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天皇の御歌(55)―神功皇后(第14代・仲哀天皇の皇后) [神功皇后]

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今日は、第15代・応神天皇の御母君、第14代・仲哀天皇の皇后、神功皇后について学びます。

御在世:170~270(崩御・100歳)
摂政:200~270(30~100歳)
*ご在世については、諸説あり。
『古事記』では息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされています。


神功皇后の御事績について、大宮八幡宮のホームページから引用させていただきます。

☆☆

“神功皇后は、第九代開化天皇の曽孫、息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)の女(みむすめ)として、幼い頃より聡明で容貌麗しい方であったと日本書紀に伝えられ、仲哀天皇の二年、皇后となられました。

 仲哀天皇が熊襲征伐の際、筑紫国の橿日宮で崩御されますと、仲哀帝にかわって神功皇后は天津(あまつ)神(かみ)のご神託によって三韓の平定に向かわれました。この時、皇后は応神天皇を身籠っておられ(胎中天皇)、陣痛(出産)を抑える為に鎮懐石(ちんかいいし)を御裳(みもすそ)(袴)の腰帯に巻き付けられてのご出陣となりました。”

“参考までに、現存する高句麗の「広開土王碑の碑文」に倭軍(日本軍)が韓半島へ進出したことが記されていますが、神功皇后の時代と一致していると云われています。
 皇后は平定後に筑紫国にお戻りになり、応神天皇をご出産になりました。”

“応神天皇御降誕の聖地を人々は宇瀰(うみ)と名付け、そこには現在、宇美八幡宮が御鎮座。境内の摂社聖母宮(しょうもぐう)には神功皇后が祀られています。”

(「神功皇后祭」「大宮八幡宮境内案内」https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/4685

☆☆

言葉の意味

熊襲:現在の九州南部にあった襲国(ソノクニ)に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称

三韓:新羅、百済、高麗

広開土王碑(こうかいどおうひ):好太王碑(こうたいおうひ)ともいう。高句麗の第19代の王である好太王(広開土王) の業績を称えた、現在の中華人民共和国吉林省通化市集安市に存在する石碑。

み軍(いくさ、軍隊)の先頭に立って指揮する姫君というイメージが私の中に幼い時からありました。手塚治虫の『リボンの騎士』は夢中になって読みました。物語の最初のところで、男の子として育てられたサファイア姫が、白馬に跨って颯爽と閲兵式に臨む場面の絵のりりしさ、美しさは今でも目の前にありありと浮かびます。

岸壁に立って髪をなびかせ、海を渡る風に立ち向かう少女の絵を描いたこともあります。これは幼いころに話を聞いた神功皇后から得たイメージだったのかもしれません。

摂政として70年間、国を統治され、亡くなられた後に、応神天皇が御位に就かれたので、その間は実質的に君主であられたと思われます。また新羅征討の時、身重であられた、御妊娠、御出産が統治に影響を与えなかったという点も特筆すべきことだと思われます。

今日も読んでいただきありがとうございました。
晩秋と思えない暖かい日が続いていますが、紅葉は着実に進み赤や黄色に染まっているのを見て、日本の四季のあることをありがたく思います。
皆様、どうぞ今日も希望を持ってお元気にお過ごしください。


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