似しようとしたものでした。

子どもの頃ピアノを習っていたときも、音楽を聴くことに興味が無いのに「精神一到何事かならざらん」と指を動かす練習を繰り返せば上手になれると思っていました。そんな練習が楽しいはずもなく、中学校でやめてしまいました。

学校の勉強が好きだったのは、同じことを何回も反復すればそれなりの成績をおさめることができたからですが、美術や音楽はそういう世界ではありませんでした。

絵を習っているころ、後に学んだ骨董に関する白洲正子の考えと同じこと「本物の探し方」を、友人から教えられました。

「あなたは、美術館に行くと、最初から最後まで一枚一枚の絵を丁寧に見ているけれど、それじゃあ疲れるでしょう。絵を見る時は、全体をざっと見てから、心に残った絵の前にもどって、それだけをじっくり見ればいいのよ。」

「心に響いたもの」に気持ちを集中するだけでよい、その見方を教わってから、美術館に行っても疲れなくなりました。自分はこういう絵が好きということも、だんだん分かってきました。

骨董品の真贋を見分けるのも同じことで、本物を手に取り、自分の心の動き方を見つめ、心地よい響きを自分の感覚で味わうこと、それが本物を見る目を培うことになるのだと分かってきました。

結局、私は、骨董品よりも音楽よりも絵画よりも、文章を味わうことが一番、好きなのだというのが、最近になってようやく分かりました。それで今は余暇には、ブログを書くことに力を入れています。

それでも美術を習ったことで教えられたことがあります。教えてくれた友人とも先生とも今は交流がありませんが、教えられたことはいつまでも、心に残っています。

1、美術品でも何でも「本物」に接する。

2、作品を創る時は、目の前の対象物をじっくり観る。(心の眼でも観る)

3、デッサンするときは、形がずれていても良いから、最初の線をまず引く。


1、 について
私にとって本物の文章は、天皇陛下のお言葉と御製です。的確で、あたたかくて深いお言葉は他に類を見ません。いつでも接していたい、それが天皇、皇室の方々のお言葉です。
それで天皇の御歌を続けて学ぼうと思ったのです。本物の文章に常に接していると、マスコミや言論人の皇室に関する論評などが的外れなときは、すぐに見抜くことが出来るように思います。


余談ですが、最近、男系派に対する辛口の言葉ばかり並べていたことに気付きました。男系派から質問されて、彼らの文章を読むようになって、あまりのいい加減さにかなり腹を立てていたのでしょう。偽物を見せられる苦痛に耐えながら男系派の質問に答えていたので、つい愚痴がたまってしまい、それをここに書いてしまったようです。具体的な文章をあげて論評しないで愚痴だけ並べるのはあまり良いことではないなと、ちょっと反省しているところです。今度からは、具体的な文章をあげて論評することにしようと思います。


2、について
目の前の対象物をじっくり見る訓練はいろいろな場面で役立っています。元々私は細かい生き物を観察するのは好きでした。顕微鏡でミジンコなど水中の生物を見るとか、昆虫や花の細部を観察するとか子供の頃から好きでした。

これを文章に応用すれば、第一次資料、つまり本人が書いた資料を丁寧に読むことにつながっていると思います。第二次資料、他人の伝聞記録は、伝え聞いた人の解釈が入り、元の文章と意味がずれていることがあるからです。そのために出来る範囲で元の文章を探し求めます。

さらに文章を書いた人が信頼に値する人なのかも調べます。学歴、肩書なども参考にしますが、それ以上に、筆者が誠実な人であるのか、金儲け主義でないかなどを、調べることにしています。


3、について
デッサンをするとき、真っ白な画用紙を前にして、そこに線を引くときに思い切りが必要です。子供の頃はむしろ気に留めなかったのですが、大きくなって上手に書こうという気持ちが高まれば高まるほど、いつまでも線が引けなくなる、間違った線を引くことが恐くなってしまうのです。
そんな時、先生が言いました。

「線を一本引けば、その線が正しい形からずれていることが分かる。分かったらそれを基準にして正しい線を引き直せばよい、心配しないで最初の線を引くことだ」

文章もそうです。よいことを書こうと思うと、最初の一言が出ない。そこで手が止まってしまう。何でもよいから、気にせずに書き始めれば次の言葉が続いて出て来る。

いちばん書きやすいのはノートへのなぐり書きです。誰にも見せないので好き放題に書きなぐると、せき止められていた思いがほとばしり出て、次の言葉を見つけやすくなります。なぐり書きはそのままでは人に見せられませんが、言葉がつまっているときに、流れを導きだすのにはとても有効な方法です。

これまでの人生で、良い友人や先生に恵まれたことをあらためて感謝しています。これからも、リアルでもネット上でも、良い出会いがあることと期待しています。

本物の文章を深く味わうこと、対象をよく観ること、一歩踏み出す勇気を持つことの努力を、これからも続けて行きたいと思います。

今日も読んでいただきありがとうございました。
急に涼しくなりました。みなさまもどうぞお身体に気をつけて、お健やかにお過ごしください。

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女性宮家当主の配偶者・お子様は一般国民のまま?―一代限り女性宮家の問題点 [皇室典範改正]

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やや時間がたってしまいましたが、8月6日付けの産経新聞で「女性皇族、配偶者と子供は皇族とせず 有識者会議が調整」というタイトルでニュースが配信されました。

今日はこの問題について取り上げます。



☆☆

安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議(座長・清家篤元慶応義塾長)が取りまとめを進める最終報告に関し、女性皇族が婚姻後も皇室に残る場合は当面の間、配偶者と子供を皇族としない方向で検討に入ったことが6日、分かった。秋までに行われる衆院選後に最終報告をまとめる方針。

有識者会議は皇族数の確保策について、①女性皇族が婚姻後も皇室に残る②旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する―の2案を軸に法的課題などを整理するよう事務局に指示している。

7月26日の会合では最終報告に向けた方向性を確認。現在の皇位継承資格を前提に、秋篠宮さまの長男で皇位継承順位2位の悠仁さまが即位されて以降の皇位継承に関しては結論を得ることを見送る一方、「喫緊の課題」として皇族数の確保が必須としている。

(「女性皇族、配偶者と子供は皇族とせず 有識者会議が調整 2021/8/6 22:31」産経新聞)
https://www.sankei.com/article/20210806-GN5UBIKJQRJLHASE3WGJNU3PS4/


☆☆

要点を書き出してみます。

○安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議が最終報告に関し、女性皇族が婚姻後も皇室に残る場合は当面の間配偶者と子供を皇族としない方針で検討に入った。

○秋までに行われる衆院選後に最終報告をまとめる方針

○皇族数の確保策について、①女性皇族が婚姻後も皇室に残る②旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する―の2案を軸に法的課題などを整理する

○7月26日会合で最終報告に向けた方向性を確認。

① 現在の皇位継承資格を前提に、秋篠宮さまの長男で皇位継承順位2位の悠仁さまが即位されて以降の皇位継承に関しては結論を得ることを見送る

② 「喫緊の課題」として皇族数の確保が必須


有識者会議の方向性は、以下2点です。

① 「現在の継承順位を変えない」、「悠仁様即位以降の皇位継承」に関しては、結論を出さないで、先送りする」

② しかし、「喫緊の課題」として皇族数の確保が必須。

[皇族数確保の案]

案その1:女性皇族が婚姻後も、皇族として皇室に残る。
しかし、配偶者と子供は一般国民である。皇室入りできない=皇族になれない。

案その2:旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する=皇族になれる。

しかし、この方向性では、目先の頭数だけ確保しても、皇位の安定継承にまったく貢献しません。10年、20年先の問題解決の布石にはならないのです。

案その2は、憲法違反の疑いがあり、実現の可能性がないことを政府も、実は認識していることは、これまでも述べて来ました。

案その1について、高森明勅氏が「余りにも非常識なプラン」と書かれていますが、私も同感です。

配偶者・子供を皇族としないということは、女性宮家を創設するが一代限りであるということです。配偶者・お子様の立場を想像すれば、まさに「非常識なプラン」です。


☆☆☆

内親王・女王は皇族で、その配偶者の男性が国民のままという世帯は、少なくともわが国における皇室と国民の“区別”に対する一般的な感覚に照らして、極めて不自然と言わざるを得ない。

そもそも、配偶者が国民のままならば、憲法第3章が国民に対して保障する権利や自由は、そのまま保障されなければならないはずだ。


特別職の国家公務員を新たに設けて、皇室のご公務を分担して貰おうとしても、勿論、それを辞退する自由がある。公務員でなければ、“国民として”政治活動の自由も制限されないだろう。

経済活動、宗教活動などの自由が最大限尊重されるべきなのは、勿論だろう。


しかし、そのことと、日本国の象徴、日本国民統合の象徴であられる「天皇」、及びそのご近親によって構成される皇室に求められる、「聖域」性、政治的・宗教的中立性などとの両立は可能なのか。それとも国民なのに、憲法上の権利や自由を法的根拠に基づかず、暗黙の「空気」で抑圧するつもりなのか。


男性皇族の配偶者やお子様は勿論、皇族とされる。

一方、女性皇族の配偶者は(ご結婚の相手が“女性だから”というだけの理由から)そのお子様と共に、皇族の仲間入りを許さず、しかも国民としての権利・自由も事実上、大幅に制限するという、差別的・侮辱的なプランを考えているとすれば、そのような悪条件を跳ね返して、敢えて結婚を望む国民男性がたやすく現れるとは、楽観できない。


内親王・女王方はご結婚されなければ、そのまま皇室にとどまられる。結果的に皇族数の減少を防ぐことができる。有識者会議の本当の狙いはそちらなのか、と邪推したくなるほど悪質なプランと言わざるを得ない。


(「内親王・女王はご結婚後も皇族のまま、配偶者は国民のまま?」2021年8月9日 高森明勅公式ブログ)
https://www.a-takamori.com/post/210809

☆☆☆


高森氏は、配偶者が国民のままなら、憲法第1章の天皇条項の適用ではなく、第3章が適用され、国民に対して保証する権利、自由が保障されると指摘します。

第3章が適用されるなら、選挙権もあり、職業選択の自由もあり、移動の自由もある、議員に立候補もできる、経済界で活躍することもできる、名所毀損に対して裁判を起こすこともできます。

とはいえ、女性宮家当主の配偶者という立場になれば、たぶん特別職の公務員というような制度が設けられ、法的根拠に基づかない暗黙の「空気」の圧迫で、その公務員になることが強制され、移動の自由も制限され、様々な権利が制限されることになるでしょう。

そのような宙ぶらりんの立場を知って、一般社会で充分に活躍できる能力と人柄を備えた男性が女性皇族を配偶者に選ぶでしょうか。暗黙の「空気」の圧迫で何が強制されるか分からない、言論の自由も無い、しかし皇族ではない立場になることを考えれば、まともな男性はそのような結婚を拒否すると思います。皇族と結婚したい下心で何でもするという野心家は名乗り出るかも知れませんが、そのような男性だったら、女性皇族が拒絶されるでしょう。

一方、実現そのものが困難、ほぼ不可能なのですが、仮に旧宮家系男子が皇籍復帰し、夫婦養子で皇室に入れば、当然のように配偶者、子供が皇族になれる、男性皇族だからというだけの理由で600年前の天皇の子孫が皇室入りして、その子供は皇位継承資格を得られるのに、天皇陛下を父に持つ直系の女性皇族、あるいは祖父が天皇だった女性皇族の配偶者、子供には皇位継承資格がない、それは皇族が女性だからというだけの理由です。 皇族が男子であるか女子であるかの違いで、その配偶者、子供が、こんな差別待遇を受けるのは、理不尽なことだと思います。

こうすれば内親王・女王方はご結婚されないで皇室に独身のままとどまられるから、皇族の減少を防ぐことができるというのが、有識者会議緒の本当の狙いではないかという、高森氏の推測もあながち邪推とはいえません。

男系派は、もはや何でもありの無茶苦茶を押し通そうとしているからです。その結果皇室が無くなってもかまわないと考えているのかとさえ思うときがあります。目先のことしか、考えないのでしょうか。

目先の皇族数だけ確保できても、10年~20年先の問題解決の見通しが立たなければ、そのプランはまったく意味がありません。意味がないだけでなく、正しい解決を阻害する有害なプランだとさえ言えます。


この方向性について、「愛子さま 皇太子への道」でも、「ブログを読んで感じた、私の危機感~血も涙もない理不尽」のタイトルで取り上げられています。

☆☆☆

自分の子供が先祖からの継承を認められないなんて、
どこの血も涙もない輩が考え付くのでしょう。

自分の子供は、自分の後を継げない。
そんな事他人に決められたくありませんし、そんな事を言われたら、確実に激怒しますよね。

そんな理不尽を、
有識者会議は行おうとしています。

これは、許すべきではないと思いますし、この問題について、我々庶民が大きな声を上げるべきではないでしょうか?

https://aiko-sama.com/archives/6475

☆☆☆


筆者の「私の危機感~血も涙もない理不尽」に私もまったく同感です。一般庶民の感覚が正しいと思います。

女性皇族・女王と結婚しようとする男性に、自分の子供は、自分の後を継げないことを知らされ、さらに600年も前に家系が分かれた遠い親族の子孫が、男系男子の血筋だからというだけの理由で、夫婦で跡継ぎに据えられることが決まっています、それでも貴男はこの女性と結婚しますか、と問われるようなものです。ノーというのが眼に見えています。高森氏が言われるとおり、このような女性宮家を創設するくらいなら、今の内親王・女王が婚姻と同時に皇籍を離れて、一般国民になられる方が人間として、お幸せだと思います。

どこが有識者会議ですか、「有識者」どころか、あなた方には、人間の血が通っているのですか、人情が分かるのですか、人情の分からない鬼ですか、と問いたくなります。

生前退位の時も、上皇さまの30年間の被災地訪問、慰霊の旅などの全身全霊のご努力を踏みにじるかのような、安倍政権の「血も涙もない」対応ぶりを腹立たしく思いました。「公務負担の軽減」という見当違いの有識者会議を立ち上げ、上皇さまが深く失望されたことを、宮内庁が珍しく発表したほどでした。上皇さまが「象徴天皇」としてのお立場を天皇の伝統にかなうお役目として果たしてこられたことを、安倍政権が少しも評価していなかったことに驚きました。心ある国会議員たちの活躍で、何とか特例法の形で御譲位を実現しましたが、これも本来は皇室典範改正すべきだったのに、安倍政権が怠って特例法という弥縫策で対応した結果、憲法違反という風評を生む原因となっています。たまに譲位は憲法違反という言説を耳にしますが、憲法違反と疑われる原因を作ったのは安倍政権であり、上皇陛下では決してないということを、あらためて強調したいと思います。

今回も、女性皇族のお気持ち、ひいては天皇陛下のお気持ちを踏みにじる「血も涙もない」対応ぶりに「菅政権よお前もか」という失望が深まりました。もう自民党は絶対に支持しません。

自民党を支持する男系派、自称尊皇派は、「天皇制を守る政党は自民党だけ」と言いますが、それはもはや死語となりました。「天皇制を先頭に立って滅ぼす自民党」になり下がっています。

自民党が考えているのは、カチンカチン石頭の男系派の票田を手放したくないということだけです。

天皇、女性皇族は、男系派の奴隷ではありません。

良心のある、あたたかい血が通っている国民が声を上げることで、ただでさえ困難の多い天皇、皇族のお立場から少しでもご不自由が取り除かれて、皇族の皆様お一方お一方にお幸せになっていただきたいです。

皇室に詳しい知識が無くても、庶民の直感、80%が女性天皇、女系天皇に賛成という民意は、正しいと思います。

天皇のお気持ちに沿ったおおらかで自然な人間味あふれる皇室であっていただきたい、男系も女系もこだわらない、天皇がご満足いただける直系(実のお子様)の皇位継承であることを、素直に願う国民でありたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
西日本では豪雨が激しいようです。どうぞ皆様、お気をつけてお過ごしください。
皆様のご多幸とご無事をお祈り申し上げます。
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「皇位継承策 議論の先送りをせずに」―東京新聞社説に同感 [皇室典範改正]

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2021年8月10日付けの東京新聞朝刊に「皇位継承策 議論の先送りをせずに」との社説が掲載されました。同紙の8月8日朝刊「話題の発掘」もまっとうな内容です。どちらも中立的なバランスのとれた見方だと思います。まともな意見を読んで、心強く思いました。

以下は「社説」からの部分引用です。





☆☆☆

安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議が中間整理案をまとめた。女性宮家案か、旧宮家の皇籍復帰案かの二つだ。そもそも論点は既に出尽くしており、議論の先送りはもう避けたい。現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮さまと悠仁さま、八十代半ばの常陸宮さまの三人だけだ。悠仁さまの時代に十分な皇族の数を維持できなくなる…。そんな危機意識を踏まえた論議である。(中略)
 女性・女系天皇案など皇位継承権の拡大については「次のステップに考える課題」として踏み込まず、皇族数の確保に向けた検討にとどまっている。
だが、小泉政権時の二〇〇五年には当時の有識者会議が、女性・女系に皇位継承を拡大する報告書をまとめている。女性宮家の創設も盛り込まれていた。皇籍復帰案は「困難」とも指摘していた。(中略)
共同通信による今春の世論調査でも女性・女系天皇案への賛成はともに80%以上で、皇籍復帰案への賛成は約30%だった。
女性・女系天皇案が安倍晋三政権になって白紙に戻り、議論が蒸し返されているのは、男系男子主義に固執する保守派への配慮があるのだろう。
両論併記により議論が再び平行線をたどることを恐れる。愛子さまも、秋篠宮さまの長女眞子さまも、次女佳子さまも近い将来、結婚すれば皇籍を離脱せねばならない。そうなれば女性宮家案も、世論が理解を示す女性・女系天皇案も事実上、立ち消えになる一方、皇籍復帰案が残る事になる。
一七年の天皇大意特例法の附帯決議は、女性宮家創設などの「速やかな検討」を求めていたはずである。そろそろ結論を導く段階に来ているのではないだろうか。

(「社説 8月10日」東京新聞 第5面)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/123236?rct=editorial

☆☆☆


タイトルは「議論先送りをせずに」と控えめですが、本文では「そろそろ結論を導く段階に来ているのではないだろうか」と述べています。

女性宮家の創設は、内親王方のご年齢を考えてももう先延ばしできません。早急に議論を進めて、女性・女系継承を認める方向で、皇室典範を改正する必要があります。「結論を導く段階に来ている」というのはそういうことだと思います。


2005年小泉政権時有識者会議報告書(女性・女系に皇位継承拡大する案)を最近読み返しました。発表当時は、従来の男系男子限定継承に比べて、男女の別なく直系長子継承との飛躍に驚きましたが、色々と学んだ今読み返せば、丁寧な議論が重ねられていて、よく検討されていると感心しました。

旧宮家系男子の皇籍復帰案は憲法違反の疑いがある(第14条 門地(家柄)による差別)など、色々と無理があり、政府は明言しないながらも、断念の意向を示しています。

女性宮家を創設し、女性・女系に皇位継承を拡大する案は、欧州王家が続々採用し実施している対策です。男系男子による継承は一夫多妻があって初めて成り立っていたのですから、一夫一妻を守る限り、継続することが出来ません。現実に即した策です。このことによって日本女性が自信を持つようになり、元気になります。

大多数の日本人も女性・女系継承に賛同しています。男系男子限定にこだわる必要はない、女性・女系があってもよいというのが、一部保守層を除いた、常識的な感覚の人々の意識です。それは明治天皇の時にも、実現はかないませんでしたが、永世皇族制の廃止、御譲位と共に、既に検討されていた案でもありました。

安倍晋三政権は、上皇陛下の御譲位のご希望にも反対し(譲位は何とか実現できましたが)、女性宮家創設にも反対して、実現不可能な男系男子限定、男系男子継承に固執する保守派のご機嫌取りに終始しました。菅政権もどうやら同じ路線を継いで、議論の先送りを図りたいようです。

菅政権が検討している一代限りの女性宮家で配偶者とお子様を皇族にしないという案はどう考えても議論の先送りです。まるで悠仁さまのご結婚まで、内親王方もご結婚するなと言わんばかりの、皇室に対して失礼きわまりない、非人情な提案だと思います。

高森明勅氏もこの提案についてブログを書かれています。よろしかったらお読みください。
https://www.a-takamori.com/post/210809


私は、眞子さまのご結婚前に、皇室典範を改正して「女性宮家創設」を実現しなければならないと思います。

東京新聞は8月8日の19面「話題の発掘」、「週刊誌を読む 8月1日~7日」で、「眞子さま・小室さんの結婚 どう転んでもバッシング」と見出しをつけて、バランスの良い取り上げ方をしています。


☆☆☆

「裏切り婚」「追放婚」などの文言が女性週刊誌の表紙に踊っている。この秋にも大きな動きが予想される眞子さまと小室圭さんの結婚についてだ。
きっかけは七月三十日正午にNHKが報じたニュースだったようだ。小室さんが二十七、二十八日に米ニューヨーク州の司法試験を受験。結果発表はまだだが、既に現地の法律事務所へ就職する見通しも立っているという内容だ。(中略)

小室さんが現地で就職する意向は強いようで、そうなると眞子さまもアメリカに渡ることになる可能性が高いらしい。(中略)

[週刊新潮の]この記事の見出しは「『小室佳代さん』が勤め先洋菓子店で大トラブル」だ。小室圭さんの母親と勤務先がギクシャクしているという内容だが、驚くのは店の関係者のこういう証言だ。「店にもよく『なぜあんな人を雇っているのか』『二度と買わない』といった抗議電話が掛ってきています。
私にはこのバッシングの空気の方が異常だとしか思えないのだが。
(月刊『創』編集長・篠田博之)

(「週刊誌を読む 8月1日~7日」東京新聞 8月8日朝刊 第十九面) 

☆☆☆


筆者は、「女性セブン」8月19日号の見出しに「眞子さま追放婚」と書かれ、「週刊女性」8月17・24日号は(国民が祝福できないのに結婚するのは傲慢だという)「裏切り婚」と呼んでいることについて、

「今やどう転んでもバッシングの対象になってしまうのが眞子さまと小室さんの結婚だ。だとすると、日本を離れて生活したいと当人たちが考えても無理はないように思う。」

とも述べています。

根拠のあいまいな情報をもとに、世論をとんでもない方向に誤誘導するマスコミの罪は重いです。

上皇陛下の初孫でいらっしゃる眞子さまが、本人に何の落ち度もないのに、国民の理解が得られないという理由で、皇室からも日本から追放されるような形でご結婚されるとしたら、日本人がフェイク・ニュース(ウソの報道)に簡単に踊らされるバカな国民だということを世界中に知らしめることになり、日本人の恥になります。井の中の蛙の男系派は無頓着なようですが、こういう形で日本の評判を落とすことを軽視してはならないと思います。

日本人が恥をかかないために、ご結婚までに何としてでも、小室さんの汚名を晴らし、きちんとした形を整える必要があります。女性宮家の創設はその第一歩です。眞子さまが女性宮家の当主になられ、配偶者の皇室入りの道が開かれれば、皇室入りを前提に小室さんの身辺調査も正式に行われて、三権(立法権、行政権、司法権)の長が出席する皇室会議で皇族にふさわしいかどうか慎重に審議されることになりますから、国民が前もって心配や疑惑を持つ必要はありません。

記事の末尾の話も小室佳代さんの勤め先がいわれなき抗議を受けるという、信じられない話です。小室佳代さんが何をしたというのでしょう。勤め先に脅迫的な電話をかける人々は、モンスター・クライアント(化け物顧客)というべきで、洋菓子店、小室佳代さんが気の毒でなりません。近くの店だったら、不当な圧力に負けないようにと、ケーキを買ってはげましたいくらいです。

今の世間のバッシングの空気は明らかに異常です。「週刊新潮」が「勤め先とトラブル」などと、世間の異常さを助長する見出しをつけるのは、もはや口害だといえます。読者にも、トンデモ記事に惑わされない賢さが求められていると思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
暑い日が続きます。皆さまお身体に気をつけてお健やかな日々をお過ごしください。

タグ:眞子さま
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天皇の御歌(72)―第10代・崇神天皇(3) [崇神天皇]

DSC_173620210809blog.JPG第10代・崇神天皇の御歌を学ばせていただきます。第3回目です。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)


伊勢神宮が最初にお祀りされた笠縫邑(かさぬひむら)は、現在の奈良県桜井市と考えられ、檜原神社(ひばらじんじゃ)や多神社(おおじんじゃ)などが比定地(ひていち)として挙げられるとのことです。

天照大神が伊勢に留まられるのは、次の代、第11代・垂仁天皇の御代になりますが、何と14か所も点々となさった末に、五十鈴川の川上の今のお宮に鎮まられました。

(以上伊勢神宮の歴史について、伊勢神宮のホームページの「御鎮座の歴史」を参考にしました。「神宮トップ」https://www.isejingu.or.jp/ →「神宮について」→「神宮の歴史・文化」→「御鎮座の歴史」にこの説明があります。)


こうして、皇居内に奉斎していた八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とを、宮中から笠縫邑(かさぬひむら)にお遷しになられ、天照大御神を祭祀されましたが、宮中には、このとき倭大國魂(やまとのおほくにたま、日本大國魂神とも)の神も、お祀りされていました。この日本大國魂神を、哼名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に祭祀させようとなさいましたが、哼名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)は、病気になってしまい、祭ることができませんでした。(以上『日本書紀』より)

疫病がなかなか収まらないので天皇は愁い歎かれて、神床(かむどこ 神に神意を求めようとして忌み浄めた床)にいらしたとき、大物主(おおものぬし)の神が夢に顕(あらは)れてこう言われました。

「こは我が御心ぞ。故(かれ)意富多多泥古(おほたたねこ)をもちて、我が御前(みまえ)を祭らしめたまはば、神の気(け)起こらず、國安らかに平らぎなむ。」

すなわち「これは私(大物主神)の心によるものですから、私を、意富多多泥古(おほたたねこ)によって祀らせるなら、神のたたりが起こらなくなり、國がやすらかになるでしょう」と仰せられました。(以上『古事記』より)

日本書記では、お告げのあった意富多多泥古(おほたたねこ)は、太田田根子と表記されています。そして、大物主神を太田田根子を祭主とし、倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)は市磯長尾市(いちしながをち)を祭主とせよとされています。(以下「日本書紀」より)

天皇は夢のお告げをお歓びになり、太田田根子を探し求めたところ、茅淳縣(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)で見つけられました。

陶邑:現在の大阪府堺市東南部、陶器山からその四方にかけての地。

天皇は神淺茅原(かむあさじはら)にお出ましになり、太田田根子に「汝(いまし)は誰の子か」とお尋ねになられ、太田田根子は「父(かぞ)は大物主神、母(いろも)は活玉依姫(いくたまよりひめ)」とこたえました。

そこで天皇は、太田田根子を大物主大神の祭主とされ、市磯長尾市(いちしながをち)を倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)の祭主とされました。後に、他の神も祀ろうと思い、占ったところ、吉とされたので、八十萬(やそよろず)の群神(もろかみ)を祀られました。このように天社・國社(あまつやしろ・くにつやしろ)と、神地(かむどころ)・神戸(かむべ)を定められました。

「日本書紀」の注には、

神地:神の料田か
神戸:神社に当てられた民戸か

とされています。

「是(ここ)に疫病(えのやまひ)始めて息(や)みて、國内漸(くにのうち やうやく)に謐(しずま)りぬ。五穀(いつのたなつもの)既に成(みの)りて、百姓(おほみたから)饒(にぎはひ)ぬ」(「日本書紀 卷第五」)


こうして、天社・國社の祭祀が整えられ、疫病もはじめて終息して、五穀が実るようになり、百姓も豊かさににぎわうことになりました。

以下の御製は、疫病の終息を諸臣と共に祝い、安堵と喜びを詠っていらっしゃいます。


☆☆☆

冬十二月の丙申(ひのえさる)の朔乙卯(ついたちきのとうのひ)(二十日)に、天皇(すめらみこと)、大田田根子(おおたたねこ)を以て、大神(おおみわのかみ 三輪明神・大神神社)を祭(いはひまつ)らしむ。是の日に、是の日に、活日(いくひ)(ささ)げて、天皇に獻(たてまつ)る。仍(よ)りて歌(うたよみ)して曰はく、「此の神酒(みき)は我が神酒ならず倭成(やまとな)す大物主の醸(か)みし神酒幾久幾久(いくひさいくひさ)」加此(かく)歌(うたよみ)して、神宮(かみのみや)に宴(とよのあかり)す。即ち宴(とよのあかり)竟(おわ)りて、諸太夫等(まへつきみたち)歌(うたよみ)して曰はく「味酒三輪(うまさけみわ)の殿(との)の朝戸(あさと)に出(い)でて行かな三輪の朝戸を」(*朝戸にも出でてゆかな=一晩中酒盛りをして、朝になってから帰って行きたい)

茲(ここ)に、天皇(すめらみこと)歌(うたよみ)して曰(のたま)はく、

味酒(うまさけ) 三輪の殿の 朝戸にも 押し開かね* 三輪の殿戸(とのと)を

やがて神宮(かみのみや)の門(みかど)を開きて幸行(みゆき)しき。
(*押し開かね=押し開いて行きなさい)

[「日本書紀 卷第五」からの引用]

(pp21~22)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首 -』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


大物主神は、医薬、酒造、方除等、人間生活全般の守護神です。大物主神を御祭神とする大神神社のホームページに、酒造りの神様とあります。

「杜氏(とうじ)の高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)がご祭神(さいじん)の神助(しんじょ)で美酒を醸(かも)したことから、医薬の神様や酒造りの神様として広く信仰をあつめておられます。」
http://oomiwa.or.jp/jinja/gosaijin/#linktop


大物主神を無事にお祀りすることができて、疫病も収まり、人々の喜びはたとえようもないほどだったことでしょう。是の日に、活日(いくひ)が自ら醸した神酒を挙(ささ)げて、天皇に奉りました。

崇神天皇が詠まれた御歌は、皆で神酒を飲んで楽しく歌を詠み、諸太夫等が詠んだ、一晩中酒盛りをして朝になって新しい明日に向かって、社殿の戸を開いて帰って行こうという歌の返歌です。

美味しいお神酒を飲んで、朝の三輪の社殿の戸を開こう、三輪の社殿の戸を

と、喜び一杯の御製です。

とても大らかな喜びに満ちていると思います。戸を開くというお言葉に、朝日が射しこむ希望に満ちた明るさが感じられます。

このようにコロナ禍も速やかに終息して、人々が喜びと希望に満ちた明日に向かって、豊かな日常生活に戻り、生き生きと前進できる日が一日も早く訪れますよう、心から願っております。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

タグ:大神神社
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天皇の祈りを指針とする―オリンピック開催によせて [今上陛下]

110628_12312620210808blog.JPG私が日々愛読している「愛子さま 皇太子への道」ブログでは、「【8/6~8/15 天皇制を考える10日間】」とのタイトルで、6日、9日、11日、15日に、それぞれに設けたテーマに沿ったブログを振り返りながら、天皇制について考察するそうです。

今日は、第1回目「1. 愛子さまの作文 ~天皇の祈りと現実の葛藤~」が掲載されました。

上皇陛下が挙げられた「(日本人が)忘れてはならない4つの日」のうちの3つが集中するこの時期に「天皇制を考える」のはとても意味のある事だと思います。

https://aiko-sama.com/archives/6357


このブログ記事で、「天皇の祈りを指針とする」という言葉が特に心に残りました。


☆☆☆

厳しい現実を前にしたとき、私達は天皇の祈りとどう向き合うべきなのでしょうか。
天皇の祈りを金科玉条として、ひたすら衝突を回避すべきか。
あるいは、現実を優先して天皇の祈りを無視するのか。

どちらも違うと思います。
国政の権能を託された私たちは、戦争も含むあらゆる手段を選択肢に入れて、日本を守っていかねばなりません。
しかし、日本を守るためなら何をしても良い、ということには当然なりません。
なるべく犠牲を出さないように。講和への道を閉ざさないように。
法の及ばない、人道的態度を保つために最も強い規範となるのが、天皇の祈りであると考えます。
日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
それが私たちに求められることではないでしょうか。

そしてこれは、戦時中に限りません。

平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。

https://aiko-sama.com/archives/6357

☆☆☆

ここでは終戦直前の10日間の事を指していますが、私は

「平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。」

に眼が止まりました。

色々の問題に没頭していて、天皇陛下のお言葉に帰ることを忘れていたことに気が付いたのです。宮内庁のホームページで、ご発表の都度、眼を通すことにしていたのに、その習慣からいつの間にか遠ざかっていました。それで最近の天皇陛下のお言葉をもう一度、気持ちをあらためて読むことにしました。

遅ればせながら、オリンピック開会に関係するお言葉を紹介させていただきます。
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#303

○国際オリンピック委員会関係者ご引見
令和3年7月22日(木)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】

○第32回オリンピック競技大会(2020/東京)開会式に出席する各国首脳等ご会見及びご引見
令和3年7月23日(金)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】

○第32回オリンピック競技大会(2020/東京)開会式
令和3年7月23日(金)(オリンピックスタジアム)

さりげないおことばですが、ゆっくり読むと、心が静まります。

オリンピックについて、開催反対の声もありました。天皇陛下ご自身が「五輪御懸念と拝察」との宮内庁長官の発言もありました。政府に対して開催に際し細心の注意を払うようにとの陛下の御心だったのだろうかと、私見ですが、拝察しております。

私自身、オリンピック誘致の際の安倍前総理の発言、福島はアンダーコントロールであるとか(いまだに多くの人々が大変な廃炉作業に取り組んでいるのに)、その時期の日本の気候はオリンピックに最適である(この酷暑の時期に)とかよくウソを並べられるものだと、苦々しい思いで見ていたひとりでした。

それにもかかわらず、宮内庁のホームページを拝見しますと、いざ開催となれば全身全霊で取り組まれる天皇陛下の御心が伝わって来て、オリンピックの成功を応援したいと思いました。


☆☆☆

バッハ会長,
国際オリンピック委員会関係者の皆様,

 第32回オリンピック競技大会は,明日開会式を迎えます。

 現在,世界各国は,一昨年末より世界中を襲った新型コロナウイルス感染症の感染拡大という大変厳しい試練に直面しています。人が集い,繋がることが簡単ではない状況が続いています。

 そのような状況の中,新型コロナウイルス感染症に対する万全の対策を講じながらの大会運営は決して容易なことではないと思います。それぞれの競技会場の現場などで大会運営に携わる方々をはじめ関係者の皆さんのご尽力に深く敬意を表します。

 オリンピックが長く,そして広く世界で支持されてきたのには,平和と調和というオリンピズムの精神に理由があると思います。私自身にとって,1964年の東京オリンピックの閉会式で各国選手団が国ごとではなく,混ざり合って仲良く行進する姿を目にしたことが,世界の平和を願う気持ちの源となりました。

 東京2020大会のビジョンは,「スポーツには世界と未来を変える力がある。」です。スポーツに挑むアスリートや,そのアスリートを支える御家族や関係者の姿は,わたしたちに様々なことを感じさせてくれます。この大会は,新型コロナウイルス感染症に直面する中で迎えます。また,夏の盛りの熱波にも注意が必要です。この大会が,皆さんをはじめとする関係者の連携による感染防止対策に万全が期されることにより,アスリートの皆さんが健康な状態で安心して競技に打ち込み,その姿を通じて,新しい未来へと希望の灯火がつながれる大会となることを願います。皆様と共に全てのアスリートのご健闘を祈ります。

(「国際オリンピック委員会関係者ご引見 令和3年7月22日(木)(宮殿)【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは和訳したものを掲載しています。】」
https://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/86#303

☆☆☆


ご文章の中に、

「私自身にとって,1964年の東京オリンピックの閉会式で各国選手団が国ごとではなく,混ざり合って仲良く行進する姿を目にしたことが,世界の平和を願う気持ちの源となりました。」

とのお言葉があります。

私はオリンピックの時、小学校高学年でした。オリンピックの時、わが家にテレビが入りました。開会式で各国選手団が整然と隊列を組んで入場した様子も美しかったですが、陛下のおっしゃるとおり、閉会式で各国選手団が国ごとでなく思い思いに手を取り、肩を組んで行進する様子に、胸が熱くなったのを覚えています。競技の時も、重量挙げでしたか、勝敗が決した後で、敵だった選手が肩を組んで勝利者を祝福する姿にも胸を打たれました。

お言葉中のオリンピズムが耳慣れなかったので、辞書を見てみました。「オリンピック精神」のことなのですね。

オリンピズム(Olympism):
近代オリンピックの創始者クーベルタンが提唱した、オリンピックのあるべき姿。「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というもの。オリンピック精神。(コトバンク)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%BA%E3%83%A0-1284974


「文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりより世界の実現に貢献する」

この精神があったから、「国籍などの差異を超えて」、ライバルの肩を抱いて祝福し合い、手に手を取り合って行進する姿に心打たれたのだと思います。

それにしても、1964年のオリンピックの時、天皇陛下は満4歳でいらしたはずです。そんな幼い時にそのような感慨を抱かれ、いつまでも覚えていられるということも、驚きでした。

冒頭に掲げた「愛子さま 皇太子への道」には、広島の原爆ドームを訪れたときのお気持ちを作文にされていますが、中学生と思えないしっかりしたご文章と平和への祈りに心打たれます。

以下、「愛子さま 皇太子への道」からの引用です。


☆☆☆

この記事では、その後半で、愛子様の作文も紹介されています。ご存じの方も
多いと思いますが、愛子様が広島を訪問されたときの作文です。
https://www.sankei.com/article/20170322-LWNVTS255BM47HUSW5WI2BUT3Y/2/

《「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げていくもの》

これが中学生の作文かと思うほど、力強い使命感を感じるメッセージですが、
この記事を書かれた記者さんが、「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉で、この愛子様の作文を想起された感覚は、よく分かる気がします。

https://aiko-sama.com/archives/6357

☆☆☆


天皇陛下のお気持ちの深さに思いを致し、このような素晴らしい天皇を日本国の象徴として戴けることの尊さを思います。そして愛子さまが天皇の御長女として天皇の平和へのお気持ちを継がれて、お健やかにご成長されていることを、ありがたく思います。


ブログ冒頭に引用した、

「日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
それが私たちに求められることではないでしょうか。

そしてこれは、戦時中に限りません。

平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。」


「天皇の祈りを指針とすることが、日本が日本として発展していく上での道しるべとなる」

何ごとのおはしますかは存じませぬが言うに言われぬ深さをたたえる、「天皇の祈り」を指針とすることを、日々の生き方の中で忘れずにいたいと思います。

オリンピックも残りわずかとなりました。賛成、反対、色々な思いを抱かれている方々があるようですが、それはそれとして大会がつつがなく終了し、オリンピズム(オリンピック精神)が選手、関係者、応援する人々の心に刻まれるよい思い出として残りますようにと、祈らせていただきます。なお、PCR検査、外出制限、酷暑などの苦難に負けずに全力を尽くされ、感動を与えてくれた各国選手の皆様に、心より感謝申し上げます。

今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、こころ穏やかなよい一日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:愛子さま
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この9か月間を振り返る [ブログについて]

PICT113320210806blog.JPGいつも私のブログを読んでくださっている皆様、有難うございます。しばらくお休みしていてすみませんでした。

休んでいる間に、昨年の11月以来、ブログの振り返りをしていないことに気がつきました。時々、立ち止まって振り返ることは、大切だと思います。

昔の手帳を整理していたら、三島由紀夫の『葉隠れ入門』から書き出したとする、以下のメモを発見しました。


一人の人間の生き方

1、 目前の事を為す。

2、 十五年先の事を考えて行動の布石を打つ。


私は1、に手いっぱいです。「十五年先の事を考えて行動の布石を打つ」のは、難しいことだと思います。


日本の将来全般の十五年先を考えるのは困難ですが、皇室について、今のままでは大変なことになるというのも、打つべき布石も分かっていると、自負しています。

十五年先を考えて打つべき最大の布石は「皇位の安定的継承のための皇室典範改正」です。
女性天皇とそのお子様が皇位継承できるように典範を改正することは、早急に実現しなくてはならない課題です。

昨年の11月以来を振り返りますと、この課題に関して公には、政府による「有識者会議」が設置され、ようやく検討がはじめられたことが挙げられます。しかし「有識者会議」は政府にとって問題先送りの口実に過ぎなかったようで、何ら本質的な進展はありません。

まだまだ課題解決の努力が必要です。心ある皆様のお力をぜひお借りしたいと思います。


昨年11月以降の期間の、私個人のささやかな成果は、「男系維持派との対話」を開始したことでした。

対話といっても、直接対面ではなく、男系維持派が主流である某掲示板に「道場破り」の浪人気分になって、ハンドルネーム(匿名)で意見を書きこみ、彼らの反論に答えたというだけのことです。最初の投稿は昨年の12月のことでした。

反対派の掲示板に投稿することは、たとえ匿名でも、気の小さい(?)私にとって大変なプレッシャーがあり、かなり疲れる作業でした。しかし、そこから得たものは大きかったと思います。

ネトウヨ的な保守派の集まる掲示板ですから、最初に「女系容認派は左翼だ」といわれてしまいました。その他、罵倒も浴びましたが内容はもう忘れました。

それで、自分は左翼ではない、古代史の泰斗田中卓氏、その師の平泉澄(きよし)氏〔物語日本史の著者〕のご著書をこよなく愛する者であるとの説明を駆使し、根気よく対話を続けました。

その掲示板は、掲示板の目的である「愛国思想」に反する投稿は削除すると書かれていたので、いつ削除されるかとひやひやしながら、気を使っての投稿でもありました。

冷やかしや罵倒は別にして、真剣に対話に応じてくれたのは2人でした。

対話の最後に、そのうち一人から、

○女系天皇容認を主張するのは左翼だけだと思っていたが、そうでない人もいるのが分かりました、

と言われたのは、望外の喜びでした。

もう一人からは、

○あなたのように真剣にものを考えている人にこれ以上言うことは無いので勉強し直します、

と言っていただきました。親切で誠実な方でした。

異なった意見の人々と接点を見つけて説明するのは、疲れる作業ですが、思い切って対話してよかった、対話の甲斐があったと思いました。


それ以後は、私がいつも投稿している中立的な別の掲示板で、先の掲示板と同じ「愛国思想」に共鳴している男系派常連さんから、時々質問されるので、そのつど回答しています。

彼らが質問する、私が詳しく説明をする、最後は相手が沈黙するというパターンになっているので、彼らも私の説明にそれなりに納得してくれているのだと解釈しています。


掲示板の対話では、感情的にならないで、事実を淡々と述べることを心がけています。それでも頭に血が上って、感情に走ることがありますが、そうなると別の人が仲裁に入ってくれるのも有り難いことです。

男系派常連さんの質問は、私の学習と思考を深めてくれるので、最近は彼らの存在が有り難いと思う時があります。問題を持ち込む人は、私の問題解決能力を鍛えるために、わざわざそういう役割を背負って目の前に現れるのだと前向きに解釈すれば、感謝するしかありません。彼らも真実を知りたいのだと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
暑い日が続きます。皆様お身体を大切になさって、夏を乗り切ってください。

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無実の罪を着せられた道鏡に小室圭さんを思う [皇室典範改正]

DSC_173720210723blog.JPG木の根元に生えた苔です。不思議な色と形ですね。


デイリー新潮に小室圭さんを道鏡に例えた記事が載っていると、男系維持派の人が教えてくれました。

一読しましたが、各学者は底の浅いことしか書いていない、有識者会議の中身の無さ、政府の不決断、に、とても残念な気がしました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/facba13cf81bb45f8d67c90d0e4c853f2a29c30d


ここに出て来る本郷和人教授は、テレビにも出ていますが、専門は中世史で、古代のことは、とんと御存じないようです。

「皇位継承について考える際には、タテとヨコのどちらに重きを置くか」と述べていますが、彼の言うタテは、日本に「男尊女卑」が定着した中世以降だけのことであって、それ以前は、タテに含まれないのでしょう。歴史の一部分にしか、目が届いていない学者です。悠久の日本の歴史を語る資格はありません。

麗澤大学教授の八木秀次氏は、「私が訴えてきた男系男子による継承を頭ごなしに否定する方はおらず、旧宮家の皇籍復帰についても議論の俎上に載せられていました。それどころか、専門外のメンバーからも男系継承に肯定的な声が上がっていた。世論は確実に変化していると感じました。やはり、小室圭さんの存在が世論に与えた衝撃は計り知れないものがあったのでしょう」と、得意げに述べています。

女性宮家案を断固としてつぶそうと、なりふりかまわずに、小室圭さんの悪評をSNSやyou tubeで世間に流布したのは、男系維持派の竹田恒泰氏などの論客、日本会議を支持する女性メンバーたち、そして雑誌を売ることしか考えないマスコミでした。デマがこれほど国民に浸透することそのものに、恐ろしさを感じます。

何回もブログに書いていますが、どの記事を読んでも、私には、小室圭さんは普通の青年で、書き立てられていることは、一方的な推測まみれの情報であり、冷静に見れば、誰にでもあるような小さなことを大げさに書いているだけとしか、思えません。

発端になった、小室佳代さんの元婚約者は、代理人に立てた週刊現代の記者とタッグを組んで、一方的な情報をマスコミに垂れ流しましたが、小室圭さんの文書を読むと、元婚約者は、ウソばかりついていたことが分かります。

○婚約を破棄したのを佳代さんと言っていたが、事実は逆で、元婚約者が一方的に破棄していた。
○借金といいふらしたお金は、佳代さんに借金ではないから、あげるお金だからと何度もいっていた
○佳代さんが食事や結婚式の費用を高価なものにしたがっていると言っていたが、佳代さんは高価にならないようにとむしろ、気を遣っていた。

週刊誌で佳代さんが、遺族年金を断らなかったことを責めていたようですが、いきなり婚約を破棄するような信頼できない男性と交際をしている段階で、遺族年金を放棄する手続きをする人が、いるはずがありません。入籍して、初めて放棄するのが、常識だと思います。信頼できる友人がネットで詳しく調べた情報では、事実婚でも無かった、単に交際していただけ、とのことです。

小室圭さんのイジメを受けた女性があるという記事もありましたが、イジメに関わったとされる小室さんの友人全員が否定しています。微妙な事案ですが、真実を確かめなければ、不確定な情報のみでイジメがあったと決めつけるのは、痴漢の冤罪事件もあるので、慎重でなければならないと思います。


八木秀次氏は、小室さんが道鏡に似ていると述べていますが、実は道鏡事件そのものが、近年見直されています。

歴史上の日本三悪人というと、道鏡、平清盛、平将門があげられるそうですが、それぞれ、実は後世の人々に誇張されて「悪人」に仕立てられたという説が最近語られています。

道鏡は明治以降、和気清麻呂が忠臣であり、対照される悪人として、小学校の教科書にも載せられました。

八木氏は、「道鏡悪人説」を信じて疑わないようですが、道鏡の評価は最近見直されつつあります。


このことは、当ブログでも孝謙天皇・称徳天皇の時に取り上げました。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/c2306223719-1

今日はその続きを書きたいと思います。


「道鏡事件」は無かったと唱える学者さえあります。私は専門家でないので無かったかどうか、種になるような噂くらいはあったのかは分かりません。

公平に見れば、諸説あるというのが、バランスの取れた見方だと思いますが、私は少なくとも俗説通りのようなことは無かったという学者の説の方が、信ぴょう性が高いと思います。


その1、「道鏡事件」は無かったと唱える学者(関西学院大学教授・中西泰弘氏)があります。(社団法人 関西大阪21世紀協会HPより)


☆☆☆

怪僧、妖僧、悪僧・・・どこまで本当?

道鏡は戦前、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人に数えられた。道鏡と称徳は平安朝からスキャンダルの的となった。道鏡の巨根説、称徳の広陰説、「道鏡は座るとひざが三つでき」という川柳まで残る。明治以降は小学校用教科書に和気清麻呂と頻繁に登場するようになり、「国体護持」「万世一系」の皇国史観から道鏡は天皇の座を狙った悪僧、清麻呂はそれを阻止した忠臣の代表となった。

宇佐八幡神託事件は、称徳主体説、道鏡主体説、道鏡・称徳共謀に整理できる。戦後、古代史家・北山茂夫は「女帝こそが一介の名もない看病禅師をひきたてて、ついには、法王の地位をあたえた」「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」(『女帝と道鏡』)と称徳主体説を唱えた。

これに対し、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)は『続日本紀』に出てくる宣命と地の文の詳細な検証を進め、「称徳には道鏡を皇位に就けようという意思は毛頭なかった」(『続日本紀と奈良朝の政変』)とし、道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出とする。皇統は天武(?-686)から8代7人、天武系が続いたが、称徳亡き後、天智天皇(626-671)の孫の光仁(709-782)、その子の桓武(737-806)と天智系に変わった。『続日本紀』は桓武治世下で編纂されており、道鏡事件を「『前王朝』の失態」として描いたと問題提起している。


さらに東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)は評伝『孝謙・称徳天皇』で、称徳を革新的な女性天皇として描いた。称徳は歴史上ただ一人の女性皇太子。従来言われるような「中継ぎ」ではなかったとする。一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。「『天』が授ける者であれば皇統以外でも可能とする」「歴史上でも類いまれな、万世一系を否定する王権像」を持っていたとする。そして道鏡事件は後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われたと書いている。

いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。

(「なにわ大阪をつくった百人」(社)関西大阪21世紀協会=足跡をたずねて=)
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/039.html

☆☆☆

[1の感想]

「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」という古代史家・北山茂夫氏の意見も興味深いです。「儒教的な立場に立つ御用学者」は、男尊女卑的な見方が強く、このようなスキャンダルを大げさに批判することを得意とするからです。

そして、『続日本紀』を詳細に検証された、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)の説は、かなり説得力があると思います。

○道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出(創作)
○称徳には道鏡を皇位に就けようという意思はもうとうなかった。
○皇統が天武系から天智系に替わった時、道鏡事件を『前王朝』の失態として描いた。


「皇統が天武系から天智系に替わった時」、すなわち皇統が別系統になった時、前の系統の天皇を悪者に仕立てるのは、日本書紀にもみられることです。「勝者が敗者を悪者として記録する」のは、よくあることです。

「いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。」

と書かれています。これまで各時代の天皇の御製を学びましたが、天皇に謀叛を企てたことの処罰はいつの時代でも死に値する厳しいものでした。道鏡の処分は左遷という軽すぎるものだったということからも、本人自身に謀反の罪が無かったのは明らかだと思います。



その2、道鏡の名誉回復を願う、出身地・大阪府八尾市の有志団体「道鏡を知る会」により、木彫の坐像(ざぞう)が作られ、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納されました。坐像の制作者は、籔内佐斗司(やぶうちさとし)・東京芸大大学院教授。籔内氏は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」も考案した彫刻家です。

(「道鏡、実は「悪人」の事績乏しく 名誉回復願い坐像」日本経済新聞2020年10月22日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65273930R21C20A0AA1P00/

道鏡の実像を語り伝えられてきた道鏡の生地、大阪府八尾市の有志が、道鏡の名誉回復を願って、坐像をつくり、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納することができたという記事です。

以下は、前のブログで紹介した、坐像を作る運動をしている時の記事です。願いが結実して、坐像を奉納することができて、ほんとうに良かったですね。

☆☆☆

道鏡とは

河内国弓削氏出身の道鏡は、義淵増正に師事し、看病禅師として孝謙上皇の病を治し、女帝の信頼を得て、称徳天皇(重祚)勅願の西大寺の創建にも協力をしました。仏教理念による施政を総攬(そうらん)し、法王の位を受け、奈良仏教の礎を築いた一人。

(中略)

神護景雲3年(769年)10月、称徳女帝は道鏡を伴って、道鏡の故郷である河内国由義宮に来られ、大和川沿いの龍華寺に河内の商人たちを呼び集めて市を開かせ、官人たちの買い物風景を楽しんだといわれます。また、天皇は龍華寺に綿二万屯(とん)、塩三十石を寄進しました。翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕したとの記録が残されています(続日本紀)。

植松渋川神社の前の観音が当時の龍華寺であることや、渋川神社の前一帯の地域が「市の町」と今も呼ばれていることなど、私たちの身近なところに道鏡が活躍した名残が存在しています。

八尾市が生んだ偉大な人物、道鏡の真の姿を再発見し、称徳女帝と道鏡の清らかな恋に思いをはせて、道鏡を知る会は今年も活動を続けています。また、関東地方をはじめ、全国の「道鏡の会」との交流も行っています。会員は2か月に1回程度、奈良時代、特に道鏡ゆかりの地に出かけて拝観・見学をしています。

「85歳の挑戦。奈良仏教の礎を築いた一人である道鏡禅師像を造立へ 」
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆



その3、「奈良まちあるき風景紀行」は、一般的な観光案内の感じですが、道鏡事件について、「具体的な悪行」は何一つ伝わっていない、評価に諸説ありとしています。


☆☆☆

道鏡が何かを自らで大規模に粛清したとか、特定の存在を極端に弾圧したとか、誰かと共謀してまれに見るような凶悪な働きを果たした。といったような歴史に残る「具体的な悪行」は特に伝わっていないことは紛れもない事実です。

(「道鏡とは何者なのか?悪人とされがちな僧侶についてシンプルに解説【宇佐八幡宮神託事件】」奈良まちあるき風景紀行)
https://narakanko-enjoy.com/?p=35061

☆☆☆

○観光案内的なホームページですが、幅広い見方があると、紹介しています。

○『「具体的な悪行」が特に伝わっていないことは紛れもない事実です。』

具体的な悪行が特に伝わっていないのに「謀叛人」「極悪人」にされているのなら、それはいわば冤罪(えんざい)ではないでしょうか。





[全般的な感想]

八木氏は、道鏡と孝謙天皇に男女の関係があったと思い込んでいるようですが、道鏡60歳、孝謙天皇45歳というご年齢から考えても、また、孝謙天皇が潔癖な御性格であられたこと、道鏡が優れた高僧であったと配流先でも民から慕われていることから、そのような関係では無く、清らかなものだったと考えるのが自然です。


小室圭さんが、まじめな一般国民であるのにかかわらず、ぬれぎぬを着せられて、謀反人に仕立て上げられ、マスコミのバッシングの標的にさせられてしまったことは、何の罪も無かった道鏡が、デマによって極悪の謀叛人に仕立てられたのと、実は、似ているかも知れません。

そして、眞子様の置かれている状況は、(その1の引用文で)東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)が述べているように、

『後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われた』

という、称徳天皇の置かれた状況にそっくりです。


『時の為政者をあやつる男系維持派が、「女性皇族(内親王)をスキャンダルまみれに伝え」、「男女の関係におぼれた愚かな悪女」に仕立て上げて、「女性宮家の出現阻止に使われた」』

と言葉を置き換えれば、なんとそのまま、すべてが当てはまるではありませんか。歴史は繰り返すというのは真実です。男系派が、道鏡を念頭に置いて、仕組んだワナではないかと思えるほど、酷似しています。


勝浦教授はこうも述べています。

(称徳天皇は)「一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。」

このような女性優遇策が、古代中国の男尊女卑文化が浸透しつつあった当時の為政者にとって、伝統破壊に思えたのでしょう。その反感が、続日本紀の記録者に映し出されて、称徳天皇をおとしめる記述の動機の一つになったのではないでしょうか。これも男系を支持する男尊女卑の人々に共通していますね。


それにしても腹立たしいのは、女性宮家制度創設をつぶすために、何の罪もない無名の一般国民を、デマをまき散らして、極悪の謀叛人であるかのように仕立て上げた人々の存在です。竹田恒泰しかり、八木秀次しかり。一般国民に過ぎない一人の青年のプライバシーをあばき、デマを流し続け、悪人に仕立て上げる、これでも法治国家だろうか、一般国民を守ろうとしない国が、民主主義の国だろうかと、日本人に生まれたことが、真底、恥ずかしくなります。

デイリー新潮の記事に出て来る里中満智子さんは、デビュー当時からファンだったのですが、結局、男性に肩を並べることに生きがいを感じる、名誉白人ならぬ名誉男性の一人で、本質的なことが何も分かっていない浅はかな人だったと知って、がっかりしています。知識量と、人間として正しい判断ができるかどうかは、まったく別物ですね。


これが、女性宮家の制度が出来ていて、小室圭さんの皇室入りが選択できるというなら、国民が色々と声を上げたくなるのは、まだ理解できます。美智子様が婚約され、皇室入りが決まった時も、柳原白蓮などが、猛烈な妨害活動を行い、暴力の行使も辞さないという勢いだったそうですから、歴史は繰り返すと思えば、理解できます。

しかし、今の制度のままでは、眞子様が一般国民になられると決まっていて、小室圭さんが皇室入りすることができないことが分かっているのに、国民が大騒ぎするのはなぜなのでしょう? 

裏を返せば、眞子様に女性宮家の当主になっていただきたい、その伴侶も皇室入りしてほしいとの、国民の潜在的な願望が高まって、彼らを異常な行動に駆り立てているのではないでしょうか? 現在意識では分からなくても、国民の潜在意識が「女性宮家を創設してほしい! 女性天皇を実現してほしい!」と大声で叫んでいる、その気持ちが素直にだせないためにひねくれて、可愛さ余って憎さ百倍となっているような気がします。


男系維持派は、そのような国民の魂の底からわきあがる声なき声、女性天皇を待望する声、女性宮家創設を願う声を、「左翼の陰謀だ!」と偏見に満ちた悪口を投げかけて一蹴します。

日本の古代史を謙虚に学ぶことをしない、浅はかな、そのくせ日本のことを誰よりも知っていると錯覚している愚かな人々が、自民党政権に巣くって、日本を害し続けています。


男系派はこう叫びます。

「日本は男尊女卑の国だぞ!」

「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」

「偉大なる古代中国さまがそういっておられたのだ、われらはその伝統にしたがうのだ!」

「皇室こそは男尊女卑の伝統を守る最後のとりでなのだ!」

と。いつまで、叫び続けるつもりなのでしょう。まるで駄々っ子です。困ったものです。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
オリンピックが開会しました。平穏に無事に開催されますよう、選手たちが力いっぱい競い合えますよう、祈らせていただきます。
皆様も、どうぞお健やかな毎日をお過ごしください。

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熱中症に注意―マスクを外せる時は外そう [新型コロナ]

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この1週間(7月5日から11日まで)だけで、2,568人が救急搬送されたそうで、死者6人、重傷者59人とのことです。
https://www.gosen-dojo.com/blog/31643/

猛暑が続いていますが、街中を歩いていると、人通りが少ないところでも、ほとんどの人がマスクを着用しています。

厚生労働省はマスク着用を薦めていますが、一方、外してよい場合と、年齢層も発表しています。


外して良い場合

① 屋外で、他の人と2メートル以上、距離が取れる時。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000798079.pdf


着用しないで良い年齢層

② 2歳以下の幼児はマスク不要。
※WHOの基準では「5歳以下の子どもは必ずしもマスク着用にこだわらなくてよい」とされています・
https://news.yahoo.co.jp/articles/24f804d12dac8bf9a51cfd2fe393a863761130a2

昨年は厚労省から、2歳未満にマスクを着用させないようにという呼びかけもありました。

保育所についても、厚生労働省は子どもによって発達の状況が異なるため、「一律にマスクを着用することは求めない」としています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200831/k10012593421000.html


新潟県上越市では、「学校でのマスク着用 選択できるように」と熱中症など心配した保護者が要望書を提出したそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/38894340aaccb6914d6ed1efdd953b9af4f59cba

保護者として、当前の心配だと思います。小学生くらいの子どもはとかく我慢しがちなので、大人が気をつけてあげないと、無理してしまうと思います。


昨年は、屋外で畑仕事を一人でしていたお年寄りがマスクを着用して、熱中症で亡くなったというニュースがありました。暑い盛りに畑仕事をすることも考えものですが、ましてや、誰も周りにいないのに、マスクを着用するのは、絶対にやめてほしいです。

屋外で、2メートル以上、距離が取れる時は、マスクを外しましょう。厚労省が認めていることなので、遠慮はいりません。人込みに近づいた時にマスクをすれば、厚労省の基準にも適います。


以上は、厚労省の基準ですが、私は、前回のブログに書いたように「新型コロナはインフルエンザと同じ対策で良い」、「ゼロ・コロナは不可能、ウィズ・コロナ=コロナとの共生」しか解決の道はないという考えです。マスクについても必要最小限の着用でよいと思っています。

街を歩いていて人がマスクをしていないのを気にする人もあるようですが、私は、ここまで暑くなると、マスクをしていない人に会う方が、むしろ安心します。熱中症で倒れることの方が心配です。登下校中の小学生がマスクをしているのも、気の毒でなりません。

私は、時々、散歩しますが、人の少ないところではマスクを外し、店の近くなど人通りが増えてきたときに初めてマスクをします。マスクをしていないときに、近づいてくる人があると、うつむいてなるべく距離を取るように道を譲ります。先日、そのようにして、ふと顔を上げると、すれ違ったご夫婦(60代くらい)がお二人ともマスクなしだったので、ほっとしました。医学的には、65歳以上の高齢者も呼吸機能が衰えているので、常時マスク着用は危険であるといわれています。65歳以下でも、呼吸障害など何らかの障害でマスクを着用できない人もあります。マスクの非着用に寛大であってほしいと思います。


最近『コロナ脳 日本人はデマに殺される』という本を読みました。『コロナ論』1~3巻の著者・漫画家小林よしのり氏と、獣医学博士・宮沢孝幸氏の対談本です。

宮沢孝幸氏は、京都大学ウィルス・再生医科学研究所ウィルス共進化分野准教授で、ウィルスの専門家です。獣医学の観点から、現場で色々と調査するそうで、興味深い話が色々書かれています。

宮沢氏は、新型コロナは、有症状患者に比べて、無症状の人はほとんど感染させないとの、アメリカ、フロリダ大、ワシントン大の研究者の発表について、述べています。


☆☆☆

アメリカのフロリダ大やワシントン大の研究者らがコロナの家庭内感染率を調べた研究結果が2020年12月に発表されていて、無症状の人が他の家族に感染させた確率は0.7%だった。有症状者の場合は、18.0%です。
 家の中ではマスクしないし、食卓囲んでご飯食べて、ときには大笑いしたり、大声出したりもするでしょう。家族は常に濃厚接触をしているわけで、非常に感染が起きやすい状態だけど、無症状の人からはたった0.7%。
 たぶん、この0.7%は、夫婦間のディープキスだと思う。(p66)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

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最後の「夫婦間の…」というのは、根拠があります。


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新型コロナウィルスは何個くらい入ると人への感染が成立するかというと(中略)ワクチン開発ではアカゲザルを使った動物実験をしていて、アカゲザルに感染させるために、100万個単位のウィルスを肺に直接流し込んでいるようで、そのレベルの量を入れないと確実に感染させられないと研究者が判断したのだろうと思います。(中略)人の場合、最低でも一万個くらいウィルス粒子が入らないと感染しないだろうと推測しています。
発症前後で体内のウィルス量が最大になっている状態で、口の中に1ミリリットルあたり100万個くらいのウィルスがあって、そのうち1万個が唾液や飛沫で他人の口の中に入って感染が起きる、そんなイメージだと思います。ウィルスが1万個入った唾液の量は10マイクロリットルくらい、小さなスポイトで1滴採ると20マイクロリットルなので、その半分くらいの量です。半滴です。(p72)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

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昨年、ホストクラブでのクラスター発生が話題になりましたが、宮沢氏は新宿・歌舞伎町のホストクラブへ調査のためオーナーに話を聞きにいったところ、対策を打ったので、今年はまったくクラスターが発生しなくなったとのことです。


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[宮沢] 私、クラスターが発生した新宿・歌舞伎町のホストクラブへ、調査のために話を聞きにいったことがあるんです。(中略)

宮沢 そこのオーナーは店をたくさん持っていて、そのうちの何軒かでクラスターが発生していた。オーナーは、「どうすれば感染が起きるのか理解したので、今は完璧に対策して、起きないようになった」と自信満々だったんですよ。それで店の中を見たら、誰もマスクしていない。客との距離を少し空けて、静かに会話しているだけなんですが、その程度の対策だけでクラスターが起きなくなったと言っていた。
 それで、「どういう状態だとクラスターが起きると思います?」と、当時の店内の状況を撮ったビデオを見せられたんですが、文字通り、ドンチャン騒ぎでした。シャンパン回し飲みして大騒ぎしているのが映っていた。(p68)

(『コロナ脳 日本人はデマに殺される』小林よしのり 宮沢孝幸 小学館新書)

☆☆☆


宮沢氏は、近距離で、マスクせずに大声で長時間しゃべり続けるのでもなければ、飛沫感染はしない、マスクが必要なのはそういう場面だけで、通行してすれ違ったくらいでは、感染しないと述べています。私見ですが、ホストクラブは、ワインの回し飲みが、原因かも知れませんね


家庭内で有症状者がいても、感染率18%というのは、一般の風邪やインフルエンザよりも感染率が低いのではないでしょうか。子供が一人かかると次々に兄弟が罹患して家庭内のほぼ全員が感染する風邪もありますが、18%と言えば、5人家族で1人しか感染しないということで、むしろ感染率が低いのではないかという気がします。


コンピューター富岳の実験では、マネキンが咳の飛沫をもろに浴びる映像が流されて、飛沫感染を防ぐのにマスクが有効と言いますが、実生活の場で、相手の至近距離で大口を空けて咳を浴びせかける人などまずいないし、そういう人を目の前にして、口を空けて、その咳を思い切り吸い込む人もいないでしょう。顔をそむけて避けると思います。

大声を出して至近距離で話すならマスクが有効なのかもしれませんが、静かに会話をする分には食べ物を口に運ぶ時以外はマスクせよという、マスク会食ルールも不要だと思います。そもそも普通は大声を出す必要もありません。

街中を歩くのでも、同じでしょう。通気の良い屋外では、2メートルといわず、50センチも離れれば、互いの呼気を、思い切り吸い込むことはないと思います。

一人で車を運転している人もマスクは必要ないでしょう。

とはいえ、私も、街中で1メートル以内に何人も人が歩くところでは、世間のルールに従って、マスクをします。マスク着用でなければ入れない店内でのマスク着用は勿論のこと、コロナ以前よりまじめに手洗いしますし、トイレ便座の除菌も念入りにしています。感染対策をおろそかにするつもりはありませんが、マスクの着用の徹底は、熱中症のリスクを考慮して、再考する必要があると思います。この暑さに、屋外で仕事をする人々、小学生、中学生の登下校時など、マスクを外してよいのではないでしょうか。


今日も読んでいただき、有難うございました。
暑い日が続きます。熱中症対策は、水分を十分に摂ることも有効です。どうぞお健やかにお過ごしください。

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明治天皇は女系を容認されていたのか [皇室典範改正]

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男系維持を主張する人から、こんな質問をいただきました。

Q. たるとさんは、明治天皇が女系容認だったと言われますが本当ですか?

この質問者は、竹田恒泰氏を尊敬していて、竹田氏の主唱する、大御心とは「歴代天皇の御心」である、今上陛下が歴代の「大御心」に反する女系容認だったら尊重する必要が無い、という思想を信じる人でもあります。

A. そこで、私は次のように答えました

明治天皇は、女系を容認されていたし、明治天皇以来、今上天皇に至るまで(大正天皇、昭和天皇、上皇陛下、今上天皇)容認されていると、考えるのが自然です。それは大正天皇が側室を置かれなかったからです。側室が無ければ男系男子の継承が維持できないのは、明治天皇の時に、既に明らかでした。大正天皇は、明治天皇の庶子でしたから、大正天皇もそのことを十分知っておられながら、側室を置かなかったので、いずれは西欧と同様に、女系容認が必要と考えられていたと、拝察するのが自然だと思います。

また、女性天皇は、歴代天皇において、容認されていました。歴史上、8方10代の女性天皇がありました。 江戸時代の後水尾天皇による明正天皇への譲位、後桜町天皇の即位は、江戸幕府による女性が家督を継ぐことを禁止した「禁中並公家諸法度」を破って強行された女性天皇の即位でした。それが皇室の伝統です。

竹田恒泰氏の「大御心」における「歴代」は、例外だらけであり、一貫した「大御心」が、女性天皇禁止、女系天皇絶対反対、女系天皇になると日本が亡びるとのお考えである、と主張する竹田氏は、真の「大御心」を理解しているとは、到底思えません。

本題に入ります。

明治天皇が「女系天皇、女統を容認」とのお言葉を残しているという記録は、見つけることができませんでした。読者の方で、そういう記述があると知っている方は、ぜひ教えていただきたいと思います。

私の想像ですが、明治天皇も立憲君主たらんとされたので、直接のご発言は控えられ、大正天皇、昭和天皇、上皇様、今上陛下と同様に、記録が残されていないかも知れません。


しかし、旧皇室典範(明治22年)の制定過程において、「女系、女統」容認の案が、提出されたのは歴史上の事実です。それは「宮内省」案に記述されているので、明治天皇が容認されない内容が、そこに入れられるはずがない、仮に明治天皇が「何よりも男系優先、男系を護持しなければ国が亡ぶ」とお考えだったなら、宮家が数多くある中で、「女系、女統」が明記された案を、元老会議に検討させることは、考えられません。すなわち、明治天皇は「女系、女統」を容認されていたと考えるのが自然であり、当然であると思います。

以下、関連する資料からの引用を列記します。


☆☆☆

【明治典範制定に至るまでの女性天皇に関する議論】
①各種憲法試案の中に、皇位継承資格を男性のみとする案や女性の皇位継承も可能
とする案がある。
②制定過程における皇位継承資格の変遷
- - 35
〔日本国憲按〕(元老院による立案:明治9年~13年)
・明治9年案 …女性も皇位を継承できるとする案
・明治11年案…女性は皇位を継承できないとする案
・明治13年案…女統による皇位継承もできるとする案
〔皇室制規〕(宮内省による立案:明治18年~19年頃)
・女性・女系による皇位継承もできるとする案
〔井上毅「謹具(きんぐ)意見」〕(明治18年~19年頃)


(「皇室典範に関する有識者会議 報告書 平成17年11月24日」)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

(「参考資料」(pp34~35))
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/sankou.pdf

☆☆☆

[説明]

明治9年以来、元老院による立案が、何回かありました。
注目すべきは「日本国憲按」明治9年案、明治13年案、及び明治18年の「皇室制規」案に次の通り、女系、女統による継承を認める条文があったことです。


☆☆☆

1.日本国憲按
(1)明治9年案:女性も皇位を継承できるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 現今統御スル皇帝ノ子孫タル可キ者ヲ以テ帝位継承ノ正統ノ裔トシテ帝位ヲ世伝ス
第二条 継承ノ順序ハ嫡長入嗣ノ正序ニ循フ可シ尊系ハ卑系ニ先チ同系ニ於テハ親ハ疎ニ先チ同族ニ於テハ男ハ女ニ先チ同類ニ於テハ長ハ少ニ先ツ

(3)明治13年案:女統による皇位継承もできるとする案。
第二章 帝位継承
第一条 今上皇帝ノ子孫ヲ帝位継承ノ正統トス
第二条 帝位ヲ継承スル者ハ嫡長ヲ以テ正トス如シ太子在ラサルトキハ太子男統ノ裔嗣ク太子男統ノ裔在ラサルトキハ太子ノ弟若クハ其男統ノ裔嗣ク嫡出男統ノ裔渾テ在ラサルトキハ庶出ノ子及其男統ノ裔親疎ノ序ニ由リ入テ嗣ク
第三条 上ノ定ムル所ニ依リ而シテ猶未タ帝位ヲ継承スル者ヲ得サルトキハ皇族親疎ノ序ニ由リ入テ大位ヲ嗣ク若シ止ム事ヲ得サルトキハ女統入テ嗣ク事ヲ得

2.皇室制規:女性・女系による皇位継承もできるとする案。
皇位継承ノ事
第一 皇位ハ男系ヲ以テ継承スルモノトス若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス男女系各嫡ヲ先キニシ庶ヲ後ニシ嫡庶各長幼ノ序ニ従フヘシ

(資料3-1「資料3-1-14」)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3-1.pdf

☆☆☆


[説明]

素人考えですが、明治9年の案は、「同族に於ては男は女に先立ち」とあるものの、男統の跡継ぎが無い(13年案)、男系が絶える時(19年案)という文言が無いので、女性が跡継ぎになることが、順序によって、自然に認められるようになっている気がします。最初の案が、そのようであったことは、皇室の伝統において、女性天皇継承が自然であったことを表わしているように思われます。

かなり難解な文章です。尊系と卑系の意味の違いがよく分かりません。細かいところの読みがすぐには分からないので、時間をかけてもう少し読み込もうと思います。もしも、読者の方でこの文章を読解できる方があり、また現代語訳がありましたら、お教えいただければありがたいです。

この経緯を、国史大辞典では、明治19年の案のみを、取り上げて以下のように解説しています。


☆☆☆

皇室典範
こうしつてんぱん
皇室および皇族の基本であり、皇位継承をはじめ、結婚・摂政・皇族などが定められている。明治二十二年(一八八九)非公式に発表され、明治四十年と大正七年(一九一八)に増補を加えた。第二次世界大戦後の昭和二十一年(一九四六)、現在のものに改正されている。明治十五年伊藤博文が欧州に赴いた際、オーストリアのローレンツ=フォン=シュタインから皇室の家法をつくるようすすめられた。伊藤は同十九年から皇室典範の取調べを始めた。最初の案は皇室制規で、シュタインの意見を参考とし、皇位継承・丁年および結婚・摂政・皇族について定めた。女系の継承権を認め、庶出の子女は皇族として待遇しないことにした。

(「国史大辞典」「皇室典範」
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=132

☆☆☆


[結論]

2005年小泉政権による有識者会議の報告が提出されて以来、女系容認、男系固持の論が、取り交わされています。有識者会議では、色々と深いことが議論されていたのだなあと、資料を調べて、思いました。

明治時代の、欧州の識者に作成を薦められて、歴史始まって以来初めて作成された旧皇室典範成立の過程に於いても、既に、女系容認案、男系男子限定案の、押したり引いたりの議論があったのは、驚くべきことです。議論の過程を垣間見ても、今の議論とあまり変わりないことが問題にされています。歴史は繰り返すということですね。

明治時代の旧皇室典範制定において、宮内省が提出した明治9年案、13年案、19年案に、明治天皇のご意向が反映されていないはずがないので、明治天皇は男系固執ではなく、女系でもよい、すなわち女系を容認しておられたと拝察しても、間違いないと思います。

2005年の有識者会議の報告も同様に、当時の天皇(上皇陛下)のお考えが反映され、「女系容認」となっていたことも、間違いないと拝察いたします。


今日も読んでいただき有難うございました。
もうすぐオリンピックですね。皆様にとって良い一日でありますよう、お祈り申し上げます。
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天皇の御歌(71)―第10代・崇神天皇(2) [崇神天皇]

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第10代・崇神天皇の御事績と御歌を学びます。第2回目です。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)

前回では、神武天皇以来、「この宝鏡を(み)視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」との天照大神の御言葉のままに、皇居内に奉斎していた八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とを、皇居の外、大和の笠縫(かさぬひ)にお遷ししたという話をしました。皇居内には、神鏡と御劔の模造が安置されています。

この大きな変革がなされた、ことの始まりは、疫病でした。崇神天皇の御代の五年、国内に疫病流行、多くの人々が死に、また治安も乱れるさまとなりました。

日本書紀(巻第五)には、以下のように書かれています。文中の五年、六年は、崇神天皇の治世の五年、六年という意味です。


☆☆☆

“五年に、國内(くにのうち)に疾疫(えのやまひ)多くして、民(おほみたから)死亡(まか)れる者ありて、且大半(なかばにす)ぎなむとす。
六年に、百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。或いは背叛(そむ)くもの有り。その勢ひ、徳(みうつくしび)を以(も)て治めむこと難(かた)し。是(ここ)を以(も)て、晨(つと)に興(お)き夕(ゆふべ)までに愓(おそ)りて、神祇(あまつかみくにつかみ)に請罪(のみまつ)る”(p238)

(『日本書紀上 日本古典文学大系57』岩波書店))

☆☆☆

言葉の意味:

晨(つと):夜明け、早朝

[感想]

疫病の流行は、現代のコロナ禍をほうふつとさせますが、「且大半(なかばにす)ぎなむ」とあるとおり、民の半分以上が亡くなったとすれば、コロナどころではありません。
人心が不安定になり、家を失って流浪する民の中には、罪を犯すものもある、それは今も変わりない気がします。家や職を失って、ネットカフェの立てこもり事件が起きる、自殺者が増える、皇室のスキャンダルが話題になるなど、日ごろ見られない動揺が、社会全体に表われている気がします。

この時代にも、不安に勢いがついて、平常の穏やかな徳(みうつくしび)の政り事(まつりごと、政治)だけではおさまりがつかない、そんな様子が描かれています。そこで宮中では、早朝から、夕方まで、天津神地祇(あまつかみくにつかみ)をお祀りして、世の平らかならんことを願われました。

現代において、天皇陛下が、各行事などで発せられるお言葉で、いつもコロナの終息を願われるのも、同じで御心だと思います。

天皇陛下は、先月6月25日に、オンラインで開催された第5回国連水と災害に関する特別会合で基調講演をなさいましたが、そこでも講演の冒頭で次のように、新型コロナウィルス感染症において、献身的に尽力する医療従事者への敬意と感謝を表され、世界的各地の大規模な自然災害の犠牲になられた方々に哀悼の意を表わされ、被災者にお見舞いを述べられました。


☆☆☆

“今,世界は新型コロナウイルス感染症によるさまざまな試練と困難に直面しています。多くの命を救うために,日夜献身的に力を尽くされている医療従事者の方々に深い敬意と感謝の意を表します。また,この未曽有の疫病下にあっても,大規模な自然災害は世界各地で発生しています。日本でも,昨年,西日本を中心とした豪雨災害により大きな被害が発生しました。新型コロナウイルス感染症や災害の犠牲となられた多くの方々に心から哀悼の意を表し,被害を受けた方々に心からお見舞いを申し上げます。”

(「第5回国連水と災害に関する特別会合における天皇陛下基調講演」)
https://www.kunaicho.go.jp/page/koen/show/5

☆☆☆


天皇陛下も宮中において、2千年前の崇神天皇と同じように、日夜、世の平らかならんことを切に願い、祈っていらっしゃることと拝察申し上げます。


天照大御神を宮中から外にお遷ししたことについて、山口悌治氏は著書『万葉の世界と精神 前篇』の中で次のように述べています。天つ神と同時に、地祇(くにつかみ)を祀ることも励行されたことが、述べられているのが、眼を開かされる思いです。

☆☆☆

“この崇神天皇の治世には、きはめて重大なことが二つある。
その一つは、従来同床共殿の神勅のまにまに、宮中に奉斎せられてきた天照大御神を、倭の笠縫(さらに伊勢への鎮座は次の垂仁天皇の御代のことで、以後今日に及んでゐる)に遷しまゐらせ、皇女豊鋤入姫命をして斎き祭らせ給うたことである。(中略)
もう一つの神勅、「宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あめつち)とともに窮(きはま)りなかるべし」のとほりに、大和朝廷の統治の範囲がいよいよ拡大されると共に、治世下には、表向きは臣従してゐるものの、中には荒ぶる氏族や豪族や土豪達もゐて勝手に振舞ふあり、また反抗をしめすものもあり、またそれぞれに自己の氏神や産土神や地祇を奉じてゐるのであるから、天照大御神を宮中に昔ながらに奉斎してゐることは、天照大御神を皇室だけの氏神の如くに受けとらしめることであり、これこそ全く畏れ多きこととして、宮中から笠縫に遷し祀られ、天照大御神こそ、ありとしあらゆるものをあらしめ給ふ根元の神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の顕現にましまし、一切の天つ神地祇(くにつかみ)の総攬神としての神格を明かにしようとせられたのである、と私は考へる。したがってこれは神人の分離などといふべき事柄ではなく、皇祖神(こうそしん)であるといふことは、同時に神々の総攬神であることの不変的神格の徹底を期せられたものと解するのである。
第二のことは、この第一のことと呼応して、広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないかと思ふのである。”(pp51~52)
(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』)日本教文社)

☆☆☆

「広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。」

天照大御神をお遷ししただけでなく、地祇(各地の産土神、各氏族の氏神等)もあつく祀らせたことに、心打たれます。

西欧諸国でイスラム教を信じる地域を占領した時に、イスラム教寺院の地上部分を破壊してその上に建てられた教会があるとテレビで見たことがあります。

日本であれば、イスラム教寺院を残して、その横にキリスト教の教会を建てて、イスラム・キリスト習合の寺院を建てるようになったかも知れません。天つ神と地祇(くにつかみ)を祭る人々が、単純な支配・被支配の関係ではなかったことが伺われます。

「天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないか」

という海辺の民のために船を造らせたり、農業に従事する民を豊かにせよと灌漑用の池を各地につくらせたことにも、深い感動を覚えます。具体的な経済を豊かにする施策を実行されるご治世に、国民と共に歩む皇室の姿を思わせられます。


現代のように医療万能でない崇神天皇の御代は、疫病のまん延には、神に祈ることを第一にすえて、対応するしかなかったとも言えます(祈るだけでなく具体的な政策も施されました)。

災害にあったとき、そこから立ち直れる、立ち直りを支える力が何であるかを考えさせられます。「病は気」からの言葉の通り、人間の気持ちの安定が免疫力を高めること、人と人、人とペットとの愛情が幸福感を増すホルモンを出させて、健康に寄与することなどは、現代の医学も認めるところです。

神仏に祈ることで気持ちが落ち着き、病気が快方に向かうとか、たとえ肉親を失っても立ち直る力を与えられるとなれば、神仏に手を合わせるという、古代の人々の知恵に学ぶのも必要かもしれません。

歴史をかえりみれば、古代のみならず、後の時代においても、疫病が収まった後に、大きな社会改革が生まれ、新たな時代が展開することも、しばしばみられることです。

歴史の一コマを生きる者として、「災い転じて福となる」と信じて、希望を持って、毎日を過ごしたいと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様が、心に希望を抱いて進める一日でありますようにと、お祈り申し上げます。
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男系派・百地章氏のご都合主義―女系に価値を認めつつ、反対? [皇室典範改正]

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男系派の論客・百地章氏(国士舘大学特任教授)は、皇室の伝統は男系であると強固に主張しています。

『「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』のヒアリング講師に招かれた、百地章氏の資料を、読んでみようと思いましたが、探すのが大変でした。

内閣官房ホームページの第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第をやっと探し当てることが出来ました。

こういう大切な資料は、多くの国民が検討できるように、もう少し、見つけやすくしていただきたいと思います。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

をクリックすると、以下のページが出て来ます。

++++++++++++++++++
内閣官房

第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第
日時:令和3年5月10日(月) 16:45~19:00
場所:総理大臣官邸大会議室
(中略)
配付資料
(中略)
資料5 : 百地 章 国士舘大学特任教授 説明資料(PDF/2,308KB)

++++++++++++++++

ここで資料5のPDFをクリックすると百地氏の資料を読むことが出来ます。

以下に部分引用します。

++++++++++++++++++

1、「皇室の伝統」及び「憲法」は「男系」…問4

(1)皇室の伝統は、いうまでもなく「男系」(126代の天皇は全て「男系」)であ
る。…資料①天皇系図
・天皇の系図を見ると、直系継承ばかりではなく、非常に複雑である。これは
「男系による皇位の継承」を維持するためであった。「直系」が長く続いた例
は、初代神武天皇から第13代成務天皇までや、第119代光格天皇から第
126代今上天皇までなど数少ない。それ故、「直系」を優先し、結果的に女
系をもたらすやり方は、皇室の伝統を否定するものである。

「資料5 百地氏説明資料」、『第4回 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議 議事次第』
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/gijisidai.html

++++++++++++++++

○百地氏は、男系はいうまでもなく皇室の伝統といいますが、「男系」がこれまで続いて来たのは、天皇が複数の奥様を持つ「側室制度」と言う条件に支えられていたので、側室制度が無くなった昭和から、皇室の不変の伝統ではなくなったというのが、私どもの考えです。明治天皇でさえ、将来を見越して「女系」の採用を検討されていたのも、男系男子の継承が「不変の伝統でない」ことを証明しています。また男系男子の継承が、固定化、明文化されたのは、明治22年の典範制定以来のことで、それまでは「女性天皇」が認めらていました。男系男子限定は、近代明治以来の新しい伝統で、決して日本古来の伝統ではありません。

明治天皇が女系を容認されていたことは、当ブログで5月24日に述べています。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/20210524


○百地氏が挙げていない憲法学者の権威が、有識者会議において、最新の判断として、世襲に女性も含まれることを述べています。さらに、旧宮家系男子の婚姻を介さない皇室入りは「門地による差別」、家格による差別であり、憲法違反(第14条)が濃厚であるとも、述べています。

「門地による差別」については、高森明勅氏が、ブログで説明されています。
https://www.a-takamori.com/post/210515


今日は、取り上げるのは、女系を都合よく利用する男系派の、2枚舌についてです。
百地氏は旧宮家を推薦するに当り、次のように述べています。


++++

(3)戦後、皇籍を離脱された旧宮家の方々は、明治以降、すべて伏見宮家の家系に属
しておられた。そして、旧皇族およびその男系男子孫の方々は、現在の皇室と親
戚関係にある方々ばかりである…資料➂旧宮家略系図

➀現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。具体的には、久邇家の当主邦昭氏は、上皇陛下と従兄弟関係にあり、東
久邇家の当主も今上陛下と従兄弟関係にある。また、東久邇家には明治天皇と昭
和天皇のお二人の内親王が降嫁され、竹田家にも明治天皇の内親王が降嫁されて
いる。さらに、旧賀陽宮家は、明治時代に久邇宮家から分家して設立された。

(5)皇室典範の特例法として、「旧皇族の男系男子による皇族身分取得特例法」(仮称)
や「旧皇族の男系男子による養子特例法」(仮称)を制定し、旧皇族の男系男子孫
の中から何人か若い相応しい方々に「皇族」になって戴いたり、現宮家の「養子」
という形で「皇族」になって戴き、将来「宮家」を名乗って戴く。そして悠仁天皇
を支えて戴く…問9 問3

+++


[感想]

「現在の皇室と旧皇族およびその男系男子孫の方々は、明治以降、すべて親戚関係
にある。」と百地氏は述べています。

○百地章氏が、「女系」に意味を認めない論調を重ねながら、旧宮家が、内親王の降嫁により、現在の皇室と親戚関係にあるというのは、ダブル・スタンダード、2枚舌です。「女系」に意味が無いのなら、内親王が降嫁された宮家が、現在の皇室と女系を通じた親戚関であることにも、意味はないと述べなければ、思想の一貫性が保てません。

女系の内親王のお血筋に意味を求めるなら、現在、皇族でいらっしゃる、天皇直系の内親王(愛子様)、傍系の内親王お二方(眞子様、佳子様)こそ、現在の天皇のお血筋が最も近い方々で、大切にしなければなりません。その方々を、意味の無いことのように扱うのでは、思想に一貫性がありません。皇族を自分たちの都合で好き勝手に選ばないでほしいです。


男系のお血筋に着目するにしても、いわゆる旧宮家の昭和22年の臣籍降下以前にも、臣籍降下された例があります。

高森明勅氏は、7月8日のブログ「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」で次のように、明治時代に臣籍降下された王・親王について、述べています。


☆☆☆

《明治以降に皇籍離脱された方々》

又、明治以降に限定しても、皇籍を離脱された親王・王が14方いらっしゃる。

明治21年6月28日に臣籍降下された清棲家教伯爵(伏見宮邦家親王第15男)が早い例で、龍田徳彦伯爵(久邇宮多嘉王第3男、後に養子縁組により梨本姓)が昭和18年6月7日に降下されたのが、最も降ったケースだ。


この方々ご本人は、もとより「元皇族」。

その子孫の男性も「(皇族ではない)皇統に属する男系の男子」に該当する。

今回、有識者会議のヒアリングに招かれた聴取対象者が提出した説明資料を見ると、「(皇族でない)皇統に属する男系の男子」を「(いわゆる)旧宮家の男系男子孫」“だけ”と短絡しているケースがあった(八木秀次氏ほか)。

初歩的な無知と言うべきだ。


「元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実」2021.07.08「高森明勅公式ブログ」)
https://www.a-takamori.com/post/210708

☆☆☆


高森氏が例に挙げているのは、それぞれ宮家から臣籍降下された方々のようです。

なお、昭和22年臣籍降下された旧宮家は、男系の血筋で天皇をたどるなら、北朝第3代・崇光天皇(在位1348~51)の子孫です。

天皇の直系に着目すれば、崇光天皇より後の時代の天皇の直系で、臣籍降下された方もあります。

第106代・正親町天皇(おおぎまちてんのう)の曾孫(ひまご)、忠幸王(源朝臣忠幸)です。

正親町天皇(おおぎまちてんのう)は、日本の第106代天皇(在位:1557年11月17日〈弘治3年10月27日〉 - 1586年12月17日〈天正14年11月7日〉)です。
.wikipedia.から引用します。

男系の血筋から言えば、忠幸王(源朝臣忠幸)の子孫の方が、現代の天皇にお血筋が近いと言えるでしょう。


☆☆

「臣籍降下」

江戸時代
忠幸王(源朝臣忠幸)
正親町天皇曾孫。名古屋藩主徳川義直の女婿となる。清華家の広幡家初代。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B

☆☆


旧宮家の臣籍降下は「GHQの干渉による不本意な臣籍降下だったから特別扱いせよ」は、男系派の口癖ですが、それでは何故、日本が独立を果たした昭和27年(1952)4月28日以後に、皇籍復活の動きが無かったのでしょう。大日本帝国憲法の復元が成立しなかったのと同様に、皇籍復活が不要であると当時の政府、国民が判断したとしか言いようがありません。今さら、文句を言って70年前に戻そうとしても、すでに手遅れです。


男系派の議論は、ぽろぽろ、ぼろが出てきて、それを隠すために次の無理筋なことを実行しようとする、そういう状態に陥っていて、日本にとって、ますます害を流すに至っていると思います。そういうことを少しずつ書いていきたいと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ皆様も、良い一休日をお過ごしください。
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コロナとの共生を考える―コロナには日本に合う対応を [新型コロナ]

昨日は、日本では新型コロナの死者数がインフルエンザとほとんど変わりないという話をしました。

また、新型コロナの場合、別の病気、極端な例では自殺で亡くなっても、死後のPCR検査でコロナウィルスが検出されれば、コロナ死とされてしまうとのことです。このため、実際は、インフルエンザより死者数が少ないとさえ言われています。

しかし、日本では新型コロナはインフルエンザ以下であるとか、国によって患者数が大きく異なる、東アジアや日本ではけた違いに患者数が少ないという話を、You tube で放映すると、番組が配信停止、削除されます。

これまで聞いた事例は、漫画家小林よしのり氏の番組、札幌のソーランドラゴンの番組です。「コロナは日本では欧米より死者数が少ない」「コロナの脅威はインフルエンザ以下」という言葉がAIのチェックに引っかかると、削除されてしまうとのことです。

戦後生まれの私はGHQ(進駐軍)の検閲は知りませんが、それと似たようなことが、現代の日本で行われるとは思いもよりませんでした。当たり前だと思っていた「言論の自由」は、当たり前ではなく、先人が勝ち取ってきたものなのですね。

昨日も書いた通り、インフルエンザの死者は今でも年間約1万人、新型コロナの死者は1年半で1万5000人です。厚生労働省の発表している文章です。最流行期とされるこの1年半でも、コロナの死者は、毎年のインフルエンザと大差ありません。感染者数は、インフルエンザの場合、無症状者はもちろんカウントされませんから、新型コロナの感染者の何十倍に上るはずです。


☆☆☆

直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

(「厚生労働省ホームページ」「新型インフルエンザに関するQ&A」)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

☆☆☆

言葉の意味:

超過死亡(ちょうか‐しぼう)
予測される死亡者数と比較した場合の、増加分の死亡者数。感染症の流行時に算出されるものは、その感染症が社会に及ぼす影響の大きさを見る指標の一つとなる。超過死亡数。(コトバンク)

超過死亡 感染症による死亡だけでなく、他疾患を含めたすべての死亡数が平年に比べて増減したか示す指標。インフルエンザの流行が社会に与えた影響を把握するため開発され、世界保健機関(WHO)が評価指標として推奨している。(日本経済新聞2021年3月29日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70364640W1A320C2TCC000/

つまり、インフルエンザが流行したことによって、その年にどれだけ死亡者が増えたかということです。コロナウィルスの現在の統計の取り方と結果的に同じ意味を持つと思います。


○日本と世界の比較

表1は、7月7日東京新聞に掲載された、日本の感染者数(死者数)のコピーです。データの大きさの関係で2分割しましたが、同一の表の左部分です。少し見づらいかも知れませんが、左下に、これまでの感染者数(死者数)の累計の数字があります。累計死者数は、1万4902人です。

表1
img03220210708blog1.JPG


表2は、同じ表の右部分、感染者数(死者数)が多い、海外5か国のこれまでの累計です。

表2
img03220210708blog表1.JPG


日本の死者数は、米国の40分の1、インドの27分の1、ブラジルの35分の1です。もちろんそれぞれの国で亡くなられた方々はお気の毒だと思いますが、日本がこれらの国々と一律に同じ対策を取るのが、有効なのか、経済など総合的に考えて本当に必要なのかを、考え直す必要があるのではないでしょうか。

新型コロナの患者が少ないのは、ステイホームやマスク着用、飲食店営業の制限によって、人流を減らしているからと言われるかも知れません。しかし、それだけでは説明できないファクターXがあると言われています。

ひとつには、日本の歴史を紐解くと、疫病の流行が何回もありました。当時の日本が交流していたのは、朝鮮半島、中国でしたから、遠い昔から、中国からの疫病に何回もかかって、中国から遠い国々に比べて、耐性ができているとも考えられます。


とは言っても、これまでになかった新しい感染症なのだから、医療従事者の対応の負担が大きく、医療崩壊、医療のひっ迫が起きているではないかと思う人もあるでしょう。

しかし、医療のひっ迫は、感染症の第2類指定を、第5類に引き下げれば解決します。

以下に第1類から第5類までの対応の分類票を掲げます。

https://yahoo.jp/NMIbjU

分類表を見て気が付きましたが、「濃厚接触者へ外出自粛要請」を指定されているのは、新型コロナだけです。これを外すだけでも、随分、不自由度が変わるのではないでしょうか。患者を隔離するという発想はここから来ていると思います。この隔離の考え方で、医療者の負担も大きくなっています。その他の対応も「エボラ出血熱」と同じで、とても厳しいものになっています。実態を考えたら、そろそろインフルエンザ並みにしても良いのではないでしょうか。そのために、まず第一に、「ゼロ・コロナ」は達成できない、共生を目指すしかないとの発想の転換が必要だと思います。

現場で医療に携わる医師からも、2類を5類に変えてほしいとの声が多く上がっています。2類であるために、治療に対応できる病院が限られてしまうからです。


☆☆☆

日本の医療法では都道府県知事は病院の医療内容に口を出せません。そのため公的医療機関に新型コロナ患者の受け入れを指示するしか打つ手がなく、一部の公立病院と高い使命感を持った一部の私立病院に負担が集中してしまい医療者が疲弊してしまっているという構図が現状の「医療崩壊」と言われている状況です。

 公的医療機関が中心の欧米と異なり、日本では8割以上を民間病院が占めています。しかし新型コロナ患者を受け入れない民間病院が悪いと短絡的に決めつけてはいけません。指定感染症第2類相当とされている限り、致死率5割超のエボラ出血熱並みの対応を求められるとしたら、金銭的な余力がなく赤字なら倒産せざるおえない民間病院にはあまりにも負担が過大であることに加えて、万一クラスターでも起こしてしまったら意地悪なマスコミの格好の餌食となって風評被害も甚大なものとなり、最悪の場合倒産も避けられないという厳しい現実も存在するのが現状だからです。(中略)

2類相当から5類に引き下げれば医療の逼迫はかなり抑えられて安定すると思われます。しかしゼロを目指して感染を抑えようとはしなくなるため感染者は爆発的に増える事が予想されます。そのときにマスコミや一部の市民団体等から責められ吊るしあげられるのが専門家も政府も怖いのだと思いますし、その気持ちは十分理解できます。

 しかし医療の逼迫を抑えることができれば、別のたくさんの疾患の患者さんを救えるようになります。残念なことにこれは数字に表れず評価されません。しかし中枢部にいらっしゃる誰かが行動していただかないと日本は経済も医療も沈没してしまいます。

「2類指定は果たして正しいのか? (2021-01-18)」
http://www.momotaro-net.com/column/51.html

☆☆☆

この医師は「ゼロを目指して感染を抑えようとはしなくなるため感染者は爆発的に増える」と書いていますが、多少増えるとしても、爆発的に増えるのは、この1年半に無かったのですから、杞憂だと思います。

2類から5類にすれば、医療のひっ迫は避けられる、そのために新型コロナはインフルエンザと同様の対応で乗り切れることを、多くの国民が認識する必要があると思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
どうぞ良い週末をお過ごしください。
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天皇の御歌(70)―第10代・崇神天皇 [崇神天皇]

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前々から気になっていた第10代・崇神天皇の御事績と御歌を学びます。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)

なぜ崇神天皇が気になっていたかと申しますと、初代・神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」というお名前を以て呼ばれているからです。

神武天皇:始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)

崇神天皇:御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)

と、漢字は異なっていますが。

ハツクニシラススメラミコトと呼ばれたのは、新しい時代を切り開かれたからだと思い、崇神天皇の御代にどのようなことがあったのか、興味を覚えました。


☆☆☆

崇神天皇は、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと)と申し上げ、第九代・開化(かいか)天皇の第二皇子。第二代・綏靖(すいぜい)天皇以降、八代・五百六十三年間は、神武天皇の御創業を継がれて、守勢を御事となされたが、この天皇の御代の五年、国内に疫病流行、多くの人々が死に、また治安も乱れるさまとなった。崇神天皇は、それまでの歴朝が皇居内に奉安した三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との御二つを鄭重(ていちょう)に大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられ、さらに御鏡(みかがみ)と御劔(みつるぎ)とを模造せしめて、これを皇居内に安置せられることになった。このほか、この天皇の御代に北陸・東海・西海・丹波の四地方に四道将軍(しどうしょうぐん)が派遣され、特に皇族を用ひられて人心の収攬に当てられ、永く文武の大権が天皇に置かれる基盤を確立された。崇神天皇に対し、「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と後世から御讃へ申し上げるやうになったのも故あることであった。なほ、次の垂仁(すいにん)天皇の御代(B.C.5)に、皇大神宮を伊勢の五十鈴川のほとりに遷された。こゝへの引用は、「日本書記・巻五」に拠った。
(御陵墓は、奈良県天理市にある、山ノ邉道匂岡上陵(やまのべのみちのまがりのをかのへのみささぎ)[前方後円]と申し上げる。)
(p21)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首 -』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

崇神天皇の主な御事績は以下の通りです。

① それまでの歴朝が皇居内に奉安した三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との御二つを鄭重に大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられ、御鏡と御劔とを模造せしめて、これを皇居内に安置せられたこと。
② 北陸・東海・西海・丹波の四地方に四道将軍が派遣され、特に皇族を用ひられて人心の収攬に当てられ、永く文武の大権が天皇に置かれる基盤を確立されたこと。


① は伊勢神宮の起源が、崇神天皇の御代であったことを表わしています。伊勢神宮の起源について、高森明勅氏は著書『この国の生い立ち』で次のように述べておられます。

☆☆☆

神宮の起源は、もとは「この宝鏡を(み)視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」との皇祖の神勅(日本書紀 神代下、第九段・第二ノ一書)のままに、皇居内に奉斎していた神鏡を、皇居の外にお遷ししたのに発すると伝えられます。(崇神天皇紀、皇大神宮儀式帳等)
 天照大神は「皇祖神として、子々孫々に、祭祀の根本(神鏡の奉拝)と統治の根拠(皇位の世襲)と生産の根源(稲作の伝習)とを、明確に示された神様」(所功氏)とされます。その大神の「御霊(みたま)」(古事記)といつき奉る神鏡を、皇居の外にお遷し申し上げたことは、上古史上空前の事件に他なりません。(p112)

(高森明勅著『この国の生い立ち』PHP研究所)

☆☆☆


これを読んで驚きました。天照大神が天孫瓊瓊杵尊(てんそん ににぎのみこと)に下された御神勅では、三種の神器の中の宝鏡(神鏡)を、天皇と、床の同じところ同じ御殿、即ち皇居の中に安置して、斎鏡(いわいのかがみ)とすべしと仰せられたのに、その神鏡を、第十代・崇神天皇が、皇居の外にお遷ししたからです。高森氏の指摘される通り、上古史上空前の事件だったと思います。人々の驚きも大きかったことでしょう。ここに大改革が行われたといっても過言ではないと思います。

このことの意義について、高森氏は次のように述べられています。


☆☆☆

大神の伊勢への奉遷は、天皇が祭祀王的な素朴な王権の境涯を脱却し、より高次の権威と神聖性を体されて国内統治に臨まれる、国政上の新たな歴史段階に達したのに対応します。正しくそれは、統一王権の樹立を証しするもので、むしろその達成を確認する壮挙であったでしょう。その意味では、大和王権は神宮を創始奉ることによって、最終的に成立し得たといえます。(p116)
(高森明勅著『この国の生い立ち』PHP研究所)

☆☆☆


こうして、第10代・崇神天皇の御代に、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)との二つを大和の笠縫(かさぬひ)にお遷しになられ、御霊代(みたましろ)として天照皇大神を奉祀せられたこと、第11代・垂仁天皇の御代に、天照大神を奉祀せられた皇大神宮を伊勢の五十鈴川のほとりに遷されたことは、大和の国の発展の大きな基盤を築く転機となりました。

内容がとても深いので、何回かに分けて学んで参りたいと思います。

日本人の心の拠り所とされる伊勢神宮の起源と、日本の歴史の発展との関係はたいへん興味深いものがあります。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって清々しい一日でありますようお祈り申し上げます。

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コロナとの共生を考える―ゼロ・コロナよりウィズ・コロナ [新型コロナ]

DSC_166320210708blog.JPG僕は子供と若者には、インフルエンザよりもやさしいんだよと、主張するコロナ君です。→

前回は、新型コロナのワクチンについて、問題とされている点を書かせていただきました。

昨日、7月7日、天皇陛下が第1回のワクチン接種をされたことを宮内庁が発表しました。国民と共に歩まれる天皇陛下らしいご決断と拝させていただきました(私としては不安ではありますが)。天皇陛下以外の皇族は上皇陛下御夫妻はじめ、65歳以上の方々が接種されたとのことですが、その方々以外の皇族の接種については非公表とのことです。リスク管理がなされていることを祈らせていただきます。

一昨日の東京新聞1面トップに、ワクチンに関する日本医師会常任理事・宮川正明氏の話が掲載されていました。ワクチン接種を薦める記事ですが、同時に副見出しに「納得できない人、打たない権利も」とあります。「打たない権利」が尊重されるのも大切だと思います。外からの圧力で、納得いかずに接種することだけは避けてほしいと思います。自分の身体は自分が一番よく知っているはずですから。

昨日の、NHK「朝イチ」では、コロナワクチンに関する疑問、副反応などを「取り上げていました。副反応への備え方などの、疑問に丁寧に答える良い番組だったと思います。発熱、下痢など色々な症状が出ることがあり、前もって準備していた良かったという人の体験も報道されていました。ワクチンは安全との報道一辺倒でなく、マイナス面も隠さずに報道して、各人の判断材料を提供していただきたいと思います。

今日の朝刊に『女性セブン』最新号には「日本製ワクチン シオノギ製薬 承認まで待つべき! これだけの理由」という記事の広告が載っていました。シオノギ製薬のワクチンは、従来と同じ手法で作られているうえ、日本人の体質が良く分かって開発されたワクチンですから、より安全だと思われます。

それぞれの判断でと書きましたが、今日の「日刊ゲンダイDigital」には「厚労省が新型コロナワクチン接種後556件の死亡事例を報告」との記事が発表されています。


☆☆☆

“厚生労働省は7日、この日開かれた専門家の新型コロナワクチンの副反応を検討する合同部会で新型コロナワクチン接種後に死亡した事例556件を報告した。

 その内訳は2日までに米ファイザー社製接種後に死亡した事例554件、米モデルナ社製2件の計556件。2月17日から接種がスタートしたファイザー社製は6月27日までに453件、28日から7月2日までに101件の報告があった。5月22日から接種が始まった米モデルナ社製は前回部会で報告された1例に加え、55歳男性の死亡事例が報告された。”

“また、今回の死亡事例では初めて「ワクチンと症状名との因果関係が否定できない」(因果関係評価αβγのうちα)が報告された。問題となったのは80歳の女性で、5月20日に2回目接種をファイザー社製ワクチンで行い、7日後に亡くなった。報告医は死因を「血小板減少症」「くも膜下出血」として、ワクチンとの因果関係は「関連あり」とした。”

(「厚労省が新型コロナワクチン接種後556件の死亡事例を報告」7/8(木) 9:06配信「日刊ゲンダイDigital」)
https://news.yahoo.co.jp/articles/95ef783c55bca14dd387dbb986560da29106cabb

☆☆☆

○ファイザー社製、2月17日の初接種から、556件

○モデルナ社製、5月22日の初接種から、2件

○今回の死亡事例で初めて「ワクチンと症状名との因果関係が否定できない」と報告された。

これまで、ワクチンと症状名の因果関係は確認できないとの報告が続いていましたが、初めて「因果関係が否定できない」と報告されました。


標題にゼロ・コロナ(コロナの撲滅)でなく、ウィズ・コロナ(コロナとの共生)と書きました。これまでのインフルエンザ、風邪などのウィルスも、撲滅できませんでした。唯一撲滅できたのは天然痘だけだそうです。コロナも撲滅はできないので、共生しかないと思います。

インフルエンザの死者は今まで年間約1万人、新型コロナの死者は1年半で1万5000人です。最盛期と思われるこの1年半でも、死者は、毎年のインフルエンザとあまり変わりません。

歴史を振り返れば、1918年~1920年にかけて世界的に流行したスペイン風邪の、日本本土の死者は45万人でした。
http://aoi-kids.jp/kodawari/benkyokai/20201021.html


1931年にも、世界的なインフルエンザの流行があり、その時の日本の死者は、合計1万5673人だったそうです。これは今回の新型コロナとほぼ同数です。
http://www.bosaijoho.jp/reading/years/item_5934.html

スペイン風邪でも、インフルエンザでも、日常生活が停止されることはありませんでした。そして、スペイン風邪にも、その後のインフルエンザ流行にも揺らぐことなく、日本の人口は増え続け、経済も栄えました。(近年の少子化は疾病流行とは別の理由からです)

スペイン風邪では幼い子供が大勢亡くなったようですが、コロナでは、子供の死者は0名、若者の死亡も3名だそうです。子供、若者には、インフルエンザよりもやさしいウィルスという見方もできます。

これからの季節はむしろマスク着用を原因とする子供の熱中症の方が気になります。少なくとも屋外では、必ずマスクを外した方がよいと思います。

ここまで書いていて、ふと『古事記』神話の一節を思い出しました。


☆☆☆

“最後(いやはて)にその妹(いも)伊邪那美命(いざなみのみこと)、身自(みづか)ら追ひ來たりき。ここに千引(ちびき)の石(いは))をその黄泉平坂(よもつひらさか)に引き塞(す)へて、その石(いは)を中に置きて、各對(おのおのむか)ひ立ちて、事戸(ことど)を度(わたす)す時、伊邪那美命言ひしく、「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)、かく為(せ)ば、汝(いまし)の國の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちがしら)絞(くび)り殺(ころ)さむ。」といひき。ここに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまひしく、「愛うつくし」しき我(あ)が汝妹(なにも)の命、汝(いまし)然為(しかせ)ば、吾(われ)一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(ううぶや)立てむ」とのりたまいき。ここをもちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるなり。”(pp27~28)

(倉野憲司校注 『古事記』岩波文庫)

☆☆☆

言葉の意味:

千引きの石:千人で引かなければ動かせないような重い岩石。

黄泉平坂:『古事記』で、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、

事戸を度す:離別を言い渡す

産屋立てむ:子を産む

[感想]

『古事記』の中で、人の生と死の起源を語る有名な場面です。

離縁の話なのに、「愛(うつく)しき我(あ)が汝夫(なせ)の命(みこと)」、「愛うつくし」しき我(あ)が汝妹(なにも)の命」と呼び交わす伊邪那美命、伊邪那岐命の思いが切ない気がします。

こうして、一日に、千人が黄泉の国に引き入れられ、千五百人が新たに誕生することになったという話です。人間の生命の力強さが感じられます。困難を乗り越えたとき、必ず新しい希望に満ちた明日が来ると信じて、前向きに、明るく、毎日を過ごしたいと思います。

とりとめのない話になりましたが、一日も早く日常が回復できるように、特に次世代を担う子供たちが伸び伸びと暮らせるように、祈らせていただきます。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって幸多い日でありますよう、お祈り申し上げます。
タグ:神話
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新型コロナとコロナの予防注射 [新型コロナ]

20210706blogDSC_1664.JPG僕をそんなに怖がらないでと言って泣くコロナ君です。→

長い間、お休みしてしまいました。個人的に多忙だったのもありますが、同時にコロナの予防注射について、次々に驚きのニュースを聞いたので、立ち止まって考えていました。

コロナについて、私はこれまで小林よしのり著『コロナ論』1,2巻を読んで、新型コロナは、日本においては、欧米より圧倒的に患者数が少ないので、インフルエンザ並みの対応をすればよいと考えて来ました。しかし、身近に新型コロナに感染した人も無く、直接困ることがなかったので、比較的のんきに構えて、特に何か意見を述べることはありませんでした。

しかし、コロナの予防注射(ワクチン)については、身近に接種する人もありますし、また当ブログを読んでくださる方も、接種予定があると思うので、取り上げることにしました。

政府はコロナワクチンの接種を推奨していますが、一度、立ち止まって考えた方がよいと思います。危険性を警告する人々があるからです。多くの情報の中には誇張やデマも混じっているかも知れませんが、真面目な医師が真剣に警告している情報が数多くあるのは、間違いありません。科学的にも納得の行く説明がされています。

以下は、NetIB-Newsが紹介した国際政治経済学者の浜田和幸氏のメルマガ「浜田和幸の世界最新トレンドとビジネスチャンス」2021年06月18日の記事です。


☆☆☆

“いずれにせよ、日本でもファイザー社のワクチン接種が進んでいるが、その危険性については十分な理解が得られていないようである。ファイザー社自身が、そうした警告を発しているのだが、日本ではまったく報じられていない。

 たとえば、ファイザー社は5月19日、39ページにおよぶ「ファクトシート」と銘打った報告書を発表した。これはアメリカの食品医薬品局(FDA)の緊急承認ガイドラインに沿ってまとめたもの。それによれば、12歳から15歳の子どもたち1,097人に接種したところ、866人に副反応が確認されたとのこと。

 何と、8割もの高い比率で異常が発生しているのである。幸い、そのうちの半分は軽い症状だったというが、残りの半分は深刻だったことが報告されている。問題は、深刻な副反応に見舞われた子どもたちの大半は「生涯にわたって障害を引きずる可能性がある」との指摘であろう。「メッセンジャーRNA」と呼ばれる、これまで人に注射したことのないワクチンのため、「長期的な副反応については不明な点が多い」ことを製造会社が認めているわけである。

 ワクチン接種の必要性のみが大きく宣伝されているが、製薬メーカーがリスクについて報告しているにも係わらず、日本政府はそうした情報を提供しようとしていないのは、理解に苦しむ。実は、ファイザー社の元副社長も内部告発のかたちで、自社のワクチンが動物実験に際して、死亡したり副作用に見舞われたことを明らかにしている。

 そんな折、フランスから衝撃的なニュースが届いた。ノーベル生理学・医学賞の受賞で知られるウイルス学の権威、リュック・モンタニエ博士による警告である。曰く、「新型コロナウィルス用のワクチンを接種した人は長く生きれない。2年前後で死亡する可能性が高い。残念ながら、すでに接種した人には治療方法がなさそうだ。遺体を埋葬する準備をするのが精一杯できることだ」。

 ネット上に流布する陰謀論者の発言ではない。モンタニエ博士といえば、パスツール研究所に籍を置き、HIV発見の功績で2008年にノーベル生理学・医学賞を授与されている。”

(「コロナ用ワクチンは安全か?世界で広がる疑念や疑問の声」2021年06月18日 16:30)
https://www.data-max.co.jp/article/42298

☆☆☆


○日本でワクチン接種が進むファイザー社自身の報告書によれば、12歳から15歳の子どもたち1,097人に接種したところ、約8割の866人に副反応が確認されたとのこと。副反応が確認された866人の半分は軽症だが残り半分(筆者注:ということは約433人)の症状は深刻で、生涯にわたって障がいを引きずる可能性があるとのこと。

○HIVウィルス発見の功績でノーベル生理学・医学賞を授与されたモンタニエ博士は、「新型コロナウィルス用のワクチンを接種した人は長く生きれない。2年前後で死亡する可能性が高い。」と述べる。 mRNAワクチンにはウィルスの変異種を拡大する成分が含まれていて、ワクチン接種者が未接種の人々への感染を拡大する恐れを指摘、さらに抗体低下で、免疫力が破壊され、通常の風邪、インフルエンザでも死亡することになるという。

○欧米のエネルギー関連多国籍企業では「ワクチンを接種した従業員が数年以内に働けなくなる」ことを見越して、ロボット化を含めて従業員の補填作業に取り組み始めたというが、日本では報道されていないという話も。

モンタニエ博士の発言、「2年前後で死亡する可能性が高い」は、にわかに信じがたいですが、ファイザー社製もモデルナ社製もワクチンの治験が終わるのは2023年と発表しています。治験が終わっていないワクチンですから、予想のつかない問題が起きる可能性があるというリスクは承知しておいた方がよいと思います。

井上正康氏(大阪市立大学名誉教授・現代適塾 塾長)の講演は、新型コロナウィルスの全体像や、日本に於ける感染者数がけた違いに少ないことを知るのに、とても分かりやすい講演です。ワクチンについての説明は、最後の40分から5分程度ですから、ワクチンのみに興味のある方は、最後の5分だけでもぜひご視聴ください。

(「コロナ人災とワクチン問題、日本コロナと共生の意味論」)
https://www.youtube.com/watch?v=VNxwdIR920E

政府はワクチンが安全であるとして、接種を推進していますが、ネットを検索しますと、医者の警告、副反応が出た体験が、おどろくほど多くあります。

わが家は元々接種しないことにしていましたが、これから接種される方は、色々と情報を調べてから、判断される方が良いと思います。接種は延期するのが、賢明だと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
お健やかな毎日であることをお祈り申し上げます。

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