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愛らしい野鳥たち―山本正臣さんの絵 [野鳥]

CIMG0436ヒヨ20201006blog.JPG

庭に来たヒヨドリです。
和歌に出てくる鳥たち
ではありませんが、
野鳥つながりで、
この写真にしました。











10月4日の当ブログで学んだ、初代皇后・伊須氣依比賣(いすけよりひめ)の和歌では、鳥の名前が並んでいました。

胡鷰子(あめ)鶺鴒(つつ)  千鳥(ちどり) ま鵐(しとと)  何故(など)黥(さ)ける利目(とめ)

あめ つつ ちどり ましとと などさける とめ

「あめ、つつ、ちどり、ましとと」は、アマドリ(アメツバメ)、セキレイ、チドリ、ホオジロに該当するらしいとのことだったので、インターネットでそれぞれを検索すると、色々な写真を見ることができます。御歌の通り、どの鳥も目の周りに、メークアップしているような、黒い縁取りが入っていて、久米命の目の周りの入れ墨が想像できます。


野鳥と云うと、画家・山本正臣さんのスケッチを思い出します。山本正臣さんの以下のブログでは、上から3番目の「山本正臣ペン画集33 シギ・チドリ」の表紙絵が、チドリの仲間だと思います。

(「スケッチ感察ノート」2020年10月4日 https://hitakijo.exblog.jp/

山本さんのブログを時々見ていますが、名前が分からない落ち葉の種類を調べるときに、山本さんのもう一つのブログ「自然感察 *nature feeling*」(写真のブログ)で、名前を探したりしています。これほどたくさんの生き物の名前を詳しく調べておられることに感嘆いたします。

心が疲れたときは、山本さんのスケッチと写真を見て、気持ちをリフレッシュしています。自然の木の実、昆虫、花、葉っぱ、どれをとっても精妙で美しく、植物、昆虫など小さな生物に多くの種類があることを教えられ、まことにこの世は美しい!と、思わされます。

山本さんは、昨年まで毎年10月頃、一つの決まった画廊で個展を開いていられて、私もよく伺いました。山本さんから、1キロくらい離れたところから見ても鳥の種類が分かるというお話を聞いて、仙人のようだと思いました。小鳥への愛情あふれる絵は、どれも美しかったですが、長年利用されていた画廊が、昨年を最後に閉鎖されてしまい、今年は個展を開かれないようで残念ですが、よい時期に新しい画廊を見つけて個展を再開されますようにと、ひそかに期待し、ご活躍を祈っております。

小さな虫の精巧な形や何気ない動きの面白さ、小さい花の開いたばかりのつぼみの愛らしさ、紅葉の色の移り変わりの写真をじっと見つめると、いのちの不思議さに感動し、喜びが湧いてきます。


話が横に飛びますが、こういう生命の神秘的な働きは、人間の身体に目を移したときにも、感じられます。生まれて間もない赤ちゃんの花のつぼみに似た内から湧き出でる力、幼児のプリプリのほっぺや肌の美しさ、小さな体のどこから出るのかという声の大きさにも、感動しますが、長年使ってきた自分の身体でも、じっと見ているとまだまだ捨てたものではないと、感心します。

両手の各々5本の指、それぞれ不自由なく動き、色艶も悪くないし、足も、全盛期の時より動きにくいところもあるが、足指でグー・チョキ・パーもできるし、ふくらはぎも動かせば筋肉がついて、動きが滑らかになります。内臓は、多少、補修していますが、食べ物の制限はなく、無理をしない限り、何でもおいしく食べられます。肺も良く動いて、深呼吸も好きなだけできるのは、当たり前のようだけれども、その機能は、複雑でスゴイと思います。

ちょっとしたことで、この世に生きていて何の価値があるのだろうと、ふと心が沈むときがあります。そういう時は、外に目を向けて、無心に生きている野鳥、野草、虫たちを見つめると、人間も難しいことは、横に置いて、まずは生きて見よう、という気持ちが湧いてきます。

ただ無心に生きて行くという小さな生き物たちと同じいのちが、人間にも宿っています。黙っていても、心臓も、肺も、胃腸も無心に、人間を生かそう生かそうと、働いてくれています。それらのいのちに感謝して、命ある限り、生きがいのある日々を過したいと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。

今日は、良く晴れてさわやかな洗濯日和です。
皆様もどうぞ良い一日をお過ごしください。

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