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天皇の御歌(66)―第121代・孝明天皇(4) [孝明天皇]

DSC_160020210526blog.JPG今日は第121代・孝明天皇が、御子様、明治天皇の御歌を御添削されたことについて学びます。

御在世:1831―1866(崩御・36歳)
御在位:1846―1866(16歳~36歳)

第121代・孝明天皇は、第122代・明治天皇の御父君であらせられます。天皇ご在世中の御製は1,245首とのことです。

御子様、122代・明治天皇は御一生を通じて10万首近くの御詠草を残され、不世出の歌聖と崇められましたが、その御幼時に孝明天応から和歌創作の手ほどきをお受けになり、親しく御添削を受けられたそうです。


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明治天皇が御年7、8歳の頃、父帝・孝明天皇に御機嫌伺ひに参上されるごとに、父君から和歌の習作が課せられ、親王が詠進されるのを待ってはじめて御父・孝明天皇は御子・親王にお菓子をお与へなさったことが、「明治天皇記」に見えてゐる。皇室に古来から踏み続けられた「しきしまのみち」の道統は、ここでもまた孝明天皇から明治天皇へと、御親(みずか)らの全心身的ご努力によって伝へられていったのである。萬世一系の皇位の相承と、「しきしまのみち」が絶えることなく踏み続けられたこととの深い関連性を、改めて切実に見る思ひがするのである。
孝明天皇が、お子様(後の明治天皇)の御歌にどのように御添削なさったかの一例を左にご紹介しておきたい。

ある時、親王(明治天皇の御幼時)は

あけぼのに かりかへりてぞ 春の日の こゑをきくこそ のどけかりけり

と書かれて天皇にお差し出しになられた。天皇は、この作品の中でいくつかの点にすぐお気づきになられた様に拝せられる。おそらくその一つは「春の日のこゑ」といふのは、正確ではない、「こゑ」は「いきもののこゑ」であってこそ「こゑ」だとお考へになられたのではなからうか。また、「あけぼのにかりかへる」といふのも、折角この作品の中に「春の日の」とあるのだから、「春の日のあけぼの」と詠む方が、いっそう具体的とお考へになられたのであらうか。第三句の「春の日の」を一番最初に移され「あけぼのに」の前に「空」を入れて「春の日の空」と一層具体的な情景の表現に改めてをられる。そして第二句の「かりかへりてぞ」といふ「ぞ」をもっと正確に詠むようにとの御配慮からか、「かりかへるこゑ」(雁が帰りながら鳴いてゐるこゑ)と御添削を進められ、

春の日の 空あけぼのに かりかへる こゑぞきこゆる のどかにぞなく

と御自筆で御添削なさってをられるのである。この一例にみる御添削を以上の様に私が評しまつることは、まことに畏れ多いことであるが、くりかへしくりかへしこの二首を比較して味はってゐると、御添削といふ作業を通して、御父君が御子様の御歌を現実体験に、より一層近づけた表現にする様にと、大変に緊張したお心で御添削なさってをられることに気づかれて来る。
 われわれ人間の心といふものは、ともすれば、自分が見た情景や、体験した事柄などをありのままに表現しないで、つい観念的に表現してみたり、概念的に走ってまとめてみたりするものであるが、それをより正確な、体験のままの言葉で表現する努力が、「しきしまのみち」の大切な修行のやうである。それが素直に出来るやうになることは、とりもなほさず、相手が大自然であれ、人間であれ、要するに相手そのものを正確に把握することを意味するのであって、このことは人間社会における人生観上の修行としても、政治に携わる者の基本的な心構へから言っても、人の上に立つべき者には一番大切な心の素養を意味することにほかならない。それは皇室に伝承された「しきしまのみち」の奥義に通ずることであらうと思はれる。いまだ三十歳にも及んでおられなかったであらう若き父君が、将来祖国日本の命運を御担当になる宿命を持ってをられる御子に対しての、たとへやうもない御期待を背景とした御添削であって、単に和歌が上手になる様にといふ意味での御添削ではなかったことが、しみじみと偲ばしめられる所である。

(pp321~323)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

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「人間の心といふものは、ともすれば、自分が見た情景や、体験した事柄などをありのままに表現しないで、つい観念的に表現して見たり、概念的に走ってまとめてみたりする

「より正確な、体験のままの言葉で表現する努力が『しきしまのみち』の大切な修行」

「相手が大自然であれ、人間であれ、要するに相手そのものを正確に把握する」

そのように和歌が詠めて文が書ければ、自分の思いが深まり、心が鎮まるのだと思います。そのような文章が書けているのだろうかと思うと、まだまだほど遠いし、文章を書きながら、心のどこかが干からびているように感じる時もあります。

その様な時に天皇の御歌を拝読しますと、生き生きした何かがよみがえってきます。自分が見た情景や、体験した事柄などをありのままに表現するということが、心を整えるのだと思います。

日々の努力を積み重ねることで少しでも歴代天皇の御歌の世界に近づけるように、御製を学び続けて参りたいと思います。


今日も読んでいただきありがとうございました。
皆様が心豊かな日々を過ごされますようにとお祈り申し上げます。

タグ:明治天皇
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