SSブログ

天皇の御歌(54)―第15代・応神天皇 [応神天皇]

PICT1414海20201119blog.JPG
今日も、第15代・応神天皇の御歌を学びます。3回目です。

御在世:200~310(崩御・110歳)
御在位:270~310(70歳~110歳)

☆☆☆

“三十一年(300)の秋八月(はつき)、「枯野(からの)と名(なづ)くるは、伊豆国(いづのくに)より貢(たてまつ)れる船なり。是(これ)朽(く)ちて用ゐるに堪へず。然れども久(ひさ)に官用(おほやけのもの)と為りて、功(いたはり)忘(わす)るべからず。何(いか)でか其の船の名を絶たずして、後葉(のちのよ)に伝(つた)ふることを得む」とのたまふ。群卿(まへつきみたち)、……其の船の材(き)を取りて、薪として塩(しほ)を焼かしむ。……焼きし日に、餘燼(あまりのもえくひ)有り。その燃えざることを奇(あやし)びて、獻(たてまつ)る。天皇(すめらみこと)、異(あやし)びて琴に作らしむ。其の音(ね)、鏗鏘(さやか)にして遠く聆(きこ)ゆ。其の時に、天皇、歌(みうたよみ)して曰はく、

枯野(からの)を 鹽(しほ)に焼き 其(し)が餘(あまり)
琴に作り 掻き弾くや 由良(ゆら)の門(と)の 
門中(となか)の 海石(いくり)に 觸(ふ)れ立つ
なづの木の さやさや

(*なづの木=水の中につかってゐる木、海藻のことか)(日本書紀、巻第十))”(p25)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

伊豆の国:かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。

由良の門:紀伊半島と淡路島の間の海峡。

海石(いくり):海中の岩。

なづの木:水につかっている植物(葦、萱)、海藻

文の説明と御歌の解釈

応神天皇の御代31年(300)の秋の8月(旧暦、新暦では8月下旬から10月上旬ごろ)枯野(からの)と名付けられたのは、伊豆の国から献じられた船であった。この船が古くなって使い物にならなくなった。けれども公用に功績があったものだから、どうしたらこの船の名を後世に残すことができるだろうと、天皇が仰せられた。群臣は…その船の材木を燃やして塩を焼かせた…焼いたときに燃え残りの木が出た。燃え残ったのを不思議に思って、天皇に奉った。天皇も不思議に思われて、その木材で琴を作らせた。琴の音は冴えて遠くまでよく聞こえた。その時に天皇は歌を詠まれた。

枯野(からの)の船の廃材を塩焼きに使ったら、その材が燃え残ったので、琴を作って爪弾(つまび)いたら、由良の海峡の真ん中にある、海中の岩に触れて立つ、水に浸かった草のように、さやさや、と音を立てたよ

感想:

天皇が愛用された献上船が、すっかり傷んでしまって用済みとなりました。船の功績を讃えて、何とかその名前を残せないかと思われたが、その方法が思いつかないまま、船は塩焼きの焚き木に使われることになりました。ところが全部燃えるはずの木材の一部が、不思議なことに燃え残ってしまったので、その木材を、天皇に奉りました。天皇も不思議に思われたので、その木材で琴を作らせたら、琴の冴えた美しい音色が由良の海峡まで、響き渡ったので、御歌を詠まれたとのことです。琴の名前は枯野(からの)となって、船の名が残ったのでしょう。

船にも、後世に名前を残してあげようと、人間のように見ているところが、素敵だと思います。

私も、海岸で船の行き交うのを見ていたことがありますが、じっと見ていると用途によって、形や大きさが様々で、色や形が楽しいです。商船同好会という商船模型を作る人々もあるようですが、少し、その気持ちが分かる気がします。

御歌の「なづの木の さやさや」で終わる、ことばの響きがきれいです。海の中の石、海水に浸かった草、どちらも船の「からの」にとっては、日ごろ親しんだ懐かしい石、忘れられない草木の擦れる音だったことでしょう。そんな船の身になりかわって、歌われているお優しい御歌だと思います。船にもいのちがあるのを感じておられたのですね。

今日も読んでいただき、有難うございました。
皆様にとって、素晴らしい秋の日でありますようお祈り申し上げます。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。