SSブログ

道鏡は国家の安泰に寄与した忠臣だった [孝謙天皇・稱徳天皇]

DSC_0977花20201222blog.JPG
男系支持派は、女性天皇反対の理由に、しばしば称徳天皇と道鏡の例をあげます。
しかし、道鏡事件の解釈と宣伝の仕方は、称徳天皇の評価をおとしめようという、後世の脚色が強く、ある意味、でっち上げに近いもののようです。
江戸時代に特にそれが広まったと言われています。


最近、NHKテレビなどの歴史番組で、称徳天皇と道鏡のことについて取り上げられているのを見ました。最近の学者の説は、称徳天皇が私情に流されたという通説とは、だいぶ違っているようです。

奈良県で「道鏡禅師像の真のお姿を伝えたい」という運動もあるそうです。
仏教を広めるのに大きな功績をあげられたとのことです。

☆☆☆

”弓削の道鏡は、歴史上、悪人として評価されています。しかし、当時の僧は、山岳修行によって特殊な能力を身につけ、その能力で多くの人達の病気や災いをしりぞけ、国家の安泰に寄与していました。中でも、道鏡はさまざまな評価はありますが、医師、薬剤師、霊能者としてすぐれた僧であったと考えられます。”
https://readyfor.jp/projects/doukyou

☆☆☆

真相は、称徳天皇が道鏡を「寵愛という私的な感情」で皇位に就けようとしたのではなく、「公的な意味合い」において中継ぎとして皇位に就ける案が浮上したけれども、宇佐八幡宮の御託宣を支持した和気清麻呂などの側近により、その案が退けられたということのようです。 

称徳天皇は、その際、「宇佐八幡宮の御託宣」と側近の判断を尊重し、正しい御選択により、きちんと天皇の役割を果たされました。

背景に道鏡が、天智天皇の皇子、志貴皇子の御落胤、すなわち天智天皇の孫だったという説もあるようです(『公卿補任』『七大寺年表』など)。そうでなければ、皇位継承の案が浮上するのは、それまでの歴史に鑑みて、あり得ないことのように思えます。

ちょっと話が飛躍しますが、御落胤というのが真実であれば、今日話題になっている、皇籍離脱した旧宮家の宮様の孫が皇籍復活するのも、同じような理屈になります。

つまり、宇佐八幡宮の御託宣『「皇統を離れて一般人になった元皇族(道鏡の場合は天皇の皇子の子)が、60年以上を経て、皇族に復帰することはできない』というご託宣は、そのまま『皇籍を離れて一般人になった元皇族の子孫が、70年以上を経て皇族に復帰することはできない』ということに当てはまるのではないでしょうか。

道鏡が本当に皇位簒奪を試みていたら厳罰に処せられたはずなのに、そうならなかったという史実を丁寧に追っていくと、道鏡は忠臣であり、天皇のご自覚が高く潔癖だった称徳天皇も、何ら道を外れたことはされていないことになります。

称徳天皇の聖徳太子に習おうとした仏教重視政策により、利益が損なわれた藤原氏が自己保身のために、また天智天皇系の正当性を強調したい人々が天皇崩御後にデマを流し、その後、江戸時代には「男尊女卑」思想を徹底するために、女性が天皇になるのはまかりならんとの宣伝に利用されたというのが、真相のようですね。江戸時代の「禁中公家諸法度」における「女性に家を継がせない」施策を徹底するために、利用されたのかも知れません。


江戸時代は武家支配を徹底するために、男尊女卑が頂点に達し、明治時代にも、富国強兵のために男尊女卑が続き、大東亜戦争を経てもそれが尾を引いて、今日に至っているという感じがします。

しかし、日本は、政治家の世界や、社会的地位においては「男尊女卑」かも知れないが、実生活では女性が大切にされている国とも言われています。女性の側でも、社会に出ると男尊女卑の逆風にさらされるので、家庭や地域を主な活躍の場として安住して来たという面もあり、逆に男性は、社会で苦労して平均寿命が短く、妻に先立たたれると地域に居場所が無く、身辺のことも処理できず苦労するという面もあって、一概に男女平等とされる他国の方が幸福だとも言えませんが……。


それでも「心身ともに健康な女性が男子を産めないことを責め立てられて心を病んでしまう」異空間、「女性に生れたことで自分を責める」異空間が、皇室という、日本の中心にいつまでもあるという異常事態だけは、何とかしなければならないと感じております。

なお、女性天皇が結婚されると、皇統がその配偶者の家系に移ってしまうと心配する人がありますが、それは天皇の配偶者が皇族や華族に限定されていた明治時代までのことです。

例えば、孝謙天皇・称徳天皇は天武天皇系の子孫ですが、幼い時から皇太子でした。皇太子である孝謙天皇が、天智天皇系の子孫である男性皇族と結婚されれば、夫である天智天皇系の男性皇族にも、皇位継承の可能性が生まれます。それは、過去の女性天皇、推古天皇、斉明天皇、持統天皇が皇后から天皇になられたので、当然、女性天皇の配偶者にも皇位継承する方が現れるということです。

天武天皇系を守りたいと思えば、天智天皇系の皇族とは結婚できず、配偶者の範囲が限られてしまいます。独身を通されたのは、他にもそれぞれの理由があったようですが、称徳天皇の場合は、天武天皇系の継承を守るために、独身であられたということのようです。


現代において、一般庶民が夫になられれば配偶者が天皇になられるということはなく、女性天皇のお子様が皇統を継がれる「女帝の子も親王である」という意識が浸透すれば、一般庶民男性の家系に皇室が変わってしまうとの誤解は生まれません。

認識の仕方によるものですが、一般庶民の感情として、旧家に婿入りした父親が別の家系に生まれた人でも、婿入りした家に生まれた子孫は、その旧家の子孫であることに何ら変わりがないという、庶民感情に照らし合わせれば、何もさまたげにもならないと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
良い一日をお過ごしください。

参考資料:

高森明勅著『日本の十大天皇』幻冬舎新書、pp211~225


タグ:道鏡
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。