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明治日本を支えた養蚕―昭憲皇太后から貞明皇后へ [皇后陛下]

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昨日の続きで、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)と英照皇太后(孝明天皇の准后(じゅごう)」)の富岡製糸場ご訪問について、またご養蚕を受け継がれた貞明皇后(大正天皇の皇后)について、書かせていただきます。





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“1873(明治6)年5月5日、皇居は失火で宮殿などが炎上し、養蚕は中止となります。明治天皇の皇后(昭憲<しょうけん>皇太后)はそれでも動きます。
同年6月、皇后は、明治天皇の父・孝明天皇の皇后だった英照(えいしょう)皇太后と共に群馬の富岡製糸場を訪ねます。「明治天皇紀」によると、6月24日、二人は場長の尾高惇忠(おだか・あつただ)とフランス人技師ポール・ブリュナの案内で製糸作業や機械室などを見て回りました。

鉄道もない時代。19日に皇居を出発し、埼玉の熊谷を経て富岡を目指しましたが、連日の雨で川が氾濫して足止めを食い、視察できたのは6日目でした。天皇は心配し、侍従を遣わして安否を確認させています。

視察を終えて皇后は歌を詠んでいます。

 「いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつゝ」

「富をたすくる」という表現に時代の気分がよく表れているように思われます。”

(『皇室の養蚕と渋沢栄一 「皇室を最後の養蚕農家 にしてはいけない」という悲鳴【皇室コラム(下)】「日テレNEWS24」3月4日 1ページ目』
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3494ff0116dc9c701042cbbd113122f16ecc484

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英照皇太后(孝明天皇の准后(じゅごう))のお写真を検索していて、明治神宮崇敬会のホームページで、昭憲皇太后と御一緒に富岡製糸場を御視察されたときの絵がありました。そういえば以前に拝見したことがあるのを思い出しました。


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“明治6年6月19日、皇后は英照(えいしょう)皇太后(孝明天皇の准后(じゅごう))とともに馬車で皇居を出発し、24日、富岡製糸場を視察されました。

 いと車とくもめくりて大御代の

   富をたすくる道ひらけつゝ

糸車が速く回れば回るほど多くの生糸が紡ぎ上げられる。この明治の御代の産業が興り、わが国は富を増やすことができるのです、と皇后はお詠みになりました。”

(『昭憲皇太后 絵画と聖蹟「第26回 富岡製糸場行啓」、明治神宮崇敬会ホームページ
https://meijijingusukeikai.or.jp/meijitenno/3206.html

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言葉の意味:

とくも:早く

めくりて:めぐって、回って

文中に皇后とあるのは昭憲皇太后のことです。

昭憲皇太后の御歌の意味は、上記の引用文の通りです。

“糸車が速く回れば回るほど多くの生糸が紡ぎ上げられる。この明治の御代の産業が興り、わが国は富を増やすことができるのです”

昭憲皇太后の、養蚕に期待され、女工を励まされるお気持ちが感じられます。


それから6年後の明治12年(1879)、英照皇太后が、お住まいの青山御所に養蚕所を建て、明治6年の火災以来中断していた、養蚕が再び始まります。

青山御所での養蚕は、英照皇太后が崩御される前年、明治29年(1896)まで続けられました。

御崩御の後、中断されましたが、明治41年(1908)、皇太子妃節子さま(のちの貞明皇后)により、青山御所内御養蚕所での蚕の飼育が復活されることとなります。

節子さまは幼少のころから養蚕にご関心があり、青山御所で、大正元年(1912)までは皇太子妃として、大正2年(1913)からは皇后として「御親蚕」を行ないました。

今も使われている皇居内の紅葉山(もみじやま)御養蚕所は大正3年(1914)に新築され、それからは青山御所ではなく、皇居内で御養蚕が行われるようになりました。


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“「母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出―」(工藤美代子著、中央公論新社)には、蚕に対する貞明皇后の思いがうかがえるエピソードが紹介されています。貞明皇后は三笠宮さまの母。三笠宮妃の百合子さまは義母の貞明皇后から「これ持てる」と蚕を見せられ、そっとつまんでみせると、皇后は「それなら絹を着てよろしい」「お蚕さんを持てない人は絹を着る資格がないとお笑いになった」と。”

(『皇室の養蚕と渋沢栄一 「皇室を最後の養蚕農家 にしてはいけない」という悲鳴【皇室コラム(下)】「日テレNEWS24」3月4日 2ページ目』

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「お蚕さんを持てない人は絹を着る資格がない」は、貞明皇后らしいお言葉だと思います。そっとつまんだ三笠宮百合子さまも、勇気がおありでした。


元宮内庁総務課長筧素彦(かけいもとひこ)氏の著書『今上陛下と母宮貞明皇后』に、貞明皇后は、日本のために養蚕を奨励されたのはもちろんことですが、蚕の幼虫そのものがとてもお好きで、頬ずりをされるほどだったと書かれています(この著書の「今上陛下」は昭和天皇のことです)。


貞明皇后は、九条家のお生まれですが、公卿のご家庭の里子の風習により、御誕生の1ケ月後から5歳まで農家で養育されました。その家は、武蔵野の一角にあり、田や畑、森や林に囲まれた自然の中でお育ちになられたそうです。田や畑に囲まれた農家でご生活される中で、蚕の飼育もなさったのでしょう。


私事で恐縮ですが、私も子供の頃は、農家ではなかったですが、田や畑、森や林が近くにある中で育ちました。アゲハの幼虫を育てたり、オタマジャクシを飼って蛙にかえしたりしたのを、なつかしく思い出します。自然の中で育つことができたのは幸せなことでした。


ご養蚕は、こうして昭憲皇太后がお始めになられ、英照皇太后、貞明皇太后、香淳皇太后、上皇后・美智子さま、皇后・雅子さまへと、受け継がれて、今日に至っています。


今日も読んでいただきありがとうございました。
今日は当地では、冬が戻ったような寒さでした。
皆様お身体にお気をつけて、お健やかにお過ごしください。


参考資料:

(『「天皇の稲作」と「皇后の養蚕」は、次代にどう引き継がれていくのか』現代ビジネス
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56263?page=2

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