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天皇の御歌(42)―第1代・神武天皇 [神武天皇]

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今日も、第一代・神武天皇の御製を学んで参りたいと思います。

御在世はB.C.711~B.C.585
御在位はB.C.660~B.C.585です。

今日も「たたかひの御歌」を学びます。2回目です。



☆☆☆

“土雲(つちぐも)を打たむとすることを明(あか)して、歌曰(うた)ひけらく、

忍坂(おさか)(註・奈良県忍坂村)の 大室屋(おほむろや)に
 人多(ひとさは)に 來(き)入り居(を)り
人多に 來入り居りとも みつみつし 久米の子が
頭椎(くぶつつい) 石椎(いしつつい)もち 撃ちてし止(や)まむ
みつみつし 久米の子等が 頭椎 石椎もち 今撃たば良らし

とうたひき、如此(かく)歌ひて、刀を抜きて、一斉に打ち殺しき。(*頭椎、石椎=刀の柄頭がそれぞれ頭の形、石の形をしてゐるもの)


登美比古(とみびこ)(註・トミのナガスネビコ)を撃たむとしたまひし時、歌曰ひけらく、

みつみつし 久米の子等が 粟生(あはみ)(註・粟畑)には
 韮(かみら)(註・臭ひのするニラ)一巠 そねが巠
 そね芽繋(めつな)ぎて 撃ちてし止まむ

とうたひき、又歌曰ひけらく、


みつみつし、久米の子等が、垣本(かきもと)に 植ゑし椒(はじかみ)(註・山椒)
 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてし止まむ

とうたひき。又歌曰けらく、


神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 大石(おひし)に 
這(は)ひ廻(もと)ろふ 細螺(しただみ)の
い這ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止まむ


兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)を撃ちたまひし時、御軍(みいくさ)暫(しま)し疲れき。ここに歌曰ひけらく、

楯並(たた)めて 伊那佐(いなさ)の山(註・奈良県伊那佐村)の 樹の間よも
 い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢(ゑ)ぬ 島つ鳥
 鵜養(うかひ)が伴(とも) 今助(すけ)に來(こ)ね

 (*鵜養が伴=鵜を使って魚を捕らへることを職として天皇に仕へる人々)”

(pp19~20)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


☆☆☆


言葉の意味

土雲:土雲(ツチグモ)は古事記での表記で、日本書紀では土蜘蛛。土蜘蛛、(つちぐも)は、上古の日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称。各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。

大室屋:大きな、四周がきっちり囲われている部屋。

みつみつし:「久米」にかかる枕詞。「みつ」は「満つ」であるとも、「御稜威(みいつ)(=激しい威力)」で久米氏の武勇をほめたたえる語ともいうが、語義・かかる理由ともに未詳。

久米:久米部(くめべ)は古代日本における軍事氏族の一つ。『新撰姓氏録』によれば高御魂(タカミムスビ)命の8世の孫である味耳命(うましみみのみこと)の後裔とする氏と、神魂(カミムスビ)命の8世の孫である味日命(うましひのみこと)の後裔とする氏の2氏があった。

這(は)ひ廻(もと)ろふ:這いまわる

細螺(しただみ):キサゴの古名。キサゴは本州、四国、九州の沿岸砂底に生息する巻貝。食用にもなる。

撃ちてし止まむ:「敵を打ち砕いたあとに戦いをやめよう」の意。敵を打ち砕かずにはおくものか。

楯並(たた)めて:楯 (たて) を並べて弓を射る意から、「射 (い) 」の音を含む地名「伊那佐 (いなさ) 」「泉 (いずみ) 」にかかる枕詞。

伊那佐(いなさ)の山:奈良県宇陀市街の南方にある山。宇陀盆地を流れる宇陀川沿いから見ると、ひときわ目を引く。

い行きまもらひ:「い」は、行くを強めることば。行ったり来たり守っていた


1首目。尾坂の大きな室に、人が多勢入ってきたぞ。多勢入ってきたが、人数も力も満ち満ちている久米の者どもが、柄頭(つかがしら)が槌の形の剣、石の形の剣を手に持って、敵を打ち砕き、戦いを終わらせよう

2首目。人数も力も満ち満ちている久米の者どもが、粟畑にある一本の韮(にら)の、その韮の芽も根もひとまとめに抜くように、敵を打ち砕き、戦いを終わらせよう

3首目。勇ましい久米の者どもが陣営の垣の下に植えた山椒を、口にして口中がヒリヒリ痛むような痛み、悲しみを、私は忘れない。敵を打ち砕き、戦いを終わらせよう

この戦いに先立つ、ナガスネビコのとの最初の戦いで、神武天皇の兄君・五瀬命(いつせのみこと)が命を落とされました。その時の痛み、悲しみを山椒の実の辛さ、ヒリヒリする痛みに重ねた御歌なのでしょう。

4首目。神風が吹く伊勢の海の大岩を囲むほどに這いまわるキサゴ貝のように 隙間なく、敵を囲んで打ち砕き、戦いを終わらせよう

5首目。楯を並べて敵に備え、伊那佐(イナサ)の山の木々の間を行き来して戦ったので、お腹がすいてしまった。島の鳥、鵜飼たち。助けに来ておくれ

山の中を行ったり来たりして疲れた兵士たちを、励まそうとして天皇が詠われた御歌です。

神武天皇の「たたかひ」の御歌が「久米歌」、「久米舞」となって、現代まで伝えられていることの意味を考えさせられました。国を平定するためには武力があり、立ち向かう敵を容赦なく討ち果たす。日本の建国の成り立ちに、そのような戦いがあったことを学ぶ意味は何だろうと思いました。

戦いで人々が見せた勇気、決断、そして痛みと悲しみ、そういうことのすべてが学びの種であると思います。古代の戦いは敵も味方も、それぞれの名前が残り、個性が遺憾なく発揮された「英雄物語」の側面もあります。

それでも戦いの描写を続けて読みますと、「戦いを重ねる人間の哀しさ」を、思わずにいられません。

現代における戦争は、どうでしょうか。兵器の発達とともに、それぞれの英雄の個性など、ミサイル一発で吹き飛ばされてしまう、非人間的な戦いの有様を思いますと、国と国との間の「戦争」は、各地における小規模な紛争も含めて、武器による殺し合いを無くして欲しいと切に願わずにいられません。

人間が「戦い」を好む心は、スポーツに昇華して、思う存分、発散したらよいと思います。ボクシングなどの格闘技でも、球技でも相手を殺傷することなく、「命がけで戦う」経験をいくらでも積むことができます。

友人の一人が「国と国との戦争は止めて、スポーツの試合で勝ち負けを決めたらよい」と云っていたことがありました。まさか、国と国との間の交渉事のあり方を、スポーツの勝敗で決めるわけにはいかないでしょうが、国と国との「対抗心」、「競争心」はスポーツを通して表現することができますし、思いっきり戦った後は、互いの健闘を讃えて、握手することもできます。

また、古代の人々の死生観は、現代人より生と死の距離が近く、「死」が身近であったようにも思われます。平和の中にいて、過去の戦いの歴史を学ぶ意味はそのあたりにも、あるのかも知れません。


2020-08-11付の当ブログで、上皇后・美智子さまの「争いの芽を摘み続ける努力」と、内親王・愛子さまの「日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないでしょうか」とのお言葉について書かせていただきました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/2020-08-11


皇室の2680年の歴史を背負っておられるお二方の、切実に平和を希求されるお言葉は、神武天皇建国の「たたかひの歌」を学んだことで、いっそう強く心に響く気がいたします。

平和のありがたさ、平和というものは黙って何もしないで築かれたものではない、ご先祖様、先人の皆様が努力を重ねて来られた結果であることを考えさせられます。 あらためて「日常生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやること」を心にとどめ、「平和」について、考えて参りたいと思います。


今日も読んでいただき、有難うございました。

皆様にとって幸せに満たされた一日でありますようお祈り申し上げます。


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