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天皇の御歌(69)―第121代・孝明天皇(6) [孝明天皇]

DSC_167720210609blog.JPG今日は第121代・孝明天皇の御製を学びます。6回目です。

御在世:1831―1866(崩御・36歳)
御在位:1846―1866(16歳~36歳)

先日の「青天を衝け」では、禁門の変が起こり京の市街が延焼し、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの連合艦隊に下関が砲撃され(四国艦隊下関砲撃事件)、皇室にとっても、長州藩にとっても苦難の時でした。

その年に孝明天皇が、国の災いをはらい除く祈願のために、宇佐八幡宮に奉納された御製を学びます。

☆☆☆

“(文久四年、元治元年―1864―御年34歳)
*長州兵上洛、蛤御門の変おこる。四か国連合艦隊、下関を砲撃
(中略)

詠五十首和歌(5月21日甲子(きのえね)の例に依て―元治元年の干支は甲子―勅使を宇佐八幡宮に遣し神宝御衣及び宸筆(しんぴつ)の御製を奉り給ひて、特に外患を祈攘し給ふ)

梅雨
長くとも かぎりはありぬ 梅の雨 さりとて晴れよ 異國(ことくに)のうさ

夏祓(なつはらい)
身につもる うきをば今日に 夏はらへ いざや 涼しき よを渡らなむ

径(こみち)の薄(すすき)
ほそくとも すぐなる路に まねけかし 秋風帯ぶる 花すゝきぞも

叢虫(くさむらのむし)
草むらの くさぐさ物を おもふとは 蟲さへ知りて 音(ね)にや 鳴くらむ

(中略)

戀笛
笛竹の よをかさねけり いつしかは あな嬉しとも 吹(ふき)ならしてん 

(中略)

神祇(じんぎ)
奉(たてまつ)る そのみてぐらを 受(うけ)まして くにたみやすく なほ守りてよ”

(pp339~340)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


[言葉の意味]

蛤御門(はまぐりごもん)の変:禁門(きんもん)の変。元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力衝突事件。

祈攘(きじょう):払い除く祈願

宸筆(しんぴつ):天子が自身で書いたもの。天皇の自筆。天皇の直筆。

みてぐら:「御手座(みてぐら)」の意という。「みてくら」 とも》神に奉納する物の総称。布帛(ふはく)・紙・玉・兵器・貨幣・器物・獣類など。また、のちには御幣をもいう。幣束。幣帛(へいはく)。ぬさ。


[大意]

元治元年5月21日に、天皇はまれた50首の和歌を詠まれ、勅使を宇佐八幡宮に遣わされ、神宝の御衣と天皇ご直筆の御製を奉り給いて、特に外患(外国の禍)が払いのけられることを祈願し給いました。

1首目、長くても梅雨はかぎりがあるだろう。それにしても異国による思いにまかせぬつらいことも、晴れてほしいものだ

2首目、身に積もるつらいことこそ、今日の夏の祓いで払いのけて、さあ涼しい世をわたろうではないか

3首目、細くてもまっすぐな道に招いておくれ、秋風を帯びた花すすきこそは。

4首目、草むらが生い茂るように、あれやこれや物をおもうのを、虫でさえ知っていて、色々な声でにぎやかに鳴くのであろう

5首目、竹笛が節(よ)を重ねるように世を重ねれば、いつのまにか、ああ嬉しいと吹きならすことができる日が来るだろう。そうあってほしいものだ

6首目、神に奉った奉納物、幣帛をお受けいただき、国と民が安寧であるよう、いっそうお守りくださいませ


[感想]

大河ドラマを見ながら、日本人同士が戦う内戦とは何と悲しいものかと思いました。 四か国の連合艦隊に攻撃された下関の人々は生きた心地がしなかったであろうと思いました。

その年に孝明天皇が50種の和歌に託して、宇佐八幡宮に、外国の災いが払いのけられるようにと祈願されたことは心強いことだったでしょう。御歌は、観念的でなく、雨、ススキ、虫、笛の音など情景描写に祈りを託されて、自然のすべての中に神をみておられることを拝しますと、「しきしまのみち」が、日本人の豊かな心の源なのだとあらためて思いました。

天皇のお心に習い、自然の美しさに眼を向けて、どんな困難があってもめげることなく、前進して参りたいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。
急に暑くなってきましたので、皆様お身体にお気をつけて、お健やかにお過ごしください。

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