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天皇の御歌(43)―第1代・神武天皇 [神武天皇]

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一昨日は十五夜だったので、小さい団子とススキを飾りました。月は肉眼ではよく見えたのですが、上手に撮れなかったので、写真はお供えだけです。晴れた空とお月様に感謝します。

今日も第一代・神武天皇の御製を学ばせていただきます。

御在世はB.C.711~B.C.585、御在位はB.C.660~B.C.585です。

今日は、相聞歌(戀愛の歌)を学びます。

天皇が即位された後の御歌で、文章は「古事記・中巻」所載に拠るものです。



☆☆☆

“七媛女(ななをとめ)(註・七人の乙女)高佐士野(たかさじの)(註・香久山近くの野原)に遊行(あそ)べるに、伊須氣依比賣(いすけよりひめ)其の中に在りき。ここに大久米命(おおくめのみこと)、其の伊須氣依比賣を見て、歌を以ちて天皇(すめらみこと)に臼(まを)しけらく、「倭(やまと)の高佐士野(たかさじの)を七行(ななゆ)く媛女(をとめ)ども誰をし枕(ま)かむ「とまをしき。ここに伊須氣依比賣は、其の媛女等(をとめども)の前(さき)に立てりき。乃ち天皇(すめらみこと)。其の媛女等(をとめども)を見したまひて、御心に伊須氣依比賣の最前(いやさき)に立てるを知らして歌を以ちて答臼(こた)へたまひしく、

かつがつも(註・まあまあの意) いや先立てる
 兄(え)(註・よい乙女、または、年上の乙女の意)をし 枕(ま)かむ

とこたへたまひき。……其の嬢子(をとめ)「仕へ奉らむ」と臼(まを)しき。是に其の伊須氣依比賣命の家、狭井河(さいかは)の上に在りき。天皇、其の伊須氣依比賣の許(もと)に幸行(い)でまして、一宿(ひとよ)御寝(みね)し坐(ま)しき。後に其の伊須氣依比賣、宮の内に参入(まひ)りし時(註・お后として後宮にはいられた時)、天皇(すめらみこと)御歌(みうた)よみしたまひけらく、

葦原(あしはら)の しけしき小屋に 菅畳(すがたたみ)
 いや淸敷(さやし)きて 我が二人寝(ね)し

(*しけしき= 荒れた、きたない)

とよみたまひき。”

(p20)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

言葉の意味。

伊須氣依比賣(いすけよりひめ):比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)。母は三島溝咋(みしまみぞくひ)の娘の勢夜陀多良比賣(せやだたらひめ)、父は大和三輪山の大物主の神だったため、神の御子と謂われました。

かつがつ:ともかく。何はともあれ。不満足ながら。

しけしき:荒れた、きたない


簡単に解説します。

古事記に拠れば、神武天皇が大后(おほきさき)を探していた時に、大久米命が伊須氣依比賣の話を聞きつけ、七人の乙女が野原で遊んでいるところに天皇をご案内し「七人の乙女がおりますが、どの乙女を妻になさいますか」とお尋ねしました。天皇は、先頭の乙女が伊須氣依比賣だとお知りになったので、次のような御歌で答えられました。

とりあえず 先頭に立つ 一段と美しい年長の乙女と 枕を共にしようか

と答えました。……乙女は「天皇に仕え奉ります」と申し上げました。伊須氣依比賣の家は狭井河の上にあり、天皇は比賣の家に幸行(い)でられて、一夜枕を共にされました。後に、伊須氣依比賣が宮中に入内されたとき、天皇はその時のことを思い出されて御歌を詠まれました。

葦原の中にある粗末な小屋で、菅で作った清々しい畳を敷いて 二人で寝たことだったね

とよまれました。


神武天皇が即位されたのは51歳のときですから、伊須氣依比賣よりだいぶ御年上でいらしたと思います。即位があったのでふさわしい大后を迎える習わしがあったのでしょう。恋の歌といっても、余裕が感じられます。

美しい乙女を后にお迎えするのに、「とりあえず」とか、初めて一夜を過ごした家を「しけしき」とか、そこまでおっしゃらないでも、などと思ったりしますが、正直なことがかえってよいのかと思います。

「しけしき」は、ほめ言葉ではありませんが、その後に来る「いや淸敷(さやし)きて」の「淸(さや)」を引き立てています。真新しい菅畳の香が匂ってくるようです。

古事記では、天皇の使いで訪れた大久米命の入れ墨で強調された眼に伊須氣依比賣が驚いて、鳥の名前を連ねる和歌が収録されていますが、山の神の娘らしい野性味と、若々しい比賣の無邪気さ、愛らしさが感じられます。

胡鷰子(あめ)鶺鴒(つつ)  千鳥(ちどり) ま鵐(しとと)  何故(など)黥(さ)ける利目(とめ)

(大意)アメツバメ、鶺鴒(せきれい)、千鳥、それとも頬白(ほおじろ)のように、なぜそんなに入れ墨をした鋭い目なの

大久米命は答えます

媛女(をとめ)に 直(ただ)に遇はむと 吾が黥ける利目

(大意)あなたのような美しい乙女と直接会おうとして、私は入れ墨をした鋭い目なのです


相聞歌といっても、伊須氣依比賣が直接神武天皇に詠いかける和歌ではないところが、伝承されてきた歌謡ということを思わせられます。

「たたかひの歌」も「相聞歌」も「久米」氏の働きが詠われています。

久米氏は、『新撰姓氏録』によれば高御魂(タカミムスビ)命の8世の孫である味耳命(うましみみのみこと)の後裔とする氏と、神魂(カミムスビ)命の8世の孫である味日命(うましひのみこと)の後裔とする氏の2氏があったとのことです。


伝承では2680年前のこと、想像しても気が遠くなりそうな年月です。それでも時を超えて、戦いの悲しみ恋の喜びを、現代の私たちが、御歌を通して味わうことができるというのは、素敵なことだと思います。


今日も読んでいただき有難うございました。

秋も深まり、庭の柿が色づいて参りました。毎年、柿をつつきに来るヒヨドリが、声高らかに柿の梢のてっぺんで鳴いています。縄張り宣言をしているのでしょうか。

皆様にとって実り豊かな一日でありますよう、お祈り申し上げます。

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