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皇統継承は天皇の意向を知ることが第一 ― 承詔必謹 [皇室典範改正]

DSC_0970シク赤20201215blog.JPG昨日ご紹介した『皇室典範改正への緊急提言』という本から、今日も学ばせていただきます。

著者の中島英迪氏は「日本は女系天皇を公認すべし」という立場、大前繁雄氏は女性宮家創設と旧宮家復帰を同時に(提案)という立場です。


私のブログでは、引用は必要最低限にして、できるだけ自分の言葉で語るつもりでいますが、今回はあまりにも分かりやすい名文なので引用が多くなりましたことをお断りいたします。


☆☆☆

“日本国の時間・空間を貫く超越者であり「大黒柱」である天皇の後継者をどうするかという大問題に、本来「臣」であり、「子」である国民が嘴を入れ、「絶対にこうすべきだ、ああすべきだ」などと断言するのは僭越であると思われます。しかも男系主義者のように、これを一大国民運動として大々的に宣伝し、時の権力者をも牛耳ろうとするのは、まさに越権行為と言わねばなりません。
 皇室のことは皇室の意向が優先されねばならず、まず天皇の意向がどうなのかを知ることが第一ではないでしょうか?”(p120)

“もっとも、上皇は即位以来、日本国憲法を尊重して国政に関わることには発言を控えてきました。皇位継承問題に関しても、上皇は国民に任せるとの態度で終止しましたし、今上天皇も令和二年二月二十三日の天皇誕生日の会見で、この事を問われて、「制度に関する事項については、私から言及することは控えたいと思います。」と答えています。

しかしながら、国論が二つに分かれて収拾がとれなくなり、安倍政権すらも議論を先送りせざるを得ない膠着状態に陥った以上は、打開の道は天皇の聖断の他にありません。ちょうど大東亜戦争の末期、御前会議で戦争継続と終戦とに閣僚の意見が分断された折、昭和天皇の裁断で終戦が決定されたのと状況は似ています。ただ、御前会議での決定は誰が見ても「国政」ですが。今回の問題は「国政」というより「国体」なのですから発言し易く、いづれに決まろうと「国政」にはほとんど影響はありません。

上皇が「皇室典範」に縛られることなく、摂政も置かず公務も軽減せず、「生前退位」を達成し、国民の祝福を受けながら譲位を成就したように、今上天皇も自分の意思を示した上で、国民の理解を願うという形を取るのが最善と思われます。”

“では、とるべき国民の態度とは如何なるものでしょうか? それは、もし天皇から「お前の意見を申してみよ」との下問があれば、「恐れながら私は……と愚考致しております」との謙虚な姿勢であるべきでしょう。無論、この小論もその思いで書いています。

そして、ひと度、聖断によって国民が理解して決着した以上は、私情を抑えてこれに服するのが「臣」としてのあり方でしょう。飛鳥時代の「十七条憲法」の中に「承詔必謹」、詔を受け給わりては必ず謹め、がありますが、天皇の決定には内心不満でもこれに従うのが忠臣のあり方で、「建武中興」時代の楠木正成がそうでしたし、先の大戦では阿南惟幾大将は聖断に服した後、すぐ自決しました。今回の問題は大時代の過去とは異なりますので、どうしても不服なら以後は沈黙を続けるか国外に出るか、の選択が妥当な所ではないでしょうか?

序ながら、男系派論客の中には、女系天皇が実現すれば不満な分子がこれに抵抗し、国が二分される、と脅しをかける者がいますが、彼らが黙りさえすれば国は二分などしないのです。既に自分たちが「男系絶対!」と怒鳴り散らして国論を二分している事には気付いていないようです。どういう訳か、男系派の論客の中には、この天皇の聖断に反対の者が多いようですが、多分「女系天皇」の容認を表明されたら一大事と思っているに違いありません。実際これまでに「もし天皇が女系を容認しても百二十五代の中の一人が間違ったことを述べたのだから自分は無視する」と断言した男系派同調者がいました。彼は一大事と思わず、天皇よりも自分の方が偉いと思っているに違いなく、尊皇心のかけらもありません。また、かつて皇族の一人、三笠宮家の寛仁親王が私的な「ひとりごと」のエッセイで男系継承に賛成したのを、男系派の指導者たちが国民の眼の前に引っ張り出して散々利用しながら、天皇の意向表明に反対するとすれば、全く支離滅裂、矛盾そのもので、卑怯のそしりは免れないでしょう。

天照大神を信仰し、その「天壌無窮」の「神勅」を至上のものと仰いで、神武建国時の「六合兼都」「八紘為宇」の「詔勅」を至高のものと崇める真正の日本人なら、己を空しくして、天照大神と一体になって日本と世界の繁栄、平和を祈る「現人神」=天皇の「聖断」に喜んで従うでしょう。”
(pp121~124)

(大前繁雄著、中島英迪著『皇室典範改正への緊急提言』新風書房)

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“日本国の時間・空間を貫く超越者であり「大黒柱」である天皇の後継者をどうするかという大問題に、本来「臣」であり、「子」である国民が嘴を入れ、「絶対にこうすべきだ、ああすべきだ」などと断言するのは僭越であると思われます。しかも男系主義者のように、これを一大国民運動として大々的に宣伝し、時の権力者をも牛耳ろうとするのは、まさに越権行為と言わねばなりません。

皇室のことは皇室の意向が優先されねばならず、まず天皇の意向がどうなのかを知ることが第一ではないでしょうか?”

特に最後の2行に、全く同感です。

天皇の大御心のままに、天皇のお心が休まりますようにと、「臣」として「子」として、それ以外、何も望みません。私ごときが「臣」を名乗るのは僭越かもしれませんが、天皇にお仕えするという意味では「臣」のような気持ちです。

“とるべき国民の態度とは如何なるものでしょうか? それは、もし天皇から「お前の意見を申してみよ」との下問があれば、「恐れながら私は……と愚考致しております」との謙虚な姿勢であるべきでしょう。無論、この小論もその思いで書いています。”

筆者の中島氏の思いに、深く共感いたします。これまで自分に謙虚さが足りなかったことについて、反省しております。

“上皇が「皇室典範」に縛られることなく、摂政も置かず公務も軽減せず、「生前退位」を達成し、国民の祝福を受けながら譲位を成就したように、今上天皇も自分の意思を示した上で、国民の理解を願うという形を取るのが最善と思われます。”

皇統継承について、天皇の聖断がいただければ、どれほど安心できることでしょう。もちろん、聖断があれば、私心を捨てて、すべて、一切合切、天皇のご決定に従います。

一方、これまで国民として天皇にお仕えする気持ちが不足して、国父であられる天皇と、皇室に、甘えてばかり、与えていただくばかりでした。ですから、恩返しの気持ちで、天皇のことを学ばせていただき、日本の素晴らしさを再認識する機会が与えられたことに、感謝しております。

男系派が、「天皇の聖断」に反対ということについては、以前、田中卓氏が、ご著書で次のように述べておられることと一致します。

☆☆☆

“ふつうに私どもが「大御心」と申せば、叡慮、すなわち現「天皇陛下の御心」を申し上げるが、男系派の「大御心」というのは、現在の天皇の「御心」とは異なり、二千年の日本歴史を通じて拝される歴代天皇の「御心」を総称しているらしいのである。すなわち「御心」とは現在の天皇の心であり、「大御心」とは、歴代天皇の心、だそうである。

 私は初めて聞く奇妙な解釈だが、これは、男系男子派の拠点となっている日本会議の事務局を代表し、かつ私の積年の知己からの率直な回答なのであって、決して私見の勝手な判断ではない。”

“今上陛下の叡慮に背いてまで、男系派は、女帝の出現も、女性宮家創設案も、それを誤った「御心」であって、伝統的な「大御心」ではないと、自己流に判断して否定した。しかも彼等は、その後の皇統永続の為の匡救案を一向に提出していないのだ。無責任ではないか。”

(pp243~244)

(田中卓著『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』幻冬舎新書)

☆☆☆

(言葉の意味)
匡救:悪を正し、危険などから救うこと。

「歴代天皇の大御心に従うが、今上天皇の御心には従わない」とは、実に奇妙な考え方です。今上陛下よりも自分たちの方が「歴代天皇の大御心が分かっている」という考えは、傲岸な思い上がりです。たかだか数十年、歴代天皇のことを学んだだけの国民の浅知恵が、125代の歴史を継承された、今上天皇の叡慮を上回ることなど、あり得ません。今上陛下を信頼してお任せするのが、臣下の当然の心構えです。

“男系派論客の中には、女系天皇が実現すれば不満な分子がこれに抵抗し、国が二分される、と脅しをかける者がいますが、彼らが黙りさえすれば国は二分などしないのです。既に自分たちが「男系絶対!」と怒鳴り散らして国論を二分している事には気付いていないようです。”


双方に、天皇陛下の大御心に従うという「承詔必謹」の姿勢があれば、国が二分するはずがありません。

国を「二分しない」という決意のもとに、双方に、礼儀と謙虚さを備えた静かな議論が望まれます。

今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様にとって、安らかな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

タグ:女系天皇
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