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明治日本を支えた養蚕ー伝統文化の継承 [皇后陛下]

DCP0013320210307blog.JPG写真は蚕ではありません。アゲハの幼虫です。ボケボケ写真ですみません。幼虫つながりです。





日テレNEWS24で3月4日に「皇室の養蚕」についての日本テレビ客員解説委員・井上茂男氏によるコラムがありました。皇室の養蚕の全体像が分かって、読み応えのあるコラムでした。

養蚕は、明治時代の日本の経済を支えていたのですね。

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“小さな蚕(かいこ)が吐き出す細い糸が、この国を支えた時代がありました。富国強兵を目指して殖産興業が急がれた明治の頃です。時代の風を受けて明治天皇の皇后(昭憲<しょうけん>皇太后)が養蚕を試みます。1871(明治4)年。今からちょうど150年前のことです。「日本資本主義の父」として一万円札の顔になる渋沢栄一がその始まりに関わっていました。”

(『皇室の養蚕と渋沢栄一 「富国強兵」の風を受け て皇室の養蚕は始まった【皇室コラム(上)】「日テレNEWS24」3月4日 1ページ目) 
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ebde243f4740d466d657290b0654b6cd247c69

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皇室の養蚕が始まったのは今から150年前の明治4年(1871)、昭憲皇太后(当時は皇后)が試みられたのが始まりとのことです。大河ドラマの渋沢栄一と養蚕との関係にも興味を覚えます。


コラムの映像は、昨年の皇后陛下のご養蚕のNEWS映像です。

蚕の幼虫が桑の葉を前足で挟んで頭を上下させながら食べる姿が、手を合わせて一心に祈っているように見えて、かわいらしいです。子供の頃に飼っていたアゲハ蝶の幼虫を思い出しました。

愛子さまも皇后陛下と御一緒に赤坂御所で、蚕を育てていらっしゃるとのことです。愛子さまは「虫めづる姫君」でいらっしゃるのですね。


明治4年(1871)に、昭憲皇太后に、養蚕に習熟した世話人を推薦したのが渋沢栄一でした。このことが、同コラムの2ページ目に書かれています。


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“蚕の伝染病で日本に熱い視線

徳川幕府が結んだ神奈川条約に基づき、1859(安政6)年、横浜(神奈川)など3港で外国との貿易が始まります。主要な輸出品は生糸、茶、蚕種。8割までが生糸でした。

ヨーロッパの養蚕はその頃、「微粒子病」と呼ばれる蚕の伝染病が蔓延し、長く壊滅状態にありました。フランスの細菌学者、ルイ・パスツールが予防法を確立するまで続きます。清(中国)も第2次アヘン戦争などで疲弊し、日本のシルクがイギリスやイタリアから注目されたのです。”

“良質な生糸を大量に作るために動力を使った「器械製糸」への転換が図られ、1870(明治3)年、新政府は官営の模範工場として製糸場を作ることを決めます。世界遺産に登録された群馬県の富岡製糸場です。指導者として招かれたのはお雇い外国人のフランス人技師ポール・ブリュナ。設置主任として力を尽くしたのが政府に任官して間もない30歳の頃の渋沢栄一でした。”

“富岡製糸場の槌(つち)音に背中を押されるように、1871(明治4)年3月、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が養蚕を始めます。天皇の活動を記した「明治天皇紀」によると、皇后は皇居内の吹上御苑で養蚕を思い立ち、養蚕に習熟した女性と世話人を選ぶよう命じ、選ばれた女性たちと一緒に桑を摘んで蚕を育てました。

この時、皇后に世話人を推薦したのが渋沢栄一でした。親戚の田島武平(ぶへい)を推したのです。後に旧宅が世界遺産になった田島家の弥平にとって武平は本家筋。弥平の妻も吹上御苑での養蚕を手伝いました。”

(「皇室の養蚕と渋沢栄一 「富国強兵」の風を受け て皇室の養蚕は始まった【皇室コラム(上)】」「日テレNEWS24」3月4日 2ページ目)
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ebde243f4740d466d657290b0654b6cd247c69?page=2

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徳川幕府が1859(安政6)年、横浜(神奈川)など3港で外国との貿易が始めたとき、主な輸出品は生糸、茶、蚕種で、なんと輸出品の8割までが生糸だったとのことです。

群馬県伊勢崎市の島村という地域が、明治初期、ヨーロッパに聞こえた蚕種(さんしゅ=蚕の卵)の産地「シマムラ」であり、そこに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録された田島弥平旧宅があるそうです。

富岡製糸場の設置主任が渋沢栄一で、富岡製糸場の話を耳にされた明治天皇の皇后(昭憲皇太后)が宮城(皇居)内でのご養蚕を思い立たれたのですね。

ご養蚕は、大正天皇の皇后(貞明皇太后)、昭和天皇の皇后(香淳皇太后)、上皇后・美智子様と受け継がれ、昨年から皇后・雅子さまが受け継がれました。

「富岡製糸場」と「田島弥平旧宅」に興味を覚えました。コロナのために今は見学できないようですが、終息したのちに、機会があれば行ってみたいと思います。

富岡製糸場、田島弥平旧宅のどちらも、昭憲皇太后がご訪問されたとのことです。

上皇后陛下の育てられた「小石丸」は、正倉院御物、貴重な古代裂の復元、鎌倉時代の絵巻の修復に使われました。皇居のほかでは育てられていないのでしょうね。


天皇陛下は「稲作」を、皇后陛下は「養蚕」を、それぞれ伝統文化の継承として受け継がれています。

「稲作」は昭和天皇がお始めになられたとのことです。

(「天皇皇后両陛下のご活動」「伝統文化の継承」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/02/activity02.html#H2-04


今日も読んでいただき有難うございました。
今日が楽しい一日でありますようお祈り申し上げます。

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