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ともにただひと―憲法十七ヶ条(4)第十条 [聖徳太子]

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今日は、憲法十七ヶ条の第十条を取り上げます。
「共にこれ凡夫のみ」がここで述べられています。私の人生の転機になった言葉の一つです。

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《憲法十七条、第十条》

「忿(ふん)(こころのいかり)を絶ち、瞋(しん)(おもてのいかり)を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人皆心有り、心各(おのおの)執ること有り。彼是(よし)むずれば、則(すなわ)ち我れは非(あし)むずる、我れ是(よし)むずれば、則ち彼れ非(あし)むずる。我れ必ずしも聖(ひじり)に非ず、彼れ必ずしも愚(ぐ)に非ず、共にこれ凡夫(ただひと)のみ。是非の理(ことわり)、誰か能く定む可(べ)き。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきが如し。彼の人は瞋(いか)ると雖(いへど)も、還って我が失(あやまち)を恐れよ。我れ独り得たりと雖(いへど)も、衆(もろもろ)に従ひて同じく挙(おこな)へ」(p114)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』、日本教文社)

☆☆☆

〔ふりがな〕(一部、現代仮名遣いに直し、読みやすいように、字間を空けました。
by「たると」)

「ふんをたち、しんをすてて、ひとのたがうを いからざれ。ひとみなこころあり、こころおのおのとることあり。かれ よしむずれば、すなわち われは あしむずる、われ よしむずれば、すなわち かれ あしむずる。 われ かならずしも ひじりにあらず、かれ かならずしも ぐにあらず。ともに これ ただひとのみ。ぜひの ことわり、たれか よく さだむべき。あいともに けんぐなること、みみがねの はしなきが ごとし。かのひとは いかるといえども、かえって わがあやまちを おそれよ。われひとり えたりといえども、もろもろにしたがいて おなじくおこなえ。」

忿(ふん):かっと腹を立てる(怒りは心の中)

瞋(しん):心にかなわない対象に対する憎悪(怒りが外に向かう)

聖(ひじり):世の模範と仰がれる、知徳の高い人、技量に優れた人、聖人

是非:正しいか正しくないか


大意は、心の中の怒りを絶って、表に表す怒りを棄てて、人が自分と違うからと言って怒るな。人は皆それぞれの心が有る。心にはそれぞれの執り方(政務事務等の取り扱い方)が有る。彼が正しいと思っても我は正しくないと思う。我が正しいと思っても彼は正しくないとする。我が必ずしも聖人でもなければ彼が必ずしも愚か者というわけではない。ともに凡夫、ただのひとであるのは耳輪が円になってつながっているようなものだ。だから相手が自分に対して怒るのを見たら、自分に間違いがあるのでないかと疑いなさい。自分一人が納得しても、人の意見をよく聞いて一緒に行動しなさい、となります。


怒りにも心の中の怒りと、形に表された怒りがあります。怒りは「絶つ」か「棄てる」しかないのは、今も昔も同じことですね。

「怒り」の対処法には、アンガーマネジメント、アンガーコントロールなどいろいろな方法があります。怒りを爆発させる前に、何回か深呼吸して静かに怒りを見つめる時間をとるのも一つの方法でしょう。


プライドが傷ついた場合には、「ともにただひと」と自分をなだめるのが有効かもしれません。

凡夫を「ただひと」と読むのが気に入っています。


自分も相手も普通の人といいますが、普通の人というのは価値が無いという意味ではなく、ともに同じものを備えた仲間であるという気持ちだと思います。同じもの、同じ善意、同じ向上心、同じ喜び、同じ悩みをもっていると思うと「ただひと」に共同体の一員としての一体感が生まれます。

若いころ、自分はプライドが高すぎるのではないかと薄々感じていた時に、この言葉「ともにただひと」に出会えて「そうだった!」と感動しました。背伸びしても虚勢をはっても「ただひと」なのだから無理をしなくてよいというのを身に着けるのは一生の課題ですが、地道に自分を反省していきたいと思っています。


推古天皇の時代(御在位629~641)の成果を少し勉強しました。高森明勅著『歴史で読み解く女性天皇』(KKベストセラーズ)をテキストにいたしました。

対外的には日本がシナ王朝から独立自尊であることを表明したこと①、国内においては現代にいたるまで続く二重統治の形式上の完成を示された②ことが挙げられます。

①推古天皇の時代に、天皇がシナ王朝から独立自尊であることを表明したことは、大きな歴史の節目です。

推古天皇15年(607)遣隋使小野妹子の携えた国書にある「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」の言葉の通り、隋(シナ)への服属の解消と、日本の独立自尊の立場を表示されました。

②国内においては二重統治の形式上の完成を示されました。

推古天皇は多くの仏像を作り、寺院を立てましたが、日本の在来の神々を祭り、礼拝すべきことも命じています。これは「祭祀王」としての御事績です。
国政や外交は「摂政」聖徳太子、「大臣」蘇我馬子が実務にあたりました。
二重統治というのは、天皇が「祭祀王」「神聖王」たる君主として統治にあたり、その下に「世俗王」として、聖徳太子と「大臣」蘇我馬子が実務にあたる形式です。
この形式は天皇の地位が長く存続する重要な条件になりました。政治権力の行使にあたる「世俗王」は、時代とともに、蘇我氏→太政官→摂政・関白→院政→幕府と交替しましたが、その上位には常に天皇がいつづけるという形で、現代まで続いています。


今日も読んでいただき有難うございました。

今日は山の日ですね。

空気のきれいな山に登りたいと思いつつ、テレビの登山番組を見ています。

皆様にとってさわやかな休日でありますように。



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