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天皇の御歌(72)―第10代・崇神天皇(3) [崇神天皇]

DSC_173620210809blog.JPG第10代・崇神天皇の御歌を学ばせていただきます。第3回目です。

御在世:B.C.148―B.C.30(崩御・118歳)
御在位:B.C.97―B.C.30(51歳~118歳)


伊勢神宮が最初にお祀りされた笠縫邑(かさぬひむら)は、現在の奈良県桜井市と考えられ、檜原神社(ひばらじんじゃ)や多神社(おおじんじゃ)などが比定地(ひていち)として挙げられるとのことです。

天照大神が伊勢に留まられるのは、次の代、第11代・垂仁天皇の御代になりますが、何と14か所も点々となさった末に、五十鈴川の川上の今のお宮に鎮まられました。

(以上伊勢神宮の歴史について、伊勢神宮のホームページの「御鎮座の歴史」を参考にしました。「神宮トップ」https://www.isejingu.or.jp/ →「神宮について」→「神宮の歴史・文化」→「御鎮座の歴史」にこの説明があります。)


こうして、皇居内に奉斎していた八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とを、宮中から笠縫邑(かさぬひむら)にお遷しになられ、天照大御神を祭祀されましたが、宮中には、このとき倭大國魂(やまとのおほくにたま、日本大國魂神とも)の神も、お祀りされていました。この日本大國魂神を、哼名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に祭祀させようとなさいましたが、哼名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)は、病気になってしまい、祭ることができませんでした。(以上『日本書紀』より)

疫病がなかなか収まらないので天皇は愁い歎かれて、神床(かむどこ 神に神意を求めようとして忌み浄めた床)にいらしたとき、大物主(おおものぬし)の神が夢に顕(あらは)れてこう言われました。

「こは我が御心ぞ。故(かれ)意富多多泥古(おほたたねこ)をもちて、我が御前(みまえ)を祭らしめたまはば、神の気(け)起こらず、國安らかに平らぎなむ。」

すなわち「これは私(大物主神)の心によるものですから、私を、意富多多泥古(おほたたねこ)によって祀らせるなら、神のたたりが起こらなくなり、國がやすらかになるでしょう」と仰せられました。(以上『古事記』より)

日本書記では、お告げのあった意富多多泥古(おほたたねこ)は、太田田根子と表記されています。そして、大物主神を太田田根子を祭主とし、倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)は市磯長尾市(いちしながをち)を祭主とせよとされています。(以下「日本書紀」より)

天皇は夢のお告げをお歓びになり、太田田根子を探し求めたところ、茅淳縣(ちぬのあがた)の陶邑(すえのむら)で見つけられました。

陶邑:現在の大阪府堺市東南部、陶器山からその四方にかけての地。

天皇は神淺茅原(かむあさじはら)にお出ましになり、太田田根子に「汝(いまし)は誰の子か」とお尋ねになられ、太田田根子は「父(かぞ)は大物主神、母(いろも)は活玉依姫(いくたまよりひめ)」とこたえました。

そこで天皇は、太田田根子を大物主大神の祭主とされ、市磯長尾市(いちしながをち)を倭大國魂神(やまとおおくにたまのかみ)の祭主とされました。後に、他の神も祀ろうと思い、占ったところ、吉とされたので、八十萬(やそよろず)の群神(もろかみ)を祀られました。このように天社・國社(あまつやしろ・くにつやしろ)と、神地(かむどころ)・神戸(かむべ)を定められました。

「日本書紀」の注には、

神地:神の料田か
神戸:神社に当てられた民戸か

とされています。

「是(ここ)に疫病(えのやまひ)始めて息(や)みて、國内漸(くにのうち やうやく)に謐(しずま)りぬ。五穀(いつのたなつもの)既に成(みの)りて、百姓(おほみたから)饒(にぎはひ)ぬ」(「日本書紀 卷第五」)


こうして、天社・國社の祭祀が整えられ、疫病もはじめて終息して、五穀が実るようになり、百姓も豊かさににぎわうことになりました。

以下の御製は、疫病の終息を諸臣と共に祝い、安堵と喜びを詠っていらっしゃいます。


☆☆☆

冬十二月の丙申(ひのえさる)の朔乙卯(ついたちきのとうのひ)(二十日)に、天皇(すめらみこと)、大田田根子(おおたたねこ)を以て、大神(おおみわのかみ 三輪明神・大神神社)を祭(いはひまつ)らしむ。是の日に、是の日に、活日(いくひ)(ささ)げて、天皇に獻(たてまつ)る。仍(よ)りて歌(うたよみ)して曰はく、「此の神酒(みき)は我が神酒ならず倭成(やまとな)す大物主の醸(か)みし神酒幾久幾久(いくひさいくひさ)」加此(かく)歌(うたよみ)して、神宮(かみのみや)に宴(とよのあかり)す。即ち宴(とよのあかり)竟(おわ)りて、諸太夫等(まへつきみたち)歌(うたよみ)して曰はく「味酒三輪(うまさけみわ)の殿(との)の朝戸(あさと)に出(い)でて行かな三輪の朝戸を」(*朝戸にも出でてゆかな=一晩中酒盛りをして、朝になってから帰って行きたい)

茲(ここ)に、天皇(すめらみこと)歌(うたよみ)して曰(のたま)はく、

味酒(うまさけ) 三輪の殿の 朝戸にも 押し開かね* 三輪の殿戸(とのと)を

やがて神宮(かみのみや)の門(みかど)を開きて幸行(みゆき)しき。
(*押し開かね=押し開いて行きなさい)

[「日本書紀 卷第五」からの引用]

(pp21~22)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首 -』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


大物主神は、医薬、酒造、方除等、人間生活全般の守護神です。大物主神を御祭神とする大神神社のホームページに、酒造りの神様とあります。

「杜氏(とうじ)の高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)がご祭神(さいじん)の神助(しんじょ)で美酒を醸(かも)したことから、医薬の神様や酒造りの神様として広く信仰をあつめておられます。」
http://oomiwa.or.jp/jinja/gosaijin/#linktop


大物主神を無事にお祀りすることができて、疫病も収まり、人々の喜びはたとえようもないほどだったことでしょう。是の日に、活日(いくひ)が自ら醸した神酒を挙(ささ)げて、天皇に奉りました。

崇神天皇が詠まれた御歌は、皆で神酒を飲んで楽しく歌を詠み、諸太夫等が詠んだ、一晩中酒盛りをして朝になって新しい明日に向かって、社殿の戸を開いて帰って行こうという歌の返歌です。

美味しいお神酒を飲んで、朝の三輪の社殿の戸を開こう、三輪の社殿の戸を

と、喜び一杯の御製です。

とても大らかな喜びに満ちていると思います。戸を開くというお言葉に、朝日が射しこむ希望に満ちた明るさが感じられます。

このようにコロナ禍も速やかに終息して、人々が喜びと希望に満ちた明日に向かって、豊かな日常生活に戻り、生き生きと前進できる日が一日も早く訪れますよう、心から願っております。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

タグ:大神神社
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