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皇室に名字は無い―その深い意味(2) [皇室典範改正]

DSC_167220210616blog.JPG「皇室に名字は無い」ことの意味について、昨日の続きです。

皇室に名字が無いことが、『皇室は唯一絶対のもの』で「○○家」など対立を超越しているという話をしました。

敢て言えば「国」が父なる天皇の家といえるが、その「国家」の相対的関係も超越しているのが天皇であると、杉田幸三氏は、述べています。

文中の「今上天皇」は、昭和天皇のことです。

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“もし、敢て天皇に家があるといふのなら、今上天皇御即位の勅語(昭和三年十一月十日官報)の「皇祖皇宗、国ヲ建テ民ニ臨ムヤ、国ヲ以て家トナシ、民ヲ視ルコト子ノ如シ」のやうに、この日本国が天皇の家である。大正天皇もまた御即位の詔書で、「義ハ即チ君臣ニシテ、情ハ猶ホ父子のゴトク」と仰せられてゐる。これは国が父なる天皇の家であるからであらう。
 しかし、これとても「家」が元来、私的な性格をもつ以上、宇宙大、グローバルな目からみれば、国家も相対的な存在となる。これは今日の国際間における国家対国家の対立関係をみればうなづけるであらう。
 であればこそ、明治天皇は、「よもの海(人類)、みなはらから(同胞)だと思ふのに、「なぜ戦ひ、傷つけあはねばならぬのであらうか。まことに悲しいことである」といふ大御歌となる。今上陛下もまた祖父の天皇に学ばれて、「西ひがしむつみかはして栄ゆかむ世をこそ禱(いの)れ年のはじめに」(昭和十五年)とお歌ひである。歴世一貫の平和性がこのことにもあらはれてゐる
これを日本国内的にあてはめれば、天皇にとって、政党は与党だから、野党だからの区別は無い。どちらにも与しない。また敵対もしない。野党の社会党も民社党も公明党も、これみな天皇の社、民、公明党にほかならない。いや、共産党すら、天皇の共産党といってもいいのではないか。”(p93)

(「歴世一貫の真義 天皇なき日本はない」『日本の覚醒』新日本協議会出版部 昭和62年6月2日発行)

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[言葉の意味]

皇祖:天子の始祖。 日本では、天照大神(あまてらすおおみかみ)や神武天皇など、天皇の先祖。(コトバンク)

皇宗:天皇の代々の先祖。第二代綏靖(すいぜい)天皇以後、当代にいたるまでの天皇をいう。(コトバンク)

勅語:天子のことば。みことのり。勅言。(コトバンク)

義:人のふみ行うべき正しい筋道。(Weblio)

情:1 物事に感じて起こる心の動き。気持ち。(コトバンク)

[感想]

天皇に家があるというなら、日本国が天皇の家であり、御即位の時のお言葉で、昭和天皇は「建国の時、民に臨んで、国を以て家とし、民を視ること子のようである」と仰せられ、大正天皇は人の道筋として君臣であるが、情においては父と子のようである」と仰せられました。

しかし、これも国家という相対的存在にならぬよう、
明治天皇は
「よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ」と詠われ、
昭和天皇は
「西ひがし むつみかはして 栄ゆかむ 世をこそ禱(いの)れ 年のはじめに」と詠われました。

日本国内に当てはめれば、与党も野党も、どの政党も区別なく、天皇は与(くみ)せず、敵対もしません。どの政党も、天皇の政党なのです。

このことが広く革新派政党を支持する国民の中に理解され、天皇制への誤解が解けたのは、平成時代の天皇、皇后両陛下の全身全霊で国民に寄り添ってこられたことの賜物です。

このことについて、文明批評家の中島英迪(ひでみち)氏は次のように述べています。

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 共産党や立憲民主党などの革新派政党を支持する国民の中には、当初は天皇制に反撥していても、平成時代を通して全身全霊をこめてひとえに国民に寄り添ってきた上皇と上皇后によって、天皇制度を誤解していたことに気付いた者が多くいたのでしょう。
 振り返ってみれば、平成時代の天皇は、即位に当たって、まず「日本国憲法を守ります」と述べました。これは保守派からすれば違和感があって、「第九十六条」憲法改正条項を含めての「守る」であり、決して改正に反対の護憲擁護ではないと内輪で確認し合っていましたが、革新派の方は「憲法遵守」の護憲を支持する言葉だと受け取りました。また皇后は、明治時代の憲法制定時に、国民有志から出された憲法案の中にあった「五日市憲法」について、そこに人権擁護の規定があることを高く評価しました。これは革新派の人々にとって皇室への親近感を増す発言でした。
 そしてまた皇后は、当時の雅子妃殿下が男児を生まなかったことで強いバッシングを受けて、適応障害にまで追い込まれ長く苦しんだことに対して、「伝統」ということは大切だが、それが人を傷つける場合には賛同できない旨の発言をしました。もともと男女平等論の多い革新派の人々は、皇室自体が男女差別をする存在でないことを、その時はっきりと知り、天皇制に全面的に賛成できないものの皇室支持の気持ちを強めたことに間違いはありません。
 さらに彼らは、天皇の先の大戦への態度には強く共感を覚えた筈です。天皇は譲位までの誕生日に再三、「先の大戦への反省」を口にし、ついに具体的に満州事変以降を反省すべきだと言い、最後の誕生日には「強く反省し」と語気を強めました。保守派の中には「天皇は左傾した!」と反撥を覚えた人々も多かったでしょう。(中略)
 そして革新派の人々の心を揺るがした極め付きは沖縄です。沖縄は革新の地、激しい戦いに苦闘し、戦後も昭和天皇に見捨てられたとの恨みの深い県民たちでしたが、上皇の皇太子時代から天皇の時代を通して、妃殿下・皇后と共に何度も慰霊の訪問をくり返し、琉球文化の粋である「琉歌」を何首も作り、国民に思いを寄せ続けた結果、「ヤマトンチューは嫌いだけど、天皇陛下は好き!」の声がどんどん増えて行ったのでした。
 こうして、昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け入れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。こと、天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。平成時代の天皇は左派に取り込まれたと見えて、実はすっかり左派を取り込んだのでした。

3、みんなの皇室
 共産党が賛成している「女系天皇」など間違っている、と本心から信じている男系主義の論客は、恐らく天皇が自分たちのみの存在だと心の奥ではおもっているのでしょう。たしかに多くの男系主義者が本当に日本の事を思い、将来を心配していることは疑いないでしょう。しかし、天皇とは日本人全体のための存在であり、女系論者にとっても、無関心の人々にも大きな意義のある日本の至宝なのです。(pp112~116)

(〈大前繁雄・中島英迪傘寿記念公刊〉『皇室典範改正への緊急提言』)新風書房)

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[感想]

憲法については、改憲派、護憲派それぞれの思惑があり、難しい問題ですが、私は、現憲法を法律として遵守するが、広く国民で議論した上で、不都合な部分は改正すべきだと考えています。考え続けたい課題です。


上皇后さまの「伝統」についてのお考えに深く同感いたします。

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“質問の中にある「皇室」と「伝統」,そして「次世代への引き継ぎ」ということですが,陛下はご即位に当たり,これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも,昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また,皇室が過去の伝統と共に,「現代」を生きることの大切さを深く思われ,日本各地に住む人々の生活に心を寄せ,人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ,一つの時代を築いてこられたように思います。

伝統と共に生きるということは,時に大変なことでもありますが,伝統があるために,国や社会や家が,どれだけ力強く,豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が,社会の進展を阻んだり,伝統という名の下で,古い慣習が人々を苦しめていることもあり,この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。”

(「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」「宮内庁ホームページ」)
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html


“皇室も時代と共に存在し,各時代,伝統を継承しつつも変化しつつ,今日に至っていると思います。この変化の尺度を量れるのは,皇位の継承に連なる方であり,配偶者や家族であってはならないと考えています。

伝統がそれぞれの時代に息づいて存在し続けるよう,各時代の天皇が願われ,御心をくだいていらしたのではないでしょうか。きっと,どの時代にも新しい風があり,また,どの時代の新しい風も,それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています。”

(「皇后陛下お誕生日に際し(平成6年)」「宮内庁ホームページ」)
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h06sk.html

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「皇室が過去の伝統と共に,「現代」を生きることの大切さを深く思われ,日本各地に住む人々の生活に心を寄せ,人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ,一つの時代を築いてこられた」とのお言葉の、伝統と共に、「現代」を生きる、「今」と丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築く、ということが心に響きました。

「型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり」と上皇后様のおっしゃるとおり、古い慣習が人々を苦しめるようになったとき、「伝統」だから絶対に変えてはいけないと固執するのは、間違っていると思います。

平成6年の「変化の尺度を量れるのは皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならない」も重いお言葉です。「皇位の継承に連なる方」それは、「上御一人」、天皇を指すと思います。天皇のお気持ちが第一ということを肝に銘じます。

「皇室自体が男女差別をする存在でない」も重要なことです。革新派の方がよく理解しているかも知れません。

『「先の大戦への反省」を口にし、ついに具体的に満州事変以降を反省すべき』と上皇さまがおっしゃったこと、先の大戦については、もう少し掘り下げたいと思いますが、別の機会といたします。

沖縄に何度も慰霊の訪問を繰り返し、琉球文化の粋である「琉歌(りゅうか)」を何首も作り、思いを寄せ続けられたのこと、特に琉歌を作られたのは並大抵のご努力ではなかったと存じます。昭和天皇も「 思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを」と御歌を詠まれたほど、沖縄に強い思いをお持ちでした。その思いを果たされたのだと思います。

『昭和の末期には天皇制反対を叫んで皇室に反感を持っていた諸勢力も今や影をひそめ、天皇の存在を受け入れるようになりました。共産党ですら、その綱領から「天皇制打倒」を外してしまいました。こと、天皇制に関する限り、革新派は大きく変容したのです。』

天皇、皇室に反感を持っていた諸勢力の活動を目の当たりにして来た私にとって、今日の革新派の変容は信じがたいほどであり、上皇さま、上皇后さまのご努力に思いを致す時、まことに感無量で、ただただ感謝申し上げるしか言葉がありません。

天皇とは日本人全体のための存在であり、党派の支持、政治的主張に関わりなく、天皇に無関心の人々にさえ、大きな意義のある日本の至宝という中島氏の言葉に、深く共感いたします。


今日も読んでいただき有難うございました。
皆様にとって充実した一日でありますよう、お祈り申し上げます。
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