私に背き公に向かう―憲法十七条(3)―第十五条 [聖徳太子]
※私に背いて公に向かうのではなく、外に背をむけご飯を待っている白いニャン
今日は、聖徳太子が推古天皇11年(639年)に制定された憲法十七ヶ条の第十五条を通して「公」と「私」について学びます。
聖徳太子は、第33代推古天皇の御代に摂政として目覚ましい功績を残されました。(推古天皇の御在位629~641年(37歳~49歳))
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第十五条
「私を背(そむ)きて公に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。凡(およ)そ人私有れば必ず恨み有り。憾(うらみ)有るときは必ず同(ととのほ)らず。同(ととほ)らざれば、即ち私をもって公を妨ぐ。憾(うらみ)起こるときは則ち制(ことわり)に違ひ、法(のり)を害(やぶ)る。(p110)(pp114~115)(引用①)
「故(ゆえ)に、初章(しょしょう)に云(いわ)く、上下和諧(じょうげわかい)せよ。それまた是(この)情(こころ)なるか。」(引用②)
引用①(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社)
引用②「十七条憲法(原文・現代語訳・解説・英訳)」
http://www10.plala.or.jp/elf_/kenpou/2-1.html
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〔ふりがな〕(一部現代仮名遣いに直し、読みやすいように字間を空けました。
by「たると」
わたしをそむきて おおやけにゆくは これ しんのみちなり。 およそ ひとあれば かならず うらみあり。 うらみあるときは かならず ととのほらず。 ととのほらざれば すなわち わたくしをもって おおやけをさまたぐ。 うらみおこるときは すなわち ことわりにたがい のりをやぶる。 ゆえに しょしょうにいわく じょうげわかいせよ。 それまた このこころなるか。
恨み:不満であるうらみ
憾み:心残りであるうらみ
同(ととのほ)らず:同意できない
制(ことわり):さだめ、制度
法(のり):規準、規範
違(たが)う:食い違う、従わない
害(そこな)う:傷つける、壊す
臣の道、役人の心構えが説かれていますが、世の中の役に立ちたいと思う人なら役人でなくてもこのような心構えで臨みたいものです。
「公と私」とは何でしょう。
公(おおやけ)は、辞書ではどうなっているかと引いてみました。
名詞では、政治、行政にたずさわる組織・機関が第一に挙げられています
① 政治や行政にたずさわる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。
(weblio https://www.weblio.jp/content/%E5%85%AC
しかし、もしも自分が属する組織・機関が不正な行為に関わったらどうするか。黙って上の言うことに従うのは「公」の道でしょうか。社会正義を実現するために、是正の行動に出ることが「公につく」ことになると思います。
四番目の意味で次のような項目があります。
④ 天皇。また、皇后や中宮。
形容動詞では、「私心がなく、公平であるさま。」と書かれています。
「公:に対する「私」は私心を指すと思います。
私心:自己の利益をはかる心
私心は人のことは二の次という利己心を指すので、自分の利益を侵害されると恨みや憾みを生じる、その恨みに引きずられて制度や規範などどうでもよくなってしまうことを、第十五条は諫めていると思います。
公の立場を持つ人は何よりも個人的な私心から生じる恨みなどにとらわれないようにしたいものですね。
組織の中にあって、不正なことがいつの間にか進められることなく、最善と思われることが行われるためには、初章(第一条)「和を以て尊し」となす、あるいは十七条のように大事は衆議を尽くして決めることが、同時に重要になります。
当ブログでも、過去に第一条を取り上げました。よろしければご参照ください。
https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2006-12-23
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「然れども上和ぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、則ち事理(ことわり)自からに通ふ。」
「しかれども かみやわらぎ、しもむつびて ことを
あげつらうに かなうときは、すなわち ことわりおのずからにかよう。」
「それでも、上に立つ上司や親や年長のものが和やかな心をたもち、 部下や子や年下のものが互いに仲良くして、みんなが調和して十分に議論を尽くし合えば、 自然に天地の理にかなった解決方法が見出せるものである。」
☆☆
ここでも「十分に議論を尽くし合うこと」が強調されています。議論を尽くすことは、恨みを捨てることと同時に十七条憲法の大切な要素であるように思います。
『上宮聖徳法王帝説』*によれば、推古天皇6年(634年)、聖徳太子による「勝鬘経(しょうまんぎょう)」講義があったとされています。十七条憲法の制定は、日本書紀*によれば推古天皇11年(639年)ですから、その5年前に当たります。
*『上宮聖徳法王帝説』は、聖徳太子(厩戸皇子)についての現存最古の伝記です。
*日本書紀では「「勝鬘経(しょうまんぎょう)」講義は推古天皇14年とされています。
聖徳太子は「三経義疏」のうち、『法華経義疏』四巻、「「勝鬘経(しょうまんぎょう)」、「維摩経」に範を求められたと『万葉の世界と精神』の著者山口悌治氏は述べています。
仏教を規範とされた(仏教だけではありませんが)憲法十七条が人間の内面に切り込む深い洞察に拠ることを考えさせられます。
なお、『上宮聖徳法王帝説』は、若い時に買い求めたのですが文章が難しくて恥ずかしながら読み通すことができませんでした。いつか読み通せるかな(^^;)
今日も読んでいただき有難うございました。
暑さが続きますが、水分を十分に摂って健康にお過ごしください。
皆様にとってよい一日でありますように。
主な参考文献:
山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』日本教文社
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