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女性天皇は「中継ぎ」と軽視する人たちが、秋篠宮さまを中継ぎにするという矛盾 [皇室典範改正]

DSC_0972紅葉20201210blog.JPG女性天皇の反対派に、歴史上の女性天皇は「中継ぎ」に過ぎないという言い方をする人がありますが、果たしてそうでしょうか。そうではないことは、当ブログでも書いた女性天皇の御事績(全体のごく一部)や、御在位期間を見ていただければ、一目瞭然です。

神功皇后:70年間、摂政を務められました。お子様の応神天皇が即位されたのは、神功皇后が崩御されてからですから、70年間、実質的には王(おおきみ、天皇)であられたと見ることができます。新羅、新羅、百済、高麗に軍隊を率いて遠征された、勇敢な皇后でした。摂政期間:200~270(30~100歳)。

第33代・推古天皇:御在位は、629~641年(37歳~49歳)で崩御されるまで終生天皇でした。聖徳太子を摂政にお立てになり政治を行われました。 太子は冠位十二階・憲法十七条の制定、隋との対等の国交の樹立、遣唐使の派遣など、内治外交にわたって画期的な事業を行われ、天皇を中心とした安定した時代が続きました。

第35代・皇極天皇・重祚して第37代・斉明天皇:御在位642~645年(49歳~52歳)、重祚して御在位655~661年(62歳~68歳) で、崩御されるまで終生天皇でした。

皇極天皇が即位された年(642年)は6月から日照りが続き、人々は困り果てていました。村々の神職が祈っても、多くの僧が『大雲経』を読んでも、小雨が降っただけでしたが、天皇自身が、飛鳥川の上流に出向き、天を仰いで雨を祈ったところ、たちまち大雨が降り始め、そのまま5日間降り続けて農作物の危機は救われました。人々は皇極天皇を称賛して「至徳(いきおい)まします天皇(すめらみこと)」と呼んだとのことです。


8人10代の女性天皇と神功皇后(実質的に天皇と同じ)の中から、神功皇后とお2人の女性天皇について述べましたが、いずれも、終生天皇(又は実質的な君主)として君臨されたことや、輝く御事績を見ますと、決して男性天皇に遜色ない、ないどころか、日本史において欠くことのできない、重要なお役目を果たして来られたと思います。

後世では、第109代・明正天皇、(御在位:1629~1643)のように、7歳で即位、21歳で退位された、「中継ぎ」の女性天皇もいらっしゃいますが、男性天皇でも、明らかに「中継ぎ」だった天皇は、何人もおられます。そこに男女の区別はありません。


ところで「中継ぎに過ぎない」と、歴代の女性天皇を軽んじる人たちは、まさに今、秋篠宮殿下が「中継ぎ」のお役目を背負っておられることを、どう思っているのでしょうか。

今上天皇と秋篠宮殿下の御年は5歳しか違わない。お二方のご健康状態が、同じであったと仮定して、今上陛下が80歳で譲位されたとしたら、秋篠宮殿下は75歳です。 御在位期間は5年、最大でも10年が限度でしょう。その短い期間はまさに、悠仁親王への「中継ぎ」以外の何物でもありません。

女性天皇は「中継ぎ」だったと「中継ぎ」を軽視する発言をしながら、秋篠宮殿下を「中継ぎ」にする現在の制度を、何が何でも固守するのは、ご都合主義だと言えないでしょうか。


秋篠宮殿下は、これまでもお言葉の端々で、このことについてご懸念を語って来られました。

ついこの間のお誕生日の会見でも、秋篠宮家に「非常に愛着がある」、「秋篠宮家当主を維持して行きたいと思った」と表明されています。

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“関連質問2 殿下は秋篠宮家当主という立場を維持されました。当初の議論,皇室典範改正前の議論では,殿下が内廷皇族として皇太子もしくは皇太弟という地位といいますか称号を得て内廷皇族になられるという案も検討されていたわけですが,殿下の意向もしくは希望という面も踏まえて最終的には秋篠宮家当主という立場を維持されたという御指摘もありますが,殿下御自身はこの宮家当主という立場を維持されたということについて,どのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。

殿下
 私自身はやはり約30年間,秋篠宮という一つの独立した宮家が続いており,それに対しては非常に愛着を持っています。したがって,秋篠宮家当主ということについては,私自身もそれは維持していきたいと思っていました。一方,おっしゃった内廷皇族になるという話はどこかで出ていたのかもしれませんけれども,皇太子とか皇太弟とか名称はともかくとして,恐らく内廷皇族になるというのは少し違うのではないかというのは意見として結構あったと私は記憶しています。”

(「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)秋篠宮皇嗣殿下の記者会見
会見年月日:令和2年11月20日」「宮内庁HP」
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/39

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内廷皇族というのは、天皇家の一員になられるという意味ですから、内廷皇族になっておられれば、秋篠宮家当主とは、両立できなかったという意味だと思います。

順番が前後しますが、「立皇嗣の礼」の「ご感想」、「皇嗣となったお心構え」のお答えも、引用いたします。

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“問1 「立皇嗣の礼」が,11月8日に執り行われました。新型コロナウイルスの感染拡大で,儀式の日程や内容は大きな影響を受けましたが,諸儀式に臨まれた感想とともに,改めて皇位継承順1位の皇嗣となったお心構えをお聞かせください。

殿下
11月8日に立皇嗣の礼が行われました。本来は春に行われる予定だったわけですけれども,COVID-19の感染が拡大し,それで延期になっていたわけですね。私自身,この秋に,11月に行うという時に,これから寒い時期に向かって,COVIDとインフルエンザの両方の流行が考えられるときに少しそのことは気にはなっていましたけれども,これ自体は国事行為でありますので,私が何か言うことではもちろんないわけですね。それですので決められたことに従って臨みました。そうですね,昨年から行われていた即位礼関連の儀式,これが一連のものが終了したわけでありますけれども,そのことに安堵どしております。今,御質問にあったもう一つのことについてですけれども,私自身は生まれてから今まで個体として同じ秋篠宮文仁なわけですね,それでずっと来ています。したがって,何か区切り,節目があったから変わるということではないわけですけれども,私自身は以前と変わらず一つ一つのことを大切に務めていきたいと思っております。そしてまたこれも昨年もお話ししたことかと思いますけれども,やはり人間はできることなら進歩していくことが大切だと思っておりますので,そのことも常に頭に置きながら過ごしていきたいと思っております。一つだけ今回,宣明の儀の後に宮中三殿にお参りをいたしました。今後は三殿でお参りをすることになるわけですけれども,私にとって今回が多分4回目なんですね。着袴の儀があった後と,成人の時と結婚の時で(今回は)4回目なわけですけれども,今後こちらでお参りすることになるのだなということで気持ちを新たに致しました。以上です。”

(「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和2年)秋篠宮皇嗣殿下の記者会見
会見年月日:令和2年11月20日」「宮内庁HP」
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/39

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秋篠宮殿下は、「秋篠宮家に非常に愛着がある」と言われています。皇室において「宮家」の果たす役割が小さくはない、天皇陛下をお助けする大切なお役目であることを、深く御自覚されて、表現されていると拝察申し上げます。

また、「立皇嗣の礼」について、「お心構え」をとの記者の質問に対して、「個体として同じ秋篠宮である」、「何か区切りがあったから変わるということではない」というそっけないとも思われるご回答をされています。唯一気持ちを新たにされたと言われるのは「宮中三殿でお参りをすることになる」ことのみです。

拙ブログでも、8月12日に説明させていただいたように、「皇嗣」というお立場がいつでも変わり得るものであり、皇嗣を宣明した「立皇嗣の礼」を行うことに意味はない、ということを暗に示されていると、拝察申し上げます。

(「立皇嗣の礼」は歴史上前例がなく意味がない
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-12


私は「秋篠宮殿下はこうお考えだと思う」と申し述べましたが、「天皇や皇室の方がこうお考えだと思う」と書くことに対して、「天皇や皇族のお考えを忖度するのは不敬だ」という人もあります。

皇室に尊敬の念を持たない人が自分勝手な推測や解釈を加えるのは、もちろん「不敬」に当たるでしょう。しかし、尊敬の念を持ちながら、それぞれのお言葉の端々などから、「こうお考えなのだと思う」のは決して、不敬ではありません。まして、それが天皇や皇族の現状に対する御憂慮であり、国民に宛てた控え目なメッセージである場合は、そのことに思いを致さずに無視する方が、むしろ「冷酷」であり、「不敬」であるのではないでしょうか。


秋篠宮殿下が、「お子様方を学習院になぜ入れなかったか」という珍妙かつ不敬な発言が週刊誌などに見られます。それこそ、大きなお世話で、皇室の方への尊敬を欠いた発言だと思います。

秋篠宮殿下ご夫妻が、深いお考えのもとに、お子様の学校を選んでおられる、その御見識を信頼できないのは、不遜であり、そういうことに口出しすることこそが不敬(尊敬していない)なことです。

お子様方が学習院ではない学校を選ばれた理由を、私は、次のように推察申し上げます。

各宮家は、天皇家をお助けする意味で、「広い世界を知ることによって、皇室の御活動を広げる」のが大切なお役目です。天皇家が、愛子様が伝統的な「学習院」での勉学をされることを選ばれたのですから、いとこに当たられる秋篠宮家のお子様方が別の学校で教育を受けられて、皇族全体の学問の世界を広げるというのは、素晴らしい御見識だと思います。

やや踏み込んで申し上げれば、悠仁親王が天皇になられるのではなく、天皇をお助けする立派な宮家の当主になっていただきたいというのが、秋篠宮殿下の真の願いであると拝察申し上げても、的外れではないと存じます。

広く国民とともにありたいという天皇、皇族方のお心を思うと、宮家のお子様方が全員、学習院に通学されるより、幅広く豊かな学問の世界を体験されることこそ、はるかに魅力的な皇室のすがたであると思います。

そこに思いを致さず、硬直化した考えにとらわれ続ければ、国民と皇室の距離がどんどん遠ざかっていきます。王族を熱心に支持する人たちが、旧来の陋習(古い習慣)にとらわれて改革や変革が行えなかっために、ヨーロッパの王室が消滅したという、エディンバラ公(英国エリザベス女王の夫君)のお言葉が重く響きます。


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「ヨーロッパの君主制の多くは、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによってまさに滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革も行わずに、ただただ体制を維持しようとする連中だった」(エディンバラ公の言)

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-11-28

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日本の皇室も、改革と変革が行えないで、時代に取り残されれば、ヨーロッパの王室の様に消滅しかねないということを、真剣に考えなければならない時だと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。
年末が近づいて参りました。ご多用の中、体調管理を怠らず、お健やかにお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

タグ:秋篠宮家
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