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天皇の御歌(53)―第15代・応神天皇 [応神天皇]

PICT1788お酒20201112blog.JPG今日も、第15代・応神天皇の御歌を学びます。2回目です。

御在世:200~310(崩御・110歳)
御在位:270~310(70歳~110歳)

昨日のブログでは応神天皇の御在世・御在位期間を間違えて掲載しており、本日訂正いたしました。深くお詫び申し上げます。

それにしても、御寿命が110歳、即位されたのが70歳でそれ以後110歳まで天皇であられたというのは、御年齢などの細部は史実と言い切れず、伝承であろうと思いますが、それで応神天皇の実在が否定されるわけではありません。そのお名前の方は実在されただろうし、その伝承が、古代の人々の心に生き続けて、今日まで生き生きと語り伝えられていることを大切にしたい、そういう気持ちで、学ばせていただきます。

 応神天皇の時代は、大和朝廷の勢力が、内外に飛躍的に発展した時期で、朝鮮半島の百済の国から貢物(みつぎもの)があり、これに対して、天皇は「品物もよいが、賢い人がいたら、そういう人をいただきたい」とご希望になり、それに応じて百済王から「王似(おに)」という学者が派遣されてきました。王似は、「論語(ろんご)」十巻(とまき)、「千字文(せんじもん)一巻(ひとまき)を日本に伝え、あわせて、機織・造酒などの大陸文明が、日本に伝来することになりました。

言葉の意味

論語:中国の思想書。20編。孔子没後、門人による孔子の言行記録を、儒家の一派が編集したもの。四書の一。

四書:「大学」「中庸」「論語」「孟子」の4 部の書。五経と並んで儒学の基本となる書。

千字文:子供に漢字を教え、書の手本として使うために用いられた漢文の長詩。 1000の異なった文字が使われていて、全て違った文字で、一字も重複していない。

機織(はたおり):機で布帛を織ること。 また、その人。

造酒(ぞうしゅ):酒を醸造すること。 酒造。

☆☆☆

“天皇(すめらみこと)、百済(くだら)の国に、「若(も)し賢(さか)しき人有らば貢上(たてまつ)れ。」と科(おほ)せ賜(たま)ひき。故(かれ)、命(みこと)を受けて貢上(たてまつ)れる人、名は和邇吉師(わにきし)(註・王仁(わに))。即ち論語十巻(とまき)、千字文一巻(ひとまき)を是の人に付けて即ち貢進(たてまつ)りき。……又、酒を醸(か)むことを知れる人、名は仁番(にほ)、亦(また)の名は須須許理等(すすこりども)、参渡(まひわた)り来(き)つ。故(かれ)是の須須許理、大御酒(おほみき)を醸(か)みて獻(たてまつ)りき。是に天皇、是の獻(たてまつ)りし大御酒に宇羅宜(うらげ)て(註・心が浮き浮きされて)御歌(みうた)曰(よ)みしたまひしく、

須須許理が 醸みし御酒(みき)に 我(われ)酔(ゑ)ひにけり
事無酒(ことなぐし) 笑酒(えぐし)に 我(われ)酔(ゑ)ひにけり(以上、古事記、中巻)”(pp24~25)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

言葉の意味

大御酒(おほみき):神や天皇などに奉る酒

うらげ:「すゞろに心おもしろく、浮キ立ツを云と聞こゆ」(古事記伝)

事無酒(ことなぐし):コトナグシはコトナグクシの約で、憂鬱なことなどを慰めてくれる酒の意。

笑酒(えぐし) :ヱグシは飲めば微笑まずにいられない酒の意であろう。

*クシはクスリなどと同根の語で、霊妙なもの。ここでは酒のこと。

言葉の意味、解釈については、以下のネットを参考にさせていただきました。
(「千人万首」「応神天皇」
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/oujin.html


詞書と御歌の解釈:

天皇が百済の国に「もし賢い人があるなら、その人を私にいただきたい」とおおせられた。その命を受けて、百済から派遣された人があり、その名を和邇吉師(わにきし)と云った。論語十巻と千字文一巻も、その人と一緒に献上された。…また酒の醸(かも)し方を知っている人、名を仁番(にほ)、亦(また)の名は須須許理等(すすこりども)(すすこりが徒弟を連れて)、百済から海を渡って参った。この須須許理は、神や天皇などに奉る酒を醸して、天皇に献上した。その時、天皇は、この奉られた神酒を手に、心おもしろく浮き浮きとされて、御歌をよまれた

須須許理(すすこり)が醸したお酒に私は酔ってしまった、よく効く薬のように憂鬱なことをはらって、慰める酒に、飲めば微笑まずにいられない酒に、私は酔ってしまったよ

感想

詞書によれば、日本に論語と千字文が入ってきたのは、3世紀後半~4世紀前半ということですね。仏教の伝来は私が小学生の頃、「ほっとけほっとけゴミ屋さん」として538年と習っていました。儒教のことは記憶になかったのですが、仏教よりも100~150年ほど前に、王似(わに)が日本に伝えたという伝承があったことを今回初めて意識しました。

『論語』は、日本人の日常生活の中に浸透しています。母がよく口にしていた言葉に「己の欲せざる処を人に施すことなかれ」でした。「自分が人からされて嫌なことは、人に対してするな」という意味ですが、これも論語の中の言葉です。

儒教が本格的に日本に伝わったのは、第26代・継体天皇の御代で513年、百済より五経博士が渡日して以降とのことです。儒学の基本は四書五経で『論語』は、その一部ですが、それでも当時の日本人の目には新鮮な学問と映ったことでしょう。

書の手本となる千字文については、初耳でした。あるいは習っていても、右から左へ頭の中を通過していったのでしょう。千文字の漢字が一つの重複もなく、漢文の長詩になっているとのことで、「いろは歌」が漢字で千文字の詩になっているようなもので、これまたびっくりしますね。

Wikipediaによれば、ところが、千字文が成立したのは6世紀前半(梁 (502–549) の武帝の時代)とのこと、4世紀前半に王仁(和邇吉師(わにきし))が百済から持参したとの日本書紀の記述と矛盾を生じます。この時期的な矛盾について“記事自体をただの伝説であると捉えられたり、いくつかの事実を反映しているという意見や、別の千字の文が伝えられた”という意見があるそうです。私は“別の千字の文が伝えられた”というのが、夢があるように思いますが、その辺りは今後の考古学の研究の成果を待ちたいです。

機織りや造酒の大陸文明も、応神天皇の時代に伝わったとのこと、それまでも機織りや造酒が無かったわけではないと思いますが、飛躍的な工夫が凝らされた造酒、機織り技術だったということなのでしょう。大陸の造酒であれば、漢方薬の知識など生かした、格段に美味しい御酒ができたのだろうと思います。天皇がそれを大いに喜ばれたというのが、御歌にあらわされていて、ほのぼのとした感じがいたします。

{コトナグシ}=事無くする薬、とか、「エグシ」=笑いの薬とか、お酒を讃えられて、酒を醸した須須許理(ススコリ)も、さぞ嬉しかったことでしょう。

日本人はお酒飲みに寛大と言われますが、大御酒が神や天皇に奉る酒であったという、日本の歴史に基づくものなのでしょう。私自身はお酒に弱く、ほとんど飲めないのですが、日ごろ無口だが、お酒を飲んで朗らかになる人と同席するのは、嫌いではありません。健康に良い飲み方は「百薬の長」として、大目に見たいと思います。私も、寝る前に梅酒をお湯割りするとよく寝られると勧められていただいたので、それを飲んで、身体を温めたいと思います。

今日も読んでいただき有難うございました。

今日一日が素晴らしい一日でありますように。
朝晩、寒くなってまいりました。寝るときは暖かくしてお休みください。

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