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天皇の御歌(71)―第10代・崇神天皇(2) [崇神天皇]

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第10代・崇神天皇の御事績と御歌を学びます。第2回目です。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)

前回では、神武天皇以来、「この宝鏡を(み)視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床を同じくし殿を共にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」との天照大神の御言葉のままに、皇居内に奉斎していた八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とを、皇居の外、大和の笠縫(かさぬひ)にお遷ししたという話をしました。皇居内には、神鏡と御劔の模造が安置されています。

この大きな変革がなされた、ことの始まりは、疫病でした。崇神天皇の御代の五年、国内に疫病流行、多くの人々が死に、また治安も乱れるさまとなりました。

日本書紀(巻第五)には、以下のように書かれています。文中の五年、六年は、崇神天皇の治世の五年、六年という意味です。


☆☆☆

“五年に、國内(くにのうち)に疾疫(えのやまひ)多くして、民(おほみたから)死亡(まか)れる者ありて、且大半(なかばにす)ぎなむとす。
六年に、百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。或いは背叛(そむ)くもの有り。その勢ひ、徳(みうつくしび)を以(も)て治めむこと難(かた)し。是(ここ)を以(も)て、晨(つと)に興(お)き夕(ゆふべ)までに愓(おそ)りて、神祇(あまつかみくにつかみ)に請罪(のみまつ)る”(p238)

(『日本書紀上 日本古典文学大系57』岩波書店))

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言葉の意味:

晨(つと):夜明け、早朝

[感想]

疫病の流行は、現代のコロナ禍をほうふつとさせますが、「且大半(なかばにす)ぎなむ」とあるとおり、民の半分以上が亡くなったとすれば、コロナどころではありません。
人心が不安定になり、家を失って流浪する民の中には、罪を犯すものもある、それは今も変わりない気がします。家や職を失って、ネットカフェの立てこもり事件が起きる、自殺者が増える、皇室のスキャンダルが話題になるなど、日ごろ見られない動揺が、社会全体に表われている気がします。

この時代にも、不安に勢いがついて、平常の穏やかな徳(みうつくしび)の政り事(まつりごと、政治)だけではおさまりがつかない、そんな様子が描かれています。そこで宮中では、早朝から、夕方まで、天津神地祇(あまつかみくにつかみ)をお祀りして、世の平らかならんことを願われました。

現代において、天皇陛下が、各行事などで発せられるお言葉で、いつもコロナの終息を願われるのも、同じで御心だと思います。

天皇陛下は、先月6月25日に、オンラインで開催された第5回国連水と災害に関する特別会合で基調講演をなさいましたが、そこでも講演の冒頭で次のように、新型コロナウィルス感染症において、献身的に尽力する医療従事者への敬意と感謝を表され、世界的各地の大規模な自然災害の犠牲になられた方々に哀悼の意を表わされ、被災者にお見舞いを述べられました。


☆☆☆

“今,世界は新型コロナウイルス感染症によるさまざまな試練と困難に直面しています。多くの命を救うために,日夜献身的に力を尽くされている医療従事者の方々に深い敬意と感謝の意を表します。また,この未曽有の疫病下にあっても,大規模な自然災害は世界各地で発生しています。日本でも,昨年,西日本を中心とした豪雨災害により大きな被害が発生しました。新型コロナウイルス感染症や災害の犠牲となられた多くの方々に心から哀悼の意を表し,被害を受けた方々に心からお見舞いを申し上げます。”

(「第5回国連水と災害に関する特別会合における天皇陛下基調講演」)
https://www.kunaicho.go.jp/page/koen/show/5

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天皇陛下も宮中において、2千年前の崇神天皇と同じように、日夜、世の平らかならんことを切に願い、祈っていらっしゃることと拝察申し上げます。


天照大御神を宮中から外にお遷ししたことについて、山口悌治氏は著書『万葉の世界と精神 前篇』の中で次のように述べています。天つ神と同時に、地祇(くにつかみ)を祀ることも励行されたことが、述べられているのが、眼を開かされる思いです。

☆☆☆

“この崇神天皇の治世には、きはめて重大なことが二つある。
その一つは、従来同床共殿の神勅のまにまに、宮中に奉斎せられてきた天照大御神を、倭の笠縫(さらに伊勢への鎮座は次の垂仁天皇の御代のことで、以後今日に及んでゐる)に遷しまゐらせ、皇女豊鋤入姫命をして斎き祭らせ給うたことである。(中略)
もう一つの神勅、「宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、当(まさ)に天壌(あめつち)とともに窮(きはま)りなかるべし」のとほりに、大和朝廷の統治の範囲がいよいよ拡大されると共に、治世下には、表向きは臣従してゐるものの、中には荒ぶる氏族や豪族や土豪達もゐて勝手に振舞ふあり、また反抗をしめすものもあり、またそれぞれに自己の氏神や産土神や地祇を奉じてゐるのであるから、天照大御神を宮中に昔ながらに奉斎してゐることは、天照大御神を皇室だけの氏神の如くに受けとらしめることであり、これこそ全く畏れ多きこととして、宮中から笠縫に遷し祀られ、天照大御神こそ、ありとしあらゆるものをあらしめ給ふ根元の神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の顕現にましまし、一切の天つ神地祇(くにつかみ)の総攬神としての神格を明かにしようとせられたのである、と私は考へる。したがってこれは神人の分離などといふべき事柄ではなく、皇祖神(こうそしん)であるといふことは、同時に神々の総攬神であることの不変的神格の徹底を期せられたものと解するのである。
第二のことは、この第一のことと呼応して、広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないかと思ふのである。”(pp51~52)
(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』)日本教文社)

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「広く天つ神地祇の社(やしろ)を定め、その神領(かむところ)や奉仕する神戸(かんべ)を定められて、地祇(くにつかみ)(各地の産土神及び各氏族の氏神等)をも天つ神と同様に八百万(やほよろず)の群神(かみたち)をあつく祀らせ給ふたといふことである。」

天照大御神をお遷ししただけでなく、地祇(各地の産土神、各氏族の氏神等)もあつく祀らせたことに、心打たれます。

西欧諸国でイスラム教を信じる地域を占領した時に、イスラム教寺院の地上部分を破壊してその上に建てられた教会があるとテレビで見たことがあります。

日本であれば、イスラム教寺院を残して、その横にキリスト教の教会を建てて、イスラム・キリスト習合の寺院を建てるようになったかも知れません。天つ神と地祇(くにつかみ)を祭る人々が、単純な支配・被支配の関係ではなかったことが伺われます。

「天皇はこのほか、社会事業的な面でも、海辺の民の便をはかって諸国(くにぐに)に令して船を造らせたり、また「民の農(なりはひ)を豊かにせよ」とて灌漑用の池を各地につくらせられたのであるが、地祇(くにつかみ)をも天つ神と等しくあつく祀られたということは、各氏の部民や庶民にいたるまで、甚大な感動を与へたのではないかと思はれる。この感動が、逆に地祇(くにつかみ)の総攬神として天照大御神への全国的な讃仰として返ってくることとなり、皇祖神への信仰を深く一般化すると共に、庶民と天皇とを直接結び付ける強い紐帯(ちゅうたい)となつたのではないか」

という海辺の民のために船を造らせたり、農業に従事する民を豊かにせよと灌漑用の池を各地につくらせたことにも、深い感動を覚えます。具体的な経済を豊かにする施策を実行されるご治世に、国民と共に歩む皇室の姿を思わせられます。


現代のように医療万能でない崇神天皇の御代は、疫病のまん延には、神に祈ることを第一にすえて、対応するしかなかったとも言えます(祈るだけでなく具体的な政策も施されました)。

災害にあったとき、そこから立ち直れる、立ち直りを支える力が何であるかを考えさせられます。「病は気」からの言葉の通り、人間の気持ちの安定が免疫力を高めること、人と人、人とペットとの愛情が幸福感を増すホルモンを出させて、健康に寄与することなどは、現代の医学も認めるところです。

神仏に祈ることで気持ちが落ち着き、病気が快方に向かうとか、たとえ肉親を失っても立ち直る力を与えられるとなれば、神仏に手を合わせるという、古代の人々の知恵に学ぶのも必要かもしれません。

歴史をかえりみれば、古代のみならず、後の時代においても、疫病が収まった後に、大きな社会改革が生まれ、新たな時代が展開することも、しばしばみられることです。

歴史の一コマを生きる者として、「災い転じて福となる」と信じて、希望を持って、毎日を過ごしたいと思います。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様が、心に希望を抱いて進める一日でありますようにと、お祈り申し上げます。
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